メガロポリスのレビュー・感想・評価
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難解だと覚悟して観てもやっぱり難解
2025年劇場鑑賞182本目。
エンドロール後映像無し。
本国アメリカでこりゃあかんとどこも配給してくれそうにないピンチに陥ったという話を聞いてどんなヤベェの作っちゃったんだと逆にワクワクしていました。
まぁやっぱり分かんない(笑)
正直やりたい事はなんとなく分かるんです。古代ローマをモチーフに現代アメリカを批判したいんだろうなと、ただ何を言いたいかが分かんない。唐突な超能力とか。時々スキャンダルでピンチになるとか、乗っ取りを画策するとか、理解できる展開もあるんですが、その後すぐ概念的な表現になって分かんなくなっちゃうんですよね。でも映像はすごいので小さいモニターじゃなくてスクリーンで観た方がいいとは思いました。これに数百億の私財投じるなら甥っ子のニコラス・ケイジの借金なんとかしてあげられなかったのかとは思いますが・・・。
晩節を汚す
藤本壮介×イーロン・マスク×前田久吉みたいな話。それにトヨタのwoven cityも入ってるような話。周辺エピソードだけで、彼の建築家としての仕事は一切でてこない。そりゃ愛の力で仕事を突破するとかもあるだろうけど、それはあくまで仕事の周辺情報だ。途中の未成年フェイクニュース部分は老害として、セックススキャンダルなんて作家にとって気にすることじゃないという話かな。だとしたら出し方が中途半端過ぎる。カジノや木を使った建設など、中途半端に現実とリンクしてるのも興ざめだ。夢をあきらめるな、進めってそりゃそうだろうけど、そんなメッセージ誰だって言っている。後半は「時を制御」できなくなってダラダラして、気がついたら全部の問題が解消していた。スペシャルサンクスにブラッド・バードの名前があったが、ブラッド・バードが監督していたらもっとはっきりとした能力主義の映画になっていただろう。このぼんやりしたつまらない造りよりは絶対に面白いと思う。(キツい思想も相当含まれるだろうけど。。)ブラッド・バードの傲慢さを隠さない態度は、見ていてどこか気持いい。ダサい意味でのビジュアル主義になぜ陥ったのかについても考えたい。キャメロンもビジュアル主義だが、キャメロンのほうがアクションに対する感度が鋭いのかな。それと年老いたアメリカ人はヨーロッパに被れてしまうのかな。このヨーロッパ被れの引用も申し訳ないがカッコ悪い。大仰で偉そうで、偉く見られたいだけに思えてしまう。アメリカ人は年老いてからの歴史への関心の持ち方が難しいのかもしれない。それこそもっと歳下だがコーエン兄弟はユダヤルーツに関心を伸ばしてきた。それが今では批判の対象になってもいるが、もっと板についている。
─and justice for all.
メタリカ・・・じゃなくてメガロポリス─期待通りの意味不明な感じと悪評通りの難解さ・・・でも、映像とその創造性は桁違いで、ビジュアルとネームバリューだけで十分満足な作品でした。
アダム・ドライバーがすっかりセックスシンボルのような役柄にハマってしまっている感じは、納得するととものなんか残念ではありますが・・・
とりあえず、やりたいことは全部はきだした気がするのですけど─いや天才の感覚は知る由もなしか・・・─次回はもっと気楽に他の思考を大いに織り交ぜながら仕事をしてもらえると・・・なんて思っていまして、そうすれば多分、凡人にも容易に理解できるような傑作になるのではと、この荘厳なるものを仰ぎ見ながら頭の片隅でそう思っていたりしました。
これはスゴイ作品です!多分・・・
どう評価すればよいのかわからない
古代ローマを模してニューヨークを表現し、現代アメリカを風刺してるのかな、と理解しましたが、果たしてこれであっているのか…
話の筋的にはそんなに難しくないはずなのに、全体通してコッポラ監督が何を伝えて何を表現したかったのかよく理解できず、何を見せられてるんだ…?状態でした。
ただ、その状態で2時間ちょい観せてしまうのだから、映像としての力はすごいです。
衣装、ヘアメイクは古代ローマテイストでとても凝っているし、セットの豪華さは目を見張るものがありました。
CGはそれに比べてそこまでのクオリティではない感想です。
映像作成の手段としてあまり慣れてないのかな?という感想です。
そんな感じなので、自分の中で全然消化できないし、どうやって評価したらいいものかがさっぱりわからない。
駄作と評している方も、名作として高評価している方も、どっちも正解なんだろうな。
しかし、キューブリック監督のアイズ・ワイド・シャット、宮崎駿監督の君たちはどう生きるか、とかもそうですが、名監督の晩年は解釈しにくい作品になりがちですね…
興行的なこと考えずにやりたい事全部やって、思い残すことなくって感じなんでしょうか
うーん…
芸術としての映画、その未来図
