シビル・ウォー アメリカ最後の日のレビュー・感想・評価
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極右・保守VS左翼・リベラル
日本でも極右や保守派が幅を利かせて来ていて危ないなと最近は思う。リベラルが一番フラットな立場で物を見れるのに対して、反日だの売国奴だのレッテルを貼りたがる極右や保守派は新なる戦争の火種になりかねない。アメリカに付くか中国に付くかみたいな極端な選択に走るのはあまりにも危ない。どっちにも付かずが一番良いのだ。アメリカは移民の国だからもっと複雑だし白人だけでは生きていけないのに移民に厳しい差別主義者を大統領にしようとしている。この映画みたいに極端になるのもあながち嘘ではない。人を理解して尊重し愛し愛されて育んでこそ人間社会は成立するものだ。
なぜ、どうしての連続
議事堂襲撃事件のパロディ
なぜドナルド・トランプのような人物がアメリカ大統領になれたのか。イギリス人監督アレックス・ガーランドによれば、本作の着想はまさにそこにあったそうなのだ。しかし、このアレックス・ガーランドという人、かつて本心を語ったインタビューを一度として目にしたことのないひねくれ者で、作品の解釈につながるようなヒントもまったく教えてくれない超がつくほどのあまのじゃくなのである。
確かに自分の都合の悪い報道はすべて“フェイク・ニュース”として片付けるトランプの態度にも大いに問題があるとは思うのだが、ウォール街やDSの言うことをまったく聞こうとしないが故に、左派報道機関にやってもしない罪を次から次へとでっち上げられているのもまた事実なのである。民主党陣営に不利な報道はすべて“陰謀論”ですまそうとする、左に偏った日本マスゴミの報道がどこか胡散臭く感じるのも、まさにそのせいなのだ。
カリフォルニア州(民主党地盤)とテキサス州(共和党地盤)が分離独立を求めて決起、その鎮圧に動く正規軍と民兵組織が内戦状態に突入している、という設定だ。戦場カメラマンとしてカリスマ的存在の(ゴシップコラムニストの故リズ・スミスを連想させる)リー・スミス(キルステン・ダンスト)と彼女を尊敬してやまない駆け出しのジェシー(ケイニー・スピーニー)らプレス一行が、米大統領へインタビューをするためワシントンD.C.を目指すロード・ムービーとなっている。
はじめは分離独立を目指すヒスパニック系民兵と戦っていた白人主体の米軍だが、一行がワシントンD.C.に近づくにつれ、軍の内部で同士討ちがはじまり、出身州や国だけで敵味方を判別する残虐行為へと発展。はてはクーデターを起こした軍隊が大統領が立て籠ったホワイトハウスに総攻撃を仕掛ける。白黒をハッキリつけたくないガーランドならではの演出だろう。現実世界を反映してそうな政治的アレゴリーよりもむしろ、リー・スミスとジェシーの関係性に注目すべき映画のような気がするのだ。
『スパイダーマン』のMJとは180度異なる役処のダンストが、リンダ・ハミルトンのような皺を眉間に浮かべ、ベテラン俳優ならではの貫禄を十二分に漂わせている。あまりもの修羅場に堪えきれず思わず車内でオエコを撒き散らすジェシーとは対照的だ。しかし、自分の師匠にあたるベテラン記者を軍の発砲により失うと、ワシントンD.C.に近づくにつれ激しさをます戦闘に反比例するようにリーの態度が次第に気弱になっていく。逆に新人のジェシーは何かふっきれたような行動に出て、シャッターチャンスを次々とものにしていくのだ。
すでに名声を手にしているリーにとってこの旅は、もはや得るものは少なく失うものの方が多いわけで、失うものがなにもないジェシーとは真逆の立場にある。ゆえに、旅が核心へと迫っていくごとにリーは“保守的”になり、ジェシーは銃弾が雨霰と降り注ぐ中大胆不敵な行動をとるようになるのである。そんなジェシーを間近に見ながら、リーは自分の若い時の姿をそこに重ねていたのではないだろうか。ラスト「自分を撃たせるな」と語った誰かさんのように、ジェシーを助けようとしたのではなく自分自身を守ろうとしたのではないだろうか。
