「テンション高く展開される、トンデモ歴史改変SFアクション」マーク・アントニー 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
テンション高く展開される、トンデモ歴史改変SFアクション
【イントロダクション】
1975年と1995年、2つの時代を舞台にして描かれる、歴史改変SFアクション。とあるマッドサイエンティストの発明した「過去と通話出来る」電話機を巡って、ギャングによる熾烈な争いが繰り広げられていく。
主演にインド映画界“革命のリーダー”ヴィシャール。共演に『政党大会 陰謀のタイムループ』(2021)のS・J・スーリヤー。2人はそれぞれ1人2役を演じ、トリッキーな演技を披露している。
監督・脚本には、タミル語映画界の鬼才・アーディク・ラヴィチャンドラン。
【ストーリー】
1975年。マッドサイエンティスト・チランジーヴィ(セルヴァラーガヴァン)は、長年の研究の末「過去と通話出来る」“時を駆ける電話”を発明する。彼は早速、過去の妻に電話して、彼女が教員採用試験当日に事故に遭い、足が不自由となって教師になる夢を諦めなければならなかった未来を改変し、彼女を救う。
研究成果に満足した彼は、電話機のルールを詳細に調べ、まとめ上げた。
①通話出来るのは過去のみであり、未来は対象外。
②同じ日への通話は1回のみ。もう一度掛ける場合は、前日か翌日に変更しなければならない。
③雷などの影響を受けて通話が切断される場合がある。
④初回使用者は重力の関係で体が宙に浮く。
⑤歴史改変の事実を覚えているのは、発信者のみ。
研究の成功に気分を良くしたチランジーヴィは、バーで飲み明かそうと出掛ける。しかし、バーでは街を二分するギャング同士の抗争が巻き起こり、仮は流れ弾に当たって負傷してしまう。すぐさま電話で過去改変を行い、自分の命を救おうとするが、過去の自分は偏屈な性格から未来からの電話の内容を信じようとせず、最期はトラックに衝突されて命を落としてしまう。電話機は車の荷台に積まれたケースの中で長い眠りにつき、行方知れずとなった。
ギャングは首領のアントニー(ヴィシャール)とジャッキー(S・J・スーリヤー)の親友コンビによるグループと、エーガンバラム(スニール)によるグループとで抗争が続いており、バーでの一件からアントニーは命を落とし、エーガンバラムは逃走して行方不明になった。残ったジャッキーは首領となり、48の地区を支配下に置くゴッドファーザーとなった。ジャッキーには実の息子であるマダンが居たが、彼はアントニーの息子であるマークを養子に迎え、マークに愛情を注ぐようになる。
月日は流れ、1995年。成長して自動車整備士となったマーク(ヴィシャール)は、チランジーヴィの姪っ子であるラムヤ(リトゥ・ヴァルマ)と恋人関係にあり、彼女から亡くなった叔父の車の修理を依頼されていた。一方、マダン(S・J・スーリヤー)は組織を継ぐ立場にありながら、父から冷遇される日々を過ごしており、片思いしたラムヤについても、マークが先に恋人だったのだから諦めろと言われる始末。
しかし、マークが極悪非道として有名だったアントニーの息子である事がラムヤの母に知られてしまうと、彼女に婚約関係を破棄されてしまう。失意のマークは、チランジーヴィの車の修理を中断して返却を求められた際、偶然にもケースに収められて無事だった“時を駆ける電話”を発見し、それが過去と通話出来る装置だと知る。マークは極悪非道な父アントニーに文句を言って歴史を改変する事を思い付き、やがて組織の弁護士を務めていたセルヴァムを死の運命から救い、現代にて父の本当の姿を知る事になる。
そして、やがて事態はジャッキー、マダン、アントニーと、様々な人物を巻き込んだ壮大な歴史改竄合戦へと発展していく。
【感想】
「過去に電話して歴史改変が出来る」という、ドラえもんも“もしもボックス”も真っ青な奇妙奇天烈な歴史改変SFアクション。
