「想像をぶち抜く、いっそ痛快な暴走愛」愛はステロイド ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
想像をぶち抜く、いっそ痛快な暴走愛
A24は当たり外れがあるのでそこまで期待せずに観たが、いやなかなか面白かった。スピーディで先の読めない展開、いちいち色んな方向にぶっ飛んでるキャラたち。癖が強いので人にお勧めはしづらい。
時は1989年、マッチョな男たちの集う汗臭そうなジム、そこへやってくるムキムキのお姉さん。ジャッキー役のケイティ・オブライアン、なんだこのガチムチでかわいい人……と思っていたら、「M:I ファイナルレコニング」でトム・クルーズに潜水服を貸した人だった。
当然のようにステロイドを買いだめしているジム、好意を持った相手に善意でステロイドをお勧めするルー。80年代のジムでのドーピング事情など全くわからないので、あ、そういう感じなんですね……といったノリで観ていた。そういう感じがリアルか誇張かもよくわからない。
クリステン・スチュワートがカッコいい。若い頃のキアヌ・リーブスのような涼しげなイケメンぶり。
エド・ハリスの髪型に笑ってしまった。なんでこんな役をやっているんだろうと思っていたらエキセントリックなラスボスだったのでおおいに納得。
登場キャラが皆おかしい。デイジーのテンションは怖いし、JJはDV夫で普通におかしいし、妻のベスはDV被害者にありがちだがJJに洗脳されておかしくなっている。ジャッキーは見ての通り。相対的にルーだけがまとも……なのか?
有害な男性性への批判として女性がクズ男をとっちめる展開というのはよくあるが、腕力のみ、ステゴロで女が男を始末するのは新鮮だった(しかも砕けた顎がブラブラするレベル。気持ち悪かった)。だがこのジャッキーによるJJの撲殺は、そんな型通りのメッセージ性を見出そうとする観客など吹き飛ばすような、その後のカオスの序章に過ぎなかったのだ。
この時点ではまだ、ジャッキーは正義感から超法規的に悪を成敗したのだという解釈もできた。だがその後だんだん、あれ? なんか違うかなこれ……となってきた。人を殺した直後なのにルーの反対を押し切ってベガスのコンテストに行く(ルーがジャッキーの口から出てくる幻想は「サブスタンス」っぽい)、易々とデイジーを殺す。
多分、ジャッキーの行動原理は「ルーを苦しめる奴は許さない」「自分のやりたいことを諦めない」の2本立てで、そのための決断は単純かつ極端であり融通が利かないのだろう。彼女の行動で結果的にルーはひとまず困り、毎回後始末に追われるのだが、ジャッキーはお構いなしだ。正義とか道徳とか、果ては自分の行動によってルーが困るかどうかさえ、彼女にとっては関係ない。
暴走するジャッキーに困惑し振り回され、JJやデイジーの遺体を遺棄することで共犯のような立場になってしまうルーだが、ジャッキーへの愛が冷めることはない。彼女のルーへの愛が暴走の引き金となっていることをルーは理解していて、やり過ぎな点もその愛の強さゆえと思えばジャッキーに対する愛しさも増す、そんなところなのだろうか。
愛が暴走の燃料になり、暴走が愛を増強する。「愛はステロイド」という邦題、上手いこと考えたなという感じだ。どこか垢抜けない響きも、80年代に合っている。
終盤、ジャッキーの巨大化には笑ってしまった。これも幻なのか? エド・ハリスはその幻に押さえつけられていたが。ただ、彼女の愛の暴走とステロイドで膨張した筋肉の成れの果てのイメージとして、あの巨人の姿はぴったりだとも思った。
二人の幸せに邪魔なものは全て消す。勢いだけでそれを実行するジャッキーと後始末に奔走するルーだが、やられた側がDV男、病的ストーカー、闇の武器商人といった面々であるせいか、ラストには不思議と爽快感が漂う。
フィクションにおいてのみ許されることという側面はあるが、いやだからこそ、彼女たちの無鉄砲さがどこか痛快なのだ。
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