教皇選挙のレビュー・感想・評価
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どこまでリアルなんだろう
通常スクリーンで鑑賞
なかなか面白かったです。
丁度リアルでもコンクラーベがありましたが、
本物の選挙に出た司教様も進行?の参考にこの映画を見た人もいるとの噂も聞き、見てみようかと足を運びました。
全般を通じて重苦しい雰囲気にみんなの緊張が伝わってきて、それが良い味を出してました。
とは言え、どこまでリアリティがあるのか私には分かりませんが、作中でも言われていたように権力争いのていを要すばかりで、皆さん聖職者なんですか?(作中でも出てきますが笑)と言いたくなる内容でした。
結果、予想しなかった所へ落ち着いて、やれやれと思うまもなく、最後に新たな火種が・・・
もしこれが本当にリアリティのある映画だとしたら、逆に聖職者の方々の資質を疑ってしまう気持ちにさせられます。
ちょっと複雑な気持ちですね、
映画のリアリティがあるなら現実に幻滅
逆に作り話ならこの映画もこんなもんでしょ的な
なので、どこまでリアルなんだろうと言う疑問が湧いてやまないところです。
面白い!
つねに8手先まで読むと言われた前教皇。彼が撒いた種によって物語が次々と展開していく〝推理サスペンス〟として観ていたが…。
終盤、ローレンスが自分の法王名をヨハネに決めていたことですべての合点がいった。
洗礼者ヨハネは、イエスが尊敬する先駆者であり、イエスに洗礼を授けイエスが神の愛する子であることを証明した人物。
前教皇=神、ローレンス=ヨハネ、ベニテス=イエスの構図がピタリとハマる。
イエスの働きの出発点を作った重要な役割を担ったヨハネのように、ローレンスはベニテスを新法王に任命する。ベニテスこそ、新しい価値観を体現する奇跡の赤子だったのだから。
アメリカのMAGAとリベラルの対立をわかりやすく表現しつつ、二項対立こそ戦争だと訴える。前教皇が大切にしていた亀(新たな価値観)を泉に解放し、3人の乙女が扉を開き歩き出す姿に、作り手の真っ直ぐな希望を見た。
地味良い映画
「みんな同じ服着てる!
じいさんばっかだ!」
と
序盤は正直誰が誰だか
把握するだけでいっぱいいっぱいで
(ただ主要キャラは
クセつよ系だったり目立ってましたけど)、
どうだろうか?と思ったけれど、
後半に連れてキャラが絞られて行って、
展開も尻上がりに
盛り上がっていくのは楽しかった
どんどん面白くなっていく
こういうのは良い映画の鉄則と思う
(尻すぼみの名作はあるのだろうか?)
だからって
派手にすればいいわけではなく
むずかしいところなんだろうけども
この映画も、
アクションもなく
殺人事件とかもなく地味だけど、
ちゃんとサスペンスは機能してて
今時逆に新鮮な気もしたり
ただ現実とリンクしてると没入感が増したり
それもあったかな?
男性絶対優位社会に対する痛烈かつ上品な皮肉
コンクラーベの選挙権を持つのは枢機卿という偉い人のみの間接選挙。全員が男性なんですね。(今どき)対して女性はシスターとしてあくまでも生き神様のような枢機卿に傅く存在。信仰心に男女差はないと思うけど。コレ以上はネタバレになるのでラストだけいうと、最後、あまりのことに雷に打たれたように固まる首席枢機卿(主演)の窓越しに見える隔離からやっと解放されたシスター達がキャッキャいいながら帰って行くシーンがいいですね。
ここ最近の中で一番。
最近の洋画でここまで心を揺さぶれるものがあったろうか。
ローレンス卿の苦悩の描写が秀悦。
どうか彼に神のご加護がありますように…。
私の陳腐な表現では伝わらないので興味があるなら是非見て欲しいと思います。
強いていうなら
たぶん
トランプさんはこの映画は嫌いなんじゃないかな…笑
好き嫌いは分かれると思う。
人は死なないサスペンス
亀とは
聖人も俗人
聖人だって俗人ですよね。
こういってしまうと陳腐なのですが、教皇選挙という舞台、衣装、セット、照明などなど。。。
こんなに重厚になるんですね。
黒人系初の
と思いきや、、、
やはり、映画や物語の方が、現実より斜め前に進んでますね。
興味本位で鑑賞
「誰」と戦うのか
教皇選挙(Conclave)
世界人口の17%
14億の信徒がいるカトリック教会の
