IMMACULATE 聖なる胎動のレビュー・感想・評価
全13件を表示
カルト的な信仰
悪へのおぞましい貧欲さを恥じつつ
十字架をかける。
カルト的なマリアの信仰、宗教的抑圧が
恐ろしい。
安易な集団狂喜も気持ち悪いし
老いた修道女も不気味だ。
少女受難、妊婦オカルトホラー
血生臭い生きざまは絶叫する。
心の底からくそくらえって感じだよね。
タイトルなし(ネタバレ)
若い米国女性セシリア(シドニー・スウィーニー)がイタリア修道院が修行をする。
そこは老いて認知症を患った修道女たちを看護・介護する場所であった。
院長をはじめ、不気味な同僚もいる。
そんなある日、処女であるにも関わらずセシリアは妊娠の兆候があらわれはじめる。
検査の結果、果たして、妊娠であった・・・
といったところからはじまる物語は、ホラー色の濃いサスペンス映画。
美術や撮影など丁寧に作られている。
が、怖くなく。
その分、ショック描写で怖さを補おうという演出は、あまり出来の良くないエンタテインメントホラーを手本にしたかしらん。
個人的には、キリスト版『ローズマリーの赤ちゃん』を期待したが、無茶といえ、一応すじみちが通った科学的手法による復活の儀。
結果、根源的恐怖が減じてしまった。
ちょっと期待したのだが、期待が過ぎたようでした。
『聖なる胎動』というよりは『悪魔の受胎』、「悪夢の受胎」だなぁ。
気持ち悪い
アメリカの修道院からイタリアの田舎にある修道院へやってきた修道女セシリアは、処女であるにも関わらず妊娠していることが判明した。ショックを受けたセシリアだったが、周囲の人々は彼女を聖母マリアとして崇め、妊娠を祝福した。セシリアを風呂で溺れさせようとした修道女が飛び降り自殺したり、仲の良かった修道女は拷問を受け舌を切られたり、修道院の中で奇妙な出来事が続発した。身の危険を感じた彼女は、外出を禁じる神父たちの目を盗み修道院から抜け出そうとしたが・・・さてどうなる、という話。
まず、突然大きな音で脅すのはやめてほしい。
セシリアが若い頃凍った湖に落ち死にかけた事がイタリアの修道院にスカウトされた理由らしいが、錆びた鉄釘から採取したDNAからセシリアが妊娠するまでのカラクリは何だったのだろう?セシリアの卵子を使ったクローン技術だったのかなぁ?
セシリアがあんなに凶暴になったのはなぜ?
院長を十字架で撲殺したり、タバコを吸ってた神父を背後から首を絞めて殺したり、凶暴過ぎる。悪魔が取り憑いたのかと思ったがそうでもなさそうで、よくわからなかった。
鶏を使っての流産騒動の後はグロ過ぎませんか?
シドニー・スウィーニーの素晴らしい演技なんだろうけど、全く共感できなかった。
終始気持ち悪かった、という感想。
アルジェント・リスペクトで『オーメン:ザ・ファースト』のテーマを語り直したような佳品。
おおお、こいつは見間違えようのない『サスペリア』リスペクト映画じゃないか!!
こりゃ、ついつい高い点数を付けて評価したくなるね(笑)。
だって、アルジェントを愛する者に、悪い人はいないんだから!
