エミリア・ペレスのレビュー・感想・評価
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Deal
ドラッグが関わるという情報だけしか入れずに見たので、ポスター下に書いてあるミュージカルも頭に入れてなかったもんですから、いきなりミュージカルが始まって困惑しましたが、ストーリーを止めることなく話をミュージカルに仕立てて進んでくれるので全然ノイズに乗らず、お前もお前も歌うんかい!という脳内ツッコミが捗りました。
ミュージカルはどうしてもカロリーが高いので、観てる分には楽しいんですが終わった後にドッと疲れた事がここ最近多かったので、このくらいサラッとやってくれる方が映画にのめり込む事ができるのでちょうど良いのかなと思いました。
性転換ではなく性別移行という、これまた新しいもんが出てきたなとは思いましたが、性別だけを女性にしてそのまま生きるという事で、ポスター見た時にこの人体ゴツいな…という違和感が晴れました。
人生を変えるために女性へと生まれ変わるという奇抜だけど起死回生のアイデア、そして全く違う人生を生きるという難しさがこれでもかってくらい伝わってくる描写は喜劇的でもあり、悲劇的でもありました。
中身は妻と夫だとしても、見た目がガラッと変わって戸籍なんかも赤の他人だからこそ、考えが全く伝わらずにヤキモキ、そしてドンパチやり合ってしまうというのは残酷ですが致し方ないよなと納得せざるを得ませんでした。
終盤はハードな展開に持っていかれ、銃撃戦に単独カーアクションもあり、それでいて中身は切ないときたもんですから、最後の楽曲もレクイエムのようでした。
影で支え続けた凄腕の弁護士リタの活躍が素晴らしく、バックアップも手術のやり取りもミュージカルも戦地に赴くまで全部やってのけるので、本当に人間ですか?ってくらい今作には欠かせない人材でした。
助演女優賞受賞もだよな〜!ってくらいゾーイ・サルダナが最高でした。
どうも海外では主演のカルラ・ソフィア・ガスコンさんの過去の発言が物議をかましたり(題材が題材なので燃えるのも仕方はない)、セレーナ・ゴメスのメキシコ語の発音が上手じゃないというあたりで燃えているらしいんですが、発音に関しては現地民ではないのでそこまで問題ではなかったです。
ただアカデミー賞目前で色々とばれたのは惜しいなと思うのと同時に、不用意にSNSで書き込むんじゃないよとも思いました。
とっても変な映画でしたが、とっても変な気分にさせられたのは変に心地良いなと思いました。
今年のアカデミー賞はレベルの高さも、多種多様な作品のぶつかり合いも見応えありありで感謝。
鑑賞日 4/1
鑑賞時間 13:30〜15:45
座席 A-4
生き方は自由、ならば他人の自由も奪うべきではない
1. 生き方は自由、ならば他人の自由も奪うべきではない
本作はあくまで荒唐無稽なフィクション。ただ、つくなら大きな嘘をの教え通り、細かい辻褄も翻弄し得るEmiliaのダイナミックな一代記を堪能した。
クライマックスは妻(Selena Gomez)との愛憎。Emiliaは女性に転換し、新たな人生を始める為に、自分の死を偽装し家族も捨てる。しかし幼子への執着を断ち切れず、元妻を言い包めて共同生活に戻る。夫を恐れるのと同じくらい、深い愛を語る元妻は印象的。 この際、子供でさえ体臭に父を感じるのに、元妻が何故気付かないのかはちと不思議。ただ、夫が"死ぬ"前からの不倫相手と遊び回るビッチ感と、賢さを放たない言動に妙に説得させられる。
子供を連れて去った妻の資金源を、Emiliaが絶った処から悲劇は本番を迎える。麻薬王の妻が本領発揮して、Emiliaを誘拐し拷問して身代金を要求。Emiliaを救出せんとする仲間との銃撃戦の最中、Emiliaの謝罪で初めて夫と気付き、Emiliaを人質に逃走を試みる不倫相手を止めようとするが、揉み合ったまま車は横転し、3人は火の海に沈む。
Emiliaが夫だと気付いてから、拷問を後悔し、不倫相手に逆らうまでの早さも印象的。妻のEmiliaへの反発は、夫への愛の裏返しでもあった。特に資金源を絶たれた事で、夫が遺した物を奪った事に怒りが誘拐につながった。しかし、拷問していた相手はまさにその夫自身だった。楽しい遊び相手ではあるが、夫が生きている解れば何の価値もなくなる瞬間が面白かった。
終盤の悲劇は、暴力的に解決しようとした妻に非はある。ただ、女性に変わる為に捨てた筈の家族を、取り返そうとしたEmiliaも強欲過ぎる。Emiliaが犯罪被害者の遺体を発見して讃えられたのは、麻薬王だった過去を消す事に成功したから。その上、自ら赤の他人になった家族に再度愛されようだなんて我儘過ぎないか。家族が望んでいるならまだしも、金で自由を奪おうとした事が、悲劇の遠因になった。教訓を得るタイプの映画じゃないが、「人生を捨てる覚悟があれば生き直せるが、他人の自由を奪おうとすれば因果は応報する」と感じた。
♪
2. 令和版「ガープの世界」?
