「アンマッチの美しさ」教皇選挙 SP_Hitoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
アンマッチの美しさ
面白かった。「コンクラーベ」のことをリアルではじめて知った時、日本語の「根くらべ」に似てるし、やってることも根くらべっぽいな~、おもしろ! って思ったので、その詳細がわかるというのにテンションあがった。
ストーリーも面白いのだが、映像が本当に美麗で、すべてのシーンが、まるでセンスの良い絵ハガキを見てるようだった。整理されてシンプルな赤、白、緑、黄色のコントラスト、幾何学的な構図、静謐な空気感…。良かった! 大きな画面で鑑賞するのが良いと思う。
聖域におけるドロドロした権力闘争なんだけど、聖職者どうしの権力闘争というところで、彼らが人間的な悩みや信仰心に悩んでいるところが面白い。醜さと神聖さのアンマッチ具合が、バチカンの古めかしい儀式や建物の中に、スマホやパソコンや焼却用の機械パネルみたいなものがあるアンマッチと重なってみえる。
また、「伝統・保守・男尊女卑・排他性」VS「革新・自由・多様性・寛容」の対立でストーリーが進行することからも、あらゆるところにアンマッチが顔を出す。
最後は意外な結末になり、驚いた。
個人の勝手な解釈かもしれないがローレンスとベニテスの関係に対して、洗礼者ヨハネとイエスキリストの関係を連想した。
洗礼者ヨハネは、新約聖書においてイエス・キリストの到来を予言し、彼に道を譲る存在として描かれる。ローレンスは、コンクラーベを取り仕切る立場でありながら、最終的に彼のために道を開く役割を果たす。ローレンス自身が「ヨハネ」という教皇名を選ぼうとしていたことは、この解釈を裏付ける。
イエスは、ユダヤ教の伝統的な価値観を超え、罪人や社会の周縁にいる人々を受け入れる新しい宗教的ビジョンを提示した。ベニテスは インターセックスというアイデンティティを持ちながらも、教皇という伝統的な地位に就くことで、カトリック教会の未来に新たな可能性をもたらした。彼の存在自体が、従来の教会の枠組みを超えた革新を象徴している。
また、イエスが「神の子」でありながらも人間としての苦しみを経験したように、ベニテスも自身の性自認に関する苦悩を抱えながら、それを乗り越えて選ばれる存在となっている。
新約聖書では、洗礼者ヨハネがイエスに洗礼を授ける場面があり、それがイエスの公的な使命の始まりを象徴する。映画では、ローレンスがベニテスを最終的に受け入れ、彼が教皇になることを承認する場面がある。このとき、旧教皇がベニテスのインターセックスのことを知ったうえで枢機卿に任命していることをローレンスは確認している。この構図は、ヨハネがイエスを認め、「彼こそが選ばれた者である」と宣言する流れと似ている。ローレンスー洗礼者ヨハネ、ベニテスーイエス、旧教皇ー父なる神、という構図になっているように見える。
この映画は観る者によっていろいろな感じ方を許容する。そこが面白い。
ベニテスが前教皇の意に反した行動をとったことに関しては、己の内なる神に従ったということで、僕は好意的にうけとりました。イエスもそれまでのユダヤ教での罰する性格の神ではなく、愛する性格の神という解釈をしており、それはユダヤ教の伝統からすれば神の意思を曲げているように感じられただろうと思います。
Mさんありがとうございます。ぼくもキリスト教は素人知識しか無いので、的外れかも知れないですw
トミーさんありがとうございます。
ベニテスの新教皇名がインノケンティウスというのが、文字通り「無垢」を意味しているのか、それとも悪評のある旧教皇を示唆しているのか、と二通りの解釈ができるのが面白いと思います。ベニテスに野心があったとすると、皆はしてやられたということになりますね。
共感ありがとうございます。
イエス(ベニテス)はローレンスに、父(前教皇)の意には反した事を告げていて、やはり一種の野心はあったんだろうと推察されたのも深い所でした。
終盤迄の不適格者やテロ騒ぎでラストの衝撃が薄まったのは否めないと思います。