最高位聖職者・教皇を決める選挙
バチカン市国の元首も兼任するため
まさしく「選挙」
世界各国の生前教皇から任命された
枢機卿を集め外界からシャットダウンし
2/3の票を得て決まるまで延々投票が
続けられる「根比べ」である
投票を行うシスティーナ礼拝堂の
煙突から決まらなければ黒
決まれば白の煙を出すのが
有名な風習となっている
・・をテーマにした今作
さすがに観る機会を逃したかと
まだやってるかなと思って
探したらあったので観賞
どうだったか
非常に面白かった
レイフ・ファインズの怪演は折り紙付き
とはいえ公開期間中にまさかの
リアル教皇の逝去でリアルコンクラーベが
始まってしまったのは驚きだったが
(なんでも本職の枢機卿もこの映画を
予習で観たとか)
世相と絡め閉鎖空間で起こる策謀の嵐
映画の題材に十分なものでした
心臓発作で急逝した教皇
死に目に会えなかった主席枢機卿
ローレンスは悲しみに暮れるも
教皇選挙を取り仕切ることになる
ローレンスは重責のプレッシャー
のほか日々洗練した教えを説くはずの
教会への疑念が晴れずこの役を終えたら
全ての任を降りるつもりでいた
次期教皇候補には様々な思想の者
①テデスコ(イタリア)
イタリア出身でローマ法王は
地元民が相応しいと主張
イスラムらとも戦うべきというタカ派
(庵野秀明にしか見えない)
②トランブレ(カナダ)
教皇の最期の言葉を聞き
自分が教皇にふさわしいと言われた
と主張するが別からは
選挙の買収工作疑惑の
報告書をもみ消したとの噂も
③アデイエミ(ナイジェリア)
アフリカ系教皇を目指すが
かつて自身の子を身ごもった
シスターが現れスキャンダルに
④ベリーニ(アメリカ)
ローレンスとも親しい
アメリカの今っぽい
コテコテのリベラル派で
当然庵野は大嫌いだが
人気はイマイチでやる気もない
⑤ベニテス(カブール)
戦地で人道支援の場に立ち
実は教皇から枢機卿の任命を
受けていたメキシコ系の人物
滑りこみで選挙に立候補
といった候補が挙がる
ローレンスは策謀渦巻く
選挙開始の冒頭にアドリブで
「あらかじめ"決まっている事"などない」
というニュアンスの演説で
公平な投票が行うよう
釘を刺しに行くがこれが
ローレンスも教皇の座を狙っている
と受け取られてしまう・・
面白いのは間髪入れず
毎日毎日決まるまで選挙をすること
その間にスキャンダルの暴露
裏情報の錯綜
外界ではイスラム系の爆弾テロ
真実か捏造かはわからないが
全ては淡々と繰り返される
投票の票数で流動的に変わっていく
とこの「こういうものだ」という
画面の説得力
混迷する世の中をどう導くのか
そんな教会のあるべき役割を
わきまえず枢機卿達は言いたい放題
この映画は枢機卿といえど人間
タバコもやるし酒も飲む
という部分を描写します
葉巻吸う庵野はなんか笑ってしまいます
(誇張はだいぶあるでしょうけどね映画だし)
ただまあなんだかんだ密室内の
淡々とした展開で終わっていくのかと
思っていたので
終盤のまさかの展開は( ゚д゚)
となってしまいました
映画的で実にうまい
やりすぎるくらいがいい
印象的だったのはベニテスの演説
「イスラムと戦うって誰と戦うんですか?」
世の中の争いごと大体そうじゃないですか
リベラルとタカ派
キリスト教とイスラム
きのこの山とたけのこの里
思想に駆られて人間が争う
思想ったってその人間の根源的なもんじゃなく
だいたいがただのバイアスをあたかも
今自分は目覚めたかのように錯覚し
必死に争いをさせられている
だけではないでしょうか
だから他人の誹謗中傷とか平気でやる
非難されると皆やってることだと開き直る
信教以前の問題ですね
映画館で観るべき作品
そもそもローマ法王という存在にとても興味がなく知識もゼロ。そんな私があらすじも読まずにアカデミー賞ノミネート、脚色受賞ということだけで興味半分で観に行ってきた。
遅刻してしまったため私が鑑賞し始めたところはちょうどタイトルが浮き上がったところから。
タイトルは私の好きなレタリング。
そしてガヤの音がめちゃくちゃいい。
タイトルのConclaveもお恥ずかしながら初めて聞いたし、知った。ラテン語でCum(一緒に) clavis(鍵)を組み合わせて鍵と一緒に(意訳:秘密の部屋、密室)という意味だそう。
