八犬伝のレビュー・感想・評価
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役所さんの上手さばかりが印象に残る
虚であれど、それを真実と思い貫けは実となるby渡辺華山
兎に角、面白かったの一言です。あっと言う間の二時間半でした。流石役所広司!
それをとりまく人々の演技に吸い込まれて行きます。物語と現実を交互に行き渡り
ますが、違和感が全くなくスムーズに流れていきます。正義がまかり通らない世の中
物語の中だけでも全正義が勝つでいいではないか?自分もそう思います。
出演者の中にも沢山の俳優さんたちが良いスパイスで登場します。北斎の内田さんと
奥様役の寺島さんは最高でした。より馬琴(役所)さんをきわださせていました。
もう一度見たいと思う映画でした。
絵作りが良い
虚も、実も、すべてはファンタジー。
虚としては八犬伝の物語が進行し、実としては馬琴と北斎の掛け合いが描かれる。
ただ、北斎の生涯もそれほどはわかっていないと思うので、すべてはファンタジーと言えるかもしれない。
ハリウッドのヒーローものであれば、正義と悪が闘って、地球を救う、多くの人達を助けるなど、わかりやすい図式があるが、この物語の場合、個人的な恨みと言えなくもなく、里見家が畜生道に落ちず守られたという結論にしかならない部分がある。
その図式なら、それはそれでいいのだが、伏線の部分で大きな犬が出てきて、その犬をかばい、姫は鉄砲て撃たれて死んでしまう。
飼い犬まで、たたったのだろうか。犬は飼い主に忠実なイメージがあるので、玉梓という女の呪いとの闘いにストーリーを絞った方がわかりやすかったのではないかと思う。
犬にとりついたということかもしれないが、犬はやはり飼い主のために闘うのではないだろうか。
CGもきれいで、演技や衣装も悪くないのだと思うが、最後まで感情移入できず、全編を通じて歌舞伎のような演技に、途中から疲れて、もういいかなと思ってしまった。
足や手の汚れなど、細かな部分まで隙がなかっただけに、ちょっとストーリーの中核が足りない気がしてしまう。
まあ、私見になるので、このあたりで…。
戦国ヒーロー戦隊ハチレンジャー!
馬琴と北斎のイチャコラでほっこり
すごい
何がすごいって馬琴とお百の崩壊した夫婦関係が
最後の最後まで全く歩み寄りや和解のないまま
終わっちゃう
最初は口の悪いババアみたいな感じに出てきて
その実ものすごい孤独な人物だったなあと
明確には描かれてないけど中盤自分の糞っぷりを指摘された馬琴は
そのまま自室(仕事)に逃げちゃって事態の収拾しなかったんだろうな
物語は馬琴と北斎の楽し気なひと時の合間合間に
八犬伝の物語が紡がれる
虚実入り混じる構成だ
その虚と実もたんに作家と物語という二面性だけでは無いのが面白い
芝居小屋のエピソードは物語をぎゅっと引き締め
観てる方もドキッとさせられて印象深い
期待したよりもずっとのめりこめ楽しめる作品なのだけど
ラストシーンは蛇足だったなあ正直…
柱集結。水の呼吸?
