シビル・ウォー アメリカ最後の日のレビュー・感想・評価
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いろいろと怖い映画
予告で気になってたので鑑賞!
連邦政府から19もの州が離脱したアメリカ。
テキサスとカリフォルニアの同盟からなる“西部勢力”と政府軍の間で内戦が勃発し、各地で激しい武力衝突が繰り広げられていた。
「国民の皆さん、我々は歴史的勝利に近づいている——」。
就任 “3期目”に突入した権威主義的な大統領はテレビ演説で力強く訴えるが、ワシントンD.C.の陥落は目前に迫っていた。
ニューヨークに滞在していた4人のジャーナリストは、14ヶ月一度も取材を受けていないという大統領に単独インタビューを行うため、ホワイトハウスへと向かう。
だが戦場と化した旅路を行く中で、内戦の恐怖と狂気に呑み込まれていくー
というのがあらすじ!
ノンフィクションのようなフィクション映画…
何でアメリカが分裂したのか詳しく説明がなかった気がします🤔
大統領が3期目に入ってることとFBIが廃止して暴挙に走ってることが原因なのかな?
戦闘シーンは迫力があってすごかったですね…
戦場カメラマンってあんなに間近で撮ってるんですね
実際もこれが普通なのかわからないのですがほんとだったら全然知らなかったです…
かなりの命懸けでほんとすごい!
そして1番怖かったシーンはジェシーとボハイが捕まってるシーン…
トリガーに指かけたりかけなかったり無表情だし話が通じてるようで全然通じてないのが怖すぎます
容赦なく撃ち殺しちゃうし…
サミーが助けてくれなかったらみんな死んでた気がします!
でもサミーが撃たれて亡くなっちゃったのが悲しかった😔
ここのシーンではジャーナリストとかそういうのは全く通用しない武力の怖さを感じました
そして最後はリーが撃たれてしまうんですけどそこをしっかりと写真でおさめてた…
リーの精神をしっかりと受け継いでましたね
いろいろ考えさせられる映画でした!
ありがとうございました!
衝撃のラスト 実は”影の主人公”が…
恐らく見た人の多くが「思っていたのと違う」と感じたのではないか。
分断が進むアメリカを舞台にした「シビル・ウォー = 内戦」というタイトルの映画であれば、保守とリベラルとか、白人と有色人種とか、わかりやすい対立軸が明示され、それぞれが互いを理解することなく真っ向から戦い合う。見る側は、良くも悪くもそのどちらかに感情移入してハラハラしながら見守る… 少なくとも自分はそんな”単純な”構図を想像していた。
ところが。実際は最後まで映画を見ても、なぜ内戦が起きたのかも誰と誰が戦っているのかも(政府と反政府が戦っているというのはわかるが)、全くわからない。それが不気味である。
「内戦」というタイトルではあるが、実際は「革命」に近いような気がする。
途中、カダフィやチャウシェスクという独裁者の名前が出てきたりして、あくまで個人的な推測だが、この映画の背景も、独裁的な米大統領を倒そうと反政府軍が立ち上がったということだったのではないだろうか。だからこそ最後に独裁者は殺される。フランス革命も東欧(ルーマニア)革命も、指導者は殺された。そして米大統領もあっさり殺害され、兵士たちは死体とともに記念撮影をする。
このラストシーンが秀逸だ。その直前まで、映画の主人公は戦場カメラマン…ベテランと新米の2人の女性が過酷な状況を生き抜きながら、「内戦」の真実に迫ろうとする物語であるように見える。
ところがこのラストでそれはひっくり返る。彼女たちをサポートし続けてきた男性(ジョエル)が、いわば「影の主人公」としてその立ち位置を明らかにするからだ。
振り返ると、ジョエルは新人カメラマン・ジェシーを同行させ、キルステン・ダンスト演じるリーに反発されるが、無理を押し通す。そしてクライマックスでのホワイトハウス突入時には、ジェシーをかばって撃たれたリーを全く気にすることなく、ジェシーを連れて行き、大統領最期の瞬間を撮影させるのである。しかも兵士たちが大統領を撃とうとするところに待ったをかけ、「彼らに殺さないよう言ってくれ」という”独裁者らしい最期の言葉”を引き出すのだ。
まさにその瞬間が「革命」完結の瞬間であり、そこに立ち会い、その記録(写真)をカメラマンに撮らせることこそがジョエルの究極の目的だったのではないか。
ちなみに映画を見終えた後で気づいたのだが、この作品にはスマホが(多分)出てこない。メディアも大半はいわゆるスチールカメラである。(若干、ビデオカメラが出てくるが)
冒頭の、街中での暴動騒ぎでもジャーナリストたちがカメラで撮影するが、一般人がスマホで撮影したりはしない。ということは実はスマホ以前の話なのか、それとも別の世界線なのだろうか…
首都の陥落、スチールカメラマンの活躍というところから、自分は何となくベトナム戦争を連想してしまった。あの戦争も結局、米ソが後押しした「内戦」であったが、もしかしたら現在のアメリカという国でベトナム戦争的なものが起きたら、みたいな意図もあったりしたのだろうか。
本当にいろいろな見方ができる、いろいろ考えさせられる素晴らしい作品だった。
今ひとつかな
時節柄話題作になった感があるが作品としては今ひとつ盛り上がりにかけるかも。特に主人公が亡くなるシーンはかなり普通でがっかり。全体に演出が今ひとつな気がした。
キルステンは良かった。
ケイリーは何処かで見たと思ったらエイリアンの人なのね!エイリアンの演技は素晴らしかった!
