教皇選挙のレビュー・感想・評価
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前教皇の凄み
・意外にテンポがいい。無駄な回り道をせず、早々にコンクラーベへ。
・亡くなった前教皇の傑出度が凄い。一体どんな人だったんだ?
└枢機卿たちの動向を細やかに把握し、掌握していたリスク管理手腕。
└来るべき時代を見据え、教会に真に必要な人材を招へいする洞察力と先見性。
└その死に際し、錚々たる面々が偽りなく涙するほどの、深い人間的魅力。
・物語が二転三転する。特に最後「本丸はそれか!」(笑 こういうの大好物だ。
・色気が出てきて自分の名前を票に書いて入れた瞬間に爆発が起こったのは、さぞかし腰が抜けただろう。(こっちも驚いた。) "神の鉄槌”としてこれ以上ないタイミングだった。
・コンクラーベで“彼”が選出されたことに、教会の良心を感じることができホッとした。
・選出されたときのローレンスの一瞬の恨めしそうな顔が絶妙。
・「我々は“理想”に仕える人間であって、”理想”そのものではない。」心に残った台詞。
・最後の亀を運ぶシーン。てっきり叩きつけるのかと思ったら、そっと置いただけだった(笑
・コンクラーベはほんと根比べ。←一回言ってみたかった。
・上映期間中に現実世界でも教皇が亡くなりコンクラーベが始まるという奇跡的な展開。上映期間も延長。ただ参加した日本人枢機卿によると、実際のコンクラーベは和気あいあいとしていたようで。そして4回目の投票でプレボスト枢機卿に決まったようです。
上映終盤に差し掛かってたけど、ネタバレに遭遇せずに観れてよかった!
(薦めてくれた同僚に感謝。)
あ・・・ああ・・・。
よく判らないタイトルでごめんなさい。ラストの顛末を知り、出た感想がこれなんです。ネタバレありでレビューを隠していますが、それでもハッキリ書きたくはない。それほど衝撃だったと言えばそうなんですが、主題はそれじゃないと思います。
正直、難しい映画でした。実は少し睡魔に負けました。でも、コンクラーベ(教皇選挙)の緊迫した様子や、そこで起こりうることの予想はなんとなく判っているつもりです。
高位の聖職者といえど、人間です。トラブルはあります。その過去の経緯で落選してしまう選挙の厳しさ。宗教ならでは、特に性的なトラブルが問題視されるのでしょう。また、どうしても選挙の結果にも何らかの意図を働かせたくなる。根回しの密談が妙にリアル。
性的な問題ですが、古来からのキリスト教の禁忌。女性が教会に入っては成らないという問題。集まった枢機卿でしたか。選挙の参加者は男性ばかり。数少ないシスターは「私はいないことになっている身の上ですが」みたいなセリフで成る程と思った。男性社会の昔の風習をそう簡単に変えられないのは仕方ない。そういえば、そんな教会だからこそ男性ソプラノであるカストラートが産まれたのでしたか。男色が営まれるのも無理からぬ話。
というエピソードを辿ると、結局は結末に話が繋がってしまうのですが、なんというか、それも宗教特有の問題であるなら、それに対する新教皇の選出に働いたのもまた、宗教の教えにある「赦し」だと思うのです。亡くなられた教皇が新教皇に「赦し」を与えた、それこそが、ただの選挙の話ではない、キリスト教、宗教ならではの選挙であったと思います。それ故に、このタイトルの意味は「あ・・・」で具体的な結末に気づき、続いて「ああ・・・」でその意図を考え込んでしまった、という具合です。でも、なんだか言葉にしづらくって。
映像も良かった。最初に登場する枢機卿?さんだったかの後ろ姿。クビに掛けられた鎖が十字架の重み、自らの責務の重みを表しているのか。枢機卿達によって、下げている十字架のバリエーションもまた、それぞれの重み、格式、見栄、豪奢な生活感の違いなのか。十字架と云えば、クライマックスで選出された新教皇に問いかける時に、背後に暗い十字架があったのがメッチャ意味深。いちいち考察したくなります。枢機卿達が一斉に傘を差して歩くシーン。格式のある教会に見せて、煙草の吸い殻で地面を散らかし、スマホの興じる姿もまた、現代の教会を現しているのか。あの、教会に紛れ込んだ亀さんはなんだったのだろう。それを水場に返すシーンは何か意味が有るのか、めっちゃ宗教的なんだけど、誰かの解説を賜りたい。票を入れた瞬間に爆破事件が巻き起こるのは、神の啓示であるかのよう。いやもう、素晴らしい映像の数々。
ただ、最後の最後はどういう意味だったのだろう。記憶が正しければ、シスター達?が笑い歩く姿で締めくくられていたような。解説も聞きたいし、2度でも3度でも見返さなければ理解出来ない興味深い面白さがあったと思います。
神を理想とする彼らが1番人間らしい
突然のローマ教皇の死により、次の教皇を決めるために世界中から100人以上の候補者が集められ、外部と完全遮断された礼拝堂で教皇選挙〈コンクラーベ〉が行われる。
文字に起こせばこれだけの話ではあるのに、その話の中に保守派とリベラル派の対立、聖職者のスキャンダル、野心、汚職、多数派と少数派…様々なテーマが次々と何重にも重なってくるのがおもしろい。
