ANORA アノーラのレビュー・感想・評価
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シンデレラストーリーの先にある現実
ストリップダンサーと御曹司との恋愛なんて、うまくいくはずがないと思わせておいて、実は、彼女と彼の純愛を描くラブストーリーになるのではないかと予想していると、話が全然違う方向に転がっていって、良い意味で期待を裏切る展開を楽しめた。
特に、御曹司のお目付け役たちが屋敷に乗り込んで来てからのヒロインの激しい抵抗ぶりと、それ以降の、姿をくらました御曹司を探す彼らの珍道中には、思わず吹き出してしまいそうな面白さがある。
それと同時に、話のテンポがどんどんスローダウンしていって、ドタバタ劇から、しっとりとした味わいのドラマへと変わっていく「転調」ぶりも見事だったと思う。
どうせ、金目当ての結婚で、本当の愛情なんて無かったはずなのに、ヒロインが、あれだけ「結婚の無効化」に抵抗したのは、社会の底辺で苦しんできた者の「意地」があったからだろう。御曹司が、結局、ただのヘタレな放蕩息子だったというオチも、現実の厳しさをありのままに描いていて、「やっぱり、そうなるよね」と納得することができた。
バイタリティーに溢れていながら、ところどころで、ギクリとさせられるような「真剣」な表情を見せるマイキー・マディソンがとても魅力的だし、ぶっきらぼうながらも、彼女に誠実に接する用心棒を演じるユーリー・ボリソフも、良い味を出している。
ラストで、初めて素直な感情をさらけ出して泣くヒロインの姿からは、2人の将来に向けたかすかな希望を見い出すことができるし、無音のエンドクレジットには、深い余韻を感じ取ることができた。
展開に次ぐ展開
1部、2部、3部展開(個人の感覚の話です)
1部、いつまでパリピたちのばか騒ぎを
観なくちゃいけないのか。と思いつつ(笑)
お金とセックスと薬だけの乱痴気騒ぎのみ
2部、アルメニア人兄弟が出てきてからは
コメディ色が強くなり、劇場内笑い声も聞こえてくる
「プリティ・ウーマン」のような展開かと思いきや
穀潰し息子がクズ過ぎてでショックよ、アニー
3部、手のひら返しが酷すぎるイヴァンに
一矢報いてやりたかったが出来なかったの悔しい。
イヴァン父の高笑い、アニーを認めるのかなぁと
思ったのになぁ。
イゴールの寄り添いに初めて見せたアノーラの涙
結局、アニー自身がセックスしか価値がないと
思い知らされた涙でもあった気がする。
ホント悔しい。
自分が解っていないだけなんだろうけど
アカデミー賞作品賞の本命という事と主役が「ワンスアポンタイムインハリウッド」で
最期、火炎放射器で焼かれた女性だったので出世したなという事で興味を持って見に行った。
感想は、何故、この映画がアカデミーの作品賞の本命なのか自分には解らなかった。
筋はかいつまんでいうと、似た様な流れになる「プリティウーマン」は観客の願望を最後まで貫いたけど、現実に促せたらこうなるのが本当だろうなと。特に相手が脛かじりのアホぼんなら、親には逆らえんので尚更で自分には当たり前に思えた。ラスベガスで結婚というのも、他の映画やドラマでもよく出て来るシュチエーションだけど手軽なだけに、重みがなく、ノリでしたので破棄も簡単だろうと。只、主役の彼女の頑張りは素晴らしい。特に前半、しなやかな美しい体を惜しげもなく晒してのXXシーンのオンパレード?。唐突な終わり方と続く無音でエンディングのテロップが流れる演出は、インパクトがあった。
自分には彼女の裸とエンディングだけが印象に残った映画だった。
ラストは…
ラストシーンは観た人によって解釈が分かれそうだと思った。
アノーラの行為はイゴールへの愛情や感謝だったのか?
