エミリア・ペレスのレビュー・感想・評価
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なんでエミリア・ペレスの名前を選んだのかわからんままでしたね
2025.3.29 字幕 MOVIX京都
2024年のフランス映画(132分、G)
原作はボリス・ラゾンの小説『Emilia Pérez』
メキシコのカルテルのボスの性転換を手助けする弁護士を描いたミュージカル演出のスリラー映画
監督はジャック・オーディアール
脚本はジャック・オーディアール&レア・ミシウス&ニコラ・リベッキ&トマ・ビデガン
物語の舞台は、メキシコのとある街
妻の殺害容疑で捕まったガブリエル・メンドーサ(エミリオ・ハッサン)は、弁護団のシナリオとして「妻は自殺だった」で押し通そうと考えていた
そのシナリオはすでに用意されていたもので、裁判はただの茶番でしかなかった
担当弁護士のリタ(ゾーイ・サルダナ)は「自分の能力を活かす職場はここなのか」と自問するようになり、台本すら読めない同僚のベルリンガー(エドゥアルド・アラブロ)に苛立ちを見せていた
その後、裁判は予定通りに終わり、弁護団は祝福ムードになっていた
だが、その空気に耐えられないリタは、適当な理由をつけて、その場から離れることになった
そんな折、彼女の元に一本の電話が入る
見知らぬ男からの電話で、「金持ちになりたいか」を問いかけてくる
そして、「その気があるなら新聞ボックスの前で待て」と言って電話は切れてしまった
物語は、今の生活を変えたいリタが約束の場所に行き、そこで何者かに拉致されるところから動き出す
リタは袋を被されてどこかに連れて行かれ、何台かを乗り換えたのちに電話の声にたどり着いた
電話の主はマニタス・デラ・モンテ(カルラ・ソフィア・ガスコン)で、彼はメキシコの麻薬カルテルを牛耳るボスだった
リタは「自分が指名された理由」がわからなかったが、マニタスは「内容を聞けば承諾とみなす」と言い放つ
そこでリタは、マニタスの依頼を聞くことになるのだが、それが「性転換をして女性になり、本当の自分の人生を生きたい」というものだったのである
映画は、マニタスが性転換手術をして、エミリア・ペレスという名前で人生をやり直す様子が描かれていく
彼の妻ジェシー(セレーナ・ゴメス)と娘のエンジェル(Gaël Murguia-Fur、幼少期:Théo Guarin)、息子のディエゴ(Tirso Pietriga、幼少期:をLucas Varoclier)をスイスの山奥に匿い、自身はロンドンへとその身を移していた
そして、エミリアはあるレストランの会食の場にて、リタと再会することになったのである
本作は、ジャンルが変化するタイプの作品で、前半はクライムスリラー、中盤は社会風刺、後半はメロドラマとなっていて、それらをミュージカル演出によって繋げている感じになっている
楽曲の良さがあるのでミュージカル調は構わないのだが、ジャンルチェンジはどうなんだろうなあと思ってしまう
特に、後半の子どもを巡るグダグダはかなり安めのドラマになっていて、そこで正体をバラすんかい!という感じになっていた
それによって、ジェシーは事態を収集させようとするのだが、その変心の意味がわからない愛人グルタボ(エドガー・ラミレス)は力づくでジェシーを止めようとする
その後は案の定という展開で、さぞかしトランクの中は悲惨だっただろうなあと思ってしまった
場外乱闘も色々とあるようだが、主演助演を誰にするかでピントがズレている気もするし、じゃあカルラ・ソフィア・ガスコンを男優、女優のどちらでノミネートさせるのか問題もあると思う
個人的には、肉体を競い合うものは先天的、それ以外は自認だと考えているので、本作におけるカルラ・ソフィア・ガスコンは助演女優賞で良いと思う
それでも、まさかのゾーイ・サルダナが助演女優賞ノミネートで勝ってしまうというのは不思議だなあと思った
明らかに主演女優の方にノミネートされるべきだと思うのだが、そのあたりのズレもよくわからないままだった
いずれにせよ、主演が助演女優賞を獲るし、脇役と愛人のデュエットソングが映画の代表曲で主題歌賞を獲るというのも不思議に思えた
このあたりのノミネートと選考基準は昔から意味不明だったが、作品賞は無理でしょというのはわかる
映画自体は嫌いではないが、後半に向けて支離滅裂になって大雑把になっていくのは何だかなあと思ってしまった
子どもたちはリタが面倒見るようだけど、法的にはどうなるんだろうかとか、エミリアの恋人のエピファニア(アドリアーナ・パス)もどう関わっていくのかはわからない
このあたりが投げっぱなしになっているので、中盤あたりの奉仕活動から他のマフィアと戦争になってしまうという展開で、その中でエミリアが死ぬ前に妻に伝えるというのでも良かったように思えた
ミュージカルで本音を吐き出す
納得の歌曲賞
非英語作品ながら
アカデミー賞本命と言われていた
本作は、残念ながら歌曲賞しか
獲得出来ませんでしたが
(SNS恐るべし)
クライム・ミュージカル・コメディ要素満載の
最高エンタメ作品でした。
麻薬組織、政治家の汚職、家族との関係性
ジェンダー、貧困、暴力、慈善活動など
あらゆる社会問題を描いているけど、
ごちゃ混ぜ感はありません。
またやはり音楽がホントに最高でした!!
