悪魔と夜ふかしのレビュー・感想・評価
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おっさんはうれしくて、もうたまらない。
前作「スケア・キャンペーン」は、手本にしていいぐらいの起承転結を、簡潔かつ巧みなストーリーテリングと、テレビvsネットという形で、若年層の関心において、テレビが敗北したことを明らかにした良作だった。
今度は、70年代のテレビショーで起こったとされるオカルト現象をファウンド・フッテージの体で楽しませてくれる。
「悪魔と夜ふかし」Late Night with the Devil
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まずは、原題および邦題、いずれも素晴らしい。
「Late Night with the Devil」のすべての単語が本作の「虚ろになりつつも興奮する時間帯と生理状態」、「悪魔とはいったい何で、誰で、一緒なのはどうしてか」を的確かつ簡潔に表現している。
邦題も素晴らしく、原題のままだが「悪魔」という単語が70年代(と80年代初頭)のころの外国映画の「悪魔」さえつければ何でも言い、ぐらいの低俗な感じが懐かしく、それに加えて「夜ふかし」が同様に「もやっとした生理状態と興奮状態」を上手く表現している。
もっというと悪魔「と(with)」が、ショーの視聴者、そして本作の鑑賞者に対して、このラストに非常に活きてくる。
タイトルで本作はすでに勝ったようなものである。
そして内容も、テレビショーのコマーシャルに入る間を入れることで、「実はコマーシャル中の方も怖い」といった「表」と「裏」のそれぞれの思惑が少しずつはっきりし、だんだんと「そんなことになるとは」といったように二転三転する。この辺りは前作「スケア・」と同様に、本当に上手い。こなれ具合からすると、前作を大きく上回っている。
そして、70年代のオカルトブームに乗って、というおっさんホイホイの要素もぬかりなく、エセ霊能者、それを暴こうとするもの、そして悪魔憑きの少女がきちんと役割を果たし、きっちり裏切ってくれる。
サービス精神もうれしい。70年代ということで、悪魔はもちろん、動物パニック映画中でも「一番ヤバイ」あの生き物を登場させ、クローネンバーグの「スキャナーズ」(これは80年代だが)っぽい登場人物を、公開処刑っぽいところも含め、おなかから、ソレをなみなみ出させる。全体のテイストはリンチっぽくもあり、きっちり観客を喜ばせるという点が素晴らしい。
悪魔憑きとされる少女のラスト形態は、同じオーストラリア圏で頭角を現したピーター・ジャクソンの「ブレインデッド」を思い出してしまったのは、オレだけかもしれないが青い電流が走ったりは、まあ、当時のポルターガイスト系のそれだろう。
おっさんはうれしくて、もうたまらない。
70年代(とオレの記憶の中では80年代も割と)は、結構何でもありな映像が平気でテレビで流れており、そういった映像で金儲けをする時代だったことから、前作同様、グロはきっちり入れるが、「なんでも見せれば、観客をどっきりさせればそれでいい」という考えに対し、ホラー映画ばっかり撮ってきたくせに、巧みな演出と優れたバランス感覚で、「ホラーでホラーを否定する」。
ちゃんと笑いもあって、オレも小切手を差し出したいくらい。
兄弟監督というと、コーエン、ファレリー、ウォシャウスキー、ルッソ、と特に珍しくはないが、ここに新たに歴史を刻む兄弟監督が現れた。
追記
興味ある方はネタバレは見ないでぜひ、公式の予告のみの知識で鑑賞してほしいが、本作、個人的には序盤の助走が特に素晴らしいと思う。
もちろん、レイトショーで観るのが、オススメ。
画面に映るすべてが胡散臭くて最高。
クセの強い脇役として活躍してきたデヴィッド・ダストマルチャンを主演に、視聴率競争にオカルトネタで挑むトーク番組が陥る奇妙な顛末を描く。ストーリーとしてはどこかに着地するようなものではないが、とにかく各シーンで起きている事象(オカルトであってもそうでなくても)とそこにいる人物たちのいびつな空気感がオモシロくて、最近増えている気がするお話はともかく全シーンが面白いパターンのひとつ。70年代のテレビ番組を再現するというギミックも凝っていて、作り手と一緒に大きな遊びに参加している感覚になれる。カメラ目線だけで胡散臭さを5割増にするイングリット・トレリ扮する悪魔憑き娘も最高。いや、この映画に映ってるひと全員が胡散臭くてマジで最高。
生放送TVショーを邪悪に彩るおもしろ怖さ