本作を観ながら「ガープの世界」(1982)が何度も頭をよぎった。「ガープの世界」は、特殊過ぎる家庭に生まれたガープの一代記。奇想天外な母の元には、常軌を逸した程に多様な人々が集う。 作品の雰囲気こそ本作と異なるが、自身の欲求に正直に生きようとする登場事物や、有りそうで無さそうな彼等の人生模様がそこはかとなく似ている。特に衝撃を受けた、ガープと幼馴染の妻との愛憎が思い出された。
♫
3. 圧巻な音楽
本作の得も言われぬ雰囲気は、音楽に負う処が大きい。特に印象的なのは3曲。最初は、息子が父の体臭に気付く「Papa」。父の匂いは好きだけど、Emilianの化粧の匂いは嫌いと訴える。父性愛と性転換した申し訳無さがないまぜになる場面。
次に、アカデミー助演女優賞を獲った Zoë Saldaña が踊り狂う「Para」。パーティに集まる資金提供者を批判する詞にも関わらず、机の上もお構いなく会場を駆け巡るダンスは見せ場。
もう1曲は、Selena Gomezが歌う「Mi camino」。自分の人生、何をしようと、道を間違えようと勝手でしょ。それこそが私のやり方なのだから...。妻ばかりでなく、Emiliaの生き方も象徴する歌。
♬
4. 字幕視聴者は幸福な観客
Selena Gomez のスペイン語が聞くに耐えないそうですが、スペイン語圏の方はご愁傷様。スペイン語は聞き取れない日本人ですので、字幕で大変美味しく頂きました。
メキシコ発!トランスジェンダーの麻薬王、奇想天外な人生末路劇~歌って踊れ!~
ココまで来ると最早この世の終わり、世も末であるかな。
(ラップ風に♬)
ヘイ、へイ、ヘイ、 ムッシュ セニョ-ル、セニョリータ・・・
俺はメキシコの麻薬王、そしてトランスジェンダの麻薬王、
~ヨウ・ヨウ・ヨウ~
ある組織に狙われてるぅ、死んだ事にしてるぅ
他国で いぇ~、 性転換手術する いぇ~、 女になるぅ いぇ~
かみさん、子供らには内緒~ とってもかわいそう~
川にいるのはカワウソ~
マジ言えねぇ 家もネぇ~
暫く逢えねぇ~ 雲隠れするねぇ~♬
家族は心配~、オレも皆を心配~ 胸にはおっぱい~♩
女になる気持ちで一杯~ ♬
スイスの奥地で暮らす~♬ 嫌になるまでクラス~
ほとぼり冷めたら逃げるっす~
オーeye! ア-eye! 無ェー家! ♬
~ズン ~ずん ~ZUN~ ♬
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あ~ アフォらしい。(´д`)
自分初 ラップ調で語るレビュ-を書こうとしたのだがな・・・・
普通に書くわ。(;^ω^)
と言う訳で、「エミリア・ペレス」見たっすYO!
チラシ見たかな? あれ真ん中 ハートやと思ってたけど
映画観て これ違うって分かったわ。
誰かも書いてたが 女性器を模してるらしい。確かにそんなデザイン。
(@_@;) エグイなぁ。
先に出ている人達やな。
コレ!
監督(フランス):ジャック・オーディアール氏(代表作:パリ13区など)
-------メインの出てる人達------
・エミリア・ペレス(マニタス、メキシコ麻薬王)役 主演:カルラ・ソフィア・ガスコンさん (トランスジェンダー俳優だそうだ)
・リタ・モラ・カストロ(弁護士)役:ゾーイ・サルダナさん
・ジェシー・デル・モンテ(マニタスの妻)役:セレーナ・ゴメスさん
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流石メキシカン・・・
す、すまねぇ 誰一人 あんまり存ぜぬわぁ (@_@;) (;^ω^)
あ? 唯一 サルダナさんだけ 知ってるかも
「アバター」のネイティリ役らしい・・・あの頃青かったw それと、
「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のガモーラ役で有名。
松鶴家千とせ状態っすわぁ (´-ω-`)
”わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ・・・”
話展開:
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メキシコ麻薬カルテルのリーダのマニタスが実はトランスジェンダで
自分は他組織に狙われてて命が危ない、家族も危ない 状況。
ある時 ある裁判の訴訟担当したリタ弁護士を知り拉致る。
とあるトラックの車内で出会う二人。
そして オレを女にしろと脅迫?協力要請? 2億の報酬だと交渉する。
悩むリタだったが彼の言う通り 世界中で安全なスイスで手術場所に医者、家族が隠れ生活する家に、本人が離れて数年隠れる家など 色々手配を行い 高額報酬を手にする。
そして 数年後・・・
リタは 偶然に”エミリア・ペレス”と名乗る女性に出会う。
この女性が なななんと 麻薬王マニタスの性転換後の彼だった (@_@;)
誰も知らない 仕組まれた出会い、
非常に困惑するが、彼女(エミリア)は妻のジェシ-とその家族を呼び戻し
一緒に暮らす方法を提案して来る。
協力する義務は無いのだが、なぜか女性と成った彼の願いを拒む事が出来ず受け入れる。やがて 妻と子供二人をスイスのド田舎から呼び戻し 正体がバレないように一緒に暮らす~ って展開。 (中々ハチャメチャだが面白い。)
夫が彼女に成ってる事情を全く知らない妻ジェシ-。既に夫は数年前に殺害されたと聞かされていた。
だから 一緒に暮らエミリアを疑う事も無いし、やがて 心惹かれる男性が妻の前に現れる・・・。
ここで エミリアは豹変!! 自分以外の男の元へ近づく妻へ暴力を。
なんか オカシナ展開に、 見ていてこれは傑作!!