The Civil Warだと南北戦争なんだ〜!
新聞で知りました。そうなんだー!
今作は東西戦争になるのかしら?正直なぜ内戦になったのか掘り下げがなくてなんでアンタら戦争してるの?と思ったのですが他国の人にはわからないいろいろな事情があるのでしょう。
リーとジェシーがアナログなカメラを持っての報道で音楽や映像がなんだかベトナム戦争を彷彿とさせます。キルステン.ダンスト年を重ねて円熟味が増しました。
最後に白人男性大統領を仕留めた黒人女性兵士!
アメリカ大統領選の予言‥な訳ないなw
鑑賞動機:アレックス・ガーランド7割、あらすじ2割、A24 1割。
音響に色々と仕込みがしてあるので、やっぱりIMAXにしとけばよかったかなあ。
戦争です。何も起こっていない時/場所でもやっぱり戦争です。何かそんなことありそう、というエピソードを積み重ねたロードムービーになっている。あとで地図を確認したら、ニューヨークからD.C.に行くのにピッツバーグやらウエストバージニア州やらシャーロッツビルだの言ってたから、ぐるっと大回りして反対側から入ったということか。ただあまり現代戦っぽさがないのは、プレス目線だからか。『プライベート・ウォー』と、なぜか『28日後…』をぱっと連想した。
あれ?この人マット・デイモン…じゃないよね、とおもった人がジェシー・プレモンスか。リアル夫婦にやるかやられるかの状況をさせるとは、ガーランド監督はやっぱりエグ…って、いやいやプレモンスの起用を言い出したのはダンストなのか!ほえー。 ソノヤ・ミズノは全然わからなかった。
議会乱入のことが着想の一つなのだと思うが、イデオロギー的な部分はほぼないのはちょっと意外だったが、それによって現実に偏在している「戦争」そのものを解き明かそうとしたように感じた。リーとジェシーの変化が逆方向なのもポイントか。
最後「ハイ、チーズ!」と、セリフを脳内補完するとよりグロテスクになる。
裏テーマは『みんな戦争大好き?』
半年前の米国公開時から期待していてようっっやく観れた!!今年ジョーカーより期待していたと言っても過言でないです。いやあ~自分は期待通りでしたね。
分断されたアメリカ。内戦が発生し、既に政府軍は劣勢な状況に立たされている。そんなアメリカ全土を舞台にした戦争ドンパチ映画かと思いきや、主人公達はジャーナリストでガキとお年寄りも交えてのんびりワシントンDCを目指す、まさかのロードムービー。ここで肩透かしを食らった感は正直否めない。
しかし、あえて安直にマイケル・ベイ的な各地の状況を扇状的に見せるやり方では無く、殆ど見せずに主人公達にスポットを当てて既成事実として当たり前になった状況からスタートさせた方が、アメリカ人的にはよりリアリティを感じたことだと思う。
実際日本の話だとして大阪で反乱が起きました~!!みたいな映像を見せられるよりも既に得体の知れない反政府勢力が結構浸透してますって状況から入った方がリアリティを感じると思うのだ(大阪民スマン笑)。
そうして半分はロードムービー、終盤が期待通りのドンパチという構成になっていて、終盤のアクションは半年待った甲斐が有る圧倒的な迫力と轟音とスピーディーさで最高だった。他の映画の数倍くらいはみんな殺意が強くて、一切の躊躇無しにワシントンの官僚やSP達を殺しまくる。どっちが悪役なのか分からなくなってくるような錯覚に陥るが、本来これが戦争なのだと思い出させられる。
そうして本作は反政府勢力の勝利に終わり、その後は伏せられたまま幕を閉じるのだが、本作の裏テーマとして人の戦いへの欲求があるのではないか?とちょっと深読みしすぎたような持論を述べていきたいと思う(笑)
本作で印象的なのはエイリアンロムルスでも主演を演じて今が旬のケイリー・スピーニー演じるジェシーだが、このジェシーが徐々にジャーナリストとして、いや、戦地を生きる人間として開花していく姿も描かれるのだ。そこには笑顔が常に描写されており、誰かに褒められるでも無く、まさに今銃撃戦が行われている現場で笑顔を浮かべている。そして最後の最後もリーが死んだばかりなのに眼の前の生死に夢中になっている。果たしてそれはジャーナリストとしての魂なのか、それとも人間が本来持つ何かを刺激されて開花してしまった結果なのか?
