教皇選挙のレビュー・感想・評価
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うっとりする映画
飛行機の機内で観ました。
バチカン内部という、ミステリアスで非日常の世界を生々しく描いた作品は珍しくて、とても貴重!
レイフ・ファインズ(グランドブダペストホテル、ザ・メニューetc.)が主演なのが個人的に嬉しかった。
その他、名だたるオジサマ俳優達がバチカンの聖職者として登場するので、とても画力があり、映画の迫力が凄かった。
ストーリーが難しくて、鑑賞するには宗教的知識が必要なのかと思いきや、描いてるものは案外普遍的な問題で、話自体はシンプルだった。万人にお勧めしやすい映画だと思う。
(新教皇が決まったら白い煙を打ち上げ、まだ決まらなかったら黒い煙を上げるということは知っておくといいかも)
この映画はとにかく「かっこいい」。出演者、舞台セット、音楽、撮り方すべてが素敵で、
見惚れながら鑑賞していた。
また観たいし、アマプラとかで購入オプションがあったら購入して、家のテレビに流し見用に映しておきたいくらい。
謎のタバコ喫煙ポイ捨てシーンは何の表象なのか?
始まってすぐ、複数の枢機卿が広場で固まって喫煙している。その後、その場の大量のタバコのポイ捨て散乱シーンが出てくる。カトリック聖職者たちのマナーの悪さ、不道徳性を告発しているのか?それともカトリックの歪んだ寛容性を表現したかったのか?または、昨今の厳しい喫煙規制への当てつけなのか?その後も随所に高位聖職者たちの喫煙シーンが出てくる。概して彼らは携帯灰皿様のものは所持していない。おそらく喫煙後はポイ捨てするのだろう。バチカンの聖域はタバコの吸い殻だらけなのか。こんなこと実際にあるのだろうか。謹厳な特に英米のプロテスタント諸派から見たら、確かにカトリックはユルユルでダラシがない様に見える。事実プロテスタント末端信者の自分もそう言うイメージを持っている。製作者はアンチカトリックなのかと思うのは穿った見方なのか、、、
余分な台詞、余分な場面一切なし
すべてがこの映画を構成するのに必要なパーツ。
これはコンクラーベで表現した世界の現在地。
惜しむらくは自分はキリスト教徒ではないので
おそらく比喩で表されたすべてを読み取ることができなかったであろうこと。
良作でした。
後半の展開は予想を裏切る
枢機卿たちのドロドロとした権力闘争は、どの世界でも綺麗ごとでは済まされない。
前半はややもっさりとした展開が続くが、システィーナ礼拝堂での爆発をきっかけに物語が一気に動き出す。そして、観客が「この人が選ばれるのでは?」と思った人物が新教皇に選出される。物語はそこで終わるかと思いきや、まさかの秘密が明かされ、衝撃のラストを迎える。
先週『エミリオ・ペレス』を観たばかりだっただけに、対照的なこの二本の映画に、今の時代を映し出すものを感じた。
A288 突然の×× あーびっくりしたあ
2025年公開
M、どうしたんですか?
今度MI6の親会社がアマゾンになるやろ。
今度こそ007コードに女性の黒人がなるやん。
ジェームズボンドはイギリス人がなるべきなのに
こんなんやってられんわ。
わたしゃ引退して牧師になるわ。
数年後いつのまにか枢機卿にまでなったMは
ローマ法王の急逝に伴う次期法王選挙の管理人になる。
なんやねん、これ、めっちゃドロドロしてるやん。
シスターに手ぇ出す奴や
カネで買収する奴や
いろいろ面倒くさいなぁ。
ボンド!早よ解決してこい、で済んだ昔が懐かしい。
まあ世の中も変わってきたし
伝統がぶっ壊れていくのも仕方ないか。
まさか法王が女性になることはないやろうし
今風を唱えながら無難に進めたらええか。
新しい法王はイノセンスですか。
まーイタリア人ではなかったが
黒人さんにならんかったし
ギリギリ伝統を守れたかな。
ある程度落ち着くところに落ち着いた。
よかったよかった。
俺の多様性を意識した根回しも悪くないよね。
M、ちょっとお話が
あいつ「あばしり菊の助」風ですぜ。
なんですとー
アノーラなんかより
オスカーを獲るなら絶対コッチと思いましたね。
75点
鑑賞 MOVIX京都
配給 キノフィルムズ
見事な赤の戦慄と隔絶された漆黒の闇、そして天から放たれた白煙に神の姿を感じた!