すでに権力を保持している者が保身に走れば走るほど人心というのはなぜか離れていくものなのである。守るべきものしかないカマラ・ハリス陣営が、トランプの二番煎じみたいなことしか言わないのも当然のことなのだ。失うものがなにもないジェシーはリーの◯を踏み越えて、ラスト、ピューリッツァー賞間違いなしの大スクープ写真をゲットするのである。もしかしたら、マスゴミにボロクソ叩かれ続けてもはや失うものがなにもないところに、ドナルド・トランプの本当の強味があるのかもしれない。
オシャレ戦争ロードムービーもの
後味の悪さが残る
戦場ジャーナリストから見たアメリカの内戦を描いた作品。
内戦が起こったきっかけなど詳細については何も説明がなく、23歳の駆け出しの写真家が憧れのジャーナリストに付いて、大統領のインタビューに向かう危険を伴うロードムービーの様相で物語が始まる。
ジェシーを庇ってリー・スミスが撃たれてからのラストまでが腑に落ちない。
まるで、リーがそこに存在しなかったかなようだ。
説明的な描写がないだけに、観客に解釈を委ねているのか。
「関心領域」と同様、後味の悪さが残った。
10月1週の本命対抗作品ではあろうと思うが、なかなかむつかしい映画
今年355本目(合計1,447本目/今月(2024年10月度)6本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
今週の「本命対抗」というのは、本作品と「HAPPYEND」、あるいは「ドキュメンタリーオブベイビーわるきゅーれ」のことですね(人によっては「ゲゲゲの鬼太郎」が入るかも)。
近未来をテーマに「もしアメリカが分裂して戦うようになっていたら」のifを描く部分です。"The Civil War" と定冠詞がついた場合、歴史上体験した「南北戦争」を指すためその回避と、アメリカであれば常識扱いであるこのことと定冠詞違いとはいえタイトルをそろえたことで意図は何かを察してね、というところになると思います。ただ、日本ではいわゆる戊辰戦争等を除けば国で別れて戦ったという歴史がありません。
そのような事情があることを前提にしたレビューです。
映画として見る分には十分楽しいアクションものです。「もしそうであったら」のifものなので結末が決まっているわけではなく、ネタバレになりようがないからですね。一方で、この映画の設定としていたるところライフラインが破壊されるという状況になるため、映画として「暗い」設定で(ここでは「明るさ」の意味で使用)、そこで近未来を想定した戦闘シーンというと、いわゆる電子ビーム銃?といったようなものが出てくるので、そこでの目のちかちか差がかなり厳しいんじゃないかなといったところです。またごく少数の場所ですが、誰が誰か見分けがつかない部分があります(何とか字幕ではわかる)。
映画として見るには十分ありなストーリーだと思うし設定でもあったと思うのですが、明るさ(ここでは、一般人がちかちかなど想定して見られるレベルで、という意味の「明るさ」)に問題があり、そこがちょっと好き嫌い分かれるかなといったところです(ただ、ライフラインの提供が止まっていたという設定であり、そこをどうとるかで判断は分かれる)。
とはいっても大きな傷ではないし、本作品も含めて10月1日は本命対抗と色々な作品がありますし、「いわゆるちかちかが苦手な方は様子見もありかもしれないが、アクション枠という観点ではおすすめ」といったところです。
採点に関しては以下を考慮しています。
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(減点0.3/画面の「明るさ」とちかちか、エンディングロールの読みづらさ)
近未来が想定されているので、電子銃?か何かからレーザーが飛んでくるというようなちかちかシーンがあります。そして上記にも書いたとおり設定の関係上「暗い」映画なのでどうしても「ちかちか」が避けられない映画です。
一方でエンディングロールになると、白色のシルク?本?に、キャラクタと俳優が表示されるエンディングロールが待っているのですが、目がちかちか状態でこの部分を見るのは難しいかな…といったところで
