サブスタンスのレビュー・感想・評価
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胃がずっと痛かった
これはハリウッドで精神を乱された女の復讐譚だ
内側から壊されて行き、最後には身を亡ぼす
他人の為にそうなるなんて馬鹿らしくなった最後の逆襲
素晴らしかった。
ずっとずっとずっとずっと中止して元に戻って欲しかった
そうやって一抜けした方が楽になるんだ
ウォークオブフェイムできらりと光った彼女の心
解き放たれることは出来ただろうか
最後には彼女だけがルッキズムから解放された?
(何だかこの解釈もそもそも囚われているようで嫌だ)
やっぱりあの最後にちゃんと自己受容と解放を
分かりやすく描いて欲しかったんだ……
復讐も大事だけどね、
(最後のイヤリングシーンはよかった)
北風と太陽で言えば、
北風のような映画だった。
わたしは太陽の方が好きで、
ボディ・ポジティブを描くような作品の方がすきだ
キーワード「身体を大切に」
美醜と老若がもたらす光と影
当年取って62歳の『デミ・ムーア』の実年齢を勘案すると
笑うに笑えない。
アップになったときの顔の皺、
落ち窪んで小さくなっていく目、
脂肪で膨らんだ腹囲や垂れつつある臀部。
出世作〔ゴースト/ニューヨークの幻(1990年)〕の
28歳の時と比べれば隔世の感があり。
衰えつつある自身の身体をセルフパロディー化し
スクリーンに晒すのは、かなりの覚悟の上だろうと推察。
本作は、彼女の女優魂を
とことん堪能する一本。
とりわけショウビズの世界では
若さがもてはやされるのは古今東西で共通。
過去の栄光を忘れられない往年の大女優の妄念が起こした悲劇は
〔サンセット大通り(1950年)〕でもあるが、
現代的な設定に{ホラー}の要素も加味すれば
このような秀作が生まれるとの見本のような一本。
若返りの見返りに、なにがしかが要求されるのは、
それが悪魔との取引でも通例。
所謂、等価交換だ。
今回は肉体が単純に若くなるのではなく、
自分の身体から若い個体が生み出されるのがミソ。
両方の体を一週間おきに休ませ、
且つその間は栄養分の補給をしながら
母体から吸い取った液体を新たな個体に注入しなければならぬシバリがある。
このルーチンを怠ったり、
一週間の期限を勝手に延長した時のリバウンドは
見るもおぞましい肉体の変化に現れる。
が、この魔法の帰結は、最初から予見されるもの。
DNAは共通でも、外見も含め別の個人。
記憶も引き継がれなければ、
若い方が享楽に耽るのは当然だろう。
欲望の為に、母体をないがしろにするのを厭わない。
老いた方は若さに嫉妬する。
それでも
『エリザベス(デミ・ムーア)』は分身の『スー(マーガレット・クアリー )』を止めることができない。
彼女の成功は自身の成功であり希望の源。
輝くような若さも、自分の若さなのだから。
その躊躇が生む更なる悲劇は
観客の想像の上を行くグロテスクでセンセーショナル。
思わず目を背けたくなるほどの醜悪さは、
欲望が体現したものに思える。
監督の『コラリー・ファルジャ』は
やはり女性で当年48歳。
『デミ・ムーア』の心情も理解できる年齢同志のタッグが生んだ力作。
若さをもてはやす世間に対しての
痛烈なアンチテーゼ。
とは言え、最後のシークエンスは
かなりのやり過ぎ感が満載。
一瞬『大林宣彦』が憑依しメガホンを取ったのかと思った。
や!共感なし。
楳図かずお的怪奇映画
頑張ってはいるけど。
凄まじい映画でした…!
