メガロポリスのレビュー・感想・評価
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コッポラ爺のやりたい放題を浴びてきた
もはや映画ファンの間では、コッポラ爺の一世一代の失敗作を観に行って、もちろんつまらないよ!とイジって楽しむ祭りが起きている気がするのだが、実際に観てみると、確かにストーリーの流れをちゃんと観客に伝えようという気があるとは思えず、長年にわたってコッポラの中で積み上げた長大なストーリーから、撮りたいシーンだけを撮ってみましたみたいな乱暴さ。人間関係も、特に流れを説明しないままどんどん変わっていって、最後は香港の旧正月映画みたいに新年のご挨拶!みたいに終わったりするので、いやはや、本当に呆気にとられた。よくこれで終われると思ったなという気持ちになったが、悪い意味ではなくやりたい放題にやってのけてアッパレという気持ちの方が大きい。正直、古臭い価値観に基づく家父長制的な物語だし、人に勧める気にはならないのだが、わざわざ足を運んだ甲斐はあったので後悔は一切ないです。
理想主義者のコッポラ監督が巨費を投じて創造した映像世界、まずは理屈抜きで浴びてほしい
本作については当サイトの監督インタビュー記事を担当させていただいた。今回は4媒体合同で25分、個別で10分というごく短い時間でのやり取りだったこともあり、もっといろいろ聞いてみたかった思いは残るものの、本編鑑賞後にでもインタビューを読んでいただけたらありがたい。
「メガロポリス」日本公開にあたりコッポラ監督は多くのメディアのインタビュー取材に応じたようなので、時間があれば複数のインタビューを見聞きするなどして監督が込めた思いなどを詳しく知るのもいい。ただ、事前に情報をあれこれ仕入れて臨むより、まずは理屈抜きでコッポラ監督が創造した壮麗かつ濃密な映像世界に飛び込み、全身に浴び、体感してみもらえたらいいなと思う。
本編138分で、一度の鑑賞ですっきりと理解できるようなわかりやすい話ではない。記事の冒頭でも触れたように、監督は共和政ローマ時代に起きた史実から本作を着想し、古代ローマと現代のアメリカを重ね合わせた大都市ニューローマを舞台にしている。共和政ローマの歴史や政治について知識があればより詳しい解釈もできるだろうが、分断のない未来を夢想するコッポラ監督のメッセージに触れて共感するのでももちろんいい。
数日前にNHKで放送されたインタビューで、コッポラ監督は「今のアメリカには学ぶことなど何もない」、つまり現状はそれだけひどいと怒ったように話す姿が印象的だった。そしてきょう6月22日には、アメリカがイランの核施設を空爆したことが報じられた。「分断できない1つの地球」という理想からますます遠ざかる世界に、コッポラ監督は人一倍心を痛めているに違いない。
卒業制作感すらある
メガロポリス
監督がコッポラ様で、構想40年(後付けの、ただの宣伝文句じゃないのかな?)程度の理解で、いざミニシアターに着席。
先ずは序盤、「えーっ。」「マジ?」の連続です。
レジェンド級の俳優様が、これでもかと登場します。
女優さんに至っては、「もしかして。」と思いながら、エンドロールで「やっぱりね。」となる始末。
この集結も、コッポラ監督の成せる技なんでしょうね。
で、前置き長くなりましたが、作品です。
序盤は、英語名で覚えたローマ帝国の巨人達が、キチンとした表記で沢山登場します。
ですが、私の理解力では、???で、何が言いたいのか、よくわかりません。
前半★0でした。
そして、後半。
ラストに近づくにつれ、怒涛の様にメッセージが溢れ出します。
分断が加速する世界への警鐘。
赤いキャップを被った、厚顔無恥な大統領への強烈な批判。
その大統領の熱烈な支持者である(オールドメディア等の報道)ジョン ボイドさんの使い方は、露骨な皮肉にしか見えませんでした。
ココは、40年の構想に追加したのかな。
後半★5で、結果★4でした。
今、この時代に観るべき作品でした。
老兵は死なず、ただ消え去るのも、まだ早いかな、コッポラ監督。
設定がよくわからない
巨匠が描く英雄譚
近未来の都市・ニューローマで改革を目指す一人の英雄の物語。建築家で発明家のカエサルは、格差の上で富裕層が浪費と放蕩を尽くすニューローマの問題を解決すべく、昼はお薬・夜はアルコールに頼りながら自身の上司でもある市長・キケロと対立を深めていく。