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今まさに起こりえる現実 ジャーナリズムの重要性が今こそ問われるとき
報道カメラマンのリーは言う。紛争地域で写真を撮り続けたのは祖国に警告するためだと、こうはならないでくれと。内戦が勃発しすべてが無駄に終わった時、彼女は報道の意義を見失う。
内戦を招いた元凶である大統領のインタビューを取るために首都へ向かう途中でリーたちは国内の惨状を目にする。拷問を行う者、ただ通りすがりの人間を狙撃する者、虐殺した大量の遺体を埋めようとする者、それらの光景は過去そして現在も世界中の紛争地域いたるところで繰り広げられた光景だった。異なるのはそれらの光景が自分たちの国で行われていたことだった。報道カメラマンは皮肉にもパスポートなしで紛争地域に足を踏み入れることができた。
それら惨状を目の当たりにして、また自分たちの命が危機にさらされリーの心は絶望感に苛まれていく。逆にリーが若き日の自分と重ね合わせていたジェシーは生死の境を体験して肝が座っていく。
目的地のワシントンD.C.にたどり着いたとき、その激しい戦闘の中でかつて戦場カメラマンとして名をはせた彼女の姿はもはやどこにもなく、ただその場にうずくまりおびえるだけだった。逆に修羅場を潜り抜けてきたことで成長したジェシーはひるむことなくカメラを向け続ける。
ホワイトハウスに潜伏する大統領にまであと一歩と迫った時、リーはジェシーをかばい銃弾に倒れる。ジェシーは倒れたそのリーの姿に動じることなくそのまま撮影に向かう。まるでリーの魂がジェシーに乗り移ったかのように。
リーの役目は終わった。彼女の意思はジェシーに引き継がれたのだ。リーの撮り続けた写真をもってしてもこの祖国の内戦を止めることはできなかった。これからは自分に代わり写真を撮り続けろ、このような悲劇が繰り返されないためにも。そんなリーの意思がジェシーに引き継がれたかのようだった。
最近のアメリカの世論調査では内戦が起きる可能性があると答えた人は実に4割にも上るという。近年国内では連邦議会襲撃事件をはじめミシガン州知事誘拐暗殺未遂事件などSNS上での陰謀論に端を発したテロ事件が頻発している。これらの元凶はトランプ元大統領であったり、Qアノンのような陰謀論者であったりと様々だ。事件を起こしたのもトランプの熱狂的な支持者たちだ。
いまやSNS上では偽情報やデマが飛び交っており、それらの情報をただ無防備に信じ込む人々が多いことには驚かされる。確かに何が正しい情報なのか、その情報の出どころはなんなのか、いまや生成AIによる偽画像までが出回る中で何を信じたらいいのか。如何にして誤情報に惑わされないようにすべきなのか。
ただ一つだけ言えるのはこのような誤情報やデマは巧妙に人間の心の隙を突いてくるということだ。とかくこのような誤情報やデマを信じる人間は元々バイアスがかかった人間が多い。楽をしてお金を儲けたいと考える人間がたやすく詐欺に引っかかるように例えば差別主義者ならば有色人種にとり不利な情報ならば信じやすかったりする。そういう先入観や偏見を持つ者にほど誤情報やデマは何の抵抗もなく伝播しやすい。それらの情報は自分たちにとって都合がいいからだ。
現在のアメリカは白人の割合が減少しており、彼ら白人至上主義者たちは危機感を抱いている。もともと自分たちの国だったはずがいまや移民などの有色人種に乗っ取られようとしているという危機感を。だからこそ彼らは移民排斥を唱えるトランプを支持する。議会襲撃事件を起こした人間はほとんどが白人で比較的裕福な層の人間たちだった。彼らの意識の根底には人種差別意識が根強い。
ただ過激思想は今や極右に限らない。不当な政治を排除するためなら暴力も許されるという考えがそれを許さないという意見よりも多いことがトランプ暗殺未遂事件で明らかになった。もはや過激思想は右派左派関係がない。そんな過激派たちや一般人によるテロ事件が頻発する中では先の世論調査の結果も頷ける。そして不満を抱く彼らにSNSでの誤情報がさらに油を注いでいる。それはまるで心の隙を突いて人間を惑わす悪魔のようだ。