話の土台は、むしろ去年観た、ネル・タイガー・フリー主演のオカルト映画『オーメン:ザ・ファースト』(24)に近い。
近いというより、ネタ自体ほぼ丸カブリすぎて、ドキドキするくらいだ。
ただし、調理法が違う。
その1。あくまで理屈の通った「人為的」な物語として描いていて、実はオカルト要素がまったく「ない」という点。
入口は超常現象っぽくても、内容的に現代の「科学」の範疇を大きくは逸脱していない。強烈な悪意は存在するが、悪意が具現化するためには「人が手を下した実際の行為」が必要となる。オカルトホラーではなくて、SF医療ホラー。そのへん、マイケル・クライトンやジェームズ・ロリンズに近いネタの処理だといえる。
その2。おおむね『サスペリア』をなぞった作りになっている点。
70年代オカルト・ホラーの金字塔、ダリオ・アルジェント監督の『サスペリア』(77)。
僕にとっては『サスペリアPart2』と並んで、まさに「人生を変えた一本」と呼んでもいい大切な映画だ。
『IMMACULATE』は実のところ、『サスペリア』の中で起きたイベントを、ほぼそのまま踏襲した映画だといっていい。というか、ど直球ストレートのオマージュなんだと思う。
その3。リベンジ・ホラーとしての視点。
本作で取りざたされているのは「子供を産む性」としての女性の尊厳だ。
受胎できる「器」としての女性性が、悪意を持った存在によって徹底的に蹂躙される。
最終盤で展開する一連のスプラッタは、その悪質なレイプ行為に対する敢然としたレジスタンスであり、リベンジである。ちょうどコラリー・ファルジャ 監督の『REVENGE リベンジ』(17)のようなもので、観ていてグロテスクではあっても、ある種、痛快な印象を残す。
その4。『ローズマリーの赤ちゃん』との共通点。
本作の場合、中で描かれる実際のイベントは大きく『サスペリア』に寄ったものになっているが、恐怖の根源にあるのは「自分はいったい何の子を産まされようとしているのか」という「母性の恐怖」であり、それはまさに『ローズマリーの赤ちゃん』(68)の描いていた恐怖と同質である。というか、ただ母親が恐怖に打ちのめされるだけの時代から、上記3の要素を加味して一歩進んだ形態が、本作のラストシーンといってもいい。
本作で、母親は物語を「自分で終わらせる」決定権を得たのだ。
両手で抱え上げて振り下ろした、大きな●●によって。
― ― ― ―
本作と『サスペリア』の共通点については、
もう少し深掘りしておきたい。
そもそも、『サスペリア』はイタリア人の撮った、アメリカ人の少女がドイツのバレエ寄宿学校に留学する話である。
いっぽう、『IMMACULATE』はアメリカ人の撮った、アメリカ人の少女がイタリアの修道院に入る話である。
また、『サスペリア』はもともとジャッロ(イタリアの血まみれ推理映画)を撮っていたダリオ・アルジェントが、初めて「オカルト」に足を踏み入れた作品だ。犯人当て残酷スリラーと超常現象ホラーの中間形態といってもよい。
いっぽう、『IMMACULATE』は一見「オカルト」映画に見えて、実は人間の悪意と施術によって生み出された悪夢を扱っていて、起きている現象には「理由」があり、それを引き起こした「犯人」がいる。
すなわち、『IMMACULATE』の作り手(監督のマイク・ローハンは今回雇われ業で、製作を主導したのはもっぱらヒロイン役のシドニー・スウィーニーだったらしい)は敢えてイタリアを舞台に選ぶことで、自分が今回やりたいことが「オカルト」に見えて実は「ジャッロ」に近いものだという意思を、我々に伝えてくれているのだ。
まずは出だしの「空港への到着」と「車での移動」が一緒だ。
明らかに演出には、アルジェントを意識している部分がある。
その後も、物語はおおむね似た内容を辿る。
順調に滑り出す寄宿舎生活と、友人との交流。
体調を崩すヒロインと、処方される謎の薬。
体制に反抗的な態度を取った友人の凄惨な死。
夜になると建物内を探索してまわるヒロイン。
終盤における、地下の秘密空間での攻防戦。
悪い連中がもくろんでいる黙示録的な目的。
ね、そっくりでしょ?
