八犬伝のレビュー・感想・評価
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八犬伝をふわっとしか知らずに見に行きました
色々ドラマやコミックにもアレンジされているのでなんとなくは知ってましたが、八犬伝。やはり日本人が好きなストーリーだなぁと思います。
八犬伝パートは各地から宿命を持って生まれた若者が集まり敵を倒すという王道RPGのダイジェストみたいでした。エンドロールで見たら結構、見覚えのあるお名前が並んでいたので、戦隊モノが俳優の登竜門と言われることを考えるとこれもそうかも知れません。
しかし映画館のお客さんの質がハズレでした…途中で席を立つ人、おぼつかない足取りで移動する人、携帯電話の電源を切ってない人、ボソボソ話す人……、面白い映画には没入して勝手にしーん…となるものだと思うので、結構な人が集中してない映画だったと言えるかも知れません。
お百さんの金切り声、ちょっと耳につきましたし、同僚とかにいたら凄く嫌なタイプです。
最期の最期に嫉妬で嫁を睨みつけ終わるところとか…気が強すぎて引きます笑。
実のところ、
お路の書が見事でした。最高の嫁だと思う。
馬琴と北斎の仲も良かったです。理解者がいてくれるのは有り難い。
中途半端
虚と実が交錯する展開の大作
二つの物語のように
交互でストーリーが切り替わる、最初はそれも楽しめたが段々ストーリーが進むにつれてもどかしくもっとスピード感があっても良いのではと思う。
八犬伝は昔見たことがあるがやはり昔の方が良かった感が否めない
若手チーム(虚)とベテランチーム(実)
外国での視聴が主に想定されていると思うもののその観点では…。
今年385本目(合計1,477本目/今月(2024年10月度)36本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
この映画、インド映画でもないのに(ほぼ)3時間級なので注意です(お手洗いなどは早めに済ませたほうがよさそう)。
私自身はこの映画の背景となる知識については一般的な理解程度にとどまります(例外除く。後述)。
多くの方が書かれている通り、「物語パート」と「執筆パート」の2つに分離されていてほぼ交互に登場します。この分離の仕方は極端に違和感はないのですが(「燃えよ剣」だったかが、完全に「執筆パート」からの見方だったので慣れていた方も多かったのでは)、ちょっと面食らったという感じです。ただ、物語としてではなく執筆パートの部分を入れることで教養的なパートもありそこは良かったかなといったところです。
日本から見ると少し前の江戸時代のお話であり、特に漢字文化圏ではないアメリカ、フランスほか(要は、韓国、中国、台湾以外の3国)での視聴が主に想定されているのだろうと思いますが(「動物は傷つけていません」なども、日本「だけ」を想定する映画では流れないものも流れる)、そこでおやっと思う部分もあります。
ちょっとこのあたり気になるので以下述べておきます。
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(減点0.3/「執筆パート」において「漢字の部首」についての理解が(誰にとっても)難しい)
漢字は中国からもたらされたもので、今の「部首」の概念も江戸時代にはほぼほぼあり、書かれた時代には「康熙字典」という、今でいう漢和辞典にあたるものが広く流通していました(とはいえ、当時これを必要としていたのは一部の「特殊な」階級にとどまります)。
ここで映画の中で「「疲れる」の「疲」について「にんべんではなく「にすい」だ」というところがあります。確かに誤字として部首として「にんべん」を書けば、説明の仕方としては「にすいだ」という意味は「2人の間では」その説明のほうが明確でありそれで通ります。
ただ、「疲」の字の「部首」は当時も現在も「やまいだれ」であって「にすい」ではないので(調べた限り、にすい扱いされていたことは日本の歴史では存在しない模様)、この部分は何らかフォローがいるのではないかと思いました(特に一定の日本語学習者が想定できるこの映画では明確に説明不足で、日本語を解する日本人も混乱する説明だし、海外進出が明確に想定できるこの映画では、結局ここの説明不足が翻訳時に苦労する)。
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(減点なし/参考/日本語学習者から見た漢字学習と部首)
外国人取次を扱う行政書士の資格持ちとして、外国人関係は身近に取り扱うる事項ですので、この点触れておきます。