こんな時代だからこそジャーナリズムの重要性が問われている。人々の心を惑わせる偽情報を一蹴するだけの正しい情報、信頼できる報道機関による信頼できる情報が。
リーやジェシーたちは自分の命も顧みず真実を伝えようとした。それは今この世界各地で起きている現状を世界に知ってもらいたいという強い思いからだ。彼女らは自分の親たちのように見て見ぬふりをできない。同じ国で起きている内戦を他人事のようにそ知らぬふりをする街の人々はまさに世界中で起きてる紛争に無関心を装う人々の姿そのものだ。
リーたちジャーナリストは偽情報を拡散して人々を混乱に陥れる者たちとは真逆であり、リーたちが発信する情報こそ世界中の人々に真実を伝え、世界中の人たちの架け橋となるものだ。無関心な人々の目を向けさせようとするその努力は徒労に終わるかもしれない。それでも彼らは情報を伝え続ける。
そんな彼らに受け取る側も真摯に向き合う必要がある。自分たちの聞き心地のいい真否不明の情報に飛びつくのではなく、何が正しく何が正しくないのか真実を見極める目を養うことで彼らの発する情報がはじめて生きてくる。それが情報を受け取る側の義務だ。
本作での内戦の理由は大統領の独裁が直接の原因とされているが、今現在起きるかもしれないとされている第二次南北戦争は差別がその根源にあると言われている。かつての第一次南北戦争も奴隷制廃止に抗う南部とそれを支持する北部との戦いであり、やはり差別が根底にあった。
映画「福田村事件」の原作者はこのSNS上に飛び交うデマ情報に翻弄される人々の姿を見て、再び過去の惨劇が起きるかもしれないという危機感から本を執筆したという。
イギリスでも先日デマ情報によりイスラム教徒へのヘイトクライムが起きたばかりだ。これはけしてアメリカだけでの問題ではない。「過去を忘れる者は再び同じ過ちを繰り返す」、その言葉通り過去を忘れる者たちによって歴史は繰り返されてしまうのだろうか。
リーは紛争地帯で写真を撮り続け祖国に警鐘を鳴らしたが、リーの願いが叶うことはなかった。本作の監督は警鐘を鳴らすために本作を撮影したという。果たして監督の願いはかなうのだろうか。
嘘ではなく現実に起きるかもしれない世界
一つの国の内戦だろうと国同士の戦争だろうと、どちらも人と人との殺し合いであり、それは非人道的で悪夢のような凄惨な光景の連続です。撃たなければ撃たれる壮絶な世界での恐怖と人間の内面、そして無力さをジャーナリストの目から描いた衝撃的な作品です。
ベテランの女性報道カメラマンのリーと報道カメラマン志望のジェシーの対比が上手く描かれています。
過去の取材でよその国のこうした惨状を何度も目にして来たリーにすれば母国アメリカで起きてしまった惨劇の中で蘇る恐怖。若いジェシーにすれば見た事もない悲惨な光景の真っ只中での恐怖。これまでの考え方や価値観など一変させてしまう体験です。
「どの種類のアメリカ人だ?」の言葉と、いとも簡単に人を撃ち殺すシーンに衝撃を受けました。
それはホワイトハウスでの交渉役の女性や大統領に対しても同じです。
殺らなければ殺られる。戦争と言う狂気の世界では誰しもがそうなってしまうのかも。
真実を伝えると言う報道の立場でもこの現実の世界に無力さを感じるリーに対して、ひたすらシャッターを押し続けるジェシー。その姿もまたこの狂気の世界が生み出したものかも知れません。以前のリーがそうして来たように。
今現在も世界の各地で戦争が起きているように、「それは、今日起こるかもしれない」と言うコピーは正にその通りだと思い知らされます。
いい映画を見ました
敵か味方か
全く判別のつかない世界で、いくら報道のカンバンがあっても、戦場へ突入していくのは、死と隣り合わせなので、怖い物ものがありますね。実際に回りで人が亡くなって行く訳だし。タイトルのみで見るとアメリカを2分した戦いの物語だと思いましたが、それに伴う報道希望の少女の成長記でしたね。
”ギレアド”の前日譚のように思いながら見ました
Huluの「ハンドメイズ・テイル/侍女の物語」はアメリカの内戦後に、全体主義の国家、ギレアドが出来る(詳細略)話なんですけれど、勝手にその内戦ってこんな感じだったのだろうと思いながら見ました。深い意味はないんですが。
