サブスタンスのレビュー・感想・評価
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ミャクミャク
ホラー作品がアカデミー作品賞?の違和感がぶっとぶほどの傑作でした
冒頭からラストまで一切ダレることない疾走感
単なるスプラッターホラーにならなかったのは人間の持つ欲や偏見を描いてるからなのか
男性から見てもどんどん引き込まれていきます
ラスト近くではあまりにもカオス過ぎて爆笑するシーンもありますが
それさえもポップ、いろんな伏線もすべて回収してのラスト見事でした
抗えない老化に対する行き過ぎた執着や依存性と周囲の価値観
自己VS自己の構図だけでなく もっとも近い人間への嫉妬や羨望
あるいは他者に対する憎悪までも描ききった怪作
デミ・ムーアの今までの人生があるから演じることができた作品なのかも
これは評価されて妥当ですね
他の女優さんではここまでの説得力はでなかったでしょう
後年にもきっと評価される作品だと思います
贅沢なカルトムービーの装いだが
「贅沢なカルトムービー」のような装いで、やりたい放題ながら、不思議と後味が悪くない作品だった。
SFホラーのエンタメ作品として楽しめるが、脚本・編集・製作までもを務めた監督の、そこまでやらなくてもという意地悪演出に、好みは分かれそう。
でも、デミ・ムーアの曝け出し方は、間違いなく一見の価値あり。
<以下、内容に触れてます>
吐く息の臭さまで漂ってきそうな出てくる金持ちオヤジたちの、ミソジニー+ルッキズム+エイジズムの気持ち悪さはその通りなんだけれど、それに付随して、観ている者にサブリミナルで刷り込まれるような「ASMRのように強調された咀嚼音」とか、「汚い口元や食べ散らかしのドアップ」とか「全く美味しそうに見えないフランス料理」とか、悪意見え見えで挑発的な演出が面白かった。
それに対して、運動の場面は常に爽やか。まるで「ほら、あなたも“運動は善で、気ままな食事は悪だ”と思ってるんでしょ? それの行き着く先が、若いスーに嫉妬するエリザベスであり、エリザベスの行為にキレるスーなのよ」と囁かれているみたいな気分になる。
最近、ラジオで上野千鶴子が「自分の老いを怖がるというのは、自分で自分を差別しているということ。老いた人は社会の中から排除すべき存在だと思っているから、自分がそうなるのが怖いんだ」というようなことを言っていて、すっと胸に落ちたのだが、この映画を観ながら思い出したのは、まさにこのこと。
自分を好きになるとか、自分なりの美しさや豊かさの追求とか耳触りの良いことを言っても、他者との比較(差別)の上に立っている限りは、かりそめの幸福感しか得られず、怪しげな美容や健康に関わるビジネスは、その隙間を狙って入り込んでくるのだろう。
醜悪な老体のままで投薬を中止しようとするエリザベスを殺してしまったスーが、よりよい自分を求めて活性化剤を打った結果、モンストロ・エリザスーが誕生するが、彼女を問答無用に嫌悪・排除し、これでもかというくらい返り血を浴びさせられる大衆の姿が象徴的。
監督が「ほら、他人事じゃないよ。アンタのことだよ」と、ホースで水撒き(もしくは、消化器で火消し)をしてきたようなシーンだった。
(でも、何かモンストロ・エリザスー、最初はギョッとしたけど、哀愁と共にちょっと可愛げを感じたのは、その姿に老いた自分自身を見たからかな?…。)
あと、エリザベスに声をかけてきた、学生時代の同級生の男。名刺の代わりに、健康診断の紙を破って、なおかつ水たまりに落としたものをそのまま渡すという、なんじゃそりゃな行動を起こすのだが、現実社会では搾取される側の弱い立場の男が、女優やアイドルを手の届かない高嶺の花として持ち上げながら、実は無意識のうちに性的な対象として見下しているという浅ましさや情けなさを、一瞬で見事に描いた、切れ切れのシーンとして印象に残った。
曲げた脚を伸ばすだけで、死ぬ思いをしたエリザベスが、後半あんなに速く移動できるか?とか、スーのDIYの力量半端なさすぎだろうとか、ツッコミどころはあったが、そこもカルトムービー味として楽しめば問題なし。