私は違うと思った。イゴールが乗る車が彼のおばあさんの車だと知り、アノーラは行為に及んだ。
彼の善良さに腹を立て、おばあさんの車を汚したかったのではないだろうか。
イゴールのキスを拒んだのはそのまま彼への拒否感だったように感じた。
そしてイゴールを傷つけようとした自分が情けなくて泣いた。
この映画には現実離れしたキャラクターが多く登場したけれど、どのキャラクターも現実的な"人間"を表現していたように思う。もちろんアノーラも。
マイキー・マディソンの独壇場!
終始アニー(アノーラ)を演じたマイキー・マディソンの
独壇場だった。
体当たりで全身で出し切る演技の迫力が
スクリーンを通してビシビシと伝わり心に響いた。
前半のセックスワーカーのアニーが
イヴァンと出会い、仕事から愛情が生まれ、結婚へという
なんともシンデレラストーリーだったところへ
一転してイヴァンの両親の手先が家を訪れるコンクリフト
からの怒涛のやりとりが、本作最大のみどころ!
大いに笑わせていただきました。楽しかった。
そこからまさか逃げたイヴァンを4人で追いかける展開に
なるとは!この追走劇における4人のやりとりが
実にコミカルでここでも笑わせていただいた。
イヴァンを見つけ両親と対峙する場面でも感じるのが
格差社会における差別的蔑視、
それをアメリカ人とロシア人で描いているのも
ユニークで本作ならではな気がする。
そしてアニーを見守り続けたイゴール
(ユーリー・ボリソフ)の優しさも微笑ましいし、
アニーとふたりでお互いの名前の意味を話す場面も
じわりと心が温かくなった。
ラストシーンにおける車中で聴こえるワイパーの音、
冒頭のアニーらしい行動をとりながらも、
感情が溢れでてしまうアニーをそっと抱きしめるイゴール
に感動した。
でも、イヴァンはクソでクズ!
ここまでのクズはなかなかいなさそう(笑)
中盤からの展開に良い意味で意表をつかれたし、
鑑賞後感も素晴らしい作品だと思う。
アカデミー賞に是非からんでほしい!!
ドラ息子に翻弄される者たちの、ほんのわずかな共感
ストリッパーと御曹司の許されざる関係の映画かと思ったら、そもそも恋とか愛とかこの世にありましたっけ、とでもいうような苦い話だった。
第1幕。主人公アノーラは金持ちの若者イヴァンの玉の輿に乗りたい、イヴァンのほうはロシアに帰りたくないからアメリカで結婚したい、という打算でスピード結婚。ロシアの両親にバレるとイヴァンは逃走し、あっけなく画面からも姿を消す。
第2幕。代わりにアノーラの前に現れたのは、両親に代わってイヴァンのお世話をするアルメニア人の男性3人だ。イヴァンを探すという目的のためにアノーラと4人で珍道中を繰りひろげる。ここで映画にぐっと活気が出てくる。
しかし第3幕、イヴァンやその両親と結婚を取り消すシーンはとてもあっけない。イヴァンがしれっと手のひら返ししても大した怒りを見せないアノーラ、両親相手に裁判を起こすという威勢の良さもやがてはしぼんでいく。
結局、住む世界が違うということなのだろうか。アノーラが感情をむき出しにして取っ組み合い、本音を漏らすのは、むしろアルメニア人たちやストリップ仲間なのだ。ちょうど「金持ちに翻弄される身分」どうしで共感しあうように。
しかしその関係のなかにも温かさはなく、傷つけあう様子が痛々しい。(最後まで寄り添ったアルメニア人をレイプ犯呼ばわりまでする必要、よくわからなかった。)
エンドロールには音楽もなく、白黒の画面でスライドショーみたいなスタッフロールが映されるだけ。「娯楽大作」のようなポスターから、いったいこういう結末を予想した人がいるだろうか。
(追記)以上のように結構皮肉な映画だと思うのだが、それにしてもいろいろ無理がありませんかね。
あんな両親なら「ストリッパーと結婚」で驚く以前に、息子がアメリカで遊ぶ間、24時間監視役を付けて見張っているのでは。
