教皇選挙のレビュー・感想・評価
全187件中、1~20件目を表示
前教皇の凄み
意外にテンポがいい。無駄な回り道をせず、早々にコンクラーベへ。
亡くなった前教皇の傑物度が凄い。一体どんな人だったんだ?
●枢機卿たちの動向を細やかに掌握していたリスク管理手腕。
●来るべき時代を見据え、教会に真に必要な人材を招へいする洞察力と先見性。
●その死に際し、錚々たる面々が偽りなく涙するほどの、深い人間的魅力。
物語が二転三転。特に最後「本丸はそれか!」(笑) こういうの大好物。
色気が出てきて自分の名前を票に書いて入れた瞬間に爆発が起こったのは、さぞかし腰が抜けただろう。(こっちも驚いた。) "神の鉄槌”としてこれ以上ないタイミングだった。
コンクラーベで“彼”が選出されたシーン。ようやく教会の良心を感じることができホッとした。
このときのローレンスの一瞬の恨めしそうな顔がまた絶妙。
「我々は“理想”に仕える人間であって、”理想”そのものではない。」心に残った台詞。
最後の亀を運ぶシーン。てっきりキレて叩きつけるのかと思ったら、そっと置いただけだった(笑 すっかり憑き物落ちて賢者モードなのね。
コンクラーベはほんと根比べ。←一回言ってみたかった。
上映期間中に現実世界でも教皇が亡くなりコンクラーベが始まるという奇跡的な展開。上映期間も延長。ただ参加した日本人枢機卿によると、実際のコンクラーベは和気あいあいとしていたようで。(笑) そして4回目の投票でプレボスト枢機卿に決まったようです。
上映終盤に差し掛かってたけど、ネタバレに遭遇せずに観れてよかった!
(薦めてくれた同僚に感謝。)
あ・・・ああ・・・。
よく判らないタイトルでごめんなさい。ラストの顛末を知り、出た感想がこれなんです。ネタバレありでレビューを隠していますが、それでもハッキリ書きたくはない。それほど衝撃だったと言えばそうなんですが、主題はそれじゃないと思います。
正直、難しい映画でした。実は少し睡魔に負けました。でも、コンクラーベ(教皇選挙)の緊迫した様子や、そこで起こりうることの予想はなんとなく判っているつもりです。
高位の聖職者といえど、人間です。トラブルはあります。その過去の経緯で落選してしまう選挙の厳しさ。宗教ならでは、特に性的なトラブルが問題視されるのでしょう。また、どうしても選挙の結果にも何らかの意図を働かせたくなる。根回しの密談が妙にリアル。
性的な問題ですが、古来からのキリスト教の禁忌。女性が教会に入っては成らないという問題。集まった枢機卿でしたか。選挙の参加者は男性ばかり。数少ないシスターは「私はいないことになっている身の上ですが」みたいなセリフで成る程と思った。男性社会の昔の風習をそう簡単に変えられないのは仕方ない。そういえば、そんな教会だからこそ男性ソプラノであるカストラートが産まれたのでしたか。男色が営まれるのも無理からぬ話。
というエピソードを辿ると、結局は結末に話が繋がってしまうのですが、なんというか、それも宗教特有の問題であるなら、それに対する新教皇の選出に働いたのもまた、宗教の教えにある「赦し」だと思うのです。亡くなられた教皇が新教皇に「赦し」を与えた、それこそが、ただの選挙の話ではない、キリスト教、宗教ならではの選挙であったと思います。それ故に、このタイトルの意味は「あ・・・」で具体的な結末に気づき、続いて「ああ・・・」でその意図を考え込んでしまった、という具合です。でも、なんだか言葉にしづらくって。
映像も良かった。最初に登場する枢機卿?さんだったかの後ろ姿。クビに掛けられた鎖が十字架の重み、自らの責務の重みを表しているのか。枢機卿達によって、下げている十字架のバリエーションもまた、それぞれの重み、格式、見栄、豪奢な生活感の違いなのか。十字架と云えば、クライマックスで選出された新教皇に問いかける時に、背後に暗い十字架があったのがメッチャ意味深。いちいち考察したくなります。枢機卿達が一斉に傘を差して歩くシーン。格式のある教会に見せて、煙草の吸い殻で地面を散らかし、スマホの興じる姿もまた、現代の教会を現しているのか。あの、教会に紛れ込んだ亀さんはなんだったのだろう。それを水場に返すシーンは何か意味が有るのか、めっちゃ宗教的なんだけど、誰かの解説を賜りたい。票を入れた瞬間に爆破事件が巻き起こるのは、神の啓示であるかのよう。いやもう、素晴らしい映像の数々。
ただ、最後の最後はどういう意味だったのだろう。記憶が正しければ、シスター達?が笑い歩く姿で締めくくられていたような。解説も聞きたいし、2度でも3度でも見返さなければ理解出来ない興味深い面白さがあったと思います。
俗欲にまみれた中高年男性たちの根比べ
聖職者には人一倍世俗と一線を画し、煩悩を克服した者というイメージがある。というか、そうあってほしい。
だがそんなイメージが裏切られる場面が往々にしてあるのが現実。だからこそ、聖職者の選挙を描く映画と聞いてドロドロ政治劇を期待してしまうのだ。
コンクラーベでの教皇の決定には、投票総数の3分の2以上の得票が必要だそうだ。初日午後に最初の投票、それで決まらなければ続く2日で午前午後2回ずつ投票。それでも決まらなければ1日祈りの日を置いてまた同じ手順を繰り返し……といった感じで続けていくという。
外部の力の介入を防ぐため選挙は密室で行われるが、水面下では静かな負の情報戦の火花が散る。彼らが欲するのが権力か名声かは知らないが、法衣の下の生々しい欲望が蠢く様はとても人間臭くて興味深い。
映像美に見惚れる。彩度が低い背景に、緋色や漆黒の衣装がよく映える。聖職者の集団のシーンも緻密にデザインされたような構図で、中世の宗教画を見ているような気持ちになる。
ところがその美しさの中に、時折違和感を放つものが挟み込まれる。聖職者たちが捨てた煙草の吸い殻、現代的な文明の利器。礼拝堂の自動シャッター、スマホを使う聖職者たち。
時代設定が現代なので当然のことではある。ただ、伝統的な様式美が生み出す崇高な空間があまりに完成されているために、現代的なアイテムの醸し出すそっけなさ、世俗的な雰囲気が際立って見える。
