「ひとりで「多様性」」エミリア・ペレス かばこさんの映画レビュー(感想・評価)
ひとりで「多様性」
「多様性」多用されすぎ、ってか入れないと作品として評価が下がるか箔がつかないようにも思える昨今、それじゃこれでどうだ、と「多様性」のショッピングモールみたいな映画を作ってみました、という、フランス映画らしい挑戦的な、シャレか風刺(または皮肉)の作品なんじゃないかと思いました。
クライム、コメディ、ミュージカル、社会派などジャンルの多様性に、主人公マニタス=エミリアがこれまた多様性をひとりで表現したような人物。
体は男性だが心は女性、そしてトランスジェンダーになったがセックスの相手は女性、そもそも泣く子もちびる麻薬王だったのに、行方不明者家族に心の底からシンパシーを覚えて(そう見える)家族を支援する団体を立ち上げて活発な活動をするって。冷血冷徹な人間かと思えば、夢が叶って女性になったが、寂しくて愛を与え愛に応えてもらう関係に飢えて、泣くほど家族を取り戻したいと願ったり。
一見矛盾した複雑な性格に見えるが、そうではないよう。
女性の心とカラダが欲しいがセックスの相手は女性が良い、目に見えない相手にはとことん非情だが、顔が目に見え名前を知ってシンパシーを抱く相手には仏様のように広く深い愛を示す、汚いことで儲けた金は、生まれ変わった後は贖罪と愛する人たちのためにじゃぶじゃぶ使ってしまう、というそれなりに筋は通っているので矛盾というより、これでもかと「多様」なのだと思う。
狂言回しのリタが、弁護士のマークの天秤のように「標準」「一般の常識」を絶えず示すので、マニタス=エミリアの多様性が際立って見えるよう。
ごついおじさんがごついおばさんになり、おおきなおっぱいをゆさゆささせてハイヒールを履きこなす姿はちょっと異様(すぐ見慣れます)だが、時々こういう人を見かけるし、彼女は自分の存在への喜びに溢れ堂々としており、心底満足そうで良かった。
こういう映画を大真面目に高評価してオスカー候補にまでする評論家や映画のプロと言われる皆さんの反応までをひっくるめて風刺(皮肉?)した映画では、と思いました。
そして、「お金で買えないものがある」とつくづく思わされました。