教皇選挙のレビュー・感想・評価
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聖なる中間管理職。
◯作品全体
教皇を選出する特殊な選挙が主題にあり、特別で静謐な時間には息を呑む。
題材からしてとても興味深い作品だったが、物語の展開も上手い。
最初はただ新しい教皇を選べば良いという状況だったが、突如参加する枢機卿や、すでに前教皇に辞任させられた可能性のある枢機卿が浮上する。首席枢機卿であるローレンスは「ただ選挙を管理するため」というスタンスから「正しい新教皇を神のために選ぶ」というスタンスへ移っていく。そのために真実をどう推察し、枢機卿たちへどう周知するか。ローレンスの一つ一つの行動が選挙の行方を、そして教会の行方を左右する。バチカン、教会、新教皇選挙…普段関わりのない世界と、閉ざされた空間に漂う緊張感を味わっているうちに、あっという間に約2時間が終わってしまった、というのがまず思ったところだ。
ただ、一方でローレンスの立ち振舞いにはところどころ既視感がある。
そう、会社の中間管理職だ。
ローレンス自身も「管理すること」を口にしていたが、その管理の苦慮はバチカンから遠く離れた日本の一般社会でも同じように起こっている。
お偉方が出席する会議の調整も終わりが見えてきたところで、唐突にイレギュラーな注文が入ってテンパったり、そもそも本来会議に呼んではいけない人がいるのでは、みたいな、ちゃぶ台をひっくり返したような問題が出てきたり…まだまだ体裁と稟議を重んじる日本社会において、正しく偉いメンツを揃えるだけでも一苦労だ。そしてそれは積極的には関わりたくない仕事で、そういう仕事へのスタンス含め、ローレンスの背中と額に作られる皺の多さに同情せざるを得ない。
終盤のローレンスは更に悲惨だ。自身に新教皇の可能性が浮上したとき、きっと彼の小さな野望にも火が灯ったはずだが、早々にカリスマ的枢機卿にかき消されてしまう。自身への投票という危険な逸脱行為にまで至ったというのに、その決意はあっさり影に隠れてしまう。フィクションながら、このあたりの絶妙な「ままならなさ」が生々しく、面白くあった。
そして無事新しい教皇が決まり、一段落したところでまさかの有資格問題だ。ラストは正直「まあ、前任が良いって言ってるなら…」という前代未聞の出来事ながら前例踏襲的判断をしているのがまた面白い。ローレンス自身も新教皇を否定するつもりはないのだろうが、なんとなく「もう終わりでいいでしょ…」という中間管理職・ローレンスの心の叫びを含んだラストが心にしみる。
コンクラーベは神の名のもとに行われる、究極の「社内会議」だったのかもしれない。空気と上下関係と稟議が支配する密室で、丁寧に積上げられた関係性と調整が、空気を読まない正論ひとつで崩れるあの瞬間。あれはまさに、管理職ローレンスが「後輩に持っていかれる瞬間」そのものだった。誰も言いたがらない本質を、唐突に言葉にしてしまうあの手の後輩だ。そして、最後は前任上司の決裁記録一枚で新教皇が決まるあたり、いっそ清々しい。
このバチカン劇は、神の話をしているようでいて、私たちの世界の縮図だ。違いがあるとすれば天井にあるのが業務用冷暖房と蛍光灯ではなく、とびきり立派なシャンデリアと宗教画ということくらいだろう。
◯カメラワークとか
・ぶっちゃけ舞台と衣装がキマりすぎてて、どういうカメラワークでも様になっちゃってた。俯瞰で人物映すだけでかっこいいし、あおりで天井画とかシャンデリアを映すだけでかっこいい。
・閉ざされた空間っていうのもあって、天井とか空が上手に演出されてた。天井画も単なる美しさだけじゃなくて、本物の空が見えない(天井画に遮られている)要素になってた。テロによって外からの光が差し込んで選挙が進むっていうのも面白い。本来ネガティブなはずなのに、それによって結末に向けての風通し良くなるっていう。
◯その他
・全員同じ枢機卿のはずなのに、腹に隠した熱意が違うからぜんぜん違う方向向いてるっていうのがとてもおもしろかった。この選挙が自分の野心のため、教会のため、キリスト教のため、神のため…近いようでまったく違う。
前教皇の凄み
意外にテンポがいい。無駄な回り道をせず、早々にコンクラーベへ。
亡くなった前教皇の傑物度が凄い。一体どんな人だったんだ?