「アジア系言語」として中国語を選んでも日本語を選んでも、特に非漢字文化圏の学習者にとって最大の難関は「漢字」でしょう。「敬語表現」等も難解といえば難解ですが、日本語学習者(=日本人ではない、ということ)であることが明確な場面では、多少の誤りは修正できるし、日本人でさえ「敬語乱れ」が指摘される以上はここは余り問題視されません。
問題はやはり大量に登場する「部首」で、特に日本語学習者は「日常生活に多く登場する字」から学習するようになっています(小学校の漢字配当表と異なる部分が多い)。つまり、コンビニのアルバイト等を想定して「円」や「朝昼夜」「仕事」「労働」「夜勤」…といった字のほうが優先順位が高いわけです。つまり、初歩の段階から部首を想定した字が多く登場します(逆に、小学1~2年で学習する漢字は、部首を明確に持たない字のほうが多いです(一部除く))。
日本語学習の上位層にもなると、「部首」というのは、 radical、または root (基)という概念で習うところですが、紙媒体の漢和辞典が廃れて、インターネットや電子辞書、スマホ辞典が当たり前の今日では、「部首引き」が間違っていても「よくある間違い」に関しては誘導してひけるようになっているのが普通なので、必ずしも「正確な部首分類」ができるようになる必要はありません。このことはもちろん日本人でも同じです。ただ、そうであるからこそ、映画内の「にすいで書く」は海外展開時に混乱しそうだな…と思えました(誘導された先には「正しい分類」で掲載されるため。字幕上はどう説明されるのだろう?)。
※ ただ、この論点に気が付ける外国人も、全体で言えば、漢字文化圏でアドバンテージがある中国・台湾の方、次いで韓国朝鮮の方がほぼ全てだろうとは思えます。非漢字文化圏に属する方だと、部首学習は上位レベルの話なので、そもそも「何を言っているのかすらよくわからない」方も一定数出てくる部分。
(減点なし/参考/部首は常に一意に定まるか)
ここからは、日本人も巻き込むマニアックなお話になります。
特に初歩の学習の漢字では、部首が一意ではなく漢字辞典によってバラバラであるものがあります。その例として「売」(「売買」の「売る」の字)があります。
この字は漢字辞典では「ひとあし」(にんにょう)として載っている辞書が多いです。「兄」や「先」もこの部首に属します。
ところが、日本では有名な「漢字検定」というものがありますが、そこでは公式の見解に沿って答える必要があり(公式の漢和辞典が存在します)、そこには「さむらい」という部首で掲載されている字です(ほか、「声」や「壺」が同じ部首に属する)。つまり、この字の部首を回答せよと言われたら「漢字検定では」そのように回答しないと答えになりません。
ですが、漢検は国家資格でもなく英検などと同じ扱いの公的資格であり、その公的資格が示す一つの見解が「別に存在する」だけにすぎません。一方で漢検が身近に存在する以上は、部首学習・理解は日本人でさえ混乱する部分が多々あり(特に漢検が公的資格の扱いを受けることもあって、漢検の見解を国(文科省・文化庁)全体の見解と考える方が一定数いる)、漢検の合否を問題にするのでない限り、常識的に通じる部首で話せば(書けば)通じるのであり、このことが殊更問題になるケースはそれほど多くありません(こうしたちょっとした混乱が日本では見られるため、公立高校の入試問題、入社試験ほかでは部首名を回答させる問題は意図的に避けられることがあります)。
最高の、時代劇エンタメ
来年の大河も楽しみ
馬琴、北斎、南北の文学談義がいちばんのクライマックスでした。山東京伝の名前もどこかで出ましたよね…そわそわ。
磯村くんや黒木華さんの匙加減も絶妙で、北斎じゃないけどとても絵になるなぁと。寺島しのぶさんの悔しさの演技が、凡人としていちばん共感できて痛かった。
それに比べて、ファンタジーパートのペラペラ感がこりゃなんだ、と最初は思ってたのですが、途中で、そうかこれで正解なのかと気づきました。
勧善懲悪のご都合主義、美しすぎるヒーローたちと悪すぎるヴィランたち。これが虚で、さらには理想の世界なんですから。
馬琴先生が描こうとしたものですよね。
そもそも、南総里見八犬伝を最初に読んだ小学生の頃は夢中になってましたが、大人になって読み返すとまさにこの映画の虚パートと同じ手触り、そんなあほな、と笑ってしまってた自分。あんなに素敵に見えてた信乃がこんなうっすいヒーローだったか?と。笑
いかに自分が今平和な毎日を過ごし、逆に世の中をはすにみる物語に慣れ、ジョーカーかっけーと安易に思ってしまう生活をしてるのか、などと考えてしまいました。
だからこれで良いんですね!