(大変自分の好み)
スペイン語の耳障り、ラテン系?の音楽
ミュージカル作品としては、
それ程派手さはないのだけれど
興奮する楽曲の数々に
アカデミー賞 歌曲賞は納得です。
予想以上に楽しめた ミュージカル色はそんなに感じず、雰囲気タランティーノ映画の様な印象を受けた
所々ツッコミどころはあったけど、荒唐無稽で先の読めないストーリー展開にグイグイ引き込まれ、時間を感じず あっと言う間の130分、想像以上に面白かった
主人公エミリアを演じるカルラ・ソフィア・ガスコンさん、冒頭の男性の時とは打って変わって女性になってからはすごく綺麗でビックリしました、声も素敵だったし、身のこなしというか所作と言えばいいのかな、すごくエレガントに見え素晴らしかったです
そして先日の米アカデミー賞で助演女優賞を受賞したゾーイ・ソルダナさんも頑張ってました、先の見えない人生にウンザリするあまり、とんでもないリスキーな依頼に身を投じていく役を熱演し良かったです
メインの舞台となるメキシコの風景が素晴らしかった
山の裾野にギュウギュウに建つ住宅街の上をロープウェイが通っているなど、見たことない景色が広がりとても興味深い映像も印象的でした
自分の人生を生きるって?
賞レースで色々と騒ぎになっていた本作。
できるだけ目を塞ぎ、耳を塞いでノイズを入れないようにして公開日に鑑賞。
これは、想定を超えてくる展開。「凄いなあ」というのが率直な感想。
メキシコの麻薬王が性転換手術で別人に成り代わった後、わざわざ身バレかつ殺されるリスクの高いメキシコへ戻り、自分を偽り、自分を死んだと思っている家族と一緒に暮らす。
いつ、どんな形で身バレするのかというハラハラ・ドキドキ感を終始抱かされたまま、物語は進む。スポットライトは、この特異な主人公エミリアにずっと当たっているのかと思っていたが、彼女と関わることで女性達が、それぞれの抑圧からの解放を果たしていく様が描かれている。劇中のミュージカルシーンでもそれがメインテーマのように強調されていた。
真実に蓋をして建前を取り繕う仕事から離れ、自信を取り戻した弁護士リタ。檻の中のような生活から脱出し自由を得たマニタスの妻ジェシー。夫の死により暴力から逃れ愛を知ったエピファニア。
そうか、エミリアが自分を取り戻す(人生をやり直す)と同時に彼女らも自分を取り戻すという物語か。
はっきりと覚えてはいないが、エミリアが、「上にも下にも」「パパにもママにも」「半分、半分」という台詞を歌うようにつぶやいていたのが印象的だった。ジェンダーや生物学的な性を超える、いや、そんなものには囚われないという人間としての存在の宣言や愛の表現か。自分を罠に嵌めたジェシーに、マニタスだった自分が愛していたことを告げるエミリア、それに気づくジェシーの姿も、その表現の1つだろう。
奇抜な設定と最後まで続くスリリングさ。抑制的だがピンポイントでエモーショナルな演出。ジワジワとたたみ掛けて訴えかけてくるメッセージ性。どれも一緒には成立しそうにない要素が1つの作品の中で成立しているのは、監督の手腕か。俳優の演技か。
強く心が動かされるものは無かったが、クオリティの高さを感じずにはいられない作品だった。それだけに、いろいろゴタゴタがあったのは残念だ。もったいない。
贖罪
性転換をして一般女性として生き様とする麻薬王と、その協力をさせられる女性弁護士の話。
明らかな犯罪者でも無実にしてしまい葛藤する有能弁護士リタが、怪しい電話で呼び出され拉致されて、マニタスに足のつかない場所での性転換手術と新たな名前、嫁ジェシカと息子たちの身柄の安全の確保を頼まれて巻き起こっていくストーリー。
設定のユニークさは確かにコメディだけれど、内容は結構シリアスだしサスペンスフルだしで、ミュージカル要素がなかったら結構重めな序盤。
そして4年後は、まさかの人情ドラマに嫁の暴走が載っかって、なかなかお見事なクライム展開。