フランシス・フォード・コッポラ監督が構想に40年以上をかけ、約186億円を自腹で制作したという、まさに“伝説級”の話題作。
感想は一言では語りきれませんが、まず映像の迫力が凄まじく、音楽も素晴らしい。まるでアート作品の中に没入するような体験でした。
ストーリーはかなり難解で、一度観ただけではすべてを理解しきれない部分も多く、余韻とともに考え続けたくなるタイプの映画です。
「映画は芸術である」というコッポラ監督の強い信念が全編に込められており、贅沢な世界観と大胆な演出で、映画の未来に対する問いや可能性を突きつけてくるようでした。
すべてを“理解”するより“感じる”ことに重きを置いて、もう一度じっくり観たくなる。そんな唯一無二の作品です。
鑑賞中に寝落ちするのは久々It’s been a while since I fell asleep during a movie.
観賞後パンフレットを見て
かろうじてストーリーは追えていた模様。
前半の方の会話劇のところで
何度か寝落ちしてしまう。
英語のヒアリングが出来ないので、
大事な台詞は把握しきれていないと思う。
英語ネイティブの人は
刺さる台詞がたくさんあったんだろう。
映画館での鑑賞で寝落ちするのは
40年以上映画見てきた中で
数えるほどしかない。
あとどれくらいだろう?
と時間を確認したのは初めてだ。
個人的には長く感じてしまった。
予告編とのギャップを感じてしまった。
この日はこの後もう一本観た。
それで寝落ちすれば、
単純に前日の歩き疲れが原因だろう
となるかと思ったが、
残念ながら、そうはならなかった。
ごくごく個人的な印象だが、
使いたい俳優を使った
監督が撮りたいシーンを集めた
それを繋げたように感じてしまった。
私の理解が追いついていなくて
分かっていないだけかもしれない。
ただ一人の頭で考え表現するには
映画という器は大きすぎるのかもな
と思わずにはいられなかった。
After the screening, I looked through the pamphlet and confirmed that, despite dozing off, I had more or less grasped the storyline.
I dozed off a few times during the dialogue-heavy scenes in the first half.
Since I can’t understand spoken English very well, I probably missed a lot of important lines.
I imagine native English speakers caught many lines that really resonated.
In over 40 years of watching films, I can count on one hand the number of times I’ve fallen asleep in a theater.
This was the first time I found myself checking the time, wondering, “How much longer is left?”
Personally, it felt long.
There was a noticeable gap between the trailer and the actual film.
I watched another film later that same day — if I had fallen asleep during that one too, I could’ve just said it was because I was tired from walking the day before.
But as it turned out, I stayed wide awake through that second film.
This is purely my personal impression, but it felt like the director had just gathered the actors he wanted to use, shot the scenes he wanted to film, and stitched them together.
Maybe I just didn’t fully understand it.
Still, I couldn’t help but feel that a film might simply be too vast a vessel for one person’s vision to express on their own.
