バード ここから羽ばたくのレビュー・感想・評価
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羽ばたきの疾走感に満ちた秀作
『レッドロード』『フィッシュタンク』などで英国におけるインディペンデント映画の可能性を押し広げてきたアーノルド監督。これまでの作品に比べると、『バード』のヒロインの年齢はやや低めで、その目線で見つめるホームタウンは多少荒れていて、家庭環境もはちゃめちゃではあるものの、決して絶望しているといった感じではない。むしろこの映画には過去のアーノルド作品よりもずっと心地よい光と風が差し込み、少女の人生や逞しさを優しく包み込んでいるかのよう。そこで出会う一人の無垢なる男。その存在を助けようと奔走する姿は、自分で考え、自分で行動し、ここではないどこかへ羽ばたこうとする彼女の、未来へ向けた助走のようにすら感じられてならない。彼女の息を飲むほど堂々とした演技と、バードが醸し出す浮遊感。そして何よりタトゥーだらけの父親役バリー・コーガンがもたらす、奔放で身勝手ながら憎めない人間味と無軌道なパワーに圧倒される。
ベイリーを力一杯ハグしてやれ
どんな環境でも愛さえあれば乗り切れる
イギリスかアイルランドの田舎に住むシングルファーザーとぎくしゃくする12歳の黒人少女の話。
こないだ観たアイルランドのラップ映画も家庭の荒れっぷりが酷かったが、こちらはそれを上回るクズ家庭。ここまでとっ散らかって、もしかしてまとめる気がないのかと不安になるレベル。
大傑作「アメリカン・アニマルズ 」で好きになったオレのバリー・コーガンがタトゥーまみれのクソみたいなおとっつあん役でがんばるも、中盤、娘が鳥の妖精みたいなおじさんと出会って、まあ思春期の女の子の巣立ちを描いてるんだろうなとは思ったけど、ジェネレーションギャップを描く装置に、コールドプレイ、ブラーなど2000年代に流行ったUKロックという、ボクの苦手分野が出てきてついていけず。
これは、はずれ確定かなと、ボーッと眺めてたら、観た人しかわからない衝撃シーンが😛
もう、狂ってる!と思いましたが、そこからの畳み方がとても素晴らしく。ラストシーン、観た人ならわかるイメージのインサートで泣いてしまいました。
呉美保監督の「ふつうの子ども」は、危ういけどほっこりする映画でしたが、本作の子どもたちは、14歳の妊娠に悩むなど、ちょっと家庭環境ごとふつうの子どもになれない感じでしたが、バリーコーガンのクズだけどいいおとっつあんと娘の交流から、どんな環境でも愛さえあれば乗り切れることを力強く感じさせるのでした。
あー、2000年代のUKロックがドンピシャの方は絶対おもしろいと思うのでオススメします!知らんけど。
やるせない日常だけど
導き?
そこに愛があったとしても
“If I were a bird… 中学英語で習った仮定法の例文をふと思い出す 最悪の環境下でも明るくけなげに生きる少女をめぐるおとぎ話??
鑑賞動機はバリー•コーガンが出演しているからです。『ダンケルク』や『イニシェリン島の精霊』で見せた彼の怪演ぶりからすると、彼が出ているだけで名作ではないかという錯覚を起こしそうです。彼は本作では主人公の少女の父親を演じます。
私個人はあまり好きではない言葉ですが、現代日本には「親ガチャ」なる言葉があります。子からみた親の当たりはずれということでしたら、この物語の主人公ベイリー(ニキヤ•アダムス)は親ガチャ大ハズレと言ってもよいと思います。父親と2歳ほど上の兄と同居しているようなのですが、兄は異母兄のようですし、バリー•コーガン演じる父親のバグはあまり働いてる様子もないのに新たな女性と結婚しようとしています。別に住んでいるベイリーの実母側に目を移せば、バグと別れた後もそれなりに男出入りがあったようで子どもが何人かいます。すなわち、ベイリーにとっての異父妹や異父弟ですね。まあ、ひょっとしたら、みんな父親が違うのではないかといった雰囲気も漂っているのですが、問題は現在の夫でこれがどうしようもないDV男で、ベイリーの幼い異父妹弟たちはとても可哀そうな境遇にいます。
そんななかベイリーは自らバードと名乗る不思議な青年と出会います。このバードを演じるフランツ•ロゴフスキもバリー•コーガンに負けず劣らずの怪優の雰囲気をたたえておりまして、図らずも、欧州二大怪優競演の趣きもあります(ただし、ふたりの絡みはありません)。で、このバードは生き別れた親を探しているとのことで、ベイリーも捜索に協力したりもします。