ぶっ飛んだ映画でした。
社会風刺とスプラッター!!🔪👵👩🩸
想像以上にホラーでカオス
髄液もらいます
なるべくシネコンの前の方で没入感に浸りたい作品。
監督は短編映画 リアリティ・プラスのコラリーファルジャだった。
設定がユニーク。この女性監督はなかなかのクセモノです。
ルッキズムを直接批判するようなことはしないが、リアリティプラスの延長線上にあるテーマ。自己愛が暴走する。自己嫌悪からヤケ食いする。これが1週間おきに続く。
Elizabeth と Sue が 別人格の母娘にみえてくる。
時間(7日間)で交代しなきゃいけないのに、
もうちょっと夜遊びしていたい娘とだらしのない母親みたい。
母さんの安定液(髄液)をいただくわよ。
我慢して頂戴ね。髄液を抜かれ続ける母体はつらい。
Sue は昨年観たドライブアウェイ・ドールズのマーガレット・クアリー。
こんなに素敵だとは思いませんでした。
ドライブアウェイ・ドールズではわざとイモねぇちゃんを演じていたのでしょうか?
ホントのお母さんは女優のアンディ・マクダウェル。
1994年のバッド・ガールズに出てました。
アクション(親子喧嘩)もなかなかハードでした。
96回アカデミー賞受賞作品鑑賞もこれで一区切り。
一番面白かったです。
メイクアップ&ヘアメイク賞受賞だけに終わったのは コラリーファルジャ監督とデミ·ムーアにしてみれば、ちょっと納得いかないかもしれませんね。脚本賞はあげたい。
ただ、ホラー耐性の無い人には最後はちょっと長くてキツいです。
B級ホラー映画監督からしたら、デミ·ムーアを主演に潤沢な予算とCG技術でこんなの作られたら、たまったもんじゃありません。
エリザベス·スパークル。
あの特殊メイク技術のバケモノの最後はタコ🐙みたいだったので、イザベル・アジャーニのポゼッションを思い出しました。
入場プレゼントのシールにはサブスタンス接種証明書と書いてありましたが、ワクチンじゃないでしょうよ💢投与したら最後。Terminationは観てのお楽しみ。
薬のコマーシャルで最後に決まって流れる文句。
使用法、用量を守って······正しく······ができれば世話はないのよ。
ハイカロリーのぶっ飛び映画
とにかく熱量の凄まじいホラーでありシニカルコメディでもある。
「笑ゥせぇるすまん」的な心理的な追い詰めが、フィジカルに暴走を開始する。
まだ来るか、まだいくのか。
このテのジャンルムービーとしては上映時間も長い作品だけど、ラストまでテンションを更新し続けていく。
クライマックスなんて、ホラーというよりはお祭り。
ワッショイワッショイ。
クレナイだー。
まあ何しろ、この話が立体的に見えるのはやはりデミ・ムーアの存在。
彼女でなければただの「とんでもホラー」だったかも。
ルッキズムやエイジズム、性的搾取がまさに自らの社会的立場と直結する「芸能界」で生きていく人々にとって、今の社会がどういう場所なのか。
大スターになり、その後一線を退いていた彼女だからこそ、今の彼女の存在はまさに主人公エリザベス・スパークル。
当然作品を観た人にはデミ・ムーア自身と重ねられることを知って演じているだろうから、その覚悟は計り知れない。
体型の変化も、新たな自分「スー」との比較で「老い」として「悪」であるかの様に描かれる気分は、(外見を重視する仕事ではない)我々には分からなくてもやはり良いものではないだろうし。
ま、それも役者という仕事の特殊性ではあるけど。
こういう、性的なハラスメントを女性主人公でテーマにすると、どうしても出てくる男性が総じてステレオタイプなバカとして描かれる。
ただ、この話は普遍的な内容を含むんだから、もう少し男性にはバリエーションがあっても良かったな。
唯一の善良っぽい幼馴染みの男性も、結局なんかどんくさい感じだし。
でも、やはり女性は男性からこういう被害を受けてるってのも事実だからな。
私には合わなかった。。とにかく過激。
エロも吹き飛ぶ怖さを体感せよ!