神を信じ、神という理想に少しでも近づけるよう生きる彼らが、むしろこれでもかというほど、生々しく人間らしい姿を曝け出すのも、おもしろい。
選挙を取り仕切る主人公ローレンスの息遣いや足音が作品内でもすごく強調して響き渡っていて、それがより一層緊迫感や焦りみたいなのを感じさせてくる。それもあってか、まるで自分もあの場で選挙に参加する1人になったかのような気持ちになった。まさにスリリングなサスペンスエンターテイメント作品!特に最後の衝撃は、是非映画館で味わってほしい。
また、劇中色彩として赤がところどころで印象的に描かれていて、それが絵画のようでとても美しかった。
色彩だけでなく、選挙の準備ひとつをとっても、歴史や気品を感じられる作法や衣装に、思わず「美しい…」と見惚れてしまうシーンが度々あり、その手もこの作品が魅力的だった部分のひとつだった。
宗教に対しての新たな気づきもあり、音と色彩と巧みな脚本で満足度の高い作品だった。
スカッとアクション映画並みの鑑賞後感が、よいのか、悪いのか、 奇跡なのか
初週から結構お客さんが入っているとのことで、画面で登場するような、オレのようなおっさんや先輩方ばかりの客層かと思えば、さにあらず。熱心な若い映画ファンなんだろうね、カップルさんも多く、意外とオレのようなメンドクサイお客さんはいなかった。
ルックと鑑賞後の印象ががらりと違う、オシャレさんもエンタメ大好き映画ファンも満足ささる、ある意味奇跡の
「教皇選挙」
・
・
・
「ああ、面白かった!」でスカッとアクション映画並みの鑑賞後感がよいのか、悪いのか、
奇跡なのか、といった塩梅。
面白いけど、ご都合すぎやしねえか。キャラがテンプレ過ぎて漫画だし、ベニテスの演説もちょっとセリフ自体はこっ恥ずかしい。
と思っていたのだが、ラストの亀の出現とそれを噴水に帰す、というところで、これは前教皇が描いたシナリオ通りに事が進んだことが分かる。
前教皇がチェスの名手(先を読む、手駒を操る)であるということと、トマスが前教皇を、「愛してた」ことが本作の主軸。
トマスは、前教皇から、管理者としての使命を受けるが、すでに、クセものだらけの、というよりも、「おいおい、こんなのしかいねえのか。。。」のおじさんたちを教皇候補から外すよう導かれただけで、ベニデスを教皇に仕立てあげるシナリオ通りにことが進んだだけに過ぎない。
もちろん、トマスが、前教皇の部屋に侵入し、ベッドのそばの壁の隙間から証拠を見つけることも織り込み済なんだろうね(笑)
「愛」故に、一人教皇のベッドの脇でおいおいと、むせび泣くところは最高だった。
トマスは「愛していた」から、教皇の思い通りに「管理職」に徹することを決意し、だが、色気なのか、こんなに選挙がもめるなら、なってやろうかと思ったのか、の自分への投票の際、「おいおい、お前違うだろ! ちゃんと仕切れや!」と、爆発という形でのお叱りを受ける。
そんなこんなで選ばれた新教皇が、そういう身体的特色を持った人物だった。
ストーリー自体はもうネタとサプライズ優先のご都合主義満載だが、前教皇の「シナリオ通り」と言われれば仕方ない。。
ところが、前教皇の意に反して、手術を行わなかったことは、トマスの信仰をさらに上回る、ありのままの姿(インノケンティノス)で「理想を求める」姿だった。それは「無垢」であり、「絶頂期」を期待させるダブルミーニング。
トマスの名乗ろうとした「ヨハネ」は、そういった流れからは、「洗礼者」のほうではなく、「弟子」の方を指しているのかなと。
「イノセント」な新教皇誕生と尼僧の笑い声を聞くトマスは、シスター・アグネスの存在も併せて、バチカン内の「女性」の存在を改めて知り、また新時代への「理想」を想像したことだろう。
追記
票を失った各候補のシュンとした顔、素敵。
追記2
「女性」を意識したことで、トマスの「愛」はどこに向かうのか。
最後に驚きはある
新教皇を決める教皇選挙のことを「コンクラーベ」というらしい。世界中から集まった100人を超える候補者たちが、システィーナ礼拝堂の閉ざされた扉の向こうでただひたすら投票を繰り返すその様を執拗に丁寧に描き出している。ちなみに「コンクラーベ」とは「鍵をかけた」という意味で日本語の「根比べ」とは無縁とのこと。
権力を前にするとどんな聖職者とされる人間でさえも時に俗物に成り下がる。観ている私たちは観てはならないものを観せられた気がして気が滅入る。決して同じではないと願うが、普段私たちが直接見ることのできない総理大臣選挙など清廉や潔白を求められる選挙が、この映画のように絶望すべき俗物感情のメロドラマだとしたら最悪だと想像してしまう。
ストーリーは地味で単調なのに、役者の重厚でしっかりとした演技と美しい映像が見応えがあり不思議と長いとは思わない。観客は次第に投票を見守るオーディエンスの立場から投票者側の心情に変化していく。一体誰が教皇に一番相応しいのか?答えを探しながら物語に没頭していく。故ローマ教皇の真意はどこにあったのか?その真意と思惑通りに教皇選挙は進んだのか否か?
