エミリア・ペレスのレビュー・感想・評価
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素顔のゾーイ・サルダナの活躍に目を奪われる
タイトルロールを演じるカルラ・ソフィア・ガスコンの、荒々しい男性から淑やかな女性への変身ぶりもさることながら、オープニングからエンディングまで、歌に、踊りに、獅子奮迅の活躍を見せるゾーイ・サルダナの存在感に圧倒される。出演俳優の最初にクレジットされているのは彼女だし、「助演」ではなく「主演」という位置付けで良かったのではないかと思ってしまった。
映画としては、性転換する麻薬王という題材自体がユニークなのだが、普通の話し言葉が歌に変わっていったり、役者の台詞がBGMとシンクロしていたり、銃器を扱う音がBGMの一部になっていたりと、一風変わったミュージカルとしても楽しめる。
その一方で、誰にも知られず、ひっそりと生きるはずだった性転換後のエミリアが、国外に移住もせず、行方不明者を捜索するNPOを堂々と立ち上げた挙げ句に、資金集めのパーティーを開くなど、わざわざ注目を浴びるようなことをしている様子には、違和感を覚えざるを得なかった。確かに、誰がどう見ても、過去と現在のエミリアは別人だし、いくら、自らの「罪滅ぼし」をしたかったのだとしても、もう少し人目を忍んだ方がよいのではないかと心配してしまった。
彼女の第二の人生が破綻するきっかけとなった「息子たちと一緒に暮らしたい」という願望にしても、どうしても、エミリアの「わがまま」のように思えてしまう。確かに、実の子供たちと別れるのは辛いだろうが、過去を捨て去り、「自分らしく生きたい」と決意したのであれば、そうした犠牲は許容しなければならないだろうし、逆に、あれもこれも叶えたいと望むのは、欲張りすぎのように思えてならない。
それでも、この物語がハッピーエンドであったならば、まだ、スッキリできたのかもしれないが、結局、家族の内輪揉めのようなゴタゴタの末に、主人公が死亡するという結末には、釈然としないものを感じざるを得なかった。
何よりも、オープニングや資金集めのパーティーで、あれだけ金持ちの有力者たちの汚職や悪徳を糾弾していたのに、そうした連中に対して、最後まで「鉄槌」が下されることがなかったのは、物足りないとしか言いようがない。
【”私の魂は誰にも渡さない!”メキシコ麻薬王が性転換手術により女性として過去の悪行を償う姿をミュージカル形式を交え描いた作品。抑圧された女性の叫びを描いた社会性とエンタメ性を兼ね備えた作品でもある。】
■メキシコの弁護士事務所で地味な仕事を無能な男性弁護士に押し付けられ働くリタ(ゾーイ・サルダナ)に、”貴女を金持ちにしてあげる”と言う電話が掛かって来る。それは、麻薬王のマニタス(カルラ・ソフィア・ガスコン)に性転換手術を施す名医を見つける事と、家族を安全な場所に逃がす事だった。
そして、そのミッションを果たしたリサは4年後に、麻薬王から女性となったエミリア・ペレス(カルラ・ソフィア・ガスコン)と豪華な会食の席で再会するのである。
◆感想
・カルラ・ソフィア・ガスコンの二役の変貌ぶりに素直に驚く。極悪な麻薬王マニタスから、弱者救済の女神の如くエミリア・ペレスはNGOを立ち上げ、生き生きと働く姿。そして、ここが肝心なのだが、彼女は特に虐げられて来た女性を労わるのである。その代表が、エピファニア(アドリアナ・ラパス)である。彼女は失踪した夫が見つかった報を受け、エミリア・ペレスを訪れるのだが、夫に暴力を振るわれていた彼女は、バッグにナイフを忍ばせてやって来るが、夫の死を聞いて笑い出すのである。
そして、エミリア・ペレスとエピファニアは、恋に落ちるのである。
・リタもそれまでの生活から、一気にセレブになり、エミリア・ペレスとも仲良くなる。マニタスはペレスになった事で、贖罪の如く働き、生き生きと過ごすのである。
■今作の魅力としては、矢張り随所で描かれるミュージカルシーンの見事さであろう。過剰ではないが、そこではリズミカルに女性達が男性優位の社会を揶揄しているのである。
