教皇選挙のレビュー・感想・評価
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音がよかった
人種、女性スキャンダル、リベラルVS保守、ジェンダー。浮上するテーマが今日的すぎてありふれてるというか、娯楽作品としてはもっと意外な展開が欲しかった。人間くささが。あるいは、このシチュエーションの作品なら今は外せないテーマなのだろうか。
音楽がすごかった。チェロ?を一回弾くだけで醸し出す不穏。あれが楽しみでもう一回みたい。
セットと衣装も荘厳ですごく良かった。
期せずして、実在の教皇の健康問題と重なってしまったが、バチカンはこのくらいの表現には寛容なのだろうか(教義に反したものではないから目くじら立てることはないかな)。
ぷはーっ!!やっぱシャバの空気はうめぇ~なぁ!
もうね。観ているこっちが胃がキリキリしてくるわ。
いくらフィクションとはいえドアの向こうは知り得ない世界。
だけど生々しい欲望と執念が渦巻いてドロドロな世界。
ある意味見えないものは見えないのが幸せな事もあるもんさ。人の心も物事も。
専門的な用語も出てきますがスクリーンの前であなたも根競べをしてみませんか?
なかなかでした。(少なくとも主要な候補者の顔と名前は確認してから見た方がいいですよ)
最後の予想はついたつもりで見ていたら、ビックリ!
途中まで、顔と名前が一致せず、退屈でした。
日本人なら「根比べ」と聞こえてしまいますよね。でも、全然「根比べ」な話ではありませんでした。強いて言えば「眠気との根比べ」。
追記(ある記事を読んで)
「私に息を飲むような驚きを感じさせた結末は、もしかするとある人々を傷つけているのかもしれない」ということに全く気づいていなかった。ある記事によってその視点を得ることができ、自分の思慮のなさを痛感した。
追記の追記(追記の「ある記事」について)
映画『教皇選挙』レビュー世界最古の家父長社会を舞台に「民主主義」を問う2025.3.20 の「編集者注記」の部分
さらに追記
2回目の鑑賞。人物関係もわかった状態でみたら、理解や感動が深まるかなあと思って見たのだが、そうでもなし。自分としては、この映画で得られたこと以上に「追記の追記」で紹介した文章の方が自分を深めた気がした。ぜひ、あの文章を、自分と同じようにこの映画の結末に驚き感動した人に読んで欲しい。
凄い権力なんでしょうね〜
どんな恥ずべき手段を取っても、男でも女でも手に入れたい・・知らんけど。
映画としては、序盤から思わせぶりな音楽を使い過ぎで最後の衝撃が薄れてしまった。あと選挙のシステムをアニメか図解で説明してほしかった。
たくさんの仕掛けがある作品で、色抜き文字の解釈で論争が起きそうな気配がありますね
2025.3.26 字幕 TOHOシネマズ二条
2024年のアメリカ&イギリス合作の映画(120分、G)
教皇の死によって選挙が行われるシスティーナ礼拝堂内部の内紛を描いたミステリー映画
原作はロバート・ハリスの著作『Con clave(2016年)』
監督はエドワード・ベルガー
脚本はピーター・ストローハン
原題の『Conclave』は「教皇選挙」のこと
物語は、バチカンにて教皇(ブルーノ・ノヴェリ)が亡くなるところから紡がれる
第一発見者のヤヌシュことウォズニアック大司教(Jacek Koman)が部屋を訪れた時にはすでに亡くなっていたが、そのことはトレンブレ枢機卿(ジョン・リズゴー)によって口止めされていた