果たして、最後に車に乗る3人~ エミリアと、妻と、彼氏の運命は・・・。
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メキシカンの国で、こんなヤバい組織の社会背景観で
歌って踊っての 時々ミュ-ジカル風。
しかも ジェンダー扱ってて。妻と子供の愛ある家庭を描きつつ
行方不明や孤児救援活動貢献もしてて。
(行方不明の原因は麻薬王のあんたのせいで人々がそうなった節もあったでしょ。何を正義ぶって救援活動しているのか分けわからんよネ。そこは憤るわさ)
という 超ごっちゃ煮スト-リ。 ハハハですよ。
でも最後まで見ていて 一つ言えるのは
シッカリとした ”愛” がそこには有って、それだけは確か。
だから 総てを許せる心境に陥るのだと感じます。
中々メキシコ(スペイン語)ってのが耳が慣れないですけども
必見の価値ありかな。
後で知ったけどSNSでの発言で大損こいたみたいw。
あの調子でしゃべっちゃったのね。許してあげてと思うね。
興味津々のアナタ
今なら 劇場で
一緒に輪に入れますよ~ 急げGO!!
灯りは消えないように
先の読めない展開で、暴力や不正に対する想いをミュージカルで表現するところも面白く、歌とダンスも楽しめましたし、行方不明事件多発の社会問題も印象深いです。
アカデミー助演女優賞を受賞した弁護士役のゾーイ・サルダナのミュージカルシーンは見応えがあり、どちらかというと彼女が主演なのではとも思いましたが。
ストーリーとしては、悪行を重ねた人物が別人となって人生をやり直して改心する、しかし過去の因縁から逃れられない、といった寓話のような話になっているかと感じました。
善い行いをして人々の希望の光になっていたのに、結局威圧的な言動や暴力を繰り返してしまう。
心が変わるかどうかというやり取りもありましたが、根本では過去の暴力的な考えから変わることが出来なかったというところがやるせないです。
それでも、その善行によって希望を持った人々がいたことも事実で、その希望の灯りは消さないようにという想いも伝わります。
善行で大きな社会貢献をして信奉されている人物が、実は悪逆非道な過去を持っていたら、という見方にもなる話で。
もし過去がバレたら、昨今のキャンセルカルチャーで善行の社会貢献活動も批判されて潰されてしまいそうですが。
人間は多面的なものですし、善行は善行で評価すべきだと思いますが、過去が隠されたまま信奉されているというのもそれはそれで複雑な印象です。
その流れで考えると、エミリア役のカルラ・ソフィア・ガスコンが過去の言動で炎上してしまった件は、何だかシンクロしているなと。
麻薬カルテルのボスがトランスジェンダーだったらというギャップ感は面白いですが、考えてみると手術後はトランスジェンダーの件については特に触れず、ストーリー的にトランスジェンダーでなくてもよいような気も。
身内にも絶対バレない全くの別人になるための設定として、トランスジェンダーを使っているようにも感じてしまいました。
おはよう一直線に感謝
休日にいつもの映画館で
予告編を観ていたが
麻薬王が女性に という筋に
オラの脳内がコメディと勝手に解釈して
たぶん趣味じゃないとリスト外にしていた
毎朝聞いているラジオで紹介されていて
シリアスものだと ん?ならば観るしかない
オラの凝り固まった固定観念でこの設定はコメディと
ちょい前の日本とかアメリカだったらありえたと思う
任侠学園とか主婦極道的な…
そんな軽くて凝り固まったオラを打ちのめす重厚な筋
エンタメとして完璧 全く飽きなかった 脱帽
弁護士はアバターの人だっけ?
テーブルに飛び乗って歌うシーンは超クールだ
監督は君と歩く世界の人か 好きな映画だ
マリオンコティヤールは好きな女優だ
冒頭の制作会社クレジット多すぎ
いっちょ噛みどんだけ
マイナス0.5はいかにもアカデミー賞だのカンヌだのを
獲りにいくような内容にあえての苦言みたいな感じ
多様性 トランスジェンダー 同性愛 麻薬カルテル
親子愛 ミュージカル
ここまでてんこ盛りにする必要はないかと…
あと2時間超えで膀胱が限界だったので…
この作品に導いてくれたおはよう一直線に感謝!
今日で終了してしまったのだけど
奇抜なミュージカル
予備知識無しで鑑賞。
ボスのいいように使われ、弁護士として認められることのないリタ。そこに、メキシコの麻薬王カルテルのボス、マニタスから女性への性転換をして、新たな人生を送る計画遂行を依頼されます。
リタの完璧な計画によりマニタスは姿を消すことに成功。
数年後、イギリスでエミリアとしてリタの前に現れます。そして今度は家族と共にメキシコで住めるように手配をすることを依頼します。元妻、子供達に女性エミリアとなった(父親)の生活が始まります。というのが要約したあらすじです。奇抜なミュージカルと感じるのは、ミュージカルになるタイミングが微妙であることです。歌い手が感情を込めて歌うというより、どこか愚痴を吐き出していたり、メロディラインが無くリズムに合わせて語るような歌となっています。話が進むと「ここで歌?」というタイミングにはやや興醒めでした。人間、性別が変わり、立場が変わり、環境が変われば、色々心変わりはするものです。しかし、エミリアはいいとこ取りをしようとしています。女性としての幸せを求め、男性だった頃の家族も求め、元妻の愛も求めます。そして、弁護士のリタまでも拘束してしまいます。結局、違う人生が送れるチャンスがありながらも、心の本質は変われない。という事なのかもしれません。
奇抜なミュージカルのお陰で、衝撃的なラストではありますが刺激は強く感じませんでした。フランス映画のできる技かもしれません。
鑑賞動機:賞レースのトップランナーから失速の顛末7割、4人のアンサンブル3割
下衆い動機もあって選択したけど、観終わってみたら、非常に見応えがあって…それだけにケチがついてしまったのが惜しまれる。
最近『テスカポリトカ』を読んだので、メキシコパートのイメージで勝手に想像する。『ニューオーダー』でも『トラフィック』でも『ノー・カントリー』でも『ボーダーライン』でもいいんだけど。ゆ、ゆびーー!?
