エミリア・ペレスのレビュー・感想・評価
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⭐︎3.6 / 5.0
…なぜ?
聞いたら承諾
際どいイロモノに見えるが引き込まれた
トランスジェンダーである事を隠してメキシコの麻薬王として悪行の限りを尽くして来た男が、性適合手術を受けて全く別人の女性として生き直そうとするお話です。もうそれだけで、何じゃそれ?ですよね。しかも、その物語がミュージカルとして展開するのです。いかにもイロモノ映画の匂いがするのですが、とんでもありませんでした。
ミュージカル・シーンが重いテーマをスピーディーに牽引し、「この話、一体どこに行くんだ?」と一気に引きずり込まれました。様々な場面での歌がよいアクセントを生み、非常にテンポの良い展開で突っ込み所も吹っ飛ばします。そして、最後に何とも言えぬ思いが残るのでした。これ、一体、何の映画だったんだろう。でも、その疑問が心地よいのです。
そして、この種の物語では、LGBTがネタや驚かせの道具として消費されているのではないかと言う点が気になります。それは、現実社会に生きる性的マイノリティーの人々への偏見や嘲笑を煽る事になり兼ねないからです。しかし、本作は際どい線を進みながらも、僕は違和感は感じませんでした。
今年のアカデミー賞レースを賑わせた中では一番の問題作かと思いますが...
麻薬王が性転換して自分らしく生きる… 設定が衝撃的でこの時点で面白...
エミリア ペレス
セレーナ・ゴメス
徹頭徹尾のシスターフッドに感涙
楽曲やダンスのボリューム、ミュージカルシーンの編集に圧倒され、悲惨な展開につい笑ってしまうのに、そりゃおっかないだろう、麻薬カルテルの連中なんだから。133分がちと長い。120分切れたらもっとよかったのに。
過去の悪行が成功を阻害する
近年は「性転換手術」という表現は不適切で、「性別適合手術」と呼ぶべきとのこと。
勉強になった。
睡眠不足で映画を観たのが良くなかった。
途中まで眠気との戦い。
ミュージカルシーンが目覚まし時計代わりになっていた。
中盤までは元麻薬王が莫大な財力を駆使して自分の思い通りの人生を送っていくだけの話で、大きな事件みたいなのは起きないため、映画の2/3ぐらいまでは単調に感じた。
ただ、話自体は予測不能な展開の連続で、興味深くはあった。
「メキシコの麻薬王・マニタスが性別適合手術を受け、エミリア・ペレスという女性として第二の人生を送る」という導入部分から興味を惹かれるものがあったが、その後もエミリア・ペレスの取る行動に驚かさせることが多かった。
「え、そんなこと考えていたの」と思わされる場面の連続。
そもそも「バイで子持ちのトランスジェンダー」という設定が、他の映画では見たことがない複雑さと深みを生み出していると感じた。
ミュージカルシーンは見応え十分。
ダークで切迫感のある音楽が印象的。
特に、ゾーイ・サルダナの踊る場面に魅了させられた。
さすがアカデミー助演女優賞を獲得しただけのことはある。
ただ、ミュージカルシーン、ちょっと多すぎな気もした。
この映画の中で起こる出来事の数に対し、133分は長く感じた。
普通の場面でも「もしかしてここからミュージカルが始まるのか」と、変に身構えながらの鑑賞になってしまった。
ミュージカル映画ということで、歌や踊りのない場面でも、役者が音楽に合わせて台詞や動作を行う場面がちょいちょいあり、最近新作が発表された『リズム天国』みたいと思った。
終盤は「過去の悪行が原因で、大成功目前に大きなしっぺがえしを食らう」という話で、奇しくもアカデミー主演女優賞にノミネートされたカルラ・ソフィア・ガスコン自身に降りかかった出来事にも重なって見えた。
Netflixのドキュメンタリー映画『トランスジェンダーとハリウッド』を観ていた人間としては、ラストはかなりモヤモヤした。
LGBTQに寄り添う内容ではなく、あくまでドラマを盛り上げるための道具としてLGBTQを扱っただけに感じた。
思いを歌に乗せる、スペイン語ミュージカル
この映画はフランス監督とフランス資本によるフランス映画だが実質は、多くはメキシコを舞台に、スペイン(ラテン系)の俳優によるスペイン語映画です。
そしてクライムミステリー・ミュージカル映画です。
事前にRotten Tomatoes 調べたら批評家72%、観客16%。どうしたらいい?でも楽曲が凄く良いので見に行きます。
弁護士がいきなり拉致され、そしたら麻薬王がトランスジェンダーで女性になりたい。金はある、秘密を守れる優秀な医師を探せって。殺されるかも、引き受ける。4年後ようやくエミリア・ペレスの登場です。
いくら元麻薬王でも、父親ではなくなっても、真実は決して明かせないけど、子供に会いたい、暮らしたい。
子供は親戚の女性(?)にPapa を感じる。
自分らしく生きたい。
ただ麻薬王には妻子の安全と自身の希望を両立させる術がない。
なんじゃ、これ?