●枢機卿たちの動向を細やかに掌握していたリスク管理手腕。
●来るべき時代を見据え、教会に真に必要な人材を招へいする洞察力と先見性。
●その死に際し、錚々たる面々が偽りなく涙するほどの、深い人間的魅力。
物語が二転三転。特に最後「本丸はそれか!」(笑) こういうの大好物。
色気が出てきて自分の名前を票に書いて入れた瞬間に爆発が起こったのは、さぞかし腰が抜けただろう。(こっちも驚いた。) "神の鉄槌”としてこれ以上ないタイミングだった。
コンクラーベで“彼”が選出されたシーン。ようやく教会の良心を感じることができホッとした。
このときのローレンスの一瞬の恨めしそうな顔がまた絶妙。
「我々は“理想”に仕える人間であって、”理想”そのものではない。」心に残った台詞。
最後の亀を運ぶシーン。てっきりキレて叩きつけるのかと思ったら、そっと置いただけだった(笑 すっかり憑き物落ちて賢者モードなのね。
コンクラーベはほんと根比べ。←一回言ってみたかった。
上映期間中に現実世界でも教皇が亡くなりコンクラーベが始まるという奇跡的な展開。上映期間も延長。ただ参加した日本人枢機卿によると、実際のコンクラーベは和気あいあいとしていたようで。(笑) そして4回目の投票でプレボスト枢機卿に決まったようです。
上映終盤に差し掛かってたけど、ネタバレに遭遇せずに観れてよかった!
(薦めてくれた同僚に感謝。)
あ・・・ああ・・・。
よく判らないタイトルでごめんなさい。ラストの顛末を知り、出た感想がこれなんです。ネタバレありでレビューを隠していますが、それでもハッキリ書きたくはない。それほど衝撃だったと言えばそうなんですが、主題はそれじゃないと思います。
正直、難しい映画でした。実は少し睡魔に負けました。でも、コンクラーベ(教皇選挙)の緊迫した様子や、そこで起こりうることの予想はなんとなく判っているつもりです。
高位の聖職者といえど、人間です。トラブルはあります。その過去の経緯で落選してしまう選挙の厳しさ。宗教ならでは、特に性的なトラブルが問題視されるのでしょう。また、どうしても選挙の結果にも何らかの意図を働かせたくなる。根回しの密談が妙にリアル。
性的な問題ですが、古来からのキリスト教の禁忌。女性が教会に入っては成らないという問題。集まった枢機卿でしたか。選挙の参加者は男性ばかり。数少ないシスターは「私はいないことになっている身の上ですが」みたいなセリフで成る程と思った。男性社会の昔の風習をそう簡単に変えられないのは仕方ない。そういえば、そんな教会だからこそ男性ソプラノであるカストラートが産まれたのでしたか。男色が営まれるのも無理からぬ話。
というエピソードを辿ると、結局は結末に話が繋がってしまうのですが、なんというか、それも宗教特有の問題であるなら、それに対する新教皇の選出に働いたのもまた、宗教の教えにある「赦し」だと思うのです。亡くなられた教皇が新教皇に「赦し」を与えた、それこそが、ただの選挙の話ではない、キリスト教、宗教ならではの選挙であったと思います。それ故に、このタイトルの意味は「あ・・・」で具体的な結末に気づき、続いて「ああ・・・」でその意図を考え込んでしまった、という具合です。でも、なんだか言葉にしづらくって。
映像も良かった。最初に登場する枢機卿?さんだったかの後ろ姿。クビに掛けられた鎖が十字架の重み、自らの責務の重みを表しているのか。枢機卿達によって、下げている十字架のバリエーションもまた、それぞれの重み、格式、見栄、豪奢な生活感の違いなのか。十字架と云えば、クライマックスで選出された新教皇に問いかける時に、背後に暗い十字架があったのがメッチャ意味深。いちいち考察したくなります。枢機卿達が一斉に傘を差して歩くシーン。格式のある教会に見せて、煙草の吸い殻で地面を散らかし、スマホの興じる姿もまた、現代の教会を現しているのか。あの、教会に紛れ込んだ亀さんはなんだったのだろう。それを水場に返すシーンは何か意味が有るのか、めっちゃ宗教的なんだけど、誰かの解説を賜りたい。票を入れた瞬間に爆破事件が巻き起こるのは、神の啓示であるかのよう。いやもう、素晴らしい映像の数々。
ただ、最後の最後はどういう意味だったのだろう。記憶が正しければ、シスター達?が笑い歩く姿で締めくくられていたような。解説も聞きたいし、2度でも3度でも見返さなければ理解出来ない興味深い面白さがあったと思います。
神を理想とする彼らが1番人間らしい
突然のローマ教皇の死により、次の教皇を決めるために世界中から100人以上の候補者が集められ、外部と完全遮断された礼拝堂で教皇選挙〈コンクラーベ〉が行われる。
文字に起こせばこれだけの話ではあるのに、その話の中に保守派とリベラル派の対立、聖職者のスキャンダル、野心、汚職、多数派と少数派…様々なテーマが次々と何重にも重なってくるのがおもしろい。
神を信じ、神という理想に少しでも近づけるよう生きる彼らが、むしろこれでもかというほど、生々しく人間らしい姿を曝け出すのも、おもしろい。