ベテラン戦場カメラマンのリーと、駆け出しのジェシーの描き方、対比が面白いと思いました。デジカメとフィルム、カラーとモノクロみたいな。
ジェシーのカメラの腕も、構図も、どんどん上手くなっていくのだけれど、なんというか、戦争をアートとして捉えているというか、アメリカ的な、対岸の火事的な性格も、見ていてイライラはしつつも、ジェシーはアメリカのことを意味しているのかなと。
並走する車を乗り移る場面が一番イライラMAXだったけれど(ジェシー・プレモンスに捕まって当然ね、くらい)、これも、戦争に対するアメリカの比喩なのかも。だとすると、リーは何の比喩だろう。
ユダヤ人とか、黒人とか、人種で攻撃されるのではなく(香港で撃たれてたけど)、ネブラスカとかフロリダとか、出身の州で敵対するんだなぁ、へー、と思った直後、今でも会津の人は長州をよく思っていないっていうから、そういうことかと妙に納得してしまいました。
ウオームービーかと思ったらロードムービー? 追記:赤いグラサンの男は…。
10月4日(金)
公開初日の「シビル・ウオー アメリカ最後の日」をフォトグラファーの友人とユナイテッド・シネマ浦和のIMAX(字幕)で。
状況の説明は無い。いきなり内戦下である。大統領が何をしてどういう理由で内戦になったかは、描くと政治的にも色々まずい事があるからだろう。テキサス州とカリフォルニア州の同盟を主軸にした西部勢力(WF)と政府軍が対立している。WFが優勢でホワイトハウスへ向かうのを追って、先を越して14ヶ月取材を受けていない大統領の単独インタビューを取ろうとするジャーナリスト・ジョエルとカメラマンのリー(キルステン・ダンスト)、記者のサミーに23歳の若いカメラマンのジェシー(ケイリー・スピーニー)が加わる。
ここからは完全にロードムービー、ワシントンD.C.へ向かう4人だったが、給油に寄ったスタンドでは私刑にした友人を吊していたり、途中で政府軍とWF(民兵?)の戦闘に遭遇し、銃弾飛び交う中で戦闘の状況をカメラに収める。
リーがキャノンやソニーのデジタルカメラを使っているが、ジェシーはNIKONのフィルムカメラを使っている。SONYのロゴが消されているのはコロンビアに対する忖度か?
ジェシーが撮ったフィルムを携帯キットで現像していたが、一緒に観た友人によれば、実際戦場カメラマンはああいった携帯キットで現像するものらしい。でも現代のUSならデジタルだろう。二人の違いを際立たせる演出か。
民間人の死体をトラックに一杯積んでいる武装集団と遭遇する。赤いサングラスをした男(ジェシー・プレモンス)は「お前は、どの種類のアメリカ人だ?」途中で合流したジョエルの友人二人は彼らに射殺される。リーやジェシーやジョエルも危なかったが、車に潜んでいたサミーが彼らを車で跳ね飛ばす。しかし、彼らの仲間に銃撃されてサミーは息絶える。
WFの基地でサミーの遺体を降ろした一行はWFと一緒にホワイトハウスへ向かう。
ここからがウオームービーだ。ホワイトハウスを包囲したWFは一斉攻撃をかけ、邸内に突入する。突入のため戦闘する兵士を撮影するが、リーには躊躇いが見られるがジェシーは肝が据わったようにシャッターを切り続ける。
そして、大統領執務室へ突入する際にリーはジェシーをかばって銃弾を浴びる。リーに構わず兵士を追うジェシー。遂に大統領は確保される。ジョエルが大統領に何か一言と問えば「私を殺させるな」ジョエル「それを聞けば十分だ」WFの兵士により合衆国大統領は射殺される。
同じ国の兵士同士が、自国内で戦い、殺し合う。そして、大統領を殺して笑って記念写真を撮るのだ。そのモノクロの記念写真が現像されてはっきりとして行くところで映画は終わる。
「お前は、どの種類のアメリカ人だ?」自分と違う種類のアメリカ人は躊躇無く射殺する。惨憺たる思いである。今回の大統領選挙後にこうならない事を祈るばかりである。
ベテランジャーナリスト・サミーを演じたスティーブン・マッキンリー・ヘンダーソンに助演男優賞を。
追記︰映画が終わって劇場を出るとロビーで「憐れみの3章」の予告編をやっていた。あれ、この人は赤いグラサンの男では?
