教皇選挙のレビュー・感想・評価
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前教皇の凄み
意外にテンポがいい。無駄な回り道をせず、早々にコンクラーベへ。
亡くなった前教皇の傑物度が凄い。一体どんな人だったんだ?
●枢機卿たちの動向を細やかに掌握していたリスク管理手腕。
●来るべき時代を見据え、教会に真に必要な人材を招へいする洞察力と先見性。
●その死に際し、錚々たる面々が偽りなく涙するほどの、深い人間的魅力。
物語が二転三転。特に最後「本丸はそれか!」(笑) こういうの大好物。
色気が出てきて自分の名前を票に書いて入れた瞬間に爆発が起こったのは、さぞかし腰が抜けただろう。(こっちも驚いた。) "神の鉄槌”としてこれ以上ないタイミングだった。
コンクラーベで“彼”が選出されたシーン。ようやく教会の良心を感じることができホッとした。
このときのローレンスの一瞬の恨めしそうな顔がまた絶妙。
「我々は“理想”に仕える人間であって、”理想”そのものではない。」心に残った台詞。
最後の亀を運ぶシーン。てっきりキレて叩きつけるのかと思ったら、そっと置いただけだった(笑 すっかり憑き物落ちて賢者モードなのね。
コンクラーベはほんと根比べ。←一回言ってみたかった。
上映期間中に現実世界でも教皇が亡くなりコンクラーベが始まるという奇跡的な展開。上映期間も延長。ただ参加した日本人枢機卿によると、実際のコンクラーベは和気あいあいとしていたようで。(笑) そして4回目の投票でプレボスト枢機卿に決まったようです。
上映終盤に差し掛かってたけど、ネタバレに遭遇せずに観れてよかった!
(薦めてくれた同僚に感謝。)
あ・・・ああ・・・。
よく判らないタイトルでごめんなさい。ラストの顛末を知り、出た感想がこれなんです。ネタバレありでレビューを隠していますが、それでもハッキリ書きたくはない。それほど衝撃だったと言えばそうなんですが、主題はそれじゃないと思います。
正直、難しい映画でした。実は少し睡魔に負けました。でも、コンクラーベ(教皇選挙)の緊迫した様子や、そこで起こりうることの予想はなんとなく判っているつもりです。
高位の聖職者といえど、人間です。トラブルはあります。その過去の経緯で落選してしまう選挙の厳しさ。宗教ならでは、特に性的なトラブルが問題視されるのでしょう。また、どうしても選挙の結果にも何らかの意図を働かせたくなる。根回しの密談が妙にリアル。
性的な問題ですが、古来からのキリスト教の禁忌。女性が教会に入っては成らないという問題。集まった枢機卿でしたか。選挙の参加者は男性ばかり。数少ないシスターは「私はいないことになっている身の上ですが」みたいなセリフで成る程と思った。男性社会の昔の風習をそう簡単に変えられないのは仕方ない。そういえば、そんな教会だからこそ男性ソプラノであるカストラートが産まれたのでしたか。男色が営まれるのも無理からぬ話。
というエピソードを辿ると、結局は結末に話が繋がってしまうのですが、なんというか、それも宗教特有の問題であるなら、それに対する新教皇の選出に働いたのもまた、宗教の教えにある「赦し」だと思うのです。亡くなられた教皇が新教皇に「赦し」を与えた、それこそが、ただの選挙の話ではない、キリスト教、宗教ならではの選挙であったと思います。それ故に、このタイトルの意味は「あ・・・」で具体的な結末に気づき、続いて「ああ・・・」でその意図を考え込んでしまった、という具合です。でも、なんだか言葉にしづらくって。