歌の組み込み方が上手い。まさか銃器であんな…ね…。冒頭の「何でも買い取りまーす」みたいな曲がエンディングで全く違う顔を見せるところすごい。
前半はともかく後半はリタ自身が葛藤する場面が少なくなってしまったのは、ちょっともったいなかった。そういった意味では出演シーンは多いけれど、「助演」で違和感ないと思った。それでもサルダナがキビキビとした身のこなしで歌いながら進んでいく各シーンは、ただただ見惚れてしまう。カッケー!
最初からガスコンが演じてたのね。終盤弱ってる時の方が個人的にはグッときてしまったのは、ギャップにやられたからかも。
最初から話していたらまた違った結末になっていただろうか?
自己中麻薬王のわがままに共感ゼロ、いやマイナス。ゾーイ・サルタナが良かった!
歌とダンスは良かった。
しかし自己中麻薬王のわがままという物語で、主人公に共感ゼロ、いや、マイナス。
散々悪いことをしてのし上がった麻薬王が、すべてを捨ててでも女になりたい、と弁護士に仕事を強要。
妻子は、夫・父が死んだものと思わされて、外国へ。
暫くすると、エミリオとなって仕事も成功した彼→彼女は、すべてを捨てたはずなのに、妻子が恋しくなり手元に引き寄せる。
独身になった妻が、再婚しようとするとその相手に暴行して追い払おうとする、という男だった頃、麻薬王だった頃とやること、考え方は少しも変わってない。
結局、麻薬王がわがままを通しただけで、妻子は自分の思い通りになると思い込んでいるし、考え方は悪い男のまんまで変わらない。
その末路も、いかにもギャングの最後にふさわしい。
ゾーイ・サルタナが良かった!
歌とダンスと人間ドラマ‼️
女性へ性転換した麻薬王マニタスことエミリア・ペレス、それを手伝った女性弁護士リタ、夫が女性になったことを知らない妻ジェシーと子供たち‼️今作はメキシコで社会問題になってる麻薬抗争、その犠牲者たちみたいなテーマ、それに絡ませた家族愛、友情、そして多様性を描いています‼️しかもミュージカル‼️オペラからパンク、ラップなど、多彩な音楽が感情を高揚させてくれるんですが、特にリタに扮するゾーイ・サルダナがパーティーで歌い踊る「El Mai」が素晴らしいですね‼️人間ドラマとしては後半、エミリアが過去の自分の贖罪に目覚める展開と、ジェシーが再婚することで子供たちと離れ離れになるエミリアが、ジェシーへ本物の愛情を示し始める展開で、ものすごくプロットが濃くなり、見応えがさらに出てきます‼️さすがジャック・オーディアール監督ですね‼️そしてやはりエミリアを演じたカルラ・ソフィア・ガスコンの存在感‼️特にジェシーの腕の中で自分がマニタスであることを告げるシーンはホントに泣ける‼️「預言者」と並ぶオーディアール監督の最高作だと思います‼️
面白かった
予告に惹かれて見てみたら面白かったですね。
どういう展開になるんだろう?と思いながら見ていましたが、まぁ救いが無い話ですね。
散々悪いことしてきたら、そりゃどんだけいい事しても自分に返ってくるよな、という。
子供が可哀想だよなぁ…
お話は流れに緩急があり、飽きは来なかったな。
この展開だと最後は救われそうではあるけど…しょうがないよね。
いやー、役者さんがよかったなぁ…
事前情報を入れずに見に行ったら急に歌い出したのにはびっくりしましたがw
とても変
ロバート・ロドリゲス監督作品のようなメキシコで荒っぽい女たちが壮絶な撃ち合いをする映画かなと思って見たらまさかのミュージカルで驚く。主人公は弁護士だし、依頼人がカルテルのボスでなんと女になりたがっている。自分が死んだことにして妻子とも別れ、性転換に成功して女としての人生を歩みだす。
いつも思うのだけど、おじさんが女になってもおばさんだし、しかもこの主人公はごついおじさんだったのでどう見ても、『アキラ』で大活躍するみたいなごついおばさんだ。華奢な美魔女になるわけでなく、果たして納得いくのだろうか。そして性の趣向は元のままで男に抱かれるわけではなく彼女をつくる。自分とは隔たりがありすぎて気持ちがまったく追いつかない。
しかしそんなエミリアが子どもに会いたがる気持ちはとてもよく分かる。幼い息子に「パパと同じ匂いがする、パパ、パパ、パパ、パパ、パパ、パパ」と連呼され、それは人類が浴びる最上級の幸福の一つだと思うのだけど、息子はおばさんだと思っており、エミリアも実は自分がパパそのものであるとは告げない。なんという切なさだと心をむしられる。
元妻のジェシーの恋人がひどいボンクラで事態をどんどん悪くする。ジェシーも気の毒だ。
とても変で面白い。
なぜ麻薬王はエミリオになったのか?
麻薬王が性転換し、別人として新たな人生を歩もうとするストーリー。麻薬王(エミリオ)をはじめ、彼に協力する弁護士や元妻など、登場人物の誰にも共感しづらい。しかし、エミリオが誘拐され、物語が急展開する終盤は見ごたえがある。ただ、そもそもなぜ麻薬王はエミリオになりたかったのか、その動機が曖昧で腑に落ちない部分もある。
事実はフィクションより...
ペコ&りゅうちぇるの麻薬カルテル版
麻薬カルテル映画にはずれなし
同時期のアノーラ、ブルータリストよりずっと面白い!
主演女優賞はこっちでしょ
甘くないラストもいいね
主人公はりゅうちぇるを見習えと
超斬新なミュージカル手法&自由に生きる!がテーマでビンゴ!