もう一つ印象的なのは男性ジャーナリストのジョエルが割と好戦的で銃撃戦の現場でも興奮している姿がはっきりと描かれる事だろう。ジャーナリストとしてベテランだからそうなのか、でもそれならリーは対称的に人間らしくこの状況にどこか陰鬱としている姿が描かれる。これは主役としての補正なのか。どちらかと言うとジェシーは友としてはジョエルと仲が良い感じで、ともするとジョエルの好戦的な性格に影響された結果なのか?
そもそもの内戦の理由がぼかされている点、道中で印象的だった「どのアメリカ人だ?」の赤メガネ、最後のホワイトハウス虐殺。これらを踏まえると、裏テーマとして人は殺しが大好きというメッセージが隠されているのではないだろうか。内戦の理由がぼかされている点に関してはそもそもリアルの情勢を考慮してのことだろうが、赤メガネに関しては死体を見るに人種差別的な思想を持っていそうだったし、反政府勢力なのかどうかも分からず仕舞いで判明しているのは明らかに民間人ばかりを殺していた大量殺人鬼だということ。
そういえば序盤のガソリンスタンドで吊るされていた人間も、家に立て籠もっていたスナイパー対決もどっちがどっちなのかよくわからない存在だった。
本作、一見政府軍と反政府軍との戦いを描いた作品のようだが、道中でかなり曖昧な存在が3回も出てくるのだ。そしてそれらの状況に特に絶望する事も無く、むしろ徐々に好き好んでいくような素振りすら見せていくジェシー。
ホテルのシーンでおじいちゃんが言っていた言葉が印象的だ。どちらかが勝利すれば今度はそいつら同士で争うだろう、と。
政府軍と反政府軍の戦いは序章に過ぎない。今はこうした形が有るだけ。本来、人間は戦争が大好きでみんなその麻薬に染まっていくのだ・・・・・
だってそうだろう?
僕達だって終盤のホワイトハウス攻略戦で興奮したじゃないか^
戦争は最高だ
所詮、戦争に正義はない!
連邦政府軍とカリフォルニアとテキサスからなる西部軍との内戦。主人公は、ベテラン報道カメラマンのリーと新人カメラマンと他2名が、大統領に直撃インタビューを図り、ワシントンDCへ向かう。途中略奪者として同じ隣人を吊るす市民兵や全く無関心の街。暴徒と化した兵隊達。
戦争は、ほんと人を変えてしまう。リーを演じたキルティンダンストがいいね。後味の悪い映画だ。
緊張感がすごい
音の使い方(緩急)がすごくて、視点も面白かった。
題材であるカメラマン視点であり、スナイパー視点のような不穏さもあり。
印象的なシーンがいくつもありました。
レビューというかメモ代わり。順不同
『あなたはわたしが死んだら写真を撮る?』
墜落したヘリを撮るシーンで、ジェシーがリーに聞いたこと。
リーの方が先に死ぬなんてきっと思ってない。
そりゃまぁ駆け出しの新人とベテラン(ヒーロー)だから、その認識も間違ってはいないと思うんですが。
実際はリーが死に、ジェシーは一瞥するだけで撮らずに進む。
人間らしく感情的だったジェシーと、冷静にジャーナリズムを説いていたリーが、ここで入れ替わる。
前半のジェシーはまだまだ新人というか子どもっぽさというか純粋さが残っていて、“危なっかしい”印象。でもリーはそれに救われて(癒されて)いたのかな。
「あの子に厳しいんじゃない。君は自分に厳しい」とサミーに言われていたリー。少なからず昔の自分をジェシーに重ねていただろうなと。
後半、さまざまな経験を経て、ジェシーはどんどん前に、どんどん撮る、どんどん進む。
成長する姿は頼もしくもあるけど、違う“危うさ”を孕んでいって、リーにどう見えていたかな。それが最後に繋がったのかも。
『お前はどの種類のアメリカ人だ?』
ここ、本当にゾクゾクしました。ぞわぞわ。