神社の賽銭箱の横に掲げられた2次元バーコードのようなもので、宗教関係者が現代の便利アイテムを使っても何の問題もない。ただ本作のような映画で描写されると、聖職者たちの俗っぽさの投影のようにも見えてくる。
メインの枢機卿たちのキャラが濃くて楽しい。序盤の投票で優勢だったテデスコとアディエミは、いかにも「こいつを教皇にしたらあかん」キャラで、ああ教皇って適性じゃなくて政治力や押し出しの強さで決まるのね、ということがわかりやすく伝わってくる。
ベリーニは真面目でリベラルだが地味なせいかウケない。トランブレは死の床の教皇にひとりで会うなど怪しい動き。選挙を仕切るローレンスの立場はとてもストレスフルだ。
立場上彼のもとに寄せられる他の枢機卿たちの動向に関するリークで、彼は次第に疑心暗鬼になる。また、自分に票が入ったことで親友のベリーニに野心を疑われる。一方、実はそのことがまんざらでもなかったのか、ベリーニと和解した後、遂には自分に票を投じる。
私欲に負けたローレンスへの天の裁きのごとく衝撃波と割れたステンドグラスが彼を襲うシーンは、畏怖を覚えるとともに絵画のような美しさに目を奪われた。
ラスト間際まで人間不信に翻弄され、静かに苦悩するレイフ・ファインズの抑えた演技がいい。
新参者として現れたキーパーソンであるベニテスの清らかな存在感。演じたカルロス・ディエスは30年建築家として生きてきて、パンデミックの直前から演技のワークショップに通い始めたそうだ。彼の個性が役柄にマッチして、名優たちと十分渡り合えていた。
カトリックの聖職者の世界は、典型的な男社会とも言える。キリストが男性のみを使徒に選んだことを理由に、女性が司教になることは禁じられている(近年では、修道女が教皇庁や司教省の要職に就いた例はあるようだ)。中世に女性教皇の伝説はあるが、これは創作と考えられている。
ベニテスはインターセックス(半陰陽)であり、一般的なトランスジェンダーのように純然たる男性または女性として生まれたわけではない。男性として育ち、たまたまきっかけがあって自分が子宮と卵巣を持つことがわかった、性的にとても曖昧な存在だ。
教皇は男性であるべきという縛りはキリストの選択が根拠であるだけに、リベラルなローレンスも怖じ気づいた。
だが彼は、既に教皇の座をめぐる醜い権謀術数、その中にあって新参者でありながら食事の時の丁寧な祈り(直前の別の枢機卿のおざなりな祈りとは対照的)、爆破テロの直後に披露した見事な見識など、ベニテスの人格の素晴らしさを目にしていた。
そして、亡き前教皇がベニテスの真実を知った上で奉職を許し、密かに次期教皇選挙の投票権者に指名したという事実があった。
目の前に教皇に相応しい資質を備えた人間がいるのに、彼が身体的に女性の要素を持つという理由だけで排除することにどれほどの意義があるのか。ベニテスの身体もまた、神が創りたもうたものではないか。
男性の枢機卿たちは権力欲にまみれていたり、器の小さな者ばかりで、人間性はベニテスに遠く及ばない。むしろふたつの性の間にある存在であるベニテスこそ、「確信」を遠ざけ人々を真の信仰に導く存在ではないか……
ローレンスの心境はそんな風に動いていったのでは、と想像した。
信仰心を持ちながらも教会への信頼を失い、気の迷いで俗欲に振れてしまったローレンスだが、最後は正しい判断をしたのではないだろうか。
終盤ベニテスが選挙で勝った時点で、「このままでは終わらない、ベニテスにも何かあるはずだ」とわくわくしながら(おい)待ち構えていたのだが、地味目に進んできた物語の中で、緋色の法衣のように異彩を放つどんでん返しに驚かされた。
もしかすると好き嫌いが分かれるのかも知れないが、物語にインパクトをもたらすだけでなく、慣習からくる差別、信仰の本質などについての問いかけを感じさせる秀逸なクライマックスではないだろうか。
コンクラーベを肴に、どこまで遊べるか
いい歳した偉そうなオジサンたちが、恥も外聞もなく右往左往する様をスリリングに描いていて、さすがに面白い趣向だと思う。ただ、正直、(ひとつの仮定として)これが現代に刺さる皮肉や批判やメッセージが込められているのだとしたら、そこまで現実にコミットした作品だとは思えない。というのも、この物語がやり玉にあげている権威とか、時代を変革する希望みたいなものが、これだけムチャクチャなことがまかり通っている現実の世界と比べると、かなり単純化されたものに思えてしまうから。むしろここで提示されている希望なんて見せかけのものでしかなんだよと乾いた目線で見つめている作品という受け取り方もできるが、だとしてもクリティカルに現実にヒットするとは思えない。コンクラーベを肴にした、余裕のある側のひとつの遊びとして楽しみましたよ。
狭くて広い視野を持つ傑作にしてエンタメ映画
ローマ教皇の死去に伴い、世界各地から次期教皇候補100人超がバチカンに集結し、コンクラーベ=教皇選挙が執り行われることになる。これまでも教皇選挙が物語のきっかけになる映画は何作かあったけれど、本作は選挙ものそのの深層に切り込んでいる点が目新しい。それは、亡くなった教皇の指から印章の偽造を防ぐために"漁師の指輪"と呼ばれる指輪が外され、破棄されたり、投票所になるシスティーナ礼拝堂のシャッターが閉められ、投票権を持つ枢機卿たちは特別室に隔離されたりと、描かれるディテールの細かさにまず、目を奪われる。
やがて次々と明らかになる有力候補者たちの耳を疑うようなスキャンダルが、レイフ・ファインズ演じる選挙管理人、ローレンス枢機卿の頭を悩ます様子は、同情を超えて徐々に笑いを誘うことになる。何とか事を丸く収めたい枢機卿の願いとは裏腹に、事態はとんでもない方向へ舵を切るのである。おかげでファインズの額の皺が徐々に深くなっていくのである。
バチカンという幽閉された空間の中に、人間の嫉妬心や猜疑心、崩れ去ったモラル、そして、戦争やジェンダー問題まで取り込んだ映画は、狭くて広い視野を持った傑作。何より、エンタメとして推薦できる1作だ。
テーマありき?