その他、終盤のジャンプスケアで友人の遺体が用いられる点、鍵穴から覗くショット、意外と女性の親玉は簡単に倒せる点など、似ている点には枚挙に暇がない。
何より、「いたいけな少女たちを血まみれにして怖い目に遭わせたい」という嗜虐的な美少女趣味と、「寄宿舎から逃げ出そうとする人間、秘密を暴こうとする人間には、容赦なく体制側の懲罰と凄惨な死が待ち受ける」という点において、本作は『サスペリア』の本質的な部分を引き継いでいる。
― ― ― ―
ただ、アルジェントへの私淑は感じられるものの、アルジェント映画とは似て非なるものであるのもたしかだ。
何が違うかというと、美意識の差だ。
様式美に対する意識が低いのが、個人的にはどうしても気に入らない(笑)。
別にダリオ・アルジェントの三原色の光や、稚気に富んだ殺人シークエンスを「真似ろ」と言っているわけではない。
ただ、もう少し「被害者の追い込み方」「被害者の殺し方」「ヒロインの中で高まる恐怖の表現」などを「スタイリッシュ」に描いてもよかったのではないか、ということだ。
あるいは、もう少し「手数」をかけて、ヒロインを追い詰めてほしかった。
たしかに、殺し方とか女性の描き方は、アメリカ人でありながら明らかに「ジャッロ」を指向しているし、アメリカのホラーというよりはイタリアのホラーを観ている気分にもなる。
ただ、アルジェント様式とは程遠い。
なんとなく、味気ないし、小汚いし、品がない。
ダリオ・アルジェントが好きなら、
もっと細部に「凝って」ほしかった。
(まあそれでも、ダリオ・アルジェントが好きだとか公言しながら、アルジェント映画を小馬鹿にするようなリメイクを撮ったルカ・グァダニーノみたいなカス野郎と比べたら、100倍好感はもてるわけだがw)
― ― ― ―
『IMMACULATE』が、思いのほか「攻めた」映画であることは間違いない。
僕たち信心のない日本人からするとよくわからないのだが、おそらくなら本作のように、単に修道院内の恐るべき陰謀を暴くというだけでなく、実際の聖なる法具で相手を殺す描写が連続するというのは、結構キリスト教徒にとっては「ハードルの高い」やり口ではないか。
なにせ、一人目は十字架。
二人目はロザリオ(ここって『サスペリアPart2』のラストシーンを意識してるよね)。
三人目はよりによって「聖遺物」(キリストの磔刑で用いられた鉄くぎ)でとどめをさすのだから。
総じて本作は、キリスト教の「悪」に対しては、けっこう容赦のない作りになっている。
たとえば神父はうそぶく。「ではなぜ神はわれわれをおとめにならないのか」と。
(実際、ヒロインは必死で生き残りをかけた闘いを見せるが、この映画が始まる前までに何十人という「犠牲」が既に出ているはず。)
本作において、神は、残念ながら悪を妨げることができない。
悪に立ち向かい、倒し得るのは、虐げられている女性自身でしかないのだ。
終末論に囚われて、キリストの再臨だけを待ち望む、近年の福音派を中心とする保守派の凝り固まった信仰に対する作り手の警戒心も、本作からはうかがうことができる。
キリストを再臨させさえすれば、すべての片がつくかのような思考法。
目的のためならば下部の修道女を犠牲にしてもかまわないという態度。
秘密結社に近い秘密保持と儀式性によって成立するカトリシズムの在り方。
こういった、キリスト教が本来持っている「闇」の部分に対して、監督たち作り手は敢然と「NO」を突きつけている。
『IMMACULATE』は、とち狂った一部の狂信者が引き起こした悪夢を描いた映画ではない。ここで暗躍する修道女や神父たちが、必ずしも「サタニスト」ではない点に留意してほしい。彼らが再臨を待ち望んでいるのはあくまで「本物のキリスト」であって、「アンチキリスト」を人為的に生み出そうとしているわけではない。そこが『オーメン:ザ・ファースト』とのいちばんの違いだ。
ここで描かれる悪夢は、キリスト教の本質的な部分から否応なく一定量引き出されるたぐいの「毒と澱」の凝り固まったものである。
