シサムのレビュー・感想・評価
全67件中、1~20件目を表示
現代人が心に刻むべき歴史
アイヌの方々の、大自然と調和した平和で穏やかな暮らし振りの美しさに心を打たれる。
映画では彼等とは対処的に欲にまみれた侵略者として和人(松前藩)が登場する。
かなり凄惨な映像もあるが、実際には、もっと酷い状況だったのだろうというのが想像出来てしまう。アイヌの人々を蝦夷(エゾ)と蔑み、獣を狩るようにアイヌの人々を討伐する和人の振る舞いは決して許されるものではない。
途中からアイヌ民族に感情移入して心が痛んだ。
彼等に非道を働いた大和民族の子孫の一人として誠に申し訳ないと思う。
こうした映像は後世に残すべき貴重な資料になる。
「歴史は繰り返す」?
アイヌとの歴史に刻まれた "人間" の "生きること" の本質。そこで露わになるのは、今も繰り返される "侵略" と "略奪" そして "ジャーナリズム" の意義。
アイヌ、松前藩、幕府は、パレスチナ、イスラエル、アメリカ。孝二郎は差し詰めアミラ・ハスか?
人間の愚かな振る舞いが続く限り、この映画の輝きは失われない。これは悲しむべき悲劇か、笑うしかない喜劇なのか
パッチワークに表現されたアイヌと和人の間で揺れる気持ち
アイヌに助けてもらった恩恵からアイヌ側の気持ちもわかるし、松前の武士としての立場もあるしで揺らぐ主人公。
アイヌのお婆さんが直してくれた着物のパッチワークは、元の青い服にアイヌの刺繍が施されており、両方の間の立場となってしまう主人公の気持ちを表現していると感じた。
最初の稽古シーンで大川氏の背後にある掛け軸の習字下手くそじゃない?とか
坂東龍太さんの役、もうちょっと何か動きあってもよかったかな〜とか
リキアンノが襲われる回想シーンへの導入やカメラに血がつく演出はちょっといかにもすぎるかな〜とか
ポスターのキャッチコピーになっている「生きろ。未来のために」をセリフとして言っちゃうか〜!とか
いろいろ気になるところはあったけど、題材として勉強になったと感じる。
あと、音楽が全体的になぜか結構おそろしい雰囲気。
ただアイヌと暮らしているとこは平和な感じをもうちょっと出してくれたら、アイヌに味方する時にもっとこちらも共感できそうだなと。
「史実に基づいた物語である」から始まったなら、この後アイヌと幕府、松前藩がどうなったのか最後に文章でも良いからあって欲しかった。
実在の人物ではないから違うと思うけど、あの演出的に孝二郎はてっきり歴史小説家にでもなったのかと思いそうになった。
しなやかな、風、もう一度見たい
映画完成時の中尾浩之監督のコメントに「目指したのはやわらかな風のような映画です。寛一郎さんはそのしなやかさを見事に表現してくれました。予想を遥かに超えたところへ映画を引きあげてくれました。類稀な才能に出会えた。」
と言っておられましたが、主演の寛一郎くん、そのとおりだと思います。
はじめはいささかか弱い主人公(終わりまで武芸は弱いまま)ですが、自身の身に起こることをしなやかに受け止め、しなやかに考える感受性、純粋さを持った主人公でした。この主人公に惹きつけられました。
緒形直人さんの上役も映画をとても引き締めていたと思います。
舞台挨拶などでは、アイヌの文化を伝えたい、今の世の中だからこそアイヌと和人の歴史を知ってもらいたいと寛一郎くんもサヘル・ローズさんも言っておられました。
往々にして、そういうメッセージ性がこの映画の評価の前面に出る要素もありますが、映画としてとっても正統派な映画だなーと思いました。
映像も美しく映画館でこそ見る映画だと思いました。
昨今人気漫画原作のエンターテインメントに振れた大作シリーズが流行るようですが、大手ではないところで、しかも初めて映画製作されたプロデューサーのもとでこの「シサム」のような映画が作られたことは素晴らしいと思います。
もう一度映画館で見たいと思っていましたが、上映館数や上映回も少なくてとっても残念です。
ハワイ国際映画祭で上映されたとか、公式ホームページでもその報告などなどもっと宣伝してほしいなーと思っています。
アイヌ=人間という意味を知らなかった
シサム
邦画をほとんど観に行かないのですが、中島みゆきさんがエンディングということで映画館に行きました。『糸』とかまだ観てないけど。
俳優は知らない人ばっかりで、こんないい役者がまだまだおったんか、富良野塾?って思ってエンディング見たらけっこう知ってました。緒形直人とか、そういえば緒形直人に似てるなって思ってたけど、サヘル・ローズとか要潤は、言われてもまだ信じられない! 途中雄大な自然を前にして寝てしまったのですが、和田正人も僕が寝る前後でキャラが変わってて素晴らしかったです!