映像、音楽全て刺激的!
ジャンル映画であることの歓びに溢れた作品
本作「サブスタンス」のコラリー・ファルジャ監督はフランス出身の女性監督だ。
同じくフランス出身の「RAW 〜少女のめざめ」、「TITAN/チタン」のジュリア・デクルーノ監督と2人の女性監督が
ジョン・カーペンター監督やデヴィッド・クローネンバーグ監督らが切り拓いたジャンル映画を背負って立つ今の時代のジャンル映画界の双璧となっているのが面白い!
第一幕、第二幕はルッキズムを扱った社会風刺映画の様相で進むが、第三幕でモンスターパニック映画へ急激シフト!!本作は「ヘルタースケルター」でもなければ「パーフェクトブルー」でもなく、「遊星からの物体X」や「ザ ・フライ」のDNAを持ったSF、オカルト、モンスター、ホラー何でも来いの"ジャンル映画"であったのだ!
何かわからないけど取り敢えずルールは守ってくれ!止めとけ!という思いを登場人物はことごとく裏切り、想像を絶する事態になっていく。ルールはいたってシンプル。サブスタンスのキットが、まるでAPPLE製品かのようにデザインされ尽くしたミニマルなパッケージになっているのは極めて今風だ。ルールを破るとペナルティがある。そして破り続けるととんでもないことが起こる。なんてシンプルな映画だろう。
"女性"という身包みを全て失い、最期は自分という仮面と思い出のみが残る。それも次の日には綺麗さっぱり洗い流されて忘れ去られる。強烈な映画だった。
スーを演じたマーガレット・クアリーさんは人工の乳房を装着しパーフェクトボディを表現。まさに求めれるものを身に纏った理想系。美と完璧さを追い求めるとどうなってしまうのか。彼女はまた同じ過ちをおかし、それがモンスターを生み出す引き金となってしまう。
ラストはよくぞここまでやり切った!の一言!
私が観た劇場では2人退場しましたが、まさに狂気!「遊星からの物体X」と「ザ ・フライ」を掛け合わせたかのようなモンスターが血吹雪をあげる。
コラリー・ファルジャ監督も妥協は一切せずに内なるモンスターを解き放ったと語った通り、CGIなしの生身の物体として強烈なビジュアルを放っている。デミ・ムーアもよくぞこの役を引き受け、挑んだと思う。彼女が演じたことによる説得力がこの作品には不可欠だっただろう。
今年暫定一位の力作!!
次作も非常な楽しみだ。
恐るべしコラリー・ファルジャ監督!
サスペンスと思ってたらホラー
サブスタンス
最高にシニカル
エンタメ業界は洋の東西を問わずルッキズム、パワハラ、モラハラが当たり前。特にエイジングは女性に対して容赦ない。男性俳優は活躍できるのに。
そこにデミ・ムーアがプロデューサー兼主演で臨んだ今作。まあ、いろいろてんこ盛りでずっと恐怖と罪悪感に苛まれながら観ていました。
老兵は死なず、ただ去りゆくのみ、とは行かず過去の栄光に縋りたい。特に強烈なスポットライトを浴びていたひとにとっては。それは麻薬の様なものなのかも。
新たな刺激を我々は享受し、消費している現実を揶揄し、エリザベスとスーは崩壊に向かっていく様はもうやめてくれ、懇願するも、ここまで露悪的じゃないと、わからないだろうと、突きつけられて心はぐしゃぐしゃになりました。
デミ・ムーアはステキなのはもちろん、マーガレット・クアリーの魅力が爆発してたのが、ストーリーに痛々しさを余剰させてるのが凄味を増している。
映画としての演出、音響も妙味が効いているので、ぜひ劇場で
ボディ・ホラーの体裁で『サンセット大通り』を語り直した、バッド・テイストの大傑作!