公開の数年前から、何度も頓挫しながら自主制作で完成させた・試写をやっても買い手がつかない…等、作品の中身とは違う部分が話題になり続けた作品。ディレクターズカット版が完成してからが本番なんだろうなぁ、と思いつつも劇場で鑑賞した。
こだわりぬいた美術に薄い物語の断片を詰め込んだ作品という印象だった。
現在のニューローマに問題があるというのはわかるが、それがどんな構造や経緯に基づいていて、カエサルがそれをどう解決しようとしているのかは説明されない。カエサルの詩的な演説には政治的な中身がなく、旧体制派やポピュリストに扇動されていた市民がカエサルを支持する根拠が見えない。ニューローマの救い手になるであろうメガロンの機能も曖昧で、劇中の民衆がカエサルを持ち上げるほど観ているこちらは冷めてしまった。
カエサルもまた富裕層に属し、政治的な後ろ盾も富裕層から得ている矛盾・芸術や科学の才能があるものだけが持つ特殊能力の数々・メガロンの機能や噂される危険性・風見鶏な資本家達…等、物語に厚みを与えそうな要素は沢山ある。本編が時間を割くのは、ストーリーの緩急や世界観と人物のデティールアップよりも、セレブのゴージャスライフや理解されない天才の孤独、芸術と非言語の感性で共鳴する尊さだった。
カエサルが提示するニューローマの未来像・メガロポリスの具体像も、縦横自在の移動が可能になるフレームレスでスケルトンな道路、曲線的な街区、ふんわり発光する街…と、ひと昔・ふた昔前の『〇〇世紀の想像図』そのままで、新しいものを感じなかった。
強烈な意欲を感じる映画作品ではある。さまざまな時代の記号を有した未来都市の姿と、古典や史劇でおなじみの英雄譚とのケミストリーはレトロフューチャー感があるし、コッポラ監督が考える人類の課題と芸術の可能性も伝わるのだが、本作がそれらを観客と共有できる映画作品かと言えば、疑問符が浮かぶ。
テンプレとは洗練された物語であり、キャラクターのカリスマは俳優が持参するもので、映像と美術と音楽が充実してこそ映画だ、というのが監督の答えなのかも知れない。原作がある作品で好評を博した監督だけに、もし複数のジャンルのブレーンがいてくれれば、彼の構想やイメージを映画体験としてもっと共有できたのではないかと思えてやまない。
目眩く万華鏡の無防備に酔わされる
凡人には無理
巨匠、コッポラさんが長年温めていた作品ということで、予告編の映像も綺麗だったことから期待して観に行ったのですが、結局最後までいったい何をしたかったのか理解できませんでした。
ツッコミを入れ始めたらキリがないのですが、例えば、せめて主人公が時間を止める事のできる合理的な説明が欲しかったところです。
鑑賞してから1週間以上経つと、もう内容のほとんどを忘れてしまいました。それほど印象に残らない作品だったということでしょうかね。
分かる人には分かるのかもしれませんが、私ごときの頭では無理でした。何かすみません。
しかし「エンドゲーム」で盛り上がっていた頃マーベル作品を「あんなもの映画じゃない」的に批判していた巨匠監督さんの満を持した作品がこれとは⋯と、ちょっと意地悪を言ってみる⋯
重ね重ねすみません。
コッポラの世界観を楽しむ作品
話を理解しようと思いながらも、
そこに腐心することは途中であきらめ、
コッポラがつくり出す世界観を浴びるように楽しもうと
考えを変えて鑑賞。
政治ドラマでありつつ、
今ドキのテイストを入れつつ、
現世界とは異なる世界観をとりいれ、
つくりこまれた作品だなというのが率直な印象。
メガロポリスのビジュアルは好み。
手塚治虫が描いた都市を彷彿とさせる未来世界だと
感じたし、近年の映画作品でこんなビジュアルは
観た記憶がなかったので新鮮だった。
終わり方というか締め方は、
昔の映画作品の大団円的な感じで、懐かしさもありながら
これぞ映画だよな、と思うところでもあり満足。
俳優陣は豪華すぎて、それだけでも観るモチベーションに
なるが、私としてローレンス・フィッシュバーンが
ツボだった。
ストーリーを理解しようとそもそも思わず観たので、
その観点での感想はないが、
この圧倒的なビジュアルと世界観は劇場鑑賞向きなのは
間違いない。
コッポラの思想を映像体験するアトラクション