・だが、マニタスの妻ジェシー(セレーナ・ゴメス)は、昔から関係の有った裏社会のグスタボ(エドガー・ラミレス)と良い仲になる。一方、エミリア・ペレスは叔母として実の子供二人と接するが、徐々に懐かれて、一人の子からは歌いながら”大好きなお父さんの匂いがする。”と言われ目を細めるのだが、ジェシーはある日グスタボと子供達と出奔するのである。
ここで、ジェシーが歌う”自分自身を愛したい!”と言うフレーズも、象徴的である。彼女も又、マニタス亡き後に女性としての自由を謳歌しようとしたのである。
<だが、今作の結末はほろ苦い。エミリア・ペレスはグスタボとジェシーに銀行口座を凍結された報復として誘拐され、指を3本切り落とされ、身代金を要求されるのである。
そこで、傷だらけのエミリア・ペレスがジェシーに、初めての出会いの時の事を語るシーンは印象的である。
”何で知っているの!”と驚愕するジェシーだが、直ぐにエミリア・ペレスが愛した夫、マニタスであると知り、彼女をトランクに入れたグスタボが運転する車の中で、彼ともみ合いになり、車は横転し炎上してしまうのである・・。
今作は、メキシコ麻薬王が性転換手術を受け女性として男の時の悪行を償う姿をミュージカル形式を交えて描いた作品であり、抑圧された女性の叫びを描いた社会性とエンタメ性を兼ね備えた作品でもあるのである。>
クライムコメディをイメージしていたけれど違った
すごく期待していた映画。
事前知識は無しで観ました。
何となくクライムコメディをイメージしていたけれど違った。
何となく順調に進む序盤から中盤から一転して、終盤は怒涛の波乱。
凄まじい展開でエンディングまで雪崩れ込んでしまった。
物語の背景として、メキシコ社会の暗部をこれでもかと見せつけてくれる。
でも、私が何となくシラケてしまったのは、この物語の推進力って、結局は全て、メキシコの麻薬カルテルが膨大に蓄積した汚れた金なのだということ。
物語の中での善行を肯定することは、麻薬による汚れた富の蓄積を肯定することになってしまう。
LGBTQとか、ジェンダー論とか、貧困とか、薬物汚染とか、暴力と恐怖による社会支配とか、政財界や司法の汚職腐敗とか、色々と描いているのだけれど、それに対するささやかなカウンターでさえ、メキシコという国では汚れたお金と汚れたた手に頼らないと成立しない。
それこそが真に恐ろしいことである、という一周廻ったシニカルな視点が、この映画の裏のテーマなのかな??と感じました。
ビンゴ!
麻薬カルテルのボス・マニタスから女性として“第2の人生を用意して欲しい”と極秘依頼された女性弁護士リタの話。
リタの完璧な計画、整形手術、住まいと上手く過去を捨ててから4年後、…イギリスで新たな生活を送っていたリタの前に現れたエミリア・ペレスとして生きるマニタスと再会となるが…。
“麻薬カルテルのボス第2の人生”というワードに惹かれ観に行ったけれど冒頭から入るミュージカル演出が何か本作と不一致に感じたかな。本編133分と上映時間長めな作品だったけどミュージカル演出なしでもっとコンパクトにして欲しかったかな個人的に。
…子供の頃から体は男だけど心は女と気づき、…環境もあり女として生きれない。…顔、名前と変えても自分から出る匂いは変えられず子供から“パパと同じ匂い”とセリフ、シーンが印象的だったかな。
誰にも奪えない
ゾーイサルダナのミュージカルシーンがカッコよかった
スペイン語で所々巻き舌だから英語とは違うカッコよさがありました
ストーリーも先が読めなくてこの展開になって今度はこんな展開なるの⁈と驚きました
エミリアの家族との話などは観ていて辛かったし、さらにラストであの展開になってしまったのも辛かった
でもリタをはじめ、色々な人の人生を変えたエミリアの姿はカッコよかった
誰にも奪えない、他の人や自分を愛する気持ちはとても素敵だなと感じました
オーディアールの魔法と8人の◯◯たち
予備知識を入れずに鑑賞したため、いきなりのミュージカル調演出には驚きました。「ウィキッド」のような王道よりも私はこっちの方が好みで、違和感なく没入することができました。撮影、照明、編集、音楽。全てのセンスが最高ですね。「8人の精鋭たち」が役立たずだったこと以外は完璧な映画だったと思います(笑)。