白い粉(?)を撒いてるときも、死体が荷台に引っかかってても、どこの誰かも分からん記者が必死こいて命乞いしてても、全体的にあんまり興味なさそう。
興味なさそうっていうか、感情の動きがないというか。
何が正解か分からない。
必死に、慎重に生存ルートを探るジョエルたちと、淡々と作業し、淡々と問い、淡々と殺す赤サングラスの兵士(本当に兵士なのか)の対比。
このシーンから狂気がどんどん加速していく。
『いい知らせだ。』
こんなに不穏なことある?ってくらいえげつない空気感から始まり、来ると思っててもびっくりしちゃう銃声。
運転手ジョエルの判断、さすが慣れてる。
「相手は何だ?」
「分かった、お前バカなんだな。」
相手が何だとか、誰だとか、そんなん言ってられない。
撃たれたから撃つ。殺られる前に殺る。
お前バカだな。そんなの当たり前だろ。
こんな世界でよ。言わせんじゃねぇよ。
一瞥すらくれないスナイパーも合わさって、
個人的にはめちゃくちゃ好きなシーンだった。
『なるべく関わらないようにしてるの。』
観客にも刺さった人がいるんじゃないかな。
わたしはぶっ刺さりました。
ぶっ刺さってなお、映画を観終わって、好きな音楽を聴きながら平和な街を歩いて、安全な水とごはんでお腹を満たして、のんきにレビューなんて書いている。
あの街の優雅な生活や人々がわたし達なら、戦地の日常や狂気もまたわたし達のものであり得るということですね。
何を象徴しているのか考えながら観れば…ただ疲れます
評価3.5というところなんですが、悩んで3にしました。
とびきり観賞後の満足感が高いというわけでもなかったので…。
アメリカ合衆国が政治的派閥により分断されてしまった世界で、ジャーナリスト数名のパーティーがワシントンDCを目指して旅する話です。
予告観ての予想では、もう少しエンタメよりなwell-madeな作品かと考えていたのですが、仮想のジャーナリズムというか、凄惨なシーンが主人公たちによって次々写真に納められていく…という表現です。
とにかく緊張感がすごいです。気が緩むシーンがほとんどないので正直疲れます。映画好きな人が観に行くのは良いのですが、ファミリーやらカップルやらがいくのはお勧めできません。
さて、ここからネタバレかつ鑑賞の仕方についてです。
こうしたスリル満点の映画において、見始めたとき、なぜ戦うヒーローではなくジャーナリストを主人公に設定したのか、そこから考え始めました。
この映画は今のままアメリカ国民を分断させ続けると、いずれこういう未来が現実になるという、アメリカ国民への警鐘として撮られていると思います。
すると監督もアメリカ国民なわけで、わかりやすい対立構造の中でヒーローが敵方を倒してしまったら、そのまま政治的主張ととらえられかねません。
そうしたことを避けるために、どこかの派閥が悪いのではなく、分断そのものが悪なのだということで、この設定になったのだろうと考えました。(話の構造上は分断を煽っている大統領が悪ということになっています)
この捉え方を皮切りに、それぞれの登場人物が何を象徴しているのか、順に考えていくと、最終的に以下のようになりました(すみません、名前を覚えるのが苦手で…鑑賞していただければ誰のことを指しているのかはすぐわかると思います。)
主人公…現状を憂えている中年層
浮かれ男…分断を面白がっている中年層
少女…現状に課題意識は持っているが、世の中のことをわかっていない若年層(あるいはこういう若年層が現れて欲しいという監督からの希望)
老ジャーナリスト…現状を変える気力も力も持たず、達観してしまっている老年層
あまりアメリカ国内の派閥と地理的関係性は詳しくないのですが、州ごとに細かく別れているはずです。が、複雑すぎると海外視聴者がついていけなくなるので、大雑把に、西海岸(リベラル・裕福)、東海岸(保守・エリート)、中央(労働者・貧困)位の分け方にしているんだと思います。