ヤバい、くっそ面白かった!!!
ごめん、『アノーラ』も『教皇裁判』も
面白かったけど、俺こっちのほうが断然好きだわ。
極私的アカデミー賞進呈!!
でも、こんな映画にアカデミー賞出したら
世の中もうおしまいって気もするな(笑)。
でも、よりによって、このテーマの映画で
あれだけ身体張って頑張ったのに、
デミ・ムーアって『アノーラ』の
マイキー・マディソンに主演女優賞で
負けたんだ(笑) それはなんていうか……
現実がフィクションを上書きしてくっていうか……
とにかく、可哀そうに。笑うしかない。
あのとき、ちゃんと「悔しそうな顔をして見せた」
デミ・ムーアはああやって「エリザベスの生」を
まっとうしてみせたわけだよね。
凄まじき役者根性!
僕は心からこの映画を愉しんだけど、
まあ人を選ぶ映画であることは確かでしょう。
個人的に、
●初期のピーター・ジャクソン
●初期のサム・ライミ
●初期のデイヴィッド・クローネンバーグ
あたりがジャストミートな人は、
もう文句なしに愉しめると思う。
あとは、悪ノリしてるタランティーノとか、
悪ノリしてるブライアン・デ・パルマとか、
悪ノリしてるニコラス・ウィンディング・レフンとか、
そういう「ふざけてるけど、お腹にずっしり来るひどい映画」が好きな人は、ぜひ寄ってらっしゃい見てらっしゃい。残念ながら、観客やモチーフをおちょくってかかるような映画は苦手という人は、たぶんこの映画のお客さんではないので避けたほうがよろしいかと。
題材は、ある意味わかりやすい。
「ドッペルゲンガー」モチーフで、
「ドリアン・グレイの肖像」を元ネタに、
「女性の加齢」をテーマに扱った、
悪意と創意に満ちた悪趣味炸裂のやり過ぎ映画。
でも、決してテイストは苦くない。
むしろ、愛と優しさすら感じさせる。
「やり過ぎる」ことで、テーマの「真のえげつなさ」に直面させないで、笑わせてくれる「優しさ」とでもいうんですか?
ちなみに、監督本人の宣言文を読むと、本人にとってはきわめてフェミニズム的な意図を詰め込んだ、頗るつきに「政治的」な映画であることも理解できる。
とにかく、コラリー・ファルジャ監督のセンスが良い。
そして、アイディアが抜群に豊富だ。
出だしだけでも、彼女の発想力にはびっくりさせられるばかりだ。
●割った生卵の卵黄に、くだんの「サブスタンス」を注射したら、黄身がふたつに分離する象徴的なアヴァン。これは、のちの「瞳が分離する」という奇怪なヴィジュアルイメージと相似形を成す。「分離」という現象を端的に表した面白いヴィジュアルだ。
●真上から捉えたショットは、そのまま「ウォーク・オブ・フェイム」の「スター」の設置と変遷を描くアヴァンへとつながる。観客にヒロインの名前をまず覚えさせ、彼女が「スター」設置に遇されるほどの映画スターであったことを理解させ、その栄光が時間とともに失われていくことが物語の「前提」になることを、このアヴァンだけでわからせてくるのだ。
しかも、真上からの俯瞰ショットとそこを行きかう人々、時々訪れる雨という流れは、とある有名な映画のタイトルバックを容易に想起させる。そう、『シェルブールの雨傘』だ。あれもまた、女性の若さと加齢の悲哀を扱った映画だったとはいえまいか。
ついでにいうと、落とされるハンバーガーの描写で、この映画の本質が「バッド・テイスト」と「破壊」と「グロテスク」であることも観客は理解できる。
●ちなみにここで描かれる「ハリウッド」は仮想のハリウッドだ。
ハリウッドとして提示されるヤシの並木道は、実はカンヌ国際映画祭の舞台らしい。
要するに、これはフランスから見たハリウッドの「戯画」であり、「寓話」なのだ。
●場面変わって、TV局の廊下。いろとりどりのカラリングと真っすぐ続くシンメトリーは、われわれに『ネオン・デーモン』(2016)や『ファントム・オブ・パラダイス』(1974)を想起させる。そしてエアロビのレオタードで踊りまくるデミ・ムーアと、彼女がポーズを決めたげっすいポスターの数々!! これ、デミ・ムーアのフィルモグラフィ上最大の汚点であり転機でもある『素顔のままで』(1996)(原作はカール・ハイアセンの『ストリップティーズ』)のセルフ・パロディじゃん!! ここで観客は気づかされる。少なくとも監督はデミ・ムーアに容赦する気など一切ないことを。いや、デミ・ムーア自身のキャリアを徹底的に茶化し倒し、おちょくり倒すつもりであることを。さらには、デミ・ムーアにもそれを受けて立つ覚悟があることを!