キリスト教徒なら、誰しもが一度は考えてみたようなことをベースにした恐怖。
「処女懐胎」と「聖遺物」というキリスト教信仰におけるもっとも重要な拠り所をネタにしたホラー。
やはり考えれば考えるほど、『IMMACULATE』は「攻めた」映画だと思う。
― ― ― ―
●IMMACULATE を、説明もなくタイトルに使うのって、業界的にアリなのか?(笑)
英語の出来る人以外、絶対知らないたぐいの単語だと思うんだが……。
●ヒロインはほとんどイタリア語わからないのによくのこのこ来たなとか、やたらつわりで吐いているのにその割にバクバクよく食うよなとか、あの大事なタイミングで離席して帰ってこない医者ってなんだよとか、犯人一味がこんなに簡単に意気揚々と秘密の核心を話したりしねーよとか、まあいろいろ思わないでもないが、この手のホラーの場合、僕のシナリオに対する抵抗感&期待度はほぼゼロにまで閾値が下がるので、細かいアラはほとんど気になりませんでした(笑)。
●最近のアメリカ映画ではあまり観ない気がするが、徹底的にヒロインのバストトップの「透け」を意識したエロティックな作りも、本作の特徴の一つといえるだろう。
いかにも「本国じゃもうやれる雰囲気じゃないんで、だったらイタリアで!!」みたいなノリが感じられて微笑ましい。
必ずしもスタイル抜群というタイプではなく、重量感があってGがしっかりかかっている感じが妙に生々しかった。風呂のシーンとかもちょっとティント・ブラスみたいな感じで、エクスプロイテーション風味が感じられた。
●ヒロインが脱出を図る際のゴアシーンは、ちゃんと伏線があって、しかもあそこだけは観客もまとめてひっかけるような構成になっていて、とてもよかった。
多少の無茶をしても、「大事な胤を宿している」から簡単には殺されないっていう状況を、このヒロインは逆手に取って敵に立ち向かうんだよね。
●足に焼き印のあるおばあちゃんが介護棟にいるということは、そんな昔からこの修道院はそういうたくらみを繰り広げてきたってことなんだろうか? 今回の陰謀における首謀者は、明らかにまだ若い世代の人間に見受けられたが。
●「破水してからが本番」ってノリ、初めて観たかも(笑)
ラストの大絶叫観ながら、『Pearl パール』(22)とか『ストレンジ・ダーリン』(24)とかのラストを思い出していた。最近、ああいうロングの顔芸をヒロインに披露させるのって流行ってるのか?
あと、これって「これであたしは本物のスクリーミング・クイーンよ!」というシドニー・スウィーニーなりのネタ作りなのかも。とにかく、よだれが牛のように凄いことにまあまあ感動した(笑)。
●音楽については、一部シューベルトの『アヴェ・マリア』なども使われていたが、基本はウィル・ベイツによる「偽聖歌」だったと思われ、「アデステ・フィデレス」っぽい音階の曲をうまくでっち上げて使用していた。
●ちなみに本作のロケ地である「ヴィラ・パリシ」って、パンフの監督インタビューによると、マリオ・バーヴァの『血みどろの入江』でも撮影に使われた場所なんですって! なんと素晴らしい! あれは本当に胸糞悪くなるひどい映画だった(誉め言葉)。
●パンフにゾンビ映画研究で名高い伊東美和さんが「ナンホラー100年史」を寄稿。……えーと、なんでも100年史って編めちゃうもんなんだな(笑)。碩学の情報提示に感謝。
ネタは良いと思うけど、調理法が間違っているし、完成されて出されているとは思えない
2025.7.24 字幕 アップリンク京都
2024年のアメリカ&イタリア合作の映画(89分、G)
妊娠する処女の修道女を描いたホラー映画
監督はマイケル・モーハン
脚本はアンドリュー・ロペル
原題の『Immaculate』は「汚れのない」と言う意味
物語の舞台は、イタリア・ローマ郊外の田園地帯
アメリカからやってきたセシリア・ジョーンズ(シドニー・スウィーニー、幼少期:イザベル・デサンティス)は、助祭のエンツォ(ジュゼッペ・ロ・ピコーロ)に案内され無事に修道院へと辿り着いた