ラストにもうひと波乱あり?!
うん、驚きはある
なるほど🧐
選ばれるべき人はいつも一番遠くで変わらぬ心を貫き通す人なのか…
【この映画をオススメな人は】
寝不足ではない万全の体調の方
じっくり味わい深い映画が好みの方
アカデミー賞受賞作品はぜひ押さえておきたい方
俗欲にまみれた中高年男性たちの根比べ
聖職者には人一倍世俗と一線を画し、煩悩を克服した者というイメージがある。というか、そうあってほしい。
だがそんなイメージが裏切られる場面が往々にしてあるのが現実。だからこそ、聖職者の選挙を描く映画と聞いてドロドロ政治劇を期待してしまうのだ。
コンクラーベでの教皇の決定には、投票総数の3分の2以上の得票が必要だそうだ。初日午後に最初の投票、それで決まらなければ続く2日で午前午後2回ずつ投票。それでも決まらなければ1日祈りの日を置いてまた同じ手順を繰り返し……といった感じで続けていくという。
外部の力の介入を防ぐため選挙は密室で行われるが、水面下では静かな負の情報戦の火花が散る。彼らが欲するのが権力か名声かは知らないが、法衣の下の生々しい欲望が蠢く様はとても人間臭くて興味深い。
映像美に見惚れる。彩度が低い背景に、緋色や漆黒の衣装がよく映える。聖職者の集団のシーンも緻密にデザインされたような構図で、中世の宗教画を見ているような気持ちになる。
ところがその美しさの中に、時折違和感を放つものが挟み込まれる。聖職者たちが捨てた煙草の吸い殻、現代的な文明の利器。礼拝堂の自動シャッター、スマホを使う聖職者たち。
時代設定が現代なので当然のことではある。ただ、伝統的な様式美が生み出す崇高な空間があまりに完成されているために、現代的なアイテムの醸し出すそっけなさ、世俗的な雰囲気が際立って見える。
神社の賽銭箱の横に掲げられた2次元バーコードのようなもので、宗教関係者が現代の便利アイテムを使っても何の問題もない。ただ本作のような映画で描写されると、聖職者たちの俗っぽさの投影のようにも見えてくる。
メインの枢機卿たちのキャラが濃くて楽しい。序盤の投票で優勢だったテデスコとアディエミは、いかにも「こいつを教皇にしたらあかん」キャラで、ああ教皇って適性じゃなくて政治力や押し出しの強さで決まるのね、ということがわかりやすく伝わってくる。
ベリーニは真面目でリベラルだが地味なせいかウケない。トランブレは死の床の教皇にひとりで会うなど怪しい動き。選挙を仕切るローレンスの立場はとてもストレスフルだ。
立場上彼のもとに寄せられる他の枢機卿たちの動向に関するリークで、彼は次第に疑心暗鬼になる。また、自分に票が入ったことで親友のベリーニに野心を疑われる。一方、実はそのことがまんざらでもなかったのか、ベリーニと和解した後、遂には自分に票を投じる。
私欲に負けたローレンスへの天の裁きのごとく衝撃波と割れたステンドグラスが彼を襲うシーンは、畏怖を覚えるとともに絵画のような美しさに目を奪われた。
ラスト間際まで人間不信に翻弄され、静かに苦悩するレイフ・ファインズの抑えた演技がいい。
新参者として現れたキーパーソンであるベニテスの清らかな存在感。演じたカルロス・ディエスは30年建築家として生きてきて、パンデミックの直前から演技のワークショップに通い始めたそうだ。彼の個性が役柄にマッチして、名優たちと十分渡り合えていた。
カトリックの聖職者の世界は、典型的な男社会とも言える。キリストが男性のみを使徒に選んだことを理由に、女性が司教になることは禁じられている(近年では、修道女が教皇庁や司教省の要職に就いた例はあるようだ)。中世に女性教皇の伝説はあるが、これは創作と考えられている。
ベニテスはインターセックス(半陰陽)であり、一般的なトランスジェンダーのように純然たる男性または女性として生まれたわけではない。男性として育ち、たまたまきっかけがあって自分が子宮と卵巣を持つことがわかった、性的にとても曖昧な存在だ。