一方、ベイリーの異母兄はガールフレンドを妊娠させたみたいで彼女とスコットランドへの逃避行を企てているようです。このお兄さん、まだ14歳で妊娠させちゃったみたいなのですが、父親のバグは俺も14歳でお前の父親になったよみたいのこと言ってて、この男、30そこそこで孫を持つのか、と呆れるやら、びっくりするやら。でも、バグはまあクズと言えばクズなんでしょうけど、息子や娘に対する愛はホンモノで、根は善良でいい奴だとは思います。
この作品には、時折り、鳥の群れが空を飛んでるシーンが挿入されます。また、カラスが伝書鳩ならぬ伝書ガラスになって手紙を運ぶシーンもあります(まあでもカラスが運んだ距離は伝書鳩が運ぶ距離をフルマラソンとすると100m競走の範囲でしたけど)。そして、バードが演じるファンタジー•シーン……
ベイリーはとてもいい子です。幼い妹や弟の面倒は見ますし、兄にも協力的です。見ず知らずだったバードにも協力します。周囲の人たちともおおむねうまくやっていけそうです。でも、親ガチャだけでなく、階級社会の英国で階級ガチャや地域ガチャにも大ハズレしている感じで、日本流で言えば小6か中1あたりの年齢なんでしょうけど、学校に行ってるシーンがまるで出てきません。
タイトルに挙げた中学英語の仮定法の例文ですが、”If I were a bird, (もし、私が鳥なら)の条件節に対して I would fly to you.” (あなたのところに飛んで行くのに)という流れで、ちょっとロマンチックで切ない感じだったように記憶しています。そして、文法事項として、仮定法過去は現在において実現が不可能なことの裏返しであると習った憶えがあります。ベイリーは今、非常に厳しい環境下にいて実現が不可能なことの連続のようですが、どうか自分の周囲にある愛を大切にして、夢だけは持ち続けてほしいと思いました。
アンドレア•アーノルド監督は私にとってこの映画が初見だったのですが、英国の最貧層のリアリティを描きながら、そこにファンタジーを入れ込んでくるサジ加減が絶妙で感服いたしました。別の作品も観てみたいと思います。
ここから羽ばたく
稀有な映画
最初は、なぜこんな映画を観なければいけないのかと思った
主人公の少女12歳のベイリーに扮するニキヤ・アダムズは大柄で、14歳どころか17歳位にもみえる。既にある程度、固まっているようで、ロンドンの下町言葉とも違うぶっきらぼうな英語を話す。アフリカからの移民系を思わせる風貌、シングル・ファーザー(バリー・コーガン)、異母兄と一緒に、郊外の労働者向けの集合住宅で暮らすが、彼女は彼らとも、今は別に暮らす母や異父姉妹の誰とも似ていない。毎日違う服を着て、バックやリュックを持って外出し、それが映画に出るための条件であったかのように、一瞬だけ楽しそうにする。学校に通っている様子も、もちろん働きに出ているわけでもない。食事や洗濯のお世話を誰がしているのかも不明。お金はないようだが。
ただ、バードと呼ばれる、明らかにヨーロッパ系の男(フランツ・ロゴフスキ)が出てきて、彼は「天使」だなと思った時、全体が寓話であると悟った。
ストーリーを述べるほどではないが、まだ20歳台の父親の再婚までの数日間と、バードが生き別れした父親と再会するところが描かれる。
少なくともブレグジットの頃まで、アフリカ系等の難民の最終的な行き先が英国であることは、いろいろな映画で見てきた。英国には、彼らを受け入れるだけの度量と制度や施設があるのだろう。たとえ最初は、どうにもならないにしても、潜在的な力を持つベイリーのような娘が、バードのような天使と出会った時、蘇って途轍もない力を得てゆく。オリンピックの時見るように、今や英国は、明らかな多民族国家である。
ベルギーや、パリ郊外を扱う映画で出てくる、難民系だけれど、どこか優美さを持つところが、この映画でも垣間見られると、もっとよかったが、それは無い物ねだりということか。
あとからジワジワ…
そして、ろくでなしどもはイエローを大合唱する
「バードここから羽ばたく」貧困とどうしようもない大人たち。その行き詰まりの世界で俯いて生きてた少女がバードと名乗るへんてこりんな人物との出会いから変わっていく姿を素晴らしい映像とスリリングなストーリーで描いたアンドレア・アーノルドの傑作。
アンドレア・アーノルドの視線はDV野郎を除いて、どうしようもない大人たちにも暖かく、貧困を生きる市井の人たちを肯定する。そのどうしょうもない大人を演じる、主人公の父役のバリーコーガンが秀逸でした、さすが。
一儲けをしようとする、バリーコーガンたちがガマガエルに酷い音楽を聴かせれば、金になるドラッグの内分泌液が出ると(バカ)、コールドプレイ「イエロー」を大音量でかけながら、大合唱するシーンが最高。お前らこの曲大好きなんじゃん。
生き物たちの詩的で自然な世界
バリー・コーガンがどんな演技をしてるのか気になって観たが、危ういシ...
