私たちが光と想うすべてのレビュー・感想・評価
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絶賛の意味がわからない。致命的に見づらい映画。
物語の内容や登場人物やムンバイや田舎の風景は素晴らしかった。音楽も良かった。それなのに始まって1分もしないうちに見るのが苦痛だと感じた映画は久しぶりだった。とにかく画面が暗い!荒い!電車の中や車の中から見せるムンバイの風景も目で追うのが大変な速さ。おまけに撮影監督はピンボケが大好きらしくやたらピンボケしてくる。せっかくコントラスト強めな美しい色なのに全く活かしきれてないし時に色が薄くなる場面でムードがぶち壊されて集中するのが本当に大変だった。リアリティを追求した結果照明が少ない為夜のシーンは何も見えない。
かなり不潔だと感じるシーンもかなり多めだったが生活感を出す為にやったんだろうなと思う反面インド映画に必要な描写とは何なんだろうと強く考えさせられた。
幾つか考え抜かれたシーンにおーっ!となったのとエンディングはとても好きなタイプの映画だった。残念!
なぜかフェリーニを想起した
話が面白くないですね
邦題に惹かれて、そして、何となく気になったので映画館に足を運びました(カンヌで受賞とか、関係ない)。
でも、退屈だった。つまらないと思った。
もちろん、感じるところはたくさんあった。
アジアの湿気をはらんだ空気や雑然とした街の雰囲気、それに大都市の一隅で暮らす生活者の日常などは、際立ったリアリティーを持って伝わってきました。
ラストシーンも、言葉では言い表せない余韻が胸にひろがった。
けれども、ストーリーが単調で眠たくなった。
むずかしいことはおいといて、やっぱり「話が面白い」って大事なことだと思いませんか?
芸術性においては優れているのでしょうが、娯楽性がほとんどなかった。
プロの批評家でない、僕のような一般の鑑賞者には、やはり「娯楽性」というものが少ないとしんどいところがある。
『あなたの名前を呼べたなら』や『グレート・インディアン・キッチン』なんかのほうが、自分には合っていた。
田舎のインド人、都会のインド人
前作の「何も知らない夜」に比べればはるかに世間一般に向けた平明な物語の手法に寄せているが、それでも不可解な点はいくつか残る。浜辺に打ち上げられた男は本当にプラバの夫だったのか?プラバに「お姉さん」と呼びかけるアヌは途中までてっきり本当の妹かと誤認していた。
前作ほど直截的な反権力のメッセージは強くないけれども、理不尽な結婚や異教徒間の交際などの根深い問題は相変わらず影を落としている。他国との共同制作だから何とか黙認されているのか、社会の矛盾をありのままに描こうとする作者の意図が、政権の統制をかいくぐってかくの如く発表されることは貴重だ。建設予定の高層ビルの看板に投石するぐらいしか憂さを晴らす手段がない現実が悲しい。
希望の光は与えられるものではなく、自分たち自身が思い描いて手に入れるもの
前半の舞台はムンバイ。夢を見て田舎から都会に出てきたはいいが、夢に敗れ、厳しい現実に直面する人も少なくない。それでも幻想を追いかけ続けなければ、自分が自分に負けたように感じてしまう、というのはインドに限らず、何処の国でも同じであろう。
主人公はムンバイで看護師をしているプラバとアヌの二人の女性。プラバは親の決めた相手と結婚したが、結婚後ほどなくしてドイツに出稼ぎに行き、ほとんど音信不通状態。アヌの恋人はイスラム教徒で、異教徒との付き合いを親が認めるわけがない。
地上げ屋に住処からの立ち退きを迫られ、故郷の海辺の村に帰ることにしたパルヴァディについて行ったプラバとアヌは、そこで自らの人生に改めて向き合う……。
人と人を隔てるものには、国籍、人種、宗教、性別、言語、そして経済格差などがあるが、その障壁を乗り越えさせてくれるのが愛。
多民族で多宗教で多言語で、なおかつ家父長制とカースト制による差別意識がまだまだ根強いインド。女性たちが自分らしく生きるための自由を渇望しても、ままならないことが少なくないはず。それでも力強く人生を切り拓いていこうとする女性たち。
希望の光は与えられるものではなく、自分たち自身が思い描いて手に入れるものだというタイトルに込められたメッセージは美しい映像の中で一段と輝きを増しているようだ。
魅力的なタイトル
帰り道にインドの勉強をして思い起こすもの。
最初は不夜城に見える高層ビル群を背に生き抜く女性を描いているかと思いきや、光が差し込んだのは闇の多さ。
光と影をわざとチラつかせて色んなものを見せてきたね。
望もうが望まないが関係なしに増えていく人口。
夫婦でもない男女が常に世間の目を気にする空気感。
親族が絶対な環境に格差以外何物でもない社会にエネルギー事情も宜しくない……。
観ている途中でパラレルワールドにでも迷い込んだもう一つの日本の姿にも思えたよ。
だからこそあのiPhoneで照らす環境や個性の塊の着信音で笑えてくるし皮肉でもあるよね。
対アメリカのスタンスから見ると。
長いものや新しいものに弱い日本人の性質のおかげで今日の日本がある訳だから。
当たり前に広がる星空に弱々しい色付き電球。
どちらもこれからのインドの闇を討ち破る光になりうるのか?