教皇は男性であるべきという縛りはキリストの選択が根拠であるだけに、リベラルなローレンスも怖じ気づいた。
だが彼は、既に教皇の座をめぐる醜い権謀術数、その中にあって新参者でありながら食事の時の丁寧な祈り(直前の別の枢機卿のおざなりな祈りとは対照的)、爆破テロの直後に披露した見事な見識など、ベニテスの人格の素晴らしさを目にしていた。
そして、亡き前教皇がベニテスの真実を知った上で奉職を許し、密かに次期教皇選挙の投票権者に指名したという事実があった。
目の前に教皇に相応しい資質を備えた人間がいるのに、彼が身体的に女性の要素を持つという理由だけで排除することにどれほどの意義があるのか。ベニテスの身体もまた、神が創りたもうたものではないか。
男性の枢機卿たちは権力欲にまみれていたり、器の小さな者ばかりで、人間性はベニテスに遠く及ばない。むしろふたつの性の間にある存在であるベニテスこそ、「確信」を遠ざけ人々を真の信仰に導く存在ではないか……
ローレンスの心境はそんな風に動いていったのでは、と想像した。
信仰心を持ちながらも教会への信頼を失い、気の迷いで俗欲に振れてしまったローレンスだが、最後は正しい判断をしたのではないだろうか。
終盤ベニテスが選挙で勝った時点で、「このままでは終わらない、ベニテスにも何かあるはずだ」とわくわくしながら(おい)待ち構えていたのだが、地味目に進んできた物語の中で、緋色の法衣のように異彩を放つどんでん返しに驚かされた。
もしかすると好き嫌いが分かれるのかも知れないが、物語にインパクトをもたらすだけでなく、慣習からくる差別、信仰の本質などについての問いかけを感じさせる秀逸なクライマックスではないだろうか。
ルックが良い
現実にもローマ教皇が亡くなったことで俄然注目度が増している本作だが、そうした外的要因抜きにしても、非常に面白い作品なので、ぜひ多くの人に見てもらいたい。
まず撮影の見事さ。荘厳な宗教画のような雰囲気が全編に漂うが、登場人物たちは電子タバコを吸っていたり、スマホをいじっていたりして、そのギャップが面白い・古くて厳かなものと新しいものが混ざりあう空間になっているのだ。
古いものと新しいものが混ざり合うというテーマは、物語にも反映されている。保守的な勢力と改革派の勢力が権謀術数を用いながら選挙戦を戦うさまにそれが表れている。史上初のアフリカ出身の教皇誕生の可能性もあったが、保守勢力の策略で失脚。女性の方が信徒としては多いカトリックだが、ここで話し合いをやっているのは男性ばかりという現実。そこに楔を打ち込む存在のメキシコ出身でアフガンの協会からやってきた枢機卿。
亀が印象的だ。亀のようにスピードは鈍いが、ゆっくりとカトリック教会も変化しているのだということの現れか。
レイフ・ファインズはじめ、役者がみな素晴らしい。印象的な顔がいくつもあった作品だった。
コンクラーベを肴に、どこまで遊べるか
いい歳した偉そうなオジサンたちが、恥も外聞もなく右往左往する様をスリリングに描いていて、さすがに面白い趣向だと思う。ただ、正直、(ひとつの仮定として)これが現代に刺さる皮肉や批判やメッセージが込められているのだとしたら、そこまで現実にコミットした作品だとは思えない。というのも、この物語がやり玉にあげている権威とか、時代を変革する希望みたいなものが、これだけムチャクチャなことがまかり通っている現実の世界と比べると、かなり単純化されたものに思えてしまうから。むしろここで提示されている希望なんて見せかけのものでしかなんだよと乾いた目線で見つめている作品という受け取り方もできるが、だとしてもクリティカルに現実にヒットするとは思えない。コンクラーベを肴にした、余裕のある側のひとつの遊びとして楽しみましたよ。