希望の未来を作るのは建築家でなく、時を止められても動くことを止めない赤ちゃんだ
言葉の海を泳いだ思い。衣装もヘアスタイルもメイクもアクセサリーも靴も古代ローマ風で美しかった。アダム・ドライバーは、ヘアメイクと服で全くタイプが異なる人になれる白いキャンバスみたいな俳優だ。美術や未来都市の映像は使い古されたイメージで残念だった。
「文明という狂い咲き」の摩天楼に溢れた都会では、雑誌TIMEが同じフォントでTEMPUSという誌名でデジタルサイネージに映っていて笑えた。笑えなかったのは、目隠しをした法の女神が崩れ落ち、コロッセオで残虐な見せ物とランウェイを歩く女と「清純な」女が歌う様子に馬鹿みたいに盛り上がる偽善者セレブ。そして朝食とは思えない無駄にゴージャスな食卓にいるカエサル(アダム・ドライバー)。建築家カエサルは権力者側で生まれて育った人間だ。カエサルは、かなり単純化した分かりやすい言葉で今の世界を批判する:「お金がない人に要らない物を売りつけ金を使わせ、不要な物を作り続けている」。未来については抽象的だ:「未知に飛び込むことは自由の証だ」「みんなでとにかく会話をする」。彼が夢見る未来社会として映されるのは、子ども達が遊び楽しみ何かを常に創造している様子だ。モンテッソーリか?シュタイナーか?「結婚」が何より大事!的な発言もあり、そこか?!とがっくりした。
カエサル由来やその他の有名な言葉が続くが、並べただけの印象が強かった:「賽は投げられた」「来て、見て」(過去形でなく「勝って」もなかった)。ハムレットの悩み。ファウストとメフィストとのディールでの表現(時を止めてそれで何?)。映像では「ムッソリーニ吊り」があった。ソ連の宇宙飛行船(ボロボロ)が飛んでるシーンはスプートニク・ショックのトラウマか?
絶望しない、未来に希望を持とう!みんなで話そう!ナイーヴなメッセージだけど、一応わかったー!
おまけ
カエサルの母親をタリア・シャイアが演じていた(コッポラ監督は身内を使うのが好きだ)。ママと息子は愛情深くつながり、帝王切開に関する言説は全て俗説、というメッセージなら素敵だな~と勝手に思った。
2時間に収まってない笑
ラジー賞 最低作品賞ノミネート、見事最低監督賞受賞という前評判が最悪な本作「メガロポリス」笑
映画界のゴッドファーザーであるコッポラが自腹を切って製作をしたという作品は本作に限らずあったことだが、自慢のワイン畑の大半を手放して何とか捻出したという制作費。
1.2億ドルも払ってラジー賞受賞というアメリカ映画界の容赦のなさはまるで本作の描くディストピアのようだ笑
さらに出演する俳優陣も超豪華で主演のアダム・ドライバーもコッポラ作品に主演ということだが容赦なく高額な出演料だったそう笑
構想40年という長きにわたって作りたかったという本作。コッポラが描きたかったのはもちろん総合芸術としての映画、映像としての素晴らしさもそうだが、そこに自信の哲学的なテーマを盛り込みたかったということだ。
マルクスの引用やコッポラ自身の問題提起も何となくわかるが、寓話として描いた古代ローマとニューヨークをミックスさせた退廃的な世界観が、格差の広がる現代社会の皮肉としても捉えられてしまい、よくある風刺映画的なテーマにも見えてしまうのは少し勿体無く感じた。
また、コッポラが長年に渡り描いてきた権力争いと家族の物語から浮かび上がらせるアメリカそのものの姿。義理と人情の家父長制社会か、血も涙もない資本主義か。「ゴッドファーザー PART Ⅰ, PART Ⅱ」を通してまさにアメリカの過去と現実を垣間見た。
本作では往年のコッポラ作品らしく、銀行家の家に生まれた建築家カサエルを中心とした兄弟間の権力争いや、汚職にまみれた政治家などが描かれ懐かしさを感じたが、あくまでも記号的な役割になっており、やはり「ゴッドファーザー」ほどの深みはない。
長年フィルム撮影にこだわってきたコッポラだが、前監督作でエル・ファニングちゃん主演のホラー映画「Virginia/ヴァージニア」からデジタル撮影で3Dに挑戦したり、ノーランほど頑なではなくなっている。
しかし、本作の映像はまるでフィルム撮影をしたかのような質感、照明でしかもIMAX規格となっている。(さすがに予算上IMAXカメラは借りれなかったようだが。)
本作は簡単にいうと「どうすれば人間はより良い社会を築けるか。」ということである。理想か現実か、選択を迫られる。本作は理想の力を信じた。時間を止められる能力を使うカサエルが最後にもう一度時間を止め、我々に選択する猶予を与えてくれる。
主人公カサエルの掲げる理想郷メガロポリスが果たして社会の分断の解決策になっているのか、貧困層を救う一手になったのかは疑問である。
それでも余りある実験的な画面割りや見た事ない照明効果で本作の映像作品としての見応えは十分ある。
なんだったんだろうコレ
いつも行っている劇場では上映しておらず、久しぶりにみなとみらいまで行きました。
IMAX!そして、戸田奈津子さんの字幕で見れば!きっと前評判なんて!…と意気込んでいたのですが…。
あーごめんなさい。サッパリ意味わからないんです。
あまりにもブツぎり過ぎませんかね…。
コッポラ監督に庶民視点を理解しろと言っても無理があるのかもしれませんが、それにしても富裕層視点ですし。
終始何を伝えたいのかよくわからないまま(でも美しいのはわかる)いつの間にかハッピーエンドになってた感じです。
この映画制作のために私財をはたいたと聞いてますが、単純に資金提供してくれふスポンサーがいなかっただけで、美談ではない可能性を感じてしまいました。
まぁ、興行成績の不振から日本公開が危ない説もあったので、見れただけ良かったのかな…。
メガロンでメガロポリス?
