「保守派もリベラル派の間の存在」教皇選挙 りょうたさんの映画レビュー(感想・評価)
保守派もリベラル派の間の存在
観賞後の感じたことは「今の時代に求められる教皇像を見せてもらった」であろうか。
本作は中盤にかけて有力候補者のスキャンダルの痕跡を選挙を取り仕切る枢機卿が事実関係を調べて当人に選挙戦から降りることを説得していくことで話が進んでいく。このままだと消極的選択で教皇が決まるのかなと思った矢先にテロが発生して司教が詰めている建物が破損するという事件が起きクライマックスに突入する。
皆が集まるなかでゴリゴリの保守派の候補者がいう。「これはリベラルが進めてきた取り組みの結果だ。我々は戦わなければならない」
近年、ヨーロッパで勢い付いている思想だ。これに対して別の候補者がいう。「戦うべきなのは内なる憎しみではないのか」
とてもいい。どんな仕打ちを受けても相手を愛する心こそキリスト教の大事にするもののはずだ。正直、これでリベラル派に決まりかなと思う瞬間だった。だが、本作はこれで話が終わらない。当選後に保守派やリベラル派に属さない存在であることが語られる。伏線は選挙中に行われた枢機卿の説教にあった。「これからは確信に疑いを持つ必要がある」
自身の信念に囚われてしまうと別の確信を持つ人を敵と見なして争いがなくならないということだ。新教皇はこの時の言葉を引いて「確信の間を知る存在として私は最適ではないか」と衝撃的な告白に続けて語られる。
そうか、保守とかリベラルといったラベルを貼って議論を分かりやすくしてはいけないのだ。あらゆる物事はグラデーションで出てていて、その時の状況に応じて悩み苦しみながら決めていかなければならないのだ。まさに今の時代に求められる教皇像を見たような気がした。
ラストシーンもなかなか印象深い。中庭にいる亀を池に戻すシーンで終る。その場では何を意味しているか分からなかったので後で調べたところ「忍耐」というキーワードを見つけることができた。この複雑な現代において教会も保守とリベラルという分かりやすい対立軸に染まりそうであったが、新教皇の誕生により忍耐強く最適解を模索する精神を取り戻したことが表現されていたように感じた。
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