私たちが光と想うすべてのレビュー・感想・評価
全118件中、21~40件目を表示
インドの日常と恋愛事情
インド・ムンバイの病院で働く看護師プラバと年下の同僚アヌはルームメイトで、プラバは親が決めた相手と結婚したものの、ドイツで仕事を見つけた夫からはずっと連絡がない。一方、アヌにはイスラム教徒の恋人がいるが、親に知られたら大反対されることがわかっていて隠していた。そんな中、病院の食堂に勤めるパルヴァディが高層ビル建築のために自宅から立ち退きを迫られ、故郷であるラトナギリの村へ帰ることになった。彼女を村まで見送る旅に出たプラバとアヌだが、海辺で倒れてた男を助けたプラバはその人を夫と間違われ・・・さてどうなる、という話。
インド映画の特徴的な歌や踊り、アクションの無い作品で、全体的に暗くてちょっと退屈だった。
異宗教での恋愛、ヒンドゥーのカースト、住んでるところの立退問題、都会と田舎の格差、色々含まれてるのはわかるが、プラバとアヌ以外の人たちの顔がわかりにくかったのと、主人公の2人にあまり共感が持てなかったので退屈だった。
こういうインド映画も悪く無いとは思うが、もう少しキャストの選定や演出を工夫してインド以外の外国の人にもわかりやすくしたら良いと思った。
男は顔が黒くて皆髭面じゃあ、ダンスもアクションも無かったら区別が付きにくい。
東京の孤独に通じる
寝不足仕事帰りで観てはいけない、5回くらい寝落ちしかけた…
とはいえ、とても幻想的な画面にうっとりしつつ…
そういえばこれインド映画だったな、あまりこういうインド映画は観てないかもな
人がぎゅうぎゅう、夜景がキラキラな最初のシーンからこの雰囲気、日本に置き換えて日本版作れそうなくらい、東京でもしっくりくるな、
と思ったのは少数派ですかね。
いや、すごく東京の人々でもおかしくないストーリーですよ。
ドイツの配偶者は電話すら出ないのか?どういう経緯で結婚したの?親とか関わってるのかな?とか、
勤務先の病院は忙しいのか暇なのかよくわからないし産婦人科?と思ったら老人も診てる??
二人で休暇取れるということはそこまで多忙ではないのかな?
とか、環境的に謎なところもありましたが
遡って見た英語のレビューで、インドの3種類くらいの言語を話している、そのニュアンスが伝わらないのが残念と書いている方がおりましたが、その言語を使う意味とかまで理解すればより解像度が上がるのかもしれません。
あと音楽が、Y2K時代にシカゴ音響系好きだったのですが、その辺りを彷彿させる音でとても好みでした。
ムンバイで生きる
ムンバイの女性達を描いた作品、に惹かれての鑑賞。( フランス・インド・オランダ・ルクセンブルク合作。 )
女性達の生き辛さを、ムンバイで看護師として働く2人の女性視点から描く。冒頭の混沌としたムンバイの空気感、女性達のやるせない表情が印象に残る。
エンドロールの楽曲が素敵でした。
映画館での鑑賞
うまく言えないけど、とても良かった
静謐さの中に見た微かな光
舞台はインドのムンバイ。
主人公プラバは看護師をしていて仕事の同僚でルームメイトの
アヌのふたりを中心に描いている。
プラバは結婚していて夫はドイツで働いているらしいが、
どうにもその縛られっぷりが見ていて痛々しい。
インドの文化の一端を、あらためて認識することとなった。
アヌは明るい性格で、今どきの女性と言えるだろう。
それゆえ彼女の生きづらさを様々な場面で感じるのだ。
特に男性とのコミュニケーションについては、周囲が閉鎖的な考えをしているため
息苦しさが観客である私にも伝わってきた。
場をラトナギリに移してから、少しばかりの自由さをアヌの行動から感じ取ることができるし、
私の好きなシーンである、おばさんとのアヌとのインドの楽曲にのって踊るシーンにおける
アヌの表情はこちらまで明るくしてくれる。
一方、プラバは海岸に打ち上げられた男性を胸骨圧迫と人工呼吸で蘇生させたことから
その男性を夫と間違えられるわけだが、
夫と見立てての男性との会話は、現実世界における夫に対する気持ちが率直に出たのだろうと思う。
決別したいとの思いが。
プラバはムンバイにいたときには考えられなかったであろう、意識変革が起きる。
アヌと彼氏を祝福するのだ。
そのシーンがカラフルに彩られた電球に照らされ、これがタイトルの“光”とオーバーラップし、
