「時よ止まれ」メガロポリス とぽとぽさんの映画レビュー(感想・評価)
時よ止まれ
時間も愛も、見ることも触ることもできない不可知なものを過去からの引用で問いかけてくるのは、大事なのは問題解決でなく問題提起だから
"Time, stop." 逆説的に時は止まらないから、人の営みも人類の歩みも。常軌を逸した人の間で、一人ひとりが主体性・当事者意識を持って未来についてとことん議論すべきだ。過去の引用から、"歴史から学ぶ"か"歴史は繰り返す"はあなた次第?神を創造した人間の英知そのパワーを直に利用して、未知に飛び込むことは自由の証。止まらない時の中で、最大の敵にもなり得る文明=人類の歩みと如何に折り合いをつけて、未来へ進んでいくか。
『レインメーカー』を最後に従来の商業映画の枠組みから逸脱した形で映画を撮り続けてきた巨匠コッポラが40年もの月日をかけ1億2000万ドルもの莫大な私財を投入した本作はヘンテコで、ましてや『ゴッドファーザー』でも『地獄の黙示録』でも『カンバセーション』でもない。執事ローレンス・フィッシュバーンを背景にした(+甥のジェイソン・シュワルツマンに役を与えることにも成功した)混沌としたカオスは、怪作だとか耄碌したなどと揶揄するものではなくアートとして味わい議論されるべきものなのかもしれない。ただ、そう言ってもやっぱり何をしたいのかよく分からん。
シーザー(カエサル)最大の発明は、動く歩道だ!カエサル突然の神々しいメガロン・カットが変にチープで笑った。そんなふうに時に意図的に、時に意図せぬ形で笑いを誘う。男性陣はボタンを一番上まで留めているのに、女性陣は性的に描かれる。女性の純潔・処女性を商品に、市政の財政難を立て直そうとするのクソヤバすぎ。オーブリー・プラザ演じるワオのルックスも、白黒映画から飛び出したようだ(それこそヒッチコック映画のファムファタールとか?)。
『テリー・ギリアムのドンキホーテ』に続いて、監督長年の企画にアダム・ドライバー。ジョン・ヴォイト新作で久しぶりに見たし、ジャンカルロ・エスポジートは安定。ニューローマと言うだけあって覚えにくキャラ名や、どこか古びた未来像と共にアナクロニズムに、世界のメカニズム・成り立ちに、イデオロギーや哲学・倫理、権力の腐敗、セックススキャンダル、暴政などあらゆる要素を詰め込んだ本作。MAGAヨロシク、"グレート"な現代社会も反映する形で、あまりにも壮大なことを描こうとするあまり、キャラクターが社会的な役割に始終しているように思えた。トリップしている主人公の葛藤がいまひとつ伝わってこない。
理想主義で何が悪い!最後がどう解決したのかよく分からんが、多分法廷モノの最終弁論みたいに皆の胸を打つものがあったのだろう。後年、カルト的な人気を得そうな作品(映画体験でありアート)。
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