我々、人と言うものは永遠なる俗世を生きている。
どれほど神に近い言葉を述べ様とも
どれだけ善の行いをしようとて、
決して神には成れないし、
足元にすら遠く及ばない存在なのだ。私は常に自心へ戒めている。
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「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。それは、御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠の命を得るためである。」
-------ヨハネ3章16節-----
今日は、「教皇選挙」の鑑賞ですね。
カトリック教会のトップに君臨するローマ教皇死去に伴って執り行われる
教皇選出選挙(Conclave・コンクラーヴェ)の内幕に迫った話展開。
今まで幾度となくキリスト教題材の映画は多くあったが、これ程深い感銘を受けた作品は他には無かった様に思います。
大変格式があり、重厚でかつ厳格な思いを受けました。
過去、宗教映画ではトラブル発生が多く 一歩間違えるとデモや裁判が起こり
作品が窮地に陥る事がありました。
アジア圏(日本等)では仏教や無信仰者が多いので この作品を最後まで観て
過剰評価する人が多いと思われますが、実際世界では色々と問題視されてしまう事態も少なくないでしょう。(”パッション”、”最後の誘惑”、””ダ・ヴィンチ・コード”など)そう言った点で本作は最優秀作品には選ばれなかったのかも知れません。
とにかく素晴らしかったです。
最後の最後まで 結果がどうなる事かと・・・
コンクラーヴェを執り行う主人公(ロ-レンス)。亡くなった教皇から使命を受けていて 次々起こる周囲の疑惑、疑念。
これらを一つづつ払拭していく彼。そこは強い信念と ”確信” が無ければ出来なかったであろうと感じ取れます。
-------素晴らしい俳優陣----
トマス・ローレンス枢機卿役:レイフ・ファインズさん
アルド・ベリーニ枢機卿役:スタンリー・トゥッチさん
トランブレ枢機卿役:ジョン・リスゴーさん
テデスコ枢機卿役:セルジオ・カステリットさん
アデイエミ枢機卿役:ルシアン・ムサマティさん
ベニテス枢機卿役:カルロス・ディエスさん
シスター・アグネス役:イザベラ・ロッセリーニさん
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(良かったポイント)
・深い疑念、悩みに陥ったとき 一度だけベットに横たわる 教皇のお姿が彼の目の前に一瞬映ります。
この場面、ハッとさせますが 教皇の笑顔がそこにあり、それにより彼の心を
迷うこと無く真成る道へ誘っているのが分かります。
この思いが 観ている方にも伝わってきます。
・教皇部屋侵入:(手紙)
場内108人もの枢機卿への疑惑資料の配布。自ら禁断の部屋へ勝手に入ったこと。部屋全体に轟く驚きと批難の声。
その時にシスター・アグネスが発する言葉が場内を一瞬で静まり納めます。
何故彼がそれをしたのか・・・その行動の意味を知らなくては成りません。
ここの一節は脚本:黒沢さんの”雨あがる”の作品にも 同じ様に感じる所があります。何をしたかでは無く、何の為にしたかを知らなくてはいけないのです。
・爆破と白煙
ローレンスが票を投じたときの場内右上採光窓が自爆テロの爆発の影響で割れて
会場に白煙が全体に舞ったとき。
この一瞬の中に私は何かを画面の中に感じました。
この場面を神の怒りと捉えられる方は多いと思うのですが、これはロ-レンスの迷う過ち”確信”を神が戒めているのだと感じました。
と同時にこの場内で執り行われているコンクラ-ベ自体(枢機卿等へ)への
過ちを指摘しているのだと感じます。
・ベニテス枢機卿の最後の言葉:
今回初めて枢機卿として認められそして招かれ、選挙に参加した人物。
彼の発する言葉一つ一つに ハッと我の心の奥底を覗かれてしまっている事に気付かされます。教皇の持つ絶対的な意味を全員が再認識をした瞬間でしょうか。
そして 漸く投票の結果が導き出されます。
そして、ローレンスの役目に平穏が戻ったと思ったら
最後に、本当に最後に神が投げかける問いがそこにありました。
それは 最初にこの場に集まった者達が口にした事。
”女性では無いこと”・・・ それでした。
性別とは何か?