アカデミー賞12部門13ノミネートというとんでもない作品なのに、
受賞したのは助演女優賞と歌曲賞のみ。
鑑賞後は、作品賞を受賞していても全くおかしくない、そんな作品だと感じた。
予告を観る限りでは、ミュージカル仕立てとは全く認識していなかったため、
冒頭から面くらってしまった。
それが実にかっこいい。セリフからセリフに音程&リズムがつきはじめ、
歌唱&ダンスになっていくというグラデーションが実にクールで引き込まれた。
こういうミュージカル手法があったのか!と驚いた。この手法の先駆者になったと思う。
麻薬王マニタスがエミリア・ペレス(カルラ・ソフィア・ガスコン)になるという
LGBTQが根底にあるテーマなのかと思いきやそうではなく、
自分らしく生きるというのがテーマだと感じた。
罪を犯したマニタスが、エミリア・ペレスになることで善行を重ねていくものの、
やはり心は変えられなかった。
捨てたはずの妻と子どもたちへの愛情は不変であり、妻への嫉妬から妻が凶行に走り、
悲しい結末へと向かっていく。
エミリア・ペレスの子どもたちに向ける愛情表現は本当に温かい。
子どもたちはパパと同じ匂いがするという、するどさ。子どもにはわかっちゃうんですね。
ラスト近くでエミリア・ペレスが妻ジェシー(セレーナ・ゴメス)に、マニタスしか知らないことを語り
自分がマニタスだと間接的に告白するシーンにはグッときた。そのときのジェシーの反応も。
エミリア・ペレスとしては悔いのない人生を送ったのではないか。
彼女にとってはハッピーエンドだったのではないか。
そう自分では結論づけた。
秀逸なのは、物語の進行役であり実は主役なのではないかというリタ。
リタを演じ切ったゾーイ・サルダナは実に素晴らしかった。
演技はもちろんのこと、歌唱・ダンスいずれも彼女がいたから成り立った作品になっている。
アカデミー賞助演女優賞も納得。助演なのか!?というのは疑問だが。
エミリア・ペレスの「ビンゴ」というセリフがいちばん好き。
パンフレットも充実している感じ(未読なので)なので買ってよかった。
ミュージカルの弊害は
言葉が膨大になってしまう事。いつもの台詞量よりぐんと増えてしまうし、無言の間の効果も望めない。
教皇選挙シンドローム・・アタマから連打すると終盤の効果が薄れる、観客が馴染むのを考えると痛し痒し。
撮り方がキレキレで良かった。セリーナゴメスのカラオケはサービスか?
エミリアの最期はありがちだが、スカッとした。所詮反社らしい死に様。
なんでエミリア・ペレスの名前を選んだのかわからんままでしたね
2025.3.29 字幕 MOVIX京都
2024年のフランス映画(132分、G)
原作はボリス・ラゾンの小説『Emilia Pérez』
メキシコのカルテルのボスの性転換を手助けする弁護士を描いたミュージカル演出のスリラー映画
監督はジャック・オーディアール
脚本はジャック・オーディアール&レア・ミシウス&ニコラ・リベッキ&トマ・ビデガン
物語の舞台は、メキシコのとある街
妻の殺害容疑で捕まったガブリエル・メンドーサ(エミリオ・ハッサン)は、弁護団のシナリオとして「妻は自殺だった」で押し通そうと考えていた
そのシナリオはすでに用意されていたもので、裁判はただの茶番でしかなかった
担当弁護士のリタ(ゾーイ・サルダナ)は「自分の能力を活かす職場はここなのか」と自問するようになり、台本すら読めない同僚のベルリンガー(エドゥアルド・アラブロ)に苛立ちを見せていた
その後、裁判は予定通りに終わり、弁護団は祝福ムードになっていた
だが、その空気に耐えられないリタは、適当な理由をつけて、その場から離れることになった
そんな折、彼女の元に一本の電話が入る
見知らぬ男からの電話で、「金持ちになりたいか」を問いかけてくる
そして、「その気があるなら新聞ボックスの前で待て」と言って電話は切れてしまった
物語は、今の生活を変えたいリタが約束の場所に行き、そこで何者かに拉致されるところから動き出す
リタは袋を被されてどこかに連れて行かれ、何台かを乗り換えたのちに電話の声にたどり着いた
電話の主はマニタス・デラ・モンテ(カルラ・ソフィア・ガスコン)で、彼はメキシコの麻薬カルテルを牛耳るボスだった
リタは「自分が指名された理由」がわからなかったが、マニタスは「内容を聞けば承諾とみなす」と言い放つ
そこでリタは、マニタスの依頼を聞くことになるのだが、それが「性転換をして女性になり、本当の自分の人生を生きたい」というものだったのである
映画は、マニタスが性転換手術をして、エミリア・ペレスという名前で人生をやり直す様子が描かれていく
彼の妻ジェシー(セレーナ・ゴメス)と娘のエンジェル(Gaël Murguia-Fur、幼少期:Théo Guarin)、息子のディエゴ(Tirso Pietriga、幼少期:をLucas Varoclier)をスイスの山奥に匿い、自身はロンドンへとその身を移していた
そして、エミリアはあるレストランの会食の場にて、リタと再会することになったのである