アノーラを強い女として描くなら、ちょっとイヴァンに対して無防備すぎる。
唯一「人の心」を持つアルメニア人も、御曹司に対し「彼女に謝るべきだ」とか、ちょっととってつけたような感じが。
頑張れ、アノーラ‼️
ニューヨークでストリップ・ダンサーをしているアノーラは、職場でロシアの富豪の御曹司であるイヴァンと知り合い、「契約彼女」として彼と過ごすうちに、衝動的に結婚してしまうが・・・‼️「プリティ・ウーマン」のようなシンデレラ・ストーリーかと思ったのですが、全然違ってました‼️この作品は、一人の女性が己の幸せを勝ち取るため、様々な障害を前に全力で奮闘する映画‼️そしてそんな主人公アノーラを全力で応援したくなる、人生賛歌な映画‼️映画はアノーラとイヴァンが知り合い、二人でパーティー、ショッピングなど贅沢三昧の末に衝動的に結婚してしまうまでの前半と、イヴァンのアメリカでの世話役や両親たちなど、二人の結婚に反対する者たちとのドタバタが展開する後半に分けての構成‼️前半はアノーラの仕事ぶりや、イヴァンとの贅沢三昧の日々が、音楽や華やかな映像でPOPに展開‼️ギリギリの生活をしながらも、活き活きと人生を楽しんでるアノーラがホントに魅力的ですね‼️そしてイヴァンとの出会い‼️最初は明るく誠実なキャラだったイヴァン‼️ところが後半、両親がアメリカに来ると知ったイヴァンの変貌ぶり‼️甘やかされて育ったワガママなだけのクソガキだと分かった時、アノーラはイヴァンとその両親、そしてその腹心らを相手に、自らの幸せを摑もうと宣戦布告‼️階級差別や職業差別、偏見といったモノに必死で抵抗するアノーラ‼️物語の根底には、そんな深ーいテーマがあって考えさせられます‼️そしてそんなアノーラに寄り添う腹心の一人、イゴール‼️アノーラは、愛、不信、怒り、裏切り、戸惑い、安らぎといった様々な感情を経て夢破れる‼️ラスト、車の中でイゴールに跨がって泣き崩れるアノーラの涙は夢破れた涙か⁉️それともイゴールという存在を意識し始めた涙なのか⁉️アノーラの夢が別の形で実現するんじゃないかなぁと思わせられるステキなラストでした‼️
ラスト10分の凄み
前半1時間くらいまでは無駄に長いし、無暗に騒がしい。
というかしつこいくらいにうるさい。
と思ってたのに、ラスト10分に凝縮されたアノーラの心情表現に、ガツンと持っていかれました。
ストーリーだけなら200字もかけずに語れるほど。
たとえば、こんな感じ。
「ストリップダンサーのアノーラが、気まぐれに遊びに来たロシアの大富豪のバカ息子と意気投合、1週間の専属契約を結び、セックス三昧の勢いのままラスベガスで結婚。お互いに本気だと信じていたのに、体面を重んじるバカ息子の親の介入で結婚はご破算に。アノーラのやり切れない涙の原因は、果たして、彼の裏切り行為への怒りなのか、自分本位な大人たちの介入に対するものなのか。」
20代前半の幼くて危なっかしい恋愛とか、悪友・親友たちとの度を超したやんちゃな遊び……良識ある大人からすれば、本当に馬鹿げていて、くだらない時間にしか見えない。
でも、誰にもなかったことにはできない。
自分たちにとってはかけがいのない、みんなが本気で楽しんだ時間。
〝確かにそこにあった〟何かを〝無かったことにしてしまう〟権威者たち。
学校でも、会社でも、集団があれば必ずそこには権威をもった人間がいて、何か問題があれば、立ちどころに元々なかったものとして解決してしまえる人たちがいる。
自分のことなのに「無かったことにする」行為に加担してしまったことへの怒りと悲しみとふがいなさ。その他諸々のやるせない感情がラスト10分で怒涛の如く、こちらの胸に入り込んできます。
前半とは打って変わって、騒がさしさを排除した無音のエンドロールが、とても余韻に残ります。
アニーが魅力的
ストーリーはシンプル。
でもアニーが魅力的で共感できるキャラなので、応援したくなる。
男性からみてもそうなので、女性ならなおさらでは?