お皿に割った卵の黄身に注射をすると、プクプクと怪しげに動き出した黄身が、二つに分裂する。何やら気色悪い。Hollywood Walk of FameにElizabeth Sparkle と型どられ、誇らしく輝くも、それも束の間。種々な人々に踏みつけられ、ハンバーガーソースで汚され、年月と共にひび割れていく。ストーリーの全てを暗示するよく練られた導入だ。
そこに、実年齢62歳のデミ・ムーアが信じがたい綺麗な笑顔とプロポーションで、fitness danceを披露する。明るさにホッとするも、続く、ハーヴェイの海老をしゃぶり食う唇の大写しに、再び気色悪さに身をすくめる。お払い箱になったエリザベスの肌に張りが無い事も見て取れる。
“若さと美しさよ、もう一度!”とSubstanceを注射したElizabeth。そこから、グロい血まみれのシーンが始まる。一方、Elizabethの背を割いて生まれた分身Sueの、輝かんばかりの完璧bodyとcharmingな笑顔は見ていても心地良い。その対比の構成が実に素晴らしい。監督の手腕だとしか言いようが無い。
Climaxに向かうにつれては、おぞましいシーンが、これでもかこれでもかと果てしなく高まり続く。あまりの凄まじさに『何と、これは怪奇ホラーか!?』と、私は息をするのも苦しかった。
デミ・ムーア執念の女優魂に圧倒される、凄い映画でした。
1962年生まれ
かなりグロいシーンが多いので、そういうのが苦手な方は、安易に見ないことをお勧めします。
同じ時期に日本で公開の「ミッションインポッシブル」のトム・クルーズと、本作主演のデミ・ムーアは、同じ1962年生まれ。片や歳を感じさせないアクションで、未だにカッコいいイメージで主演を続けているトムに対し、ここのところ脇役が多く、今回もある意味キワモノに身体を張って挑戦しているデミ。女性だと年齢を重ねると共に、単に年齢を理由にメインではなくなるという彼女の状況がそのまま映画のテーマになっています。そんな彼女が演じているから説得力があり、第一線に固執する執念も鬼気迫っていますね。
人間の強欲の愚かさを見せつけていて、ゲゲゲの鬼太郎に出てきそうな話なので、ねずみ男的なキャラがいて、強欲さをコミカルに描けていたら、もう少しすんなりと見られたかもしれません。
藤子・F・不二雄なSF設定x露悪的グロテスクホラー
予告映像で、飛ばし気味のハイセンスな映像・美術・効果音、そしてデミ・ムーアの存在感で、大いに期待しまくりで鑑賞。
全盛期の美貌から明らかに衰えてスターダムの座から陥落した主人公(デミ・ムーア)が、究極の若返り薬・サブスタンスを自分に投薬し、ある意味、全盛期の美貌を取り戻して、もう一度スターに返り咲こうと奔走していく物語。
藤子・F・不二雄なSF設定を彷彿とさせる、細胞分裂でもうひとりの自分を生み出す「サブスタンス」だが、その演出は露悪的で結構グロいので、これらの演出を笑って楽しめる人向きですね。
前半1時間はエロティックホラーな雰囲気と、細部に渡ってセンスを感じられる映像で、のめり込んで観られたものの、後半1時間は悪ふざけのグロ描写がくどいし、内容も蛇足気味だしで辟易してしまった。
終盤の「サブスタンス」再投薬による肉体崩壊の描写だが、あそこまで見せる必要はあったのかしら? どうしても作り物として見えてしまうので一気に興ざめしてしまった。まー実際のところこの終盤はパロディ要素なんだろうけどね。
しかしデミ・ムーア、体当たりすぎる役柄でした。なんならお見事。
薬は用法・用量を守って正しくお使い下さい。
キャリーの血
観る者に不快感や混乱を与えるかもしれない。
だが、
その不快感や混乱の中にこそ、
現代の閉塞感を打ち破るヒントが隠されている。
これは、単なる映画ではなく、
時代を映し出す鏡であり、
我々がどこまで「不都合な真実」を、
受け入れられるかを試す、
極めて挑発的なアート作品だ。
どういうことか?