良う分からん映画だった。
トランスジェンダーの麻薬王が、心の性と合わせるべく、身体の改造も行い、これからは自分らしく生きていくと宣言していたはずなんだが、、、
すぐに麻薬王は、替玉を使って暗殺されたと偽装する。これじゃ顔も声も身体も女性に変えたのは、別組織からの襲撃あるいは警察の逮捕からの「ただの目眩まし」。
そのうえ、スイスに逃がした家族をメキシコに戻し、自らもメキシコに戻って、亡き(?)麻薬王の遠い親戚ヅラして同居。
あれ?身も心も女性となり、これからは自分らしく生きていくんじゃなかったっけ?
奥が深い映画なのかしれないが、俺には響かなかった。
途中で、ミュージカル風に歌とダンスが急に始まるのは、いい感じだったけど少し興ざめ。
多分、男視点が弱いところが説得力を今ひとつ欠く原因になっているのでは。
最近の作品はみんなそうなんだけどどうにも尺が長過ぎるのですね。今年のアカデミー賞絡みでいうと「アノーラ」も「ブルータリスト」もそうだった(「教皇選挙」にはそれを感じなかった。やはりあれは傑作なのです)
この作品は、なんといっても麻薬王マニタスが弁護士リタの力を借りて、性転換と、自分の過去を消すことに完全に成功するところまでが面白い。その後、エミリアが息子たちと妻をメキシコに連れ戻すため、リタに再度、依頼をするところから物語は転調しはじめ、そしてエミリアが麻薬組織が殺したり誘拐した人々、多くは男たち、をその家族のために捜索する活動を開始するところでクライマックスに入っていく。ここが、男たち(金やメンツにより人を平気で殺す)と女たち(男たちによって家族をうばわれる)という対立構造になっており、トランスジェンダーとして女側にたったエミリアとリタをはじめとする女たちとの連帯が描かれる。
よく分かる、よく分かるのですが、トランスジェンダーだからといって人はそんなに変わることができるのか、それも「赦す」という言葉に表れているように、やや聖母的にエミリアが位置づけられているところが気になるのです。(最後のお葬式のシーンが象徴的)
でも男は殺す、女は嘆きながら赦す、といった形のままでは何も変わらない、結果として補完的な関係が永続的に続くだけなのではないか。逆説的になるかもしれないがエミリアの「元男性」としての視点でも良い、他の男視点でも良い、殺さなければ生きられない男たちの視点なり、実感が表現できたらもっと説得力は出たのではないかと思います。その意味からでは、ジェシーの浮気相手グスタボがただのクズ男としてしか描かれていないのが惜しい。彼も最後に一世一代の大勝負に出たんですからもう少し話を膨らませてほしかったな。
これを観て私も自分に素直に生きようとはならないのでは
自分らしく生きる
アカデミー賞の多くの部門でノミネートされ、助演女優賞と主題歌賞を受賞した本作。あまり注目していた作品ではなかったのですが、受賞作なら観ておかねばと公開2日目に鑑賞してきました。
ストーリーは、メキシコの麻薬カルテルのボス・マニタスから「女性としての人生を用意してほしい」との依頼を受けた弁護士リタは、海外での性別適合手術やその後の生活拠点などを整え、表向きはマニタスを死亡したことにして無事に依頼を成し遂げるが、その4年後、マニタスはエミリア・ペレスと名乗る女性となってリタの前に現れ、今度は「家族とメキシコで暮らしたい」との依頼を受けたリタは、エミリアのために再び力を貸すことになるというもの。
鑑賞後の率直な感想としては、なんとも切なく悲しい気持ちになりました。自分らしく生きるって、簡単そうで難しいです。顔も性別も名前も変えて、新たな人生を手に入れたエミリアですが、代償として支払ったのは大金以上に大切なマニタスだった頃の人生です。初めから覚悟していたとはいえ、手放して初めてその本当の価値と喪失の悲しみを思い知らされたことでしょう。物語の後半、いついかなる時もそこにいるのは半分本当で半分偽りの自分であると嘆くエミリアの心情を思うと、切なさがこみ上げてきます。