フランシス・フォード・コッポラ監督の映画愛と構想ん十年の執念ともとれる製作意欲には只々尊敬の念しかない、ので★甘いです 御年86‼ 映画監督が撮りたい作品とウケる作品というのは往々にして違うのかな? 内容は期待通りトンチキ、でも劇場公開映画館で見れて良かったーそれに尽きる
建物はヒッチコックみたい、旧ソ連の衛星とかディープフェイク、万能素材など新旧入り混じってました、そして足が竦む、竦むよ シャイア・ラブーフが一番作風にあっていたんじゃなかろうか ワオさんはファッションといいガガ様か?と思っちゃった
技術の壮大な無駄遣いによるゴージャスなビジュアルトリップ
コッポラのイマジネーションを、ダイレクトにビジュアルでぶつけてくる作品でした。
ぶっちゃけ、エンタメ映画としては大失敗作。
金持ちの道楽で散財し、技術の壮大な無駄遣いをした、自主制作映画でしかない、と切り捨てていいレベルではありました…が。
それでも、嫌いになれないどころか、なんだか爽快感がありました。
この行き当たりばったりの一貫しない思いつきの羅列みたいなフィルムに、どこか見覚えがあって心地よくもあったのです。
ストーリーは難解じゃなくシンプルですが、連続した見せ方をしてないので、頭に入ってきません。
決して「難解さを打ち出して高尚だと勘ちがいさせる、評論家向け文芸作」でもありませんでした。
魅かれたのはあくまでもビジュアルと構成。
観終わって考えて、しばらくして気づきました。
・『君たちはどう生きるか』をはじめとする、画とレイアウトと演出の力で押し切る宮崎駿監督のイメージの畳み掛け(宮崎さんは昔から『魔女宅』『千と千尋』『ポニョ』『風立ちぬ』も、みんな前半と全く繋がらないラストだけど、観る側が満足しちゃうアレ)
・晩年の大林宣彦監督『花筐』『海辺の映画館』にあった思いついた断片的シーンの羅列
・『イージー・ライダー』幻覚トリップシーン
これらが延々138分連続する、CGアニメーションと実写のハイブリッド幻覚なんだこれ!
