劇場公開日 2025年3月28日

「炎上騒動まで巻き起こした、“注目され過ぎた一作”」エミリア・ペレス 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5炎上騒動まで巻き起こした、“注目され過ぎた一作”

2025年4月2日
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鑑賞方法:映画館

笑える

単純

【イントロダクション】
メキシコの麻薬王が、性転換手術によって女性として生きる姿を描いたミュージカル映画。
監督・脚本には『ディーパンの戦い』(2015)で第68回カンヌ国際映画祭パルムドール受賞のジャック・オーディアール。
主人公エミリア・ペレス役には、トランスジェンダー俳優のカルラ・ソフィア・ガスコンが、性転換前の麻薬王マニタスと2役を演じる。
第97回アカデミー賞最多12部門13ノミネート。助演女優賞(ゾーイ・サルダナ)、歌曲賞受賞。

【ストーリー】
メキシコで弁護士として働くリタ(ゾーイ・サルダナ)は、職務上明らかに有罪である人物も弁護せねばならず、裁判で勝訴するだけの日々に疑問を抱いていた。妻殺しの犯人に問われた人物を弁護し、明らかに他殺である事件を事故と主張。見事勝訴を勝ち取ったが、自らの行為に疑問を抱き、マスコミの取材を受ける当事者達を避けてトイレに逃げ込む。

ふと、リタのスマートフォンに着信が入り、新聞屋台を待ち合わせ場所に指定する。怪しみつつ屋台に向かったリタは、突如背後から黒い布袋を被せられて拉致される。

拉致された先で彼女を待ち受けていたのは、麻薬カルテルのボス、マニタスだった。彼は、幼少期から女性としての性自認を抱えており、しかし麻薬カルテルの世界に身を置かざるを得ない境遇から、愛する家族にさえ、その思いをずっと隠し通して生きてきたのだ。彼は2年前からホルモン療法による性転換手術の準備を進めており、リタに性転換手術の手配をして欲しいと依頼する。200万ドルの報酬と引き換えに、リタは弁護士業の傍ら、各国を回って担当してくれる医師を探した。

無事に担当してくれる医師を発見し、リタは医師と共に帰国。マニタスは女性となる準備を整え、息子2人と妻のジェシーには「身に危険が及ぶから」という理由でスイスに移住させる。
手術は無事成功し、マニタスは女性としての人生を手に入れる。

「私は、エミリア・ペレス」

4年後、イギリスで新たな人生を歩んでいたリタの前に、マニタスはエミリア・ペレスとして現れる。彼女は、離れた家族と再び一緒に生活する為、再びリタに手配を頼みに来たのだ。
リタは、エミリアがマニタスの親戚だという事にして、マニタスの家族を再びメキシコに連れ戻す。ジェシーはエミリアが夫のマニタスだとは気付かず、突如として現れた彼女からの待遇に不満を抱きつつ、新しい生活をスタートさせる。

ある日、リタとエミリアは街で行方不明となった息子を探すビラ配りをしている女性と出会う。マニタス時代に犯してきた罪に心を痛めたエミリアは、リタの協力を得て行方不明者を捜索する組織を立ち上げる。エミリアは一躍、民衆のヒーローとして称賛されていくのだが…。

【感想】
本作を表すに相応しい言葉は、“運命”だろう。それは、リタの前にエミリアとして現れた彼女の言葉にも象徴されている。

「これは偶然ではない」

自らの死を偽装し、一度は永遠の別れを告げたはずの家族を再び求めてしまうのも、かつての罪から慈善事業を行うのも、かつての妻と衝突し、その果てに命を落とすのも、彼女の人間的な「弱さ、脆さ」が招いた運命に他ならないのだ。

また、マニタスとして麻薬カルテルを率いてきた以上、例えエミリアとして新しい人生を得、かつての罪と向き合うかの如く行方不明者捜索の組織を立ち上げようと、正しい法の裁きを受けずに行う慈善事業は、自らの罪を清算する事にはならないのだ。悪人が善人の皮を被ろうと、善人になれるわけではない。狼は狼なのだ。これは、トランスジェンダーとは無関係の問題である。

そんな本作で描かれる末路に、私はあまり新鮮さや魅力を感じなかった。「実際のトランスジェンダー俳優を起用する」という話題性こそ十分かもしれないが、その強烈なフック以外は凡庸な物語の域を出てはいなかったように思う。

エミリアが、男性性と女性性、2つの性の狭間で苦悩する中盤以降の展開は理解出来る。ジェシーに女性らしい振る舞いで探りを入れる瞬間の、裏に確かに存在する男性、夫としての嫉妬心は本作ならではの名シーンだろう。
しかし、その末路が単なるボタンの掛け違いによる破滅に収まってしまったのは残念でならない。