具体的に触れていこう。
スラップスティック・スプラッター、
コメディ・ホラー、
サスペンス・パロディ、
どのジャンルでも括れない、
一見相容れない要素を融合させている。
もはやジャンルという安易な枠に収まりきらない、
しかし、
そのカオスの中にも明確な意図が見え隠れする。
オープニングでコメディを宣言し、
エンディングでその笑いを念押しするように提示する手腕は、
観客に「これはコメディ(パルプフィクション)である」という、
ある種の強制力をもって提示しているかのようだ。
だが、その「笑い」をどう受け止めるかは、
育ちも環境も思考法も異なる観客一人ひとりに委ねられている。
(真に観客の心を揺さぶる感動は、
監督の意図やプロデューサーの狙いによって直接生まれるものではない。むしろ、それは観客一人ひとりの心とスクリーンが織りなす、
まるで運命の赤い糸で結ばれたかのような、
個人的な「響き合い」からこそ生まれるby森繁久彌)
この突き放し方が、本作の魅力の一つと言えるだろう。
A24が一番、地団駄を踏んでいるのではないだろうか。
A24のように抽象に逃げず、
雰囲気でごまかさないで、
エグすぎる、
具体で真っ向勝負しているからだ。
デ・パルマ、キューブリック、リンチ、
ストッカード・チャニング主演「二つの顔を持つ女」
そしてヒッチコックの「めまい」の音楽といった、
大量の引用は、単なるオマージュの域を超え、
もはやパロディと呼んでも差し支えない分量だろう。
これらの引用は、過去の傑作への敬意と同時に、
それを現代のカオスの文脈で再構築し、
シニカル成分たっぷりに仕上げるという意図は、
本作の持つ独自のユーモアと批評性を際立たせている。
しかも、そのパロディ引用が、
決して安易なオマージュに終わらないのは、
高技術な見せ方に隙がないからだ。
例えば、
卵の寄り、口元のヨリ、
脊椎注射のヨリ、
チェーンソーのように振り下ろすハンドミキサー、
スクリーンいっぱいに埋め尽くされる、
その精緻さ、滑稽さ、シニカルさ、
パロディを、
端的に見せる徹底した計算が見て取れる。
そして何より、
本作が放つ最大のメッセージは、
現代社会にはびこる、
「さまざまなイズム、コンプライアンス、作品の鑑賞スタイル等々」といった、
行き過ぎた規制、意味のない自主規制、
〈安全地帯〉から発せられる言説等々への強烈なカウンターだろう。
ハーベイ(ワインスタインに象徴されるような映画界)のような目の前の敵はもちろん、
安全な場所から声を上げる人々に対しても、
本作はまるで「キャリー」のクライマックスで浴びせられる血のように、
生々しく、そして容赦ない「真実」をあらゆるシーン、
(もちろんあのシーンも)で浴びせかける。
その様は、まさに痛快の一言に尽きる。
不謹慎だと眉をひそめる者もいるだろうが、
その不快感こそが、
現代社会が忘れかけている〈インクルーシブ〉や
〈ダイバーシティ〉という本当の意味、
を大胆かつ衝撃的な方法で胸ぐらに突きつける、
作り手からの挑戦状なのかもしれない。
それでも若い身体は美しい
「阿鼻叫喚」という言葉を知ってはいたがこれまで自分で使ったことは無かったし紋切り型の割に実際に使われた例もあまり思い浮かばない。今回GAGAが宣伝用の惹句として古典的四文字熟語「阿鼻叫喚」と付けたのだけれどよくもまあ的を得たりでこの映画を表現するにはこの言葉しかないだろう。クライマックス以降、ほとんどの人が「こんな映画を見に来たつもりではなかった、騙された、もう勘弁してください・・・」と思いながら開いた口がふさがらず大声で叫ぶこともできずに唖然として10分ほど阿鼻地獄に落とされてしまったのでは無いだろうか?比喩でもなんでもなく文字通り老いと若さがぶつかりあう映画なのだけれど密室の二人バトルだけでは許してくれずありえないへ悪夢バースと力づくで持って行かれるこの竜巻的展開はどうだろう?英仏合作効果によるハリウッドへのとんでもない諷刺的報復映画が誕生した。背中を縫う5針ぐらいのクローズアップショットをおろそかにしなかったことに妙に感心させられました。アーメン。
単なるホラー、スプラッターではない
下情報を何も入れずに行ったのだが、単刀直入に言って面白かった。観客を飽きさせないストーリーは、主人公の感情がダイレクトに観客に伝わってくることによるのだと思う。
そもそも美醜の境界線など、個人の主観によるものだと思うのだが、より多くの人の中央値となると、一定のレベルみたいなものが存在することは言うまでもない。
「老い」という、誰しもが逃れられない人類の約束事は、ある時期(本作では50代と軽く言ってのけている)を生きる人間にとって重くのしかかる、ある意味での死刑宣告のようなもの、それは、時として狂気を生み出す。
その狂気の原因を、監督は社会のシステムだと喝破する。そして、その社会に対して、キューブリックを下地にしながらも、それをはるかに凌駕する大量の血で報復するのだ。実に心地よいやり方で。