だから、観ていて「よくわかんないけど、なんかわかった」という気になるし、壮大なゴージャスな映像の奔流に身を任せるだけで溺れながら酔う、合法的な麻薬トリップみたいな効果がある(気がする)。
人によっては、その豪快なふり幅に、小型漁船に乗ったときの船酔いみたいになるかもしれませんw
妄想を見せるための画面比率も変幻自在。
1.43:1のフルサイズIMAXも一部ありでした。
そのトリップを味わうには、109シネマズ大阪エキスポシティやグランドシネマサンシャイン池袋の巨大なIMAXレーザーあたりがおすすめです…が、IMAXにかかってる期間は短かそうでした。
メッセージ性を強く出した作品
初めてのフランシス・コッポラ監督作品だが、ゴッドファーザーシリーズ、地獄の黙示録も観ていない。エンタメも何も考えないで観たが、なるほどかなりフランシス・コッポラの未来へのメッセージを強く出した作品だなと感じた。確かにストーリーは混乱するし、着地点はない。しかし、ナレーションや登場人物のセリフにこの作品で我々観客に伝えたい事が出ている。40年前に構想した作品が、まさか今のアメリカいや世界でここまでリンクするとは
思わなかった。ラストのカエサルのメッセージは色々、考えさせられた。希望も感じる事ができたラストは良かった。カエサル役のアダム・ドライバーの演技は素晴らしかった。0.5点おまけは戸田奈津子の字幕。見事❗️
"なんじゃこりゃあ!?" と "幸福感"
IMAXレーザー/GTテクノロジーで鑑賞(字幕)。
フランシス・フォード・コッポラ監督の、御年85歳でこの作品を創り出したイマジネーションの豊かさ、私財を投じてまでつくり上げようとした執念とバイタリティがハンパない。
観ている間中「なんじゃこりゃ~!?」状態だった。よく分からなかったが、とてつもない映画と云うことは分かった。
筋書きとしてはすごく単純なのだろうけれど、観る者を幻惑する映像や伏線無しの唐突な展開など、全体的にとっちらかっている印象で訳が分からず、正直面白くはなかった。
だが映画好きとしては、コッポラ氏の新作を観られたと云うだけで、幸運なことなのだと思わねばならない気がした。
アダム・ドライバー、ナタリー・エマニュエル、オーブリー・プラザの魅...
アダム・ドライバー、ナタリー・エマニュエル、オーブリー・プラザの魅力が爆発の、理解に苦しむ内容の映画。劇中では2つのの不思議な世界観がある。1つ目は "古代ローマ" で2つ目は "未来技術" で、どちらも行き過ぎてない。凄く 過去チックで無く 凄く未来チックでも無い。しかし掴めない。
コッポラが私財1億2000万ドルを投じて製作したと聞いたが、最初は「そんなに製作費が掛かってるか?」と思ったが進むにつれて「これは、手抜き感が全く無くて大変な撮影だ」と感じた。豪華俳優陣と凝ったセットとCGに経費が掛かったのだろう。
しかし「なんでこうなる?」と言うよりも「何処に向かっている?」と言う感想で見ていた。
コッポラが造りたかった "物" を観れたが、みんなで「あれは、なんで?」とか話し合うのが楽しいかも。
※アダム・ドライバーが演じるカエサル・カティリナ。劇中に「シーザー」と聞こえる。ドイツ語で皇帝は「カイザー」と言い「カエサル」が語源。 カエサル(CAESAR)の英語読みが「シーザー」で、ユリウス・カエサルを英語読みすると「ジュリアス・シーザー」となる。
個人的に数々の衣装がとても良かった。
一度で理解は難しかった
土木工学としての「メガロポリス」
映画「メガロポリス」。
主人公カエサルは都市計画局長ということもあり、土木工学の視点で整理してみた。
主人公カエサルは新素材「メガロン」でノーベル賞を受賞した技術者。この新材料を用いた理想郷「メガロポリス」を実現すべく奮闘する。
映画でもあるように、都市は(土を除くと)コンクリート、鋼(スチール)、木が用いられている。
近年は高張力鋼として780N/mm2程度の鋼材、コンクリートの設計基準強度が100N/mm2の材料が開発されている。(出展:Wikipedia)
現在はSI単位だが、40年前より映画を構想したということで、当時のアメリカの単位(PSI)と仮定すると、1N/mm2=1MPa=145PSIとして、780N/mm2=113,100PSI。メガロンと名付けたぐらいなので、この値がメガクラス。高張力鋼の10倍クラスの素材であり、とんでもない材料をカエサルは開発していることになる。これを構造物に用いることできればブレイクスルーが可能となる。
メガロンを用いて材料を薄くする
→構造物の軽量化が可能
→建築物において高層化を実現
→住環境が大きく改善
→移民問題が解決
→人類みな家族