映像も良かった。最初に登場する枢機卿?さんだったかの後ろ姿。クビに掛けられた鎖が十字架の重み、自らの責務の重みを表しているのか。枢機卿達によって、下げている十字架のバリエーションもまた、それぞれの重み、格式、見栄、豪奢な生活感の違いなのか。十字架と云えば、クライマックスで選出された新教皇に問いかける時に、背後に暗い十字架があったのがメッチャ意味深。いちいち考察したくなります。枢機卿達が一斉に傘を差して歩くシーン。格式のある教会に見せて、煙草の吸い殻で地面を散らかし、スマホの興じる姿もまた、現代の教会を現しているのか。あの、教会に紛れ込んだ亀さんはなんだったのだろう。それを水場に返すシーンは何か意味が有るのか、めっちゃ宗教的なんだけど、誰かの解説を賜りたい。票を入れた瞬間に爆破事件が巻き起こるのは、神の啓示であるかのよう。いやもう、素晴らしい映像の数々。
ただ、最後の最後はどういう意味だったのだろう。記憶が正しければ、シスター達?が笑い歩く姿で締めくくられていたような。解説も聞きたいし、2度でも3度でも見返さなければ理解出来ない興味深い面白さがあったと思います。
神を理想とする彼らが1番人間らしい
突然のローマ教皇の死により、次の教皇を決めるために世界中から100人以上の候補者が集められ、外部と完全遮断された礼拝堂で教皇選挙〈コンクラーベ〉が行われる。
文字に起こせばこれだけの話ではあるのに、その話の中に保守派とリベラル派の対立、聖職者のスキャンダル、野心、汚職、多数派と少数派…様々なテーマが次々と何重にも重なってくるのがおもしろい。
神を信じ、神という理想に少しでも近づけるよう生きる彼らが、むしろこれでもかというほど、生々しく人間らしい姿を曝け出すのも、おもしろい。
選挙を取り仕切る主人公ローレンスの息遣いや足音が作品内でもすごく強調して響き渡っていて、それがより一層緊迫感や焦りみたいなのを感じさせてくる。それもあってか、まるで自分もあの場で選挙に参加する1人になったかのような気持ちになった。まさにスリリングなサスペンスエンターテイメント作品!特に最後の衝撃は、是非映画館で味わってほしい。
また、劇中色彩として赤がところどころで印象的に描かれていて、それが絵画のようでとても美しかった。
色彩だけでなく、選挙の準備ひとつをとっても、歴史や気品を感じられる作法や衣装に、思わず「美しい…」と見惚れてしまうシーンが度々あり、その手もこの作品が魅力的だった部分のひとつだった。
宗教に対しての新たな気づきもあり、音と色彩と巧みな脚本で満足度の高い作品だった。
スカッとアクション映画並みの鑑賞後感が、よいのか、悪いのか、 奇跡なのか
初週から結構お客さんが入っているとのことで、画面で登場するような、オレのようなおっさんや先輩方ばかりの客層かと思えば、さにあらず。熱心な若い映画ファンなんだろうね、カップルさんも多く、意外とオレのようなメンドクサイお客さんはいなかった。
ルックと鑑賞後の印象ががらりと違う、オシャレさんもエンタメ大好き映画ファンも満足ささる、ある意味奇跡の
「教皇選挙」
・
・
・
「ああ、面白かった!」でスカッとアクション映画並みの鑑賞後感がよいのか、悪いのか、
奇跡なのか、といった塩梅。
面白いけど、ご都合すぎやしねえか。キャラがテンプレ過ぎて漫画だし、ベニテスの演説もちょっとセリフ自体はこっ恥ずかしい。
と思っていたのだが、ラストの亀の出現とそれを噴水に帰す、というところで、これは前教皇が描いたシナリオ通りに事が進んだことが分かる。
前教皇がチェスの名手(先を読む、手駒を操る)であるということと、トマスが前教皇を、「愛してた」ことが本作の主軸。
トマスは、前教皇から、管理者としての使命を受けるが、すでに、クセものだらけの、というよりも、「おいおい、こんなのしかいねえのか。。。」のおじさんたちを教皇候補から外すよう導かれただけで、ベニデスを教皇に仕立てあげるシナリオ通りにことが進んだだけに過ぎない。
もちろん、トマスが、前教皇の部屋に侵入し、ベッドのそばの壁の隙間から証拠を見つけることも織り込み済なんだろうね(笑)
「愛」故に、一人教皇のベッドの脇でおいおいと、むせび泣くところは最高だった。