歌で説明がしやすいからミュージカルにしたのかね…普通の劇映画でみせてくれたらもっとテンポが良かったし、ラストの曲もめっちゃ響きそうだったんだけどね…なんて思ったし、そもそもの性転換の切っ掛けが良く判らなかったけれど、とても面白かった。
そういえば、懐かしのアルペンレーサーに、昇り鯉シャツに、息子くんは日本好きですかねw
オチと音質以外は良かった
伝説が生まれる時のエネルギー
メキシコの麻薬王が、性別適合手術を経て新たな人生を手に入れる様を描いたミュージカルドラマ。
メキシコシティの弁護士リタは日々絶望と向き合っていた。クズのようなクライアントと無能な上司、街は誘拐・殺人のニュースばかり。そんな中、麻薬王マニタスと運命の出会いをする。マニタスの絶望の深さは底知れぬ。彼が全てを捨て生まれ変わる事を彼女が仲介することで物語は始まる。
見所は、映画全体に流れる圧倒的なエネルギー感だ。物語では対比の存在は対立、融合は一つの理想形、として描かれる。映画では、男と女、体と魂、富と貧困等の軋轢は緊張状態をもたらし主人公達は物理的な解決を強いられる。逆に融和の存在は静寂に包まれた安定として描かれる。
動的と静的のうねるエネルギーの渦を、インド映画顔負けの各所に流れるリズミカルな心情歌に乗せ、三人の女性が熱意こめて歌い上げる。エミリア・ペレスという一つの伝説が生まれるエネルギーを感じた。
ノリノリのミュージカル映画としても楽しめますし、いろんな視点で考えながら観ても楽しめます。エンタメ作品なので安心してご覧いただけます。
自分自身を貫き通したエミリア・ペレス
人は2つの人生 (あるいは別の人生)を歩めるのか ? そもそも別の人生など有るのか ?
大げさなタイトルをぶち上げてしまったけど、あとが続かなくなってしまい、僕の底が知れてしまったヨ。まあ、それはイイ。
麻薬王マニタスは、家族と離れエミリア・ペレスとして生きると決めたとき、淋しくても生涯1人で生きていこうと決意したに違いない。
だが、顔と名前を変え他人から見て別人でも、マニタスの中では1人の人生だ。故郷と家族、特に子供と離れた淋しさはマニタスには耐えられなかったのだろう。
エミリア・ペレスはメキシコに帰り、家族と暮らすという選択をしてしまう。
結局、マニタスの子供と離れたくないという執着心が最悪の結果を招いてしまう。子供たちだけでも死ななかったのが不幸中の幸いだったと思う。
マニタスがエミリア・ペレスになって4年後、リタがエミリア・ペレスに相談を受けたときに、リタが止めていればと思わずにはいられない。
麻薬王でなければ、周りにカミウングアウトするという選択も大いにあり得ただろう。
だが 「女になりたい」と言う麻薬王は、目一杯なめられちゃうだろうから、そうはいかない。
短い間だったけど、エミリア・ペレスとして生きられただけでも幸せだったのかもしれない。
アノーラかこっちか?さすがアカデミー作品賞候補
期待度◎鑑賞後の満足度◎ お見事!『黒いオルフェ』の再来かと思た。同じくフランスの監督というのは偶然?現代社会にギリシャ悲劇を蘇らせてミュージカルにした、様式も内容も重層的な映画。
※2025.03.29. 2回目の鑑賞。【ユナイテッド・シネマ橿原】
①今年前半で最も観たかった映画。期待以下では勿論なかったけれども期待以上でもなかったという微妙な感想だけれども、特筆すべき映画であることは間違いない。
②同じミュージカルと云っても、ヨーロッパのミュージカルはアメリカのミュージカルとは方法論的にも思想論的にも別物だと改めて思わされた(アメリカのミュージカル映画はそれはそれで勿論大好きですよ)。
前半三分の一は映画全体の中でもシリアス度が低いが(枝葉=伏線は色々あるけれども、話はアンテスが女性になるまでをほぼ一直線で叙述)、姓適合手術をミュージカルシーン(このシーンは面白い)にした映画は初めて観たし、アメリカのミュージカルではこの発想は無いだろう。