赤いグラサンの男を演じたジェシー・プレモンスは、カメラマンのリーを演じたキルステン・ダンストの夫で、当初別の俳優だったが出演出来なくなり妻からの連絡で急遽出演したらしい。拘束2日でギヤラは無し?私は気が付かなかったがクレジットに名前が無いらしい。あのシーンから明らかに雰囲気が変わったし、あのシーンの後で俳優たちも休養が必要だったと監督が語っている。ある意味、この映画のハイライトだった。
戦争ジャーナリズムの暗黒面
内戦を描くよりも戦争ジャーナリズムの暗黒面をさらけ出す。そんな意図を感じる。
戦争ジャーナリストを自称する若い女性ジェシー。憧れと野心のためにニューヨークで内戦の取材を始め、ワシントンへ向かう有名ジャーナリストとの同行に成功する。
想像を遥かに超える戦争の残酷と非情を目の当たりにして、ジェシーは文字通り吐いてしまう。ジェシーの甘っちょろい考えが引き起こした結果とも言えるので、言わんこっちゃない。と呟きたいところ。
なんだけど、映像的にジェシーの行動を強制的に追体験させられてしまう作りになっている。だから、ジェシーの愚かさを批判する余裕なんかなく、その場から逃げたくなるくらい心が抉られる。自分だったら、最初のヤツでトンズラします。
局地戦のシーンはあるが、内戦自体は、はっきり描かれず、内戦に至った経緯もわからない。
が、内戦下における市民の有り様は、アイロニックに映し出される。
停電の可能性がある時のエレベーターの利用は、あくまでも自己責任でと、慇懃無礼に案内するホテルのフロント係。
戦争地域から離れている街では、我関せずとばかりに変わらない日常を振る舞っている。
アメリカの分断を描くとばかりに思っていたら、内戦によってあぶり出される人間のダークサイドに圧倒されてしまった。従軍することによって、命がみなぎるってどういうこと。
あまりにもリアルな音響で交戦真っ只中にいると錯覚してしまう。IMAXかDollby Atomsでの鑑賞をお勧めします。
この作品をブラックジョークと感じるのか、もうすぐやってくる近未来と、とるのかは、あなた次第。
頑張り過ぎに感じてしまう
戦場カメラマンが繰りなす 本格ロードムービー
予告編を観ただけで、鑑賞を決めていたので、封切日に観ました。
予告編(トレイラー)を観る限り、B級TV映画の様な印象がありましたが、内容はきちんと作り込まれており、戦時下の無法地帯を行くロードムービーとして、文句のつけようがない非常に優れた映画でした。
題名のつけ方と、宣伝の仕方が、悪いのでしょう。
この映画は、独立戦争でもなければ、
南北戦争の様に、2局分断による戦争でもなく、
"軍事クーデター"です。
だから、政府軍が独立派を押さえ込もうとしているのではなく、赤(共和党)と青(民主党)の代表的な両州勢力と言うか、米陸軍自体がDCに攻め込んでいるのです。
兵士の記章・装備をみる限り、州兵ではありません。本作に対しての 風当たりを 交わす為に、あえて両州の名を 外に出しています。
リアル世界でも、大統領選挙で、青がエグイ事をすると、赤が起こしかねない近未来予想映画でもあります。
4体に、石灰石を振りかけるシーンがでてくるが、これは、石灰は水分で発熱して腐敗が早まる為です。
音楽と効果音が絶妙に うまく使いこなされとおり、監督の編集能力は、非常に優れています。
白黒写真は、現像液、停止液、定着液(粉末はありえません)を順番に、ダークバック、ピッカー、ドラム、ジョウロを使い
そして大量の水で洗浄するので…いい加減に、テキトーな ソレぽいシーンは、アレです。
この映画では、なくても良いシーンだから、それらの道具を側に置いて、地面を水に塗らし、水筒でも 転がせて
いきなり スマホで現像したネガを読み込むシーンから、始めれば
事は、完璧に済んだでしょう。
若手戦場カメラマンの"目つき"が"逝ってしまった"光景は
