サブスタンスのレビュー・感想・評価
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デミィムーアとは同い年なんですよね。
女の中にいる女
サブスタンスの意味を調べたら「本質、実質、内容、趣旨、要旨、意味」と出てきた。映画ではものの中身を指していると思うが、たんに中身のことではなく「あの人は若くてきれいだが性格はどうか」と考察したばあいの中身、美しい外見をもったものの中身のことだと言える。
映画はいいが想定より30分長くてフランクへネンロッターみたいな蛇足がついている。それは個人的に悪くなかったが大舞台に立ったところでサクッと終わったらもっと上品だった。
アンディマクダウェルの特徴は天パーだったがマーガレットクアリーの顔はGroundhog Dayのころの母アンディを彷彿とさせた。父親はモデル業だったそうでそこから生まれたクアリーはAIでエンハンスされたかのよう。顔も身体もAI、全身がアドバタイズメントでじっさいケンゾー、シャネル、ラルフローレン、セリーヌ、ケイドスペードなど数多のキャンペーンやアンバサダーに登用されているそうだ。
そんな優れた肉体資本をもつスー(クアリー)はエリザベス(デミムーア)から生まれたといえるがエリザベスは母ではない。二人は一体でスーは本来の自分である老いて醜いエリザベスに憎しみを抱く。エリザベスとスーが同一人物であることから、スーがエリザベスに、エリザベスがスーに抱く憎しみは自己嫌悪のことを示唆している。
よってサブスタンスが言いたいのは若さと美しさにたいする飽くなき執着心と、自己嫌悪であろうかと思う。
だから映画の白眉はかつての恩師フレッドとデートを約束したエリザベスが、こみあげてくる自己嫌悪によってデートをすっぽかすシークエンスだろう。
スーの出現で自信をうしなったエリザベスは未だにじぶんのことを「君は変わっていない、今も世界中でいちばん美しい女の子だよ」と言ってくれたフレッドを謂わば利用して立ち直ろうとする。で、デート前にすっかり着飾って化粧して、出かけようとしてスーを見る。その美しいなりをみて化粧を直す。また出かけようとしてスーのポスターを見る、鏡面のようなドアノブに映ったじぶんの顔を見る、また化粧を直す。時計を見る。この一連のシークエンスがいちばん深淵で怖くできていて、ムーアのGG受賞も頷けた。
おそらくわたしたちにも、まったく決まらないじぶんの外観に失望して外出をあきらめる、というようなことはあったと思う。(もちろんそんなことはまったくなかったという人もいるだろうが。)
こういった高尚な描写があるわりに、映画はバスケットケースみたいな30分余計なモンスター譚が付いてくる。繰り返しになるが30分前に終わっていたらブラックスワン風の傑作だった。しかし狂乱のサスペリアみたいな蛇足もそれなりに楽しかった。
器量と身体は人によりまた時宜により資本として運用できるばあいがある。たとえば港区女子。東京で若い女でそこそこな顔立ちをしていて、その気があれば誰かと飲んだり食事するだけで収支がプラスへ転じる。そんな日々が1年2年3年4年5年6年・・・月日が経つとだんだんかつては楽しかったギャラ飲みの居心地が悪くなる。男は寄ってこないし若い子は敬語をつかうし稼ぎも減るし、よしんば稼いでも気分はいっこうにはれない。なぜなら港区女子の生命はちやほやされることだから。三十路になり理屈っぽくなり二十代じゃ残らなかった酒が残るからウコンを常飲し、なによりいっこうに男が釣れなくなる。ちやほやされなくなった港区女子は死んだも同然。昔からある話でティファニーで朝食をだってそういう話だ。金蔓を見つけられなかったら方向転換するとか田舎へ引っ込むとか、どっちにしろ都市のパーティガールはやっていられない。金蔓にも巡り会えず、容色も衰えてエロス資本に頼れなくなると、過去の栄光にひたるようになる。さながら肉塊になったエリザベスがHollywood Walk of Fameのじぶんのプレートまで這っていったように、プレートに辿り着いた肉塊はかつての喝采を夢見ながら大きく嘆息して消える。
監督のCoralie Fargeatは女性で、これが二作目。長編デビュー作のRevenge(2017)は定型レイプ復讐ものだがimdb6.4という高得点でストリーミングサービスで見た。泥臭くもあり洗練されてもいるのはサブスタンスも共通している。魚眼レンズ、ミニマルな私書箱や心象描写のように長い廊下、デニスクエイド扮する『ハーヴェイ』が海老を食い散らかすシーンなど、カリカチュアに寄せたかと思うとバスケットケース風のモンスターもつくる、予測できないところがこれからも大いに期待できる。
imdb7.2、RottenTomatoes89%と75%
まいりました。おなかいっぱいです。
用法・用量を守ってお使いください
若さへの執着と老いへの恐怖が生む醜悪なスリラー
ゾンビが他人を襲うのではなく、「自分自身」に向かってくるという設定がユニークで、「自分の中の葛藤」が具現化する恐怖をリアルに感じさせる。
特に、「若さ」や「美しさ」を失っていくことへの焦燥、それに抗う自分自身への嫌悪や執着が、恐ろしいゾンビと化す。
日本のテレビではあまり見かけない、スタジオでのフィットネス系ダンスを通じて、表面の「明るさ」や「エネルギー」の裏にある闇を見せており、デミ・ムーアとマーガレット・クアリーのパフォーマンスにも注目です。彼女の魅力と、その裏に隠れた不安や恐怖が作品の緊張感を高めています。
「美しくありたい」「若くありたい」「チヤホヤされたい」という欲望は誰しもが抱えるものですが、それが暴走したときに生まれる醜さや恐ろしさを、ゾンビという象徴を通して描いています。ゾンビが他人ではなく「自分自身」のメタファーであるという点で、“その気持ちが分かる”と感じてしまう不気味な共感も。
所々女性監督
面白いか?…は別として、久しぶりに突き抜けた映画を観た!