この作品は映画館で観る作品だった。
音響がとにかくいいし、単色の色合い、フィルターをかけたであろう映像。
弦楽器を主としたオーケストラがとにかくかっこよすぎたし、映画を引き立てていた。
カメラワークもとてもよく、個人的に引の映像がそのシーン独自の雰囲気を表現している様で好きでした。
正直ストーリーはほぼ会話で眠たくなる。なんならおじさん達の醜い争いもういいですと思うぐらい会話。
私自身、権力や地位に全く興味がないからその辺りは共感できずでしたが、自分じゃなくて今の日本…いや世界の政治はどうだろうと当てはめた瞬間、これって物凄く大事な選挙じゃない?と思い始めた。
むしろやっていることが日本の政治家やこの前のアメリカ大統領選と変わらないのではと。
有権者って本当に大事で、この映画こそ7月に選挙を控えている我々が観る映画なのではと思った。
また醜い争いだけでなく、最後の展開にはびっくりさせられた。
なんなら客席からも「え、○○...?」と声が漏れてる人がいた。
オチの持っていき方はノミネート作品の中では1番良かったかも。
前情報としては名前だけ覚えておくといいかもしれない。いろんな名前が出てくるのと、下の名前で読んだり苗字で呼んだりするから、えっとどなたでしたっけってなりました。
"確信"に執着せずに、疑問を持ち続けること
先日、コンクラーベが有ったので、この映画を観る良いタイミングだと思い、本作を観ました。
事前予習は不要で。サスペンス映画だと思って鑑賞すれば、楽しめます。
前半は退屈に進みますが、少しずつ伏線が張られながら、最後のどんでん返しに向けて、
中盤から展開が強まり、とても良いテンポで話が進みました。
枢機卿が集まると、どうしても同じ文化・言語同士がまとまるようですが、
最初ラテン語を話していた コンクラーベの取りまとめ役である主人公は、言語を米語に換えます。
これは、米国人枢機卿への支持を、みんなに訴えているのですが、この演出はニクイ!
ハリソンフォード似の主人公は議長の様なまとめ役なのだが、
その本人が教皇候補者のひとりであり、投票する側でもある状態は、いかがなものか?! と思うが、
これは、実ルールなので、文句は言えない。
5回目の選挙の結果が、提示されなかった。
投票後に、紙を燃やす過程を 映画の中で、見れて良かったが、紙を燃やすだけならば。。。
せいぜい 中世後半位 からの短い伝統でもある事も想像がついた。
教皇名”インノケンティウス (Innocentius)”は「無害」と言う意味だが、
過去にはインノケンティウス3世が、フランス、英国、神聖ローマ帝国国王を破門にするほど強硬な"原理主義指導者"だった。
ヨハネは。イエスの12弟子の中で最も愛された人で、"普通の保守派"のクリスチャンネーム
クリスチャンネームこそが、それぞれが目指す姿勢を示しています。
男が女よりも優れているのではなく
男女には秘密の関係が存在し、それは過去にもさかのぼる ということがあるから、重要なポジションには、1つの性に厳正している という1面もあると思います。
この映画を観たら、同じようなノリの邦画「12人のやさしい日本人(1990年)」を??見る事を勧めます。
カリカルチュア化はされているが問題点は挙げられている
いつも、宗教問題では一神教は排他的、多神教は寛容という主張がある。しかし、インドにおけるヒンドゥー原理派による他宗教排斥、日本の国家神道による他の神道系団体、仏教に対する国家的弾圧で多数の殉教者を出した事実を知らないのか、知らないふりをしているのか疑問に思う。
この映画のテーマは世界最大宗教であるカトリックの指導者、教皇を選ぶドラマである。一か所で外に出ない閉鎖的な空間での劇となっている。日本ではくじ引きが神意を占うものとされたが、欧米では選挙が神意を表すとされていることが良く分かる。
ドラマは教皇の死から始まる。教皇が死の直前にトランプレ枢機卿を馘首にして、新たに戦時下のコンゴ、イラク、アフガンで困難な仕事をしていたベニテスを枢機卿に選任していたことが分かる。
保守派デテスコは100年くらい前の教会制度を理想としている。映画ではテデスコはいかにも傲慢、尊大、俗悪な人物として描いている。
