私たちが光と想うすべてのレビュー・感想・評価
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社会のルールと友情の連帯
舞台は人があふれている街、ムンバイ。
アクション、ミュージカルがなく
今までにないインド映画。
青い夜と光の表現が素晴らしいです。
言葉では説明できない映像美。
とくにラストの店の灯りにぐっときました。
突然送られてきたドイツ製の炊飯器も強制的に
良い女性象として存在しているのが印象的。
家父長制、家族の呪縛などインドのリアルを
静かに映しつつ、大都会での孤独に共感。
自由とは?恋愛とは?
世代が違う女性3人が抱える葛藤と不安。
三者三様の生き方に希望が見えました。
“都会は人から時間を奪う”
上京組としてこの言葉が忘れられません。
女性監督が描く幻想的な世界観に感動。
これからも応援しています。
よく分からなかった…
微かな光を求めて
あくまで「少数意見」として
劇場で一度、見るともなしに見た本作のトレーラー。何となく気になって後で確認してみると、第77回カンヌ国際映画祭グランプリ作品(しかもインド映画初)であり、更に米国映画レビューサイトの評価もかなり高い。と言うことで期待を膨らませ、公開初日にヒューマントラストシネマ有楽町にて鑑賞です。実際に客入りも上々で、改めて本作に対する期待の高さが伺えます。
訳あって夫と離れ単身、ムンバイで看護師として働くプラバ(カニ・クスルティ)は同僚のアヌ(ディヴィヤ・プラバ)と共同生活をしています。なお、劇中においてアヌはプラバを「(字幕上)お姉さん」と呼びますが、これは単に両者間における呼称であって血縁関係はありません。(ちなみに本作この他にも、特に説明はされず判らなければ「観ながら解釈(言語、宗教など)が必要」な点が少なくないため、案外集中力が試されます。)確固たる後ろ盾や保障もなく、一労働者としてしがなく働きながら生活する彼女たち。普段から口数少なくて日々を無難に過ごそうとするプラバと、要領が良くマイペースで時に大胆さも垣間見えるアヌは一見対照的な存在。ところが、女性一人で生きていくには不利な点が余りにも多いインド社会において、物語の大半はこの二人にまつわる「男女関係」に関わる内容で、画から感じるイメージ以上にドラマ性が強く、地味でありながらも葛藤の連続。プラバ&アヌを演じる、カニ・クスルティとディヴィヤ・プラバのイメージ通りで的確な演技も相まって、二人の人生から目が離せなくなります。
ところが、、、如何せん、ストーリーとしてはいまいち面白みに欠け、寝不足もあって眠気に抗うのに必死。そもそも恋愛事に対する高すぎる難易度設定(既婚、宗教など)は、折角の現実感の高い背景よりもまさって、むしろ「インドである意味」が記号的になり、ひいては形骸化されてしまっているように感じます。また、中盤までのリアリティを一気にひっくり返す、本作の要=後半のファンタジーな展開は観ていて驚いたものの、やはり納得度と言う意味では強引すぎてやや無理筋。何なら最早「看護師」であることすら。。
まぁ、ケチを付けるのはこれくらいにします。何せ、カンヌグランプリで是枝さんを筆頭に絶賛評も多いわけですから、あくまで「少数意見」としてお取り扱いください。個人的な好みの問題と言うことで、何卒悪しからずご容赦ください。
静かに、でもはっきりと表明されるプラバの「NO」
こんなに静かな語り口のインド映画は初めて観た。もちろん世界に冠たる映画大国だから歌い踊り闘う以外の作品もあるのは当然なんだろうけど。長編第一作とはいえ、俊英女性監督の脚本、演出ということで、なかなかの切れ味を隠し持った作品だった。
プラバは医者や同僚からも頼られる優秀な看護師である。また時として家賃を踏み倒されながらも後輩のアヌとルームシェアし、病院で賄い婦をしているパルヴァディが家を追い出されそうになれば相談にものってやる頼れるお姉さんでもある。
でも、彼女がモヤモヤしているのは、ドイツにいる夫のこと。元々、夫とは勝手に見合いさせられ、よくお互いを知らないうちに結婚させられたのだが、ドイツの工場で働くうちに最近では電話一つよこさなくなった。
この夫がいきなり電気炊飯器を送りつけてくるエピソードがある。この炊飯器が赤色で〜私は小津安二郎の映画の茶の間や台所に配された挿し色を連想したが〜言ってみれば妻を家庭に縛り付けておきたいという夫からのメッセージにみえる。まあとんでもない野郎なのだが、映画のこの段階ではプラバはこの炊飯器を抱きしめて泣き崩れるのである。