観客の誰しも期待するような大逆転というか、相手をギャフンと言わせる瞬間は残念ながら訪れないのだが、それがこのシンデレラストーリーという究極のファンタジーにとって最大の「現実」ということ。
それが切ない。
アニーが彼氏の母親をギャフンと言わせる、言い負かす瞬間が見たかったなぁ。
でもまあ、「夢の世界に行って、戻って来る物語」と捉えることも出来る。
期待度◎鑑賞後の満足度◎ アノーラは『花』…イゴールは『戦士』…切ないエンディングに胸を衝かれ忘れ難い印象を残す…
①上手い、と思う。基本的には、身体をはって生きている貧しい女の子が、大金持ちの御曹司に見込まれて(騙されて)結ばれるが、結局捨てられてしまう、というよくある話なんだけれど、前半は妖しく艶やかに楽しく、中盤は一転ドタバタ劇の様になって笑わせ、最後にアノーラが抱えていた悲しさ・寂しさ・脆さが溢れる哀切さで締め括る、という構成。
アノーラは精一杯肩肘張って生きてるし、言葉使いは汚いし(あまりの汚さに英語ネイティブでないこちらでも笑ってしまう)で、うるさいし(ここも笑ってしまう)で、なかなか感情移入しにくい女の子だが、「一週間の専属彼女」になるのの1万ドルのオファーに対して1万5千ドルと吹っ掛けながら、直ぐ後に『本当は1万ドルでも良かったの』と言ったり、プロポーズに最初は『ウソでしょ』という態度だったのが絆されて結婚したり、ロシアから飛んできたイヴァンの母親に優しく微笑みかけたりと、根は優しい女の子だと言うのがだんだん分かってくる。
そしてラスト、したたかそうで突っ張っていて決して上品とは言えない仮面の下に、傷つきやすい女の子が隠れていたことが分かる。
誠に胸を衝かれた。
②現代のプア・ホワイトの生きづらさ・夢・希望・挫折・絶望・哀切さを、しみったれた映像ではなく、明るく華やかな色彩の映像で活写されたら右にでるものの無いショーン・ベイカー監督。(『レッド・ロケット』はややしみったれていたので印象がも一つなのかな
)
本作でもその作風は遺憾なく発揮されている。本作では逆光が効果的に使われている。
エンディングの哀切さも『フロリダ・プロジェクト』のエンディングの哀切さに通底しているものがある。
③最初は単なる用心棒に思えたイゴールの存在感がだんだん大きくなってくる描きかたも宜し。
光の戦士
“シンデレラ・ストーリーのその後”というキャッチコピーがついているが、ラブストーリーでもなければサクセスストーリーでもない。
「ANORA/アノーラ」は最初から最後まで権利の物語であり、個人というものがいかに蔑ろにされているのかというテーマを痛々しく表現する映画だ。
ストリッパーのアノーラが御曹司のイヴァンに気に入られ、衝動的に結婚…というあらすじは確かにあっているのだが、事は単純な若い2人のラブストーリーとは様相を異にする。
むしろアノーラにもイヴァンにも純粋な恋愛感情は皆無なところが面白い。
周りの大人、主にイヴァンのお目付け役であるトロスは2人の結婚を「グリーンカード目的」「金」などと、自分の理解できる範疇で語りたがり、ボーッとしていると観ている側もその表面的な理解に踊らされそうになるが、本当の2人の結婚理由とはモラトリアムと契約である。
イヴァンはロシアに戻って親の仕事をさせられるのが嫌で、抵抗する為にアメリカ人になろうとした。
大人になりたくない、いつまでも子どもでいたい。渡米して親元を離れたことも、享楽的に過ごす毎日も、アノーラとの結婚や逃げ出して泥酔したことと同じく、決められた人生からの逃亡なのだ。
一方のアノーラは、全てにおいて自分で人生を決めるキャラクターである。イヴァンの契約彼女になる取引も、社会保険・失業保険・医療保険を保障してくれる職場であれば断ったかもしれない。
自分が最も高く売れる時、という見極めに従って、最も高く買ってくれる相手に売った。それは大人として責任ある決断であり、彼女が守りたいものとは契約の正当性なのだ。
アノーラにとって最もショックだったことは、愛が無かったことでも金を失うことでもなく、2人の成人が合意の上で合法的に行った結婚という契約を軽んじられていることだ。
