「プロットは刺激的ですが、合衆国が国内戦争に至った事情が皆目わからず、リアルな戦闘場面が宙に浮いてしまっている問題があります。」シビル・ウォー アメリカ最後の日 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
プロットは刺激的ですが、合衆国が国内戦争に至った事情が皆目わからず、リアルな戦闘場面が宙に浮いてしまっている問題があります。
『シビル・ウォー アメリカ最後の日』は、アレックス・ガーランド脚本・監督によるアメリカ合衆国・イギリスの合作映画で「A24」の製作・配給によります。
19の州が合衆国から離脱しテキサス州とカリフォルニア州からなる「西部勢力」と連邦政府による内戦が勃発した近未来の米国を舞台に、ニューヨークから首都ワシントンD.C.へと向かう4人のジャーナリストたちを主人公に圧倒的没入感で描いたアクションスリラー作品です。
米国の分断についてはもはや当たり前のように語られ、大統領選を控え、両陣営が激しく批判し合っているのを見ても、さもありなんという感じですが、そんなふうに麻痺しかかった頭を、本作は激しく覚醒させることでしょう。
タイトル通り、テーマは内戦ですが、比喩ではありません。南北戦争以来ともいえる、米国本土を戦場にした戦争が描かれるのです。
●ストーリー
強権を振りかざす(憲法で禁じられているはずの3期目を務める、FBIを解散させるなど)大統領に反発した19の州が分離独立を表明し、内戦に発展した近未来のアメリカ合衆国。テキサス・カリフォルニアを中心とした「西部勢力(WF)」と、オクラホマ~フロリダにかけて広がる「フロリダ連合」は政府軍を次々と撃退。けれども権威主義的な大統領は勝利が近いことをテレビ演説で力強く訴えます。しかし、WFはワシントンD.C.に迫り、首都陥落は時間の問題となっていました。
ベテラン戦場フォトグラファーのリー・スミス(キルスティン・ダンスト)と、ジャーナリストのジョエル(ヴァグネル・モウラ)は、14か月間メディアの取材に応じていない大統領に直撃インタビューを行うべく、2人の師である老記者サミー(スティーヴン・ヘンダーソン)と、リーに憧れる駆け出し写真家ジェシー・カレン(ケイリー・スピーニー)を連れ、ニューヨークを出発します。寸断された州道を迂回し、ピッツバーグ、ウェストバージニア、バージニア州を経由する、およそ1500kmの旅となったのです。
無政府状態となっている郊外を移動する間、一同は様々な光景を目撃します。ガソリンスタンドを守る地元民と、見せしめに晒されている瀕死の略奪者。政府軍の捕虜を処刑する民兵。敵の正体も判らぬままにらみ合いを続ける狙撃兵たち。内戦に不干渉を貫き、監視兵の警護の元で安穏とした生活を求める村。ジェシーは同道する3人から教えを受け、戦場ジャーナリストとして成長していきます。彼女に若き日の自分を重ねるリーもまた、ジェシーの師として振舞うようになるのです。
彼らは戦場と化した道を進むなかで、内戦の恐怖と狂気を目の当たりにしていくのでした。
●解説
映画の舞台は内戦状態の米国。合衆国から離脱した“西部勢力”と政府軍が戦い、反乱軍は首都に迫っていました。戦場カメラマンのリーたち4人は、14カ月も取材を受けていない大統領への単独インタビューの特ダネを狙ってワシントンDCへ向かおうとして車で首都を目指すのです。
観客が与えられる情報はこれだけ。内戦に至る経緯や反乱軍の実態などは、登場人物の会話やニュースの断片から推測するしかありません。そして車で出発してからは、リーたちにも何が待ち受けているか分からないのです。観客は4人と一緒に、戦場を通り抜けることになるのです。
ワシントンDCまでの道筋には、焼け焦げた車が放置され、激しい局地戦にも遭遇します。いかにも不穏な空気が漂う場所もあれば、戦争などないかのように不気味に静まりかえった町もあるのです。そこがどの勢力圏なのか、出会った人物たちの素性や所属など、全く分りません。画面はヒリヒリした緊張感に包まれて、片時も気が抜けないです。