修道長(ドーラ・ロマノ)の命令を受けて案内役をすることになったイザベラ(ジュリア・ヒースフィールド・ディ・レンツィ)は、修道院のしきたりや習わしなどを説明し、この場所が老いた修道女の看取りの場であることを告げた
その後、部屋に招かれたセシリアが準備をしていると、ミラノから来たと言う奔放な修道女グウェン(ベネデッタ・ポルカローリ)がやってきた
彼女は暴力男から逃げてきた女性で、キリスト教には全く興味を持っていなかった
それどころか儀式に対して小言を言うなどが悪目立ちしていて、他の修道女からも要注意人物に思われていた
セシリアはアメリカの教区が閉鎖され、テデステ神父(アルバロ・モルテ)によってこの地に招かれていた
終生誓願の儀式を終えた後にようやく再会した二人は楽しいひと時を過ごした
その後も特に問題もなく、セシリアは日々の奉仕活動を行う中で、この地でのやり方を覚えていった
ある日のこと、気分が悪くなったセシリアは、修道院のかかりつけ医であるガッロ医師(ジャンピエロ・ジュディカ)の診察を受けることになった
ガッロは診断内容をテデステに報告し、フランコ枢機卿(ジョルジョ・コランジェリ)、修道長も集まってくる
何が起こったのかわからないセシリアに対し、テデスキは何度も「男性経験」について聞いてくる
それは、セシリアが妊娠していると言うもので、どこかで汚らわしい行為をしていたのでは、と言うものだった
だが、修道院に来てからは外出することもなく、院に来た際の健康診断でも問題はなかった
セシリアは「性交なき妊娠」と言う未曾有の出来事に巻き込まれ、次第に修道院内での扱いが変わっていくのである
映画は、枢機卿か神父、助祭などに昏睡レイプでもされたのかも、と言う雰囲気があるものの、まさかの「キリストのDNAを採取して復元する実験だった」と言うとんでもないものになっていた
聖母マリアがキリストを出産した時のような状況を科学的に生み出そうとしていて、その実験体にセシリアが選ばれていた
だが、映画内では「いつ注入された」とか、体外受精をおこなったのかなどの、ミステリー部分に関するきちんとした解答がなかった
あの研究室で「イエスのDNAを解析して複製」ぐらいまではわかるものの、そこから「遺伝子技術で何を行ったのか(精子を作成?)」はわからないし、それをいつセシリアに施したのかもわからない
おそらくは、冒頭で描かれていた「棺の中に入っているとき」か、あるいは「膣内検査をした時(健康診断で処女膜はあったと言う発言があった)」かもしれないのだが、明確な描写はなかった
遺伝子技術を使ってイエス・キリストを復活させようと言う目論見は面白いものの、それをセシリアで行う理由とか、志願者ではダメな理由なども描かれていない
特にイザベルではダメな理由は必要で、彼女が「実験のことを知っている」ように描かれているので、新人以外には周知のことになっている
それゆえにセシリアを選定するに至った理由(処女以外)が欲しかったと言うのが素直な感想である
いずれにせよ、アプローチとしては某恐竜映画と同じなのだが、その先の展開が雑なように思えた
前述のミステリーが残ったままと言うのもあるが、ラストにてセシリアは頭よりも大きな石を抱え上げて振り落とすとか、生まれた「異形」は見せないなども気になってしまった
個人的には、修道院から逃げ出すことに成功したセシリアが人知れぬところで無事に出産し、本当に子どもを産むと言うので良かったと思う
宗教上の思惑で作られたものが宗教を否定する場所で生き存える方が皮肉が効いていると思うので、それを一緒に逃げ出した仲の良い修道女(グウェンが最適だけど)と育てるラストでよかったのではないだろうか
そう言った意味も含めて、ネタは良いけど調理法を完全に失敗した映画だなあと思った
オカルト映画だと思わせておいて
ホラー映画で最後のオチがオカルトって好きじゃないんですよ。全能の悪魔だと何でもできてしまうし防ぎようがない。本作は舞台が古い修道院ってだけでもう怖い。あらすじや予告編を見ると紛うことなきオカルト映画。悪魔だな、悪魔に取り憑かれたんだなと見ていたら終盤で物語の様相が変わります。ジャンルとしてはミステリーとかサスペンスになるのでしょうか。リベンジ物とも言える。終盤はけっこう痛快な展開です。女優さんは本当にご苦労様でした。