●徹底的に強調されるデミ・ムーアの顔のアップと、微細に表面を覆う皺としみ。本当に加齢の描写がひたすら容赦ない。さらには、このあときわめて重要な役割を果たす「背中」の部分が、むき出しになった服によってクローズ・アップされる。
●外に出かけるデミ・ムーアの「背中」を、比較的近くから追いかけ続けるカメラワークは、『ブラック・スワン』(2010)でナタリー・ポートマンを追ったダーレン・アロノフスキー監督のカメラや、『TAR』(2022)でケイト・ブランシェットを追ったトッド・フィールズ監督のカメラを思わせる。女性を主人公とするサイコ・スリラーの近年の定型を、「背中」を強調しながらうまく用いているといえる。
●いきなり事故るデミ・ムーアの描写には、デイヴィッド・クローネンバーグの『クラッシュ』(1996)やアリ・アスターの『ボーはおそれている』(2023)の影が見える。一応、このあとの展開には深入りしないが、ここまで観ただけでも、コラリー・ファルジャ監督のホラー/バッド・テイスト系映画への深い造詣と、ほとばしるアイディア力は間違いなく本物だと確信できるはずだ。
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本作は、ジャンルとしては典型的な「ボディ・ホラー」といってよい。
グロテスクな身体変容によって、精神やアイデンティティまでが揺るがされる様子を描き、「肉体性」の破壊とメタモルフォーズをメインに扱う作品群。
いわゆる、クローネンバーグ監督の一連の作品群とその継承者を指す呼び名であり、最近の収穫だと、ジュリア・デュクルノー監督の『TITAN/チタン』(2021)やアレックス・ガーランド監督の『MEN 同じ顔の男たち』(2022)(『サブスタンス』には、本作の終盤を思い切り想起させるシーンと造形が用意されている)、トマ・カイエ監督の『動物界』(2023)などが挙げられるだろう。
内面の精神的な苦しみを解決するために、外科的な手段が活用されることで、「女性にとっての若さと老い」というテーマが具体的身体性をもって血肉化し、視覚的な「現象」として提示されるという意味では、まさにクローネンバーグの『ザ・ブルード 怒りのメタファー』(1979)や『ビデオドローム』(1982)の後継たる作品といえるし、「二人の自分」というテーマでは、同じくクローネンバーグの『戦慄の絆』(1988)の影響をも感じさせる。
「若さと老い」をテーマとしたホラーとしては、ロバート・ゼメキスの『永遠に美しく』(1992)がなんといっても想起される。ブラック・ユーモア&人体破壊を交えた作りや、主演女優をおちょくり倒す作り(こちらはメリル・ストリープ)、ラスト近くの似た展開など、明らかに本作にも影響を与えているはずだ。他にも、シャマランの『オールド』や『ベンジャミン・バトン』『コクーン』など、老いと若返りをテーマにした映画は昔から数多い。
ドッペルゲンガー系の映画にも、『複製された男』(2013)や『アス』(2019)のほか、結構な数の前例があるはずだ。「エゴ」について常に考える習性の強い欧米人は、ポーの『ウィリアム・ウィルソン』(1839)の昔から、「もう一人の自分」との生き残りをかけた闘争というテーマに、深い関心をもってきた。
さらには「若い女と熟年女の対決」を描く映画も含めれば、本作の前例にはいろいろと事欠かない。
要するに、『サブスタンス』には、多数の霊感源となった作品がある。
だが、数多の先例とは一線を画す形で、製作者たちが特別に念頭に置いているのではないかと思われる名作が、この映画には存在する。