選挙を取り仕切る主人公ローレンスの息遣いや足音が作品内でもすごく強調して響き渡っていて、それがより一層緊迫感や焦りみたいなのを感じさせてくる。それもあってか、まるで自分もあの場で選挙に参加する1人になったかのような気持ちになった。まさにスリリングなサスペンスエンターテイメント作品!特に最後の衝撃は、是非映画館で味わってほしい。
また、劇中色彩として赤がところどころで印象的に描かれていて、それが絵画のようでとても美しかった。
色彩だけでなく、選挙の準備ひとつをとっても、歴史や気品を感じられる作法や衣装に、思わず「美しい…」と見惚れてしまうシーンが度々あり、その手もこの作品が魅力的だった部分のひとつだった。
宗教に対しての新たな気づきもあり、音と色彩と巧みな脚本で満足度の高い作品だった。
スカッとアクション映画並みの鑑賞後感が、よいのか、悪いのか、 奇跡なのか
初週から結構お客さんが入っているとのことで、画面で登場するような、オレのようなおっさんや先輩方ばかりの客層かと思えば、さにあらず。熱心な若い映画ファンなんだろうね、カップルさんも多く、意外とオレのようなメンドクサイお客さんはいなかった。
ルックと鑑賞後の印象ががらりと違う、オシャレさんもエンタメ大好き映画ファンも満足ささる、ある意味奇跡の
「教皇選挙」
・
・
・
「ああ、面白かった!」でスカッとアクション映画並みの鑑賞後感がよいのか、悪いのか、
奇跡なのか、といった塩梅。
面白いけど、ご都合すぎやしねえか。キャラがテンプレ過ぎて漫画だし、ベニテスの演説もちょっとセリフ自体はこっ恥ずかしい。
と思っていたのだが、ラストの亀の出現とそれを噴水に帰す、というところで、これは前教皇が描いたシナリオ通りに事が進んだことが分かる。
前教皇がチェスの名手(先を読む、手駒を操る)であるということと、トマスが前教皇を、「愛してた」ことが本作の主軸。
トマスは、前教皇から、管理者としての使命を受けるが、すでに、クセものだらけの、というよりも、「おいおい、こんなのしかいねえのか。。。」のおじさんたちを教皇候補から外すよう導かれただけで、ベニデスを教皇に仕立てあげるシナリオ通りにことが進んだだけに過ぎない。
もちろん、トマスが、前教皇の部屋に侵入し、ベッドのそばの壁の隙間から証拠を見つけることも織り込み済なんだろうね(笑)
「愛」故に、一人教皇のベッドの脇でおいおいと、むせび泣くところは最高だった。
トマスは「愛していた」から、教皇の思い通りに「管理職」に徹することを決意し、だが、色気なのか、こんなに選挙がもめるなら、なってやろうかと思ったのか、の自分への投票の際、「おいおい、お前違うだろ! ちゃんと仕切れや!」と、爆発という形でのお叱りを受ける。
そんなこんなで選ばれた新教皇が、そういう身体的特色を持った人物だった。
ストーリー自体はもうネタとサプライズ優先のご都合主義満載だが、前教皇の「シナリオ通り」と言われれば仕方ない。。
ところが、前教皇の意に反して、手術を行わなかったことは、トマスの信仰をさらに上回る、ありのままの姿(インノケンティノス)で「理想を求める」姿だった。それは「無垢」であり、「絶頂期」を期待させるダブルミーニング。
トマスの名乗ろうとした「ヨハネ」は、そういった流れからは、「洗礼者」のほうではなく、「弟子」の方を指しているのかなと。
「イノセント」な新教皇誕生と尼僧の笑い声を聞くトマスは、シスター・アグネスの存在も併せて、バチカン内の「女性」の存在を改めて知り、また新時代への「理想」を想像したことだろう。
追記
票を失った各候補のシュンとした顔、素敵。
追記2
「女性」を意識したことで、トマスの「愛」はどこに向かうのか。
最後に驚きはある
新教皇を決める教皇選挙のことを「コンクラーベ」というらしい。世界中から集まった100人を超える候補者たちが、システィーナ礼拝堂の閉ざされた扉の向こうでただひたすら投票を繰り返すその様を執拗に丁寧に描き出している。ちなみに「コンクラーベ」とは「鍵をかけた」という意味で日本語の「根比べ」とは無縁とのこと。
権力を前にするとどんな聖職者とされる人間でさえも時に俗物に成り下がる。観ている私たちは観てはならないものを観せられた気がして気が滅入る。決して同じではないと願うが、普段私たちが直接見ることのできない総理大臣選挙など清廉や潔白を求められる選挙が、この映画のように絶望すべき俗物感情のメロドラマだとしたら最悪だと想像してしまう。
ストーリーは地味で単調なのに、役者の重厚でしっかりとした演技と美しい映像が見応えがあり不思議と長いとは思わない。観客は次第に投票を見守るオーディエンスの立場から投票者側の心情に変化していく。一体誰が教皇に一番相応しいのか?答えを探しながら物語に没頭していく。故ローマ教皇の真意はどこにあったのか?その真意と思惑通りに教皇選挙は進んだのか否か?
