教皇選挙のレビュー・感想・評価
全221件中、121~140件目を表示
新たな風…が吹く
…重厚感のある建物
未知なるローマ教皇の世界
新たな教皇を決める
選挙がはじまる
…教皇選挙
部外者は入ることができない
男だけの世界
これからどんなことが起きるのか
興味深かったけど
序盤は少し退屈さを感じる
選挙がはじまり
票が分かれてなかなか決まらない
模索しながらも
女性問題で失脚する者
賄賂の問題で票がこちらに流れてくる
もしかしたら・・自分にも
…野心がない
と言っていた(ローレンス枢機卿)
野心があったのね
爆発で窓が壊れ壊れた窓から…
明るい太陽の光と風が入ってきた
新たな風が~
新たな教皇が生まれる
その新たな教皇には
"秘密"が
・・・
驚きは隠せないかったが
…戦争の深刻さを語り
いまの実情を知っている者として
教皇になり得るふさわしい人物
ラストで部屋の窓を開けて
窓の外を見ると
シスター達が出てくる
そこには優しい日常があった
主演レイフ.ファインズの
ローレンス枢機卿役が魅力的
他にキングスマン、ザメニューにも
出演し独特の演技に惹きつけられます
見て良かったです
「子宮摘出―――。」
漢字四文字で全てがひっくり返った。
選挙で新しい教皇に選ばれた男は、実は女性であったのだ。
辛うじて声は出なかったものの、驚きや悔しさと言った様々な感情を受け止めた呼吸は、荒く低く劇場に響いてしまった。
いや、声を出してしまっても良かったかもしれない。むしろ声を出して周囲から白い目で見られるべきだった。だってその人達はこの作品で得られる、本当の感動を味わうことができないのだから。私はとても嬉しかった。映画を見る前日コンクラーベや教皇について予習しておいて良かった。
カトリックの主たる教皇が男しかなれないことを日本人の何人が知っているだろうか。
タイトルなし(ネタバレ)
正直ノーマークだったが観て良かった作品。とにかく画面の美しさが良かった。天井画や彫刻、建物の美しさは勿論、枢機卿の衣装の荘厳さや白い傘と赤い衣装のコントラストが画面に映えた。内容に関しては派手な面白さは無かったが考えさせられる内容だったかと。選挙って難しい…笑 そこに更に宗教観・差別・スキャンダル等入ってきて彼らは神に仕えているのかそれとも権力に仕えているのか…の問いかけに考えさせられた。最終的に決まった教皇にも実は秘密があり…がどこまでも清廉潔白な人間は居ない終わりが、ある意味人間らしくて良かった。それこそ宗教的に両性具有はタブーであるはずだがそれさえも認める事が”前進”なのかなと思った。
いまいち理解出来なかった。
カトリックの事をよく知らないのでいまいち理解出来なかった。最後にメキシコの人が教皇になるにあたって両性具有だということが分かって何かマズイということだろうか?カトリックでは両性具有が恐らく認められないからと言うことだと思うが、ここは海外と日本では感覚が違うのでいまいちどんでん返しに感じなかった。おもしろかったのはタバコを吸って教皇選挙をやってること。電子タバコ吸ってて人間味が有って面白かった。
「トラ××」の話ではない。
カトリック教会と言えば信者にも構成員にも女性が多いのに組織の上層部に女性をおかない家父長制の権化のような宗教組織である。
枢機卿である男達が次の教皇を醜く争うなか、シスターである女達は食事や寝具の準備に従事させられるだけで投票権も発言権もない。男と同じく目も耳も口もあるのに、だ。
だからこそ、あのラストは爽快である。
~以下ネタバレ。結末に触れているので注意~
ベニテス枢機卿は男性として育ったが、盲腸の手術の時に卵巣と子宮が体内にあることが発覚した。「染色体から自分を女性と定義づける人も居る」と話しているように、見た目は男性に近いが「性染色体や性腺、内性器、外性器などの先天的な発達が非定型的な状態」である性分化疾患(DSD)なのだろう。