トレンブレは教皇が亡くなった当日のスケジュールを洗い出し、不審な動きがなかったかを調べていく
主席枢機卿のトマス・ローレンス(レイフ・ファインズ)は遅れてそれを知らされることになり、悲しむ間もないままに、教皇選挙の管理人として動き出さなければならなくなった
彼には右腕的存在のレイことオマリー大司教(Brían F. O’Byrne)がいて、彼はトランブレに関する何かを握っていた
教皇が亡くなった3日後にコンクラーベが行われることになり、108人もの枢機卿がシスティーナ礼拝堂にやってくる様子が描かれていく
彼らは近くにあるマルタの家にて寝泊まりすることになっていて、そこの管理はシスター・アグネス(イザベラ・ロッセリーニ)が任されていた
有力とされているのは、ローレンスの親友でもあるリベラル派のアルド・ベリーニ(スタンリー・トゥッチ)で、彼は保守派のテデスコ(セルジオ・カルテリット)を敵視していた
他には穏健保守派のトレンブレと、アフリカ系初の教皇となるアディエミ(ルシアン・ムサマティ)も有力視されていた
物語は1回目の投票を終え、レイがトランブレの疑惑についてローレンスに話すところから動き出す
レイは、「トランブレが教皇に会った最後の人物だったが、そこで解任を言い渡されていた」と言う
事の真相を確かめるべくローレンスはトランブレに問いただすものの、彼は強く否定し、会話の内容はプライベートなものだったと言い張る
その後、2回目の選挙後の食事にて、アディエミ派たちが座っていたあたりで騒然とした一悶着が起こってしまう
ローレンスはシスター・アグネスに尋ねるものの、修道女の問題はこちらで解決すると突っぱねられる
だが、選挙に必要な情報だと確信するローレンスは、アディエミとの間に何かが会った修道女シャヌーミ(Balkissa Souley Maiga)から話と聞くことになった
そして、ローレンスは事態を重く受け止め、アディエミに候補から外れるように言い渡した
物語は、誰が時期教皇に相応しいのかを選んでいくものだが、大きく分けて3つのグループが派閥争いをしていた
ベリーニを担ぐリベラル派、ムスリムとの衝突も辞さない保守派のテデスコ派、そして、何としても教皇になりたいトレンブレは裏工作をして、複数の枢機卿を金で買収していた
さらに、シャヌーミをバチカンに来させた張本人であることがバレて、トレンブレは失脚してしまう
そして、ベリーニは周りが思うほどに自分には人気がないことを悟り、ローレンスに対して教皇になるように働きかける
だが、ローレンスが投票用紙に自分の名前を書いて投票しようとしたその時、事件が起きてしまった
それは、近くの広場にて自爆テロがあり、その影響で、システィーナ礼拝堂の天窓が割れて、辺りはガラス片とチリに塗れてしまったのである
この事件によって、保守派のテデスコは宗教戦争を高らかに宣言するものの、戦地での布教経験のあるベニテス(カルロス・ディコス)は、一連の選挙騒動にて、教会は自分のことしか考えていないと断罪するのである
映画は、劇中の呼び名とエンドクレジットの名前が違うと言うキャラが複数いて、人物相関がかなり難解なものになっていた
ローレンスはトマス、猊下と呼ばれ、ベリーニはアルドと呼ばれている
さらに第一発見者はヤヌシュと呼ばれているが、役名はウォズニアックだし、ローレンスの右腕のレイは役名はオマリーだったりする