つまりこの映画の舞台設定は、自らが当選し権力を握るために対立を煽る大統領と、富裕層の対立の間で、周りから与えられる力に翻弄され不満を蓄積させている労働者・貧困層の目で分断の状況をつぶさに観て回る、という構図なのです。
旅の途中、牧場のようなところでライフル射撃に逢い、対立している一方と会話するシーンがあるのですが、相手方は倒した後まで全く姿が見えません。他に主人公一行皆殺しの瀬戸際に立たされる場面もありますが、暴漢が何にどうして怒っているのか全くわかりません(劇中の主人公達にも理解できません)。これはつまり、今の分断・対立構造はお互い相手の何がいけないのか、何に怒っているのか当事者でも理解していないということのメタファーだと思います。
最初は好奇心だけで着いてきた少女は、こうした過酷な旅を経て成長していきます。DCでは流れ弾に当たるリスクをも恐れず、兵士に混ざって射線上に立ちながらカメラに収めていきます。
これは結局、(劇中でWFが大統領を殺害して解決したのではなく)分断を解決し、状況を打開するのは意識ある若年層しかいないという監督からのエールだと捉えました。
クライマックスで出過ぎた少女を庇って主人公は撃たれます。映像的には、調子に乗りすぎると痛い目に遭うぞ、と警告しているようにも見えますが、ここまでの全体像から俯瞰すると、希望であるこうした若年層をそれ以外の年代の人々が命がけで守っていかなければならない、というメッセージではないでしょうか。
総括です。
ヒーローがドンパチやって生き延びるアクションものを期待すると完全に裏切られます。また、映像そのものから鑑賞者が全ての情報を得られることを期待するような見方をする向きには、説明不足な作品だと思います。
捉え方は色々だと思いますが、私のような視点で解釈しながら観るのが一番スッキリするのではないかと…。結局武力による対立は映像上のメタファーでしかないので、精神的なものであれ、こうした分断分裂が起きるというのは、どの国でも考えられうる話かなと思います。日本でも徐々に中流層がなくなり分断されつつありますので、さらに先の未来として、こんなことにならないようにしなければ、と考えさせられる映画ではありました。
意味がわかってなくても人は殺し合える?
予告編に興味がそそられたが結論としては題材は面白そうなのに意味不明のオンパレードで残念な内容
内戦に至った理由描写や説明がなく、わかる施策でいうとプーチンの揶揄?なのか大統領が3期務めてたりとかFBI解散させたとか
説明がないからなぜなのかよくわからないけどそんなことで内戦しないでしょ
なんで保守のテキサスとリベラルのカリフォルニアが手を組んでるのかもわからない
とにかく説明がないから理解しようとしてもよくわからない
道中のガソリンスタンドで吊るされてるおじさんとか誰と戦ってるのかよくわからないスナイパーや山賊みたいな赤メガネとか
関わらないように努めていれば表面上は平和ですったって暴徒はそれでもやってくるのに
結果、内容もありそうでないし、誰目線で何を描きたいのかわからない
なぜ内戦が起きているのかわからない以上、人にあてるしかないんだろうけど野良ブン屋のロードムービーなのか、日中にネガを広げちゃうヒヨッコカメラマンのサクセスストーリーなのか、ヒヨッコを守るために冷静なジャーナリストが死ぬ話なのか何がなんだかさっぱり
サザンの曲の歌詞に「カメラがあれば覗きも仕事と呼べる」とは良く言ったもの
しかし、なんでヒヨッコはフィルム式なんか使ってるんだ?意味不明
ジャーナリストなんてただの野次馬が野次馬で飯を食ってるだけの崇高な生き物じゃないっていうことを言いたいだけだったのだろうか?