選挙という名の極上の密室ミステリー
ヴァチカン中枢の深紅の世界を舞台に据えるという宗教的なリアリティに挑んだ知的興奮もさることながら、本作は選挙という民主主義的過程を通じて浮かび上がる推理小説然とした面白さを併せ持つ。それこそ『裏切りのサーカス』のストローハンが脚色を手掛けたのも、一筋縄ではいかないキャラをチェスの駒のように冷静沈着に動かす手腕が最適とみなされたからではないだろうか。兎にも角にもまるで容疑者の如く候補者が浮かび、一人一人が脱落していくその根拠に至るまでの入念な捜査過程があり、しまいには真犯人登場さながらに最後の一人が、動かぬ説得力と確信性をもって選出される。選挙とはかくも先読み不能なミステリーであり人間ドラマなのかと荘厳な描写力に溜息が出る。まるで『サーカス』のスマイリーのように任務遂行するレイフ・ファインズの機微の演技、さらには自らの信仰心と向き合いながらの葛藤も秀逸。久々に極上の密室ミステリーを仰ぎ見た。
狭くて広い視野を持つ傑作にしてエンタメ映画
ローマ教皇の死去に伴い、世界各地から次期教皇候補100人超がバチカンに集結し、コンクラーベ=教皇選挙が執り行われることになる。これまでも教皇選挙が物語のきっかけになる映画は何作かあったけれど、本作は選挙ものそのの深層に切り込んでいる点が目新しい。それは、亡くなった教皇の指から印章の偽造を防ぐために"漁師の指輪"と呼ばれる指輪が外され、破棄されたり、投票所になるシスティーナ礼拝堂のシャッターが閉められ、投票権を持つ枢機卿たちは特別室に隔離されたりと、描かれるディテールの細かさにまず、目を奪われる。
やがて次々と明らかになる有力候補者たちの耳を疑うようなスキャンダルが、レイフ・ファインズ演じる選挙管理人、ローレンス枢機卿の頭を悩ます様子は、同情を超えて徐々に笑いを誘うことになる。何とか事を丸く収めたい枢機卿の願いとは裏腹に、事態はとんでもない方向へ舵を切るのである。おかげでファインズの額の皺が徐々に深くなっていくのである。
バチカンという幽閉された空間の中に、人間の嫉妬心や猜疑心、崩れ去ったモラル、そして、戦争やジェンダー問題まで取り込んだ映画は、狭くて広い視野を持った傑作。何より、エンタメとして推薦できる1作だ。
予習
最近コンクラーベ関連を2作品観て「予習」してた。
大体の流れは知っていたが、飽きずに観られた。
最初に指輪をハンマーで叩く?のが開始の合図?
厳かな儀式だが、何となくコミカルな面も。
さすがにバレーボールはやらなかったが。笑
今時スマホも当たり前なんだろうけど、あの衣装だと違和感あり。笑
音の強弱がすごい。
あの爆音にはびっくりさせられた。
そしてラストも…2度びっくり。
実際どうなんだろう。
あり得るの?
今時の脚本とその矛盾点
現実に教皇が亡くなったことで人々は実際の教皇選挙というイベントそのものにも関心を持つことになったわけだが、恐らく制作側の意図としては教皇選挙の派閥争いを通して、バチカン内部への関心を持たせつつ、そこに現代の欧米の政治や思想の問題をメタファーとして織り込んでいる作品であり、そういった時代の変化がテーマになっている作品であると思う。
コントラストのあるしっかりとした撮影とドラマチックな音楽、確かな演技力のある役者をそろえた見ごたえある作品であるが、何よりも複雑な人間関係を見事に整理した脚本力が大きい作品だと思う。
ただ、そのポリティカルコレクトネスを、ふりかけのようにちりばめた「今時な」脚本の好き嫌いは人によって別れるところがあるのではないだろうか。
自由、平等の精神を伝えたいのはわかるのだが、「あの」人物は果たして本当に無私の野心を持たない聖人だったと言えるのだろうか?彼はずっと嘘をついていたわけだ。そして他のものと違い、なぜ彼のついた嘘は許容されてしまうのだろうか?