その真意を神は既に皆に対して見据えておらていたのだと感じました。
・・・・ 深い沈黙と、そして人の願いとしての諦めが漂います。
そこに私達は俗世に生きる人で有る姿を 見たと思います。
~ そっとローレンスが窓の外を見るとき、
三人の修道女が下の建物から出て行く姿があり、あの騒がしかったコンクラ-ベは過ぎ去った事を告げていました。~
ご興味御座います方は
今のうちに
是非劇場へどうぞ!!
高校の時の世界史の授業で初めて聞いた言葉『コンクラーベ』
その何たるかをまさかこんな長い年月を経て垣間見る日が来ようとは当時のあたしには全く予想だにしてなかったなー。
冒頭で現ローマ教皇が亡くなり、120分かけて次期教皇を決めるという至ってシンプルな内容とは真逆で『夜の外側』でも感じたけどイタリアを舞台にした宗教や政治的な映画ってどうしてこんなにも重厚感満載になるのか。建物荘厳ドーン!同じ服着たおじいちゃんバーン!音楽どっしりズーン!みたいな。
不協和音の繰り返しで不穏さ、気味の悪さだけでなく気色悪い感じまで与えてくるあの音の魔術師感。
この一つの命題で120分も退屈させずに場をもたせられるのかしら?と正直不安だったけどそんなの杞憂でございました。全然飽きることなく最後の最後まで楽しめました💜
(余談)
気になってのが2点。
●作中は重苦しい音楽や音で緊張感満載だったのにエンドロールがライト過ぎやしなかった??
●今回初めて目にした渡邉貴子さんの翻訳はとても良かったと思ったけど、途中字幕で使われていた『本腰を入れる』の表現。諸説あるようだけど語源がSEX由来という説があるためNHKでは放送禁止の用語にされてるとか。NHKで禁止でも翻訳する上では問題ないのかしら??
優れたフィクション
知らない世界が覗けた感じ
どこまで事実に迫っているかはわかりませんが、少しは似かよっている部分もあると思いながら興味深く見ていました。しかし、登場人物の区別がつかず名前も覚えれず、前半眠くなりました。でも、背景や部屋の明暗の美しさにみとれて、又音楽も素晴らしく、最後は大満足でした。でも、ラストはピンときません。今どきといえば今どき…安易なラストで少しがっかり。
終盤には声が出てしまいそうになるほどの驚きも待ち受けています。(本当にびっくりします)
国際長編映画賞ほか4部門を受賞した「西部戦線異状なし」のエドワード・ベルガー監督が、ローマ教皇選挙の舞台裏と内幕に迫ったミステリー。第95回アカデミー賞において作品賞含む8部門にノミネートされ、ピーター・ストローハンが脚色賞を受賞しています。
●ストーリー
全世界14億人以上の信徒を誇るキリスト教最大の教派・カトリック教会。その最高指導者で、バチカン市国の元首であるローマ教皇が心臓発作のため突如として急死します。バチカンでは「神の代理人」とされる教皇の座(使徒座)空位が生じてから20日を過ぎないうちに次の教皇を80歳未満の枢機卿の中から選挙で選出する規定があります。悲しみに暮れる暇もなく、首席枢機卿のローレンス(レイフ・ファインズ)が新教皇を決める教皇選挙「コンクラーベ」を仕切ることになります。
ローレンスは全世界の教区から100人を超える候補者となる枢機卿を招集。彼らは宿泊施設でもある「聖マルタの家」に集まります。世俗の権力、マスコミの影響、テロ攻撃などから防御するため戒厳令が敷かれ、教皇選挙中は外部と接触できないよう隔離状態になったのです。
こうしてシスティーナ礼拝堂の閉ざされた扉の向こうで極秘の投票がスタートします。そのなかで、教会内部ではくせ者が暗躍し、各枢機卿の投票の行方は混沌としていました。
100人以上の枢機卿がコンクラーヴェが行われるシスティーナ礼拝堂に集まる中、有力候補者として、この4人が浮上します。