面白く観ました
(完全ネタバレなので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
結論から言うと面白く観ました。
今作の映画『八犬伝』は、「南総里見八犬伝」の劇中劇と、「南総里見八犬伝」を執筆する滝沢馬琴(役所広司さん)の物語が同時進行する物語です。
「南総里見八犬伝」の劇中劇は、犬塚信乃(渡邊圭祐さん)などの八犬士のそれぞれの描き分けがそこまで深くなく似ていて、ストーリー的にも登場人物の多さの割に時間的制約の短さもあり、迫力や画面の美しさがありながらやや単調の感想は持ちました。
一方で、滝沢馬琴や葛飾北斎(内野聖陽さん)との現実の場面は、それぞれの人物描写が際立っていて、特に滝沢馬琴と葛飾北斎のやり取りは見ごたえがあったと思われます。
しかしこの映画が俄然面白くなるのは、鶴屋南北(立川談春さん)が、四谷怪談の方が「実」で、忠臣蔵の正義の方が「虚」であると、滝沢馬琴の(忠臣蔵にも共感する)正義の考えを否定するところからだと思われました。
滝沢馬琴は、「南総里見八犬伝」を正しいことをしている者が最後に報われる物語として執筆を続けているのですが、鶴屋南北によって滝沢馬琴の正義の考えが根底から否定され、滝沢馬琴はショックを受けます。
ただ渡辺崋山(大貫勇輔さん)によって、例え「虚」の正義であってもそれを貫けばその人の人生は「実」になると、滝沢馬琴は励まされます。
葛飾北斎も滝沢馬琴を勇気づけます。
しかし、滝沢馬琴の息子・鎮五郎/宗伯(磯村勇斗さん)が身体を悪くすると、滝沢馬琴の妻・お百(寺島しのぶさん)は、息子の鎮五郎/宗伯が身体を悪くしたのは滝沢馬琴の息子に対する教えのせいだと、滝沢馬琴を責め立てます。
そして、滝沢馬琴はまたもや自身の正義の考えが揺らぎショックを受けるのです。
今作の映画『八犬伝』は、劇中劇の「南総里見八犬伝」のやや単調さも感じる勧善懲悪の物語やその正義を信じたい筆者の滝沢馬琴と、その正義の物語は「虚」(偽物)だと責め立てる鶴屋南北や妻・お百との、対立の構成作品になっていると思われました。
一見、妻・お百は、夫・滝沢馬琴が大切にしている正義の信念を破壊しようとする悪女に見えなくもないですが、一方で、妻・お百の背後には日常と関係しながら生きる現実があることがうかがえ、その日常の現実から目を逸らしてると彼女からは映っていただろう夫・滝沢馬琴が責め立てられているのは、1観客の私には非常に理解が出来る夫婦間の描写だったとも思われました。
この映画が面白く秀逸だと思われたのは、鶴屋南北や妻・お百を通して、滝沢馬琴の正義に対する疑念をちゃんと制作側が自覚しているところにあると思われました。
個人的には、鶴屋南北や妻・お百による、現実からの滝沢馬琴の正義に対する疑義の方に共感があります。
しかしだからこそ、(渡辺崋山が言うように)滝沢馬琴が生涯を貫いた正義は、一方でそんな私を含めた観客読者からも、劇中劇の「南総里見八犬伝」の終盤のストーリー展開も含めて、「実」に転換する感動があったと思われました。
滝沢馬琴が日本で初めての原稿料で自活できた著述家だと言われるのも、正義を貫いたからこそ得られた読者の感動に理由があるように感じました。
個人的には、劇中劇の「南総里見八犬伝」の八犬士の描き分けなどがもう少し深くあればもっと面白くなったのではと、僭越ながら思われましたが、歌舞伎シーンも含めた現実場面の描写の分厚さなどから、十分面白い作品に仕上がっていると感じられました。
「虚」と「実」
役所広司演じる滝沢馬琴の日常が「実」、滝沢が書く戯作「八犬伝」のストーリーが「虚」。それらが混乱することなく構成されていて極上のエンターテイメントに仕上がってます。
滝沢は言う「戯作は『虚』。家族『実』」。
しかし、家族の死や戯作に没頭するせいで生じる家族の亀裂。「実」である家族が虚ろになっていく。ますます没頭していく戯作執筆こそが「実」なのか。家族の為に書いていた戯作のはずが、戯作のために家族が苦しんでいく。重ねる年齢。何のための人生だったのか?何が「虚」で、何が「実」だったのか?