厳しい見方かもしれないが、ちょっとうんざり。ローマ教会の風通しが悪いことはわかった。しかし、アフガニスタン出身の教皇が、戦争や対立を肌身で知っている「記号」として登場して、最後にかっさらっていくという構造が強引すぎる。言いたいことはわかるが、リアリティがなさすぎ。あの主人公の羊の管理人を仰せつかった人の方がまだリアリティがある。あとはシスターたちかな。シスターが下働きしかしていないことが驚きだった。そこが光っていた。ラストシーンも。つまり、あれだけ教皇選挙を見せられたが、何も変わらないという予感しかない。そんな映画だった。
祈りへの疑念
誰が教皇にふさわしいかという問題は、歴史を踏まえて、これから求められる世界がどのようなものかということと関係していると思う。
したたかに金で票を得る者。
陽気で明るいが、過去の過ちを隠す者。
宗教戦争を厭わず、差別を行う者。
それを冷静に諌める者。
最後に選ばれた者の言葉と、枢機卿たちによる選択に、未来への希望を持つことができた。
それは、戦争を肯定すべきではないということ。
また、世の中の考え方が正しいか疑念を持つことを肯定するということ。
傷つけられる世の中に、疑念を持って良いのだと、救われる気がした。
ピーター・ストローハン(脚本)と、エドワード・ベルガー(監督)の手腕を評価する
❶相性:上。
➋時代:現代。
❸舞台:バチカン宮殿、システィーナ礼拝堂。
❹主な登場人物(全員架空)
①トマス・ローレン〔イギリス出身・ローマ教皇庁〕(✹レイフ・ファインズ、61歳):主人公。ローマ教皇庁・首席枢機卿(Cardinal-Dean)。コンクラーベを主宰する。有力候補の一人。リベラル派。信仰に関する悩みを抱えており、前教皇に辞職を申し出たが慰留されていて、自身は教皇に相応しくないと考えている。
②アルド・ベリーニ〔アメリカ出身・バチカン教区〕(✹スタンリー・トゥッチ、63歳):ローマ教皇庁・次席枢機卿。ローレンスの友人。知識人でリベラル派。有力候補の一人。
③ジョセフ・トランブレ〔カナダ・モントリオール教区〕(✹ジョン・リスゴー、78歳):枢機卿。保守派。有力候補の一人。前教皇が亡くなる直前に辞任を要求したとされて裏がありそう。
④ゴッフレード・テデスコ〔イタリア・ベネチア教区〕(セルジオ・カステリット、70歳):枢機卿。保守派にして伝統主義者。有力候補の一人。スキャンダルとは無縁の存在だが、改革派の前教皇との関係は悪かった。
⑤ジョシュア・アデイエミ〔ナイジェリア教区〕(ルシアン・ムサマティ、47歳):枢機卿。有力候補の一人。史上初となるアフリカ系教皇の座を狙う。
⑥ヴィンセント・ベニテス〔メキシコ出身、アフガニスタン・カブール教区〕(カルロス・ディエス、52歳):枢機卿。紛争地域や教会の勢力が弱い地域での奉仕を行ってきた。その功績を評価されて前年に前教皇から枢機卿に任命されたが、活動経緯から秘密の任命であり、ローレンス達もその事実を知らなかった。コンクラーベ開始直前に任命状を携えて到着し参加する。
⑦サバディン〔ローマ教皇庁〕(メラーブ・ニニッゼ):枢機卿。修道会所属。リベラル派。ベリーニへの票集めに奔走する。
⑧シスター・アグネス〔ローマ教皇庁〕(✹イザベラ・ロッセリーニ、71歳):修道女。コンクラーベ中の宿泊施設の管理最高責任者。
⑨モンシニョール・レイモンド・オマリー〔ローマ教皇庁〕(ブライアン・F・オバーン):神父。ローレンスの秘書役。枢機卿団の補佐役を務める。ローレンスから依頼を受け、トランブレに関する調査を行う。
⑩ヤヌシュ・ウォズニアック〔ローマ教皇庁〕(ジャセック・コーマン):大司教。教皇公邸管理部の責任者で、前教皇の身の回りの世話を行なっていた。前教皇の遺体の第一発見者で、死の直前に前教皇とトランブレの間で行われたやりとりを目撃していた。
❺要旨(参考:Wikipedia & IMDb):
①時は明示されないが現代。ローマ教皇が心臓発作のため帰天したところから幕が開く。
②首席枢機卿のローレンスは、新教皇を選出するコンクラーベを執行することとなり、世界各地から枢機卿団を招集する。その数百数十名。
③有力候補は、アメリカ出身でリベラル派最先鋒のベリーニ、ナイジェリア出身で社会保守派のアデイエミ、カナダの保守派のトランブレ、イタリアの保守強硬派のテデスコの4人。
④教皇庁長官のウォズニアックは、ローレンスに対し、教皇が死去前にトランブレに辞任を要求していたと告げるが、ローレンスは確証がないので発表を控える。
⑤土壇場でカブールのベニテスが任命状を携えて到着する。彼は、前年に前教皇から枢機卿に任命されていたが、アフガニスタンではキリスト教徒が迫害されている状況があるため秘密にされ、ローレンス達もその事実を知らなかった。ローレンスはベニテスを正当な枢機卿として認め、枢機卿団に紹介する。
⑥1日目:
ⓐコンクラーベが開幕し、システィーナ礼拝堂にて枢機卿団による投票が始まる。
ⓑ1回目の投票では当選に必要な2/3の多数を獲得した者はいなかった。
ⓒローレンスは、補佐役のオマリー神父の調査により、ベニテスがスイスの病院で診察を受けるための費用を前教皇が支払っていたことと、ベニテスがこの診察をキャンセルしていたことを知る。
⑦2日目:
ⓐナイジェリアからローマに派遣されたばかりの修道女シャヌーミが、昔アデイエミと不倫関係にあり子を出産したことを告白する。アデイエミは事実を認め、選挙戦から脱落する。
ⓑローレンスは、シスター・アグネスと協力し、シャヌーミの転勤をトランブレが手配していたということを知る。問い詰められたトランブレは、教皇の要請でそうしたと主張する。