シンプルとは真逆に行く巨匠の若々しさに驚愕
御年86歳の巨匠が私財をなげうち、誰にも文句を言わさず好き勝手にやりたい放題の自主制作超大作映画を撮ってしまった。まずその事に驚愕する。
そして人間、巨匠と言われるようになると感覚は研ぎ澄まされシンプルの局地に向かうことが通常だと思われるが、コッポラ監督は真逆。まるで新人監督のように表現が溢れ、とどまることを知らず混沌としている。カンヌ映画祭でも賛否両論の問題作なのだ。
この作品を意味がわからずつまらない、と一言で言ってしまうのは簡単だ。しかし映画の神が40年も前から構想し、中止の危機も乗り越え最後は自主制作で完成させた映画がつまらないわけがないのだ(ストーリーがという意味ではなく)。
21世紀のアメリカ共和国の都市、ニューローマ。都市計画局のカエサル(アダム・ドライバー)は理想都市「メガロポリス」の建設を目指している。一方市長のキケロ(ジャンカルロ・エスポジート)は財政難解決の経済政策に邁進する。この対立はその名前でも明らかだが古代ローマ帝国の盛衰が重ねられている。理想主義か現実主義かの対立は現在のアメリカの写し鏡であり40年前から構想していた事に驚く。
その対立を軸にキケロの娘、やり手の女性テレビ司会者、大富豪ファミリーと多彩で魅力的な登場人物が権力闘争を繰り広げる、というアウトラインがあれば重厚な闘争劇が展開できたはずだ(ゴッドファーザーを撮った監督なのだから)。ところがコッポラ監督はそんな大衆迎合はしない。
観念的で哲学的なセリフの応酬、カエサルがノーベル賞を取ったという新素材で建築するオーガニックな理想都市、ローマのコロッセオを模した空間で行われる大結婚式は「ベンハー」の戦車戦やフェリーニ監督のサーカスの場面を再現したようなスペクタクル。人工衛星の墜落による都市崩壊、時を止めることができるカエサルの超能力と、もはや誰も止められないカオスな展開、映画全部入りなのだ。
ただ、メッセージは単純明快、このままでは世界は終わる。ローマ帝国が滅んだのはなぜなのか過去に学ぶべき、というもの。ラストシーンは子供達に未来を託す、というもの。
その内容を映像アートのスペクタクルで表現する手腕は脱帽だ。
まだまだアイデアは溢れ出ている巨匠の次回作にも期待したい。(完成することを願う)
これからの世界
コッポラ監督の映画表現に対する飽くなき探求心を感じる。そして、ラストシーンに、次世代に希望を託そうとする監督の気持ちを感じた。しかしその一方で、どうしても心に響いてこない、主人公に魅力を感じない。
次世代へ思いを託す作品としては、宮崎駿の『君たちはどう生きるか』と共通するものを感じる。あちらも取っつきにくいが、伝わる熱量と引き込む力は非常に大きかった。だが、メガロポリスにはそれを感じることができなかった。
何故なのか、思いつく理由は2つ。1つ目は、オープニングや宙に浮く鉄骨(?)のシーン等、印象に残るべく作られたシーンが空回りをしていること。撮影風景が目に浮かんでしまい、高所にいると感じられない上に少し滑稽にも思えてしまう。
もう一つは、私がこの映画の対象ではないと感じてしまったこと。シーザーが作り上げる街に自分が住むイメージが全く沸かない。この作品に出てくる庶民は、トランプに扇動されて議会を襲撃してしまうような者達だけだ。しかも彼等は最後には煽動者を吊るしてしまう程に愚かで野蛮。恐らくシーザーの新都市は、彼らを棲家から追い出して更地にした跡地に建設されるのだろう。大きな主語で理想を語りつつ、結局は彼のお友達であるお金持ちとその使用人だけの街が出来上がるのが目に浮かぶ。
監督がシーザーという英雄であり独裁者の名前を主人公に何故与えたのか。そしてこの主人公を肯定的な意味で作ったのか、シニカルな意味で作ったのかは分からない。ただ、この映画を観てアメリカの分断の根深さと、トランプが2期目に返り咲けた理由を感じることが出来た。
まあまあだった
つまらないという評判に触れていたので期待せずに最終上映回で見る。最終回だからか、けっこうお客さんがいた。近未来のビジョンが古い。もうSF映画が描く未来世界にワクワクすることなどないのではないだろうか。スマホとドローンと配信以上の未来はなく、現在が到達点ではないだろうか。そんな思いを抱き寂しい限りだ。これから先AIがなんかするのだろうか。