ただ、もう一声はっちゃけて欲しかったです。予告の屋根上のバトルシーンに期待してただけに、もうちょっと丁寧な殺陣や、CG感のない八房、栗山千明さんの生首が見たかったなぁ…
思いっきりファンタジーに振ったほうが、現実パートとの対比が鮮やかになるかと。
板垣くんが夢のように美しかったのがまさにファンタジーでした。
読者へ届ける。
28年にわたり「八犬伝」の物語を書く作家・滝沢馬琴と、その家に遊びに来る葛飾北斎と息子の妻・お路の話。
滝沢が書く八犬伝に出てくるキャラ伏姫の死と引き替えに空高くから放たれた八つの石(水晶)、その放たれた石を持つ八犬士達と里見家の物語と作家・滝沢の日常を絡めながら見せる。
八犬伝の話から入る冒頭から急に雰囲気変わって滝沢と北斎のやり取りに変わる序盤、眠気のせいもあり、状況掴めず滝沢と北斎は八犬伝の中に出てくるキャラ?と思っていたら、八犬伝を書く作家と途中で気づき…。
ハ犬士達の一人一人違う能力を持ち戦うシーンはカッコよかったけれど、物語と現実を絡めながら引っ張って、ラスボス玉梓の怨霊ははあんなあっさり?って感じだった。
滝沢の目となり手となったお路へ対して何故そんな感じ?と、作品だけれど思ってしまった。過去作で里見八犬伝って作品があるのは何となく知ってたけど、こんな話だったんですね。
虚の虚と実の虚の融合
会ったことはないのに馬琴(役所広司)と北斎(内野聖陽)はこんな感じだったのだろうと思えた。かなり喧嘩をしたらしいが。北斎の馬琴評が面白い。「よくぞこんなかちんこちんの頭からこんな物語が書ける」と。隣人にはしたくない性格の馬琴の雰囲気も、家族もいい。馬琴の目となり自分が八犬伝を書くと言うお路(黒木華)は勿論、鶴屋南北(立川談春)や渡辺崋山(大貫勇輔)の言葉に考えさせられる。
原作の山田風太郎先生の『八犬伝』は『南総里見八犬伝』からするとかなり手を入れている。犬江親兵衛の馬、青海波を早々に登場させたり、子供の頃の信乃と大角が知り合いだったり。虚の世界を更に虚としている。映画ではそこにまたまた手を入れて『南総』にもなかった八犬士vs玉梓(栗山千明)を作り、伏姫(土屋太鳳)が最後の戦いの後三犬士を蘇らせる。
何でもやっていいとは思わないがここでの虚の八犬伝はまだ想像の段階だ。『南総』の玉梓は里見家に呪いをかけ斬られて以降未登場だし、七犬士の仇撃ちで盛り上がる前半に比べ治世や犬江親兵衛の少しやり過ぎな「仁」が目立つ後半は関東決戦になりながら華が弱い。山田先生も最後の辺りは八犬伝の進行を状況の説明にしている。映画という娯楽作品であればこのような展開もありと思う。
そして実の世界と言いながら、やはりそこは山田先生が書いた実際の人物達を動かした虚の世界だ。実もまた虚でできている。
ただ馬琴が信条とした虚の世界は正義だ。実の、現実の世界がそうでないから虚の世界に正義を求めた。そして多くの人を惹きつけた。やはり映画の八犬士が揃って敵に向かう姿にはワクワクする。ラストで馬琴は八犬士に迎えられる。崋山が言ったように正義を書き続けた馬琴が八犬士と共に実となった。そのように感じた。現実に疲れている分、正義に生きる彼らに憧れさせてもらおう。
南総里見八犬伝が出来るまでを物語を交えつつ絵描きたかったんだな
南総里見八犬伝は好きな物語。
遠い記憶でNHKの人形劇でやってたような…
後に、真田広之、薬師丸ひろ子で映画になったと思う。
滝沢馬琴と葛飾北斎、
お百も交えての掛け合いが重厚感もありおもしろかった。
色々と有名な名前が出てくるのも面白い。