「虚」ばかりの世の中だから、戯作の中に「実」を見出すことに価値がある。そう信じていた滝沢を揺るがす、天才が現る。
「八犬伝」のストーリーパートではVFXを駆使した斬新な演出が施されている。実生活パートでは、伝統的な時代劇として楽しめる。
何より、この映画そのものに人情本の戯作文学の味わいが通底している。
役所広司と寺島しのぶの演技は圧巻ですぞ。
タイトルなし(ネタバレ)
NHKの坂本九さん語り手の人形劇の頃からの八犬伝のファンです。とても豪華なキャストでしたが、本編と馬琴の生涯の2部編成ということもあり、それぞれストーリーか少し中途半端で荒削りで深みがないように感じました。また、ストーリー展開で、八犬伝というタイトルなのに、八房の扱いが雑でリスペクトが感じ取られませんでした。ラストも伏姫と共に登場するくらいの扱いがあっても良いように感じました。キャスティングでは、里見の殿様の演技が私的には軽薄に感じ取られ残念でした。
全てのクリエイターに刺さる。江戸のルックバック
創作とは呪いであり祝福である。
何故書くのか?に対する一つの答えがある。
2020年代の邦画の中でベスト1
アニメ映画のルックバックが好きな人は
間違いなく観たら感動すると思う。
また役所広司の演技も素晴らしく間違いなく
彼の代表作の一つになるだろう。
立川談春との創作に関する問答も見事な名シーン。
人生とは思い通りに行かず辛い事の方が多い、だからこそ虚の中から実を見つけたい…
あと江戸時代の物や景色などはかなり時代考証をしっかりして作っていると思う。
ハッキリ言ってNHKの大河ドラマよりも本格的。劇中劇の「八犬伝」をcgバリバリに華やかにしてるから虚と実の対比が上手く出ている。
曽利監督はピンポンで鮮烈な監督デビューを
果たして以降、他の作品がイマイチパッとしなかったが、20年の時を経てピンポンに匹敵する作品が生まれた。
いやーしかし馬琴先生は何百年も前によくあんなアベンジャーズみたいな話を思いついたよなと感心する。
集中力が必要です
八犬伝が完成するまでの物語りと八犬伝の内容を映像化した物語りが交差するので油断して観ていると「あれ?今どっち?」となります。
予備知識ゼロで観るとそんな感想になってしまう映画です。
このシーン長いな?とか、ここは必要なのか?というシーンも沢山あります(あくまでも個人の感想です)。
キャストの皆さんの演技も良かったし、CGの使い方も良かったと思います。
八犬伝のストーリーを映画化して欲しいと思った人は多いと思いますね。
狂言廻しの「八犬伝」
「虚」と「実」の間で迷う
八犬伝は子供の頃に一度読んでなんとなくあらすじは覚えている程度。
現実?パートは役者や演出、美術も含めて非常にレベルが高い。役所広司の滝沢馬琴はザ・主人公。という感じで王道のキャラクターに感じたが、馬琴の目が見えなくなったあたりからその実力が目に見えてくる。
内野聖陽がとても素晴らしい。飄々としているけれど、その奥に芸術的なセンスを根底とする言い回しや態度がとてもカッコ良かった。
寺島しのぶのキャラクターは少々キツイが振り切った演技が素晴らしく、黒木華もこういう健気な女性を演じたら右に出る者がいないと思える程ハマっていた。
「虚」の八犬伝パートもかなりのダイジェストだろうが、ツギハギが解けて崩壊しない程度にはなんとか上手く纏めているとは思う。こちらは若手スター候補を引っ張る栗山千明が素晴らしかった。