戦闘シーンは予想もしないくらいの迫力で、弓矢が迫ってくる恐怖を感じました。『英雄/HERO』の一斉発射以来のインパクトです! よく、カメラレンズに水しぶきや雨粒が付いて臨場感を出す、っていのは目にしますが、血がこびり付いたのははじめて見るかも?
無力感漂う結末ですが、せめて書き残すことが「アンネの日記」のように後世の人を諭すことになる、という希望になるのでしょう。
中島みゆきさんファンとしては、♪「一期一会」合う?って思ったけど、『世界ウルルン滞在記』とは違う重みを与えてくれました。この歌で泣いたのはじめてです。 ♪「伝説」とかでもよかったかも?
歴史を語る事
江戸時代に、蝦夷地のアイヌとの交易を独占していた松前藩の藩士が、和人(シサム)こそがアイヌの非道な収奪者である事に気付いて行く物語です。和人とアイヌの物語というと今年は『ゴールデンカムイ』の年ですが、本作はあれほどの振り切ったエンタメ性はありませんが、その分、問題の本質により真正面から向き合った物語でした。
松前藩とアイヌはやがて武力衝突にまで発展するのですが、このお話の大きな特徴は、この男が「藩士の筋を通してアイヌを成敗すべきか」「アイヌの側に立ち、藩に弓を引くのか」を煩悶する点です。観る者は、「あなたならどうした?」の問いに自然に導かれます。そして、彼の下した決断というのが、「歴史を語る」という事の本質に迫るものでした。
尚、これは仕方のない事なのですが、アイヌの人々の面立ちがやはり和人のものだったのですが、そんな中、サヘル・ローズさんの配役が妙なリアリティを生んでいました。政治家すら「日本は単一民族」などと言ってのけるこの国に暮らす以上、琉球民族についてもアイヌ民族も在日コリアンの人々もシサム(それとて殆どは渡来人)の人間が学ぶべき事は沢山あります。
令和の今にも改めての反省材料
支配者が被支配者に自分の価値観を押し付けることは、古今東西の歴史に珍しいことでは、決してないのですけれども。
本作の場合は、採取・狩猟生活を営んでいたアイヌの人たちは(例え遥かに豊かな精神生活を営んでいたとしても)、すでに交換経済という文明を確立していた松前藩の人たち(和人=シャモ)の目から見れば「遅れた生活」「原始的な生活」をしている人々と映ったことでしょう。
あるいは、自分たちが支配してやることで、彼らも文明の恩恵に浴することができるのだという、ある意味で尊大な考えがあったのかも知れません(ちょうど、太平洋戦争中に、「五族協和による大東亜共栄圏の建設」を錦の御旗に掲げ、東南アジア諸国に対して軍事的支配に基づく同化政策を採ったのと、根本的な考え方は同じなのだろうとも、評論子は思います。)
そう考えることができて、初めて、アイヌの方々を「北海道旧土人」(かつてアイヌの方々を指した法律用語)などと呼べたのだろうとも思います。
孝二郎という一人(和人=シャモ)の人物を基軸として、令和の今にも共通する反省点を浮き彫りにした
という本作は、その点において、充分な佳作だったと思います。
寄り添う気持ち