ただ、アヌやパルヴァディとともに苦境をくぐり抜けていくうちにプラバはだんだん強くなる。そしてパルヴァディの故郷の海沿いの村で過ごすうちに、海から上がってきた(何か怪獣みたいだけど)夫、もしくは夫の幻影と対峙することとなる。プラバは、溺れて怪我もした夫の命は助けるが、彼を受け入れることははっきり「NO」という。
映画の前の方で出てくる、恐らくはプラバに惚れた医者もそうなんだけど、彼らが利用しようとしているのはプラバの母性であったり包容力であって、ブラバの人格や職能を評価、尊敬して、対等な関係で愛し合うということではない。そこがブラバには見透せたので「NO」ということになったのだと思う。
近年のインド社会の状況はよく知らないけど、インドでも中国、韓国でも、そして日本でも、アジア的な夫婦の関係というのは似たりよったりだと思う。そこに一石を投じている気持ちの良さはあるよね。
そうそう、最後の海辺のバー(といっても海の家に電飾している程度なんだけど)の映像の美しさは素晴らしいです。ここだけでも観に行く価値はあるよ。
人はそれぞれ思い通りに行かなくたって、時は経過していくもの
主要な登場人物たちはそれぞれが、思い通りにならない人生を送っています(海外に仕事で行って連絡もおぼつかない夫・信仰が異なる男女・【名前】の無い女性など)。
かなり深い問題で、どうすれば解決するのか糸口も掴めませんが、いつも降り続けている(感じがする)ムンバイの雨のように、劇的に何かが変わってはくれません。
それでも時間は誰しも同じように過ぎて行って、それに伴い人の意識も同じところに留まり続けるのではないのかな?そんな印象を与えてくれるような作品だった気がします。
都市から地方へ移動して、海を身近に感じたら、何となくですが心が穏やかになったのかも。
何かが起こる訳ではないので、一点集中して観るよりも、風景なども含めてスクリーン全体をぼんやりと眺めて空気感を味わう、それが良いのかもしれません。
現代を生きている者の一つの普遍的人生観
インドのリアルな日常
青と夜に包まれたシスターフッドな関係
インドのムンバイで看護師をしているプラバと、年下の同僚のアヌ。境遇も性格も対極にあるルームメイトの2人が、故郷の海辺の村へ帰る事にした病院の食堂に勤めるパルヴァディを見送る旅に…
観ていて気になったのは色彩。女性達が着る看護師の服や家の壁、列車やバスの内装、後々登場する男性の服、はてはポスターアートなど、至るところに「青」が用いられている。“清楚”なイメージの青だが、「ブルーになる」との言い回しがあるように“憂鬱”の意もある。それはムンバイという都会で暮らす事にどこか閉塞感を感じている女性達の心情と捉えられる。その青をスライドさせるかのように印象に残るのが「夜」のシーン。ムンバイだったり後半の舞台となるパルヴァティの故郷の田舎町での夜は、どこか青みがかっているも、それを無にするかのように暗闇に浸す。
インドで暮らす女性が直面する現実。それは厳しくもあり孤独でもある。それでもプラバとアヌ、そしてパルヴァディは、年代は違えどいつしかシスターフッドな関係を築き、逞しく生きていくのだ。
現代インド都市生活を描く傑作
ムンバイの大病院。ベテラン看護師のアヌーはヨーロッパへ出稼ぎに出た夫の留守を守って忙しい日々を過ごしている。若い同僚でルームメイトのプラバは独身。二人は少し齢が離れているがなぜか気があう。アヌーはすでに病院では中核で、若い看護師を指導する立場にある。プラバは仕事の手を抜くこともないが私生活の充実にも熱心で、つぎつぎボーイフレンドを取り替えては遊び回っている。アヌーはそうしたプラバの生き方にかすかに苛立ちを感じるが、生真面目な自分の人生には起こらなかった楽しみを軽々と手にするその姿に、羨望を感じてもいる。あるとき二人が休暇を合わせ一緒に海辺へ旅に出ると、二人の前に不思議な出来事が起こり始める。
2024年のカンヌでインド映画として30年ぶりの大賞にかがやいた名篇です。ムンバイを舞台に現代インドの都市生活がていねいに描かれていて、湿度の高いざらりとした手触りの夜を描写する手つきは、たいへんみごと。二人の旅行が始まってからの、日常生活の延長上にひっそり夢のようなことが混じり込むのも、グル・ダッドやサタジット・レイにさかのぼるインド映画の素晴らしい伝統です。どこの部分もよくできているのですが、とりわけ終盤は嫋々たる美しい余韻を残します。
これも日本で早く公開されてほしい作品のひとつですね。
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