新世紀ロマンティクスのレビュー・感想・評価
全35件中、21~35件目を表示
炭鉱都市大同が、観光都市になるまで。
「6才のボクが、大人になるまで。」の中国版とでもいうのか。
だがあくまで主役は登場する男女ではなく中国都市といったところ。
本作は、監督が22年かけて撮影したフィルムを再構築したもので、本筋の男女の物語においては殆ど台詞もなく、ほとんどの映像はドキュメンタリー未満の記録映像のようだ。おそらく中国の街並みに興味が無ければ眠くなる。二度と見ることのかなわない炭鉱街が廃れていく様子、そして急速に発展していく映像は個人的には興味深く見られた。
主役の女性チャオを演じるのは監督の妻だが、殆ど化粧っけもなく、台詞がほぼ無いこともあいまって演じている感が少ないので余計に物語みがない。別れた男女が数十年後に再会してまた別れるだけの話と言えばそれだけだが、今まで積み重なってきた中国の歴史や様変わりした景色との相乗効果でやたら感動的に見える。この時代を実際に現地で生きていたらもっと迫る物があるのだろう。
しかし毛沢東の肖像画についての説明が出てきたほかは、中国の政治的な側面について殆ど説明が無く、そのあたりを入れればもっとわかりやすくなるだろうと思う反面、やはり検閲が厳しくて無理なのかと邪推せざるを得ない。
ハッ!
2000年以降、急速に発展していく中国の勢いが、ジャ・ジャンクーの映画によく出てくる超絶ダサいダンスシーンに象徴されますが、それが今や謎のおじいちゃんインフルエンサーのジンギスカンとなり、時代の変化を感じます。私もビンと同じく時代についていけず、昔のほうが良かったなあとついつい思ってしまいました。
人も街も社会も変わっていき、変わらないのは宇宙飛行士の像くらいでしょうか。変化することへの寂しさはもちろんありますが、それだけではない、なんともいえない複雑な気持ちになりました。
セリフは最小限に抑えられ、変化していくことのなんともいえない気持ちを表せるのはさすがジャ・ジャンクーだと思いました。
21世紀の中国社会
決して格好いい分けじゃないけど格好いい・・・
断片的で、悲哀に満ち、ノシタルジック、でも偏った社会体制、でも自由気ままに楽しんでそして生き抜いていく人々・・・
正直、壮大で入り組んだ内容に辟易しますが、しっかりとした素晴らしい映像にセンスある音楽が乗せられ格好いい絵つなぎに魅せられて、最後はちょっとセンチメンタルな感じに─
製作期間22年というか、過去の作品を生かしつつ、新しい映像を加えて歴史絵巻のように仕上がっていた印象。
最初は、よく分かんないし、単に撮りだめていいところどりで或いは余ったところをつなぎ合わせた怠惰な作品なのではなんて失礼な思いつきも・・・でも徐々に質や作り込みなんかを噛みしめているうちに、素晴らしいアイデアと創作意欲に満ちた作品なのでは!?と感化されたような気がします。
嫌なくらいに中国らしさを感じつつ、普遍的な人間性も感じることができて格好良くてしかも感動的─。正直まったく面白い作品だとは思えませんでしたが、素晴らしいなぁと思っちゃいました。
抗し難い無常感に激しく感動する
ジャ・ジャンクーが22年の歳月をかけて俯瞰する21世紀の中国🇨🇳。21世紀初頭から現在まで劇的な変貌を遂げた中国🇨🇳を、ひとりの女性・チャオの人生の変遷とともにとらえた。
2001年、炭鉱産業が廃れ失職者で溢れかえる山西省・大同。2006年、三峡ダム建設のため100万人以上が移住を余儀なくされた長江・奉節。コロナ禍の2022年、マカオに隣接する経済特区として発展する珠海、そしてすっかり都会になった大同。
壊れゆくもの、消えゆくもの、再構築され生まれ変わるもの。その抗し難い無常感に激しく感動する。
主人公チャオを演じたのは監督の奥様、チャオ・タオ。彼女の実際の24歳・29歳・45歳の姿が変わりゆく中国🇨🇳とリンクした。
懐かしのジンギスカ~ン♪
21世紀初頭からコロナ禍までの20年あまりの間で急速な発展を遂げた中国の姿を背景に、1人の女性チャオ(チャオ・タオ)の半生を描いた作品でした。チャオはラストで気合の叫びを上げた以外は、ひと言も声を発しないという面白い設定。彼女ははじめ宣伝モデルをやっていましたが、日除けのためにカーディガンを頭の上に掲げた姿は、何となく鈴木晴信の浮世絵っぽい風情でした。そんな話はさておき、彼女の恋人であるビン(リー・チュウビン)は、彼女を置いて新天地に青い鳥を探しに行ってしまい、取り残された彼女が艱難辛苦を交わしながらも1人で強く生きて行くというお話でした。