いわゆるファウンド・フッテージものには独特の”のぞき見感覚”を感じさせる作品が多いが、一方の本作は「1977年にTVで生放送され、失われたままになっていた番組映像」という性質上、司会者、ゲスト、観覧客、それにバンド演奏を盛り込んだ、TV番組ならではの祝祭的な賑やかさを伴う。このスタイルゆえ「誰も見ていないところで物が動く」という程度で収まらないのは当然のこと。序盤こそ平凡にショーが幕を開けるので、なかなか怖さのギアが入らず退屈に思えるかもしれないが、中盤以降、とりわけ一人の少女が登場してからは危険度がクレッシェンド的に変移し、是が非でもゾクゾクさせられる。1970年代ならではの時代、文化、ファッションに彩られた『死霊館』的なレトロ感覚を宿しつつ、人気や視聴率を追い求めるエンタメ業界ならではの悪魔主義を皮肉る視点すら併せ持つ。邪悪でありながら、絶妙な”おもしろコワさ”を突いた快作と言えよう。
「悪魔は裏切らないが、人間は自らを裏切る」
『悪魔と夜更かし』は、思いがけず非常に優れた作品でした。70年代テレビの雰囲気を巧みに再現し、番組部分とCM裏を切り替えるモノクロ演出が独自のリズムを作り出しています。限られた登場人物はそれぞれ明確な役割を持ち、簡潔ながら寓話性を帯びた物語が展開されていきます。
主人公ジャックは、圧倒的なカリスマではなく、弱さを抱えた“普通の人間”として描かれます。愛する妻への想いと自分の地位への執着の間で揺れ動き、ついに悪魔と契約してしまう姿には観客が共感できる人間的な脆さがありました。対照的に、サングラス姿のプロデューサーは欲望の化身として描かれ、相棒のガスは善意を体現することで構造を支えます。このバランスが物語に深みを与えています。
映画の核は「悪魔は裏切らないが、人間は自らを裏切る」という構造にあります。契約は守られますが、その結果は欲望の裏側を暴き出し、愛も地位も崩壊させます。これは“自己欺瞞”というキリスト教的テーマを鋭く寓話化したものだと感じました。単なるホラーではなく、隠されたもの(オカルト)が顕れることで、人間の本質と向き合わざるを得なくなる作品です。
同時に、オカルト映画としての快楽もしっかり備えています。番組のショー構造、陰謀論的リアリティ、怪異のショック描写(悪魔の顕現や惨劇の数々)は、ホラー映画的カタルシスを提供しながら、最終的には「誰も悪魔に勝てない」という冷徹な結末に収束します。その構造は日本の怪談「生き人形」を思わせ、テレビという虚構に現実の恐怖が侵入する瞬間の緊張感を生み出していました。
娯楽としてもテーマとしても二重に楽しめる、まさにオカルト映画らしい完成度の高い一作でした。見終わったあとに「ただのホラーではなく、隠されたものを暴く寓話だった」と思わせてくれる点が、この映画の大きな魅力だと思います。
鑑賞方法: U-NEXT
評価: 82点
新しいオカルト映画の傑作!
時代背景は70年代の設定だと思いますが、映像の質感も含めて古い映画だと勘違いしていました。そのため「え!?こんな映画あったの!?エクソシストと双璧を成すくらいのオカルト映画じゃん!何で今まで知らなかったんだろ??」とマジで思ってしまいました…。(実際は2023年公開の割と最近の作品だったんですね。)
TVショーの中で実際に起こったリアルな記録フィルムのような設定も面白くて、分かっているけどのめり込んでしまいました。
悪魔に取り憑かれた少女リリー役の「イングリッド・トレリ」という女の子も魅力的ですっかり虜にされてしまいました。(この子の不気味で不思議な表情にゾクッとしました。)
エンドロールの音楽も良かったです。
映像にも演出にも音楽にも監督さんのセンスを感じました。
もっと多くの人に観て欲しい作品ですね。
斬新な悪魔系ホラー映画
下世話な胡散臭さヤバさこそがテレビの魅力の源泉だった
【今作は1970年代のTVの生放送中に起きた怪異をファウンド・フッテージスタイルで70-80年代の名作ホラーへのオマージュを盛り込みつつレトロなビジュアルで描いた斬新なホラー映画の逸品なのである。】
<Caution!内容に触れています。>
■1970年代の或るハロウィーンの夜。
テレビ番組「ナイト・オウルズ」の司会者、ジャック・デルロイは生放送でのオカルト・ライブショーで人気低迷を挽回しようとしていた。
怪しげな超常現象が次々とスタジオで披露され、視聴率は過去最高を記録していく。
◆感想
・作品設定が斬新である。1970年代のジャック・デルロイ(デヴィッド・ダストマルチャン)がメインキャスターのテレビ番組を舞台に、あくまで明るいトーンでショーは始まる。
だが、最初に登場するクリストゥ(フェイザル・バジ)は、観客の真実を暴きながら、何者かに憑依され、ステージ上で血を吐き、運び出され、その後救急車の中で息を引き取った事が、ディレクターからジャックに告げられるが、彼は視聴率が上がった事を知らされ、更に新たなゲストを呼ぶ。