主人公ローレンスはテデスコに反発して、リベラル派のベリーニを推すが票は集まらない。ベリーニ自身は「野心はない」と言いながら、ローレンスに票が入ったのを知ると、「お前が野心家だったとは思わなかった」と詰る。
進むに連れ、第二候補のトランプレ枢機卿が教会財産を流用して他の枢機卿を買収。有力候補であるアフリカ出身のアディエミを過去の醜聞を暴いて失脚させる陰謀をしていたことを突き止める。
自分が立ち上がるしかないと決意して自身の名前を書いて投票した途端に自爆テロが起こり教会のシャッターが壊れる。まるで、天罰の様に。
テロに対して憤るテデスコ。イスラム教徒を野放しにしていたからだと革新派を非難。これは宗教戦争だ。戦わなければならないと主張。これに同意する枢機卿と反発する枢機卿たち。
そこに立ち上がるベニテス。私は初めて参加した。これを最後にしたい。あなたは戦争を知っているのか、私は数多くの死を見てきた。キリスト教徒もイスラム教徒も。戦うとは何と戦うのか。妄信者と戦うのか。違う、戦う相手はここにいる。胸を指していう。自身の信仰の揺らぎと戦うべきだと主張。ここは神の家たる教会ではない。皆、自分のことしか考えていないという。
最後の投票でシャッターが壊れた窓から入る日差し。これが象徴的だった。私はベニテスは女性なのかもと思っていた。コンゴでは性暴力を受けた女性を救うために病院を作ったという報告からの推測だった。
カトリックでは保守派と革新派の対立がある。前教皇フランチェスコは保守派だった。しかし、ミサをラテン語にしろとか主張したことはない。その前のヨハネ・パウロ二世は革新派だった。二人は対立する派の代表だが、カトリック教会の方針は大きくは変わっていない。また、欧州では退潮でアフリカでは上げ潮に乗っている。また、排斥されている女性への役割を増やそうとする試みもある。教会が抱えている問題は挙げてあるが、全て誇大に描かれいる。この映画は、あくまでも虚構の物語である。
最初から全て前教皇の思惑通りにことが進んだと最後に理解した主人公の晴れやかな顔が良かった。
映像的にも素晴らしい。全世界から枢機卿が集まるが、その一方で修道女たちも集まる。カージナルレッドと言われる赤い枢機卿に対して真っ青な服の修道女。雨の日に白い傘をさして移動する枢機卿たち。映像芸術たる映画の本領発揮といえる。これはテレビで見ても面白くない作品だと思う。
ボスへの道。。
政治、会社、病院、
おじさんが集まると、どこも、構図は権力闘争
当然
聖職者も
男だ
だからこそ
結末は皮肉
男には弱点があって
それは女
結局
実際には
男への影響を通じて
女のほうが物事を動かしているのではないか?
シスターアグネスの事も
ラストが修道女たちが歩いていくシーンだったのも
それを暗示していると思う
そして人間には弱点があって
それは情愛
ローレンツも前教皇を愛していた
「我々は理想に仕える存在であり
理想そのものではない」
このような展開となった真相の
核心部分は言葉で語られず
前教皇の愛したチェスボードと亀の表象で静かに暗示されている
この映画では
大事なことは「説明」されずに
演出で暗示される
現実的な話になるが
根本的に、男性には、「仲裁」というものが出来ないと思っている
自分が肩入れしなかった側を攻撃して叩き潰すのみ
両者の言い分をバランスよく聞き、公正な配慮ができやすいのは
女性のほうだと思う
だからある組織のボスに
男の弱点(沽券、プライド、権力欲、支配欲、縄張りとその巡回欲、子分を引き連れたい欲、格下を言いくるめたい欲、強い者には弱く弱い者には強い)が一つもなければ
その人は
女
なのだ
そんなことが
現実にもあったので
興味深く見た
観てよかった
バチカンの隔離された密室で展開する極上の政治サスペンス劇。
ゴールデンウィーク直前、平日の昼間だというのに劇場は満員だった。つい3〜4日前に教皇フランシスコの訃報が届いたことが影響しているのだろうか。
現実世界でも2013年以来のコンクラーベが行われることになるのだ。
教皇の急死の報を受け、世界中から枢機卿たちが「聖マルタの家」にやってくる。
首席枢機卿のローレンス(レイフ・ファインズ)は教皇の死に目に会えず、最後に教皇と言葉を交わしたのはトランブレ枢機卿(ジョン・リスゴー)だった。
ローレンスは次期教皇を選出するための選挙の準備に取り掛かるのだが、トランブレに対してある疑念を抱いていた…。