*かつては両性具有(半陰陽)やインターセクシャルという呼び方もされていたが現在あまり使われていない。
「修道院の生活は質素で周囲の男性との身体の違いに気がつかなかった」と言っているように身体の発達が男性としては非定型的な部分がある。おそらく産まれたときはペニスがあるので「男性として割り当てられた」が、子宮と卵巣があり、染色体からいっても生物学的には女性に近い存在なのである。
日本人で言うと「性別が、ない!」で有名な漫画家、新井祥がDSDとしては有名である。新井氏は女として育ったが、結婚後に妊娠しないことでDSDであることが発覚した。以後、乳房切除やホルモン治療を受けて見た目は男性化しているが戸籍は女性のままである。
DSDをトランスジェンダーと混同している人、またわざと混同させようとしているトランス活動家もいるが、トランスジェンダー当事者はDSDのような身体的疾患はなく、性自認(いわゆる心の性別)が身体と異なるというケースがほとんどである。
「割りあてられた性別」とは、ペニスがあり出生後に男性と判別されて男性として育ったったが、卵巣と子宮があり染色体がXであるベニテスのように、性分化疾患により出生時に染色体と異なる性別を割り当てられたケースを指すのであって、身体疾患のないトランスジェンダーが使うのは言葉の簒奪である。
トランスと混同しないでくれと言っているDSD当事者が多いようにベニテスをトランスジェンダーと呼ぶべきではないだろう。
この映画をクィア映画と呼ぶ人が居るが、そもそもクィアの定義が人によって大幅に異なるうえに、人によってはペドフィリア(幼児性愛者)やネクロフィリア(屍体愛好家)などの性的嗜好を含むと公言する者もいる(個人的にはそんなものはただの変態であってセクシャリティでもなんでもないと思うが)。
生まれつきの疾患であるDSDをクィアに含むのには問題があるだろう。
ベニテスはDSDであることを知って自分の身体について悩んでいた。ゆえに枢機卿を辞任しようとさえした。しかし前教皇は比較的柔軟だったようで、子宮切除をすれば問題ないと判断していたことが明らかになる。もちろん性器や生殖器を切除したところで染色体が変わるわけではないし筋肉や骨格が完全に異性になるわけではない。しかし現実的に異性として生きるにあたり性器や生殖器の切除が現実的なラインであることは多くの人が納得するところだろう。性同一性障害の人が性別を変更するに当たっても身体的特徴を異性に近づけるよう手術しているなどの条件がある。(一部のトランス活動家が性器や生殖器の切除は人権侵害であり戸籍性別変更の条件を撤廃すべきなどと主張しているが、そもそも男性器があるままで手術を希望せず自分が女性だと主張しているような人は性同一性障害でもなんでもないだろう)
しかしベニテスは「神の御業」に手を加えることをよしとしなかった。
そもそも、もしベニテスがDSDではない普通の女であったら、または幼少期などもっと早い段階でDSDであると診断を受け女として育っていたら、教皇はおろか枢機卿にもなれなかっただろう。聖公会やプロテスタントでは女性の司祭や牧師がいるがカトリックは女性の司祭をいまだに認めてすらいない。ベニテスも女性として育ったなら一介のシスターどまりだったかもしれない。ベニテスがコンクラーベに参加出来たのは「神の御業」ゆえにベニテスが少し変わった身体で生まれたからだ。ベニテスはそこに神の采配を感じたに違いない。
他の候補者がスキャンダルや足の引っ張り合いで自滅したとはいえ、そこにテロが重なってベニテスの演説がその場の者たちを動かした。
選挙を終えて多くの枢機卿たちがそう判断したように、また映画を鑑賞した者たちも思ったように、選びうる選択肢の中でベニテスが教皇として最もふさわしい人間なのである。未成年を妊娠させて捨てたアデイエミ、誹謗中傷大好きトランブレ、イタリアのトランプみたいなテデスコ、気骨に欠けるベリーニ、言ってみれば「生物学的男性」の枢機卿にはろくな選択肢がない。ローレンスが一番マシといえばマシだけど彼は羊飼いより管理者の方がふさわしい。そこで男性として育ったとは言え生物学的には女性に近いベニテスが教皇に選ばれることに意義がある。