ラストにもうひと波乱あり?!
うん、驚きはある
なるほど🧐
選ばれるべき人はいつも一番遠くで変わらぬ心を貫き通す人なのか…
【この映画をオススメな人は】
寝不足ではない万全の体調の方
じっくり味わい深い映画が好みの方
アカデミー賞受賞作品はぜひ押さえておきたい方
俗欲にまみれた中高年男性たちの根比べ
聖職者には人一倍世俗と一線を画し、煩悩を克服した者というイメージがある。というか、そうあってほしい。
だがそんなイメージが裏切られる場面が往々にしてあるのが現実。だからこそ、聖職者の選挙を描く映画と聞いてドロドロ政治劇を期待してしまうのだ。
コンクラーベでの教皇の決定には、投票総数の3分の2以上の得票が必要だそうだ。初日午後に最初の投票、それで決まらなければ続く2日で午前午後2回ずつ投票。それでも決まらなければ1日祈りの日を置いてまた同じ手順を繰り返し……といった感じで続けていくという。
外部の力の介入を防ぐため選挙は密室で行われるが、水面下では静かな負の情報戦の火花が散る。彼らが欲するのが権力か名声かは知らないが、法衣の下の生々しい欲望が蠢く様はとても人間臭くて興味深い。
映像美に見惚れる。彩度が低い背景に、緋色や漆黒の衣装がよく映える。聖職者の集団のシーンも緻密にデザインされたような構図で、中世の宗教画を見ているような気持ちになる。
ところがその美しさの中に、時折違和感を放つものが挟み込まれる。聖職者たちが捨てた煙草の吸い殻、現代的な文明の利器。礼拝堂の自動シャッター、スマホを使う聖職者たち。
時代設定が現代なので当然のことではある。ただ、伝統的な様式美が生み出す崇高な空間があまりに完成されているために、現代的なアイテムの醸し出すそっけなさ、世俗的な雰囲気が際立って見える。
神社の賽銭箱の横に掲げられた2次元バーコードのようなもので、宗教関係者が現代の便利アイテムを使っても何の問題もない。ただ本作のような映画で描写されると、聖職者たちの俗っぽさの投影のようにも見えてくる。
メインの枢機卿たちのキャラが濃くて楽しい。序盤の投票で優勢だったテデスコとアディエミは、いかにも「こいつを教皇にしたらあかん」キャラで、ああ教皇って適性じゃなくて政治力や押し出しの強さで決まるのね、ということがわかりやすく伝わってくる。
ベリーニは真面目でリベラルだが地味なせいかウケない。トランブレは死の床の教皇にひとりで会うなど怪しい動き。選挙を仕切るローレンスの立場はとてもストレスフルだ。
立場上彼のもとに寄せられる他の枢機卿たちの動向に関するリークで、彼は次第に疑心暗鬼になる。また、自分に票が入ったことで親友のベリーニに野心を疑われる。一方、実はそのことがまんざらでもなかったのか、ベリーニと和解した後、遂には自分に票を投じる。
私欲に負けたローレンスへの天の裁きのごとく衝撃波と割れたステンドグラスが彼を襲うシーンは、畏怖を覚えるとともに絵画のような美しさに目を奪われた。
ラスト間際まで人間不信に翻弄され、静かに苦悩するレイフ・ファインズの抑えた演技がいい。
新参者として現れたキーパーソンであるベニテスの清らかな存在感。演じたカルロス・ディエスは30年建築家として生きてきて、パンデミックの直前から演技のワークショップに通い始めたそうだ。彼の個性が役柄にマッチして、名優たちと十分渡り合えていた。
カトリックの聖職者の世界は、典型的な男社会とも言える。キリストが男性のみを使徒に選んだことを理由に、女性が司教になることは禁じられている(近年では、修道女が教皇庁や司教省の要職に就いた例はあるようだ)。中世に女性教皇の伝説はあるが、これは創作と考えられている。
ベニテスはインターセックス(半陰陽)であり、一般的なトランスジェンダーのように純然たる男性または女性として生まれたわけではない。男性として育ち、たまたまきっかけがあって自分が子宮と卵巣を持つことがわかった、性的にとても曖昧な存在だ。
教皇は男性であるべきという縛りはキリストの選択が根拠であるだけに、リベラルなローレンスも怖じ気づいた。
だが彼は、既に教皇の座をめぐる醜い権謀術数、その中にあって新参者でありながら食事の時の丁寧な祈り(直前の別の枢機卿のおざなりな祈りとは対照的)、爆破テロの直後に披露した見事な見識など、ベニテスの人格の素晴らしさを目にしていた。