キリスト教が無かった紀元前のギリシャ・ローマでは性への理解は柔軟で多様性があったから(現代ヨーロッパは世界に先駆けて性の多様性を認めているけれども、根底にはギリシャ・ローマのそういう思想があるからかもしれない。日本の古代は性に対する考え方も非常に寛大で柔軟だったのに何故ヨーロッパみたいにならないんでしょう。“異性婚が日本の伝統です”なんて宣う某政党の議員先生など“日本の歴史(学校で教える程度のものではなく本当の歴史を)”を勉強しているのかい?と言いたい)、そういう点でもギリシャ悲劇みたいという感慨が沸いたのかもしれない。
③第一部では、ほぼ冒頭のリタが繁華街(というより屋台街という方が良いか)で群衆と歌い踊るシーンや上記の姓適合医院でのシーンも印象深いが、最も心を動かされたミュージカルシーンは、リタとワッセルマン医師とが掛け合いで歌い合うシーン(相聞歌みたいな感じ、二人は恋人でも何でもないけれども)、この映画のテーマの一つを代弁しているような歌詞の内容“Lady”。
④元メキシコの麻薬王だったトランスジェンダーの女性が主人公のミュージカルということが最も観たかった要因の一つだけれども、一方、過去麻薬に関わっていた人(しかも麻薬王)の話をミュージカル(ここでは未だ、明るく楽しいアメリカ型のミュージカルという概念を引き摺っていた)にして良いものだろうか、麻薬王なら取引の中で非道なことをしただろうし、売りさばいた麻薬で人生を破滅されられた人達は沢山いるだろうに、それをお気楽なミュージカルの題材にして良いのだろうか、という一抹の反発心もあった。
しかし、第二部に当たる部分ではその反発心を緩和する展開となる。
本人は後悔し続けていると言っているが、勿論、エミリアが“男”の時に犯していた罪は許しがたいし償いようがない。
しかし、“女”となったエミリアは過去の罪の償いという動機は勿論あっただろうけれども、“女”になって真に女性たちの哀しみや苦しさに思い至り見過ごせなくなったのではないだろうか。
“男”の時は「悪」、“女”のときは「善」とはやや安易な対比とは思うが、エミリア(マニタス)が“男”としてしか生きられない世界・社会でサヴァイブするためには「悪」の道を上り詰めねばならなかった、とは逆に其のような世界・社会での“男”として生まれたことの生きづらさ/不自由さを語っているかも知れない。
と共に、“男”(悪人だったけれども)であったときであれ、“女”になってからであれ、其なりの存在になる・地位につく、には相当の勇気と意志、行動力が必要だから、人間としてなにかを成し遂げるのは性別ではなく、その人の意志・行動なのだということを改めてエミリアの姿を通して再確認した思い。
とはいえ、本当になりたかった自分、“女”に成れたとは云え、人間としての本性はなかなか変えられないもので(これも性差に関係なく、また性を変えたことで変わるわけでもない)、チャリティーコンサートで資金を集めるためには麻薬密売人や悪徳政治家、悪徳実業家を平気で招待してしまうエミリア。
其に対する不満と汚れた金を生み出す輩への怒りを爆発させるリタの圧巻のダンスシーンは本作のテーマの一つでもありクライマックスでもある。
⑤そしていよいよ(ある意味予想されたものではあるが)悲劇が訪れる…
「全てを捨てても女になりたい」と言ったマニタス/エミリアではあったけれども、子供を手元に置いておきたいという欲望には勝てなかった。
無事(ではないか…)“女”になれた、という安堵感や達成感からの驕りか、私は親になったことがないので分からないが、親となった人間が持つ根元的な欲望なのか、「何かを得るためには何かを犠牲にしなければならない」という人生のルールを自分から破ってしまったエミリアに災いがやがて降りかかる不穏さは初めから付きまとってはいた。