いつの間にかアノーラがイヴァンとの間に愛情を感じている、と思った人が多いみたいだが、アノーラは愛なんか感じていない。裁判所で「愛し合っている」と述べるのは、一応結婚とはそういうものと認識されているからであり、結婚の合法性を主張するための抗弁である。
思い出して欲しい。2人の結婚後イヴァンがゲームに興じる傍らで、イヴァンに寄り添うアノーラの退屈で不安そうな表情を。あれが愛する相手と一緒に過ごす表情だろうか。
この映画で興味深いのは、イヴァンの現状を確かめに来た2人組の片割れ、イゴールの存在だ。登場人物の中で1番まともで1番優しく、イゴールだけは他の人物のことを「1人の人間」として扱う。
アノーラにスカーフを差し出したり、鼻を折ったガルニクの為に薬を取りに行ったり、常に相手のことを気遣う姿勢を見せる。
「家はおばあちゃんの家で、薬もおばあちゃんのものだ」「薬は売らない。商売じゃない」という発言も、イゴールの自身に対する責任感と他者に対する尊敬を感じさせる。
イゴールはアノーラのことを「クレイジーだ」と評するが、クレイジーなくらいじゃないとアノーラはアノーラ自身と彼女の権利を守れない。
襲われる、と思ったら全力で抵抗し、合法的な権利を侵害される、と思えば全面的に闘う。
「アノーラじゃなくてアニー」と呼ばせるアノーラは、闘う為の鎧として「アニー」という人格に「アノーラ」という本当の自分を守らせているのだ。
しかしイゴールはこうも言う。
「アノーラの方が良い」と。
最後の最後まで弱音を吐かず、涙も見せず、事態を切り開く為に闘い続けたアノーラを、1人の人間として見続け、接し続けたイゴールの偽らざる本心なのだと思う。
イゴールという名前は「戦士」という意味だ、良い名前だ、とイゴールは言うが、まさしくイゴールは戦士なのだと思う。
暴力を利用して事を成すという意味ではない。主義や信念の為に活躍する、の方が近い。イゴールの信念はきちんと他人と向き合うことであり、力も金も同情も関係なく、自分が正しいと思うことを行う事だ。
戦士イゴールはアノーラの助けになりたい、と思い彼女がその思いを受け取ってくれるまで静かに待っている。アノーラが助けを求めないなら、それは彼女の決断であり、求められないのに助けようとする行為は相手のことを軽んじている行動だからだ。
イゴールとNYに戻ったアノーラは「アニー」のやり方でイゴールと接しようとする。イゴールを突き放し、言いたい放題罵ったり、一転して性的なコミュニケーションを取ろうとしたり。
でもそれは「アニー」の枠を出ないし、アノーラの本当の心を表現しない接し方だ。
根負けなのか、それとも限界だったのかはわからないが、アノーラは最後の最後にやっと本当に自分自身をさらけ出して、ずっと見せなかった涙を見せ、イゴールの腕の中で泣きじゃくる。
アノーラの涙が枯れるまで、イゴールはアノーラを抱いていてくれるだろう。
闘う女の物語は少し前まで勝利のエンドで女性たちを元気づけるものだったが、今求められているのは傷つきながら手にする勝利ではなく、負けても傷ついても「素の自分」を受け入れてくれる相手や世界ではないだろうか。
アノーラの涙を拭うように、動き続けるワイパーの音がとても印象的だ。
【”ストリッパーが、夢みて何が悪い!”今作はショーン・ベイカー監督ならではの、社会格差、職業差別を浮き彫りにするドタバタコメディ劇であり、ラストシーンは心に沁みる作品なのである。】
■ニューヨークでストリップダンサーとして働くアノーラ(マイキー・マディソン)はロシアの大富豪のボンボン、イヴァン(マイク・エーデルシュティン)に気に入られ、彼がアメリカに遊びに来ている一週間の間、恋人契約をし、更に盛り上がった二人はラスベガスに行き、結婚式を挙げる。
だが、その事を知ったイヴァンの監視役のアルメニア人司祭のトロス(カレン・カラグリン)は、怒り狂ったイヴァンの両親がロシアから来る前に、用心棒のイゴール(ユーリー・ボリソフ)とガーニック(ヴァチェ・トヴマシアン)を連れ、二人の結婚を無効にしようとするのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・序盤は、アノーラが働くストリップ店での”ウヒー!エッチー!!”というシーンが描かれ、大変に宜しい。序でに、アノーラとイヴァンが恋人契約をした後に、ヤリまくる姿も大変に宜しい。(痛いから、石を投げないで下さい!)