きっと希望の光なのだろうと思った。
じんわり心に沁み入る良作だ。
素顔のインド人‼️❓
堂々たるカンヌグランプリインド映画。
インド映画でこんなのは初めて見ました。
まあ自分が知らないだけで、他にもあるのかも知れないけど。
結局、心の琴線に触れる映画が撮れるかどうかというのは、国籍とか関係ないですね、
当たり前か。
わかりやすく絵になるようなものなど一つもない日常の中に、豊かな詩情にに溢れた場面を切り取ってみせる、感性と、技術と。
なんなんでしょうね、この才能は。
素晴らしすぎてため息が出る。
私たちが光と想うすべて、このタイトルのとおりの何かが、映画の中にそのまま入ってました。
本当にそうなので。
ああ、確かにこういうものを光と想うかも、ていうものがほんとに入ってるんです。
この映画いっぱいに。
言葉で説明しようとしてもどうにも説明できないものを、よくもまあこの登場人物たちが微妙に複雑に絡み合う一つの物語の中で、純度高く描くものだなと。
最後のシーン、もし自分と似たような感想を持つ人がいるならきっとそう思うと思うんだけど、ああ、このタイトル、いいじゃん、その通りじゃんと、しみじみ思いながら見ていました。
映画を見てこんな風に感じることが、自分にとって一番幸せなことの一つであるのは間違いないので。
そういう時間をたくさんくれた新宿のシネマカリテさんが閉館してしまうのはなんとも悲しいですね。。
外国の今の異文化をこういう映画で知れるのもいい
いつもの映画館で夏休みに
チラシと予告編で興味がわいた
カンヌのグランプリ 是枝監督のお墨付きだし
インド映画だけど踊らないというし
で うーん自分が好きな感じとは微妙なズレ
バスで送別を兼ねていきとことかはよかった
酔っぱらって2人が踊るところも
外国の今の異文化をこういう映画で知れるのもいい
ラス前の海岸からのエピソード いまひとつ飲み込めず
ん まぼろしなのか現実なのか
上映終了後 廊下の雑誌記事の切り抜き ふたたび
監督のインタビューを読んで あぁなるほどと
終了後は球場まで1時間歩いてナイター観戦
負けたけどいい試合で満足
静謐な光と影
生活感と俯瞰性の無理のない混ざり具合
インド映画らしくないが良作
侮るなインド映画
心の中で描く「光」は、いずれ現実を変える火種へと育っていくのだろうか
2025.8.14 字幕 京都シネマ
2024年のフランス&インド&オランダ&ルクセンブルク合作の映画(118分、PG12)
インドのムンバイで働く女性たちを描いた社会派ヒューマンドラマ
監督&脚本はパヤル・カパーリヤー
原題は『All We Imagine as Light』で「私たちが光として想像することのすべて」という意味
物語の舞台は、インドのムンバイ
看護師として働くマラヤリ族のプラバ(カニ・クルスティ)は、見合い婚をしていたが、夫はドイツに出稼ぎに行ったまま音沙汰がなかった
彼女は後輩看護師のアヌ(ディビヤ・プラバ)とルームシェアをしていたが、彼女には良からぬ噂が立っていた
それは、ムスリムの男性と交際しているというもので、ヒンドゥー教一家のアヌとしてはあるまじき行為だった
ある日のこと、プラバの働いている病院の調理師パルヴァティ(チャヤ・カダム)から相談を受けたプラバは、知り合いの伝手を頼って、弁護士のデサイ(Bipin Nadkarni)に会いにいくことになった
パルヴァティはアパートの建て替えのために立ち退きを要求されていたが、弁護士は今住んでいるアパートの居住照明が必要という
それを知る夫はすでに他界していて、弁護士は「書類がないと居住を証明できないので裁判すらできない」と告げた
そこでパルヴァティは、なす術もなく地元の村に帰ることになった
物語は、パルヴァティの引越の手伝いのためにプラバとアヌがラトナギリの農村を訪れる様子が描かれていく
パルヴァティ同様にプラバもアヌも田舎の出身だったが、アヌは「いまさら村では住めない」と思っていた
プラバは帰らぬ夫を待つ身でありながら、勤務先のマノージ医師(アジーズ・ネドゥマンガード)からアプローチを受けていたが、道を逸れることなど微塵にも思っていない
彼女は生活を大きく変えようとは思っていなかったが、パルヴァティの引越やアヌの恋愛を見ていく中で、ある想いを抱くようになっていた
