「アルジェント・リスペクトで『オーメン:ザ・ファースト』のテーマを語り直したような佳品。」IMMACULATE 聖なる胎動 じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
アルジェント・リスペクトで『オーメン:ザ・ファースト』のテーマを語り直したような佳品。
おおお、こいつは見間違えようのない『サスペリア』リスペクト映画じゃないか!!
こりゃ、ついつい高い点数を付けて評価したくなるね(笑)。
だって、アルジェントを愛する者に、悪い人はいないんだから!
話の土台は、むしろ去年観た、ネル・タイガー・フリー主演のオカルト映画『オーメン:ザ・ファースト』(24)に近い。
近いというより、ネタ自体ほぼ丸カブリすぎて、ドキドキするくらいだ。
ただし、調理法が違う。
その1。あくまで理屈の通った「人為的」な物語として描いていて、実はオカルト要素がまったく「ない」という点。
入口は超常現象っぽくても、内容的に現代の「科学」の範疇を大きくは逸脱していない。強烈な悪意は存在するが、悪意が具現化するためには「人が手を下した実際の行為」が必要となる。オカルトホラーではなくて、SF医療ホラー。そのへん、マイケル・クライトンやジェームズ・ロリンズに近いネタの処理だといえる。
その2。おおむね『サスペリア』をなぞった作りになっている点。
70年代オカルト・ホラーの金字塔、ダリオ・アルジェント監督の『サスペリア』(77)。
僕にとっては『サスペリアPart2』と並んで、まさに「人生を変えた一本」と呼んでもいい大切な映画だ。
『IMMACULATE』は実のところ、『サスペリア』の中で起きたイベントを、ほぼそのまま踏襲した映画だといっていい。というか、ど直球ストレートのオマージュなんだと思う。
その3。リベンジ・ホラーとしての視点。
本作で取りざたされているのは「子供を産む性」としての女性の尊厳だ。
受胎できる「器」としての女性性が、悪意を持った存在によって徹底的に蹂躙される。
最終盤で展開する一連のスプラッタは、その悪質なレイプ行為に対する敢然としたレジスタンスであり、リベンジである。ちょうどコラリー・ファルジャ 監督の『REVENGE リベンジ』(17)のようなもので、観ていてグロテスクではあっても、ある種、痛快な印象を残す。
その4。『ローズマリーの赤ちゃん』との共通点。
本作の場合、中で描かれる実際のイベントは大きく『サスペリア』に寄ったものになっているが、恐怖の根源にあるのは「自分はいったい何の子を産まされようとしているのか」という「母性の恐怖」であり、それはまさに『ローズマリーの赤ちゃん』(68)の描いていた恐怖と同質である。というか、ただ母親が恐怖に打ちのめされるだけの時代から、上記3の要素を加味して一歩進んだ形態が、本作のラストシーンといってもいい。
本作で、母親は物語を「自分で終わらせる」決定権を得たのだ。
両手で抱え上げて振り下ろした、大きな●●によって。
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本作と『サスペリア』の共通点については、
もう少し深掘りしておきたい。
そもそも、『サスペリア』はイタリア人の撮った、アメリカ人の少女がドイツのバレエ寄宿学校に留学する話である。
いっぽう、『IMMACULATE』はアメリカ人の撮った、アメリカ人の少女がイタリアの修道院に入る話である。
また、『サスペリア』はもともとジャッロ(イタリアの血まみれ推理映画)を撮っていたダリオ・アルジェントが、初めて「オカルト」に足を踏み入れた作品だ。犯人当て残酷スリラーと超常現象ホラーの中間形態といってもよい。
いっぽう、『IMMACULATE』は一見「オカルト」映画に見えて、実は人間の悪意と施術によって生み出された悪夢を扱っていて、起きている現象には「理由」があり、それを引き起こした「犯人」がいる。
すなわち、『IMMACULATE』の作り手(監督のマイク・ローハンは今回雇われ業で、製作を主導したのはもっぱらヒロイン役のシドニー・スウィーニーだったらしい)は敢えてイタリアを舞台に選ぶことで、自分が今回やりたいことが「オカルト」に見えて実は「ジャッロ」に近いものだという意思を、我々に伝えてくれているのだ。
まずは出だしの「空港への到着」と「車での移動」が一緒だ。
明らかに演出には、アルジェントを意識している部分がある。
その後も、物語はおおむね似た内容を辿る。
順調に滑り出す寄宿舎生活と、友人との交流。
体調を崩すヒロインと、処方される謎の薬。
体制に反抗的な態度を取った友人の凄惨な死。
夜になると建物内を探索してまわるヒロイン。
終盤における、地下の秘密空間での攻防戦。
悪い連中がもくろんでいる黙示録的な目的。
ね、そっくりでしょ?