ⓒローレンスは教皇の帰天以来封印されている部屋に侵入し、トランブレが枢機卿たちに買収行為を行ったことを示す文書を発見する。トランブレは教皇の死期を悟り、1年前より買収行為によって来るべきコンクラーベでの票集めを行っており、それが前教皇に露見して辞職を要求されたのだった。
⑧3日目:
ⓐローレンスはアグネスの協力の下、トランブレに関する文書を枢機卿団に公表する。トランブレはローレンスが、封印されている部屋に侵入したと反撃するが、アグネスが、「私たち修道女は目に見えぬ存在ですが、神は目と耳を下さった」とトランブレの策略を暴露した結果、トランブレは教皇候補から外れる。
ⓑ次の投票時、爆弾が礼拝堂に投げ込まれ、コンクラーベは一時中断する。
ⓒこの爆発はイスラム教原理主義者による自爆テロ事件であること、ヨーロッパ各地で発生した一連の自爆テロ事件の一つであり、数百人の死傷者が出ていることが枢機卿団に伝えられた。
ⓓテデスコがイスラム教に対する宗教戦争を主張したのに対し、ベニテスは暴力に暴力で対抗することに反対する。「権力争いを止めて、教会の教えを周縁の人々にまで届けるべき」と主張する。
ⓔ投票が再開され、圧倒的多数でベニテスを選出。ベニテスは教皇名「インノケンティウス」を選んだ。
ⓕローレンスは、オマリーから、ベニテスの診察予約がキャンセルされた事情の報告を受け、ベニテス本人から真相を聞く。ベニテスは、生まれつき子宮と卵巣を持っていて、盲腸の手術でそれが明らかになるまでそのことを知らなかった。その事実に悩んで前教皇に辞職を申し出るも、切除すればいいとして慰留された。予約していた診察の内容は子宮摘出手術だったが、神に創造されたままの自分であり続けるべきだ("I am as God made me.")と考えて出発前夜に手術を断念した。
ⓖローレンスは、この秘密を、自分だけの胸に納めることを決意した。外からは、新教皇の選出を祝う群衆の歓声が聞こえていた。
❻まとめ
①コンクラーベに関しては、下記❽に示した映画等で、ある程度の知識があったが、詳細なプロセスは本作が初めて。
②首席枢機卿のローレンスが、公正かつ冷静にコンクラーベを仕切っていく様子が頼もしい。
③一番納得したのは、紛争が多く危険も多い、イスラムのアフガニスタンで活動するベニテスが新教皇に選ばれたこと。
④そして、一番驚き共感したのは、ベニテスが生まれつき女性生殖器(子宮と卵巣)を持っていて、前教皇が切除を望んだのに、本人は、神に創造されたままの自分であり続けるべきだと判断したこと、そして、ローレンスがそれを認めて、他言しないようにしたこと。
★フィクションだから出来ることではあるが、画期的・革新的であると言える。
⑤これだけの内容を、2時間に仕上げたピーター・ストローハン(脚本)と、エドワード・ベルガー(監督)の手腕を大いに評価する。
❼トリビア1:実際のコンクラーベ
①本作が日本で公開中の4月21日、ローマ教皇フランシスコが88歳で死去し、5月8日にコンクラーベが行われ、4回目の投票でアメリカ出身のロバート・フランシス・プレヴォスト枢機卿(69)が第267代ローマ教皇に選出され、レオ14世となった。
②この投票には、日本から2名の枢機卿が参加している。
・菊地功枢機卿(東京教区大司教)
・前田萬葉枢機卿(大阪高松大司教)。
③去る6月7日、名古屋の南山大学で行われた『第4回南山大学「人間の尊厳賞」表彰式・記念講演会』に参加した。講演者は菊地功枢機卿。
④「混乱の時代に助け合う命」と題する80分の講演は、博愛に満ちた内容と巧みな話術の両面で、分かり易く深い感銘を受けた。
⑤最後に、5月8日のコンクラーベについても話があった。
ⓐ映画『教皇選挙』は往きの機内で観たが、良く出来ていて、大半が描かれた通りだった。でも違っている所もあった。
ⓑ実際に集まった枢機卿たちは、和気あいあいとした雰囲気で、お互いをけなしたりおとしめたりというような謀略的なことはなかった。
ⓒ食事は長テーブルではなく、6人単位の丸テーブル。この方が、くつろいで会話が弾む。赤の衣装は着ない。汚れると後が大変だから。
❽トリビア2:枢機卿とコンクラーベが描かれた劇映画
①『枢機卿(1962米)』:
ボストン生まれの神父がカトリック教会のなかで頭角をあらわし枢機卿にのぼりつめるまでの物語。
②『栄光の座(1968米)』:
ソ連で政治犯として20年も強制労働キャンプに送られていた元大司教が、新法王に選ばれ、世界平和に尽力する。
③『天使と悪魔(2009米)』 :
コンクラーベを前に、有力な候補である4人の枢機卿が誘拐される・・・・
④『ローマ法王の休日(2011伊・仏)』:
選出されたくないという願いもむなしく選ばれてしまった新しいローマ法王が、大観衆へ向けた就任演説直前にローマの街に逃げ出す・・・・
⑤『2人のローマ教皇()2019英・伊・アルゼンチン・米』
カトリック教会の方針に不満を抱く枢機卿が教皇に辞任を申し入れるが、スキャンダルに直面し自信を失っていた教皇は辞任を許可せずローマに呼びつける・・・・
➒トリビア3:聖職者の犯罪
①本作では、有力候補のトランブレ枢機卿が、選挙で有利になるように、陰謀や買収行為をしていたことが描かれる。これはフィクションだが、次の②は実話である。
②アカデミー賞作品賞と脚本賞を受賞した『スポットライト 世紀のスクープ(2015米)』では、神父による児童への性的虐待が世界中で幾つも起きていて、カトリック教会が組織ぐるみで隠蔽してきたことが示されている。
③「聖職者」であっても「聖人」でない人がいるということだ。
④忘れてはならないことがある。それは世界には自浄作用があるということ。邪な手段で手にした権力は、長くは続かない。それは世界の歴史が証明している。
⑤それは政治の世界も同様だ。プーチン政権もトランプ政権も、いずれ終焉を迎える。そう願っている。
教皇とは?