最強の妊婦vs最狂の神父
アメリカ・デトロイトの修道女シスター・セシリア(シドニー・スウィーニー)は、所属していた教会の閉鎖を受けて、イタリアの田舎にある修道院へと赴くことになります。物語は、彼女がその修道院へ到着するところから始まります。
その修道院は、何百年もの歴史がありそうな古びた建物で、ひと目でただならぬ雰囲気を感じさせる不気味さに包まれていました。異様な空気が漂うその場所は、セシリアの身にこれから起こる出来事を暗示するかのようでした。一応の説明では「年老いた修道女たちの終の棲家」とされており、セシリアたち若い修道女が彼女らのお世話をするということでしたが、どうもそれだけではないようです。やがて明かされていく修道院の秘密に、観客を戦慄に誘うというのが制作者の意図であったように思われます。
物語の舞台が古い修道院であったことや、キリスト教的な儀式・因習が随所に登場することから、当初は宗教的なタブーや超自然的な恐怖が描かれるのかと思われました。しかし実際には、生命倫理を無視したマッドサイエンティストのサル・テデスキ神父(アルバロ・モルテ)が、「キリストの復活」を目論む修道院側の利害と一致したことが、数々の残虐行為の発端であったという意外な展開が待っていました。その種明かしによって、かえって恐怖感が薄れてしまったのも否めません。
キリストを磔刑に処した際の釘に付着していた血からDNAを採取・培養し、それを“処女”であるセシリアに受胎させてキリストを復活させようとするアイディアは、確かに現代科学的な発想ではありますが、逆に神秘性を損なっており、不条理さやおぞましさといった本来ホラーが持つべき不気味さが希薄になっていたように感じられました。
さらに、”キリスト”を受胎し、破水するまでに至ったセシリアが、出産寸前の状態で修道院に巣食うテデスキ神父や猊下を次々となぎ倒し、”キリスト”を帝王切開で取り上げようとした神父に腹を数センチも切られながらも、最終的に修道院から脱出するというクライマックスは、確かに爽快感はあったものの、あまりに現実離れしており、やり過ぎの印象も拭えませんでした。
そんな訳で、本作の評価は★3.2とします。
Rapture
鬼の襲来によって映画館が殆ど埋め尽くされており、しかも激混みなのも相まって今週は映画をしばらく観れていなかったのですが、重い腰を上げて観に行ったのが今作でした。
90分以下のちょうど良いくらいの尺で、宗教などなどの考えはイマイチピンと来ずとも、こういう考えのすれ違いから起きる出来事を皮肉った感じの内容で、全開で楽しめた訳ではありませんが、テンポ良く進んではくれました。
序盤からきな臭い匂いがしており、修道院に来てからも怪しさプンプン。
そんな中で徐々のはずなのに妊娠しており…といった感じで明るい展開が全くないのが清々しいくらいダークなオーラを纏っていました。
望んでいない妊娠が崇められ、扱いが変わり、嫉妬なんかもされたりして大変な目に遭うのですが、シドニー・スウィーニーの表情が喜怒哀楽に溢れていて見飽きる事がなく楽しめたのは良かったです。
全体的にゴア描写が多いはずなんですが、全然映さずなのでイマイチインパクトに欠けていましたし、舌を切るところとか足をボキボキに折るところとか、大炎上するところとか、舌切りはまだしも後者2つはもっとガンガン映して欲しかったです。
全体的に謎を残しまくっているのもスッキリしないところで、怖さを詰め込む代わりにストーリーがほっぽられているのも困ったところです。
後半になって主人公のギアが爆上がってからの殺戮パーティは見応えがありました。
見て見ぬふりをしていたシスターに一発どでかいのを食らわせ、神父には背後から奇襲して首をガン締めして堕とし、教授には結構やられつつも、部屋に思いっきり閉じ込めて燃やし尽くし、それでも蘇ってくる教授をこれまたフルボッコにしていくパワープレイにはワクワクさせられました。