つまりこれでは理想主義側の正義は紛うこと無き正義なのだという潔癖で、都合の良い物語にしかなっておらず、とても現代の複雑さを内包出来ている作品とは言えないのである(特にこの作品がアメリカで公開された時と違い、アメリカが変容してしまった2025年現在では)。
そのような先進的で理想主義の側が常に正しく、遅れている相手の話は聞く必要がない、という閉じた態度が現代の社会の分断をもたらしているわけである。だからこそ「あの」人物の矛盾や偽善にまで言及出来ていれば、この作品は更に複雑で深い作品になりえていたのではないだろうか。
予習必須
カタカナ名のおじさんがたくさん出てきて、顔と名前を一致させた上で、それぞれの立場や主張を頭に入れて…としている間に、現実世界の私はおそらく数分、睡魔との闘いに手痛い敗北…。
そのせいか、映画を世界観を6割くらいしか堪能出来なかったと思う。
それでも、前教皇が仕掛けたとおぼしきギミックによって、あざやかに次の教皇が決まっていくさまは、見事だった。
カトリックの教義やしきたりを知ってから見たら、きっともっと深く感じることがあったかも。
奇しくも現実世界でもコンクラーベが行われ、あんなふうにして、決まったんだなーと、これまて遠い世界のニュースだったことが、少しだけ身近に感じられたのは良かった。
ちゃんと下調べをしてから、もう一度観たい映画です。
多様性
映画は自分が知り得ない世界を見せてくれますが、教皇選挙はまさにそれでした。
決して見ることが出来ない世界を目撃し、厳かな雰囲気を味わうことが出来ました。
最近はよく、多様性という言葉を耳にしますが、この映画でも多様性について考えさせられました。
伝統やしきたりの中でも多様性を受け入れる時代になったのか、結局最後に選ばれる人は心の美しさが大切なのでしょう。
人をジャッジする難しさ ある意味問題作
トマスが真実を見極める力
感想
つい最近のニュースでも史上初のアメリカ合衆国出身の教皇が誕生した事が話題となっていた。コンクラーベ自体は以前からその秘匿性の高さが気になり、昨年度のアカデミー脚本賞を受賞した本作を是非劇場で鑑賞したいと思っていたが、体調的に余り勝れず日比谷まで行くには遠いと感じていた。しかしニ番館上映として家の近くの映画館で上映が始まったのて出かけて鑑賞した。
全世界に13億人以上の信者を抱えていると言われているローマンカトリック。その頂点にある教皇が亡くなり次の教皇を選出する為に行われる教皇選挙(コンクラーベ)に於いて選挙管理を司る首席枢機卿の視点を通して展開していく人間が企てた様々事実(事象)を描き変化し続けていく人間模様の中で新しいローマ教皇が選出される模様を描くミステリーサスペンス。
コンクラーベを進めていくうちに次第と分かってくる次期教皇となるべき枢機卿達の過去や人間としての考え方や、神と真摯に向き合う時、神に対する畏敬の念と宗教指導者としての顔の裏にある人間的な虚栄心や自我、利己的な心の葛藤や悩みと苦しみ、自分が過去に犯してきた聖職者としてとても人には言えない罪への贖罪の気持などが赤裸々に浮き彫られる。その様子は現在の全世界が抱えている様々な民族的災いや国家間の争いに巻き込まれる人間の不幸、死の悲しみと重なり観る者に心の葛藤と問題を投げかける。
本作に於ける教皇の選出結果にしてもその結末は其々の個人が持つ宗教的信念と掛け離れていて賛否両論があるのかも知れない。しかし世の中の不確実性極まる事件や事故さらに社会問題化する多様性社会の問題等が、普段の社会には溶け込んでいるが、一旦事象が発生してくると顕在化してくるダイバーシティにおける人種的差別問題やジェンダー受容、格差問題、その他不条理な諸々の現代社会の心理、また細々とした人間関係、社会的要素が加わりそこから想定外の事態が発生してしまうという事実がある。
それらを鑑みると本作主人公の第一日目の最初にあった祈祷の中で発せられる「確信に満ち溢れた信仰、又は確信に満ちた行動や考えほど思い込みが過ぎてしまい独善的な恐怖と抑圧に満ちた偏見を生み出してしまう原因になるのではないか?人として不確実性の中を生きることによる迷いや悩みの原因と苦しみがあるのだが、一つずつ人間として向き合い考えぬき、ある程度の納得をして結論を出して解決していく事が正しいのではないか。此処に集う全員に神様のご加護があります様に。」と祈祷の意味を私は解釈したのだが。ローマンカトリックの各地区のリーダーたる枢機卿という高い位の立場の者であっても人として、また一個人としての考えをその場にいる者の内で心が通い合う者同士だけでも良いので意思疎通を繰り返し話し合う事が最良で正しい判断であると感じさせるシーンが印象的であった。