トマスは「愛していた」から、教皇の思い通りに「管理職」に徹することを決意し、だが、色気なのか、こんなに選挙がもめるなら、なってやろうかと思ったのか、の自分への投票の際、「おいおい、お前違うだろ! ちゃんと仕切れや!」と、爆発という形でのお叱りを受ける。
そんなこんなで選ばれた新教皇が、そういう身体的特色を持った人物だった。
ストーリー自体はもうネタとサプライズ優先のご都合主義満載だが、前教皇の「シナリオ通り」と言われれば仕方ない。。
ところが、前教皇の意に反して、手術を行わなかったことは、トマスの信仰をさらに上回る、ありのままの姿(インノケンティノス)で「理想を求める」姿だった。それは「無垢」であり、「絶頂期」を期待させるダブルミーニング。
トマスの名乗ろうとした「ヨハネ」は、そういった流れからは、「洗礼者」のほうではなく、「弟子」の方を指しているのかなと。
「イノセント」な新教皇誕生と尼僧の笑い声を聞くトマスは、シスター・アグネスの存在も併せて、バチカン内の「女性」の存在を改めて知り、また新時代への「理想」を想像したことだろう。
追記
票を失った各候補のシュンとした顔、素敵。
追記2
「女性」を意識したことで、トマスの「愛」はどこに向かうのか。
最後に驚きはある
新教皇を決める教皇選挙のことを「コンクラーベ」というらしい。世界中から集まった100人を超える候補者たちが、システィーナ礼拝堂の閉ざされた扉の向こうでただひたすら投票を繰り返すその様を執拗に丁寧に描き出している。ちなみに「コンクラーベ」とは「鍵をかけた」という意味で日本語の「根比べ」とは無縁とのこと。
権力を前にするとどんな聖職者とされる人間でさえも時に俗物に成り下がる。観ている私たちは観てはならないものを観せられた気がして気が滅入る。決して同じではないと願うが、普段私たちが直接見ることのできない総理大臣選挙など清廉や潔白を求められる選挙が、この映画のように絶望すべき俗物感情のメロドラマだとしたら最悪だと想像してしまう。
ストーリーは地味で単調なのに、役者の重厚でしっかりとした演技と美しい映像が見応えがあり不思議と長いとは思わない。観客は次第に投票を見守るオーディエンスの立場から投票者側の心情に変化していく。一体誰が教皇に一番相応しいのか?答えを探しながら物語に没頭していく。故ローマ教皇の真意はどこにあったのか?その真意と思惑通りに教皇選挙は進んだのか否か?
ラストにもうひと波乱あり?!
うん、驚きはある
なるほど🧐
選ばれるべき人はいつも一番遠くで変わらぬ心を貫き通す人なのか…
【この映画をオススメな人は】
寝不足ではない万全の体調の方
じっくり味わい深い映画が好みの方
アカデミー賞受賞作品はぜひ押さえておきたい方
俗欲にまみれた中高年男性たちの根比べ
聖職者には人一倍世俗と一線を画し、煩悩を克服した者というイメージがある。というか、そうあってほしい。
だがそんなイメージが裏切られる場面が往々にしてあるのが現実。だからこそ、聖職者の選挙を描く映画と聞いてドロドロ政治劇を期待してしまうのだ。
コンクラーベでの教皇の決定には、投票総数の3分の2以上の得票が必要だそうだ。初日午後に最初の投票、それで決まらなければ続く2日で午前午後2回ずつ投票。それでも決まらなければ1日祈りの日を置いてまた同じ手順を繰り返し……といった感じで続けていくという。
外部の力の介入を防ぐため選挙は密室で行われるが、水面下では静かな負の情報戦の火花が散る。彼らが欲するのが権力か名声かは知らないが、法衣の下の生々しい欲望が蠢く様はとても人間臭くて興味深い。
映像美に見惚れる。彩度が低い背景に、緋色や漆黒の衣装がよく映える。聖職者の集団のシーンも緻密にデザインされたような構図で、中世の宗教画を見ているような気持ちになる。
ところがその美しさの中に、時折違和感を放つものが挟み込まれる。聖職者たちが捨てた煙草の吸い殻、現代的な文明の利器。礼拝堂の自動シャッター、スマホを使う聖職者たち。
