「荘厳な雰囲気と名優達の共演によるアンサンブル」教皇選挙 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
荘厳な雰囲気と名優達の共演によるアンサンブル
【イントロダクション】
ロバート・ハリスによる同名ミステリー小説の映画化。
全世界で14億人以上と言われるキリスト教の教派・カトリック教会。その最高指導者であるローマ教皇の逝去により、空座となった教皇の座を巡る“教皇選挙(conclave)”が執り行われる事になる。世界中から100人を超える候補者が集まり、閉ざされたシスティーナ礼拝堂で極秘の投票が始まった。
選挙を執り仕切るローレンス首席枢機卿役に『キングスマン:ファースト・エージェント』(2020)、『ザ・メニュー』(2022)のレイフ・ファインズ。監督は、Netflix『西部戦線異常なし』(2022)のエドワード・ベルガー。脚本に『裏切りのサーカス』(2011)のピーター・ストローハン。第97回アカデミー賞、脚色賞受賞。
【ストーリー】
ローマ教皇が心臓発作により急逝した。自らの信仰に疑問を抱えている首席枢機卿ローレンス(レイフ・ファインズ)は、生前の教皇に辞任を申し出るも却下されており、彼の急逝により次期教皇を選出する教皇選挙〈コンクラーベ〉の指揮を執る事となった。
世界各国から100人を超える枢機卿がバチカンのシスティーナ礼拝堂に集結する。その中には、前教皇と親交のあったベリーニ(スタンリー・トゥッチ)、ナイジェリア人のアデイエミ(ルシアン・ムサマティ)、前教皇との間に諍いを抱えていた保守派のトランブレ(ジョン・リスゴー)、伝統主義の保守派であり野心家のテデスコ(セルジオ・カステリット)らの有力候補が居た。
選挙の行われる礼拝堂は勿論、枢機卿たちが宿泊する聖マルタの家までもが厳重な隔離状態に置かれ、外部と連絡を取れないよう通信機器までもが預けられる。
前教皇の死を嘆く暇すら与えられず、コンクラーベの準備に奔走するローレンスの前に、参加者リストに載っていない枢機卿が現れる。アフガニスタンのカブール教区からやって来たベニテス(カルロス・ディエス)は、前教皇が秘密裏に任命した人物だった。
選挙の開会宣言にて、ローレンスは“確信”こそ最も恐れるべき罪であり、信仰は“疑念”と共に歩むものだと説く。
いよいよ選挙が始まり、初日は有力候補らが大混戦を極める。必要得票数である72票を集める候補者が現れなかった為、選挙は2日目へと持ち越される。
やがて、ローレンスは各候補者たちへの疑念を持ち、それぞれの候補者が抱える秘密を明らかにしていくことになる。
権力への野心、それぞれの抱える信仰、様々な思惑と共に、コンクラーベは前代未聞の様相を呈していく。
【感想】
カトリック教会を扱ってはいるが、作中に登場する固有ワードの意味は会話の内容から推察出来るようになっており、キリスト教に明るくない人でも問題なく楽しめる作りとなっている。疑念が真実を明るみにしていく過程も順序立てて見せてくれるので、観客に対して非常にフェアな作品とも言える。
教皇選挙という一つの“選挙”を通して描かれているのは、教皇という強大な立場を前にして浮き彫りとなる人間のエゴと野心、そして罪(秘密)である。この普遍的なテーマ設定があるからこそ、本作は観る者を引き込み離さないのだろう。
ローレンスの選挙前演説で語られる内容は、そのまま本作が辿り着く結末を端的に言い表しており、秀逸な台詞だった。
「私が最も恐れる罪は“確信”だ」
「信仰は生き物だ。“疑念”と共に歩むべきだ」
この考え方の通り、彼は候補者たちへ常に疑念を向け、彼らの抱える過去の罪を暴いていく。
冒頭でベリーニが語ったように、前教皇が「常に8手先を読む」人だったのならば、ローレンスがコンクラーベの責任者となるように、彼の辞任を却下した事も頷ける。そして、彼はまさしく“疑念”を胸に、それぞれの有力候補者の罪(秘密)を暴いていく。
当選すれば初のアフリカ系教皇となるアデイエミは、30歳の頃に19歳のシスターと性交経験があり、彼女との間に子供を儲けていた事が明かされる。婚姻や性交の許されないカトリックの枢機卿にとって、それは許されない罪である。たちまち、彼は候補者の座から転落する。
前教皇との間に諍いを抱えていたトランブレは、教皇の死の直前に彼から解任を言い渡されていた。その理由は、彼が他の枢機卿を買収し、選挙の際の票を買い取っていたというものだった。また、アデイエミを失脚させる為、彼が関係を持っていたシスターを呼び寄せたのもトランブレだった。シスター・アグネスの告発もあって、トランブレの当選も無くなった。