映像も綺麗かつ、恐らく敢えて色彩やCG色を強め「虚」の世界であることがわかる様になっていて見やすかった。
正直な印象としては、「実」が重厚で見応えのある演出がされるのと「虚」側で壮大なファンタジーが描かれるのと、お互いがそれぞれの方向へ進むにつれて見ている側はその間で迷子になってしまう印象の映画だった。
八犬伝側は子供には楽しいが、大人には少々キツい。ダイジェスト感も相まって、夏休みのヒーローショーを見ている気分になる。
逆に馬琴側は大人には良いが、子供には虚実問答とか少し難しいだろうし、寺島しのぶはずっと怒っているし八犬伝側が見たいだろう。
交互に挟まれているのでリンクしながら進んでるのかとも考えたが、そういう部分もありそうだ。という程度でしっかりとは読み取れなかった。
またお互いの枠を取り合うことでそれぞれがしっかりと描ききれていないのも惜しいと感じる部分ではある。
最後の馬琴が八犬士に見送られる?シーンは感動的なんだろうが、なんかちょっと見ていてキツいな。というのが鑑賞後の余韻として残った。
伏姫1人に迎えさせるか、八犬士の後ろ姿だけ見せるなどさり気なく送り出してた方が良かった様にも勝手ながら思えたりする。
大河ドラマと仮面ライダーが交互に観れますよ
もう半世紀以上昔になるのか子供のころに観たNHKの人形劇ドラマで「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の8つの玉を持った8人のファンタジードラマに魅了された記憶が蘇り、タイトルだけでほとんど出演者などの事前知識なしで観させてもらった。
滝沢馬琴のストーリーと彼から生み出されたファンタジーが交互に出てくる構成となっているが、演技力達者な俳優陣のリアルストーリーの方が重いのに比べ、若者たちのファンタジー部分がまさしく御伽草子であり、大河ドラマと仮面ライダーを交互にチャンネルを切り替えてみるような感覚だったのは私だけだろうか。
リアルストーリーでは息子役の”中村幸也”は相変わらず上手いなあって思って帰って調べたら”磯村勇斗”だったのですね。ずっと勘違いしており失礼しました。
浜地役の河合優実も最初は”森田望智”なのか?って思っていましたが、これも違ってました。
年取るとだんだん区別がつかなくなってきますわ。
嫁役の黒木華は間違えることなくしっかりとした演技は素晴らしかったです。
全編退屈せずに観終えましたが、2番組をチャンネルガチャガチャして観続けたような、何か別の世界をつなぎ合わせた違和感が残りました。
改めて曲亭馬琴に興味が湧く作品
「曲亭(滝沢)馬琴の執筆活動である実」と「八犬伝という虚の物語」を交互に描いた作品。
私としては、それが非常に良かった。
もし馬琴の八犬伝の制作様子のみだったら、恐らく寝ただろう(笑)
もし八犬伝のファンタジーのみだったら、そもそも観に行ったかも微妙。
実と虚の切り替えの時に、時代背景が似ているので、え?今どっち!?とならなくも無いが、それがワクワクを生み、飽きることなくエンディングを迎えた。
いやそこは赤じゃなくて黒やろ、とか
そんなアイディアの時代じゃないやろ、とか
最期がファンタジー過ぎやろ(笑)、とか
まぁ少しツッコミどころはあるけれど、
馬琴と北斎の仲が素晴らしく描かれていたし、
何と言っても役所広司さんは大正解だし、
歌舞伎は本役者だったし、
桜の絵に墨を落としたようなという表現が非常に気に入っているので、やっぱり観て良かった作品。
南房総に経済効果を!