時代設定が現代なので当然のことではある。ただ、伝統的な様式美が生み出す崇高な空間があまりに完成されているために、現代的なアイテムの醸し出すそっけなさ、世俗的な雰囲気が際立って見える。
神社の賽銭箱の横に掲げられた2次元バーコードのようなもので、宗教関係者が現代の便利アイテムを使っても何の問題もない。ただ本作のような映画で描写されると、聖職者たちの俗っぽさの投影のようにも見えてくる。
メインの枢機卿たちのキャラが濃くて楽しい。序盤の投票で優勢だったテデスコとアディエミは、いかにも「こいつを教皇にしたらあかん」キャラで、ああ教皇って適性じゃなくて政治力や押し出しの強さで決まるのね、ということがわかりやすく伝わってくる。
ベリーニは真面目でリベラルだが地味なせいかウケない。トランブレは死の床の教皇にひとりで会うなど怪しい動き。選挙を仕切るローレンスの立場はとてもストレスフルだ。
立場上彼のもとに寄せられる他の枢機卿たちの動向に関するリークで、彼は次第に疑心暗鬼になる。また、自分に票が入ったことで親友のベリーニに野心を疑われる。一方、実はそのことがまんざらでもなかったのか、ベリーニと和解した後、遂には自分に票を投じる。
私欲に負けたローレンスへの天の裁きのごとく衝撃波と割れたステンドグラスが彼を襲うシーンは、畏怖を覚えるとともに絵画のような美しさに目を奪われた。
ラスト間際まで人間不信に翻弄され、静かに苦悩するレイフ・ファインズの抑えた演技がいい。
新参者として現れたキーパーソンであるベニテスの清らかな存在感。演じたカルロス・ディエスは30年建築家として生きてきて、パンデミックの直前から演技のワークショップに通い始めたそうだ。彼の個性が役柄にマッチして、名優たちと十分渡り合えていた。
カトリックの聖職者の世界は、典型的な男社会とも言える。キリストが男性のみを使徒に選んだことを理由に、女性が司教になることは禁じられている(近年では、修道女が教皇庁や司教省の要職に就いた例はあるようだ)。中世に女性教皇の伝説はあるが、これは創作と考えられている。
ベニテスはインターセックス(半陰陽)であり、一般的なトランスジェンダーのように純然たる男性または女性として生まれたわけではない。男性として育ち、たまたまきっかけがあって自分が子宮と卵巣を持つことがわかった、性的にとても曖昧な存在だ。
教皇は男性であるべきという縛りはキリストの選択が根拠であるだけに、リベラルなローレンスも怖じ気づいた。
だが彼は、既に教皇の座をめぐる醜い権謀術数、その中にあって新参者でありながら食事の時の丁寧な祈り(直前の別の枢機卿のおざなりな祈りとは対照的)、爆破テロの直後に披露した見事な見識など、ベニテスの人格の素晴らしさを目にしていた。
そして、亡き前教皇がベニテスの真実を知った上で奉職を許し、密かに次期教皇選挙の投票権者に指名したという事実があった。
目の前に教皇に相応しい資質を備えた人間がいるのに、彼が身体的に女性の要素を持つという理由だけで排除することにどれほどの意義があるのか。ベニテスの身体もまた、神が創りたもうたものではないか。
男性の枢機卿たちは権力欲にまみれていたり、器の小さな者ばかりで、人間性はベニテスに遠く及ばない。むしろふたつの性の間にある存在であるベニテスこそ、「確信」を遠ざけ人々を真の信仰に導く存在ではないか……
ローレンスの心境はそんな風に動いていったのでは、と想像した。
信仰心を持ちながらも教会への信頼を失い、気の迷いで俗欲に振れてしまったローレンスだが、最後は正しい判断をしたのではないだろうか。
終盤ベニテスが選挙で勝った時点で、「このままでは終わらない、ベニテスにも何かあるはずだ」とわくわくしながら(おい)待ち構えていたのだが、地味目に進んできた物語の中で、緋色の法衣のように異彩を放つどんでん返しに驚かされた。