映画の後半にて、パルヴァティの村にて、ある男(Anand Sami)が海から救出されるのだが、なぜか医師の家にいる老女(Shailaja Shrikant)は2人を夫婦だと思い込んでいた
男は海難事故か何かで難破していて記憶を失っていたが、夫婦で思われていることを知るとプラバにそのことを確認してきた
プラバは即座に「違う」と否定するものの、その後彼女は、男を夫に見立てた妄想をしていく
この一連のシーンが妄想と分かりにくいために「実は夫だったのでは?」と思えてしまうのだが、シーンとしては「プラバが窓際に立って語り、最後のセリフは無人の背景で完結する」という演出になっていた
プラバとしては、妄想の中で現実を壊すことが唯一の光となっていて、それが原題の意味へとつながっている
タイトルには、アヌやプラヴァティも含めた「私たち」という言葉が使われているように、彼女たちの年齢と立場によって、それぞれが「光(希望)」と想像するものが違っているとも言える
アヌは未婚で若く、プラバは既婚で中年層、プラヴァティは死別で壮年となっていて、それぞれが向き合う問題も違っている
そんな中でも、アヌは恋愛や結婚を光だと感じ、それは自由意志が尊重されることだと言えるだろう
そして、プラヴァティにとっては、結婚や子育てはすでに過去のものであり、どのように死んでいくかを考える年頃となっていた
元々は夫と過ごした場所で死ぬことを望んでいたが、それは大いなる意志によって阻まれ、自分が生まれ育った場所へと回帰することになった
彼女にとっての光は、書類で形式的に存在する空間ではなく、命を感じられる場所だったと言えるのかもしれない
そんな2人の行動に揺れるプラバは「現状を変える気はないように見えるものの、2人の変化によって意志が変わろうとしていた」と言えるのではないだろうか
彼女が現実に戻って同じように変化をもたらすのかはわからないが、これまでにしたことのない電話をしたように、少しずつ行動へと結びついていくのではないか、と感じた
いずれにせよ、観念的な作品となっていて、冒頭のモノローグが登場人物とは関係なかったり、劇中で婚活サイトで金持ちの男性の本音がアヌの想像で語られたりしていた
これらはムンバイにおける大衆の総意のように紐づけられていて、その中でも3人の女性を中心に描くことで、結婚におけるインド女性の苦悩というものをクローズアップしているように思えた
「Imagine」という言葉を選んでいるように、現実とは切り離される想像というものが光に直結しているのだが、それが現代のインド女性の抑圧のベースになっているように思えた
そう言った意味において、現実的な解決はしていないけど、心の持ちようによっては心理的な解放を得ることができるとも言えるので、それが救いに繋がっているのかな、と感じた
眠くはなるが、新しい一歩を踏み出そうとする姿は感動的
実はこの映画、最初に観たときに映画館でがっつり寝てしまった。あらすじでさえわからないくらいに。モヤモヤが残っていたし、猛烈な眠気に負けてしまったことも悔しくて再度鑑賞することにした。再度鑑賞しても思うのは眠りに誘う映像だということ。序盤の淡々と進む感じや、後半であっても少し長いと感じる間があったりで気を抜くと寝てしまう。眠気になんとか耐えてリベンジを果たすことができて安心した。
さて内容だが、インドのムンバイに住む三人の女性の物語。のはずなのに、冒頭で出てくるのはその三人とは関係のない男女の語りだったりする。ここらへんがわかりづらい。ムンバイという都市に住む人々のことを描こうとしているということなのか。他にもストーリー展開が親切ではない。少したってから、あぁ、そういうことなのかと理解する感じ。浜辺で助けた男性と過ごした夜のくだりも、まぁわかりづらい。他の人のレビューを読んで、やはりそうだったのかと納得した。流れてくる音楽や映像はそれなりにいいと感じただけにもったいない。
