劇場公開日 2025年6月20日

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「コッポラの才気がほとばしる怪作」メガロポリス ありのさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5 コッポラの才気がほとばしる怪作

2025年9月9日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

興奮

驚く

斬新

 豪華絢爛な映像、シュールで幻惑的な演出等、とにかく洪水のように流れる画面の情報量に圧倒されてしまった。ほとんどのカットに映像処理が施されているのではないだろうか。正に映像マジックの極致といった感じで、単純に観ているだけで楽しい作品である。

 まずはカエサルが高層ビルから飛び降りそうになる冒頭のシーンからして、ハッタリが効いていて引き込まれれる。この時にカエサルは時間を止めるのだが、この演出はその後も反復される。ビルの爆破解体で、ジュリアとのラブシーンで、周囲の物は全て動きが止まる。もちろんこれは実現象ではない。おそらくカエサルの妄想の中で起きている現象だろう。もっと言えば、肉体や物質といった実存を超越したメガロポリスという永続的なユートピアに対する”憧憬”のように思えた。

 他にも映像的な見所は枚挙に暇がない。
 中盤のコロッセオを舞台にしたスペクタクルな披露宴シーンは圧巻である。「ベン・ハー」を彷彿させる戦車レース、ピエロの一団のアクロバティックなショー、処女の歌姫を競りにかける見世物等、祝祭感に満ちたシーケンスの連続に頭がクラクラしてしまった。しかも、その舞台裏ではカエサルがドラッグでハイになって訳が分からなくなっている。きらびやかなショーと悪夢のようなバックステージを頻繁にカットバックで繋ぐ演出は、もはやカオスの一言である。

 製作、監督、脚本は巨匠フランシス・フォード・コッポラ。構想40年、私財を投じて撮り上げた大作である。彼の溢れんばかりのイマジネーションが見事に結実したバイタリティ溢れる映像叙事詩になっている。

 演出も終始ハイテンション且つエネルギッシュで若々しい。老いてなおこれだけの作品を撮れることに驚かされた。

 一方、物語はカエサルのメガロポリス構想の野望を軸に、対立する市長の娘ジュリアンとの禁断のロマンス、更には市政を巡る陰謀といったサスペンスを交えながら賑々しく展開されている。

 個々のキャラがかなりカリカチュアされていることもあり、一見するとコメディのように見えるのだが、実際にはドロドロとした愛憎劇という所が不思議な鑑賞感を残す。観る人によって捉え方は分かれそうな気がした。

 また、乱暴な展開がかなり目立ち、観る側の解釈力が試されるような所がある。
 例えば、ジュリアがカエサルに惹かれる理由が今一つ不鮮明だったり、カエサルのバックストーリーも表層的にしか描かれていない。こうした所からドラマに余り説得力が感じられないのが難点である。
 更に、作中に出てくるメガロンという物質も今一つ呑み込みづらく、これを使ったメガロポリス計画がどこか安易なものに思えてしまうのも残念だった。

 尚、劇中には都市計画の犠牲になる貧しい人たちが出てくるが、これは明らかに現代の格差社会を投影しているように見えた。一方で、私腹を肥やす資産家や富裕層といった連中の享楽的な姿は醜悪に描かれており、正に本作のモチーフとなっている古代ローマ帝国が想起された。

 豪華なキャスト陣も見応えがあった。
 カエサルを演じたアダム・ドライヴァ-を筆頭にシャイア・ラブーフやジェイソン・シュワルツマンといった癖の強い中堅俳優、更にはジョン・ボイトやダンスティン・ホフマン、タリア・シャイアといったベテラン俳優陣が脇を固めている。ちなみに、カエサルの執事役でローレンス・フィッシュバーンが登場しているが、彼は本作のナレーションも務めている。ただ、彼がナレーターである必然性が今一つ感じられなかった。

ありの