次から次へと、まるでゴシップネタかと思う様なスキャンダルが‼︎
最高位の聖職者を選ぶ場とは言え、多様化は今始まった事でも無いし当然の事なのだろうと思う。只、難産の末に放たれた白い煙には、こんなに世俗的な内幕が隠れていたんだと思うと、「ローマ法王」から「ローマ教皇」に呼び名を変えた事とか意味があったのかと疑問に思う。
知らない世界
教皇
テレビのニュースなどでちらりと見ることがあってもキリスト教が非日常てきな
我々日本人にはちょっとムズカシイかなと
思っていました。
いや、違いました。
わかりやすいし
丁寧にものがたりは進んでいく
音響も厚みがあるし
セリフまわしもすごく響く
だからなのかな?
客席は満員
わたしは2列目でクビが痛いが
楽しまんと損だ、感情がわき、
頑張れました。
ラストはまさかの
神の造られた姿のまま
すごいよ!
家でキリスト教系学校を大学まで
通った夫に
興奮しながら
いやー!おもしろかったと感想はなしたら
オレはプロテスタントだ
だって。つまらんな。
最後まで楽しめました!
聖人も俗人
聖人だって俗人ですよね。
こういってしまうと陳腐なのですが、教皇選挙という舞台、衣装、セット、照明などなど。。。
こんなに重厚になるんですね。
黒人系初の
と思いきや、、、
やはり、映画や物語の方が、現実より斜め前に進んでますね。
「誰」と戦うのか
教皇選挙(Conclave)
世界人口の17%
14億の信徒がいるカトリック教会の
最高位聖職者・教皇を決める選挙
バチカン市国の元首も兼任するため
まさしく「選挙」
世界各国の生前教皇から任命された
枢機卿を集め外界からシャットダウンし
2/3の票を得て決まるまで延々投票が
続けられる「根比べ」である
投票を行うシスティーナ礼拝堂の
煙突から決まらなければ黒
決まれば白の煙を出すのが
有名な風習となっている
・・をテーマにした今作
さすがに観る機会を逃したかと
まだやってるかなと思って
探したらあったので観賞
どうだったか
非常に面白かった
レイフ・ファインズの怪演は折り紙付き
とはいえ公開期間中にまさかの
リアル教皇の逝去でリアルコンクラーベが
始まってしまったのは驚きだったが
(なんでも本職の枢機卿もこの映画を
予習で観たとか)
世相と絡め閉鎖空間で起こる策謀の嵐
映画の題材に十分なものでした
心臓発作で急逝した教皇
死に目に会えなかった主席枢機卿
ローレンスは悲しみに暮れるも
教皇選挙を取り仕切ることになる
ローレンスは重責のプレッシャー
のほか日々洗練した教えを説くはずの
教会への疑念が晴れずこの役を終えたら
全ての任を降りるつもりでいた
次期教皇候補には様々な思想の者
①テデスコ(イタリア)
イタリア出身でローマ法王は
地元民が相応しいと主張
イスラムらとも戦うべきというタカ派
(庵野秀明にしか見えない)
②トランブレ(カナダ)
教皇の最期の言葉を聞き
自分が教皇にふさわしいと言われた
と主張するが別からは
選挙の買収工作疑惑の
報告書をもみ消したとの噂も
③アデイエミ(ナイジェリア)
アフリカ系教皇を目指すが
かつて自身の子を身ごもった
シスターが現れスキャンダルに
④ベリーニ(アメリカ)
ローレンスとも親しい
アメリカの今っぽい
コテコテのリベラル派で
当然庵野は大嫌いだが
人気はイマイチでやる気もない
⑤ベニテス(カブール)
戦地で人道支援の場に立ち
実は教皇から枢機卿の任命を
受けていたメキシコ系の人物
滑りこみで選挙に立候補
といった候補が挙がる
ローレンスは策謀渦巻く
選挙開始の冒頭にアドリブで
「あらかじめ"決まっている事"などない」
というニュアンスの演説で
公平な投票が行うよう
釘を刺しに行くがこれが
ローレンスも教皇の座を狙っている
と受け取られてしまう・・
面白いのは間髪入れず
毎日毎日決まるまで選挙をすること
その間にスキャンダルの暴露
裏情報の錯綜
外界ではイスラム系の爆弾テロ
真実か捏造かはわからないが
全ては淡々と繰り返される
投票の票数で流動的に変わっていく
とこの「こういうものだ」という
画面の説得力
混迷する世の中をどう導くのか
そんな教会のあるべき役割を
わきまえず枢機卿達は言いたい放題
この映画は枢機卿といえど人間
タバコもやるし酒も飲む
という部分を描写します
葉巻吸う庵野はなんか笑ってしまいます
(誇張はだいぶあるでしょうけどね映画だし)
ただまあなんだかんだ密室内の
淡々とした展開で終わっていくのかと
思っていたので
終盤のまさかの展開は( ゚д゚)
となってしまいました
映画的で実にうまい
やりすぎるくらいがいい
印象的だったのはベニテスの演説
「イスラムと戦うって誰と戦うんですか?」
世の中の争いごと大体そうじゃないですか
リベラルとタカ派
キリスト教とイスラム
きのこの山とたけのこの里
思想に駆られて人間が争う
思想ったってその人間の根源的なもんじゃなく
だいたいがただのバイアスをあたかも
今自分は目覚めたかのように錯覚し
必死に争いをさせられている
だけではないでしょうか
だから他人の誹謗中傷とか平気でやる
非難されると皆やってることだと開き直る
信教以前の問題ですね
カリカルチュア化はされているが問題点は挙げられている
いつも、宗教問題では一神教は排他的、多神教は寛容という主張がある。しかし、インドにおけるヒンドゥー原理派による他宗教排斥、日本の国家神道による他の神道系団体、仏教をによる弾圧で多数の殉教者を出した事実を知らないのか、知らないふりをしているのか疑問に思う。