難しいね。うん。
生きているうちにそんな若い世代が世界を揺り動かすムーブメントを起こすのを期待してます。
すごいCPR
ままならない都会暮らし
ムンバイの病院で働く2人の看護師と、同病院の食堂で働く女性の葛藤と再生の話。
夫はドイツでお仕事中のベテラン看護師と、彼女とルームシェアしているイスラム教徒の彼氏と内緒で交際中の後輩看護師から始まって、亡き夫と暮らしていた住居の立ち退きを迫られる食堂のおばちゃんへと展開し、3人の現在の暮らしや悩みをみせて始まって行く。
新人だかインターンとの指導をしつつ、帰ったら後輩の面倒も?
そして後輩ちゃんは金が無いと言いつつ秘密のデートに忙しく使えるツテは使わなきゃの今どき女子?
そしておばちゃんは法律というか現代社会の常識に疎く証明出来ないのに強きに主張。
みんな中々大変だけど、気づけばロードムービーに…と思いきや、海辺の村で恋愛映画!?
インド映画でこういう欧州映画の様なテイストのものをみたのは始めてかも?という意味では、意外だし悪くはないのだけれど、インドの社会情勢とか宗教観とかに明るくないからかそういうものなのか…ぐらいにしか感じられなかったし、自分の苦手な恋愛色がちょっと強くて合わなかった。
欠けたる月たちの詩
本作はフランスやインドなど4か国による合作映画ですが、舞台は全編インドで、監督も登場人物もすべてインド人ということから、実質的にインド映画と言ってよい作品でした。そして、インド映画として初めてパルムドールを受賞したということもあり、期待を込めて鑑賞しました。
パルムドール受賞作だからという訳ではないでしょうが、いわゆる“インド映画”にありがちなダンスシーンの含有量は全体の1%ほどと非常に控えめ。ド派手なアクションや過剰なバイオレンスもなく、むしろ日常生活に密着した写実的な映像、洒脱な音楽、そして人間の内面にじっくりと迫るストーリーが印象的で、極めて詩的な作品に仕上がっていました。
物語は、擬似姉妹のような関係の3人の女性の人生、結婚、恋愛を描いたものです。登場するのは、年長のパルヴァティ(チャヤ・カダム)、中堅のプラバ(カニ・クスルティ)、そして若手のアヌ(ターニシュカ・クタリ)。3人はいずれも同じ病院に勤務しており、パルヴァティは食堂職員、他の2人は看護師として働いています。
パルヴァティは夫を亡くし、子どもたちも巣立って一人暮らしとなった矢先、長年住み慣れた家から立ち退きを迫られるという境遇。プラバは親の決めた相手と結婚してはいるものの、夫はドイツで働いており、今では音信不通。アヌには恋人がいるものの、彼は異教徒のムスリムであり、両親に紹介することができずに葛藤しています。三者三様の“欠けたる月”のような状態にある彼女たちは、疑似家族、擬似姉妹のように互いに助け合い、寄り添いながら日々を生きています。
物語の背景には、貧富の格差や男尊女卑、親による強制的な結婚、宗教対立、都市と地方の経済的格差といった現代インドの社会問題が巧みに織り込まれていますが、それを声高に訴えるのではなく、あくまで静かに、自然に描いているところが美しく、また奥ゆかしさを感じさせました。
中盤までの舞台であるムンバイの街並みも過不足なく描かれており、まるで自分もその街を散歩しているような気分に。そして洒落たジャズピアノの劇伴も非常に印象的でした。終盤ではパルヴァティの故郷である田舎へと舞台が移り、わずかながらもインド舞踊が披露される場面があり、観客へのささやかなサービス精神に感服しました。
喧噪たるムンバイを離れ、それぞれの人生を見つめ直した3人の女性たちに幸あれ、光あれと思わずにいられない良作でした。
そんな訳で、本作の評価は★4.4とします。
自分がしっくりくる場所を探して
気になる映画を観に行く機会に恵まれ、「私たちが光と想うすべて」を鑑賞。設定を聞く限りではもっとドラマチックな展開があるのかな?と思っていたが、どちらかというと日常に根ざした落ち着きのある映画だった。
いい映画だったなぁと思うが、娯楽度は低め。一応製作国にインドも名を連ねているものの、テイストはヨーロッパ映画である。というか、インドでは無理めなシーンがチラホラあって、観てる最中に「これインド映画じゃないな」と気づく。
そこは大した問題じゃないけど。
主人公のプラバの変化が作品の一本の道筋となっていることは明白だ。
見合いで結婚した夫がいるが、関係を深める間もなくドイツへ出稼ぎ中。長らく不在の夫は音信不通気味で夫婦関係などほとんど存在していない。だが、離婚したわけでもない、宙ぶらりんの状態なのに、根が真面目で規範に忠実なプラバはほとんど表情を変えることもなく、職場と家との往復だけの毎日を淡々と送っている。