愚かと捉えるか、人間らしさと捉えるかは人それぞれだが、これが人間の業だとしたらやはりギリシャ悲劇を想起させる。
ジェシーに打ち明ける、という選択肢は有ったようには思うが、ジェシーには理解できず子供と共に逃げてしまう、というリスクをおかしたくなかったのか…
エミリアが誘拐された時、暴力を嫌っていた筈のリタが、身代金と共に武装した一団を躊躇いもなく準備したのには少々驚いたが、メキシコでは「誘拐=殺される」というのが常態化している為だろう。
リタガ目撃したディスコでのジェシーとグスタフとのデュエットシーン、特にジェシーと女性ダンサーたちとのダンスシーン(“Mi Camino”)は、妖しく眩しく、ある意味悲劇の幕開けには相応しい。
⑥忘れ難いシーンやショットが幾つかある。
エミリアとリタとが残された家族の為に行方不明者捜索のNGOを立ち上げた後、ボランティアや家族達が「ここに来た」と歌い出すミュージカルシーン(“Para”)の最後の、黒い背景に歌う子供達の顔顔が星のように浮かび上がるシーン。
エピファニアの家で初めて外泊した朝、キッチンに徐々に日が差してきて明るくなっていくシーンの柔らかな美しさ。
その後、エミリアとエピファニアが相聞歌(こちらは意味通りに)のように掛け合いで歌い交わす“El Amour”のシーン。本作で最も心優しく美しいシーンだ。
トランクにエミリアを入れたまま、ジェシーとグスタフを乗せた車が崖から転落し、暗闇の中で光る赤いヘッドライトにカメラが近づいた一呼吸後で爆発してスクリーンいっぱいに紅蓮の火が燃え上がるシーンの美しさ。
⑦本作でアカデミー助演女優賞に輝いたゾーイ・サルダナ扮するリタ役はは本来主役だと思うが(正確にはカンヌで獲得したアンサンブル演技賞が最も妥当だろう)、エミリアの誕生から死までを見届けた傍観者という立ち位置から助演扱いにされたのだろうか。
ゾーイ・サルダナとしては『アバター』『ガーディアン・オブ・ギャラクシー』に続く代表作の誕生である。
リタは知的で理性的で勇敢な女性である一方、俗っぽいところや人間臭いところもある(金銭欲に勝てなかったり贅沢したがったりお尻の弛みを気にしたり)女性として役柄に血をを通わせミュージカルシーンの熱演も合わせて見事な演技である。
カルラ・ソフィア・ガスコンは好演だが名演とまではいかないな、と思いつつ観ていたが、ジェシーと口論した後、“母親でもないくせに”というジェシーの悪態を背にしながら歩いてくる時の表情が凄い(マニタス/エミリアが合体したような、『マジンガーZ』のアシュラ男爵のような、『王女メディア』の逆バージョンのような)、あの表情だけで賞ものである。
そして悲しいかな、性を変えても身に染まったものは洗い落とせないのか本性だったのか、エミリアはマニタスだった時にしていた事を繰り返してしまう(まあ、マニタスだった頃だったら殺していただろうから少しは慈悲も持つようになったのか)。
グスタフを痛みつけたうえ金でカタを付けようとするが、怒ったジェシーは黙って子供達を連れ去ってしまう。
また、その報復且つ帰って来ざるを得ないようにしたのかジェシーに残した財産を凍結するエミリア。
こうなったら最早形を変えた元夫婦の親権争いとしか見えない。間に入るリタは元より弁護士という皮肉。
コメディにもなりそうな展開だが、予想を裏切り此処からクライムサスペンスに一転する。
セレーナ・ゴメス扮するジェシーも最初は犯罪組織のボスの如何にも妻という感じのステレオタイフの“女”として登場する。
しかし、本作はジェシーをそういう“ステレオタイプの女”という型にはめて卑下してはいない。
誰の庇護下にあっても其れは結局籠或いは牢獄の中にいることと同じと感じ、自我に目覚めていくジェシー。
”妻“や“母”である前に“自分”であることに目覚めたジェシー。
そういう意味では“夫”や“父”であることよりも先ず“女”であることを優先したマニタスと似ているとも云える。