そして、亡き前教皇がベニテスの真実を知った上で奉職を許し、密かに次期教皇選挙の投票権者に指名したという事実があった。
目の前に教皇に相応しい資質を備えた人間がいるのに、彼が身体的に女性の要素を持つという理由だけで排除することにどれほどの意義があるのか。ベニテスの身体もまた、神が創りたもうたものではないか。
男性の枢機卿たちは権力欲にまみれていたり、器の小さな者ばかりで、人間性はベニテスに遠く及ばない。むしろふたつの性の間にある存在であるベニテスこそ、「確信」を遠ざけ人々を真の信仰に導く存在ではないか……
ローレンスの心境はそんな風に動いていったのでは、と想像した。
信仰心を持ちながらも教会への信頼を失い、気の迷いで俗欲に振れてしまったローレンスだが、最後は正しい判断をしたのではないだろうか。
終盤ベニテスが選挙で勝った時点で、「このままでは終わらない、ベニテスにも何かあるはずだ」とわくわくしながら(おい)待ち構えていたのだが、地味目に進んできた物語の中で、緋色の法衣のように異彩を放つどんでん返しに驚かされた。
もしかすると好き嫌いが分かれるのかも知れないが、物語にインパクトをもたらすだけでなく、慣習からくる差別、信仰の本質などについての問いかけを感じさせる秀逸なクライマックスではないだろうか。
多様性尊重と反動。疑うことと確信。宗教にとどまらない、現代の問題を突きつける
原作は、やはり映画化された「ゴーストライター」など複数の邦訳がある英国人作家ロバート・ハリスが2016年に発表した小説「Conclave」。映画化作品が日本で2025年3月20日に公開され、約1カ月後に当時の教皇フランシスコが死去しコンクラーベが実施されたことで関心が高まり、2カ月を超えるロングランヒットにつながった。原作のほうは8月時点で未訳だが、翻訳出版業界は絶好のタイミングを逸したのでは(どこかの出版社が今頃大急ぎで準備しているかもしれないが)。
ローマ教皇選挙を舞台に、候補者となる有力な枢機卿たちに関する謎や不正をめぐり、選挙を執り仕切るローレンス枢機卿が“探偵役”として真相を探っていくミステリー。レイフ・ファインズをはじめとするキャストらの滋味豊かな演技、重苦しい緊迫感をあおる演出、映像の美しさに引き込まれる。たとえ予備知識がなくとも、ローレンス枢機卿の謎解きによって一人また一人と候補者が脱落していくさまはスリリングだし、思いがけない“アクション”シーンにも驚かされる。とはいえ、先々代のローマ教皇だったベネディクト16世と次の教皇になるホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿(フランシスコ)の対話を描いた「2人のローマ教皇」や、カトリック教会のスキャンダルを米新聞紙ボストン・グローブの記者らが暴いた実話を映画化した「スポットライト 世紀のスクープ」をあわせて観ると、フィクションとはいえ本作が21世紀の教会の現実をかなり反映していることがよくわかるだろう。
宗教の話にとどまらない、現代の世界の問題に通じるテーマを扱っている点も、製作国の米英をはじめ各国でヒットした一因だろう。枢機卿らの論争では、多様性の尊重を進めるべきだとする革新派と、昨今の多様性は行き過ぎだとする保守派が衝突する。またローレンス枢機卿は、疑うことが大切であり、疑いなき確信は敵だと説く。原作者ロバート・ハリスの時代感覚を効果的に表現したピーター・ストローハンの脚本も、アカデミー賞脚色賞にふさわしい匠の技だ。
ルックが良い
現実にもローマ教皇が亡くなったことで俄然注目度が増している本作だが、そうした外的要因抜きにしても、非常に面白い作品なので、ぜひ多くの人に見てもらいたい。
まず撮影の見事さ。荘厳な宗教画のような雰囲気が全編に漂うが、登場人物たちは電子タバコを吸っていたり、スマホをいじっていたりして、そのギャップが面白い・古くて厳かなものと新しいものが混ざりあう空間になっているのだ。
古いものと新しいものが混ざり合うというテーマは、物語にも反映されている。保守的な勢力と改革派の勢力が権謀術数を用いながら選挙戦を戦うさまにそれが表れている。史上初のアフリカ出身の教皇誕生の可能性もあったが、保守勢力の策略で失脚。女性の方が信徒としては多いカトリックだが、ここで話し合いをやっているのは男性ばかりという現実。そこに楔を打ち込む存在のメキシコ出身でアフガンの協会からやってきた枢機卿。
