「"戦争"とは主権の争奪戦、"主権"とは」シビル・ウォー アメリカ最後の日 鉄猫さんの映画レビュー(感想・評価)
"戦争"とは主権の争奪戦、"主権"とは
"主権"とは法律とその適用範囲(領土領海)、つまり相手に法律を呑ませるか適用範囲を拡げるかが戦争目的の主となる。映画では大統領が憲法無視、法執行機関の解体、武力行使によって法が侵され主権=法を取り戻すべく内戦となった、いう話のようです。
保守とかリベラルとかイデオロギーの違いとか、市民の意見とか立場とか戦うことへの葛藤とか「分断は良くないから辞めましょうアンドザワールドウィルリブアズワン」みたいな話かと思ったら全然違いました。
大統領にインタビューすべくワシントンDCへ向かう道中の市民は自分達の私法で地域を支配する無法状態。条約に守られたジャーナリスト=客観性の確保故に傍観者の立場だったのが無法に触れることで客観を失い主観に動揺し当事者になるにつれ恐怖を感じ始める、と同時に名声を得たい若いカメラマンは恐怖の主観を徐々に失い傍観者へ変貌して行くという対比構造。極めつけ一国の大統領をテロリストのごとく暗殺し記念撮影を行うという戦争の悲しさを微塵も感じさせない兵士たちにも傍観者感。
若いカメラマンのジェシーが何故あのような冷徹な感じに到達したのか、例えば使命感とか名誉欲とかの葛藤描写か何か物足りなく思えたし、そもそもフィルムカメラとか状況に合わない無意味とも思える情緒感もあって感情移入も出来なかったのですが、もしかして「これが現代のヤングアメリカン代表ですよくわからない人達です」ということなんですかね。大統領の目的、戦争の理由、若い米国人の姿など肝心なところをはっきりと描写しない掴みどころのない映画=掴みどころがなくどこへ行こうとしているのかわからない現代のアメリカという表現だったのかも知れません。
恐怖に慄いて尻込みしている当事者達と使命に燃えてフィーバーしている傍観者達が民衆の姿ならば、民衆のものである主権はどこへ向かうのか、「みんなもうちょっと冷静になってこの国アメリカの行く末を考えましょうよ」という映画だった、のでしょうか??傍観者に見える当事者VS当事者に見える傍観者が真の市民戦争かも知れません。