入念な音響効果が、戦場体験を迫真のものに高めている。銃撃音、爆発音、ヘリコプターのローター音などが大音響で響き渡り、平穏な風景が突然銃声に切り裂かれて度肝を抜かれます。そうした恐怖と共に、最前線に到達する高揚感も生々しく伝えてきます。銃撃や爆発に近づくにつれて興奮状態となり、最初は戦場の現実に泣きべそをかいていたジェシーは、前へ前へと突き進むようになっていくのです。
ところで、本作の立脚点は徹底しています。
リーは目の前で起きる凶行に「自分は質問しない。他の人が質問するために記録する」と中立を標ぼうします。同様に本作も米国の分断や正義、ジャーナリズムや戦場の倫理といった問いについて、映画は一切の価値判断をしていません。観客にただ、戦場を体験させるだけなのです。これ以上ないリアリティーで。
●感想
主人公たちが車を走らせる頭上には青空が広がり、美しい田舎の風景は牧歌的ですらある。しかしほんの少し視線を移すと、あちこちで煙が立ちのぼり、戦闘、拷問、処刑などの陰惨な現実が繰り広げられています。その強烈なコントラストと、誰と誰が戦っているのかもわからない戦争の不条理性が戦慄を呼ぶのです。相手が誰かもわからず撃ち合う農場での恐怖。分断の一因でもある「どういうアメリカ人だ?」というセリフの現実性。終盤の銃撃戦を含めジャーナリストの視点で見せることで、暴力の臨場感が駆け抜けます。連邦議会襲撃事件であらわになった無秩序と崩壊への不安が背景にあるのでしょう。さらに、過去に行ってきたアジアや中東での武力衝突のすさまじさも想像できます。
また、観客の視点を担うキャラクターのジェシーは、野心満々だが経験の乏しい駆け出しカメラマンですが、そんなルーキーが血生臭い地獄巡りの果てに、皮肉な形で成長していくドラマも見応えたっぷりでした。
やはりついさっきまで平穏な日常があった場所で、暴力や戦闘が目撃されるシーンは、怖かったです。真に身近に戦争を感じさせてしまうから。
ラストに向かうにつれ、アレックス・ガーフンド監督による本作は、来国の現状を鋭くえぐった傑作と確信し始めました。ところが、ラストの展開を見て呆然としました。これこそリアルという高らかな宣言なのか、それとも全編が政治的な主張にすぎなかったのか。複雑な思いにとらわれ、素直に傑作と認めがたくなったのです。
まず前途してきたように確かにプロットは現状を反映し、なかなか刺激的ですが合衆国が国内戦争に至った事情が皆目わからず、同問題への洞察力が足りないため、リアルな戦闘場面が宙に浮いてしまっている問題があります。
やはりどうして内戦に至ったのかという経過と背景を描くべきでした。
説明を省いて、恐怖を煽る手法は、黒沢清監督の映画『Cloud クラウド』と一緒でしょう。確かに説明しない方が、よく分からない恐怖感はアピールできます。しかしそれでは現実味に欠けてしまうのです。
次ぎに、とにかくホワイトハウスに侵攻する西部勢力は、大統領を撃ち殺せば、なんとかなるといった発想の一点張り。立ち向かってくるSPは無条件で銃殺するどころか、大統領専用車で逃走を図る大統領の家族も皆殺しにするのです。もし幼い子供が交じっていたらもかなり惨たらしい映像となっていたことでしょう。そこには一切人間としての感情というものがありません。A24が得意とするゾンビと西部勢力の兵士たちとの差がないのです。つまり本作はゾンビ映画の変形といって過言ではないでしょう。
もし本当にアメリカ国内が内戦状態に突入したら、アメリカ国民は黙っていないはずです。政府軍や反乱軍に対して果敢に反戦を唱え、燎原の火の如く全国に抗議デモが広がっていくことでしょう。それがアメリカという国のお国柄で、本作のように内戦に傍観してしまうなんてあり得ません。
そして極めつきは、核のボタンの存在です。
本作のような独裁者タイプの大統領なら、ホワイトハウスを包囲されそうになったら、あらゆる手で反撃するはずです。その中には核で西部勢力を威嚇するというオプションも含まれます。核のボタンについて全く触れられなかったことも疑問に感じました。