ただ、個人的にはそんなに低評価にもできない。ムンバイで暮らす女性たちが抱える閉塞感や生きづらさを完全に理解できるわけではない(インドの宗教観とか文化をちゃんと理解できていないから)が、居場所を見つけようとしたり、新しい一歩を踏み出そうとする姿は感動的だ。あの最後では今後の彼女たちに大きな変化が待っているわけではないのだろう。でも、古い慣習やしがらみに縛られずに前に進もうとする彼女たちが楽しそうでとてもまぶしかった。二倍の料金を払ってまで観る価値があったのかは疑問だが、少なくとも自分の中にあるモヤモヤを解消できたので満足している。
孤独な人を映し出す鏡のような輝き
夕闇の中、インドの都市ムンバイの地下鉄で運ばれていく人たちに、無名の人たちのモノローグが重なる。「都会の暮らしは決して安住できるものではないが、人が集まる場所に私たちは希望を見続けてしまう」(大意)。この冒頭だけで引き込まれた。
高架を走る電車(上に架線が走っていないから地下鉄仕様なのだと思う)の「むき出し感」や、夏なので窓が開いた団地の家々を覗き込む感じが、見知らぬ人の人生を垣間見る映画のテーマを予告している。
看護師である主人公プラバは、良くも悪くもまじめで「堅物」といえる働きぶり。後輩の看護師が胎盤の処置に弱腰なのを叱り、中年女性のパルヴァディが地上げ屋に追い出されそうなので一緒に弁護士に相談して抵抗する。ただ、他人のために動けても自分のためには動けない。連絡が取れない夫との関係にしがみついているが、よりを取り戻したいのか、きっとプラバ自身もよくわからない。
ルームシェア相手の若い看護師のアヌは対照的な性格。宗教の違う恋人と、半ば公然とデートを繰り返している。プラバはそれをとがめるでもなく、新しい恋のチャンスをつかもうとするわけでもない。ただ、見ている側は「プラバの幸せとは何なんだろうか」をじわじわと意識させられる。
後半はパルヴァディが海辺の田舎に帰ることになり、プラバとアヌの2人も見送るため同行する。アヌはちゃっかり恋人と逢引きするのに対し、プラバも海で年上の男性を人命救助するという事件が起こる。
この男性に寄り添うなかで、プラバの脳内でドイツにいる夫が重なってくるのだ。許しを請う夫に、プラバはきっぱり別れを告げる。
重苦しい展開の中でようやく「光」が差すようなシーンだったが、これは果たして希望だったのか、それとも断念か。
思うに、アヌのような人が都会に「光」(たとえ幻想であっても)を見つけようとするのに対し、プラバは本来そういうタイプではない。アヌの言葉で言えば、洞窟の中で「何かが起こるのを待っている」女神のような存在。ちょうど鏡のように、孤独な人の思いを映し出すことで輝く。
プラバが都会の光を浴びるとき、また誰かの横に寄り添うとき。プラバ自身の中に何か大きなことが起こるわけではない。しかし人どうしが照らし合うような、希望と闇が交錯する時間が流れる。それをそのまま映し取ったような映画だった。
付け加えるならば、冒頭の魅力的なモノローグにつながるような、またプラバの未来を暗示するようなラストがあってもよかったと思うのだが。
インドで生きる女性の生きづらさ
どんな状況でも光は差す
2024年カンヌ映画祭でグランプリ(審査員特別賞)を受賞した、パヤル・カパーリヤー監督作品のインド映画です。原題はAll we imagine as lightです。是枝裕和監督が「傑作だ」としているのを見て、興味を惹かれました。
インドのムンバイが主な舞台ですが、都心の超高層ビル群と、そのまわりの古い町並み、割と空いているきれいな地下鉄と、満員のきれいとはいない通勤電車。郊外の窓のしまらないアパート。ムンバイの南にある、自然の中で用を足す田舎町のラトナギリ村。ヒンディー語が苦手なマラヤーム語話者。貧富の差。男尊女卑の社会。50ルピー(85円くらい)のとれたての鯖…。と現代インドのリアルがわかる映画になっています。韓国のいまがわかる、ポン・ジュノ監督作品の『パラサイト 半地下の家族』が、カンヌでパルム・ドールを受賞したのは2019年でしたが、こういったその土地固有のものを紹介する映画が受賞する傾向にあるのでしょうか?
個人的にはそれほど心に響かなかったですが、マノージ先生の詩が妙に心に残っています。たしか、光についてのものだった気がします。
インド映画お約束の踊りは、最後ではなく、映画の途中で少しだけですがでてきます。
ラストシーンが、どんな状況でも光が差すことはあるということを象徴している気がして、美しかったです。
全118件中、21~40件目を表示