そんな彼女とルームメイトのマヌが同じ病院で働くパルヴァティの帰郷に同行したことで、ほんの少し変化するのだ。
規範とされていることに疑問を抱く暇すらない都会の忙しない日常と、その対極として田舎のゆったりとした空気感。
その雰囲気の違いが彼女の心のケリをつけられない部分に変化を促したのだろうと思う。
また、もう一人の主役はムンバイという都市そのものなのだろうとも思う。都市を離れることでプラバが変化する物語ではあるが、監督はムンバイを悪役にしようとは考えていないように思うからだ。
プラバを人生の鎖から解き放ったのはムンバイから離れたことがきっかけではあるが、プラバの同僚であるアヌは「今さら田舎で生きていける?私は無理だな」と口にしているし、ムンバイという都市の持つ圧倒的なパワーが伝わってくるようなシーンも多かった。
大事なのは「自分にとってしっくりくる」生き方や場所、それを選ぶのは自分自身なのだということなんじゃないかと思う。
私自身はバリバリの都会っ子なんだなということも痛感した。前半のムンバイ・後半の海辺の村ともに、映画は色んな音にあふれている。工事の音、雨の音、電車の音、風の音、波の音、虫の音。
これは意図して大きめに入れているそうなのだが、映画前半ではほとんど気にならない、むしろ音として認識していなかったものが、後半ではやけに大きく聞こえたからだ。
普段聞き慣れている音はあまり意識に残らない。私にとっては工事の音や電車の音は無音に近い感覚で、波の音や風の音ははっきりと聞こえてくるものなのだ。
うるさい、とは思わないが「音デカいな」とすぐに気づくほどには顕著な差があったのである。
気になる映画を気軽に観に行けるのも都会っ子ならではの幸せだ。
私が私らしくあるために一番大事なことでもある。
ムンバイの雑踏に入り込んだよう
ムンバイの騒がしさ
臭い、暑さが生々しく感じられた。
海辺の田舎町は鬱蒼と生い茂る木々の香り、潮の香りがするようだった。
プラバは笑わないねんな。悩みを抱えているからか始終陰気な印象。対照的に年下の同僚のアヌはイケイケな感じで明るい。なんで一緒に暮らしてるんやろ?
運命に抗えない女性達がなんか悲しい。
終盤で
全く刺さらなかった
神にでもなろうとしている人達
商業大都市ムンバイの病院で看護師として働くプラバ、彼女の同僚で年下のルームメート、アヌがこの映画の主人公。
プラバには結婚式以来、長い間会っていないドイツの工場で働いている夫がいる。1年以上電話の連絡さえもしてこない夫を待ちつつ、同じ病院の食堂で働くパルヴァティ、彼女は高層ビル建設のために何十年も住んでる住居の立ち退きを迫られているが、プラバはそんなパルヴァティに何かと世話をする優しい女性だ。
アヌには周囲に隠して交際している男性がいる。彼はムスリムでヒンドゥー教が主要な宗教であるインドでは異教扱い、風当たりが強い様だ。アヌは自由でいられる場所が何処かないものかと思い悩んでいる。
彼女達を抑圧しているものは慣習、規律、宗教観でそれは親、お金持ち、国家でもある。
しかし劇中で彼らの姿は出て来ない。
パルヴァティが言う、「神にでもなろうとしている人間達」。日常、時間、意志を奪い続けている見えない力と見えない姿。
何だか眉間にしわの寄る話続きの様だか微笑ましい場面や笑えるシーンもある。
まさか外国映画で「写真で一言」が観れるとはね。反則でしょ。
高層ビルによる深く長い影、モンスーンによる大雨と暗い空。人口密度の高さによる熱気と圧迫感。そんな暗闇の中、彼女達のまなざしの先には様々に美しく差す光。
僕が生きている間に人口やGDPによる変化ではなく、規制や制約に収まらない本当の変化がインドで起こったら、真っ先にこの映画が思い浮かぶだろう。
ドイツ製炊飯器と子持ち猫
女性の強さ
日常を懸命に生きている人々の作品が好きなので、今までは観ることの無かった、インド女性の生活を垣間見た感じて良かったです。
旦那様から送られてきた炊飯器を抱きしめるプラバの姿は切なすぎました。
でも職場の友人女性と共に行った海辺の町で、心の中で夫と決別をした姿は女性の強さを感じ感動しました。
また、一緒に同行したアヌも困難な道を彼氏と進むと決めたようで、また違った強さを感じました。
最後の海辺でみんなが話すシーンは景色も波の音も全てが美しく、彼女たちのまだまだ続くであろう道のりの休憩時間として、心に残りました。
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