もしかすると好き嫌いが分かれるのかも知れないが、物語にインパクトをもたらすだけでなく、慣習からくる差別、信仰の本質などについての問いかけを感じさせる秀逸なクライマックスではないだろうか。
ルックが良い
現実にもローマ教皇が亡くなったことで俄然注目度が増している本作だが、そうした外的要因抜きにしても、非常に面白い作品なので、ぜひ多くの人に見てもらいたい。
まず撮影の見事さ。荘厳な宗教画のような雰囲気が全編に漂うが、登場人物たちは電子タバコを吸っていたり、スマホをいじっていたりして、そのギャップが面白い・古くて厳かなものと新しいものが混ざりあう空間になっているのだ。
古いものと新しいものが混ざり合うというテーマは、物語にも反映されている。保守的な勢力と改革派の勢力が権謀術数を用いながら選挙戦を戦うさまにそれが表れている。史上初のアフリカ出身の教皇誕生の可能性もあったが、保守勢力の策略で失脚。女性の方が信徒としては多いカトリックだが、ここで話し合いをやっているのは男性ばかりという現実。そこに楔を打ち込む存在のメキシコ出身でアフガンの協会からやってきた枢機卿。
亀が印象的だ。亀のようにスピードは鈍いが、ゆっくりとカトリック教会も変化しているのだということの現れか。
レイフ・ファインズはじめ、役者がみな素晴らしい。印象的な顔がいくつもあった作品だった。
コンクラーベを肴に、どこまで遊べるか
いい歳した偉そうなオジサンたちが、恥も外聞もなく右往左往する様をスリリングに描いていて、さすがに面白い趣向だと思う。ただ、正直、(ひとつの仮定として)これが現代に刺さる皮肉や批判やメッセージが込められているのだとしたら、そこまで現実にコミットした作品だとは思えない。というのも、この物語がやり玉にあげている権威とか、時代を変革する希望みたいなものが、これだけムチャクチャなことがまかり通っている現実の世界と比べると、かなり単純化されたものに思えてしまうから。むしろここで提示されている希望なんて見せかけのものでしかなんだよと乾いた目線で見つめている作品という受け取り方もできるが、だとしてもクリティカルに現実にヒットするとは思えない。コンクラーベを肴にした、余裕のある側のひとつの遊びとして楽しみましたよ。
選挙という名の極上の密室ミステリー
ヴァチカン中枢の深紅の世界を舞台に据えるという宗教的なリアリティに挑んだ知的興奮もさることながら、本作は選挙という民主主義的過程を通じて浮かび上がる推理小説然とした面白さを併せ持つ。それこそ『裏切りのサーカス』のストローハンが脚色を手掛けたのも、一筋縄ではいかないキャラをチェスの駒のように冷静沈着に動かす手腕が最適とみなされたからではないだろうか。兎にも角にもまるで容疑者の如く候補者が浮かび、一人一人が脱落していくその根拠に至るまでの入念な捜査過程があり、しまいには真犯人登場さながらに最後の一人が、動かぬ説得力と確信性をもって選出される。選挙とはかくも先読み不能なミステリーであり人間ドラマなのかと荘厳な描写力に溜息が出る。まるで『サーカス』のスマイリーのように任務遂行するレイフ・ファインズの機微の演技、さらには自らの信仰心と向き合いながらの葛藤も秀逸。久々に極上の密室ミステリーを仰ぎ見た。
狭くて広い視野を持つ傑作にしてエンタメ映画
ローマ教皇の死去に伴い、世界各地から次期教皇候補100人超がバチカンに集結し、コンクラーベ=教皇選挙が執り行われることになる。これまでも教皇選挙が物語のきっかけになる映画は何作かあったけれど、本作は選挙ものそのの深層に切り込んでいる点が目新しい。それは、亡くなった教皇の指から印章の偽造を防ぐために"漁師の指輪"と呼ばれる指輪が外され、破棄されたり、投票所になるシスティーナ礼拝堂のシャッターが閉められ、投票権を持つ枢機卿たちは特別室に隔離されたりと、描かれるディテールの細かさにまず、目を奪われる。