それにしても、ショーン・ベイカー監督は「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」の可愛いムーニーや、そのお母さんハーレイを演じた鮮やかな紫色の刺青を入れたブリア・ヴィネイトなど、ほぼ素人さんを起用するのが上手い監督である。
今作で、アノーラを演じたマイキー・マディソンも、ほぼ無名の女優さんであったが、この作品での身体を張った演技は素晴らしい。
そして、この序盤での彼女の”イヴァンに気に入られようと頑張る姿”が、後半に効いてくるのである。
・愚かしきボンボン、イヴァンは、用心棒のイゴールとガーニックが、両親保有の豪華な家に来た途端に、アノーラを連れずに慌てて一人でほぼパンツ一枚で逃げ出すのである。
そして、アノーラは二人に対して、部屋の中の装飾品を投げつけ激しく抵抗するも、イゴールに捕まってしまう。だが、この時にイゴールとガーニックは、自分達は散々に痛めつけられながらも、アノーラを傷つけたりしないのである。電話線で手は縛るけれど。このシーンはとても可笑しい。だが、特にイゴールはアノーラを後ろから抱きかかえつつ、そのまま動かないのである。この姿がラストシーンに連動しているのである。
・その後、到着したトロスも含めた4人はイヴァンを探しまわる。個人的には”あんな、甘えたバカ息子は、撃ち殺してしまえ!”と思いながら鑑賞したのだが、イヴァンは捕まり、到着した両親に”バカ息子!”と罵られながら、プライベート・ジェットでラスベガスに行き、”結婚は無かったこと”にして貰うのである。
その際に、イヴァンはアノーラに対し詫びの言葉を一切掛けずにロシアに帰ろうとするのである。”アメリカなんて、来るんじゃなかった。”と言って。
だが、その時にずっと無口だったイゴールは初めてイヴァンに対し”アンタは謝るべきだ。”とボソリと喋るのである。このシーンはちょっと沁みたなあ。イゴールはずっと、アノーラの身の上を黙って聞いていたからである。
■そして、イゴールがアノーラの、線路の直ぐ傍のボロアパートに、彼女の荷物一式を持って行くシーン。彼は彼女がイヴァンから貰った4カラットの結婚指輪を(そして、その後無理やり外されていた。)ポケットから出して彼女に渡すのである。
アノーラはそれまで悪態を付いていたが、その彼の行為を見てイゴールの上に騎乗位になる。そして、彼の胸に顔を埋めて、初めて激しく泣きじゃくるのである。お金持ちに成れず、富豪のロシア人達にいいようにされた悔しさと、イゴールの優しさが綯交ぜになり感情が爆発したのであろう。イゴールはそんな彼女を胸の上に乗せたまま、黙っているのである。イゴール、とても良い奴である。
そして、このラストシーンは、私は実に沁みたのである。
<今作は、ショーン・ベイカー監督ならではの、社会格差、職業差別を浮き彫りにするドタバタコメディ劇であり、ラストシーンは心に沁みる作品なのである。>
クッタクタ〜
意気投合した相手とのシンデレラストーリーのように電撃的な結婚をしたアノーラ。
二人はかなり初めの方から所々雲行きが怪しいのだけど、恋は盲目…というかチャンスに盲目すぎた!
いや、そもそも恋でも愛でなかったんだろうね。
富豪の両親が息子の結婚を許さないところからゴタゴタが始まるが、アノーラの毅然とした態度は救いで時々スカッとしながら耐えるストレスフルな中盤。
みんなが振り回されてクタクタになっていく様子が凄すぎて誰視点なのか私も夢中でクッタクタ。
いつの間にか座席にななめにだらんともたれかかって観ていたのも久々な没入感だけど、そんなとき冷静な視線がひとつ、アノーラの内面をまっすぐとらえはじめているのに気づく!