このあたりをさっと理解できる人は、相関図に悩むことはないと思う
映画のラストは、新教皇にまつわる秘密のお話だが、さすがにネタバレレビューでも書きづらい内容だと思う
それは冒頭のローレンスの説教のアンサーになっていて、多様性とは何かをもう少し掘り下げていく必要がある、と言うメッセージがあった
ローレンスの中では、多様性を受け入れる覚悟を持っていたが、それ以上の多様性というものが登場し、狼狽する様子が描かれていく
さらに、その事実は前教皇も承知の上で聖職者として認めている部分があるのだが、前教皇の進言を誤りだと考えて、ありのままを選択することになっていた
「これも私」というのは言い得て妙というもので、生まれながらにして生まれる多様性と、後天的に派生する多様性の違いというものを色濃く対比する構造になっていたのだと思う
宗教、肌の色、思想信条などのあらゆる多様性受容の中にありつつ、それを超えてしまうもの
それを新教皇は神から与えられていた、というのである
いずれにせよ、なぜかお客さんがたくさん来る映画で、ほとんどの席が埋まっている状態で2回観ることになった
日本人受けするとは思えない内容とテーマだが、それでも口コミやメディアの宣伝で拡大上映が起こっている
また、冒頭とラストのスタッフ&キャストロールにて、「文字の色抜き」というものがあって、それが新たな考察を生んでいた
ググっても正解らしきものは出ないのだが、冒頭のスタッフロールでは「I(私)が5回」登場し、これは「次期教皇候補5人(ベリーニ、トランブレ、テデスコ、アディエミ、ローレンス)」のことを指していると思う
エンドクレジットでは合計27文字「INOUAXINXOIN IOTíDTNaIVMAIN&」が登場するのだが、枢機卿の役柄で「色抜きにならないのはベニテス役のカルロス・ディエゴだけ」だった
CARLOS DIEHZはレイ役のBRÍAN F. O’BYRNEと併記になっているが、ここで使われる「I」は「Í」となっていて、このあたりにも意味があるのだろう
それが何なのかは色々と解釈があると思うが、個人的にはレイの持つ情報が選挙を左右し、彼にアキュートアクセントの「Í」があることからも、それを強調しているように思える
カルロスの中にある「I」をあえて色抜きにしていないのは、彼自身は「I」の人ではないということの表れだと思うし、冒頭では先頭のIを色抜きにしつつ、エンドクレジットでは先頭の文字は一つも色抜きになっていない
このあたりに、選挙を通じて変化した教会というものを示唆しているのかな、と感じた
教皇に相応しくない候補ばかりで笑
教皇選挙の仰々しい儀式が見れたのはとても面白かったです。教皇の有力候補、ヤバイ人しかいなくて大変(極右の差別主義者とか、性犯罪歴ある奴とか)でしたね...。主人公ローレンスが推そうとしていたベリーニは、特に後ろ暗い過去とかはなさそうですが、最初の投票後から「なんでお前が三票も取るんだよ?お前も教皇になりたいんだな??正直に言え!」とか、めっちゃ器の小さいオッサンで全然教皇に相応しくなくて苦笑。結末のどんでん返しがすごく今っぽい感じでしたが、それまで極右の差別主義者に投票してた人たちが、あのくらいの演説で一気に流れたりするものですかね?????(いいかげん決めたいってことでしょうか)これで脚本賞なのはよくわかりませんでした。 あと、教皇って自分の名前自分で決められるんですか!? インノケンティウスかあ...