それでも彼女を前向きにさせてくれていたのは、自身で立ち上げた行方不明者捜索のための慈善団体、かつての妻と子どもたち、新たな恋人エピファニアの存在。エミリアは、過去の悪行への償い、自身の存在価値の確認、心安らぐ場所づくりを、自らの手で成し遂げていきたかったのかもしれません。その姿は、新たな人生を楽しもうと模索しているようでありながら、捨てきれぬ過去に囚われているようにも見えます。
しかし、ジェシーの行動が歯車を狂わせます。ラストに向けて俄かに高まる緊迫感に、なんとか無事に穏やかな日々を取り戻してほしいと願わずにはいられません。結果論に過ぎませんが、エミリアがジェシーに全てを打ち明けていたら、昔のような穏やかな生活が送れたのではないかと思うと、悲しく切なく胸が締め付けられます。その一方で、エミリアとなって改心したからといって、過去がなかったことになるわけもなく、この結果も自業自得なようにも思います。
自分らしく生きるというのは、人の本質が表れた生き方そのもののように思います。したがって、外見や性別を手術で変えたとしても、人の本質は変わらず、その生き方も大きくは変わらないでしょう。しかし、それが自分自身を変えるきっかけになるなら、意味のある選択だとも思います。でも、そんなことをしなくてもすべての人が自分らしく生きられる、そんな寛容な社会であってほしいと思います。
主演はカルラ・ソフィア・ガスコンで、マニタスからエミリアへの演じ分けがうまく、エミリアの心情に寄り添いたくなります。脇を固めるのは、ゾーイ・サルダナ、アドリアーナ・パス、セレーナ・ゴメス、エドガー・ラミレスら。
フランス映画なのに外国ばかりだったね
メキシコの女性弁護士リタがメインキャスト、エミリアが主役かと思っていたのに、エミリアは中盤まで出てこなかった。それにしても仕事だからって、そんなに外国に行くの?ストーリーのせいか、リタの弁護士らしさは全く感じられなかった。あら!?唄って会話してるって事はミュージカルなのかなって最初は疑問だった。が、バンバン歌うみんな。ステージみたいなのもちょっと出てくるなんて意外でした。えっ!麻薬カルテルのボス、おっさんのマニタスが、女になりたいだと。社会から消えて外国で手術。そしてイギリスへ。あれ?甥っ子の居る家庭へ親として住み始めたぞ。母親のジェシーは旦那を失ってた。旦那について、もしかしたらって想像してたら当たっててビックリした。自分的にはストーリーがよく分からなかったし、なんで皆んな歌いまくっているのか不思議だった。最後はまさかの展開でウルッ。エンドロールのテキストカラーが意外で楽しかった。
情熱の国ならでは
映画全体を通して見ると、
なんでもありの世界。
日本では考えられないような
ぶっ飛び感満載。
起承転結などお構い無しで、どこに向かうのか着地点が全然見えてこない。
これはお国柄なんだと思った。
つまり、先を見通して何かをする人たちではなく、思いつきや衝動性で行動する人たちだらけだから、激しい人生になるんだろう。
映画を観ながら、タラレバが何度も頭をよぎるのだが。タラレバだらけの日本人が石橋を壊しても前に進まないのと同じく、メキシコやブラジルなど情熱というか先を見通さずに突き進む国も発展は望めないんだろうなと思った。
アメリカも同じくほとんどの人がぶっ飛んでるんだが、一部の天才によって財を築いてるので、国全体としては豊かなんだろう。
そんな訳で、色々な場面で心は揺さぶられてハラハラするのだが、なぜ大切な場面で大切な人には真実を伝えられなかったの?ってことだけが引っ掛かった。
この映画は面白いのに、最後がモヤモヤで終わるのが残念な映画だったなー。
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