又、彼女も或る意味では良くも悪くもマニタス/エミリアのエゴにより人生を変えさせられた被害者とも言える。
「何かを得るためには何かを諦めざるを得ない」「自分(エゴ)を貫き通すことが誰かを傷つけることになる」…
人間が生きていくということは事ほど左様に切なく哀しいものなのか…
♪崖から落ちても良い…自分の崖だから…♪(“Mi Camino ”)と、嘗ての夫と愛人と共に崖から落ちていったジェシー…
⑧こう見てくると、マニタス/エミリアもジェシーも愚かであり哀しい。
“自分”を生きたかっただけなのに身の破滅を招いてしまった…
それでも人間は“自分”であることを求め続けるものであるのかもしれない、良くも悪くも…
そういう意味で、本作は性転換した元麻薬王をめぐる物語をミュージカルという形式を取って描いた映画という枠を突き破って、全ての人間(♪Ladies and gentlemen and everyone in between and everybody no one has ever been♪)の持つ人間根源の業を見つめた一大エンターテイメントだとも言える。
⑨ラスト、エミリアは生前の善行から知己の人々から聖人のように讃えられる(案外聖人というのはこんな風に創られるものなのかも知れない)…
しかし誰も本当のエミリア・ペレスを知らない(恐らくリタ以外は)…
エミリア・ペレスは美しく賢く強く気高く優しく、でも愚かで醜く弱くて冷たくて俗っぽかった(つまり業を背負った普通の一人の人間だった)…そして残ったものは嘆き…
やはりギリシャ悲劇だわ…
⑩本編を挟むブックエンドのような役割を果たしている冒頭とラストに聞こえる廃品収集車のマイクから流される呼び声とそれをそっくりなぞったコーラスは、消費社会である現代に対する鎮魂歌であると共にギリシャ悲劇のコロスのような効果を上げている。
※追記:歌詞の意味・内容を字幕からではなくダイレクトに分かるようにスペイン語を勉強しようとマジで思てますゥ。
素顔のゾーイ・サルダナの活躍に目を奪われる
タイトルロールを演じるカルラ・ソフィア・ガスコンの、荒々しい男性から淑やかな女性への変身ぶりもさることながら、オープニングからエンディングまで、歌に、踊りに、獅子奮迅の活躍を見せるゾーイ・サルダナの存在感に圧倒される。出演俳優の最初にクレジットされているのは彼女だし、「助演」ではなく「主演」という位置付けで良かったのではないかと思ってしまった。
映画としては、性転換する麻薬王という題材自体がユニークなのだが、普通の話し言葉が歌に変わっていったり、役者の台詞がBGMとシンクロしていたり、銃器を扱う音がBGMの一部になっていたりと、一風変わったミュージカルとしても楽しめる。
その一方で、誰にも知られず、ひっそりと生きるはずだった性転換後のエミリアが、国外に移住もせず、行方不明者を捜索するNPOを堂々と立ち上げた挙げ句に、資金集めのパーティーを開くなど、わざわざ注目を浴びるようなことをしている様子には、違和感を覚えざるを得なかった。確かに、誰がどう見ても、過去と現在のエミリアは別人だし、いくら、自らの「罪滅ぼし」をしたかったのだとしても、もう少し人目を忍んだ方がよいのではないかと心配してしまった。
彼女の第二の人生が破綻するきっかけとなった「息子たちと一緒に暮らしたい」という願望にしても、どうしても、エミリアの「わがまま」のように思えてしまう。確かに、実の子供たちと別れるのは辛いだろうが、過去を捨て去り、「自分らしく生きたい」と決意したのであれば、そうした犠牲は許容しなければならないだろうし、逆に、あれもこれも叶えたいと望むのは、欲張りすぎのように思えてならない。
それでも、この物語がハッピーエンドであったならば、まだ、スッキリできたのかもしれないが、結局、家族の内輪揉めのようなゴタゴタの末に、主人公が死亡するという結末には、釈然としないものを感じざるを得なかった。