私が本作を鑑賞していない人に対して、本作の内容を簡潔に説明するなら、《「過去に電話して歴史を変えられる」という“もしもボックス”的な道具を巡って、のび太とジャイアン・スネ夫達が争い、「誰がガキ大将になって、しずかちゃんをお嫁さんにするか」を壮大なスケールでやる話》と説明するだろう。
しかし、“時を駆ける電話”の荒唐無稽な設定にも、いくつかの明確なルール設定が定められており(何故、初回使用者のみ宙に浮く必要があったのかは不明)、そこから逸脱する事なく物語を展開していく様は好印象。冒頭数分間で電話機の発明からその効果までを端的に描き、即座に舞台設定を整えていく脚本の構成力も評価したい。
冒頭から登場人物が多く、相関図も少々複雑だが、そんな登場人物達の関係性と、1975年から1995年までにどのような経緯を辿ったのかを、冒頭のナレーター役のカールティによるナレーションとアメコミチックなアニメーション演出で説明してくれるので、然程理解するのに苦労する事はない。
先述した『ドラえもん』を始め、本作は様々なタイムトラベル、タイムリープ作品、世界的大ヒットを記録したアクション大作の影響を多分に受けており、それを感じさせる演出も多々あるので、そこを探すのも一興かもしれない。
過去改変によって、マークとマダンの立場が逆転する様子は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』らしさがあるし、ジャッキーがマークを殺そうと銃の引き金に指を掛けた瞬間に、過去の出来事が反映されて指が消えていく姿は、『オーロラの彼方へ』(2000)を彷彿とさせる(そもそも、本作が電話機をキーアイテムにしているのに対して、あちらは無線機がキーアイテムだった)。
そんな中でも、クライマックスで倉庫裏に突っ込んできた大量のサウンドスピーカーを搭載した改造トラックは、モロ『マッドマックス/怒りのデス・ロード』(2015)のドラム・ワゴン過ぎて清々しい。また、それに乗って登場する20年後のアントニーのスキンヘッドに髭を蓄えた姿は、『JAWAN/ジャワーン』(製作年は、本作もあちらも2023年)のシャー・ルク・カーンを思わせる。
小ネタとしては、ジャッキー(そして、過去改変によって首領になったマーク)が座る、機関銃をあしらった玉座のデザインは『マッドマックス:フュリオサ』(2024)のポスタービジュアルを思わせ、非常に好みである。
近年では「踊らない」インド映画や、インドアクションの定番であるワイヤーアクションを用いないリアル志向な作品も注目されている中で、ダンスもアクションもインド映画らしさ全開でテンション高めな本作は、「これこれ!これぞインド映画!」という楽しみに溢れている。
しかし、コメディチックなアクションであるからとはいえ、後半に向かうに連れて物語がドンドン悪ノリの方向に進んで行く様子は、個人的にそこまでハマらなかった。もう少し、歴史改変のリスクや「何処の歴史を変えれば良いか?」についてシリアスに展開する事を期待していたので、『ドラえもん』的なノリで149分を鑑賞するには、些か中弛みした印象もあった為である。
常にテンションの高い本作だが、中でも最終決戦でアントニーが使う“黄金のアナコンダ砲”は悪ノリの最高潮。演じたヴィシャールが女優との浮名が多い事をネタにした演出だそうだが、個人的には笑いよりも意味不明さが勝り、鑑賞中は呆然としてしまった。パンフレットでの解説がなければ、意味不明のままだっただろう。
そんなパンフレットには、キャスト陣のキャリアや相関図含め、作中の要素に関するトリビア解説も記載されており、作品への理解を深める手助けとして非常に優秀なのでオススメ。特に、中盤でジャッキーが惚れる、インド映画界のセックス・シンボルとして絶大な人気を誇りながらも悲劇の最期を辿った“シルク・スミター”に関する解説は興味深かった。
中盤で「ここから話が変わるぞ」と説明が入る親切設計には、「あ、多分本国ではここでintermission〈休憩〉が入ったんだろうな」と考えてクスリとさせられた。