当然どっちのアメリカ人だ?はブン屋も同じでこの人たちが書くものもプロパガンダになるからどっち側について原稿書くんだ?という意味もあるだろうし
アメリカ人同士がイデオロギーもよくわからないのに憎悪でもって殺し合ってますよってことなのかもしれないけど、グロを撮りたいだけならセンスないなあと思った
アメリカ社会が孕む狂気と、幻想の平静
米国内で起こった国を二分する内戦を描いた作品であり、近年叫ばれる「分断」というキーワードがおのずと浮かび上がる。しかし、この映画からは「分断」以前の、アメリカ社会の根底にある底しれぬ狂気が見え隠れする。
アメリカは、なにより自由と権利を大切にする社会だ。Youtubeにはアメリカ警察が犯罪者を取りしまるボディカムの映像が多数公開されているのだが、富裕層から貧困層まで、実に多くの人が犯罪取締に自らの権利を盾に立ち向かう様子が見られる。
アメリカ市民(=civilian)の権利のなかには、銃器で武装し自衛する、という権利も含まれる。事実、人口3億3000万人以上の数の銃器がアメリカで正規に登録され、所持されているという。真っ当な市民であれ、極端な人種差別主義者であれ、等しく武装し自衛する権利を持つのが、アメリカ社会の特異な点と言える。
この映画には、おそらく州兵とみられる反乱軍兵士のほか、武装市民が多く登場する。ミリタリー好き的な視線で戦闘シーンを観ると、「そんな風にヘリは編隊飛行しない」とか、「兵士の分隊行動がまるで素人」といったいちゃもんを付けたくなるのだが、そこは映画の核心ではないので、ハリウッド映画のご都合ということでいいと思う。
映画全体としては、ジャーナリストである主人公たちが、合衆国大統領への単独インタビューを敢行するために首都ワシントンDCを目指すロードムービー的な流れで、近年の戦争映画にありがちな過剰演出されたドンパチの戦闘描写は一部に限られる。むしろ、主人公たちが道中出くわす人々が引き起こす事件を通して、主人公たちの心の変様に丁寧にスポットを当てることで、アメリカ社会に潜む狂気をじわりとあぶり出すような描き方がなされている。
映画の中で登場する、その狂気じみた人々は、小学校の同級生だった人を「泥棒をしようとした」としてリンチして吊り下げたり、アジア人だから、というだけの理由で躊躇なく虐殺したり、またある街の人々は「内戦には関わらなければいい」と言いつつ、遠くからスナイパーライフルで主人公たちに銃口を向ける。そのどの人物も、ガソリンスタンドの単なる店員や農場主や、アパレルショップの店員という「平静」なふるまいと、銃で武装し、時には理不尽に人に暴力を加えて死に至らしめる「異常さ」を併せ持っている。
平時のアメリカでは法の支配の下に「平静」が社会を成り立たせているが、ひとたび内戦にでもなろうものなら、「異常さ」が逆転して表出する。この危うい2面性こそが、この映画における狂気の正体だ。
作中、あるシーンで主人公たちは森林火災のなかを車で走り抜ける。カメラは、燃え盛る狂気的な炎と、幻想的に舞い上がる火の粉を交互に映す。銃弾を受け、息も絶え絶えなひとりは、その光景を笑みを浮かべ、光悦とした表情で見つめる。その異様とも言える光景が、本作のテーマを示すもっとも象徴的なシーンだ。
鑑賞後の素直な感想としては、「やっぱりアメリカとは仲良くできないかなぁ」というものだった。日本にももちろん、理性的な普通人から根っからのワルまでピンキリの人が社会に存在し、それはアメリカと違いはない。しかし、アメリカではその振り幅が極端に広く、善と悪の人口分布も日本よりずっとフラットだ。
倫理観も思想も信条も、多様であっていい。自由で多様な社会はしかし、極端な格差と過剰な権利主張を伴って分断を生み、ややもすれば自分とは異なる思想の他者を排除したり、暴力を生んだりする危うさをも孕む。この映画はそんなことを伝えようとしたいのではないか。
他の終末ものとは一味違う、荒廃した国土のロードムービー
内戦により荒廃した国土を縦断するロードムービーは、絶妙なバランスで進行していく。
何よりそれは、「戦場メディア」の視点だから。
彼らは武器を持たず、自分を襲う民兵たちに抗う手段を基本的にもたない。相手を攻撃したり、殺すという選択肢は無い。
また、銃撃の中でも、報道人であるがゆえに、少なくとも表向きは攻撃を受けないという体になっている。
終末もの映画の中で、主人公が人間やゾンビを倒しまくる場面に慣れてしまっているのでそれだけでも新鮮。
重たい音楽と、まるでドキュメンタリーのような戦場のシーン、ほぼすっぴんで表情を見せるリーは映画に説得力を与える。
ロードムービーから一転、ラストのワシントンDCの銃撃戦は緊張感が高まる。
大統領を問答無用で射殺するのも
ラスボスが逃げたり、死んだと思ったら生きていたりなんていう、B映画とは一線を画す。
星0.5マイナスなのは、ラストのリーの死のためのきっかけでしかない、彼女の飛び出しが見え見えなので。。。
リアルさもう一つ
記者目線でのストーリー展開ではありますが、一般市民が戦争に巻き込まれた現代をしっかりと映像化しています。
違和感を感じたのは、容赦ない残虐性がこんなにまで短期間で現代のアメリカ軍に蔓延するのかな?平気で市民を虐殺したり、理不尽な殺害を感情もなく行えたりって文明社会の元たるアメリカの軍人がそんなに傍若無人にできるものなのかな?って感じました。
だとしたらそこに至る内戦の経緯を見せて欲しかったです。2時間足らずの上映時間で表現するのは厳しいストーリーですよ。
こんなことが起きたからこんな戦争が始まったという説得力に欠けたままストーリーが進んでいき、結局足手まといの若いジャーナリストで主人公に面倒をかけ、しまいには命まで、、。
全体的なストーリーや表現は見ていて飽きないしドキドキして鑑賞できました。
でもちょっとモヤモヤと軽はずみな行動でのストレスが残ってしまったかな?