この映画のテーマは世界最大宗教であるカトリックの指導者、教皇を選ぶドラマである。一か所で外に出ない閉鎖的な空間での劇となっている。日本ではくじ引きが神意を占うものとされたが、欧米では選挙が神意を表すとされていることが良く分かる。
ドラマは教皇の死から始まる。教皇が死の直前にトランプレ枢機卿を馘首にして、新たに戦時下のコンゴ、イラク、アフガンで困難な仕事をしていたベニテスを枢機卿に選任していたことが分かる。
保守派デテスコは100年くらい前の教会制度を理想としている。映画ではテデスコはいかにも傲慢、尊大、俗悪な人物として描いている。
主人公ローレンスはテデスコに反発して、リベラル派のベリーニを推すが票は集まらない。ベリーニ自身は「野心はない」と言いながら、ローレンスに票が入ったのを知ると、「お前が野心家だったとは思わなかった」と詰る。
進むに連れ、第二候補のトランプレ枢機卿が教会財産を流用して他の枢機卿を買収。有力候補であるアフリカ出身のアディエミを過去の醜聞を暴いて失脚させる陰謀をしていたことを突き止める。
自分が立ち上がるしかないと決意して自身の名前を書いて投票した途端に自爆テロが起こり教会のシャッターが壊れる。まるで、天罰の様に。
テロに対して憤るテデスコ。イスラム教徒を野放しにしていたからだと革新派を非難。これは宗教戦争だ。戦わなければならないと主張。これに同意する枢機卿と反発する枢機卿たち。
そこに立ち上がるベニテス。私は初めて参加した。これを最後にしたい。あなたは戦争を知っているのか、私は数多くの死を見てきた。キリスト教徒もイスラム教徒も。戦うとは何と戦うのか。妄信者と戦うのか。違う、戦う相手はここにいる。胸を指していう。自身の信仰の揺らぎと戦うべきだと主張。ここは神の家たる教会ではない。皆、自分のことしか考えていないという。
最後の投票でシャッターが壊れた窓から入る日差し。これが象徴的だった。私はベニテスは女性なのかもと思っていた。コンゴでは性暴力を受けた女性を救うために病院を作ったという報告からの推測だった。
カトリックでは保守派と革新派の対立がある。前教皇フランチェスコは保守派だった。しかし、ミサをラテン語にしろとか主張したことはない。その前のヨハネ・パウロ二世は革新派だった。二人は対立する派の代表だが、カトリック教会の方針は大きくは変わっていない。また、欧州では退潮でアフリカでは上げ潮に乗っている。また、排斥されている女性への役割を増やそうとする試みもある。教会が抱えている問題は挙げてあるが、全て誇大に描かれいる。この映画は、あくまでも虚構の物語である。
最初から全て前教皇の思惑通りにことが進んだと最後に理解した主人公の晴れやかな顔が良かった。
映像的にも素晴らしい。全世界から枢機卿が集まるが、その一方で修道女たちも集まる。カージナルレッドと言われる赤い枢機卿に対して真っ青な服の修道女。雨の日に白い傘をさして移動する枢機卿たち。映像芸術たる映画の本領発揮といえる。これはテレビで見ても面白くない作品だと思う。
ボスへの道。。
政治、会社、病院、
おじさんが集まると、どこも、構図は権力闘争
当然
聖職者も
男だ
だからこそ
結末は皮肉
男には弱点があって
それは女
結局
実際には
男への影響を通じて
女のほうが物事を動かしているのではないか?
シスターアグネスの事も
ラストが修道女たちが歩いていくシーンだったのも
それを暗示していると思う
そして人間には弱点があって
それは情愛
ローレンツも前教皇を愛していた
「我々は理想に仕える存在であり
理想そのものではない」
このような展開となった真相の
核心部分は言葉で語られず
前教皇の愛したチェスボードと亀の表象で静かに暗示されている
この映画では
大事なことは「説明」されずに
演出で暗示される
現実的な話になるが
根本的に、男性には、「仲裁」というものが出来ないと思っている
自分が肩入れしなかった側を攻撃して叩き潰すのみ
両者の言い分をバランスよく聞き、公正な配慮ができやすいのは
女性のほうだと思う
だからある組織のボスに
男の弱点(沽券、プライド、権力欲、支配欲、縄張りとその巡回欲、子分を引き連れたい欲、格下を言いくるめたい欲、強い者には弱く弱い者には強い)が一つもなければ
その人は
女
なのだ
そんなことが
現実にもあったので
興味深く見た
見応えしかない、レッツコンクラーベ!
あまりに評判がいいので、遅ればせながら劇場へ。
いやびっくり、噂に違わぬ面白さでした。見逃さなくてほんとによかった。
地味に淡々と進むけど、まさかの屋台崩し(?)もあり、大どんでん返しもあり…
エンドクレジット出てから音立てないように拍手しちゃいました。
地方のシネコンの平日昼間にしてはけっこうな客入りで、なるほどヒットしてるんだなと。
全世界的にはどうなんでしょう?評価は高かろうけど、宗教的な理由で客入りには違いがありそう(宗教には緩い日本人が一番楽しめるかもしれない)。
主人公トマスは、面倒な会合の幹事(頑張れ)というか、ヤヤコシイ葬式の喪主(頑張れ。いや葬儀屋の責任者かな)というか…
通夜の日にじいさんの隠し子が現れてどうしよう、みたいな展開もあり、登場人物たちはあんま笑ってないけどブラックな喜劇だなーと。
脚本が「裏切りのサーカス」の人だそうで、主人公のタイプは、裏切り〜のゲイリーの役柄と似てるっちゃ似てる、とも思いました。
キャストも見応えある人ばかり、ハズレなしの男スタンリートウィッチ、まさかのイザベラロッセリーニとジョンリスゴー!