「野獣4すべし(1980年)」松田優作さんのように、エクスタシーを感じていたのだと思います。
本作の次に観るべき映画は、「野獣4すべし」です。
有りえるかもしれない現実
これまで独創的な作品を創ってきたアレックス・ガーランドが今作では米国の内戦をリアルに描く。
この作品は米国では4月に公開されたが、少し前の12月にはNetflixでは「終わらない週末」という作品が配信された。これも米国での内戦をテーマにしている。
不思議なことに映画という物は同時期に同じようなテーマの作品が重なる事がある。公開日を見据えてその時の情勢などを監督が未来視するかのように作品を創るのである。
この米国の内戦というテーマは来月11月に控えている大統領選挙を見据えての事なのだろうか。
内戦に至った経緯は詳しくは描かれないが、3期という有り得ない期間の任期を務めている大統領の独裁ともいうべき政府に痺れを切らしたのだろう。
大きくは政府軍と西部部隊の衝突だが、厄介なのはそれらに属さない独自の部隊である。彼等の思考は曖昧で、気に入らないものは排除するような対話が成り立たない、ある意味前線よりも危険な地帯がそこら中にあるのである。
もう一つ今作の特出すべき点としては、近年の作品の中でも群を抜いてサウンドデザインが素晴らしい事だ。
プライベート・ライアンやブラックホーク・ダウンなどの戦闘シーンはよくリファレンスにも挙げられるが、それらを凌駕する程である。
毎回必ず1つはトラウマになるシーンがあるアレックス・ガーランドの作品だが今作もテーマ性の強いリアルな描写はトラウマに匹敵するようなものかもしれない。
どの種類のアメリカ人だ⁉️
この作品は星の数ほど製作されてきた過去の戦争映画とまったく同じ‼️戦争の理不尽さ、虚しさ、残酷さ、そして恐ろしさを戦場カメラマンの視点で描いております‼️ちょっとオリバー・ストーン監督の「サルバドル 遥かなる日々」を思い出しました‼️しかし今作が決定的に違うのは、アメリカの内戦を描いているという事‼️内戦に至る経緯が詳しく描かれないので、いまいちピンと来ませんが、アメリカの市街地での戦闘シーンやホワイトハウスで大統領が殺害されるシーンは、ホントに迫力があり戦慄でした‼️キルスティン・ダンスト扮するリーを主人公に、報道仲間のジョエル、そしてケイリー・スピーニー扮するジェシーら4人のジャーナリストがワシントンDCを目指すロードムービーの形をとっているのですが、道中、兵隊二人に殺害されるそうになるシーンは強烈で、掘られた穴に多数のアメリカ人の死骸がトラックから無造作に捨てられ、ジェシーは恐ろしさに泣き震え、リーとジョエルが必死に助命を訴える中でのやりとり「同じアメリカ人だ」「どの種類のアメリカ人だ?」が印象的‼️そしてラスト、ホワイトハウスで夢中でシャッターを切るジェシーが撃たれそうになり、その身代わりにリーが撃たれる姿を、ジェシーのカメラ越しにモノクロに描いたショットは素晴らしかったし、倒れたリーをジョエルもジェシーも気にすることなく先に進む姿に、戦争の真の恐ろしさを見せられた気がしてゾッとしました‼️
ボーはおそれているで大赤字ぶっこいたA24が巨額の制作費をかけて制作した
映画冒頭から小一時間、ニューヨークからワシントンまで車で向かう従軍記者達。
何も起きない旅で、新人ジャーナリストの少女はデジカメが主流の今、あえてフィルムカメラにこだわり屋外で現像をしているが、これがEDロールの薄気味悪い映像の伏線だったとは予想外でした。
ずっと、地味なロードムービーが続くので、これのどこにお金がかかっているのか疑問だったが、最後の最後でワシントンをぉー、ぶっ壊す!ここで、制作費をぶっ込んだのかぁ。
本当に現地で撮影したわけないから、巨大セットだったのでしょうか。やっぱ、映画監督だったら大都市を破壊してみたいよね?