江戸時代、アイヌと松前藩の交易問題から
発展した戦い。
シサム〓隣人 アイヌ〓人間性
の意味合いが深く描かれている。
真の正義とは何かを心に頂きつつ
後世に残す為、自分の道を切り開く。
人との出会いでぬくもりを感じ、寄り添い
それを伝えようとした和人が居た。
この武士が書かなければ残らなかった
かも知れない。
一部の人間達が利益を得る為に争いと
侵略が始まった。改めて考えさせられる
作品でした。
タイトルなし(ネタバレ)
徳川治世前期。
松前の国は、蝦夷地東にあるアイヌとの交易を進めていた。
武家の次男・孝二郎(寛一郎)は、兄・栄之助(三浦貴大)とともに交易のため東の白糠へと向かった。
が、ある夜、使用人の善助(和田正人)が荷受場で不審な行動をし、見咎めた栄之助を殺害して逃亡。
孝二郎は追跡の途中、崖から転落し、気が付いたときはアイヌのコタンで彼らに助けられていた・・・
といった物語で、監督の中尾浩之はあまり耳なじみがないが、脚本はベテランの尾崎将也。
助けられた孝二郎がアイヌの文化に染まっていくさまは『ダンス・ウィズ・ウルブス』を彷彿とさせるが、尾崎脚本らしい骨太で、かつエンタテインメント性でもって物語を進めていきます。
物語を進めるマクガフィン的仕掛けが二つ。
ひとつは、孝二郎の「仇討ち」。
武士としての矜持から、兄の仇・善助を追う。
(ただし、映画中盤は仇討ちに注力していない)
もうひとつは(ややネタバラシになってしまうが)、善助の持つ「密書」である。
通常、マクガフィンは、そのもの自体の意味に重きは置かれないが、本作では、ドラマの主題に大きくかかわってくる。
これが映画最終盤への物語へと繋がり、結果、現在へと繋がるラストへと展開する。
上手い脚本だねぇ。
映画後半は、松前を中心とした和人とアイヌとの激突、衝突のアクション。
アクションシーンはそれほど多くないが、鉄砲対弓矢の攻防にはハラハラさせられます。
なお、「アイヌ」という語は、彼らの言葉で「人間」を意味することが序盤で示され、和人との闘いの前に、非戦コタンの長がいう台詞が興味深い。
「人は人を殺さない」
本作の主題をなすものだが、古い映画ファンなら『猿は猿を殺さない』を思い出すはず。
ここいらあたりに、脚本家・尾崎将也の映画ファンらしさがにじみ出ていますね。
あわせて観たい作品は、前出の『ダンス・ウィズ・ウルブス』以外に『セデック・バレ』『ニューワールド』『1492 コロンブス』。
細かいところまで行き届いたままならない現実の話
お花畑
なラストにモヤモヤしたまま映画館を後にした。
話せばわかるとか自分たちが正しければ誰かがなんとかしてくれるとか、
そんな世迷い言を世界情勢がこんな時に・・・・。
アイヌに興味を持ったことはほぼない。
蝦夷(えみし)の土地に住むものとしてその苦難の歴史は容易に想像できる。
だから、途中までは興味深くこの若者がどう活躍してくれるのか観ていた。
だが、どんどんトーンダウン。
特に何もしないし、何の力もない。
剣術でも負けっぱなしなのに、なんだか偉そう?