バリー・コーガンがどんな演技をしてるのか気になって観たが、危ういシングルファザーを安定の好演
そんな父を持つ12歳の少女が厳しい環境の中をたくましく生きていくのだけど、現実と幻想が入り混じった不思議な話だった
繊細な映像美もあるけど、手振れが激しく観てるのが厳しいところもあった
階級社会のリアルと少女の夢
イギリスの労働者階級・貧困家庭の現実と神話的な幻想が交錯する不思議な余韻を残す映画だった。
貧困を描いた映画といえば、日本なら(作風はずいぶんちがうけれど)「万引き家族」「あんのこと」とかだろうか。この映画が撮られたイギリスだともっと色々な映画を思い出す。ケン・ローチとか「トレインスポッティング」とかが代表だろうか。イギリスは産業革命以来の社会階級が固定化されがちな社会でもあるから、伝統的に描かれる人々の物語なのかもしれない。日本だと家族の愛情の物語が一つの典型だけれど、イギリスの階級社会というのがこうした映画の系譜を作っているのだろうか。
舞台はイギリス、ロンドンの郊外。落書きだらけのアパートや低層アパート、街中に未開発の空き地も多数、そこに住む人には無縁のように街外れを横切る高速道路…、郊外の労働者階級の住む街である。アーノルド監督の出身地らしく、彼女の子供時代の思い出がかなり反映されているようだ。
映画のストーリーに分かりにくさはないのだが、手持ちの16ミリと登場人物が撮影した安いスマホの粗い画像で、最初はちょっと見にくさを感じた。物語では、現実ではあり得ない神話的、あるいは夢のような描写が入ってくるから、そこで少し混乱する。
しかし、それも含めて見終わってみると、ざらざらとした映像のせいか、現実の場面はリアルなノンフィクションのように感じるし、同時に夢のような描写も主観的で内面的なリアルなのだと納得させられる。おそらく、この監督独特の持ち味で、何作か見ればもっと慣れていくのだろう。
主人公は12歳の少女ベイリー。学校に行ってる描写もなく、まだ20代の父親も働いている描写はないが、これは演出上の省略であると同時に、その背後にはイギリスの実際の教育格差や失業のリアリティでもある。日本を含む先進諸国と同様、イギリスでも無職やその日暮らしの労働者、不登校も少なくないようだから、そうした現状を反映した設定なのだろう。
父親はコミュニケーションが苦手で、暴力の発作を抑えられず、しかし同時に家族や子供を愛している。警察や行政に頼るという発想はなく、またこの映画の中ではそうした制度は存在すらしていないようでもある。
ベイリーは父親が14歳の時の、最初の子供で、そこにその後の子供達と再婚相手の連れ子など、多くの子どもたちが兄弟として加わって、肩を寄せ合うように助け合って生きている。
学校に通っている子供は遠い存在で、地域のグレた少年たちと共に荒れた生活を送っている。ベイリーはすごくタフな現実を生きていて、それを救ってくれるのがスマホで取る写真。そして、空を飛ぶ鳥を眺めることだ。
そして、野原でうとうと眠ってしてしまい迎えた朝、そこで会うのがバードという名前の不思議な青年だ。父親を探しているという彼と共に、ベイリーは彼の父親を探し始めるのだが、見終わってみると、バードは本当に実在したのだろうか、彼の存在自体がベイリーのファンタジーだったのではないかと思ってしまう。どこからどこまでがリアルで、どこが空想なのかの境界が曖昧で、それがこの映画のわかりにくさでもあるし、でもずっと考えされられる魅力にもなっていると思う。
社会の底辺の厳しい現実を、時に激しくぶつかり合いながらも、肩を寄せ合うように生きる中で、思い出に残るような美しい時間も数々描かれる。現実も、人間関係も、自分自身も思うようにならないけれど、それを引き受けて生きていく人の弱さと強さの両方を描いた映画であった。
このリアルで同時に神話的な物語は、僕の心の中にも強い印象を残して、忘れられない一本になりそうである。
見たことがない映画。自然の造詣が美しく、この子が女の子ということは...
見たことがない映画。自然の造詣が美しく、この子が女の子ということは用をたそうとしたときに分かったのだけど、子どもっぽい父、兄、父の新しい相手といい、ほほ頼るもののない世界で、生理を迎え、バードと出会うことで彼女は大人になっていく。
それにしてもDVはむごい。
イギリスの階層別の住宅や地域も見える。
全48件中、1~20件目を表示