これまでと同じようでいてちょっと違うアノーラがみえたラストは彼女の複雑な思いも伝わってきてちょっと切なくもある。
このあとの彼女ならきっと人生をやりなおせるよと励ましたい気持ちもあったな。
そして…魅力的なアノーラを演じる彼女、ふりきっていて本当に素晴らしい。
でもこれお年頃の家族と一緒に観に来なくて正解だった 😅
修正済み
夢見る少女"アニー"から"アノーラ"へ
「フロリダ・プロジェクト真夏の魔法」、「レッドロケット」に引き続き本作も社会の間・悪に生きる人々にスポットをあてながらもどんな人も優しく救い上げる人間讃歌でした!
ジャンルとしてはスクリューボールコメディという1930年代~40年代ハリウッドで流行った、次から次へと色んなことが起こっていくコメディで、本作もドキュメンタリー風に色んなことが行き当たりばったり的に起こっていきます。
特に物語がアクセル全開で動き出す中盤のイヴァン邸の怒涛の25分間のシーンは何と11日間もかけて撮影が行われたそうで、しかもカメラレンズも昼と夜とパーティシーンと何種類も使い分けられているこだわりのシーンだそうです。本当に劇場もドッカンドッカンウケていました。
「フロリダ・プロジェクト」、「レッドロケット」では物語の背景を説明する大きな要素としでロケ地がありました(ショーン・ベイカー日くロケ地も主役)。
このロケ地でカメラの背景として存在する大きな世界。まさに資本主義社会を代表とするようなディズニーワールドや大工場がありその片隅に生きる小さなコミュニティという構図がありました。
しかし本作は、主人公アニー自らその"大きな世界"大富豪の世界に飛び込んでいきます。ロシアの富豪のドラ息子の自宅や(ショーン・ベイカー監督がGoogleで探し当てた本当に昔ロシアの富豪が住んでいた大豪邸!!Mil Basin mansionで検索してみてください)、ラスベガス、コニーアイランドと舞台が移っていきます。
ショーン・ベイカー監督作は彼の奥さんであるサマンサ・クアンさんと「フロリダ・プロジェクト」から本作まで共同制作しており、彼女が俳優でありコメディアンでもあることもかなり影響していると思います。
カンヌ国際映画祭のアノーラを演じたマイキー・マディソンさんのインタビューでは、セックスシーンを撮る際に実際にどう動いて欲しいかショーン・ベイカー監督とサマンサ・クアンさんが自分達で実演して見せたというのが驚きでした笑
ラストでイヴァンのパパがアノーラの凄まじさに思わず笑ってしまうくらい、本当に憎めない、愛すべきおバカ達が沢山出てくる。試写会で宇多丸さんがおっしゃっていた落詰の登場人物みたいだと言っていたのが私はすごくピッタリだと思いました。
桂米朝さんの「落語とは現世肯定の芸や」、「落語とは実に 人生の一大百科時点である」という言葉を思い出しました。
ショーン・ベイカー監督作の登場人物には人生を感じることが出来る。
本作が感動的なのは、アメリカのブロードウェイミュージカル「アニー」の主人公のように夢見る少女が、現実の女性「アノーラ」として肯定される話だったからだと思う。
ショーン・ベイカー監督作に共通して大きな世界と影に生きる人々は決して交わらない。本作でもやはりそこには大きな壁があった。アニーはあちら側の世界に行くことは許されない。
劇中、彼女は自分のことをアニーと呼ぶように言う。しかし「アノーラ」は素敵な名前だという男に出会う。そしてラスト。
ショーン・ベイカー監督はラストの意図・解釈に対して敢えて明言をしないようにしている。
"アニー"から”アノーラへ。
アノーラの人生がやっと始まる。そんなラストに私は感じた。大傑作。カンヌ国際映画祭パルムドールは納得。
アカデミー賞も是非獲って欲しい!