歩く歩道がすごいだろみたいに出ていたけど、全然すごくない。東京ビッグサイトにあるし。貧民たちがメガロポリスで仲良く暮らしている感じもしないし、あの街全然住みたくない。今の新潟の方がいい。
登場人物がさっぱり魅力的ではなく心が揺れない。感動も興奮もないまま終わる。子どもに顔面を撃たれたところはびっくりした。
ハッピーエンドには、もしかして深淵なアイロニーが込められていたのかもしれないが、私には解らなかった。
IMAXで鑑賞。ちょっと残念。豪華絢爛な映像は、デイミアン・チャゼルの「バビロン」ほどに露悪的ではなかったし、全体的に少々理屈っぽい。
見ながら、宮崎駿の「君たちはどう生きるか」を思い出す。どちらも今まで自ら作った映画の映像表現の相似形や形骸化した映像の羅列とでも言おうか。豪華絢爛ではあるけれど、以前のような表現に緻密さや精度がない。
何の制約なくフリーハンドで描ける状態は、イマジネーションが際限なく発展するが、まとまりがなく、伏線回収もされない状態に陥ってしまった。(ダスティン・ホフマンはいつの間にか出てこなくなるし)
結局、「映画を語る」のにタメが効かなくなり、「こらえ性」が無くなったようなストーリーだった。
しっかり作り込めば、もっとハラハラしたり、感動するのだろうが、もう緻密にストーリーを練ろうとする根気がないのかもしれない。作家としての万能感と裏腹に。
アダム・ドライバーは安っぽくて意外と良かった。相手役のナタリー・エマニュエルもいい。彼女はコッポラの趣味なのか、ウィノナ・ライダーと同じようにアメリカの女優らしくなく線が細く、肉食系ではない。かたやアダム・ドライバーの愛人役のオーブリー・プラザは金髪で肉食系でまさしくのアメリカ女優然としている。この対比は面白い。コッポラの女性観なのかも。(ちょうど「君たちは〜」で宮崎駿の理想の女性は母親だったことを吐露したのと似ている)
ハッピーエンドには、もしかして深淵なアイロニーが込められていたのかもしれないが、私には解らなかった(多分「時間を止める」ことに意味があるのかもしれない)。
見直すとすれば、IMAXで見る必要はないが、必ず劇場で見るべきだと思います。
(多分、自宅のモニターで見ると無茶苦茶つまらなくなると思います)
フリーハンドで創作すると、制約がある状態で創られたものよりつまらなくなる、という創作のパラドックス的な不思議さを思ってしまった。
すげえ映画!!
批評コメントを見ると、フェイク動画に騙される大衆頭悪すぎる。というコメントがちらほらあるけど、この映画はローマ劇を大元に作られているのだからそこを指摘するのはナンセンスではないかと思う。
乏しい知識ではあるけど、古代の演劇はお話優先で、リアリティを追求するのは一部の人物。大衆はただ効果音などと同じ環境として扱われる。
でこの映画映像だけですごく面白い。動画の質が粗くなったり、3等分になったりするし、色がとても鮮やかに描かれている。パステルカラーの街並みがあり、ニューヨークが非現実のものと思える。
メッセージ性は感動的
フランシースフォード・ホドロフスキー・コッポラ
ホドロフスキーのようなカオスと不思議な寓話のような映画。
宮崎駿の「君たちはどう生きるか」
黒澤明の「夢」
みたいな作品だと言えば分かり易いだろうか?
巨匠年取るとこういう作品を作りがち。
しかし、ただ単に意味がわからないだけでは無く、老兵の気概のようなものは感じて迫力はあった。
何だろうこの違和感
きめ細やかにー恐らく動作一つをとっても台本に書かれているのではないかと思うほど細かい演技をしている。(思わせぶりなだけかもしれないが)そのおかげか情報量多すぎて一回では理解できない。でも非常に疲れるので2回見たいとは思わない。
と、作りこみや映像はすごいのだがストーリーが謎すぎるほどつまらない。
疲れるうえに興奮の全くないプロットと、なかなかにお勧めできない。
55歳以下なら9.5割の人がフェイクだろうと思うような動画に警察までも騙されるとか、よほどリテラシーの低い製作者なのか見る側をアホだと思ってるのか。
さすがに3000年に紙の新聞はそんなにたくさんないよ。
中学生の考えるような世界観はよいのだがディテールがことごとく年寄りくさい。
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