それが、ビリー・ワイルダー監督の『サンセット大通り』(1950)だ。
ここで、『サンセット大通り』の具体的な内容については敢えて触れない。
ただ、両者にはいくつのも印象的な共通点が見いだせると思う。
●映画の内容自体が、主演女優(『サンセット大通り』ではグロリア・スワンソン)の歩んできた半生とパブリックイメージを、そのままネタにしたものであるということ。
●主役の役柄が、往年の名女優で、今では加齢に従って落ちぶれてしまっている点。
●正規の手段ではない特殊な手法を用いて、ヒロインが復権を図ろうとする点。
●「仮想」の夢の世界を構築している第三者(『サンセット大通り』では執事)が手を引いた瞬間に、かりそめの楽園が崩壊するという物語構造の一致。
●ラストシーンの驚くべき一致。
つまるところ、本作は「クローネンバーグの皮をかぶった『サンセット大通り』の再話」なのだ。
これはたぶん僕だけの感想ではないし、書いてからパンフを読んでみたら、案の定、解説の斉藤宏昭氏も同じようなことを述べていたので(笑)、結構当たっていると思う。
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その他、寸感を列挙しておく。
●猛烈に意地の悪い対比、という意味でいえば、デミ・ムーアとマーガレット・クアリーのバストトップの対比(ずず黒い&長い&広い Vs. ピンク&小さい&狭い)も強烈だった。そういえば、なんとなく「分身」マーガレット・クアリーの顔立ちが、『エマニュエル』(1984)のミア・ニグレンを思わせるのは単なる空似だろうか。
あれは、とうの立ってきたシルヴィア・クリステル(といってもまだ32歳)を、全身整形手術で「20歳の処女=ミア・ニグレン」に生まれ変わらせて、ブラジルで新たな性の遍歴を始めさせるという、今考えると『サブスタンス』とまんま同じ構造を持った恐るべき物語だった……。
●デミ・ムーアは、たしかに素っ裸に剥かれたあげく、あとからはラヴクラフト・クラスの特殊メイクまでさせられて、まさに「体当たり」は「体当たり」なんだけど、なんとなくこの人、『G.I.ジェーン』(1997)や『素顔のままで』とか観ても、若干マゾっ気があるというか、強烈な自己破壊願望がうかがわれるんだよなあ。
●デニス・クエイドが、くっそ楽しそう(笑)。
ちなみにクエイドは元ヤク中だったり、双子の子供が薬害に見舞われて訴訟を起こしてたりと、さりげにデミ・ムーアとは別の意味で、けっこうこの映画にコミットするにふさわしい実人生を歩んでいたりもする。
TV局一味は、ちょっと『未来世紀ブラジル』の幹部連中を思わせるかも。
●ひたすら股間を追い続ける品性下劣なカメラワーク、徹底的におっぱいをさらしていく卑猥なスタイル(とくに終盤のラインガール)、きったない食事シーン(とくにチキンと海老)など、とても本場ハリウッドでは撮れないような内容ばかりで、こういうとき清濁併せのむスタイルのヨーロッパ映画産業はホント強いなあ、と。
●終盤の展開については敢えて具体的に言及しないが、クローネンバーグ・テイストの度が過ぎた結果として、ほとんどフランク・ヘネンロッターに近接していて爆笑。しかも『バスケットケース2』(1990)→『バスケットケース』(1982)みたいなwww
あと、大晦日のやりたい放題のアレは、間違いなく『キャリー』(1976)へのオマージュですよね。バカみたいなやり過ぎのロック・サウンドは、ちょっとアルジェント臭もしたけど。