本作は、ジャンルが変化するタイプの作品で、前半はクライムスリラー、中盤は社会風刺、後半はメロドラマとなっていて、それらをミュージカル演出によって繋げている感じになっている
楽曲の良さがあるのでミュージカル調は構わないのだが、ジャンルチェンジはどうなんだろうなあと思ってしまう
特に、後半の子どもを巡るグダグダはかなり安めのドラマになっていて、そこで正体をバラすんかい!という感じになっていた
それによって、ジェシーは事態を収集させようとするのだが、その変心の意味がわからない愛人グルタボ(エドガー・ラミレス)は力づくでジェシーを止めようとする
その後は案の定という展開で、さぞかしトランクの中は悲惨だっただろうなあと思ってしまった
場外乱闘も色々とあるようだが、主演助演を誰にするかでピントがズレている気もするし、じゃあカルラ・ソフィア・ガスコンを男優、女優のどちらでノミネートさせるのか問題もあると思う
個人的には、肉体を競い合うものは先天的、それ以外は自認だと考えているので、本作におけるカルラ・ソフィア・ガスコンは助演女優賞で良いと思う
それでも、まさかのゾーイ・サルダナが助演女優賞ノミネートで勝ってしまうというのは不思議だなあと思った
明らかに主演女優の方にノミネートされるべきだと思うのだが、そのあたりのズレもよくわからないままだった
いずれにせよ、主演が助演女優賞を獲るし、脇役と愛人のデュエットソングが映画の代表曲で主題歌賞を獲るというのも不思議に思えた
このあたりのノミネートと選考基準は昔から意味不明だったが、作品賞は無理でしょというのはわかる
映画自体は嫌いではないが、後半に向けて支離滅裂になって大雑把になっていくのは何だかなあと思ってしまった
子どもたちはリタが面倒見るようだけど、法的にはどうなるんだろうかとか、エミリアの恋人のエピファニア(アドリアーナ・パス)もどう関わっていくのかはわからない
このあたりが投げっぱなしになっているので、中盤あたりの奉仕活動から他のマフィアと戦争になってしまうという展開で、その中でエミリアが死ぬ前に妻に伝えるというのでも良かったように思えた
納得の歌曲賞
非英語作品ながら
アカデミー賞本命と言われていた
本作は、残念ながら歌曲賞しか
獲得出来ませんでしたが
(SNS恐るべし)
クライム・ミュージカル・コメディ要素満載の
最高エンタメ作品でした。
麻薬組織、政治家の汚職、家族との関係性
ジェンダー、貧困、暴力、慈善活動など
あらゆる社会問題を描いているけど、
ごちゃ混ぜ感はありません。
またやはり音楽がホントに最高でした!!
(大変自分の好み)
スペイン語の耳障り、ラテン系?の音楽
ミュージカル作品としては、
それ程派手さはないのだけれど
興奮する楽曲の数々に
アカデミー賞 歌曲賞は納得です。
自分の人生を生きるって?
賞レースで色々と騒ぎになっていた本作。
できるだけ目を塞ぎ、耳を塞いでノイズを入れないようにして公開日に鑑賞。
これは、想定を超えてくる展開。「凄いなあ」というのが率直な感想。
メキシコの麻薬王が性転換手術で別人に成り代わった後、わざわざ身バレかつ殺されるリスクの高いメキシコへ戻り、自分を偽り、自分を死んだと思っている家族と一緒に暮らす。
いつ、どんな形で身バレするのかというハラハラ・ドキドキ感を終始抱かされたまま、物語は進む。スポットライトは、この特異な主人公エミリアにずっと当たっているのかと思っていたが、彼女と関わることで女性達が、それぞれの抑圧からの解放を果たしていく様が描かれている。劇中のミュージカルシーンでもそれがメインテーマのように強調されていた。
真実に蓋をして建前を取り繕う仕事から離れ、自信を取り戻した弁護士リタ。檻の中のような生活から脱出し自由を得たマニタスの妻ジェシー。夫の死により暴力から逃れ愛を知ったエピファニア。
そうか、エミリアが自分を取り戻す(人生をやり直す)と同時に彼女らも自分を取り戻すという物語か。
はっきりと覚えてはいないが、エミリアが、「上にも下にも」「パパにもママにも」「半分、半分」という台詞を歌うようにつぶやいていたのが印象的だった。ジェンダーや生物学的な性を超える、いや、そんなものには囚われないという人間としての存在の宣言や愛の表現か。自分を罠に嵌めたジェシーに、マニタスだった自分が愛していたことを告げるエミリア、それに気づくジェシーの姿も、その表現の1つだろう。
奇抜な設定と最後まで続くスリリングさ。抑制的だがピンポイントでエモーショナルな演出。ジワジワとたたみ掛けて訴えかけてくるメッセージ性。どれも一緒には成立しそうにない要素が1つの作品の中で成立しているのは、監督の手腕か。俳優の演技か。
強く心が動かされるものは無かったが、クオリティの高さを感じずにはいられない作品だった。それだけに、いろいろゴタゴタがあったのは残念だ。もったいない。
人は2つの人生 (あるいは別の人生)を歩めるのか ? そもそも別の人生など有るのか ?