・アメリカ出身でバチカン教区所属、リベラル派最先鋒のベリーニ枢機卿(スタンリー・トゥッチ)
・カナダ・モントリオール教区所属、穏健保守派で野心家のトランブレ枢機卿(ジョン・リスゴー)
・ナイジェリア教区所属、初のアフリカ系教皇の座を狙うアデイエミ枢機卿(ルシアン・ムサマティ)
・イタリア・ベネチア教区所属、極右の保守派にして伝統主義者のテデスコ枢機卿(セルジオ・カステリット)
以上の名が取り沙汰される中、メキシコ出身で昨年に前教皇によって新たに任命されたばかりのアフガニスタン・カブール教区のベニテス枢機卿(カルロス・ディエス)が開始直前に到着します。
リベラル派か保守派か、初のアフリカ系か紛争地から来た男か。性的スキャンダルや買収があらわとなり、枢機卿団の票が割れていく水面下では陰謀や差別、スキャンダルの数々が蠢めいていたのです。
亡き教皇の方針を引き継ぐ教会改革派の先鋒でローレンスと親しいベリーニは、最有力候補で保守派テデスコの当選を阻もうと懸命でした。しかし投票ごとに流れが変わり、トランブレや初のアフリカ系教皇の座をうかがうアデイエミが浮上、伏兵ベニテスも票を伸ばします。
候補者のスキャンダルが暴かれたり疑念をささやく噂が噴出するなかで、公正な選挙管理を全うしたいローレンスは、それらに苦悩を深めつつもコンクラーヴェを執行していきます。けれども彼はバチカンを震撼させるある秘密を知ることとなり、新教皇選出を目前とする中、厳戒態勢が敷かれたバチカンを揺るがす大事件が勃発します。
●解説
選挙会場は、天井にミケランジェロ「最後の審判」を飾るシスティーナ礼拝堂。映像は伝統的儀式を無言で映し出すだけ。3分の2の票数を得た枢機卿が教皇になるまで、コンクラーベと呼ばれる選挙は続きます。ネL拝堂の煙突から白い煙が上がれば決定の合図。黒煙だと未決定。そこに至るまでの激論、陰謀が主題です。ラテン語が共通言語であったのは昔の事。今は種々な言葉が飛ぴ交います。同じ言葉だから味方とは限りません。リベラルと保守に分裂するピラミッド型階級社会は男の戦場です。女であるシスター・アグネス(イサベラ・ロッセリーニ)には、何の権限もないが、目と耳は持っていて、選挙に帰趨に関わる重要な証言を行います。
外からはうかがい知れないその内幕を描いていますが、リアリズムで教会や宗教を真剣に考えるというより、未知の世界を舞台とした娯楽ミステリーといえるでしょう。聖職者らしからぬ、欲と野望にまみれた俗物たちの、権謀術策渦巻くドラマです。
激しく足を引っ張り合う教皇選びの展開は、宗教ものというより選挙映画。いかにも人間くさい争いと荘厳な宗教施設の取り合わせは「ダ・ヴィンチ・コード」などに通じますが、美学的な完成度でははるかに上回ります。
保守とリベラルが対立する様を見ながら、バチカンを世界の縮図のように感じる観客も多いのではないでしょうか。次から次へと問題が発生し「ローレンス枢機卿、お疲れさまです」と言いたくなりました。終盤には声が出てしまいそうになるほどの驚きも待ち受けています。(本当にびっくりします)
信仰の揺らぎに悩みつつ、教会の未来も案ずるローレンスをファインズが好演してドラマの芯となり、結果は最後の最後まで分かのません。映像の見事さもあいまって、思わず引き込まれることでしょう。
ただ、ここまでリアルな映像ならと、現代における信仰とかカトリック教会の存在意義とか、あるいは男性支配社会といったテーマの掘り下げも期待したくなりますが、こちらはドラマを推進する燃料程度。神様が見たらがっかりするかもしれませんが、俗物たるこちらはたっぷり楽しめます(^^ゞ