別の映画になりますが、2月21日に公開された『ノー・アザー・ランド』、パレスチナでずっと起こっている「占領」「入植」のとんでもない実態がよくわかる、凄いドキュメンタリーなので、ジャンル違いですがこちらを推したいです。観る前に背景知識をという場合は「オリーブジャーナル」というサイトを見ると色々簡潔にまとまっています。
8
試写会にて鑑賞。
今年はありがたいくらい試写会が当たって先行して観れていて幸せもんです。
どうやって相手を蹴落としていくのかという選挙ものかと思いきや、コンクラーベで教皇に相応しいもの、相応しくないものを選別していくというストーリーにジワジワと惹きつけられていきました。
選挙で7割近い票を集めないといけない中でめっちゃ票が割れまくっていて全く進まないな…これどうなるんだろうとなったところで、他の枢機卿の過去が明かされていくといったところから名前と顔が一致し出したり、その行動の卑劣さだったりがテンポ良く描かれていき、その上で仕切りを担当していく事になったローレンスが探偵ばりの推理力と悪事を暴いていくミステリーとしての展開もしっかり機能していくので面白さが持続して行っていました。
女性関係から芋づる式にバレていく様が男性社会で閉鎖的な枢機卿を徐々にぶっ壊していき、最終的な枢機卿から教皇への選出で更に風穴を開けていくというのもとても印象的でした。
サラッと合流した人物がキーマンになり、現代にも通じるテーマに繋がっていくというのも上手いなと思いました。
説教と聞くと堅苦しい部分があると思うんですが、今作ではしっかりと教えを説くという感じで要点を事細かく、それでいて納得できるものになっていたのでその点も映画としての良さが光っていたなと感じました。
途中でテロが起こって会場の屋根も爆破されたり、街中で死人が出たりと、かなり映画的にはなりましたが、結構なスリルを提供してくれて、室内だけの空間だったのが少し広がっただけで入ってくる情報量が多くなっていきました。
ラストカットまで無駄のないシーンばかりで見事にやられました。
もっと理解度を深めてもう一度観たい…!と思えるような作品でした。
この手のタイプの作品、それも試写会なんで完全に油断していたんですが、横の席はスマホいじりまくり、前の席はヒソヒソ喋っていたりして気を散らさまいとするのに必死だったのが悔しいところです。
法律を緩くしてスマホいじりとヒソヒソは手刀で意識を飛ばすくらいやってもいい法を作って欲しいです。
鑑賞日 3/11
鑑賞時間 18:30〜20:30
座席 L-1
システィーナ礼拝堂の重厚かつ静謐な空気感が伝わってくる名作
(今回追記分)
ANAの国際線で日本公開前に鑑賞できた「教皇選挙」ですが、3月20日にようやく劇場公開されたので、観に行って来ました。先週末に観ようとしたものの、非常に人気があるようで、何処の劇場も満席のオンパレード。仕方ないので平日に行きましたが、それでも8割方の入りで、その人気を実感するところでした。
改めて観た結果、当たり前ですが、機内のモニターで観たのとは比較にならない迫力で、やはりスクリーンで観るのはひと味もふた味も違うと感じました。また、機内では途中機内アナウンスが入ったりしてやむを得ず中断することもありましたが、劇場ではそうしたことがなく、きちんと集中して観ることが出来、本作の理解もより進みました。
さらに、最初に観た時は字幕を追うのに必死で、画面全体をゆっくりと眺めることが難しい一面がありましたが、筋の大枠が分かってみた今回は、映像美や音楽、効果音などにも集中することが出来、初回以上の楽しみを得ることが出来ました。
内容的に感じたことは、序盤でチェスが上手な前教皇を評して、「常に8手先を読んでいた」というセリフがありましたが、結局本作の大筋は、この一言に集約されていると改めて感じました。自らの死期を悟り、次期教皇になるべき人がなるように配慮したというか、言い方を変えれば”陰謀”を企てた前教皇は、死してなおローマ教会をコントロールしており、コンクラーベで対立した100人を超える枢機卿たちも、結局は前教皇の掌の上で踊らされていたんではないのかと思い、そのスケールのデカさに感心したところでした。
また、枢機卿の衣装や、システィーナ礼拝堂の建物の荘厳な雰囲気が、実に宗教的な神秘性を強調する一方、次期教皇を巡って有力候補たちが仕掛けた謀略は、極めて俗世的で、悪い意味での政治闘争そのものであり、そのギャップが非常に上手く表現されていたところが本作最大の見所だったのではないかと思いました。
