「ビビりの自分が振り切れちゃって、もはや笑うしかないレベル」サブスタンス いたりきたりさんの映画レビュー(感想・評価)
ビビりの自分が振り切れちゃって、もはや笑うしかないレベル
エクスプロイテーション映画の体裁をとり、視覚/聴覚的におぞましさと嫌悪感をとことん煽りながら、返す刀で問題提起も突きつけてくるフェミニスト・ボディホラーの怪作。中盤以降は露悪的に振り切った描写のつるべ打ちなので、見る人を選ぶ作品でもある。いわば、市販の「大衆薬」を装いながら実は処方箋必須の「劇薬」といったところか。
ドラマの根幹を成すモチーフは、『ジキル博士とハイド氏』のように「自己の理想を追い求めたあげくに破滅を迎える」といった古典的なものだ。また、その「理想」とは「若さ=美しさへのあこがれ」という、これまた『ドリアン・グレイの肖像』『永遠に美しく…』など古今の作品でおなじみのネタでもある。本作が斬新なのは、その「見せ方」だ。
50歳を迎えた主人公(撮影当時59歳のデミ・ムーアが演じている)は、7日ごとに今の自分と交代でかつての美ボディが取り戻せると聞きつけ、怪しげなクスリを注射。すると、たちまち自身の身体からぬるっと分裂して「若い自分」が爆誕(このシーンは前半最大の見どころ)するのだが、これがハイド氏以上にまったくの赤の他人(マーガレット・クアリー)なのがユニーク。このあたり一連のヌード描写がちっともエロティックじゃないのもいい。
で、次第にふたりの「自分」は互いを敵視し合うようになり、破綻への道を転げ落ちてゆく。『パーフェクト・ブルー』『ブラック・スワン』の主人公が現実と虚構のはざまで錯乱していったように。
ここで本作が際立っているのは、男社会が女性に対して押しつけてくる「若さは“美”であり、老いは“醜”である」という強迫観念を、極度にデフォルメされたビジュアルとして具現化してみせたところにある。
たとえば本作に出てくる男性は、総じて中高年のキモいエロおやじとして戯画的に点描される。また主人公たちの身体が変容する一連のシーンや、料理を作ったり食べたりする描写が、想像の斜め上をいくエグさだ。しかもソレを執拗に重ねてくる。ゾワッとするのを通り越し、もはや半泣きで笑っちゃうしかないレベルだ。
そして本作は、さまざまな映画の記憶を呼び覚ましてくれる作品でもある。
たとえば——『シャイニング』の老婆、『2001年宇宙の旅』の白い室内とツァラトゥストラはかく語りき、『ザ・フライ』の歯と爪、『エレファント・マン』の異形、『めまい』のフェチな男性目線、『キャリー』の血みどろと『スタンド・バイ・ミー』のブルーベリーパイ、『エイリアン2』『MEN 同じ顔の男たち』の異種誕生。そして…『ボーは恐れている』の長過ぎる上映時間(笑)。
今日までこうした映画の「予防接種」を受けてきたから、ビビりな自分でも目を逸らさず、奇想天外なラストのオチまで完走できたのかも。そう思うと、常日頃の「ワクチン接種」のありがたみが改めて身に沁みるのだった…。
以上、試写会にて鑑賞。