科学は進み、老いですら解決できるかもしれない時代が到来している。でも、その原動力が老いを受け入れたくないということなら、人として大切な多くのことを捨て、ロボットや改造人間として生きるということになる。それをこの映画は、恐ろしいほどのリアリティで私たちに突きつけるのだ。
禍福は糾える縄の如し
グロすぎて笑った
悲しくも強烈なオカルト映画かと。
なんとなく観に行ったら大変なことに
予告編見たことなく 今年のアカデミー賞でメイクアップ賞取ってるので気になっていたので観に行きました
予備知識は出演のゼミ・ムーアが整形して若くなる話しと思ったけど まぁ確かに若くなるけど その描き方が
とんでもなく 昔80年代みたホラー映画でハエ男を描いたダ・フライとか遊星からの物体Xの描き方似ていて
(笑) 凄く 最後は予想しなかったグロい終わり方インパクトありました
出演のゼミ・ムーアの快演が素晴らしく 相手のマーガレット・クアリーも体の張った演技で素晴らしいかった
気になった事 この映画日本ではR15指定になってますが 私はどう観てもR18にしか見えないけど
日本R指定の判断甘すぎるじゃないかなと思う
正に怪作
昨今のアンチエイジングブームを皮肉ったかのような寓意に満ちた怪作である。
老いは誰にでも等しく訪れるものであるが、それでも若さを保ちたいと願うのが人間の性か。しかし、その代償は思いのほか残酷なものだった…という苦い教訓が残る。
過去の華やかなスター時代を夢想する老姉妹の愛憎を描いた「何がジェーンに起こったか?」。メリル・ストリープとゴールディ・ホーンが若さを渇望して争う「永遠に美しく…」。妻を亡くした整形外科医が禁断の医療にのめり込む「私が、生きる肌」。若さと美に執着するドラマは古今東西、時代を超えて作られてきた。この手のドラマは、それだけ多くの人々の関心を惹きつけてやまないテーマなのだろう。本作は明らかにこの系譜に入る作品だと思う。
更にもう一つ、そこにクローン問題を持ち込んだところは新味だと思う。映画冒頭のシーンに象徴されるように、この”サブスタンス”はクローン技術を応用している。クローン技術は、再生医療において重要な役割を果たしているが、その一方で倫理的な観点から問題視もされている。本作はそこに着目しているのが面白い。
一見すると、老いに葛藤する元スターの物語に見えるが、実はかなり社会派的な眼差しを持った野心作であることが分かる。
監督、脚本は新鋭コラリー・ファルジャ。前作「REVENGE リベンジ」はアクション物というジャンル映画だったが、暴力による女性虐待をテーマにしており、中々気骨溢れる作品だった。この監督はこうした社会に一石を投じるような視点を常に持っているのかもしれない。
興味深いのは、「REVENGE」も本作も、ヒロインが一度死んでそこから再生する…という作劇になっている点である。「REVENGE」のヒロインは男たちに半死の目に遭わされながら、そこから復活を遂げて復讐を果たしていく話だった。本作のエリザベスも自動車事故で死にかけた所から再生していく。
いずれも普通に考えればそのまま死んでもおかしくない状況なのだが、何事も無かったかのように蘇るあたりが人を食っているというか、シュールでブラックで面白い。
しかも、本作の場合はキャラクターも設定もかなりカリカチュア化されており、リアリティからはほど遠い作りになっている。それ故、ひょっとすると全てはエリザベスが今わの際で見た夢想だったのでは…と思わせる所が作劇の妙である。
演出は全編スタイリッシュで、かなり攻めたものが多い。エリザベスの不安定な精神状態を表すかのような細部に迫るクローズアップにはある種のフェティッシュさも感じられた。
連想されるのはスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」や「シャイニング」、ダーレン・アロノフスキーの「π」、「レクイエム・フォー・ドリーム」、「ブラック・スワン」といった作品である。シンメトリックな構図、神経症的なカッティングが緊張と高揚感を巧みに創出していて感心させられた。
加えて、時折見せるブラックユーモアもかなりクセが強く、好き嫌いがはっきり分かれそうだが、個人的には何度もクスリとさせられた。
伏線の貼り方も中々巧みで、クライマックスにかけての盛り上げ方も想像の数段上を行く展開に圧倒された。このあたりにはクローネンバーグのボディ・ホラーの要素も感じられる。
ラストも皮肉に満ちた終わり方で印象的である。ここはやりようによっては抒情性を強く押し出すことも可能だったかもしれないが、ファルジャ監督は迷いなくブラックユーモアに徹しており、この一貫した姿勢には敬服してしまう。
キャストでは、エリザベスを演じたデミ・ムーアの体当たりの怪演。これに尽きるだろう。かつての麗しい姿をリアルタイムで見ていた者からすれば信じられないような変容だが、それがこのキャラにリアリティをもたらしている。
全412件中、261~280件目を表示