道中、おじいちゃんがずっと、
「 ここは、危険だ...」
と、呟いているがあんまり相手にされない。途中、謎の車が煽り運転をして逃げようとしたが、ジャーナリスト仲間が、おふざけで追いかけていた事が分かる。
旧知の仲間も増えて楽しいドライブになる。緊張感が和らぎ、このまま、平和にワシントンに到着すれば良かったのだけど、
途中、立ち寄った広大な広場に到着する。広場には大きな穴が掘られていて、その穴には大量の死体が山積みになっていた。
穴の側には、ライフルを構えたエルトン・ジョン似の赤いサングラスの男。男は一向にこう質問する。
「 お前は、どの種類のアメリカ人だ?」
何を答えれば正解なのか、分からないが何とか答える一向。
この後の展開は見てのお楽しみだが、少女は助かるが死体の山に転がり落ちてしまう。
初めて死体に触れてショックで車の中で吐いてしまう。この程度の事で吐いていたら、ジャーナリストやってけないじゃん?
だが、少女は最後の最後に起きた事件がきっかけになって、死体に慣れてしまう...。これが、切ないんだよなぁ。
さて、いつも通り話しは飛ぶけど、自分も葬儀屋に勤めていた時は、水死体とか、首吊り死体とか、腐乱死体を見た時はくるもんがありました。
ところが、昼勤務の正社員達は変死体に慣れてしまいすぎて、人としてありえない発言をします。
自分が葬儀屋の夜勤の宿直をしている時に限って遺体の搬送の電話がかかる事が続いた時期がありました。
いわゆる「 引きが強い」 というやつで、一晩に二回引いて、やっと帰れると思ったら早朝に県またぎの移送があったりして、葬式が出来る部屋が二つしか無いのに、ばんばん引きまくって、もう葬式をする部屋が無い状態になって、
いっぱい、いっぱいになってしまった、とある日、いつも通り、夜勤の出勤時間になり引き継ぎをして、
「 もし夜間に移送が入ったら、最短の葬式は何日ですか?」
と、聞いて何日かを確認した後に、引き継ぎだった支配人代理がこう言いました。
「 今晩、引いたら殺すよ?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「 次に引いたら殺すよ?」
は、支配人も言っていた言葉で、死体で飯食っているのに何を言っているのか理解不能で、こんな人非人な発言をする人達が恐ろしくて、恐ろしくて。
でも、こんな人格なのに遺族には評判が良かったんだよなぁ。遺族の皆さん、裏ではコイツらこんな事言ってたんだぜ?
さて、ワシントンに到着してご一行は戦火の中に飛び込む。ロケット弾飛び交う中、大統領が大統領専用特殊車両三台で脱走するも集中砲火にあい、特殊車両は大破して停止する。
大統領は無事なのか?
最初に少女のフィルムカメラの伏線があると書きましたが、デジカメ世代には分からない人もいるかもしれないけど、フィルムカメラは写真の絵が、じわじわ見えてくるのだけど、
EDロールで、何の写真か分からないピンぼけ( 何て言うんだっけ) の写真がフィルムカメラのフィルムが現像されるように、じわじわと見えてくるんだけど、その写真の後味の悪いことといったらないです。
後味悪い系の映画が好きな人にお勧めの映画です。
戦場カメラマン、ジャーナリストたちの物語
今もリアルに起こっている内紛。
大国アメリカが分断され、内乱は過激さを増し
政府軍の敗北が見えてくる。
勝手ながら、内紛が勃発した理由やら、
その経過から激しさを増す内乱を描いたものかと
思っていた。
ジャーナリズムと新旧戦場カメラマンの成長を
描くことに特化されていて
激しいドンパチは思っていたより少なく
内乱の裏側をスクリーンを通して体感している感じ。
リアリティはあって、現実に起きるかも?と
思わせるので恐怖心を煽られるが、
どうしてもここ日本では起きえない。と思ってしまい
どこか他人事、よその国のこととして見ちゃう。
その無関心?さが良くないのは百も承知🙏
戦場カメラマンの渡部さんを思い出し
彼が本作を観たらどんな感想を述べるかなぁ。と
思いながら劇場あとにしました。
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