で、これでもかと陰謀術数のまま終わるかと思いきや、なんか爽やかな後味…そのへんもヒットの理由かもしれません。
(不在の前教皇のお人柄がジワジワとしみてくる演出も素晴らしい)
あと、シスターアグネスの尋常でない有能さと聡明さに痺れました。完全なる男社会の中で地味ながらすごい存在感、と思ったらそのへんもラストへの伏線といや伏線になってて、うまいリード。感服。
こないだ本物のコンクラーベもありましたが、ちゃんと現実を上回るフィクションになっている。そうこなくちゃ、映画だもの。
こんなどんでん返しらしいどんでん返しを見たのは久々、という意味では紛れもないミステリ映画(それもかなり上等の)でもありました。
余談
・邦題を漢字四文字にしたのはすごく良かったと思う。
・コンクラーベの部屋閉鎖前に「閉所恐怖症の枢機卿は…」とか言ってるのみて「そうか、面堂終太郎は枢機卿になれないな」と思った。
・閉じられた教皇ルーム前の、ロウソクだらけ の眺めがキャリーの家みたいだった。
・あと、トランプは観てないんだろうな、みても理解しないだろうなーなんて考えてました。
映画『教皇選挙』に映る信仰の輪郭
映画『教皇選挙』に映る信仰の輪郭
――確信と疑念、腐敗と名の行方
映画『教皇選挙』は、一見すると静謐な宗教ドラマに見える。だがその奥には、現代の宗教組織にとって避けては通れない、いくつもの問いが伏流している。
物語は、教皇の死去に伴って開かれるコンクラーベ――すなわち教皇選挙の五日間を描いている。枢機卿たちが繰り広げる駆け引きと葛藤、そして最終的に予想外の人物が新教皇に選出されるという展開は、観る者の関心を引く。しかし、この映画の最も核心にあるのは、冒頭に登場する首席枢機卿ローレンスの説教に込められたテーマである。
「確信は信仰の敵である」
「疑念を捨ててはならない。信仰とは疑念と共にあるものだ」
ローレンスのこの言葉は、確かに深遠な意味を含んでいるように聞こえる。だが、観る者にその真意が届いただろうか。問題は、ここで語られる「確信」や「疑念」の定義が曖昧なまま提示されていることにある。
キリスト教神学において、「信仰(fides)」は確信を含む概念である。神の啓示に対する理性的な同意と、神に対する信頼が一体となって信仰は成り立つ。疑念は信仰の深化を促す契機にはなり得るが、それが本質とされることはない。「疑念の肯定」が行き過ぎれば、それはやがて信仰の相対化となり、無化にもつながる。
仏法においても「無疑曰信」と説いている。「疑い無きを信と曰う」と読む。これは「疑い」を否定しているのではなく、疑念を積み重ねた先に、全く「疑い無き信」に到達するという意味であると拝する。
ローレンスの言葉もまた、信仰における内省と謙虚さを説こうとしたのだろう。だが、説明なき断言は、確信そのものを否定し、信仰対象への疑念すら肯定するような誤解を与えかねない。これは、信仰を持つ者にとっては本末転倒であり、カトリックの教義とも乖離している。
一方で、映画はもうひとつの大きなテーマを静かに語る――腐敗の必然である。
教会とはそもそも、神の理想を地上に体現しようとした存在である。しかし、カトリック教会はその誕生とほぼ同時に、国家権力との結びつきによって制度化され、政治的権威としての顔を持つようになった。コンスタンティヌス帝による公認以降、教会は「信仰の共同体」から「地上の制度」へと変貌を遂げる。その中で生まれたものが、十字軍であり、異端審問であり、免罪符の乱用である。
この映画が描くコンクラーベもまた、祈りよりも計算が支配する舞台だ。枢機卿たちの多くは、神の声よりも人の意向に耳を傾ける。そこに見えるのは、理想を失い、形式だけを守る宗教組織の姿である。
だが、すべてが絶望ではない。映画の終盤、誰もが予想しなかった新任枢機卿が教皇に選出される。そして、彼が選んだ教皇名は「インノケンティウス(Innocentius)」。この名は、「潔白」「純粋」を意味するラテン語に由来する。
これは、二重の意味を持つ名前である。
ひとつには、教会がもう一度、純粋な信仰の原点に立ち返るべきだという願い。
もうひとつには、歴代「インノケンティウス」と名乗った教皇たちの中に、専制的で物議を醸した人物もいたことへの皮肉――「潔白」という名の裏に潜む、制度の宿命的な堕落の予兆。
映画は最後までこの名の真意を明かさない。だが、それがむしろよい。
なぜなら、問いを残すことこそが、信仰と組織のこれからに対する沈黙のメッセージになるからだ。
『教皇選挙』は、単なる宗教映画ではない。
それは、信仰と制度、理想と権力のはざまで、私たちが何を守り、何を問うべきかを突きつける鏡である。
さすが全員、枢機卿
欲に飲まれて不正行為をしたとしても、地位や影響力には飲まれずにどんな人の話でも聞く耳を持っていることがそのへんの一般人とは違う、さすが枢機卿の立場まで上り詰めた人たちだと感じた。
だって急に1名増えたって時、どうせ毒にも薬にもならないから入れとこうという感じだったし、みんなの前での祈りも「君が本当に枢機卿なら出来るよね?」という感じで、それくらい同じ立場とは見てなかったくせに祈りの定型文プラスで祈りを続けた時には全員がハッとするような空気感があった。
そして女を対等と見ないというスタンスのくせにシスターの話もちゃんと聞いた。
まさかのタイミングで窓が割れたり、その割れた窓から風が吹き込んで鳥の囀りまで聞こえて、映画だと感じなかったけど、きっと枢機卿としてあの場にいたら何かの気配を感じたと思う。
字幕で見たけどイノセンティウスはカッコで和訳を入れても良いと思った。イノセントならいらないけど、大事なシーンかと思うから。
噛めば噛むほど的な感じで面白かった!