ベニテスの身体について知ったローレンスは驚くが、そして事実を明らかにすることなく新教皇を受け入れる。前述の候補者たちの問題に比べたら身体の違いなど些細なことだ…と思ったかどうかはわからないが、彼の尊敬していた前教皇も事実を知っていたことが大きかったのだろう。
そもそも何故女性がトップになったらいけないのだ。性別関係なく最もふさわしい人間を選ぶべきだろう…とまではいかないかもしれないが、制作側のカトリック教会組織に対する大いなる挑戦を感じる。
これはクィア映画ではなく、むしろ旧態依然とした家父長制に対して、「いい加減前進しろ」とケツを叩く映画ではないだろうか。
しかしどこかでベニテスの身体の事実が明らかになったときが本当にカトリック教会が試されるときだろうな…。比較的リベラルなローレンスでさえあの反応だったのだから、ベリーニでさえ動揺しそうだし、テデスコやトランブレなんかはベニテスに教皇を辞めろとか言い出しそう。そこから前進できるかどうか。組織のトップは優れた者でなければいけないが、トップだけが優れていても組織はそれだけじゃダメなのだ。
「これは宗教ではない・・・
、宗教とは伝統ではない、前進することだ。」
というカブールの新入り大司教の言葉が、胸のすく思いだった。この言葉で票が一気にこの大司教に流れて選出されたが、あれを聞いてこの人に投票しないわけにはいかない状況だっただけで、連中が本気で改心したとは思えず、一時的な効果という気がした。ローマ・カトリックはこれまでも様々なスキャンダルが発覚し、健全な宗教団体かどうか揺らいできた(一大勢力のためにどこからも異端だと言われないだけでそもそも最大の異端だという見方もあるそうな)。そういう事件にも言及があったが、この映画は、伝統と威厳を見せつつも、およそ神に仕える者とは思えない欲深くて手段を選ばない人間を描いて、宗教者の表と裏、上に立つ大司教という立場であっても敬虔とは限らないことを示していた。そうだろうなぁ、やはり人間なんてこんなものなのだろうなぁと思う。宗教って何だろうとあらためて考えてしまう。
それは置いといて、映画として非常によく出来ていて、サスペンス要素、主人公の苦悩、衣装、天井画や様々なしつらえなどが、興味深くて見応えがあった。主人公が投票した瞬間にテロの爆風で吹き飛ばされたときは驚いたが、あのときの主人公は、神からの警告といったことも想像したかと思えた。その後、爆風で空いた窓から風が吹き込むというのも、まさに空気が変わることを示したような、何かを示唆するシーンだったが、何を狙ったのだろう。(精霊が入ってきたとか!?)
最後にもうひとつ発覚する新教皇に関する秘密、現在重視されている「多様性」(トランプ政権除く)につないだのだろうか。一昔前では追加されない展開だろうなぁ。
イザベラ・ロッセリーニを久しぶりに見られたのは良かったが、無名の女優でもいいような役どころだった。もう少ししっかりした役にしてあげて!という気がした。
教皇
どうやら好評らしいという前情報だけで観に行きました。
申し訳ない前半はウトウトしてしまいました。
大きなアクションは無く
メインは会話劇です。
ローマ教皇が死去して
新たな教皇を決める選挙の数日間を描きます。
しかし内容は
欲望、見栄、地位、スキャンダル。
神に仕える聖職者の本当の姿が可視化される。
誰がトップになるか?
隔離された空間で決まるまで続く選挙期間。
次々に露になる人の裏側。
音が良い!
地味な映画なのに
音が凄い。
ビックリシーンも身体がブルっとしました。
そして選挙が終わり。
いや~お疲れ様~。って安堵している中
あれれれれ?
まさかの急展開のクライマックス。
。。。マジか。
是非結末は劇場で!
人間っておもしろい!!