土壇場で抗いまくる姿勢、お見事です。
ジャンプスケアの連発が序盤から中盤にかけて多用されており、その度に驚かされたのは厄介でした。
爆音が過剰すぎるのはホラーの良さをかき消してしまうようで勿体無さが目立ってしまうなと思いました。
丁寧に前振りがあるとはいえ、こちらの予想を超えてくる音でビビらせてくるのは心臓に悪いです笑
割と擦られがちな宗教×妊娠×ホラーという括り、そろそろジャンルとしての限界が来てるのかなーなんて今作で思いました。
そろそろ十字架を振り回しながら暴れるシスターヒロインを召喚して欲しいです。
鑑賞日 7/22
鑑賞時間 14:00〜15:35
丁寧な作り。
ホラーでイタリア・修道院・シスターの組み合わせと来れば⇒そう!受胎もの(笑)
オーメン・ファーストの既視感もどこ吹く風と、アメリカからイタリアの修道院にスカウト?された若きシスターセシリアは胡散臭そうな修道院で不気味な違和感を感じつつ生活していたところまさかの処女受胎→物語は一気に血生臭いラストへwww
ありがちなオカルト展開かと思わせて実は、悪役の元生物学者テデスキ神父が聖遺物の釘に残った骨片や血液からシスターを使って人工授精させてたのはちょっと斬新でした(でもどこで受精したのかがよくわかりませんでした。)
飛び降り、舌切り、足裏への十字焼き印、強制帝王切開未遂と若干イタイ描写はあるものの比較的マイルドでほどよいホラーでした。
映画史上何本かの指に入るスクリーム!
アメリカ人が抱くカトリック教会に対する気持ち悪さみたいなのってエクソシストやオーメンなど、この類の映画がたくさんある事からも何となく感じ取れる。
かつてはプロテスタントが多くを占めた土地に、厳しい戒律にもかかわらず布教により広く浸透していったカトリックは、自由の国の民からすると少なからず違和感があるのかなと思う。
ましてやバチカンのお膝元であるイタリアの歴史ある教会ともなれば、きっと何かおかしな事でもやってるはずとアメリカ人が考える都市伝説はたくさんあるだろうし、本作はそれを逆手にとって考えられた作品の一つなのだろうと思う。(個人の見解です)
主演のシドニー・スウィーニーは時々オバさんの様な顔つきになるが、小柄でキュートで今最も旬な若手だが、本作ではなかなか身体を張った熱演を見せ、カリスマ性を持った本格派女優の風格が感じ取れる。
神父が自己紹介でかつて生物学の研究をしており研究室を案内したのは本当に余計なシーンで、即座にホラーではなくサスペンスとして頭をシフトし観てしまったため面白みが半減した。
科学で押すなら、妊娠のさせ方やマリアに仕立て上げる意味などについてももう少し詳細な説明があっても良かったのではないかと思った。
不気味で不穏
予告で見たときはオカルトホラーだと思っていたが、以外にもバイオレンスでジャンプスケアー満載。
修道院が舞台となると、呪いとか悪魔憑きとかキリスト教徒が怖いと思う物のオンパレードかと思っていたが分かりやすくシンプルにまとまっていてテンポ良く鑑賞できた。
後半の主人公が強すぎる感あるが、冒頭から漂う不気味さや不穏さは良かった。
タワワに揺れるゆれる。
イタリアの田園地帯にある修道院で暮らし始めたシスター・セシリアに起こる話。
子供のころ氷の張る河に溺れた過去があり、男性経験のない処女セシリアが暮らし始めた修道院で少し経ったころ妊娠してると判明していき…。
男としてる訳でもなく妊娠発覚で扱い変わり…喜ぶ者、妬む者と現れていくがこの手の作品の文化?風習?の違いでピンとこなく眠い。
ふと気づけば寝落ちしそうになる私、ふと気づけばネグリジェ姿のセシリア…いやっパイパイに目が行きで、何度か寝落ちしそうになった私もストーリーよりもセシリアのパイパイと着衣風呂で透けるアレばかりに目が行きで、男ってモロよりチラが好きなんだ!と改めて思った。
終盤ラストはセシリアちゃんやり過ぎじゃない?と一瞬思いつつも少しスッキリした。
全13件を表示