精神医学の中に認知バイアスという考え方がある。それは判断においての規範や合理性から体系的に逸脱したパターンを指す。閉鎖空間の中で繰り返し行われる投票行動により認知バイアスが働き全く予測が出来ない経緯を経て真の宗教的リーダーが選ばれる事もあるのだということが本作を鑑賞してよく解った。三日間で数回に渡る投票を繰り返すうちに枢機卿達は神と自己との関わり深める。同時に現実として新しい教皇を選出するという行動に認知バイアス規制が掛かりその内で最適と考える候補者を選出していく。単に票集めの政治的工作や競合者を貶める様な裏工作も宗教者を選出するという行為は良心の呵責が大きく作用し、新たな情報としてその行動を認知する事により、新しい認知バイアスが作用する。認知バイアスは全く自由に情報を選択できる場合に的確な回答を外しむしろ逆に害を及ぼす場合もあるが、情報が限られた世界(外部からの情報を遮断された空間)においては認知科学又は社会心理学的に見ても認知バイアス上での教皇の選出は真当な事となり得る。
世界的多数の信者を持つ宗教のリーダーを選出するために故意に情報が入れない世界を設定し神と自分を対峙させる事で真実として結論を導き出していく教皇選挙。しかし、真実として選ばれた者であってもその後の振る舞いによっては正当ではなかったと解釈される事も存分に考えられるのだが。
本当の真実とは何か。世界の、どの分野(宗教・国家・政治・民衆文化)にも該当する本当の真実(人間の本来持ち得る、本質的な道義・道徳的な正しさ)は既存の規範や合理性から体系的に逸脱したパターンの中に実は存在するのではないか?そんな気持が湧き出てくる作品であった。
世界の現状は過ぎたる「確信」による災いが世の中ではありとあらゆる場所で頻発し、国家や政府のリーダーがその「確信」を改めない限り世界に平和は訪れる事はない。その中で新しい宗教リーダーであるローマ教皇は世界平和実現の為にどの様な働きをしていくのだろう。興味を持ち注視していきたい。
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脚本・演出◎
想像以上の脚本の出来映え。自分自身の信念や信仰が無くても問題提起として充分な仕上がりをみせる。
配役
レイフ・ファインズ:トマス・ローレンス
神経質で人間性豊かな神への畏れを持つ首席枢機卿を絶妙な演技でまさに聖書にある「キリストの復活を疑い惑うトマス」のような表情を体現していて秀逸。
イザベラ・ロッセリーニ:シスター・アグネス
「ブルー・ベルベット」が自分にとっては衝撃の映画であったので懐かしい。久しぶりに御姿を拝見。シスターの服装なので最初気付かず。
ジョン・リスゴー:ジョセフ・トランブレ
スタンリー・トゥッチ:アルド・ベリーニ
セルジオ・カステリット:ゴッフレード・テデスコ
ルシアン・ムサマティ:ジョシュア・アデイエミ
カルロス・ディエス:ヴィンセント・ベニテス
⭐️4.5
宗教的よりも権力争い
ええええ
ラストで思った感想がコレです。
話の流れで、ローレンスが教皇になるかと思ったのに、自分で自分の名前を書いた時に、空から爆発物が降ってきて、天からの啓示を感じさせました。
あの演説で、皆の意見が1つになり、選ばれた人が女性器を有する人とは思いもしませんでした。
枢機卿とは言えど人間、誰しも清廉潔白ではないですが、聖母マリアも信仰の対象ならば、これもアリかもと思ってしまったほどです。
教皇選挙を当事者目線で体感できる高質で重厚なサスペンス作品
全世界14億人の信徒を持つカトリック教会の頂点を決める教皇選挙の舞台裏を描いた作品。
ロバート・ハリスの小説『CONCLAVE』を原作とし、小説はベネディクト16世の選挙にも参加したラッツィンガー枢機卿の日記をもとにしている。
現実世界ではベールに包まれ、内部の人間しか知りえない教皇選挙の内情がリアルに描かれ、当事者目線で選挙を疑似体験できる作品となっている。
前教皇の死去によりバチカンのシスティーナ礼拝堂には世界各地から枢機卿が集められ、次期教皇を選出する教皇選挙が行われる。
教皇選挙を表す『コンクラーヴェ(Conclave)』はラテン語で『鍵のかかった(部屋)』を意味するが、文字通り選挙人である枢機卿団は次期教皇決定までバチカンのシスティーナ礼拝堂に閉じ込められ、外部との通信も完全に遮断される。
これは1268年に教皇選挙が紛糾し、3年近く空位が続いたことに怒った民衆が、教皇決定まで選挙人を会場に閉じ込めたことに端を発し、以来このシステムが確立され現在に至っている。