閉鎖された厳かな空間に、100人を超えるおじさん。同じ衣装、同じような年ごろ。その条件下でどんどん展開される会話劇。「これついてける?大丈夫そう?予習してくればよかった…」って思ったのも束の間、アフリカ系枢機卿とメイドのいざこざが明るみに出たぐらいから一気におもしろく。
「しっかりやらないと」と思えば思うほど候補者たちの思惑に翻弄され、密告が集まり、前教皇の部屋に忍び込んだりして自身が暗躍者のようになっていくローレンス。
足の引っ張り合いによって有力者の悪事が次々暴かれ、失脚に次ぐ失脚で候補が絞られ二転三転。ただの機能に徹しようとしていたローレンス自身も次第に野心を持っていく。日本の国会を見てるみたい。いい歳した権力のあるおじさんたちが、怒って泣いて懇願して逆ギレして秘密を暴露して罵り合いながら全力でお互いの足を引っ張る。陰謀、過ち、スキャンダルが次々と暴かれる。聖職者を決める崇高な選挙は野心と思惑が渦巻く泥試合に様相を変えていく。清廉潔白な人などいないのか?でも、だから人間っておもしろい!!
ローレンスが秘密を知るたびに、その内容が明かされずに進むのが印象的。観客は他のおじさんたちと同じように、最大の驚きを持ってバッと事実を開示される。余計なことを考える間もなくグルッと世界が反転する。
これ終わるんか…?と絶望しかけたとき、「戦うとおっしゃるが、何と戦うのです?」の言葉にハッとさせられる。そこから続く、他人と戦うのではなく、怒りに負けそうな自分と戦うのです。仲間だけでなく全てを愛してこそ善き人間だ(ここまで言ってないかもだけどそう聞こえた)。みたいな言葉に本当にそうありたいと思った。やっと私たちは正しいものを選べる。そう思ったのも束の間、選び取った純白は、ここにあってはならない真っ赤な一滴だった。
ここで「言語道断!すぐやり直し!」とならないのが、現代を舞台にこのテーマをやる意味だろう。
コンクラーベのこともっと知りたい。
「スカッと」と「えらいことになった」がもう止めらてないスピードで未来を突き破って行きそうなラストの先。とてもいい意味でフィクションならでは。完璧。
キノシネマのまっ赤な座席が映画の中からそのまま伸びてきてるみたいでさらに最高でした!
タイトルなし(ネタバレ)
「どんでん返し」というレビューをよく見るのだけど、そうではなく、これは「衝撃のラスト」でしょ
例えるならこんな感じ
↓
山頂へ続く人気のない荒れた林道を運転してるドライバーがレイフ・ファインズ
数々の難関、悪路を乗り越えてようやく山頂が見えてきた...と思ったら、
急にわき道から飛び出してきた別の車(選ばれた枢機卿がドライバー)と正面衝突して終わる
満身創痍の体で、それでも徒歩で山頂にたどり着いてみたら、
山の反対側には広い舗装道路があったとか、ロープウェーで大勢の人が押し寄せていた、
というラストならば「どんでん返し」
バチカンの密室一大イベントという、普段見られない世界観にどっぷり浸らせてくれるという意味では良作
ライバル役たちがチョロすぎる
映像的には良かったし、社会問題の要素を盛り込んだのは良かったが、ストーリーが単純すぎると思いました。
「選挙」という題材から、もっと濃い政治劇を期待していました。主人公がスキャンダルの証拠を突きつけるも、海千山千の悪党どもはのらりくらりと追求をかわして生き延び続け、主人公は歯噛みする、そんな展開を期待していました。昔から政治劇とはそういうものだし、現実にもそういう政治家が何人もいますよね。
しかし、作中のライバル達は、主人公が証拠を突きつけると簡単に激昂して自滅していきます。悪党としてはチョロすぎます。
ドキュメンタリーを期待してたが
ただのパロディ映画でした。残念
さらに不義の子をシスターとの間に産ませた枢機卿を黒人にしたところに監督の人種偏見を感じる。
映像は綺麗だったが得るものもなくつまらない映画だった。
こんな映画をありがたがってはいけない。
キリスト教はわからないけど
教皇が死去してしまったので、次の教皇を決める選挙を行う話。
キリスト教は正直わからないし、見始めてあぁこれ見る映画見違えたかとも思いましたが、主要な候補者のスキャンダルや思想を主人公が見つけて行く過程はとても面白く見れました。
とても静かで、淡々と物語が進む中で、飽きてしまう部分も確かにある。しかしどう云う結末を迎えるのか気になって見ていると、予想外の落ちにたどり着く。誰かじゃなくて選ばれだ人の秘密なのだが。
何か伏線が散りばめれられていたりすればもっと面白かったのにと思った。
気づいてないだけかな。
一級品のサスペンスです
枢機卿たちが同じ服飾なのに、むき出す個性がはっきりしているし、ストーリーがとても判り易いので、驚きの展開に没入できる。そして衝撃のラスト二段落ち!