この映画、意外と評判が良くて少々驚いている。
確かに、役所広司と内野聖陽は二人の特性がうまく役に溶け込んでいて素晴らしいし、画的に見応えある場面もいくつかあって力作だとは思う。
だが、「南総里見八犬伝」のダイジェストなのか、曲亭馬琴の裏話なのか、どちらも中途半端で表面的だと私には感じられた。
VFXももう少しなんとかならなかったのかという印象。特に冒頭に出てくる妖犬・八房のCGはかなり浮いていた。
監督・脚本の曽利文彦は私より2歳下の同世代。つまり、あのNHK人形劇「新八犬伝」がすり込まれた世代だ。あの一大活劇を今のVFX技術で実写化したいと考えたことは理解できる。
しかし、彼はCGクリエイター出身でVFXの専門家だったはず。あれでよいのだろうか…。
キャスティングに資金が費やされた事情があるのかもしれないが。
そして、またかと思うのだが、宣伝に「実話」という言葉が使われている。あまりにも無責任なキャッチコピーに閉口するばかりだ。「実話」の意味を知っているのだろうか…。
山田風太郎の小説「八犬伝(傳)」は、「南総(總)里見八犬伝(傳)」を要約・再構成した〝虚〟と、葛飾北斎を絡ませながら曲亭馬琴の創作風景を描写した〝実〟が並行して交互に展開する。(〝実〟といっても決して「実話」ではない)
それを構成もそのままに字面をなぞって映像化していて、工夫がない。小説の筋を追うのが精一杯なのだ。
あの構成のまま映画化するなど土台無理な話だろう。
まず、「南総里見八犬伝」の長大さが説明できていない。この物語に精通している山田風太郎だから効果的な文章で要約しているが、その文章を映像化したのでは八犬士の列伝が省かれてしまうから、当然といえば当然の結果だ。
ならば、この戯作を生み出す馬琴の執筆活動をエキサイティングに描けばよかったのにと、私は思う。
しかし、そっちは馬琴の家庭の事情ばかりを見せて、創作の苦悩が見られない。「南総里見八犬伝」がどれほどの大長編であるかが示せていないうえに、28年もの歳月がかかった産みの苦しみがないのだ。
視力を失った晩年の馬琴がこの大長編を書き上げるクライマックスでは、単に文字を書くことの苦労しかなかったかのようだ。しかも、完成させることに執念を燃やしたのは馬琴自身ではなく嫁のお路の方だったように見えた。なのに、そのお路の背景はほとんど見せられていない。
鶴屋南北との問答も単に一つのエピソードに過ぎない扱いで、南北の言葉が馬琴の中でリフレインはするが、勧善懲悪の物語を書くことに迷いが生じるとか、逆に奮い立つなどの影響はない(あったかもしれないが印象に残らない)のだ。
北斎が馬琴の話を聞いて絵を描く。
だが、その絵のシーンは先に映像で見せられている。
例えば、役所広司と内野聖陽の演技力に頼って、馬琴があらすじを言葉で語り、同時に北斎が絵を描く、そしてアクションの場面で北斎の絵からVFXを駆使した映像に遷移する…みたいな方法で、「南総里見八犬伝」の部分は芳流閣の決闘などのアクションシーンに絞り込んではどうだったか。
北斎の絵によって馬琴が更にイメージを広げて筆が走る…みたいな。
…あ、これでは旬の俳優たちに八犬士を演じさせるコンセプトが成り立たないか。
ツラツラと文句を重ねたが、若い世代には活きのいい人気俳優たちによる八犬士は魅力的だろうし、八犬伝に興味を持ってもらうには上々の作品だといえる。
八犬士の配役はみな違和感がなく、明るい剣士なのが今風で良い。犬坂毛野の板垣李光人には驚いた。
玉梓の栗山千明が一番の力演だったと思う。
網乾左母二郎の忍成修吾は、さもしさが滲み出たベストキャスティングで、あっけない最期がもったいない。
さて、なぜ「南総里見八犬伝」ではなく山田風太郎の「八犬伝」を映画化したのか解らないのだが、うがった見方をすると山田風太郎が短く再構成してくれていたから…か。
なんなら、同じ山田風太郎の「忍法八犬伝」を映画化した方が、手垢もついていないし、アクションに特化できて面白かったのではないか…と、思ったりして。
また、館山市が活気づいている効果も千葉県民としては喜ばしい。南房総市から鋸南町まで一緒に盛り上がってくれれば、なお嬉しい。
不思議だけど楽しめた。
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