大げさなタイトルをぶち上げてしまったけど、あとが続かなくなってしまい、僕の底が知れてしまったヨ。まあ、それはイイ。
麻薬王マニタスは、家族と離れエミリア・ペレスとして生きると決めたとき、淋しくても生涯1人で生きていこうと決意したに違いない。
だが、顔と名前を変え他人から見て別人でも、マニタスの中では1人の人生だ。故郷と家族、特に子供と離れた淋しさはマニタスには耐えられなかったのだろう。
エミリア・ペレスはメキシコに帰り、家族と暮らすという選択をしてしまう。
結局、マニタスの子供と離れたくないという執着心が最悪の結果を招いてしまう。子供たちだけでも死ななかったのが不幸中の幸いだったと思う。
マニタスがエミリア・ペレスになって4年後、リタがエミリア・ペレスに相談を受けたときに、リタが止めていればと思わずにはいられない。
麻薬王でなければ、周りにカミウングアウトするという選択も大いにあり得ただろう。
だが 「女になりたい」と言う麻薬王は、目一杯なめられちゃうだろうから、そうはいかない。
短い間だったけど、エミリア・ペレスとして生きられただけでも幸せだったのかもしれない。
期待度◎鑑賞後の満足度◎ お見事!『黒いオルフェ』の再来かと思た。同じくフランスの監督というのは偶然?現代社会にギリシャ悲劇を蘇らせてミュージカルにした、様式も内容も重層的な映画。
※2025.03.29. 2回目の鑑賞。【ユナイテッド・シネマ橿原】
①今年前半で最も観たかった映画。期待以下では勿論なかったけれども期待以上でもなかったという微妙な感想だけれども、特筆すべき映画であることは間違いない。
②同じミュージカルと云っても、ヨーロッパのミュージカルはアメリカのミュージカルとは方法論的にも思想論的にも別物だと改めて思わされた(アメリカのミュージカル映画はそれはそれで勿論大好きですよ)。
前半三分の一は映画全体の中でもシリアス度が低いが(枝葉=伏線は色々あるけれども、話はアンテスが女性になるまでをほぼ一直線で叙述)、姓適合手術をミュージカルシーン(このシーンは面白い)にした映画は初めて観たし、アメリカのミュージカルではこの発想は無いだろう。
キリスト教が無かった紀元前のギリシャ・ローマでは性への理解は柔軟で多様性があったから(現代ヨーロッパは世界に先駆けて性の多様性を認めているけれども、根底にはギリシャ・ローマのそういう思想があるからかもしれない。日本の古代は性に対する考え方も非常に寛大で柔軟だったのに何故ヨーロッパみたいにならないんでしょう。“異性婚が日本の伝統です”なんて宣う某政党の議員先生など“日本の歴史(学校で教える程度のものではなく本当の歴史を)”を勉強しているのかい?と言いたい)、そういう点でもギリシャ悲劇みたいという感慨が沸いたのかもしれない。
③第一部では、ほぼ冒頭のリタが繁華街(というより屋台街という方が良いか)で群衆と歌い踊るシーンや上記の姓適合医院でのシーンも印象深いが、最も心を動かされたミュージカルシーンは、リタとワッセルマン医師とが掛け合いで歌い合うシーン(相聞歌みたいな感じ、二人は恋人でも何でもないけれども)、この映画のテーマの一つを代弁しているような歌詞の内容“Lady”。
④元メキシコの麻薬王だったトランスジェンダーの女性が主人公のミュージカルということが最も観たかった要因の一つだけれども、一方、過去麻薬に関わっていた人(しかも麻薬王)の話をミュージカル(ここでは未だ、明るく楽しいアメリカ型のミュージカルという概念を引き摺っていた)にして良いものだろうか、麻薬王なら取引の中で非道なことをしただろうし、売りさばいた麻薬で人生を破滅されられた人達は沢山いるだろうに、それをお気楽なミュージカルの題材にして良いのだろうか、という一抹の反発心もあった。
しかし、第二部に当たる部分ではその反発心を緩和する展開となる。
本人は後悔し続けていると言っているが、勿論、エミリアが“男”の時に犯していた罪は許しがたいし償いようがない。
しかし、“女”となったエミリアは過去の罪の償いという動機は勿論あっただろうけれども、“女”になって真に女性たちの哀しみや苦しさに思い至り見過ごせなくなったのではないだろうか。
“男”の時は「悪」、“女”のときは「善」とはやや安易な対比とは思うが、エミリア(マニタス)が“男”としてしか生きられない世界・社会でサヴァイブするためには「悪」の道を上り詰めねばならなかった、とは逆に其のような世界・社会での“男”として生まれたことの生きづらさ/不自由さを語っているかも知れない。
と共に、“男”(悪人だったけれども)であったときであれ、“女”になってからであれ、其なりの存在になる・地位につく、には相当の勇気と意志、行動力が必要だから、人間としてなにかを成し遂げるのは性別ではなく、その人の意志・行動なのだということを改めてエミリアの姿を通して再確認した思い。
とはいえ、本当になりたかった自分、“女”に成れたとは云え、人間としての本性はなかなか変えられないもので(これも性差に関係なく、また性を変えたことで変わるわけでもない)、チャリティーコンサートで資金を集めるためには麻薬密売人や悪徳政治家、悪徳実業家を平気で招待してしまうエミリア。
其に対する不満と汚れた金を生み出す輩への怒りを爆発させるリタの圧巻のダンスシーンは本作のテーマの一つでもありクライマックスでもある。
⑤そしていよいよ(ある意味予想されたものではあるが)悲劇が訪れる…
「全てを捨てても女になりたい」と言ったマニタス/エミリアではあったけれども、子供を手元に置いておきたいという欲望には勝てなかった。
無事(ではないか…)“女”になれた、という安堵感や達成感からの驕りか、私は親になったことがないので分からないが、親となった人間が持つ根元的な欲望なのか、「何かを得るためには何かを犠牲にしなければならない」という人生のルールを自分から破ってしまったエミリアに災いがやがて降りかかる不穏さは初めから付きまとってはいた。