とても日本人には理解不能かも
これは分断が極端に進んでいるアメリカ人と中国人しか理解できないんじゃないかなぁ。でも銃の恐怖と、多人種はアメリカだけかな。
ラストはちょっとオチを付けるため無理クリっぽい展開で、リーのジャーナリスト魂をジェシーが受け継いだ事を見せたかったのだろうけど、一緒に死線を乗り越えてきた仲間に一暼もせず特ダネを取りに行くのはちょっと、感動できなかった。
ジェシーの存在がリアルさを打ち消していた。いない方が物語が締まったんじゃないかな。
リアルさで言うと暗いところであんなにクイックに撮影できないんじゃないかな。フィルムは装填しなきゃならないし、カメラ一台だけってのもファンタジーかな。
150年前の日本の明治維新を重ねて。
原題「SIVIL WOR」は、「民間人による、闘い」。で、そのタイトル通りの、フリージャーナリストという私人と、内戦を描いた作品。副題の「アメリカ最後の日」は、ドンパチ推しのキャッチコピー。
内戦を描いた本作品、おのずと日本の明治維新と重ねながら、鑑賞していました。
「どのアメリカ人か?」の問いに、テキサスとか、フロリダとか、応えるところは、アメリカに疎いので理解が追いつかず。たぶん、幕末に置き換えると、薩摩、長州、会津、みたいなことなのかと。(こういうところは、日本映画の『侍タイムスリッパー』は、しっかり楽しめますね)
ワシントンD.C.は、戦火で壊滅し、大統領は命乞いで腰抜け。
日本の歴史に置き換えると、日本のリーダー、最近では、昭和天皇も、政権交代では、命の覚悟を決めたことや、江戸城の無血開城は、本当に、大英断だと感じました。
映画によって、明治維新や、日本映画の良さ(細かい事情まで理解できる面白さ)を再認識できたので、星5つです。
ラストカットからエンドロールへの、モノクロ写真が現像されてゆくカットは、秀逸でした。
「今のアメリカ」でしか撮れない映画
架空でも濁しても無い現実の国が舞台で、テロリストでも思想犯でも無い、ましてやサイコパスでも無い自国の国民が、自国の大統領をあっさり射殺するシーンがクライマックスとなり、それをあたかも"めでたしめでたし"的な演出でエンディングを迎える映画を、大掛かりに撮影し、一般公開する。
そんな事が出来る国がどれだけ有ろうか!
おそらく我が国でも無理、エンタメ界隈で追い抜かれた韓国でも無理であろう、北朝鮮や中国であれば制作前に全員投獄or死刑…
こういうエンタメ界での懐の深さを見せられてしまうと、アメリカ映画界が世界の頂点である…と改めて認めざるおえない。
劇中、国の分断を煽った大統領は当然"あの方"がモデルなのであろうが、そんな大統領を射殺するのが"黒人女性"というのも皮肉たっぷり…
アメリカ内戦、リアリティあるかも
来場者特典のポストカードをもらい、レイトショーで鑑賞。観客少なめ
アメリカ内戦を報道する戦場ジャーナリストのストーリーだけど、もっと内戦になってしまった状況や何と何が争っているのかを描いているのかと思いきや、はい、内戦状態です。という状況だけを淡々と表現していて、これがジャーナリスト視点ということなんだなと途中気づく自分の鈍感さw
劇中、道中のワンダーランドみたいゲートの下に迷彩服の死体が横たわっていて、遠くから狙撃されたシーン、撃ち返してる兵士に相手の司令官は?どの勢力なのかとか聞いても"お前は人の話を聞いてないのか"とバカにされるのが、相手がどうとかでなく、局所的にはやられたからやり返してる戦闘の積み重ね?とも思えて興味深い場面だった。
音響振動付きの座席と大きめなスクリーンで見ると迫力と臨場感がスゴいので、映画館で見ておく作品
まぁ、最後あたりまでは大規模な軍も出てこない戦争映画でした。
予定調和を排した秀作