この映画には次期教皇を目指す6名の枢機卿が登場する。
ひとりはこの映画の主人公であり、前教皇から主席枢機卿を任され、野心もなく規律に厳格で清廉潔白だが、自信の信仰に疑念を持つローレンス。
前教皇と政治的な方向性が近く、多様性を尊重するリベラル派だが、人望に欠けるベリーニ。
同じく教皇に近い思想を持つリベラル派だが、汚職に手を染めるなど腹黒く野心家のトランブレ。
前教皇の方針を真っ向から否定する強硬保守でタカ派のテデスコ。
唯一の黒人で次期教皇の最有力候補だが、過去の不貞行為という爆弾を抱えており、排外主義的で保守派のアデイエミ。
出自に謎が多いものの、ぶれない信念を持ち、清廉潔白で信仰心が厚く、前教皇の計らいで秘密裡に枢機卿に任命されたベニテス。
選挙は世俗の政治さながら、教会の伝統を守ろうとする保守派と多様性に寛大なリベラル派という対立軸で進行していく。
『聖職者も生身の人間であり、理想の姿を追い求める者であって、理想の姿そのものではない』
聖職者とはいえ、そこはやはり人の子。候補者それぞれの思惑や陰謀が複雑に絡み合い、選挙戦が進むにつれ、候補者の汚職や過去の不貞問題が次々に明るみとなり、そのたびに選挙戦の勢力図は刻一刻と変化していく。
どちらに転ぶか分からない混乱の行方を固唾を飲んで見守るスリリングな展開が続き、選挙は次第に泥沼化していく。
『選挙は戦争じゃない!』『いや、戦争だ!』もはや聖職者の選挙とは思えないこんなやり取りがなされ、混乱は頂点を極める。そうして枢機卿団のイライラが頂点に達した時、ベニテス枢機卿がこう問いかける。
『みなさん何と戦っているのです?』
そこでハッと我に返る枢機卿たち。人は価値観が対立したとき、つい戦闘態勢を取ってしまいがち。我々世俗の世界でも保守と革新、多様性と排他主義などあちこちで世論の分断が見られるようになった。
しかし、対立や分断からはなにも生まれない。『自分は何と戦っているのか?』そう自問し、戦いではなく、相手の主張と向き合うことでしか解決策は生まれない。映画は我々にそんなことを問いかけている気がした。
少し話が脱線したが、最終的に次期教皇に選ばれたのは、権力闘争とは終始距離を置き、信仰に忠実で高潔な魂を持つベニテス枢機卿だった。
彼は『インノケンティウス』という教皇名を名乗るが、この名は歴史上13名の教皇が名乗った教皇名であり、その語源は『純粋、無実、無害』を意味する『innocent』である。
厳しい環境のなかで人々を導き、信仰に忠実なベニテスに相応しい教皇名であり、紆余曲折ありながらも、混迷する現代の羊飼いに相応しい教皇が選ばれたといえる。
また、家父長制的な価値観を持つ(枢機卿は男性しかなれない)カトリック教において、ベニテスが男性にも女性にも分類されない身体的特徴を持つインターセックス(性分化疾患)という点も興味深い。
カトリック教会の役割とはイエスキリストの教えを守り、それを後世に受け継ぐことだが、そんな使命を帯びた組織の中にも様々な価値観があり、伝統をどこまで守り、どこまで変化を許すか、その両者のせめぎあいがカトリックの抱える葛藤でもあり、それが垣間見えた興味深い作品だった。
そして、この映画最大のミステリーは、この結末が前教皇に導かれたものではないかという謎である。
前教皇のチェス仲間だったベリーニ枢機卿は、前教皇を『常に8手先を読んでいる』と評し、その先見性や戦略性を評価している。
前教皇は生前から次の教皇選挙を見越し、枢機卿たちをチェスの駒のように動かして、ひとつの結論へと至るようさまざまな仕掛けを行っていたのではないか。
トランブレの汚職の証拠をベッド裏に残し、そのトランブレにはアディエミと不貞関係にあったシスターを召喚させ、ルールに厳格で疑い深いローレンスを主席枢機卿に任じ教皇選挙を仕切らせた。
ローレンスは前教皇の思惑通り、汚職や不貞行為の真相を次々と突き止め、知らず知らずのうちに対立候補を追い落としていく。
そして、前教皇が密かにキングの駒に定めていたのがベニテスであり、ローレンスは『8手先を読む』前教皇に導かれるようにしてベニテス勝利へのレールを敷いていた。
果たしてどこまでが前教皇の計画だったのか?そして、インターセックスであるベニテスは今後も秘密を隠したまま教皇であり続けられるのか?前教皇の亀はなにを暗喩しているのか?など、鑑賞後も残された謎にあれこれ思案を巡らし、余韻に浸れる素晴らしい作品だった。
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