何よりも、オープニングや資金集めのパーティーで、あれだけ金持ちの有力者たちの汚職や悪徳を糾弾していたのに、そうした連中に対して、最後まで「鉄槌」が下されることがなかったのは、物足りないとしか言いようがない。
【”私の魂は誰にも渡さない!”メキシコ麻薬王が性転換手術により女性として過去の悪行を償う姿をミュージカル形式を交え描いた作品。抑圧された女性の叫びを描いた社会性とエンタメ性を兼ね備えた作品でもある。】
■メキシコの弁護士事務所で地味な仕事を無能な男性弁護士に押し付けられ働くリタ(ゾーイ・サルダナ)に、”貴女を金持ちにしてあげる”と言う電話が掛かって来る。それは、麻薬王のマニタス(カルラ・ソフィア・ガスコン)に性転換手術を施す名医を見つける事と、家族を安全な場所に逃がす事だった。
そして、そのミッションを果たしたリサは4年後に、麻薬王から女性となったエミリア・ペレス(カルラ・ソフィア・ガスコン)と豪華な会食の席で再会するのである。
◆感想
・カルラ・ソフィア・ガスコンの二役の変貌ぶりに素直に驚く。極悪な麻薬王マニタスから、弱者救済の女神の如くエミリア・ペレスはNGOを立ち上げ、生き生きと働く姿。そして、ここが肝心なのだが、彼女は特に虐げられて来た女性を労わるのである。その代表が、エピファニア(アドリアナ・ラパス)である。彼女は失踪した夫が見つかった報を受け、エミリア・ペレスを訪れるのだが、夫に暴力を振るわれていた彼女は、バッグにナイフを忍ばせてやって来るが、夫の死を聞いて笑い出すのである。
そして、エミリア・ペレスとエピファニアは、恋に落ちるのである。
・リタもそれまでの生活から、一気にセレブになり、エミリア・ペレスとも仲良くなる。マニタスはペレスになった事で、贖罪の如く働き、生き生きと過ごすのである。
■今作の魅力としては、矢張り随所で描かれるミュージカルシーンの見事さであろう。過剰ではないが、そこではリズミカルに女性達が男性優位の社会を揶揄しているのである。
・だが、マニタスの妻ジェシー(セレーナ・ゴメス)は、昔から関係の有った裏社会のグスタボ(エドガー・ラミレス)と良い仲になる。一方、エミリア・ペレスは叔母として実の子供二人と接するが、徐々に懐かれて、一人の子からは歌いながら”大好きなお父さんの匂いがする。”と言われ目を細めるのだが、ジェシーはある日グスタボと子供達と出奔するのである。
ここで、ジェシーが歌う”自分自身を愛したい!”と言うフレーズも、象徴的である。彼女も又、マニタス亡き後に女性としての自由を謳歌しようとしたのである。
<だが、今作の結末はほろ苦い。エミリア・ペレスはグスタボとジェシーに銀行口座を凍結された報復として誘拐され、指を3本切り落とされ、身代金を要求されるのである。
そこで、傷だらけのエミリア・ペレスがジェシーに、初めての出会いの時の事を語るシーンは印象的である。
”何で知っているの!”と驚愕するジェシーだが、直ぐにエミリア・ペレスが愛した夫、マニタスであると知り、彼女をトランクに入れたグスタボが運転する車の中で、彼ともみ合いになり、車は横転し炎上してしまうのである・・。
今作は、メキシコ麻薬王が性転換手術を受け女性として男の時の悪行を償う姿をミュージカル形式を交えて描いた作品であり、抑圧された女性の叫びを描いた社会性とエンタメ性を兼ね備えた作品でもあるのである。>
クライムコメディをイメージしていたけれど違った
すごく期待していた映画。
事前知識は無しで観ました。
何となくクライムコメディをイメージしていたけれど違った。
何となく順調に進む序盤から中盤から一転して、終盤は怒涛の波乱。
凄まじい展開でエンディングまで雪崩れ込んでしまった。
物語の背景として、メキシコ社会の暗部をこれでもかと見せつけてくれる。