亀が印象的だ。亀のようにスピードは鈍いが、ゆっくりとカトリック教会も変化しているのだということの現れか。
レイフ・ファインズはじめ、役者がみな素晴らしい。印象的な顔がいくつもあった作品だった。
コンクラーベを肴に、どこまで遊べるか
いい歳した偉そうなオジサンたちが、恥も外聞もなく右往左往する様をスリリングに描いていて、さすがに面白い趣向だと思う。ただ、正直、(ひとつの仮定として)これが現代に刺さる皮肉や批判やメッセージが込められているのだとしたら、そこまで現実にコミットした作品だとは思えない。というのも、この物語がやり玉にあげている権威とか、時代を変革する希望みたいなものが、これだけムチャクチャなことがまかり通っている現実の世界と比べると、かなり単純化されたものに思えてしまうから。むしろここで提示されている希望なんて見せかけのものでしかなんだよと乾いた目線で見つめている作品という受け取り方もできるが、だとしてもクリティカルに現実にヒットするとは思えない。コンクラーベを肴にした、余裕のある側のひとつの遊びとして楽しみましたよ。
選挙という名の極上の密室ミステリー
ヴァチカン中枢の深紅の世界を舞台に据えるという宗教的なリアリティに挑んだ知的興奮もさることながら、本作は選挙という民主主義的過程を通じて浮かび上がる推理小説然とした面白さを併せ持つ。それこそ『裏切りのサーカス』のストローハンが脚色を手掛けたのも、一筋縄ではいかないキャラをチェスの駒のように冷静沈着に動かす手腕が最適とみなされたからではないだろうか。兎にも角にもまるで容疑者の如く候補者が浮かび、一人一人が脱落していくその根拠に至るまでの入念な捜査過程があり、しまいには真犯人登場さながらに最後の一人が、動かぬ説得力と確信性をもって選出される。選挙とはかくも先読み不能なミステリーであり人間ドラマなのかと荘厳な描写力に溜息が出る。まるで『サーカス』のスマイリーのように任務遂行するレイフ・ファインズの機微の演技、さらには自らの信仰心と向き合いながらの葛藤も秀逸。久々に極上の密室ミステリーを仰ぎ見た。
狭くて広い視野を持つ傑作にしてエンタメ映画
ローマ教皇の死去に伴い、世界各地から次期教皇候補100人超がバチカンに集結し、コンクラーベ=教皇選挙が執り行われることになる。これまでも教皇選挙が物語のきっかけになる映画は何作かあったけれど、本作は選挙ものそのの深層に切り込んでいる点が目新しい。それは、亡くなった教皇の指から印章の偽造を防ぐために"漁師の指輪"と呼ばれる指輪が外され、破棄されたり、投票所になるシスティーナ礼拝堂のシャッターが閉められ、投票権を持つ枢機卿たちは特別室に隔離されたりと、描かれるディテールの細かさにまず、目を奪われる。
やがて次々と明らかになる有力候補者たちの耳を疑うようなスキャンダルが、レイフ・ファインズ演じる選挙管理人、ローレンス枢機卿の頭を悩ます様子は、同情を超えて徐々に笑いを誘うことになる。何とか事を丸く収めたい枢機卿の願いとは裏腹に、事態はとんでもない方向へ舵を切るのである。おかげでファインズの額の皺が徐々に深くなっていくのである。
バチカンという幽閉された空間の中に、人間の嫉妬心や猜疑心、崩れ去ったモラル、そして、戦争やジェンダー問題まで取り込んだ映画は、狭くて広い視野を持った傑作。何より、エンタメとして推薦できる1作だ。
進み続ける
選別される枢機卿たちに公正な判断を下させるように外部から遮断し建物も頑丈な引き戸を下ろし、修道女たちは食事の準備に奔走する、新しい教皇を決めるべく準備が始まっていく様子は不思議な光景だなと感じた
一方で後半のいろんな人たちの陰謀が交錯する展開はサスペンス物みたいだなとハラハラさせられた。
『確信は一致を阻む敵、寛容の大敵』と説教し、陰謀を暴いていく主席枢機卿のトマスはまさに正義を貫く映画の主人公のようだなと思う一方で、ラストのとある登場人物の意外な秘密を知った時の心境・・・コレは難しいなと思った。
時代は変わっていき、人間は受け入れ進み続けなければいけないそんなメッセージを感じた
聖職者達の「白い巨塔」?