ダンスシーンは他のインド映画に比べるとやや小ぢんまりとしており見劣りはするが、歌詞の内容からダンスまで非常に楽しくテンションの高い出来。
「この電話戦争は終わらない」という、何処までも続くコミカルなやり取りを想像させ、最後までハイテンションで駆け抜けていったオチも、それ自体は面白かった。
【個性豊かなキャラクターと、台詞回しの妙】
冒頭からテンション高く登場する、マッドサイエンティスト・チランジーヴィが強烈だ。不憫な妻を救う姿に、まず好印象を抱けるし、自らを救おうとしながらも自分の偏屈さから失敗して、「死は不可避だ!」と叫ぶ姿は皮肉で笑える。演じたセルヴァラーガヴァンの本業は監督業であり、演技は余技という位置付けらしいが、「散々、自分達は生き返っておいて、私だけ救われてない!」と訴えるラストの締めまで含めて、憎めないキャラを熱演していた。
主演として1人2役をこなした、ヴィシャールの演技も印象的。マークとしての気弱な好青年ぶりから一転、アントニーを演じる際の首領らしい風格と荒々しさの演じ分けが見事であり、病院にてジャッキーと共にエーガンバラム一派を退ける様子や、妻のヴェーダヴァッリを救う際に悪神を憑依させて暴れ回る姿は、アクションの組み立て方の面白さもあって楽しめた。
”敵を倒す前に、殺す相手の目の前で踊る”という設定や、トドメを刺す直前に、「望みはなんだ?」と聞く姿は、キャラ付けとして面白い。
ジャッキーの「友だろ?」という泣きの懇願に対して、「友じゃない、親友だ!」と言って引き金を引く姿のカッコイイこと。
そんな本作で、最も印象的かつ熱演を披露していたトリックスターは、同じくジャッキーとマダンの1人2役を演じたS・J・スーリヤーでまず間違いないだろう。特に、1995年で年老いて長髪の白髪と豊かな髭を蓄えた姿のキマりっぷりが最高だ。後半は特に彼の演じたジャッキーとマダンが物語を牽引しており、彼なしでは成立しなかっただろう。
過去でアントニーを裏切っており、マークを優遇する事もアントニーへの憂さ晴らしや毒見役だと明かされる瞬間のコミカルで残忍な演技が特に素晴らしく、「じゃあ、幼いマークが聞いた母との最後の通話は何だったんだよ?」という疑問に、モノマネスキルの高さで演じて騙してましたと回答する脚本の豪快さ(杜撰さ)も相まって、あの一連のシーンが本作1番の盛り上がり所だったように思う。
1975年でアントニーを裏切る際の、「最高の日に!最高の死を!最高の友に!」という台詞も印象に残る。しかし、後半に向かうに連れて75年の姿はドンドンコミカルさを増していき、未来のマダンから度々電話でドヤされる姿は可愛らしくも映った。あちこちに女を作っており、息子が誰との子なのか分からないギャグは、不謹慎ながら笑ってしまったし、場内でも笑いが起きていた。
【総評】
荒唐無稽な設定と高いテンションで何処までも続いていく、果てしない歴史改竄合戦は、そのテンションにチューニングを合わせれば最後まで楽しめる一作だろう。
個人的には、本作の後半では「過去改変へのペナルティ」というシリアスな展開を期待していた為、若干の肩透かしを食らった事、本作を個人的な《劇場公開新作、鑑賞100本目(本作の全国公開は今年初)》に選んだ事で、色々と期待し過ぎてしまっていた事から、物足りなさを感じてしまったのは残念である。
また、予算の都合からであろうが、私がこれまで鑑賞してきたインド映画と比較すると、アクション、ダンス、CGクオリティ、舞台美術と様々な点で見劣りしてしまうのも惜しく感じた。
とはいえ、ヴィシャールとS・J・スーリヤーによる1人2役の演技は、それと知らなければ別人に見えるくらいの演じ分けっぷりであり、そんな2人の演技合戦を見る意味では間違いなく楽しめる一作だろう。
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。