枢機卿は、教皇が任命した教皇に次ぐ権威の聖職者で、世界中で100人を超える枢機卿たちがそれぞれ担当教区を受け持って任務に就いているようだ。
次期教皇はこの枢機卿たちの互選によって決められる。
この映画では次期教皇の有力候補が数名存在するが、どうやら立候補や推薦はないらしい。選挙は枢機卿たちの自由投票で行われ、2/3以上の票を得た者が教皇となる。
2/3以上の得票者が出るまで投票が繰り返されるのだが、得票数上位者での決選投票という方式ではないから、場合によっては長くなる。
投票は午前と午後の2回しか行われないので次回投票までにそれなりに時間が空くから、その間に投票権者同士の会話もあれば、期間中は外界から隔離されているとはいえ職員との接触はあるので、何らかの情報がもたらされることもあり得る。そうなると、何度目かの投票で潮目が大きく変わったり、予想外のダークホースが現れることも起こり得るのではないか…というところに着目した(と、思われる)物語。
トランブレを初めとする次期教皇候補たちにはそれぞれに秘密があり、それらが次々に暴かれていくというサスペンスが密室選挙を背景に展開していく。
各人各様の秘密はカトリックへのアンチテーゼと読めなくもないが、あくまでフィクションのエンターテイメントを楽しみたい。
主人公のローレンスがいわゆる探偵役なのだが、そのローレンス自身は教皇になりたいとは思っていない素振りで、この選挙を滞りなく終わらせることに注力する姿勢を示す。
たがその実、彼こそが教皇の座を虎視眈々と狙っているのではないかと私には感じられた。そこがこのサスペンスの巧妙なところかもしれない。
ローレンスが探るでもなく見つけていく各種の証拠は、前教皇が計算ずくで仕掛けておいたようにも思える。それに操られるようにローレンスは捜査させられていたのかもしれない。ローレンスをこの選挙を主導する立場の首席枢機卿に指名したのも前教皇なのだから。
そして、本当は自分が次期教皇にふさわしいと心の底では思っていた(だろう)ローレンスのその道を閉ざしたのも、前教皇の計算だったと考えると面白い。
ローレンスはインターセックスを罪だと考えていたように保守的な面を持っており、前教皇は彼を人物として評価しつつも自身の革新的な思想との隔たりを感じていたのではないだろうか。
そうなると、シスター・アグネス(イザベラ・ロッセリーニ)もその協力者だったに違いない。
映画の冒頭から、カメラはしばしばローレンスの後ろ姿(背中・後頭部)を追う。
そして、台詞がない場面でローレンスの鼻の呼吸音と、赤基調の大仰な祭服の衣擦れ音を必要以上に拾っている。
苦悩するローレンス、思考を巡らすローレンス、行動するローレンスを密着して見せるこの手法が意味深長で、彼の怪しさを示しているように私は感じた。
システィーナ礼拝堂とマルタの家はチネチッタに建てたセットだとのこと。
教皇の居室があり、バチカンに滞在する枢機卿たちの宿泊所にもなるマルタの家の内部は、実際はどうなのか知らないが、現代の技術でセキュリティが施されている様子。教皇の死後にその居室が封印されるのは事実らしい。
映画の結末はある種どんでん返しだと言える。
そもそもローレンスは信仰に迷いを感じていた。そんな彼に、前教皇は強烈なメッセージを送ったともとれる。
どうやら、枢機卿たちが「教皇になりたい」と口にすることはないらしく、誰を次期教皇に推すかという話を互いにするだけだとか。そんな枢機卿たちの話題の中で有力候補が浮かび上がってくるのだろう。
でも、ちゃんと自分の教皇名は決めているという。だから、選ばれれば直ぐに教皇名が決まるのだ。
以下、2025/5/10追記**********
2025年のコククラーベは、2日目(4回目の投票)でレオ14世を新教皇に選出した。初のアメリカ出身の教皇だそうだ。
選挙前のバチカンで、枢機卿たちがアイドルのように市民から握手を求められたり、写真に納まったりしていたのには、驚いた。
この選挙に際しても、映画のように有力候補者の名前が挙がっていて、なるほどこうなるのかと感心した次第。
勉強になった
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