愚かと捉えるか、人間らしさと捉えるかは人それぞれだが、これが人間の業だとしたらやはりギリシャ悲劇を想起させる。
ジェシーに打ち明ける、という選択肢は有ったようには思うが、ジェシーには理解できず子供と共に逃げてしまう、というリスクをおかしたくなかったのか…
エミリアが誘拐された時、暴力を嫌っていた筈のリタが、身代金と共に武装した一団を躊躇いもなく準備したのには少々驚いたが、メキシコでは「誘拐=殺される」というのが常態化している為だろう。
リタガ目撃したディスコでのジェシーとグスタフとのデュエットシーン、特にジェシーと女性ダンサーたちとのダンスシーン(“Mi Camino”)は、妖しく眩しく、ある意味悲劇の幕開けには相応しい。
⑥忘れ難いシーンやショットが幾つかある。
エミリアとリタとが残された家族の為に行方不明者捜索のNGOを立ち上げた後、ボランティアや家族達が「ここに来た」と歌い出すミュージカルシーン(“Para”)の最後の、黒い背景に歌う子供達の顔顔が星のように浮かび上がるシーン。
エピファニアの家で初めて外泊した朝、キッチンに徐々に日が差してきて明るくなっていくシーンの柔らかな美しさ。
その後、エミリアとエピファニアが相聞歌(こちらは意味通りに)のように掛け合いで歌い交わす“El Amour”のシーン。本作で最も心優しく美しいシーンだ。
トランクにエミリアを入れたまま、ジェシーとグスタフを乗せた車が崖から転落し、暗闇の中で光る赤いヘッドライトにカメラが近づいた一呼吸後で爆発してスクリーンいっぱいに紅蓮の火が燃え上がるシーンの美しさ。
⑦本作でアカデミー助演女優賞に輝いたゾーイ・サルダナ扮するリタ役はは本来主役だと思うが(正確にはカンヌで獲得したアンサンブル演技賞が最も妥当だろう)、エミリアの誕生から死までを見届けた傍観者という立ち位置から助演扱いにされたのだろうか。
ゾーイ・サルダナとしては『アバター』『ガーディアン・オブ・ギャラクシー』に続く代表作の誕生である。
リタは知的で理性的で勇敢な女性である一方、俗っぽいところや人間臭いところもある(金銭欲に勝てなかったり贅沢したがったりお尻の弛みを気にしたり)女性として役柄に血をを通わせミュージカルシーンの熱演も合わせて見事な演技である。
カルラ・ソフィア・ガスコンは好演だが名演とまではいかないな、と思いつつ観ていたが、ジェシーと口論した後、“母親でもないくせに”というジェシーの悪態を背にしながら歩いてくる時の表情が凄い(マニタス/エミリアが合体したような、『マジンガーZ』のアシュラ男爵のような、『王女メディア』の逆バージョンのような)、あの表情だけで賞ものである。
そして悲しいかな、性を変えても身に染まったものは洗い落とせないのか本性だったのか、エミリアはマニタスだった時にしていた事を繰り返してしまう(まあ、マニタスだった頃だったら殺していただろうから少しは慈悲も持つようになったのか)。
グスタフを痛みつけたうえ金でカタを付けようとするが、怒ったジェシーは黙って子供達を連れ去ってしまう。
また、その報復且つ帰って来ざるを得ないようにしたのかジェシーに残した財産を凍結するエミリア。
こうなったら最早形を変えた元夫婦の親権争いとしか見えない。間に入るリタは元より弁護士という皮肉。
コメディにもなりそうな展開だが、予想を裏切り此処からクライムサスペンスに一転する。
セレーナ・ゴメス扮するジェシーも最初は犯罪組織のボスの如何にも妻という感じのステレオタイフの“女”として登場する。
しかし、本作はジェシーをそういう“ステレオタイプの女”という型にはめて卑下してはいない。
誰の庇護下にあっても其れは結局籠或いは牢獄の中にいることと同じと感じ、自我に目覚めていくジェシー。
”妻“や“母”である前に“自分”であることに目覚めたジェシー。
そういう意味では“夫”や“父”であることよりも先ず“女”であることを優先したマニタスと似ているとも云える。
又、彼女も或る意味では良くも悪くもマニタス/エミリアのエゴにより人生を変えさせられた被害者とも言える。
「何かを得るためには何かを諦めざるを得ない」「自分(エゴ)を貫き通すことが誰かを傷つけることになる」…
人間が生きていくということは事ほど左様に切なく哀しいものなのか…
♪崖から落ちても良い…自分の崖だから…♪(“Mi Camino ”)と、嘗ての夫と愛人と共に崖から落ちていったジェシー…
⑧こう見てくると、マニタス/エミリアもジェシーも愚かであり哀しい。
“自分”を生きたかっただけなのに身の破滅を招いてしまった…
それでも人間は“自分”であることを求め続けるものであるのかもしれない、良くも悪くも…
そういう意味で、本作は性転換した元麻薬王をめぐる物語をミュージカルという形式を取って描いた映画という枠を突き破って、全ての人間(♪Ladies and gentlemen and everyone in between and everybody no one has ever been♪)の持つ人間根源の業を見つめた一大エンターテイメントだとも言える。
⑨ラスト、エミリアは生前の善行から知己の人々から聖人のように讃えられる(案外聖人というのはこんな風に創られるものなのかも知れない)…
しかし誰も本当のエミリア・ペレスを知らない(恐らくリタ以外は)…
エミリア・ペレスは美しく賢く強く気高く優しく、でも愚かで醜く弱くて冷たくて俗っぽかった(つまり業を背負った普通の一人の人間だった)…そして残ったものは嘆き…
やはりギリシャ悲劇だわ…
⑩本編を挟むブックエンドのような役割を果たしている冒頭とラストに聞こえる廃品収集車のマイクから流される呼び声とそれをそっくりなぞったコーラスは、消費社会である現代に対する鎮魂歌であると共にギリシャ悲劇のコロスのような効果を上げている。
※追記:歌詞の意味・内容を字幕からではなくダイレクトに分かるようにスペイン語を勉強しようとマジで思てますゥ。
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