途中からはアイヌが今の日本に思えてきた。
そして、あのラスト。
そんなことをしても何の救いにもならない。
マスターベーションに過ぎない。
折角2人のヒロインがいたのに、それを生かすストーリーにはできなかったのだろうか。
アイヌの娘の方は面差しはYUIに似ているような気がして、特に印象に残った。
世界は救えなくとも、身近な人の力にならなれように。
チタタプもヒンナヒンナも無い
寛一郎カッコいい
侍所属の男がアイヌと触れ合い人間になる
けっこうよかった
アイヌと和人の交流を描く。合戦の場面が殺気に満ちていて緊張感がすごい。松前藩の奥さんがお歯黒をしている。アイヌの入れ墨も本格的だ。アイヌの男たちがひげぼうぼうで、みんな本当に伸ばしていそうだ。
主人公がアイヌの村に、みんな逃げろと言いに来たのに村長が急に「オレたちはここで不通に暮らしているだけだ」とピントのずれた演説を始める。なんだこれ?と思っていたら主人公は感涙する。こういった演説のようないい話をするのが定番なのだろうか。
アイヌものと言えば、どこかでヒグマが大暴れすると思ったら話で出てきただけだった。
予想をうらぎる素晴らしさ。
和人である主人公がアイヌの村で暮らして未知の世界観と出会い自分の生き方や価値観を問い直すというのは「ダンスウィズウルブス」以来のお決まりのパターンみたいなところがあってまたかと思いながらも家族が北海道のアイヌの村を訪れて交流してとても良かったと聞いて以来、アイヌの人たちの事が気になっているので見に行きました。
舞台となった北海道の自然と役者さんたちの演技が素晴らしく物語の世界に引き込まれてしまいました。役者さんたち皆さん素晴らしかったですが特にサヘル・ローズさんの彫りの深い顔がアイヌの人のようで同じサヘルさんのことが同じアジア人として身近に感じられました。予告編にもあるように戦いの場面もあるのですがいわゆる残虐なシーンはなくてほっとしました。
少し残念なのは食べ物は分かち合って食べなくてはならない、独り占めして分かち合おうとしないのは神の教えに背くといった思想などの紹介などもあったらもっと良かったかなと思いました。
普段はパンフレットを買うことはしないのですがパンフレットを買ってみると写真がきれいで買って良かった額に入れて飾ろうかと思うほどです。映画を通じてアイヌの人たちの事をもっと知ることができればと思い行った映画でしたが映画そのものが素晴らしく映画館で見て良かったなと感じました。
シサムはアイヌ語で「隣人」という意味だそうです。世界のあちこちで戦争や対立が起こっている現在。大事にしないといけない言葉ですね。
和人(シサム)とアイヌとの江戸時代の交流を、アイヌへの搾取と迫害の歴史を避けずに描いた意欲作です。シサムにもそれを良しとしない人が居たことを含め歴史を語りかけてきます。
アイヌが登場する作品は基本的に観ておきたいと思って
いるので、この作品も予告を見た時から鑑賞予定でした。
一日一回しか上映枠がなく、観に行けるかギリギリのタイ
ミングで駆け込んで鑑賞です。 @_@ ; セーフ
さあ鑑賞。
話の展開にメリハリがついていて、テンポ良く話が進む印象でした。
舞台は蝦夷地の松前藩。
武士の家の次男に生まれた高坂孝二郎(寛一郎)。
孝二郎が蝦夷(アイヌ)との交易に行く兄に同行する形で、
初めて蝦夷地へと向かう。兄は優秀なサムライだ。
何をするにも ” 兄が一緒なら大丈夫だ ” と言われてきた。
何とか一人前のサムライとして認められたい。
そう願う孝二郎だが、目的地に着くなり嘔吐。船酔いだ…
一人前への道はまだまだ険しそうだ…。
海岸に建てられた小屋の中にはアイヌとの交易品が山積み。
和人(シサム)からアイヌへと渡す米俵や漆器だ。
アイヌからは鮭や熊の毛皮などが手に入る。
” 米俵が小さくないか? ”
それは孝二郎の目で見ても分かった。確かに小さい。
仕方ない。そういうものだ と兄は言うのだが…。
その日は寝泊まり用の小屋で夜を明かすことに。
夜中、兄がアイヌとの交易品を観てくると言って出て行った。
そしてその後、交易品の小屋から火が出る。
慌てて駆けつけた孝二郎の目の前には、何者かに切られた兄の姿。
” 善助にやられた ”
そう言い残して兄は命を落とす。善助とは使用人だ。
武士の子ならば、仇を討たなければ。そう決意し
船頭と二人で善助の消えた林の中へと足を踏み入れる孝二郎。
足跡をたどり、ようやく善助に追いつく。
” いざ尋常に勝負 ”
刀を抜いて善助に迫り、一刀を浴びせた。そのつもりだったが
右脇腹に感じる痛み。 手をやると赤い血が…。切られた。
痛みとショックでよろめき、藪を転げ落ちてしまう。
善助もトドメを差しには来ない。林の奥に姿を消した。
転げ落ちた孝二郎。身動きしない。死んだのか…いや
そこを通りがかった男たち。アイヌの男だ。
有り合わせの物で担架を作り、孝二郎を乗せて運び去る。
アイヌの村で、手当てを受けることとなった孝二郎。
致命傷では無かったが、すぐに動けるほどには軽くない。
図らずも、このアイヌコタンで療養することになる。
◇
と、まあ
こうしてアイヌの中に混じった孝二郎。
怪我が治るまでの夏の間を通してアイヌと暮らすことになります。
・アイヌの暮らしぶり
・和人が来てからの事
・アイヌに対する和人の差別
こういった事を理解するようになっていくのですが…
折も折、近隣のアイヌの酋長シャクシャインが松前藩に対して
反乱を起こしたとの情報がもたらされます。
動揺する孝二郎…。
松前藩のサムライとしての自覚。
兄の仇を討たなければとの想い。
アイヌの人びとに対する感謝の念
そして心に芽生え始めた仲間意識。
” 俺はいったい、どうすれば… ”
葛藤する中、孝二郎のとった行動は何か?