流れがわかり、人間模様が面白い
レイフ・ファインズ見なきゃ!と思ったらまさに時勢に合ってしまった今作。
題材に対して思いの外人がいてびっくりしました。
コンクラーベって何という人からしたら流れがよくわかり、
アピールと自分の思想をいかに自己開示できるかがポイントなのはまさに選挙。
煙の色にも意味がある、などとても面白かったです。
候補者たちにも様々な過去がありタバコ吸ってたり携帯イジったりと人間臭いところが安心しました。
冒頭からのレイフ・ファインズの荒い息遣いが緊張感を感じ、途中も葛藤と息遣いがリンクしている感じがしましたが、最後はおだやかになって明るい未来を感じさせてくれるラストが良かったです
映画は現実を描く
昨秋の全米公開時から気になっていた。
時期ローマ教皇を選ぶ選挙“コンクラーベ”。
『天使と悪魔』などでも描かれた事あるが、ここまでがっつりメイン題材になる事はそうそう無い。
そこに、陰謀や思惑交錯するサスペンス・ミステリーとしてエンタメ性もプラス。
同じく宗教題材のダン・ブラウンの一連のシリーズを彷彿。まああちらは映画の出来映えは…だったけど。
アカデミー賞にもノミネートされ(脚色賞受賞)、品質は保証付き。
しかしこういう作品って、なかなかにヒットに結び付き難い。殊に宗教に馴染み薄い日本に於いては。
“コンクラーベ”を“根比べ”と大喜利みたいな語呂合わせでしか覚えて貰えず、どういうものか関心持たれぬまま、一部の映画ファンや通好みの間だけの話題で終わり、興行収入も数億程度だった事だろう。
現実世界でタイムリーな事が起きた。事態に対して不謹慎な言い方かもしれないが、奇跡的な事が起きた。
俄然、話題と注目の的に。映画は時に現実を描く。
じわじわロングランヒット。興行収入もこの手のジャンルにしては大健闘の10億円を間もなく越え。
公開前、本作がまさか実写版『白雪姫』よりヒットするなんて誰が思っただろう…?
現実世界でも全く同じ事が起きたので、あらすじは割愛。
あらすじをいちいち説明しなくてもいい事が現実でタイムリーに起きるなんて、本当に驚きとしか言いようがない。
『天使と悪魔』などを見て少しは知っていた事も。
コンクラーベが始まると、集まった司教たちや新教皇候補者たちはバチカンの礼拝堂の地下に籠る。
外部とのコンタクトは一切遮断。新教皇が選出されるまで、選挙は繰り返し行われる。
遂に新教皇が決まった時、礼拝堂の煙突から投票用紙を燃やした煙が…。
それが合図で、世界14億人以上と言われるカトリック教徒歓喜の瞬間。
今回ニュースでも速報され、TVなどを通じて、映画の公開と話題もあって、リアルと感慨深さを感じた人も少なからずいただろう。
現実世界では厳かに、格調高く。
映画ではリアルさを追求しつつも、映画ならではの面白味も。
首席枢機卿のローレンスはコンクラーベの仕切りを任される。
自分は教皇の器じゃない。仕切り役に徹し、旧知のベリーニ枢機卿を推す。
集まった新教皇候補者たち。神に全てを捧ぐ人格者たち…と思いきや、一人また一人に黒い噂や欲が発覚する。
前教皇の死が免れぬと知るや、方々に賄賂を渡して根回し。
ある者は性的スキャンダル。聖職者ともあろう者が…!
リストに名前が無い飛び入り参加の者。
波乱の選挙が始まる…。
派手なシーンは一切無い。唯一、静寂を突き破るようなある爆破シーンはびっくりしたが…。
重厚な映像、厳かな美術や衣装、編集も音楽も緊迫感を終始孕む。
映画は全編ほぼ“コンクラーベ”。見る我々も一緒になって礼拝堂に籠ったかのようで、息詰まるシークエンスは先日見た『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』の原潜内シーンとは桁違い。
『西部戦線異常なし』とは全く異なるジャンルながら、エドワード・ベルガー監督が連続ホームランの名手腕。2作連続でアカデミー作品賞ノミネートなのに、自身は連続で監督賞ノミネート落選なんて嘘でしょ!?
ハリウッドではVFXを多用した大作が、日本では若者向けのアニメーションやTVドラマ映画化やコミック実写化が人気の昨今。これぞ大人の鑑賞に耐えうる“映画”。
それには名優たちの名演が必須。
レイフ・ファインズの醸し出すオーラ、歳を重ねた渋さ、枢機卿姿もばっちり、風格に存在感に演技力と、何もかも申し分ナシ!
スタンリー・トゥッチの巧助演、ジョン・リスゴーのクセ者感。出演時間は僅かながらイザベラ・ロッセリーニのインパクト。
これぞ“映画”であり、名アンサンブル。
新教皇はなかなか決まらず。
各候補者たちの裏の顔やスキャンダル。
教皇に相応しい者は…?
こうなってくると、“野心”というものが芽生えてくる。
あくまで表面には出さず。変わらず仕切り役に徹して。
が、虎視眈々と。何度目かの選挙で、投票用紙に書いた名前は…。
厳粛なコンクラーベ。その腹の底で、各々がこんな思惑や野心を秘めているかと思うと…。
途端にどんよりしてくる。
が、遂に選出された新教皇は意外な人物であった…。
それまでほとんど目立たず。
唯一と言えば、飛び入り参加のイレギュラー。
しかしちゃんと、前教皇から認められて。
終盤、皆が激しい口論。お互いを責め合い、罵り合い、野心や欲が飛び交う。
司教も人間。人の子とは言え、これが崇高たる司教の姿か…。
そんな中、司教という職、在り方を真摯に問う。
それは皆を動かした。
異論も少なからず出たが、選ばれた新教皇。最も相応しいとローレンスも認める。
ところが…。選ばれた直後に発覚。
驚きの秘密。前例は無い。前代未聞。
日本の天皇がそうであるように、神聖にして不可侵な伝統に反する。
いやそれは、変わるべき事なのかもしれない。新しく受け入れるべき事なのかもしれない。
新教皇は、心は男でも、身体は…。
静かながらも熾烈なコンクラーベの末に、選ばれるのは主演レイフ・ファインズだろうと思っていた。
意外性を付いた。
脚本の妙。映画ならではの展開。
本当にただそれだけか…?
遠い未来か、近い将来か。絶対に起きないフィクションとは言い難い。
今回の映画そのものがそうであったように、映画は現実を描く。
より人間的
教会とは?信仰とは?
カトリック教会の内部を覗き見てる様な緊迫感を感じられる。
そこで行われる教皇を選ぶ選挙(コンクラーベ)。
今後も続くであろう閉ざされた空間で決めるコンクラーベの独特とも言える実態。
そこで行われる(教会を訪れ人々を説く)人たちの人間模様はより人間的で、刺激的な感覚を与えてくれた。
また結果の選択に関しても彼の信念を感じとれ、心地よい気持ちにさせてくれた。
全187件中、1~20件目を表示
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