前教皇と親交があり、権力に興味を持たず、変革を受け入れる姿勢を見せていたベリーニすら、国務庁から買収されていたという秘密を抱えていた。また、野心を持たず、「教皇はまともな人間のする仕事ではない」とすら語っていた彼だが、テデスコの当選を阻む為の話し合いの場では、「教皇庁では、もっと女性にも活躍してほしい」と、まるで自分が当選した際の理想を語っているかのようであった。教皇の座に興味がないと言いつつ、自身の得票数が他の候補者より少ない事、ローレンスに数票が集まった事により、ローレンスの野心を疑う。その裏には、同時に彼に対する嫉妬心すら窺わせる。
結果的に、彼はレースの上位に躍り出る事はなかったが。
強烈な伝統主義の保守派であり、野心家としての面も隠さないテデスコは、ローレンス達の前に立ち塞がる強敵としての存在感を放っていた。ベリーニの話によると、彼は前教皇に対する不誠実な対応や情報漏洩と、数多くの問題も起こしてきた様子。
そんな彼らは、どこまでも「人間」なのだ。
それは、作中に登場する台詞にも表れている。
「我々は理想に仕える身だ。理想そのものではない」
神に仕える身ではあるが、それぞれが野心やエゴという「弱さ」を抱えている。そして、それが故に彼らは対立する。終盤で問題になるイスラム教との宗教戦争の兆しを前に、テデスコは「脅威はすぐそこまで迫っている」と説くが、その脅威は、外部からだけとは限らず、寧ろ内部にこそ強く存在しているのだ。
そんなエゴと我欲に取り憑かれながら選挙を進める枢機卿たちに、実際に戦地で説いてきたベニテスが問いかける。
「本当の戦争をご存知か?」と。そして、彼は候補者達の醜い争いを「くだらない」と一蹴する。
最終的に、最も清く正しく信仰を掲げるベニテスが新教皇の座に就く。しかし、そこにもある重大な秘密が隠されていた。
全編通して描かれる、荘厳で美しい雰囲気。外部との接触を絶たれた環境下で渦巻く陰謀と疑念。これぞ「映画」。「古き良き映画」だろう。
また、フォルカー・バーテルマンによる、静かながらも確実な「不穏さ」を感じさせる音楽も秀逸。
しかし、「古き良き映画」とは同時に、新鮮さに欠けるとも言える。前述した作品としてのフェア精神も、それが故にラスト5分以外には驚きに欠け、大方こちらの予想通りの真相には、若干の肩透かしを食らいもした。
これは、私が本作の前評判の高さやアカデミー賞・脚色賞受賞という箔、“ミステリー要素”という部分に過剰な期待を寄せてしまったが故でもあるのだが。
「教皇は本当に、ただの心臓発作だったのか?」
「密かに外部と連絡を取る手段を確保している枢機卿が居るのではないか?」
「礼拝堂の外で起きるテロ事件は、誰かが教皇の座を狙うが故の自作自演ではないか?」
「そもそも、ローレンスは本当に教皇の座に興味はないのか?」
こうした様々な“疑念”が、鑑賞中絶えず私の中を巡り、それを上回る衝撃を期待してしまったが故なのだ。また、探偵役となるローレンスもまた外部の情報を不必要に仕入れるわけにはいかない立場故に、自身が抱いた疑念は部下が調査して報告するという流れだったのも、探偵役と共に謎を追うというミステリーの面白さを損なってしまっていたように思う。
【観る者を鮮やかに裏切る、衝撃のラスト5分】
ネットで“ネタバレ厳禁‼︎”と言われていた全てが、このラスト5分に詰まっている。
混戦を極めた野心と疑念渦巻くコンクラーベを乗り越え、晴れて新教皇となったベニテス。
だが、彼はインターセックスであり、男性の肉体ながら子宮と卵巣を持つという特異体質だった。この驚愕のラストを当てられた人は居るのだろうか?私自身、これまで様々な物語に触れてきた故、そうそうの事では驚かないという自信があったのだが、このラストにだけは素直に驚かされた。天晴れとしか言いようがない。
因みに、話し合いに訪れたローレンス相手に、ベニテスが「(スイスへの旅行の目的は)子宮と卵巣の摘出手術を受けるはずでした」と語り出した瞬間は、“未だ女性の権利が弱いカトリック教会において、性転換手術による『史上初の女性教皇(女教皇ヨハンナの実現)』という男性優位社会への反逆”かとも思った。
しかし、実際には、彼は男性/女性両方の性的特徴を有しており、それ故に苦悩の人生を過ごしてきた人だった。
前教皇は、インターセックスを理由に辞任を申し出るベニテスを諭し、「摘出手術を受ければ良い」と在任を認めていた。だが、ベニテスは「これこそが神の作りたもうた身体なのだから、私はこの姿を受け入れて生きていく」と考えを改め、より困難な道を選択する。
先を読む事に長けていた前教皇は、あるいはベニテスがこの解答に行き着く事すら折り込み済みだったのかもしれない。
【総評】
荘厳な雰囲気と、不穏な空気を煽る音楽。豪華実力派俳優陣の演技合戦と、映画館で鑑賞するに相応しい、これぞ「映画」というものを体験出来た。若干の不足感を抱きつつも、ラスト5分の予想を遥かに超えた衝撃は、真っさらな状態で食らう醍醐味が詰まっていた。
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