「パニックとトラウマ」サブスタンス ordinalさんの映画レビュー(感想・評価)
パニックとトラウマ
ここまで見せられると、さすがに自分を大事にできる気がしてくる。
個人が特定の人物と認識されるのは、見た目か精神か、はたまた血液か、、!?他者からの自己同一性の問題も然ることながら、自分自身は己をどのように認められるのかという問いが、本作ではしつこく提起されている。
つい5本前に観た、今敏の『パーフェクト・ブルー』が脳裏をかすめた。
血まみれでウェットな臓器に管が繋がってステージに落下するところや、背中から新しい生命体が生まれてくるところに、デイヴィッド・リンチやアリ・アスターへのリスペクトが感じられる。
しかしながら、むごい過程に尺を使いすぎて鑑賞者はだんだん何を見せられているのか訳がわからなくなり、人体変形も展じすぎて最早ウケを狙ってくる辺りに、“やり過ぎ”を“やり過ぎ”で凌駕すると、見栄を張って固執していた顔や性的パーツの美しさに恥すら感じられるのが可笑しくも切ない。
いやはや、カメラと言い、男の視線と言い、世間からの目線は恐ろしいが、自分からの目線は恐ろしくあってはならない。他人からの愛は一時に限っても、自分とは一生の付き合いなのだから。
自分に針を打つ恐怖、欠けと不安を隠し歯を食いしばって笑顔を向ける恐怖、そのどちらも、時空が歪む錯覚が起こってパニックになる。
自分を囲む外界の明るさと他者の悪気無い温かさをすぐ近くに感じるからこそ、バレていない状況がバレた時の想像を増幅させる恐怖のパニックである。
こういう、苦しみをフラッシュバックさせるようなリアルかつ超細かいニュアンスで恐怖を入れてくるあたり、大胆シナリオホラーな“スタンス”のくせに繊細な精神の解像度が高くて憎い。
高層階のフワフワキラキラ豪邸に、溶き卵が跳ねる萎びた老婆の威嚇とは、これまたシュールな取り合わせが上手い。
大女優の部屋で一瞬、ここは羅生門だったかと目を疑った。
血と膿と食べ残しのグチョグチョ暴力シーンはさておき、アメリカメディアの第一線で充実した日々に流れる小刻みで重厚なサウンドは強烈で結構だが、ずっと耳塞いでた隣の人は間違いなく「odessa」で観るべきでなかったね笑
ケチャップで始まり血に終わったWalk of Fame