アメリカが政府勢力と西部連邦とフロリダ連合と中立州に四分五裂した近未来、ニュー・ヨークで高名な戦場写真家リー・スミス(キルステン・キャロライン・ダンスト)はロイター通信記者ジョエル(ワグネル・モウラ)とともに、ワシントンに潜入して大統領(ニック・オファーマン)に単独インタヴューすることを企てる。連続三期を務めて独裁化した大統領は、しばらくメディアの取材を受けたことがなかった。そこに老ジャーナリストのサミー(スティーブン・マッキンリー・ヘンダーソン)とリーに憧れる駆け出し写真家ジェシー・カレン(ケイリー・スピーニー)が加わって、ワシントンへの自動車の旅が始まる。一行は激しい戦闘や捕虜処刑、自警団による人種差別的な大量虐殺などの地獄絵図を目の当たりにする。一方で戦線の後方では内戦に無関心な市民が異様に平穏な生活を送っていたりもする。ジェシーの軽率な行動の結果、サミーは死亡。さしものリーやジョエルもショックを受けるが、反対にジェシーは戦場写真家として躍動しはじめて――といったストーリー。
クライマックスで、西部連邦軍がホワイト・ハウスを包囲するなか、数台のリムジンが走り出してきて、西部連邦軍や他のジャーナリストは一斉にそちらに注意を向ける。だが、大統領がまだ官邸に留まっていると直感したリーは、ジョエルやジェシーを連れて突入。スクープにはやって跳びだしたジェシーがシークレット・サーヴィスに撃たれそうになったとき、ジャーナリストの使命を忘れたリーは、ジェシーを突き飛ばして命を救うが、かわりに自分が撃たれてしまう。ところがジェシーは命の恩人を救護するどころか、大統領の最後の瞬間を写真に収めるために駆け出していく。オーヴァル・ルームで西部連邦軍兵士たちが大統領を銃殺する直前、ジョエルは「最後に一言ないか?」と訊くが、大統領の答えは凡庸な「私を殺させるな」だった。ジョエルが「もういい」と言って大統領は処刑され、ジェシーは世紀のスクープをものにする。
本作はハリウッド的な予定調和を排して、国家分断の危機や、権力者やジャーナリズムの実態を非情に描いている。受け取り方によっては反米的な映画だが、米軍が撮影に協力しているようで、アメリカの懐の深さを感じさせる。
選ぶ責任を問う映画
本作は映画を見るものに、行動を選択する際の責任を考えさせる映画である。
本作の中のアメリカでは誰と誰が、何のために戦っているのか映画の中ではわからない。それは映画に登場する兵士たち自らも語っている。敵が誰なのかわからない、と。
なおさら、この映画を見る我々にはわからない。
しかし、それこそが、この映画の言いたいことなのだろう。わからない状況で、あなたはどう考えますか、と。
最後に大統領が一言。殺させないでくれ。最後の一言も命令である。殺さないでくれ、ではなく、殺させないでくれ。命令する側とされる側。
ホワイトハウスの中で兵士たちは命令に忠実に、大統領を探し、問答無用で殺していく。
本来であれば、大統領は生かして正当な尋問をし、記録し、裁判にかけられるべきであろう。しかし兵士たちは手際よく躊躇なく殺していく。
なぜなら、大統領は敵のトップであるし、殺せと命じられたからである。
また、劇中一般人を虐殺する民兵が出てくる。彼も相手がどこに属するかどうかだけで、その生死の判断を下す。そこには理屈などはない。殺される相手の個人個人の考えや思想など微塵も考慮されない。味方でなければ殺す。ただそれだけであり、もはや思考は完全に停止している。
アメリカ大統領選の選挙イヤーにこの映画が公開された意味は大きい。
自分たちの行動を大きく左右するリーダーをいかに選ぶか、選ぶ側は誰を、何を基準に選ぶのか、そしてリーダーが正しいかどうかを常に自らの頭で、判断基準で考えているだろうか。自ら本質について考える事は疲れる行為である。ただその行為を他人の判断基準に委ねた時点で、本作のような悲惨な結末が待っている。自分たちの選択行動の責任は大きいのである。それを問うている。
問うているのは報道写真家たちである。キルステンダンスト演じる女ジャーナリストは言う。記録するのみだと。そう、判断は我々に委ねられているのである。
劇中撮られる写真は我々に示されている。写真の中の事実は何も語らない。報道写真家も語らない。この劇中の出来事をあなたはどう捉えますか?ただ問うて考えることを我々に求めている。
我々は自分たちの判断に責任を負わなければならない。世界をどう認識するのか、それに対し、冷静に自分の頭で判断できているのか、この映画はそれを問うているように私には思える。
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