そんなチャオの話ではあるものの、注目せざるを得なかったのは中国の発展。序盤に登場する山西省の大同は、まだまだ鄧小平時代を想起させるような風景でしたが、チャオが1人で旅する世界最大の水力発電所である三峡ダムの建設現場は、まさに古き物を壊して新たな物を構築するスクラップ&ビルドの真っ最中でした。そして終盤に再び出て来る最近の大同は、ロボット店員が活躍するショッピングモールが出て来てロボットとチャオがコミュニケーションするなど、序盤に出て来た大同の姿とは雲泥の差でした。
ここだけ切り取ると中国政府の宣伝映画の要素もたっぷりあるという気もするものの、前述の通りビンと離れ離れになってからチャオ自身は1人で暮らしていて、何か国全体の飛躍的な経済的発展ほどに、彼女の経済生活が向上したとは思えませんでした。ただ、青い鳥が見つからず大同に戻って来たビンと出会ったチャオが、一旦後ろ(過去)を振り返ったものの、踵を返して前(未来)を向いてジョギングの隊列に加わって気合の叫びを上げて終わるところは、国は国、個人は個人で別々のベクトルで成長したことを描いていたのかなとも感じたところでした。
あと印象的だったのは都度都度掛かっていた音楽。中国版の懐メロや演歌みたいな歌から、ディスコミュージックやロック調の曲、さらには懐かしの「ジン、ジン、ジンギスカ~ン」まで、選曲のセンスが中々スマートでした。
いずれにしても、中国をメインターゲットにしたトランプ大統領による関税攻撃も、あの手この手で華麗にかわす大国・中国の余裕すら感じられた作品でした。
そんな訳で、本作の評価は★4.0とします。
“薄幸顔”チャオ•タオのチャーミングな笑顔に注目 ジャ•ジャンクー監督の渾身のアクロバットに刮目せよ
私は’00年代の頃に仕事の都合で何度か中国に出張したことがあります。この作品の前半部分と時代が重なりますが、舞台となっている3地域を訪れたことはありません。行ったことがあるのは日本人の一般的な出張地である上海、北京、深圳あたりですが、行くたびに彼の地のスケール感や変化のスピード、日本の常識が通じないところ等を感じ、いろいろと面白かったです。朝食前にホテルを抜け出して散歩に出かけたら、近くの公園で年配の方々が集まってとても楽しそうにダンスしているのが見えました。高層ビルが立ち並ぶ深圳のビジネス街、そのうちのビルのひとつで会議してたら、突然、原因不明の停電が起き、トイレが窓のないエリアにあったので携帯電話の灯を頼りに用を足すハメになりました。何が言いたかったというと、庶民には生活の中にささやかな楽しみを見い出すぐらいの余裕ができたけれど、高度経済成長下にあるとはいえ、中身はハリボテみたいに脆かった、そんな時代だったということです。
さて、本篇はそんな’00年代の始め、新世紀が始まるあたりから、コラージュというかモンタージュというか、皆が歌ったり、踊ったりしている映像の貼り合わせみたいなものを見せてスタートします。その踊りのシーンで目を引く若い女がいます。やがて、その女チャオ(演: チャオ•タオ)が故郷の山西省大同から、男を追って当時の大国家プロジェクトだった三峡ダム建設現場のある長江•奉節に移るという形で物語が展開してゆき、チャオはずっとこの作品を引っ張ることとなります。
そのチャオ•タオですが、日本の往年の名女優 吉行和子さんに少し似てるなと思いました。吉行さんを少し地味めにして、幸せが薄そうな雰囲気を身にまとわせた感じ。夫である監督のジャ•ジャンクーの演出もあるかもしれませんが、彼女はほぼ全篇に渡って幸せが薄そうな顔をしています。ところが、彼女の笑顔はとてもチャーミングなんです。予告編に出てくるロボットに向かってマスクを外して笑顔を見せるというのもなかなかいいのですが、特に幸せの薄さが強調されている感のある長江•奉節編で2度ほど笑顔を見せます。たぶん若い頃に撮ったものを使っていると思われますが、薄幸顔と笑顔の差にドキリとしました。
さて、チャオは経済的成功を夢見て自分のところを去って行った男ビン(演: リー•チュウビン)を追いかけて奉節に行くのですが、結局は別れを決意します。このあたりのドラマ部分をジャ監督はあまり描き込みません。これ以上描き込むと陳腐なメロドラマになってしまって、この20年ほどの中国の変化を見せるという主題から外れてしまうからだと思います。かと言って、ドキュメンタリー方向にも行きません。物語の舞台に三峡ダム建設の地、長江•奉節を選んだ時点で「ははぁ、なるほど」なのですが、ジャ•ジャンクーは三峡ダム建設プロジェクトや政府の成長優先の経済政策について懐疑的だと思います。ダムの建設により、百数十万人が移住を強いられたことや長江の美しい自然の一部が失われたことなどはドキュメンタリーだと十分に表現できると思うのですが、そこは中国、当局の検閲によって日の目を見ないなんてことになったりしたら、元も子もありません。そこで物語の力を借りて、という流れになったと思います。経済的成功を夢見て奉節に行ったビンはそこそこの成功をしてカネも稼ぎますが、裏切りにあったりして身も心もボロボロになって足を引き摺りながら、故郷 大同に戻って来ます。これは経済成長を優先したために払ったとても大きな代償の暗喩だと思います。