その他、終盤のジャンプスケアで友人の遺体が用いられる点、鍵穴から覗くショット、意外と女性の親玉は簡単に倒せる点など、似ている点には枚挙に暇がない。
何より、「いたいけな少女たちを血まみれにして怖い目に遭わせたい」という嗜虐的な美少女趣味と、「寄宿舎から逃げ出そうとする人間、秘密を暴こうとする人間には、容赦なく体制側の懲罰と凄惨な死が待ち受ける」という点において、本作は『サスペリア』の本質的な部分を引き継いでいる。
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ただ、アルジェントへの私淑は感じられるものの、アルジェント映画とは似て非なるものであるのもたしかだ。
何が違うかというと、美意識の差だ。
様式美に対する意識が低いのが、個人的にはどうしても気に入らない(笑)。
別にダリオ・アルジェントの三原色の光や、稚気に富んだ殺人シークエンスを「真似ろ」と言っているわけではない。
ただ、もう少し「被害者の追い込み方」「被害者の殺し方」「ヒロインの中で高まる恐怖の表現」などを「スタイリッシュ」に描いてもよかったのではないか、ということだ。
あるいは、もう少し「手数」をかけて、ヒロインを追い詰めてほしかった。
たしかに、殺し方とか女性の描き方は、アメリカ人でありながら明らかに「ジャッロ」を指向しているし、アメリカのホラーというよりはイタリアのホラーを観ている気分にもなる。
ただ、アルジェント様式とは程遠い。
なんとなく、味気ないし、小汚いし、品がない。
ダリオ・アルジェントが好きなら、
もっと細部に「凝って」ほしかった。
(まあそれでも、ダリオ・アルジェントが好きだとか公言しながら、アルジェント映画を小馬鹿にするようなリメイクを撮ったルカ・グァダニーノみたいなカス野郎と比べたら、100倍好感はもてるわけだがw)
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『IMMACULATE』が、思いのほか「攻めた」映画であることは間違いない。
僕たち信心のない日本人からするとよくわからないのだが、おそらくなら本作のように、単に修道院内の恐るべき陰謀を暴くというだけでなく、実際の聖なる法具で相手を殺す描写が連続するというのは、結構キリスト教徒にとっては「ハードルの高い」やり口ではないか。
なにせ、一人目は十字架。
二人目はロザリオ(ここって『サスペリアPart2』のラストシーンを意識してるよね)。
三人目はよりによって「聖遺物」(キリストの磔刑で用いられた鉄くぎ)でとどめをさすのだから。
総じて本作は、キリスト教の「悪」に対しては、けっこう容赦のない作りになっている。
たとえば神父はうそぶく。「ではなぜ神はわれわれをおとめにならないのか」と。
(実際、ヒロインは必死で生き残りをかけた闘いを見せるが、この映画が始まる前までに何十人という「犠牲」が既に出ているはず。)
本作において、神は、残念ながら悪を妨げることができない。
悪に立ち向かい、倒し得るのは、虐げられている女性自身でしかないのだ。
終末論に囚われて、キリストの再臨だけを待ち望む、近年の福音派を中心とする保守派の凝り固まった信仰に対する作り手の警戒心も、本作からはうかがうことができる。
キリストを再臨させさえすれば、すべての片がつくかのような思考法。
目的のためならば下部の修道女を犠牲にしてもかまわないという態度。
秘密結社に近い秘密保持と儀式性によって成立するカトリシズムの在り方。
こういった、キリスト教が本来持っている「闇」の部分に対して、監督たち作り手は敢然と「NO」を突きつけている。