それに比べて
失礼ではあるが八犬伝の方を演じる役者さん達が軽すぎる。これからを担う役者さん達を揃えたんだろうが。
それともわざとだよね、物語の主軸は八犬伝の方ではないと。
栗山千明はピッタリだなと思った。
ダークサイドミステリーって番組をやってたなぁ。夏木マリの後を継ぐわ。
あと今私のイチオシ、塩野瑛久が一条天皇とはガラリと変わった悪役で見られたのも良かった。
磯村勇斗はヤンキー役が似合うと思っていたけれど、ひ弱なこの役もイケる。
南総里見八犬伝をちゃんと見たかったなぁ
でもまあおもしろかったよ
待ってた八犬伝
ラストに『フランダースの犬』(笑)八『犬』伝だけに
役所広司に内野聖陽に寺島しのぶにアラン様(磯村勇人)
これだけのメンツ揃えて面白くなかったら最早犯罪(爆)
実と虚の世界が入れ替わり立ち替わり流れるんだけど2部構成にしてキチンと描いても良いんじゃないかな?って出来。
むしろ虚の世界の映像が虚である故ちょっとショボい感…
2部にするのが無理だからこの長さなんだろうけどだったらもう少し虚の世界をぶった斬っても良かったかも?
実の世界はほんと良く描かれていると思います。
談春との問答は頑固親父同士?なかなかの見どころ。
劇中ずーっと描かれる役所さんと内野さんの掛け合いの友情がとても素敵。
突っ込み過ぎず離れ過ぎずの良い距離感。
朴訥な小汚いおっさん演らせたら内野さんはピカイチだな(笑)
仁義霊地中心皇帝…?
スマホの予測変換にビックリ!
ジンギレイチチュウシンコウテイと打ったらこんなタイトルに。
正しくは、仁 義 礼 智 忠 信 孝 悌 のはず…
分かりやすいテーマを分かりやすく伝える。
そういう意味では完璧だと思います。
現実の世界では必ずしも正義が勝つわけではないし、どちらかと言うと、ズル賢い奴らの方が世の中を楽しんでいるように見える。
だからといって、安易に楽なほう(現実世界では、なぜか悪いことをする方が簡単)に流されず、自分を律する生き方を選び続ける。
報われるとか報われないという話ではなく、それが人生に意味(実)をもたらす。
もちろん、人により受け止め方も言語化の仕方も違うはずですが、少なくとも〝難解〟な映画ではありません。
鶴屋南北は、世の中の実相を斜めにみている。
そして、ありのままの姿を分かる人には分かるように、物語に化体させる。
滝沢馬琴は、世の中の理不尽さを物語の力でほんのいっときかもしれないけれど、忘れさせてくれる。
公儀(幕府)のもと、現代の基準からみればかなり制約が多いであろう中、許される範囲で表現の自由を最大限に発揮している江戸時代のクリエイターたち。
それだけでもとても凄いことだと思います。
新聞連載時から
予想外に面白かった
元々、期待は低かったのだけど南総里見八犬伝が好きだったので観に行った。結果的に滝沢馬琴物語を観た訳だけど、それは承知の上で観ると決めたので問題なし。
ゲームやラノベ、映画にTRPGと虚構に娯楽を見出している自身として、それに真摯に向き合う姿勢に思いの外共感を得てしまった感じ。
作品としては八犬伝パートはそこまで重要ではなかったとも思うが、虚構をテーマに据えているからこそ意味が出てきているというか…
ネタバレとしては、劇中劇にあたる(?)歌舞伎の中の「忠臣蔵と四谷怪談」が「八犬伝と滝沢馬琴」に対比するのかねぇ…などと細かい部分を比較してくと構成の拘りなんだろーなーとか徒然
豪華なキャスト
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