1度観ただけでは理解が追いついていないが、メガロンと理想郷に繋げないとこの映画が全く理解できないため、このように考察した。
うーん、えっとぉ…
映像は完璧。役者もいい。演出はさすが。
もしかすると、芸術作品としては素晴らしいのかもしれない。
しかし、だ。
こちとら楽しみたいのだ、SFを。
わかりやすいものが観たい。
私にとって、映画とは娯楽なのだ。
1時間半はガマンした。
「オレはいま、ものすごい映画を観ているはずだ」
と。
でもね、しんどくなってきたのよ。
だって、ワケわからんのだもん。
夢の中の不条理な世界観とでもいうのだろうか。
それならそうと、鑑賞前にでも教えてほしい。
結果、途中で退席した。
こんな経験、数十年前の『死霊のはらわた3』以来だ。
要約すると、娯楽を期待しては行かないほうがいい。
映画を芸術としてもとらえられる人には、もしかすると最高な作品かもしれない。
時よ止まれ
時間も愛も、見ることも触ることもできない不可知なものを過去からの引用で問いかけてくるのは、大事なのは問題解決でなく問題提起だから
"Time, stop." 逆説的に時は止まらないから、人の営みも人類の歩みも。常軌を逸した人の間で、一人ひとりが主体性・当事者意識を持って未来についてとことん議論すべきだ。過去の引用から、"歴史から学ぶ"か"歴史は繰り返す"はあなた次第?神を創造した人間の英知そのパワーを直に利用して、未知に飛び込むことは自由の証。止まらない時の中で、最大の敵にもなり得る文明=人類の歩みと如何に折り合いをつけて、未来へ進んでいくか。
『レインメーカー』を最後に従来の商業映画の枠組みから逸脱した形で映画を撮り続けてきた巨匠コッポラが40年もの月日をかけ1億2000万ドルもの莫大な私財を投入した本作はヘンテコで、ましてや『ゴッドファーザー』でも『地獄の黙示録』でも『カンバセーション』でもない。執事ローレンス・フィッシュバーンを背景にした(+甥のジェイソン・シュワルツマンに役を与えることにも成功した)混沌としたカオスは、怪作だとか耄碌したなどと揶揄するものではなくアートとして味わい議論されるべきものなのかもしれない。ただ、そう言ってもやっぱり何をしたいのかよく分からん。
シーザー(カエサル)最大の発明は、動く歩道だ!カエサル突然の神々しいメガロン・カットが変にチープで笑った。そんなふうに時に意図的に、時に意図せぬ形で笑いを誘う。男性陣はボタンを一番上まで留めているのに、女性陣は性的に描かれる。女性の純潔・処女性を商品に、市政の財政難を立て直そうとするのクソヤバすぎ。オーブリー・プラザ演じるワオのルックスも、白黒映画から飛び出したようだ(それこそヒッチコック映画のファムファタールとか?)。
『テリー・ギリアムのドンキホーテ』に続いて、監督長年の企画にアダム・ドライバー。ジョン・ヴォイト新作で久しぶりに見たし、ジャンカルロ・エスポジートは安定。ニューローマと言うだけあって覚えにくキャラ名や、どこか古びた未来像と共にアナクロニズムに、世界のメカニズム・成り立ちに、イデオロギーや哲学・倫理、権力の腐敗、セックススキャンダル、暴政などあらゆる要素を詰め込んだ本作。MAGAヨロシク、"グレート"な現代社会も反映する形で、あまりにも壮大なことを描こうとするあまり、キャラクターが社会的な役割に始終しているように思えた。トリップしている主人公の葛藤がいまひとつ伝わってこない。
理想主義で何が悪い!最後がどう解決したのかよく分からんが、多分法廷モノの最終弁論みたいに皆の胸を打つものがあったのだろう。後年、カルト的な人気を得そうな作品(映画体験でありアート)。
Wait. Go.
ぜったいIMAXで観た方がいい。ラグジュアリーな映像に脳がブン殴られる。
とてつもなくラグジュアリーな映像体験。ファンタジックなネオローマを全力でビルドした力業。
この美術品のような2時間20分をつくりあげたのなら、ワイナリーの売却も充分に割に合うだしょう。
圧倒的な映像魔術。これはマジで解像度命なので、鑑賞するならできるだけ大画面のIMAXで観た方がいいです。
展覧会の図録はあくまで図録であって、美術館で実物みないと展示物のよさ味が分からない、というのと同じように、メガロポリスもおうちの配信でみるのは展覧会の図録みたいな縮小版とかんがえてよいです。でけえ豪華な画面にブン殴られる映像体験こそが醍醐味ですこれは。
素晴らしい。ド傑作。コッポラやりよった。
ただ、なんの話なのかはよくわかんねえ。メガロンてなんなん。
全103件中、41~60件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。