コンクラーベが話題になっていたので、鑑賞。
イメージでは「白い巨塔」みたく陰謀渦巻く権力闘争かと思っていたが、そうでもなかった。
コンクラーベがどのように行われているかが知れただけでも勉強になった。
聖職者であっても、あらゆる差別や偏見とは無縁ではない。ただ重厚な雰囲気でオブラートには包んではいる。
ラストは意表はついてはいるが、今作のテーマともいえるのかな?ただちょっとトンデモ展開かも?
前半の展開はスリリングで最高。対して後半の展開は微妙。
映画好きの中で非常に話題になっていた本作。SNSで「『十二人の怒れる男』が好きな人なら刺さる」という投稿を見掛けたので、人生ベスト映画として『十二人の怒れる男』を挙げる私は、期待しながら鑑賞いたしました。
結論、面白かったけど、ラストが微妙。なんならコンクラーベが始まる前の準備段階が盛り上がりのピークだったかもしれない。候補者の中から教皇筆頭となる人が現れ、その人がスキャンダルで失脚し、次に教皇筆頭となる人が現れ、その人もスキャンダルで失脚し……。これの繰り返し。ラストの展開も、「まあそうなるだろうな」という展開で、特別驚きも無い。
事前に『十二人の怒れる男』に似ているという情報を見てしまったせいで、映画の観方が偏ってしまっていたかもしれない。事前知識無く鑑賞したら面白かったかもしれませんが、残念ながら期待を下回ってしまった映画でした。
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ローマ教皇が逝去した。14億人を超える信者を抱える、キリスト教の最大宗派・カトリック教。そのトップである教皇が亡くなったことで、次期教皇を決めるための選挙(コンクラーベ)を行うために、世界中から候補者である枢機卿たちがシスティーナ礼拝堂に集う。自身も教皇候補であるローレンス枢機卿(レイフ・ファインズ)は、今回のコンクラーベの運営を任され、その準備に奔走するのであった。
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キリスト教最大派閥のカトリック教のトップである教皇。教皇の死後、新たな教皇を決めるための選挙を描いた作品です。教皇候補である枢機卿たちが文字通り一堂に会し、外界との交流を遮断した室内で話し合いと投票を行う。人種や本拠地などで明確に派閥が分かれており票が分かれてなかなか決着がつかない。そのうち有力候補のスキャンダルが発覚するなどして、選挙は混沌とした様相を呈してきて……。という作品。
先にも述べた通り、私は本作に対して過大な期待をしてしまい、本作はそのハードルを越えることができなかったという印象です。もしかしたら、事前知識なしで鑑賞したら楽しめたのかもしれません。
まずは面白かった点を述べます。
登場人物のキャラや、役者陣の演技は見事だったと思います。登場するキャラクターはカトリック教の重役たちなので、言ってしまえばオッサンばっかりです。そんなオッサンたちが非常にキャラ立ちしていて、魅力的に映ります。また、演技も素晴らしかった。ベテラン俳優で固められた出演者の演技は非常に安定感があり、引き込まれるような魅力がありました。
次に不満点を述べます。
先に述べた通り、事前に聞いていた情報と異なり、期待外れだったと思います。まぁ、これは本作と『十二人の怒れる男』を比較しているX(旧Twitter)のポストを何件か見掛け、勝手に似た作品だと思い込んでいた私が悪いのですが。
私はてっきり本作を、「一堂に会した枢機卿たちが、選挙が終わるまで出られないという密室の中で様々な議論を繰り広げ、様々な候補者たちの思惑が交差して最後まで結末が読めないハラハラドキドキの展開になるのだろう」と勝手に思い込んで期待してしまいました。コンクラーベが実際に開始される中盤あたりまでは、これから歴史に残る出来事が始まるのだという重々しくも期待を抱かせる展開で、本当に楽しかったです。しかし実際にコンクラーベが始まってみると、話し合いらしい話し合いはほとんどないまま選挙は粛々と進むし、有力候補たちがどんどんスキャンダルで勝手に失墜していき、最終的に教皇になったのはそれまでパッとしてなかったのに最後にスピーチしただけで一気に信頼を獲得したベニテス枢機卿。正直、最後にベニテス枢機卿に票が集まって教皇になるまでの流れが急すぎて、納得感がかなり薄かったです。