でも、私が何となくシラケてしまったのは、この物語の推進力って、結局は全て、メキシコの麻薬カルテルが膨大に蓄積した汚れた金なのだということ。
物語の中での善行を肯定することは、麻薬による汚れた富の蓄積を肯定することになってしまう。
LGBTQとか、ジェンダー論とか、貧困とか、薬物汚染とか、暴力と恐怖による社会支配とか、政財界や司法の汚職腐敗とか、色々と描いているのだけれど、それに対するささやかなカウンターでさえ、メキシコという国では汚れたお金と汚れたた手に頼らないと成立しない。
それこそが真に恐ろしいことである、という一周廻ったシニカルな視点が、この映画の裏のテーマなのかな??と感じました。
極悪麻薬王から、慈善団体の女神へ。
かなり面白い題材で、ゾーイでてるしミュージカルだし、、、、どうやって料理されてるのか興味があった。
ミュージカルはファンタジーと親和性がある。恋愛は相手を美化するからそうだし、フランス革命も古い話とドラマチックさで可能だ。しかし南米のこんな殺伐とした設定でどうやって、、、と思ったが上手いことやってて驚いた。特に初めの方の歌い出し、周りとの絡みや複雑な仕掛け、ミュージカルやり慣れた監督じゃないから新鮮な音楽とのやり取りが楽しめた。ゾーイもがんがん歌えてて楽しそうでよい、作ってる時は皆んなこんなに賞取れるとは思ってなかっただろうなぁ。
話も良いし、エンディングもなかなかである。
初のトランスジェンダー俳優の過去の差別発言が多少ミソつけた感あったが、映画賞受賞には影響なかったみたいだし、本人も激しく反省してるみたいだし良しとしよう。
自分勝手な人たち
エミリアペレスが激しく自分勝手な人に見える。家族と今までの人生を捨てて新しい人生をスタートさせたのに、でもあれが欲しい、でもこれがやりたい、理由は理解できるけど腹が立った。セレーナ・ゴメス演じるダメ親も、どいつもこいつも自分勝手。「自分の人生を生きよう」的なフレーズが何度も出てくるけど、自分主義の美化が極まった映画といってもいいんじゃないか。結局しわよせがいくのは子ども、不憫すぎ。
けど、ここでもう一人の主人公である弁護士リタの存在。彼女こそこの映画の良心であり、唯一感情移入できる人物だった。誰かの人生の中で生きて、現実に打ちひしがれ、一発逆転に成功したけどまた誰かの人生に振り回されて。それは彼女の選択と意志で巡り巡った結果なんだろうけど、なぜか哀れで寂しく感じる。最初はリタの物語から始まったけど、いつの間にかエミリアペレスの物語になっているように、結局リタはエミリアペレスの人生の中で生きているように思えた。
ゾーイ・サルナダはアカデミー賞も納得の演技!失礼な話こんなに上手い女優さんだとは思わなかった。主演のカルラ・ソフィア・ガスコンには引き込まれた、私生活では色々とあったようだけど、素直にまたスクリーンでみたい!アノーラよりこっちの方が好き。
ビンゴ!
麻薬カルテルのボス・マニタスから女性として“第2の人生を用意して欲しい”と極秘依頼された女性弁護士リタの話。
リタの完璧な計画、整形手術、住まいと上手く過去を捨ててから4年後、…イギリスで新たな生活を送っていたリタの前に現れたエミリア・ペレスとして生きるマニタスと再会となるが…。
“麻薬カルテルのボス第2の人生”というワードに惹かれ観に行ったけれど冒頭から入るミュージカル演出が何か本作と不一致に感じたかな。本編133分と上映時間長めな作品だったけどミュージカル演出なしでもっとコンパクトにして欲しかったかな個人的に。
…子供の頃から体は男だけど心は女と気づき、…環境もあり女として生きれない。…顔、名前と変えても自分から出る匂いは変えられず子供から“パパと同じ匂い”とセリフ、シーンが印象的だったかな。
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