ポルノコメディラブストーリー
今年のアカデミー賞なので鑑賞。
世にはポリコレが流行し、自立した女性を描く事が主流の時にアカデミー賞が、売春婦(ストリップダンサーと言ってもエッチしてるし、デリヘルなんかもしてて売春婦と言っても仕方ないでしょう)、性的搾取を主題とし、玉の輿に乗れそうだから「自分はバカ息子と結婚した」「自分はバカ息子の妻」と終始主張し続けるのが、これが自らの幸せを勝ち取ろうと全力で奮闘する姿?
幸せは男の財力で決まるという発想はポリコレ違反ではないですか?
自立した女性というのは一人でも、例えばパートナーがいても協力して自己実現する女性ではないのでしょうか?
結婚相手の財力で幸せになるっていうのが女性の幸せ?ポリコレの人はそんな考えなんですか?
フェミニストの人も同じ考えですか?自分達の思想の矛盾を考えて下さい。
最後に本当の(?)愛を見つけるから良いの?
前半はストリップダンサーで働いているから、バカ息子との描写もポルノ。ロシアの御曹司かどうか知らないが親の金で豪遊するバカ息子。
結婚して、お目付けのロシア人が出てくるのはコメディ。面白いけどロシア人の描写が粗末じゃないですか?ロシアといえば独裁国家。KGBなど使い組織で行動し、スマホを使ったらGPSとか使って割り出せるのでは?
後半はバカ息子の両親が来てラスベガスに行って婚約破棄。それでもアノーラは裁判だどうのほざいてる。
でもバカ息子の母親に全て無くすと言われやけっぱちになる。
普通、売春婦と結婚したといえばどんな家族でも大体反対するのでは?
バカ息子は両親の前ではシュンとして親に従う。本当にクズ野郎のバカ息子。
終わりは見守ってたロシアの用心棒と結ばれて終わり。
これが本当(?)の愛?
名作と言われている「風と共に去りぬ」もそうだけど、女のバイタリティって結婚相手の経済力を使って踏み台にしていくのが女の自立?
性的搾取、玉の輿で幸せってこの部分だけでもポリコレ違反では?
うーん、そこそこ面白かったけど、またこれがアカデミー賞?って感じ。最近のアカデミー賞って、えっ!って思うのが多い。
追記
ラストシーンが印象的。
ラストシーンを観る為の映画。
全然、予想と違うやん(~O~;)
期待したのと、全然、違う〜〜😂🤣
悪い意味で😓
まあ、カオスですわい😵💫
最初のパイオツ全開、セックス全開でまさかこのテイストが2時間半続くのかと嫌な予感から始まり、お互いが好きになる過程が軽いわ軽いわ、2人で逃避行しながら更に絆が深まるならまだしも彼氏1人で逃避行、彼女を含めた御一行様が各々が言いたい事をぶちまけての会話にならない展開がダラダラ、ダラダラ続きながらの、逃げた彼を探し周るという展開に、さすがに寝落ちしちゃいました🥱
そして、いざ彼氏を見つけたら離婚したいって言われて彼女は激昂するものの、いや当然でしょって全く共感がわかないわ、おまけにラストで自分を捕まえにきた男とセックスって(・_・;)
エロの塊の私めではありますが、この作品にエロは全く期待していないから、エロさ満載でも全く響きませんでした😓
彼女に共感するところが1ミリもないのと、彼氏もひどい事には違いないけど、人間なんだから周りが見えなくなって有頂天になるのは当たり前だし、それを鵜呑みにして信じる彼女の方が悪くね?って、むしろ、彼女に腹立たしさえ感じてしまう始末でした😖
レイトショーにも関わらず、観覧者に年配のご夫婦や中年カップルとかがいたのもある意味カオスかも😅
ただ、エンドロールが流れ始めたら、一斉にオッサン1人で鑑賞していた人達が席を立ち始めて、オイラと同じ気持ちだったんだろうなと察することができて、そこが唯一のホッコリポイントでした(笑)
それにしても、中年カップルのオッサンがクスッとしたところも全然面白くないわ、何故にこれが高得点なのかが、どうにも理解できない私めは、感覚がおかしいのかもしれません(^^ゞ
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