「期待していたものと違う」というのが私のガッカリしたポイントではありますが、おそらく事前情報無く特に期待しない状態で鑑賞していたとしても、私はそこまで高い評価はしなかっただろうと思います。
世間での評価は非常に高い本作ですが、残念ながら私には刺さりませんでした。しかしこれは単純に「私の好みに合わなかった」というだけで、作品のクオリティは非常に高かったと鑑賞していて思いました。
クオリティの高い話題作を見たい方にはオススメです。
この映画が名作である事だけは確信している
レイフ・ファインズが選挙中に起きる様々な問題に頭を悩ませる話。
主人公ローレンス枢機卿(レイフ・ファインズ)は選挙の責任者として、集合する枢機卿たちの受け入れ準備を整え、儀式の段取りを仕切り、枢機卿同士の政治闘争や保守派とリベラル派の対立を取りなしつつ、自らの派閥の談合にも参加する。枢機卿とシスターが修羅場になれば事情聴取を行い、枢機卿の不正疑惑に奔走し、さらには亡き教皇からの遺言めいた不正の証拠を見つけて頭を悩ませる。それはそれとして選挙を妨害したいテロ勢力からの攻撃もあり、ローレンス枢機卿は大体ずっと困っている。
信仰・権力・倫理、それぞれの持つ魔力がせめぎ合うドラマの中で葛藤するローレンスの様がじっくりと描かれており、ここはレイフ・ファインズの圧巻の演技力が光を放っている。
選挙にあたりローレンス自身が語る「確信を持たず」というフレーズはこの作品の核心 。現在の行い、信仰、教義を絶対とせず、常に疑問を投げかけるという姿勢はとても正しいと思う。
その一方で、長い歴史に根差したカトリックという組織の中でその信念を貫くことの難しさも描かれており、物語のラストではその言葉そのものが思いがけない形でローレンス枢機卿に返ってくる場面がある。物語中ではリベラル派の筆頭であったローレンス自身もまた、自ら語った「確信を持たず」という言葉に強く揺さぶられ、その重みを思い知ることになる。この踏み込んだラストは、保守・リベラルという枠を超えて、カトリックという組織そのものへの大きな問いかけとなっていて、最後まで油断できない。
この映画の楽しい所は選挙にまつわる政治サスペンス部分だけではない。
教皇選挙(コンクラーベ)といえば、システィーナ礼拝堂で執り行われる枢機卿たちによる儀式で、白い煙が昇れば教皇選出、黒い煙は未決というのは割と有名な話だが、それ以外にも、実際に教皇が死んだ後の段取りはどうなっているのか、世界各地の枢機卿はどのように参集し、どのように選挙を行うのか。選挙に使う専用の紙、専用の投票箱、一人一人が唱える宣誓の言葉、華麗な紅の衣装。コンクラーベに伴う一挙手一投足が事細かに描かれており、深い歴史に裏打ちされた未知のディテールは、見ていて興味が尽きない。
映画はこの一連の儀式を決して無駄なものとしては描かず、その形式に含まれる宗教的な意味合いに大きな敬意を払っている。荘厳さと歴史の重みを画面の中に再現するエドワード・ベルガー監督の手腕が光っている。
このディテールの積み重ねによって観客も儀式の重要性を体感できるようになっており、映画への没入度が高まる。
また同時に、形式にこそ意味が宿ることや歴史を尊重することの重要性を暗に語っているようで、これは保守にもリベラルにも味方しないという、この作品そのものが放つメッセージなのかもしれない。物語・美術・構造のすべてを駆使して真の改革とは何かを問いかける。類まれなる作品である。
説教と物語の融合
左巻きのプロパガンダ映画
革新とは
リッチな映像と役者の演技が良かった。
ローマの豪華な建物や装飾をこれでもかと美しく見せて、コンクラーベ自体はもっとドロドロで複雑な展開を期待していたけど、内容は比較的あっさりしていた。
そこはヤクザや政治とは違って、聖職者であることと権威や欲との葛藤、伝統を重んじることと、革新、革新の中で自分が認められるものと、認められないものを描いている
映画でフォーカスするローマの豪華さや男性社会、権力の奪い合いが本来必要なことなのか、未来ある真の革新とはどうゆうものなのかを問い直す
キリスト教徒ではないのでわからない部分もあったと思うが、人間が集まると派閥ができて、異なる主義主張で争いが起きてしまうことについて考えさせられた。
亀とシスターのメタファーはあんまり気持ち良くはなかった。
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