たぶん、この監督ほどの技量と演出力があれば、もっとこの映画を「それらしい」きれいな終わらせ方をすることだって、いくらでも出来たと思うんだよね。それを敢えてメチャクチャにして、やれるところまでバカをやり尽くして、ああやってペーソスを漂わせながら終わってる。これはこれで立派な「見識」なのではないかと。
予想通りのストーリーだが
まず、デミ・ムーア、この役をよく引き受けたもんだ。ややもすれば自虐的になりかねないのに、と鑑賞前に思っていたものですが、鑑賞後では、さらにその思いは強くなりました。日本の俳優ではあり得ないんじゃないかなあ。
ストーリーは予想通り、予告や今までの映画から類推される範囲で進みます。ちょっとした欲望の暴走がどんどん膨らみ、後戻り出来ないところまで行ってしまう。しかし、ギミックが目を背けたくなるくらいに気色悪い。そして、痛さが伝わってきます。これは予想外でした。
ラスト前、エリザベスとスーの間で決着するのですが、そこで終われば物語としてキレイなエンディング、だったと思います。そこから最後は、ギャクパートでした。気持ち悪いのに込み上げてくる笑いを抑えるのに必死でした。
自分は怪作だと思いますが、間違いなく、少なくとも、ラジー賞にはノミネートされるでしょうね。
最後自分の顔引きつってた
2025年劇場鑑賞149本目。
エンドロール後映像無し。
ネタバレしたくないので詳しくは話せないのがもどかしいのですが、元々終盤予測不能な展開とは聞いていたのですが、本当に想定外で、例えば自分は辛いのがそんなに得意じゃないけどまぁ食べられるし、自分から食べる時もあるんだけど、今日は辛いの食べるつもりじゃなかったのに激辛料理だされたそんな感じです。ただ人によっては本当に激辛料理食べられない人もいるだろうし、そういう人はさぞ困っただろうなと思います。
最初はデミ・ムーアが美人だし、スタイルも良くて、この映画説得力ないなぁとデミ・ムーアの全裸を眺めていたのですが、マーガレット・クアリーの若い全裸見た瞬間あっもう全然違うエッロと思っちゃったので負けです。
話自体は笑うせぇるすまんに出てくる喪黒福造の忠告に従わない人らでもここまで忠告無視せんやろ、というくらいタブーを犯しまくった結果起こる悲劇という感じですが、誘惑に弱いというよりアホなんかこの人、というレベルで後先考えないので「もし説明書通りにしなかったらどうなるんだろう」を全部やってくれるのでそっちの好奇心は満たされるのですが、めっちゃ伏線ぽかった手にあざのある男ってあの人であってんのかな、自分見逃しましたかね?あと支払いとかどうなってるんだろう、とか、この薬有効活用できる人ってかなり限られてるよな、少なくとも自分には使えないな、と思いました。
あと説明書の指示が簡単すぎて、日本だと絶対に「分かんない」とか「間違って違う方に刺した」とかクレームめっちゃコールセンターに行くよ!
諸行無常スプラッター
支払方法が気になったが。
一世一代の体当たり演技を見せるデミ・ムーアに
アカデミー賞獲って欲しかったなあ。
そこまでしなくても…と見るのが辛くなる箇所も。
「バスケットケース」リスペクトなのかなあ…?
同時代を駆け抜けたアンディ・マクダウェルの娘
+メグ・ライアンの元旦那が主要キャストなあたり、
なんか無常感…。家まで届けて〜…。
久しぶりにオリジナリティーのある洋画を見れた。
誰も時間からは逃れられない
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