「選ぶ責任を問う映画」シビル・ウォー アメリカ最後の日 やすさんの映画レビュー(感想・評価)
選ぶ責任を問う映画
本作は映画を見るものに、行動を選択する際の責任を考えさせる映画である。
本作の中のアメリカでは誰と誰が、何のために戦っているのか映画の中ではわからない。それは映画に登場する兵士たち自らも語っている。敵が誰なのかわからない、と。
なおさら、この映画を見る我々にはわからない。
しかし、それこそが、この映画の言いたいことなのだろう。わからない状況で、あなたはどう考えますか、と。
最後に大統領が一言。殺させないでくれ。最後の一言も命令である。殺さないでくれ、ではなく、殺させないでくれ。命令する側とされる側。
ホワイトハウスの中で兵士たちは命令に忠実に、大統領を探し、問答無用で殺していく。
本来であれば、大統領は生かして正当な尋問をし、記録し、裁判にかけられるべきであろう。しかし兵士たちは手際よく躊躇なく殺していく。
なぜなら、大統領は敵のトップであるし、殺せと命じられたからである。
また、劇中一般人を虐殺する民兵が出てくる。彼も相手がどこに属するかどうかだけで、その生死の判断を下す。そこには理屈などはない。殺される相手の個人個人の考えや思想など微塵も考慮されない。味方でなければ殺す。ただそれだけであり、もはや思考は完全に停止している。
アメリカ大統領選の選挙イヤーにこの映画が公開された意味は大きい。
自分たちの行動を大きく左右するリーダーをいかに選ぶか、選ぶ側は誰を、何を基準に選ぶのか、そしてリーダーが正しいかどうかを常に自らの頭で、判断基準で考えているだろうか。自ら本質について考える事は疲れる行為である。ただその行為を他人の判断基準に委ねた時点で、本作のような悲惨な結末が待っている。自分たちの選択行動の責任は大きいのである。それを問うている。
問うているのは報道写真家たちである。キルステンダンスト演じる女ジャーナリストは言う。記録するのみだと。そう、判断は我々に委ねられているのである。
劇中撮られる写真は我々に示されている。写真の中の事実は何も語らない。報道写真家も語らない。この劇中の出来事をあなたはどう捉えますか?ただ問うて考えることを我々に求めている。
我々は自分たちの判断に責任を負わなければならない。世界をどう認識するのか、それに対し、冷静に自分の頭で判断できているのか、この映画はそれを問うているように私には思える。