さらに、今アメリカのトランプ政権が否定することに躍起になっている「DEI」、即ち「Diversity(ダイバーシティ、多様性)」、「Equity(エクイティ、公平性)」、「Inclusion(インクルージョン、包括性)」の一つである「ダイバーシティ」というのが本作上のコンクラーベのテーマになっていて、結局「ダイバーシティ」の象徴のような人が新教皇になったことも、現代世界に対するメッセージ性も抜群で、こうした社会性が土台にあることも、本作が注目される一因なのではないかと考えられるところでした。
役者陣に関しては、主役のレイフ・ファインズはじめ、どなたも見事でしたが、今回改めていいなと思ったのは、イザベラ・ロッセリーニ演じるシスター・アグネスでした。男性のみしかいない枢機卿によって選出されるのがローマ教皇ですが、有力候補の陰謀に対して、「神は私たち(シスター)に目と耳を与えて下さった」として、言葉を選んで”悪者”をバッサリと切る彼女の一言は、本作のセリフの中でも出色のものだったと思います。
以上、ようやく劇場で鑑賞した上での感想を追記しました。やはり映画は劇場で観るに限りますね🎬
(3月11日UP版)
日本公開が3月20日の本作「教皇選挙」ですが、ANAの国際線に乗ったら機内放送でやっていたので、ラッキーにも一足先に観ることが出来ました。
まず第一印象ですが、とにかく映像から漂って来る質感が最高でした。教皇が亡くなり、新しい教皇を選出するための”Conclave(コンクラーベ)”は、実際にコンクラーベが行われた時に日本でも報道されていたので存在は知っていました。でもその内部でどのようなことを行われていたかは知らない訳で、秘密のベールの中を覗き見ることが出来たという意味でも、非常に興味深い作品でした。
映画の舞台はコンクラーベが行われるシスティーナ礼拝堂。言わずと知れたカトリック教会の総本山にして、バチカンの中心にある礼拝堂ですが、平素でも荘厳な雰囲気を漂わせる建物の内部が、コンクラーベの開催により緊張感が漲っており、この辺りの空気感の演出は、近年稀にみるものだったと感じられました。また、コンクラーベを取り仕切る役目を担うことになった主人公・ローレンス枢機卿を演じるレイフ・ファインズは、個人的に「ザ・メニュー」における狂気のシェフ役の印象が強く、ローレンス枢機卿が最後にシスティーナ礼拝堂を燃やすのかと思いつつ観ていましたが、実際は極めて真っ当で穏当で冷静な調整役として終始活躍していました。
本作の見所としては、前述の通りシスティーナ礼拝堂そのものであり、普段は重厚で静謐な礼拝堂の中で行われるコンクラーベ=戦争という”動乱”のコントラストにゾクゾクさせられました。予告編でも紹介されていましたが、周辺で勃発したテロの影響でシスティーナ礼拝堂の天井の一部が落ちて来るシーンは、緊張感が最高潮に高まるシーンでした。
また、実際のカトリック教会の中で論点となっている”リベラルな教皇”という問題についても切り込んでいる点も忘れてはならないように思いました。少し前に体調不良が報じられた現教皇のフランシスコですが、一般に”リベラル”な教皇と言われており、同性愛や離婚、中絶に対する態度が、”保守派”から懸念されているということが度々報じられてきました。本作では、前教皇が亡くなってコンクラーベが開催されることになる訳ですが、この前教皇はフランシスコ教皇同様にリベラルの立場にあったようです。そのため、今回のコンクラーベでは保守派の巻き返しが行われることになりました。そういう意味では近未来にあるだろうコンクラーベを描く作品であるとも捉えることが出来るのではと感じたところです。
果たして次期教皇は誰になるのか?その結末が実に意外な方向に行った点も唸りました。現実の次回コンクラーベがどういう考えを持つ人になるのかは分かりませんが、本作を観たことで非常に興味深いものになることは間違いないでしょう。
そしてラストシーンも印象的でした。無事にコンクラーベが終わりほっとするローレンス枢機卿が部屋の窓を開けると、外からは日常の生活音が聞こえて来る。これで彼個人にとっても、カトリック教会全体にとっても、平和な日常が戻って来ることを印象付けるところが心地よく、最後まで楽しめる締めくくりでした。
そんな訳で、本作の評価は★4.8とします。
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