・次に催眠術を得意とするカーマイケル・ヘイグ(イアン・ブリス)が登場し、番組進行補助のガス・マコーネル(リース・アウテーリ)を催眠術に掛け、彼の身体の中から虫が出て来るシーンが映されるが、それはあくまで催眠術であった。
・そこに、真打、ロスミッチェル博士(ローラ・ゴードン)とカルト集団の中で奇跡的に生き残ったリリー(イングリッド・トレリ)が登場する。鼻で笑うカーマイケル・ヘイグだが、椅子に縛られた彼女が発する声や、空中浮揚はテープを再生してもその事実が映される。そして、彼女が”リグルズ”と呼んでいた悪魔は、完全にリリーに憑依し、ロスミッチェル博士の首を吊り上げ殺害し、カーマイケル・ヘイグには全身を燃やし絶命させる。
・途中、”暫くお待ちください”というテロップが入るが、惨劇は続くのである。そして、妻をガンで亡くしていたジャック・デルロイは、”夢の中で、苦しむ彼女の腹をナイフで深々と刺す”のである。
だが、気が付くと観客は全員逃げ出し、死屍累々の中でジャック・デルロイは、リリーの腹に深々とナイフを刺しているのである。
<今作は、1970年代のTVの生放送中に起きた怪異を、ファウンド・フッテージスタイルで描いた斬新なホラー映画の逸品なのである。>
おふざけで降霊番組やったら本物が来ちゃったよ、という粗い筋書きの安っぽいホラーの外見を装いつつ、アリ・アスター作品の風味も感じさせるような侮れない一作
悪魔とか幽霊とかどうせいるわけないし、まぁ視聴率稼ぎのためにちょっと仕込んどくか、と小ばかにして儀式をしたらほんとに呼び寄せちゃってさあ大変……、というホラー映画の定石の一つといってもいいような、ある意味使い古された感のある設定から始まる本作。
しかし面白いのは、出演者もスタッフも、どこまでが演出(仕込み)で、どこからが予想外の事態なのかがわかってないし、観客もまた同じ目線で物語を追わざるを得ない、という状況そのものです。
どこかで、ここまでは実は演出の一環なんですよー、と種明かしがされるであろうことをどこか心の中で期待してしまうのですが、そんな回収がなされないまま次の展開に進んでいくと、その宙ぶらりんな感覚が足元を揺るがすような不安に変わっていきます。
この、「観客であるあなたたちがどう感じ取ろうが、こちらは知らん」という突き放した態度がどこかスタジオ内の状況をすべてコントロールしていると高を括っている製作スタッフの姿と重なって見えます。
さらに中盤以降、現実と虚構の境界線すらあいまいになっていき、もしかしてこの物語、最初から……、と気づいてしまうところも含めて、アリ・アスター的であるとも言え、使い古された題材を用いつつ、まさに今現在のホラー作品となっていました!
リリーかわいい
最初の一時間は、番組の司会からゲストまでとにかくインチキくさい人しか出てこなくて、特にあの超常現象否定派のおっさんがとてもウザくて最高。
これだけでも十分面白いのだが、物語中盤で地獄のインターフェース少女リリーが出てきてからがこの作品は本番だ。
リリーは一見可憐な美少女だが、ずっとカメラ目線で視聴者を見つめてきたり、会話や反応が普通の人ではなく明らかに違和感があってめちゃ怖い。この娘が出てきた時点でこの映画の勝利は確定したように思った。
終盤のカオスな展開は、ちょっとふざけすぎている感じがしたのでもう少し真面目なトーンでやらかしてくれたら星4点だったかなぁ…!
でも頭の悪い終わり方をするのかと思いきや、結末はわりと考察系であり、なかなか油断できない映画だった。
荒っぽさがいい。
世にも奇妙な物語
雰囲気はどこかA級の香り
この手法もそろそろイイぜよ…
ファウンドフッテージ作品ですが、あえてその手法をとる必要があったのかどうかは疑問に感じますね。
しかし映像自体は70年台のフッテージという事で、荒め&雑め。だがそこがいい。
昔のホラー映画なんてVHSレンタルで観てたから、画像も今思うと格段に悪かったんだろうし、またその荒さが映像技術のチープさをオブラートに包んでいてくれたのだと思う。ホント〜に良い時代でした…。今は4KだのUHDだのって、監督さん達はさぞ大変だろうね…。昔の修復盤とか出た日には当時の映像技術の荒さ、拙さ、良しとしていたチープさとかも暴かれちゃうしね…。
今作は、また最近のホラーにありがちな過去作へのオマージュも散りばめられていた気もします。
exorcistのリーガンぽいメイクとか、アクエリアス梟とか、クローネンバーグスキャナーズとかデ・パルマキャリーとか…。
あ!もしかして、ファウンドフッテージっていう手法そのものが、ホラー過去作へのオマージュの一つだったのかもよ?
〜劇終〜
「ファウンド・フッテージ風」にやることで、虚実の曖昧さが面白くなっている
心の中の悪魔はつぶやいた
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