ところで、病気療養中の現ローマ教皇フランシスコはアルゼンチン生まれで、教皇としては初の南米出身者。現教皇の病状が報道される最中、投げ掛けられたテーマは深いと思います。
作中、一歩引いた立場から争いを見つめ、終盤でスポットライトが当たるペニテスもメキシコ人という設定です。最後に枢機卿たちの目を覚ます彼の言葉は、教会のみならず世界中の人々が進むべき道を照らしているようでした。
「皆さまは、戦争の悲惨さについて語られる。だが戦争を体験してはおられない」。戦火が収まらないかの地で、布教を続けてきた彼ならではの発言でした。
●感想
エドワード・ベルガー監督の演出力、撮影、美術、衣装などのスタッフの精緻な仕事が素晴らしかったです。コンクラーベの舞台の荘厳さ、厳粛さが伝わってきました。
枢機卿団の宿舎と食堂、投票会場のシスティーナ礼拝堂に舞台を限定した映像世界には異様な閉塞感が漂っています。少数の登場人物たちが密談を交わすシーンのクローズアップ、緋色の法衣を視覚的に際立たせたロングショット。あらゆる場面が計算し尽くされ、思わぬスキャンダルや陰謀の発覚によって選挙戦の行方が二転三転する脚本は、サスペンス映画のお手本のよう。まれに見る完成度の高さではないかと感じました。最後の瞬間までスリリングなミステリーを撮った監督の手腕に拍手。
特に選挙会場のシスティーナ礼拝堂に居並ぶ枢機卿の深紅の法衣が印象的です。「本物はもっと明るい赤だが少し安っぽい。映画では深紅にすることで権威を示すと同時に、着る者を押し潰すような重さを出した」と エドワード監督は述べています。
●親鸞信奉者として、ひと言
神の御心を祈り求める言葉を唱える教皇選挙で、人間のエゴや権力への執着に人間の弱さを露呈する展開。枢機卿たちは善人の手本のような人たちでしょう。けれども本作ではその心の中にある凡人さが暴かれるのです。まさに「悪人正機説」を絵にしたような展開でした。
ローレンスは、この凡人さに警鐘を鳴らします。コンクラーべの挨拶として、スピーチに立ち、突然用意した原稿を投げ捨て、私心を語り始めたのです。
ローレンスが警戒することとして、権力者が「確信」を持つことであるとしました。「確信」を持つことことで、多様な考え方が排斥されて、不寛容になることを警戒したのです。前教皇は、この「寛容」さとても大切にしていたのです。ローレンスはその意志をついで、スピーチで次の教皇になるべき人物は、「疑惑」を持てと語ったのです。権力者が自らの不見識に「疑惑」を持たず、「確信」を持って発言すれば、自ずと多様な考え方を否定する不寛容に陥ります。このことをローレンスは、聖書からパウロの発言を頼りに、居並ぶ枢機卿に教示したのでした。
これは信仰者に「信仰とは何か」との問いかけているようで動揺させられます。そして予想を超える結末は、現代への神仏の御心の現れとして作品が提示するクリスチャン及びあらゆる信仰を持つ者への本質的な問いかけともいえるでしょう。真摯な問い掛けとして受け止めるべき作品といえます。
ローレンスの語る自らの信仰への疑念の言葉は、不安な今の時代に、私たち、ひとり、ひとりの、胸を敲くのではないでしょうか?
ポリティカルなフィクションなんだ。
昨今の流行だと、実話映画化っぽく見えるけれど、これは完全なフィクション。そもそもコンクラーベの裏側なんて、そうそうわかるわけないじゃん。なので、映画はVFXを多用して、あたかも観客がのぞき見できるように、世界を作り上げている。これがもう本当に面白くて。映画なんてどうせ嘘なんだから、どれだけうまく嘘ついてくれるかが肝心なのだ。
この映画は最後まで面白さが途切れないので、見事にハメられたわけで。
香ばしいベテランじじい(ばばあ)らの素晴らしいアンサンブルに感服。
本当に上質なミステリー
ミステリーとは?