やがて次々と明らかになる有力候補者たちの耳を疑うようなスキャンダルが、レイフ・ファインズ演じる選挙管理人、ローレンス枢機卿の頭を悩ます様子は、同情を超えて徐々に笑いを誘うことになる。何とか事を丸く収めたい枢機卿の願いとは裏腹に、事態はとんでもない方向へ舵を切るのである。おかげでファインズの額の皺が徐々に深くなっていくのである。
バチカンという幽閉された空間の中に、人間の嫉妬心や猜疑心、崩れ去ったモラル、そして、戦争やジェンダー問題まで取り込んだ映画は、狭くて広い視野を持った傑作。何より、エンタメとして推薦できる1作だ。
前教皇の慧眼
滑り込みで鑑賞。ほぼ満席でびっくり。
前教皇の描いた筋書きが、見事にハマっていく、最後になってわかる爽快感があって楽しかった。
一つだけ、前教皇は、手術しないという選択まで読んでいたのかだけ気になった。(そうだったらいいな)
名誉・権力・人の妬み
現在を深さで捉え直す傑作だと思われました。
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
結論から言うと、今作の映画『教皇選挙』を大変深く面白く観ました。
私が観た範囲の今年のアカデミー賞の関連作品で、個人的には、1番アカデミー賞に相応しい深さある傑作に感じました。
今作は、亡くなったローマ教皇を継ぐ、新しいローマ教皇を選ぶ選挙(コンクラーベ)の話です。
主人公・ローレンス枢機卿(レイフ・ファインズさん)は、教皇選挙(コンクラーベ)を執り仕切る役割でしたが、選挙に先立って行われた彼の「確信は団結の最大の敵であり、寛容の致命的な敵です。」という趣旨のスピーチは、映画の序盤で既に感銘を感じさせていたと思われます。
ところが、この主人公・ローレンス枢機卿の、観客にも感銘あった序盤のスピーチは、すぐに伝統保守派のテデスコ枢機卿(セルジオ・カステリットさん)への投票を弱め、主人公・ローレンス枢機卿も支持するリベラル派のベリーニ枢機卿(スタンリー・トゥッチさん)への投票を増やす意図があったことが明らかになります。
つまり、主人公・ローレンス枢機卿が行った感銘ある序盤のスピーチは、スピーチ内容とは別に、ある種の党派的な意図が背後に隠されていたとその後に分かるのです。
このことにより観客は、(伝統保守派の「確信」を半ば否定している)感銘を感じた主人公・ローレンス枢機卿の序盤のスピーチの背後に疑念を持ち、主人公・ローレンス枢機卿を含めたリベラル派にも疑いを感じることになります。
しかし今作の凄さは、このリベラル派にも向けられた観客の疑念に、制作者側も全く自覚的だった所にあると思われました。
問題あった候補者が脱落して行く中、リベラル派のベリーニ枢機卿を含めて誰もローマ教皇の選出のための投票の2/3を超えない中、多くの紛争地域を渡って来たベニテス枢機卿(カルロス・ディエスさん)は、選挙前に行われた主人公・ローレンス枢機卿のスピーチによって、主人公・ローレンス枢機卿こそ教皇に相応しいと彼自身に伝えます。
ただ、主人公・ローレンス枢機卿は、自分は教皇の器ではないと、このベニテス枢機卿の申し出を断り、リベラル派が勝つためにベリーニ枢機卿に投票しようとしないベニテス枢機卿に怒りすら覚えます。
しかし、リベラル派のベリーニ枢機卿から、”自分の教皇名を考えてないのか、誰しも教皇になろうとする野心があるはずだ”、などの話もされながら、ついに主人公・ローレンス枢機卿は、リベラル派の代表として自身の名前を投票する決意をします。
ところが次の投票時、主人公・ローレンス枢機卿が自身の名前を投票した直後に、テロの爆弾が投票場所のシスティーナ礼拝堂で爆発し、選挙は中止になります。
その後に枢機卿たちが集まった中で、伝統保守派のテデスコ枢機卿が、テロ犯と伝えられたイスラム過激派を非難、彼らと戦うべきだと主張します。
