「原作と比べ、いろいろ惜しい」美しい夏 島田庵さんの映画レビュー(感想・評価)
原作と比べ、いろいろ惜しい
チェーザレ・パヴェーゼによる原作小説は、1940年に書かれた。
映画では、1938年という設定。
場所はイタリア北西部、トリノ。イタリア第2の工業都市。
16歳のジーニアと、19歳か20歳のアメーリアの物語
と、原作ではなっているんだけれど、
映画では、
ジーニアがとうてい16歳には見えず、
下手するとアメーリアより物腰(と声)が大人っぽくて、う~む。
――そこ、いちばん肝心なところですから、
もうちょっとキャスティングを何とかしてほしかった。
あと、
いくら「1938年」と画面に表示しても、
観客は21世紀の人なので、
どうしても現代の視点が入り込むのを避けられず(コンプライアンスを含め)、
当時としては一大事だったことが理解しづらく、
制作側もそれを乗り越えたとは言いづらい。
* * *
映画を観てから原作を読んだ。
邦訳は岩波文庫にある。
イタリア語で原文を読むのはワタクシには無理なので検証はできないんだけれど、
不自然な日本語がちょいちょい気になった。が、それはさておき。
映画で違和感を感じるのはたいてい、
脚色であらたなエピソードを加えたところ。
この映画も例外ではない。
たとえばジーニアが洋裁店で才能を認められて大事な仕事を任された、
なんてくだりは原作にはない。
こういうのはだいたい、
展開にメリハリをつけてドラマチックにしようという意図なんだが、
違和感しか感じない。
また、女性の置かれている立場が、この90年近くで
(本質的に変わっていない部分はあれど)
かなり変わったことは言うまでもないだろう。
* * *
それからこの原作は、
ジーニアの視点で見えないことは書かない、ということに徹している。
つまり作者の「神の視点」は排除されている。
だから読者は、否が応でも
ジーニアと同じ立場でリアリティを感じつつ読み進まざるを得ないのだが、
映画ではそういう芸当は無理だから、その辺でのユニークさは表現し得ない。
さらには、
作者はこの小説を書く5年前「反ファシズム」のカドで3年間の流刑に処せられているので、
この作品の執筆も監視にさらされていたのは間違いないだろうから、
ファシズム批判を明確に表現することなど、たとえ思っていたとしても不可能だったはず。
(チラホラと、象徴的、比喩的に読み取れないわけではないが)
映画は、さりげないショットをいくつか入れてた。ファシスト党の黒シャツとか。でもそれ以上のツッコミはなく……
そんなあれこれをいろいろ考えると、
この小説を今、映画化する意味って、何なんだろう……