「次期ローマ教皇をめぐる極上のミステリーが、その禁を解く」というのがこの映画の宣伝文句である。が、最初に言っておくと「ミステリー」でもなければ「禁」も解いてないし、言わずもがな「極上」でもない。
まず、ミステリー要素が薄すぎる。確かに、有力候補が失脚していく流れのなかに、陰謀めいたものはある。しかし、それも「ライバルの性的スキャンダルの相手をコンクラーベに送り込んだ」というセコいもの。しかも、陰謀要素はこれ1回きりである。これでミステリーなどと胸を張れるのだろうか、と首を傾げたくなる。
そして、展開があまりに大雑把だ。有力候補が消えていき、残るは主人公一派と保守派となる。熾烈な争いが描かれると思いきや、教皇に選ばれたのは見せ場のあまりなかった謎の枢機卿!しかもそのきっかけは「争いはよくないものです(要約)」との言葉のみ。これ一発で教皇選挙を制するのである。そしてその後、実は女性だったことが発覚。もう一波乱あるか…と期待させつつそのまま映画はエンドロールへ突入…。
はっきりいって、超展開としか表現できない。しかも前述の陰謀もどきで2人の有力候補が消えるまで、上映時間の半分以上を費やしているにも関わらず、である。あまりにストーリーラインが乱暴だと言わざるを得ない。「教皇選挙の禁を解く!」などど言うからにはコンクラーベの闇や深淵に迫れると思いきや、この体たらくである。
その他、いきなり第一回選挙で黒人枢機卿がトップに何の違和感もなく躍り出たり(現教皇であるフランシスコが初の南米出身!と騒がれたことを鑑みれば、あまりに非現実的なことがわかるだろう)、建物外の自爆テロで教会の壁のおかしなところが壊れるなど、違和感を覚える部分も多々あるが、上述の問題点と比べれば些末なものである。
このように、この映画が「極上のミステリー」などではないことは明白だ。であれば、何をしたかったのだろうか。考えるに、「教皇選挙」は舞台仕掛けに過ぎず、作中で繰り返される「多様性」や「進歩」を訴えたかったのだろう。言い換えれば、制作陣の思想が第一であって、カトリックという宗教はそれをミステリもどきに見せるおもちゃにされたのではないか、と邪推せずにはいられない。
他方、ネット上ではこの映画を評価する声もある。しかし、それは「教皇選挙」というよく知らない宗教の未知の儀式を見たから面白く見えるだけであって、それは某スペイン村に行ってはしゃぐ子どもの反応と大差ない。あるいは、この映画の露骨すぎるメッセージに共感する人は、内容ではなくイデオロギーでもって評価するだろう。いずれにせよ、「物語」として評価の俎上に上がるものではない。なお、登場人物の演技やカット等、単なる映像作品としては光るものがあったことを申し添える。
想像していた通りの展開。だが最後の落ちはいただけない。あざとらしい。
同時代的バチカンの、その先。
フランシスコ教皇がカトリック界隈に起こしたさざなみ。その現実の背景を踏襲した、本作品。ベールに包まれたコンクラーベの覗き見趣味的な好奇心や、枢機卿同士の票の読み合いを通じた神に仕えるものの人間臭さに、相応のエンタメ性がある。特にローレンス枢機卿が疑惑をもとに有力候補を潰すにも関わらず、盲点を突いて、いとも容易くガラスの天井を打ち破る痛快さは必見。
多様性を受け入れるべきという強いメッセージを感じる映画
教皇選挙の裏側がこんなに揉めるとは思わなかった。陰謀、権力欲の発露、多様性の否定。人々を救済するはず存在である聖なる宗教のトップのあり方は、救済からは程遠い汚さだ。同時に、綺麗事だけでは済まないリアルな人間の世界が、この汚さに表現されている。
終盤では、自身も複雑な秘密を抱える枢機卿が持論を語る。世の中敵も味方も無い。戦うべき敵は自分の心にあると。そんな彼が教皇に選出されたことが、世の中の問題を受け止めた上で、それでも宗教は忍耐強く多様な人々を受け入れるべきという、強いメッセージを感じる映画だった。それはドロドロとした教皇選挙を浄化するようなメッセージだった。
舞台が教皇選挙だから絵面は地味なのに、どの世界でも変わらない人間の良い面悪い面をリアリティ高く描いていたり、枢機卿同士の駆け引きなどもあって面白い映画だった。
全583件中、261~280件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
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