「サユリの復讐劇でもあった」サユリ グレーてるさんの映画レビュー(感想・評価)
サユリの復讐劇でもあった
映画で加えられた児童性被害者としてのサユリの設定について賛否があるようなので、自分の見解をレビューさせていただきます。
まず女性は自分が不遇であっても無差別に無関係の他人を攻撃することが男性に比べてあまりない、という事実(無差別殺人犯の少なさ)を踏まえると色んなホラー映画の女性の霊が次々と理不尽に人を不幸にしていく設定に違和感を感じることが多かったです。
しかし今回身内からの性虐待からの引きこもり、家庭崩壊という要素が加えられたことで悲しさと悔しさから幸せそうな家庭を壊してしまいたくなったという動機がより明確になったと思います。
父親に「きれいだ」と褒められた髪を忌まわしく思って短く切ってしまったり、自分を魅力的な見た目ではなくすることで身を守ろうとする行動は実際の性被害者にもよくあることで生々しさを感じました。
サユリに同情できる要素はいらない、そのせいで復讐劇の爽快感が無くなった、という意見もありますが、ばあちゃんはキリを父親の股間に突き刺し、サユリはお尻からバールを刺して殺しました。
これは多くの性被害者が加害者にしてやりたいと思っていることで、それを表現することでこの映画はサユリの復讐劇も描いたのです。
それを爽快と感じられるかどうかは人によるとは思いますが。
見ないふりをしていた母親を殺せなかったのは何故か、という意見には、母親もまたモラルのない父親の被害者であり抵抗できなかったと考えれば納得できます(そういう描写はないですが)
もしかしたら妹だけでも守ろうとしていたのかもしれない。
だとしたら妹はサユリの性虐待を知らぬまま育ち、醜い引きこもりの姉を疎ましく思うのに母親はその姉のことばかり気にかけていて気に食わない、などの理由でサユリに冷たい言葉を投げかけていたのかもしれない。
守られているのにそうやって自分をなじる妹がサユリは憎かったし羨ましかったのかもしれないな、と思いました。
なんて、映画オリジナル要素で色々と考察できるストーリーと演出でした。
何が1番怖いって、現実の19歳以下の性被害の加害者の1/4が家族、親族なんですよ。
つまりそこまで特別な設定じゃないんです。
サユリを生み出しそうな生きてる人間が1番怖い。