しかし、紛争地を回り実際の戦争を経験して来たベニテス枢機卿は、伝統保守派のテデスコ枢機卿のテロを起こしたイスラム過激派との戦いの考えを否定し、教会の教えを周縁まで伝える重要性を訴えます。
この時の、本来のカトリックの教えに通じるベニテス枢機卿の訴えは、静かに枢機卿たちの心に届き、そして再開された選挙で、ついに紛争地を数多く回って来たベニテス枢機卿が新しいローマ教皇に選ばれるのです。
ところで、予想外でもあったベニテス枢機卿が新しいローマ教皇に選ばれた直後に、ベニテス枢機卿は、即座に自身の教皇名「インノケンティウス」を示します。
このことは、ベニテス枢機卿にも教皇になるという野心があった(前もって自身の教皇名を考えていた)ことが、暗に、主人公・ローレンス枢機卿や観客に伝わった瞬間だとも思われました。
つまり、ベニテス枢機卿に対しても、最後に皆が持った彼への全面的な正しさの「確信」に、ここで作品として疑念を差し挟んでいると思われるのです。
今作は最後に、ベニテス枢機卿に関する驚きの深層が明かされます。
そしてこのことは亡くなった前ローマ教皇も知っていたことが、主人公・ローレンス枢機卿に伝えられます。
主人公・ローレンス枢機卿が、ベニテス枢機卿の深層を知った時に、”さすがに新しいローマ教皇としては問題がるのでは”、と、ローレンス枢機卿も思っただろうと、彼の表情などから観客にも伝わります。
しかし同時に、主人公・ローレンス枢機卿が、新しくローマ教皇に選ばれたベニテス枢機卿の深層に抱いた”新しいローマ教皇には問題あるのでは”との疑念の想いは、彼が大切にして来たリベラル的な考えとは異なる、伝統保守的な考えから出ていると伝わるのです。
そして主人公・ローレンス枢機卿も、いかに自分も保守的な「確信」から逃れられていないかを、この時認識したと思われるのです。
今作の映画『教皇選挙』は、「確信」を疑い、人々への寛容を取り戻すことが、根底に流れた作品だと思われました。
そして、その過程で遭遇する人間の矛盾と、寛容を取り戻すことの困難さを描いた作品にも思われました。
この今作の根幹の眼差しには、個人的にも深い感銘と同時に共感し、エドワード・ベルガー 監督や脚本のピーター・ストローハンさん、原作者のロバート・ハリスさん、などに対して、称賛と心からの同意の握手を求めたいと、僭越思われました。
今作は、描かれている舞台は狭い範囲ですが、そこからの内容の広がりと深さは、現在に必要な最重要な作品になっていると、深い感銘を感じながら今作を観終えました。
テーマありき?
厳しい見方かもしれないが、ちょっとうんざり。ローマ教会の風通しが悪いことはわかった。しかし、アフガニスタン出身の教皇が、戦争や対立を肌身で知っている「記号」として登場して、最後にかっさらっていくという構造が強引すぎる。言いたいことはわかるが、リアリティがなさすぎ。あの主人公の羊の管理人を仰せつかった人の方がまだリアリティがある。あとはシスターたちかな。シスターが下働きしかしていないことが驚きだった。そこが光っていた。ラストシーンも。つまり、あれだけ教皇選挙を見せられたが、何も変わらないという予感しかない。そんな映画だった。
過大評価
祈りへの疑念
誰が教皇にふさわしいかという問題は、歴史を踏まえて、これから求められる世界がどのようなものかということと関係していると思う。
したたかに金で票を得る者。
陽気で明るいが、過去の過ちを隠す者。
宗教戦争を厭わず、差別を行う者。
それを冷静に諌める者。
最後に選ばれた者の言葉と、枢機卿たちによる選択に、未来への希望を持つことができた。
それは、戦争を肯定すべきではないということ。
また、世の中の考え方が正しいか疑念を持つことを肯定するということ。
傷つけられる世の中に、疑念を持って良いのだと、救われる気がした。
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