ミケランジェロの天井絵を囲みながらの素晴らしい美術、衣装。
テデスコ枢機卿は間違いなく見事にジャン・レノが演じていました。
世界一古くてスリリングな選挙
原題はCONCLAVE(枢機卿たちの互選による教皇選挙会議)。
ストーリー自体はフィクションだが、その昔、世界史の語呂合わせで覚えた「コンクラーヴェ(=根比べ)」が現代も伝統にのっとって行われているのがまず驚きで、あまり知られていない選挙の手順や様子をつぶさに見られる構成になっている。
教皇が急逝し、次の教皇を決めるために世界中から集まった100名を超す枢機卿たちが、バチカンのシスティーナ礼拝堂を閉鎖し、外部との連絡を断ち(選挙期間中はスマホ、タブレット、PCは取り上げられ、電波も遮断される)、投票総数の2/3を占める得票者が出てくるまで連日選挙を繰り返す(立候補制ではなく、それぞれの枢機卿が新しい教皇にふさわしいと思う枢機卿の名前を書いて投票する「互選」システムなので、状況次第で新たな候補者が出てくる可能性がある)。
神に仕える者たちとはいえ、選挙なので派閥はできる、票の買収は行われる、スキャンダルで自滅する者も出てくる、守旧派と改革派の対立もある、と実に生臭い。最後にあっと驚く大どんでん返しもあって、映画館内では珍しくどよめきが起こった。
ネタバレするわけにはいかないが、スリルありサスペンスありミステリーあり。閉鎖的空間でいい歳をしたじいさんたちが繰り広げるドラマとは思えないほど。120分の上映時間がワクワクしながら過ぎていった。
また、シスター役でじいさんたちに厳しめの言葉を投げかけるイザベラ・ロッセリーニも年齢を重ね(撮影当時70~71歳)、山椒のように小粒でもピリリと辛い存在に。デヴィッド・リンチ監督『ブルーベルベット(原題 Blue Velvet)』(1986)の頃とは別人のような名脇役になっていて、わずかな出演シーンなのに強烈な印象を残す。アカデミー助演女優賞にノミネートされたのもうなずける。
なるほど映画の原題通り
CONCLAVE はラテン語で鍵のかかる部屋、という意味。
世の混乱からは完全に隔離され閉ざされた空間でジジ達の静かな戦いが始まる。
前半寝不足もあって少々眠気をもよおしたのだが、
「バリーン!」と風穴が空いてからは啓示を受けたかのように私も目覚め
最後まで鑑賞を楽しんだ。
あのシーン、絵画のように美しかったのでもう一度じっくり観たい。
エンディングは実に「今」らしい。
あの後のバチカンも気になる。
108人(煩悩)のカルディナーリ(枢機卿たち)
いやー、とてつもなく大変な3日間だった。心底疲れた。
コンクラーべではテデスコを当選させたくなかったので、血迷って自分に入れてしまったが間違いだった。あゝやはり教皇様は見ておられた。管理者を望まれていたのに。
それにしてもベニテスには本当に驚かされた。まさかそんなことが。。。でもまずは無事に終わって良かった。これからもいろいろ難題が出てくるだろう。でもベニテスならなんとか上手くやっくれるだろう。私やアルドがサポートしてあげないと(あの迷子のカメのように)。
おや、シスター達が出てきたな。彼女たちもよくやってくれている。これからはもっと配慮が必要だな。それに大事な仕事ももっと任せていこう。
世の中が荒んでるから、せめて教会から少しでも良くしていかなくては。
でも何故ブロディなんだ?2回目だし、スピーチも長すぎたよな。あ、いかんいかん。また神にお叱りを受けてしまうところだった。
日も差してきた。なんとなく心も和み、やる気が湧いてきたよ。
興味深い聖職者たちの裏の素顔
信者にこそならなかったけれども、幼稚園から大学までカトリックの学校に通ったのでタイトルを見た時から興味津々だった。聖職者の最高位の人たちの素顔や彼らが過ごしている区域も見られる(フィクションではあるが)点でも惹かれた映画である。だから、まずは彼らがいる建物、滞在している部屋、外からは見えない中庭や回廊、廊下や階段も分かる限り忠実に再現されていると思うととても興味深かった。