一方、チャオのほうは、男を追う女から男をあきらめた女になったわけですが、故郷に戻り、新たな生活を始めます。身も心もボロボロの老けたビンより、断然、若々しく、笑顔もチャーミングです。そして、故郷で再会したビンを「赦す」のです。チャオの人としての大きな成長が分かる瞬間だと思います。
また、ロボットにマーク•トウェインを引用して笑いの効用を説かせるジャ•ジャンクーは、経済成長期によくあった拝金主義を批判して、カネで買えないものの価値を説いているのだと思います。例えば、文化とか、芸術とか、そういったもの。確かに経済成長は必要だったのかもしれないが、そのために大きな代償を払った、そろそろ、もっと心を広く持って文化とか芸術とかに思いを寄せていったらどうかという、映画作家ジャ•ジャンクーの提案が見えるような気がするのですが。いずれにせよ、ドラマとドキュメンタリーのバランスを取りながら、ちゃんと中国国内での公開が可能な作品に仕上げ、かつ、メッセージはそれとなく伝わり、映画的興趣もそれほど損なわれていないーーこの作品はジャ•ジャンクーのアクロバット的な力技の結果だったと思います。
最後にラストシーンの件。未来に向かって歩を進めようというポジティブなメッセージがあるように思いますが、あなたはひとりではないという意味もあり、日本人の集団主義的な考え方と共通点があるのかなと思いました。欧米だと個人主義や多様性の方向に向かうと思いますが、やはり、東アジアの農耕民族同士、いつもは常識がまったく違うと言っておきながら、こんなとこに共通点があるんだと感じられて面白かったです。
予習して下さい
ジャ・ジャンクー監督の作品「青の稲妻」(2003)以降の作品が時系列でピックアップされて、ヒロインたるチャオ・タオの人生と21世紀四半世紀の中国の変遷を重ね合わせた稀有なる作品です。
1977年生まれの一人の女優に「夫を探し続ける」(「長江哀歌」の設定)という役を20年に亘って背負わせ、若い時代(22、23歳)から現在の40代に至るまでを「記録」し続ける執念。
だからラストのコロナ禍、スーパーマーケットでロボット相手に微笑んで、マスクを外してその年輪を刻んだ顔をアップで見せるのです。
ラストのマラソンは習近平体制の波に呑まれていくしかないのか、という現状を示唆しています。
ドキュメンタリー+劇映画
分からないにもほどがある👊お国の人は共感できるのかな😵💫
冒頭30分で完全に置いてきぼり、男のドロン後の近代化の変遷を描きたいようだが、挿入カットやエピソードの全てがチンプン😮💨フェリーの弁当、麻雀屋とネコババ?、教会のお祈り、チンピラ乱闘とキリがないし、ラスト前のtiktokは風刺のつもりなら出来が悪すぎる
男はてっきりヤクザ風の弟分チンピラと思ってたら大間違い😅何のために出てきたの?女は当初追いかけてたし、連絡はある程度取れていたのだろうし、お金もそこそこあったということ!
男も飛行機乗るくらいだからビンボーではない→その前の愛人?の持ち逃げ?エピソードも謎だらけだけど…
細かい内容があまりにも苦痛で思い出せない😅
ラストのマラソンは自立、旅立ちのつもりらしいのでストーリーが1割でもマトモなら許せただろう
なお上映館のレビューではラブストーリーとの触れ込みです、悪いことは言いません、日本人なら見るのやめときましょう
中途半端なドラマならいらない
2001年中国は山西省の大同という町で暮らすとある女の5年後と更に16年後の話…?
とりあえず、炭鉱産業が廃れ失職者で溢れかえる2001年の大同の、市井の人々をドキュメンタリーだったりドキュメンタリータッチだったりで次々にみせて行き、ドラマらしきものは見受けられず…と思っていたら、あれ?この女性さっきもいたね…となり、なんとな〜くドラマっぽいものが。
そして時間と場所が変わったのはわかったけれど、中国の近代の事情や地理に明るくないと分かりませんな三峡ダムの行。
正直、あらすじ紹介を直前に読んでいなかったら置いてけぼりだったこと間違いない。
というか読んでいて、捜しているのはわかっても、どういう関係でどういうこと?ケンカ別離したけどやっぱり?
そもそもの2001年の炭鉱云々による失職も良くわからんし…。
自分がこの作品の始まりと同時期&その10年後に、別都市だけれどたまたま中国に数日ずつ訪れていたので、世情みたいなものに多少の興味や理解があったけれど、中盤以降ドラマパートが増えていき、むしろ徐々に面白味が薄れてしまった。
判断できず…
全35件中、21~35件目を表示