但し、中盤でエミリアがエピファニアとの不倫関係を始める直前のやり取りには大いに笑わせてもらった。
行方不明となった暴力的な夫との再会を恐れるあまり、鞄にナイフを忍ばせていたエピファニア。彼女の苦労を察知し、再会を約束して返す際の「本当にナイフ持ってるの?」というエミリアの問いに対して、ナイフを見せるエピファニア。すかさず、エミリアは懐に忍ばせたシルバーのゴツい銃(デザートイーグル?)をチラ見せする。
コメディチックながら、あの瞬間にこそ「結局、長い年月によって育まれた人間性は変わらない」という皮肉が満ちていた気がするからだ。

自身の人生や仕事に疑問を抱きつつ、マニタスとエミリアに協力し、「私はもう40歳。(エピファニアと不倫関係を持つエミリアと違い)まともに恋愛すら出来る状況じゃない」と発言したリタが最後まで報われないというのは、あまりにも不憫だ。
ただし、そうしたリタの末路とは裏腹に、演じたゾーイ・サルダナがオスカーを受賞した事はめでたい。

マニタスが女性に変わるまでの展開は、コメディチックに描かれており、ミュージカルパートの開始を告げる瞬間の、ラップミュージックのようなアップテンポで畳み掛ける台詞回しも独特で面白かった。
ただし、「ミュージカルとしてのクオリティーは高かったか?」と問われると、特段優れたミュージカルではなかったように思う。
それは、歌曲賞を受賞した『El Mal』を使用したミュージカルパートについても同じである。エミリアが始めた慈善事業の表彰パーティの参加者が、曲の展開に合わせてロボットのように精密な動きをし、停止するというビジュアル的な面白さはあったが。

ところで、歌曲賞を受賞した『El Mal』だが、YouTubeの公式動画のコメント欄では、「まるでGoogle翻訳で作詞したかのよう」「これが本当にアカデミー賞?」といった具合に大いに荒れている様子。

【考察】
では、何故本作がアカデミー賞の最有力候補にまでなれたのか?

それは恐らく、近年のアカデミー賞が掲げる「多様性」への配慮に他ならないだろう。
主演のカルラ・ソフィア・ガスコンが、作中のマニタス=エミリアと同じ“トランスジェンダー俳優”である事、メキシコの抱える麻薬問題とそれに関連した行方不明者を扱った社会風刺という“政治的な側面”、ガスコンをはじめ、ゾーイ・サルダナやセレーナ・ゴメスという“女性中心のストーリー”と、賞レースで注目を集めるに十分な要素が詰まっているのだ。
ガスコンが主演女優賞を受賞すれば、「史上初のトランス女性の受賞」としての話題性も抜群だ。

事実、アカデミー賞の前哨戦とも呼ばれるカンヌ国際映画祭では、審査員賞、女優賞、サウンドトラック賞を受賞。続くゴールデングローブ賞では、作品賞をはじめ最多4部門受賞の快挙を成し遂げていた。

しかし、アカデミー賞のノミネート作品が発表された直後の1月下旬に、事態は一変する。他でもないガスコン自身による、Xでの過去の不適切発言の数々の発覚によって、炎上騒動が巻き起こったからだ。ガスコンはアカウントを停止し、いくつかの場で謝罪したが、アカデミー会員から手のひら返しを食らうには十分だった様子で、結果は2部門受賞に終わった。

アーティストや俳優に、必ずしも崇高な精神性を求めるものではないとは思うが、近年のアカデミー賞の傾向からすると、この騒動はあまりにも看過出来ない事態だったのだろう。
また、アカデミー賞の受賞には、それまでの映画祭での製作陣・俳優陣による投票者へのアプローチも重要視される。

先述した通り、私は本作がアカデミー賞最多受賞する可能性があったとは思えないのだが、もしかすると、「ノミネートまではさせるが、受賞するほどの作品ではない」と、騒動前から思っていたアカデミー会員も一定数居たのかもしれない。
騒動があろうと無かろうと、どちらにせよ、本作が成し遂げる偉業は、そう多くはなかったような気がするのだ。

【総評】
極めて賞レース向きな題材、出演者をチョイスしながらも、ガスコンによる炎上騒動含め、悪い意味で「注目され過ぎた作品」だったのかもしれない。

ガスコンによると、ジャック・オーディアール監督は、初期プロットでは“警察の追跡を逃れる為に性転換手術を受ける”という、本作以上にコメディ寄りの作品を想定していたらしく(ガスコンの提言により、軌道修正された)、そもそものスタートからして偉業を成し遂げるには足りないものが多過ぎたのかもしれない。

緋里阿 純
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