物語はまずは枢機卿がたくさん出てくるので、顔と名前を覚えるのが大変。みんな高齢の男性なのでちょっと油断すると誰が誰だかわからなくなる。途中まで主人公がローレンスという名前であることに気づかず、選挙で得票しているローレンスって誰だっけ?などと余計なことにエネルギーを使ってしまった。そんな調子でまだ見落とした重要要素もあるかもしれないけれど、隔離された状態で選挙戦に突入して食事も一堂に介して取り、その間も選挙戦の売り込みのようなことが行われながらだんだん有力候補やそのそれぞれが割と例外なく生身の人間でキリスト者としての目的もあれば脛に傷もあるということがわかってくる。
選挙戦が進むにつれ明らかになる不祥事もあって最初は新教皇が選出されたら首席枢機卿を辞任しようと思っていた主人公までが密かに自分が選出された場合の教皇名まで考え始めてしまう。
ところが、昨今珍しくない同時多発テロみたいな事件が起きて、一旦選挙は延期になり、やり直しの結果、教皇の座は最後の最後にダークホースだった伝統的な教区ではない教区出身の無名の枢機卿のものとなる。この新教皇が自ら決めた教皇名がインノケンティウス。言葉に詳しいわけではないけれど、想像するに英語にするとinnocent、無邪気なという単語が語源かなと思う。
そのような意味を持つ単語に新教皇がふさわしいかどうか、最後の最後にも衝撃的な新事実が明らかになるんだけれど、首席枢機卿のローレンスは迷った挙句この問題教皇を受け入れ、支えていく決心をしたようだ。彼の横をのそのそ歩いていた亀を手に抱えて中庭の水場に返すという象徴的な行動はそういうことだろうと思う。
司祭の最高位たる枢機卿もスマホを使い、タバコを吸い、シスターに給仕してもらって食事をとり、時には大声で言い争いをする。普段垣間見ることのできない秘密をのぞいている面白さもあったし、二転三転する選挙の行く末も見応えあってあっという間の2時間だった。
今のローマ教皇は高齢で健康状態もあまりよくない。先日退院したという報道があったが、一時は危ないと言われていた。この映画の中で繰り広げられていたコンクラーベがもうじきバチカンで実際に行われる。今度は何日目に白い煙が見られるのだろうか。
驚きはありつつも。
すごいことが起きるよ!っていらん前情報をしてきた友人を恨む。
それでハードルが上がってしまって、
レイフファインズいつ悪いやつになる???
って期待してしまった。もちろんそんな結末じゃなかったんだけど。
意外にすんなりラストを受け入れられた自分がいて、なんか想定内というか。
だからあまり驚きはなかったのです。
どうしても、眠くなってしまったので星は3.5
サスペンス仕立てのストーリー展開と最後のオチにビックリ
全世界で約14億人のカトリック教徒のトップになるのは誰なのか?話が進むにつれドキドキする作品でした。私は全く予備知識がない中での鑑賞でした。コンクラーベを何回も実施するとは知りませんでした。(決着は上位2名で最終投票だと思っていました😅。)首席枢機卿のレイフ・ファインズ、他の枢機卿は、リベラル派のスタンリー・トゥッチ、保守派のジョン・リスゴー、地元イタリアのセルジオ・カステリット等の俳優さんが、それぞれの野心と思惑を上手く表現していたと思いました。やはり、どんな世界でも改革派と保守派の対立があるし、駆け引きやライバル崩しの策略があるということですね。教皇に選ばれた枢機卿は想定外でしたし、その後もまたまたビックリでした。
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