「女性同士の物語にする必要性はあったのだろうか?」愛はステロイド tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
女性同士の物語にする必要性はあったのだろうか?
制御不能な事態に陥った登場人物達が、さらに面倒な事態を引き起こしていく様子は面白いし、どこに転がっていくか分からない予測不能な展開には引き込まれる。
特に、必死になって助けようとしている恋人から銃を向けられて、「何で?!」と驚くクリンテン・スチュワートの表情には笑ってしまった。
その一方で、「男性に虐げられた女性が反撃に出る」といったジェンダーを意識したような作りにはなっていないし、ボディビルダーの恋人やストーカーまがいの目撃者を、そっくり「男性」に置き換えても物語が成立するので、一体何のために女性同士の愛の物語にしたのかがよく分からなかった。
考えてみれば、恋人が、わざわざDV男を殺さなくても、主人公の父親が、娘に暴力を振るった上に密告者でもある彼を、うまく「処分」してくれたはずだし、そうであれば、恋人は、何のトラブルもなくボディビルの大会に出場できたに違いない。
元を正せば、恋人が、ついカッとなってDV男を殺してしまったのも、あるいは、ボディビルの大会で錯乱状態になって留置場に送られてしまったのも、ステロイドの過剰摂取による副作用のせいだろう。
確かに、ラストで、恋人が巨体化できたのはステロイドのおかげだし、それが、観た者の度肝を抜くような見せ場にもなっているのだが、それでも、この映画にメッセージがあるとすれば、「薬物の乱用は身を滅ぼす」ということだと思われるのである。
ところで、そのラストで、父親が、どうしてさっさと恋人を殺してしまわなかったのかが不思議だし、仮に、主人公をおびき出すために生かしておいたのだとしても、テニスコートで彼女達がよりを戻す時間をわざと与えていたとしか考えられず、「エド・ハリスは、やはり、娘想いの善い人だったんだなぁ」と思ってしまった。
それから、殺人に手を染めるという点において、主人公も、恋人と同等の立場にしたかったのかもしれないが、目撃者が息を吹き返した上でそれを始末するというエンディングは、必要なかったのではないかと思えてならない。
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