理想と現実を生きる
有能な弁護士リタが麻薬王マニタスの目に留まり後戻りも失敗もできない道に立たされる。
不安感、ハマった感、焦燥感、恐怖感が次々と襲うなかで、リタが見たマニタスのあの目は本当の自分を生きる難しさと人生を賭けた決断を真っ直ぐに訴えていたのだと思う。
突如、究極のミッションの主役にされたリタの選択は〝秘密〟に抹殺されることを回避した。
そして規格外の報酬を得て違う自分を夢見るチャンスに賭けた。
それは、リタもまた自分の仕事や人生のなかでやり切れないものを痛感していたからなのだろうと思った。
つまり、その偽装死で終わらせる〝偽りの人生〟はひとつでなかったのだ。
そして、それはふたつだけでもなかった怒涛の展開が中盤以降をヒートアップさせまるで飽きさせない。
そこにうまい具合に散りばめられていくミュージカルの斬新さには惹きつけられ、特にリタ=ゾーイ・サルダナの魅力が溢れんばかりだ。
闇の権力と危険な金を駆使し生まれ変わったエミリア・ペレス。
しかし、手にした理想と引き換えに手放す必要があったものがエミリアを苦しめ始める。
罪滅ぼしのように立ち上げた慈善事業が軌道にのってこれまでとは逆の名声を浴びるほどに、だ。
真実を明かせない状況は変わることなくさらに自分をないものにし、ストレートに聞こえてくる愛する人達からの本音を浴びてはじりじりと生傷を焦がされる。
それは魂を売った自分自身からの報復のようでもあり、逃れたはずの生きづらい社会から重ねて塗りたくられる粗塩のようだったと思う。
しかも、何もかも知り尽くしたその世界に追われる絶望感は、瀕死を弄ばれる本人が誰よりも知っていたのだから。
その辺りのシーンはどれも、幼い頃から本当の自分(性的な自認)を隠そうとするために悪に染まるしかなかったと遠くを見るまなざしで語っていた姿を頭によぎらせ、その人生の切なさが浮き彫りになった。
雑多な街並みの砂埃が舞うたぼこ道を古く汚れたトラックが行く。
どんな廃品でも…とかわいいこどもの声がこだまするのを
冒頭ではちょっとコミカルな印象で聞いていたが、ラストはまるで違う印象に変わった。
炎に包まれ遠のく意識のエミリアにもあの声は最期の瞬間まで鳴り響いていたのだろう。
強欲
賞レースがとか主演女優の過去の差別発言がとかは置いといてこの作品を見て一晩経ってようやく咀嚼できた感想を書いておこうと思う。
ナミビアの砂漠のカナを思い出した。生き物としての強さと女としての強かさを持ったカナは周りの人をどんどん巻き込んでいく。追われる側の人間。
エミリアもそうなんだろうがカナ以上だ。何かを得るために何かを諦めたりしない。全てを自分の思い通りにしないと気がすまない。
カナは突風か嵐のようだったけど、エミリアは渦だ。どんどん引き込まれて抜け出せなくなる強欲の渦。
リタはなんだかんだエミリアに協力し続け最早右腕みたいになってるし世間的には未亡人となった妻ジェシーは再婚を決めつつもなんだかんだエミリアというかマニタスを思い続けていたしエピフォニアはなんだかんだエミリアに惹かれて友情以上の関係になっていたようだし。
エミリアの強欲さは最早人として惹きつけられる強さとか魅力に昇華しているんだろう。
正直重い話だし細部を知ろうとすれば色々な知識が必要な話だとは思うけれどそれをミュージカルにすることで見やすくしているように思う。歌詞の内容だけ見てみるとこれ普通の台詞でやったらくどいし頭痛くなりそうだし嫌な気分になりそうだしミュージカルにしてもらえて良かったなぁと私は思う。
歌曲賞を受賞した曲のシーンなんてまぁ圧巻!演出考えた人すごすぎる、ゾクゾクすると思いながら見ていた。
正式名称忘れちゃったけどワイドスクリーン良い音響追加料金いりますよって上映で見たんだが正解だった。年一くらいでミュージカル映画は見たいと思っているのだけれどいいミュージカル映画を浴びれた!って感じだった。
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