と、話は続いていきます。・_・
◇
この作品、史実を踏まえたフィクションとの事です。
歴史上の事件(シャクシャインの乱 1669年)を踏まえています
が、この作品が孝二郎とコタンの人たちとの交流を通して描きた
かったのは
” 江戸時代初期から幕末に至るまでの200年以上に及ぶ
和人とアイヌとの間に起きた人間関係のダイジェスト”
そういうことなのではないかなぁ と思っています。・_・
アイヌとシサムとの間には、江戸時代を通じてこのような歴史が
あったのだという事を、忘れずに覚えていて欲しい。--
そのような意図で。
◇
シャクシャインの乱は、結局は鎮圧されます。
アイヌに対する不公平かつ差別的な扱いはその後も続きます。
江戸幕府による蝦夷地調査が入り、管理が改められたりと
変化が見られるようになるのですが、それはまだ先の話。…うー。
最上徳内や松浦武四郎の時代を経て、アイヌに対するシサムの
取ってきた行いが明らかになっていくのですが、それはこの作品
の時代から100年も200年も後の話。うーん
ですが、蝦夷地を歩き回ってアイヌの実体を見聞きし調べて回った
上述の人たちの遺した記録のおかげで、アイヌの待遇が改善したり
もしたそうです。(少しですが ほっ)
反乱鎮圧の後、各地を歩き回って色々な見聞を書き遺したという
孝二郎の行動は、こういった事実に基づいて練り上げられたお話
なのではないかな と、そんな気がします。
※アイヌに対する不当な扱いを書き記そうとした者が実際にこの時代
にいたのであれば、それがせめてもの救いになる気がしています。
アイヌにとっての救いになっていないのが何とも悔しいですが…
ともあれ、観て良かった。
アイヌの事を知りたい方、ぜひ劇場で。
◇あれこれ
■アイヌの風俗・風習
ここ数年に観たアイヌの関連する映画は、かなりアイヌの文化に
ついて正確に表現しようとしているように思いました。
アイヌ女性の口の周りの刺青も、最近のアイヌが登場する作品では
ごく自然に表現されるようになったようにも思います。
(「ゴールデンカムイ」「カムイのうた」とか)
■砂金堀り
こうして生み出された砂金がいずれ、アイヌの隠し金塊となり
それを巡って血で血を洗う抗争が始まる。…のかもしれません。
そうなんですか? アシリパさん。
…知らんぞ 杉本 。
■鉄砲 vs 弓矢
森の中での鉄砲と弓矢での戦いの描写は、想像以上に迫力を感じて
怖さを感じるものでした。 ひぇー
森の中などで機動力を駆使して戦うゲリラ戦法においては、弓は鉄砲
に劣らない武器なのだだという印象です。
そうなんですか? アシリパさん。
…毒も塗るからな 杉本 。
◇最後に
「我等が何故、この土地を離れなければいけないのか?」
アイヌの長のセリフは、重くて哀しいものです。
後からアイヌの土地に入り込んで「俺の土地だ」という和人。
自分たちが暮らす土地は「カムイからの借り物」というアイヌ。
豊かな精神の持ち主はどちらなのだろうか と考えてしまいました。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
全67件中、1~20件目を表示