女性監督の作品なので、SFX(あえてこう呼ぶ)に関しては
グロテスク<美しさ
であったのがちょっと残念…
ついでに女体描写も
エロ<美しさ
こちらもちょっと残念…
そんなSFX・特殊造形、残念ながら約40年前の'80年代に活躍したSFXアーティスト作品を超えてはいないかな、オマージュも良いけど、現代の技術や素材でしか出来ないアップデート(勿論CG使えと言う事では無い!)も見せて欲しかったですね。
ちなみに、あのプレデターの血液のような薬品の色は「死霊のしたたり」のオマージュですね~
しかし、この役を受けた青春時代のミューズであるデミ・ムーアには天晴れ!!、これで何故アカデミー賞逃した??
ミソジニー(女性嫌悪)にあふれた、えげつない下品な作品
フランスの女性監督コラリー・ファルジャの作品。
女性監督ですか!
なるほどここまで女性の暴力性や美への執着をえげつなく描くのは男性ではできませんねえ。
エリザベスは自分が醜く老いさらばえてもスーの美しさを終わらせることに、なんどかためらう。
エリザベスが耐えららず、スーの大成功を終わらせようとするとき、スーは醜く年老いたエリザベスをこれでもかと打擲する。怒りの爆発はしつこい。
やりすぎだ。
鏡に何度も顔を打ち付け、何度も蹴り倒し、ぶん投げる。
「ああ、このような枯れ木のような年寄りの身体からなぜ、このように大量の血が流れるのだ」はマクベスの台詞。
スーは最後これ以上ない醜い姿になるが、美しいはずの自分の幻影から逃れられない。
徹底している。
まだやるわけ!
It’s me !
これも私なの! ルッキズムはどこにいった。
女性はこのように若さとルッキズムに絡めたとられていたという啓発かもしれないが、このえげつなさは下品だ。
正視できなかった。
2回目のアクティベート、トムブラウンやんと思ってたら皆言っててうけ...
社長には ウンザリ
誰かのミドルエイジクライシスの肖像
過去に女優として活躍し現在は朝の番組のエクササイズコーナーでフロントを務めているエリザベスが、美容のアイコンとしての期限切れを宣告されたことから、謎の療法を使って産み出した分身・スーの姿でキャリアの再生を計る物語。
そっくりさん・クローン・多重人格などをギミックにして一つの体や存在を共有する二重生活の栄華と、リスク管理の失敗の果ての凋落を描く作品は多々ある。本作は二重生活のリスクを生身の体に負わせる形をとっており、その描写も生々しい。
青春映画・恋愛映画で売れた後、キャリアチェンジに迷走する俳優は洋の東西を問わず沢山おり、フィクションの題材にもなっている。男性の場合はコメディとして描かれることもあるが、女性の場合はブラックな物語になることが多く、その点では本作のストーリーには新しさを感じなかった。
これまでのキャリアで幾度も役作りや依存について話題になったデミ・ムーアをエリザベス役に据えたことに最大の意味があるのだろうが、本人は役作りを改造とする周囲の憶測をあまり認めていないし、近年、過去の推され方や過剰なトレーニングをネガティブに語ってもいるので、なんとも意地悪な配役だな、と思う。
エリザベスをルッキズムやエイジズムの被害者とする論調をよく目にするが、エリザベスが本体に戻っている時の過ごし方やスーの行動を見ると、そうとも言い難い。
本作はルッキズムやエイジズム・視聴層の代弁者を気取る商業主義への反発だけでなく、女性達もまたそこから離れないことへの批難もあるのではないだろうか。感情や衝動をストレートに形にしたようなエネルギーに溢れた作品ではあるものの、全方位にネガティブなものが漂いカタルシスがない点は、監督自身がまだまだ懊悩の中にあるのかも知れない。
グロ・スプラッタ描写がくどく、誰も成長しないストーリーはシニカルやユーモアを通り越して下らなく思えた。
ホラークリエイターへの誉め言葉という意味で「二度と観ない」。142分の使い方としてもっと練った作品に出会いたいという意味でも「二度と観ない」。
本作の特殊メイクは、しばらく休業しなければならないほど肌へのダメージになったという話も聞く。その点においても本作にはあまり好感を持てなかった。
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