『IMMACULATE』は、とち狂った一部の狂信者が引き起こした悪夢を描いた映画ではない。ここで暗躍する修道女や神父たちが、必ずしも「サタニスト」ではない点に留意してほしい。彼らが再臨を待ち望んでいるのはあくまで「本物のキリスト」であって、「アンチキリスト」を人為的に生み出そうとしているわけではない。そこが『オーメン:ザ・ファースト』とのいちばんの違いだ。
ここで描かれる悪夢は、キリスト教の本質的な部分から否応なく一定量引き出されるたぐいの「毒と澱」の凝り固まったものである。
キリスト教徒なら、誰しもが一度は考えてみたようなことをベースにした恐怖。
「処女懐胎」と「聖遺物」というキリスト教信仰におけるもっとも重要な拠り所をネタにしたホラー。
やはり考えれば考えるほど、『IMMACULATE』は「攻めた」映画だと思う。
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●IMMACULATE を、説明もなくタイトルに使うのって、業界的にアリなのか?(笑)
英語の出来る人以外、絶対知らないたぐいの単語だと思うんだが……。
●ヒロインはほとんどイタリア語わからないのによくのこのこ来たなとか、やたらつわりで吐いているのにその割にバクバクよく食うよなとか、あの大事なタイミングで離席して帰ってこない医者ってなんだよとか、犯人一味がこんなに簡単に意気揚々と秘密の核心を話したりしねーよとか、まあいろいろ思わないでもないが、この手のホラーの場合、僕のシナリオに対する抵抗感&期待度はほぼゼロにまで閾値が下がるので、細かいアラはほとんど気になりませんでした(笑)。
●最近のアメリカ映画ではあまり観ない気がするが、徹底的にヒロインのバストトップの「透け」を意識したエロティックな作りも、本作の特徴の一つといえるだろう。
いかにも「本国じゃもうやれる雰囲気じゃないんで、だったらイタリアで!!」みたいなノリが感じられて微笑ましい。
必ずしもスタイル抜群というタイプではなく、重量感があってGがしっかりかかっている感じが妙に生々しかった。風呂のシーンとかもちょっとティント・ブラスみたいな感じで、エクスプロイテーション風味が感じられた。
●ヒロインが脱出を図る際のゴアシーンは、ちゃんと伏線があって、しかもあそこだけは観客もまとめてひっかけるような構成になっていて、とてもよかった。
多少の無茶をしても、「大事な胤を宿している」から簡単には殺されないっていう状況を、このヒロインは逆手に取って敵に立ち向かうんだよね。
●足に焼き印のあるおばあちゃんが介護棟にいるということは、そんな昔からこの修道院はそういうたくらみを繰り広げてきたってことなんだろうか? 今回の陰謀における首謀者は、明らかにまだ若い世代の人間に見受けられたが。
●「破水してからが本番」ってノリ、初めて観たかも(笑)
ラストの大絶叫観ながら、『Pearl パール』(22)とか『ストレンジ・ダーリン』(24)とかのラストを思い出していた。最近、ああいうロングの顔芸をヒロインに披露させるのって流行ってるのか?
あと、これって「これであたしは本物のスクリーミング・クイーンよ!」というシドニー・スウィーニーなりのネタ作りなのかも。とにかく、よだれが牛のように凄いことにまあまあ感動した(笑)。
●音楽については、一部シューベルトの『アヴェ・マリア』なども使われていたが、基本はウィル・ベイツによる「偽聖歌」だったと思われ、「アデステ・フィデレス」っぽい音階の曲をうまくでっち上げて使用していた。
●ちなみに本作のロケ地である「ヴィラ・パリシ」って、パンフの監督インタビューによると、マリオ・バーヴァの『血みどろの入江』でも撮影に使われた場所なんですって! なんと素晴らしい! あれは本当に胸糞悪くなるひどい映画だった(誉め言葉)。
●パンフにゾンビ映画研究で名高い伊東美和さんが「ナンホラー100年史」を寄稿。……えーと、なんでも100年史って編めちゃうもんなんだな(笑)。碩学の情報提示に感謝。

