八犬伝のレビュー・感想・評価
全415件中、1~20件目を表示
虚構と実話パートのパワーバランスが悪すぎる
虚構パートとして『八犬伝』
実話パートして『滝沢馬琴の人生』
この虚構パートと実話パートを交互に行き来しながら、馬琴が人生をかけて虚構の話を書き続ける葛藤や信念を表してる構成は良い。
しかし、実話パートに役所広司と内野聖陽、磯村勇斗に寺島しのぶ、トドメに黒木華と演技派が固まりすぎてしまって、虚構パートとのパワーバランスが悪すぎる。おまけに虚構パートのVFXが弱すぎて…。
最近時代劇アクションを見る機会が多かったこともあって、こんなに退屈なアクションと興醒めするVFXに驚いてしまった。途中私は日曜朝の戦隊モノでも見ているんだろうか?という気持ちになってしまった。
八犬伝はあくまでもオマケ、こういうお話ですよーという紹介ぐらいの考えで見れば良いのかもしれないが、それにしては半分ぐらい時間を取られるからすごく中途半端。
滝沢馬琴と葛飾北斎のやりとりや、最後のお路とのやりとりなど、実話パートはそそられるシーンは多かっただけに勿体無い。
実話パートのみにしか評価をあげられない作品だった。
虚構が現実となった虚構
面白かったです。感動したというより、ロジカルな面白さというんでしょうか。素直な感想といえば単純に面白かったです。
現実を描くべきか空想を楽しむか。そんな派閥が小説なんかでもあったように記憶しているのですが、八犬伝といえば和製ファンタジーの大作、無論、非現実的な話で、劇中・葛飾北斎が仰るほどに、よくぞその頭で思いついた物だと言うほどのロマンあふれるストーリー。抜けば玉散る氷の刃、名刀・村雨に宝玉の戦士が集ってラスボス対決だなんて、持病の中二病がぶり返します。
この映画はその誕生秘話な訳ですが、その映像再現された劇中劇をかなり本気で作り込まれているのが素晴らしい。作者パートの現実と再現パートの虚構が、衣装やら立ち回りの違いで、ちゃんと区別がつきました。
劇中劇と言えば、あの怪談ミックス忠臣蔵の舞台裏での問答がキモだったんじゃないでしょうか。正直、この映画の本分をそこで理解したような気がします。八犬伝に比べて、忠臣蔵は現実のドラマ化な訳ですが、それもドラマのために手心を加えた虚構であるとも言える、などというロジカルな面白さに成る程と思った。
何が現実かと言えば、大事なのは悪態を付きながら稼ぎを要求しては炭を練り生活を支える作者・馬琴の妻、お百。生活を支える女房であるからこそ、これ以上無いほど現実に生きなければならない。非現実・虚構を追う夫に、息子の病気はお前のせいだと指を差す。なんか、身につまされる思いがします。その現実に生きる姿もまた、虚構との対比する重要なシーンだったのでしょうか。そして息子の嫁・お路さんもまた。
文字通り、絵空事のように宝玉の戦士が集いラスボスを倒して一件落着する虚構に比べ、苦しんで苦しみ抜いて藻掻くように夫の念願を果たそうとするお路さんの功績が素晴らしい。生活のために、子供の世話をして、竹林でタケノコを掘る、そんな日常の傍らで、字を書く暇も無く生きてきた彼女が漢字混じりの文章を口述筆記しようだなんて、私には自分から言い出すことも出来ない。この映画の話のフォーカスがそこに移るとは思ってもみなかった。でも、最後のテロップの通り、この奇跡は八犬伝を知る人にとって当然のエピソードだったのでしょうか。虚構とは違う、現実で何かを達成することの尊さを感じました。
このレビューのタイトルの「虚構が現実となった虚構」とは、ラストの八犬士に迎えられた作者・馬琴の昇天シーン。北斎に代わって訪れたお侍さんが仰られていた「虚構が現実となる」とはまさにこのことか。でも、このシーン、現実ではありえない虚構なんですよね。なんだか万華鏡のように虚構と現実がクルクルしてます。でも、ちょっとカーテンコールな感じもして良いエンディングだったと思います。カーテンコールのある映画が大好きです。
余談ですが「八犬伝」といえばやっぱり、薬師丸ひろ子さんの「里見八犬伝」ですよね。テーマソングを洋楽のロックを採用するとか、何て素晴らしいことか。あれは今でも聴けます。若き薬師丸さんの美しさ。そして、「里見版」の新兵衛訳、真田広之さんの若々しさ。真田さんと言えば、「里見版」侍に憧れる百姓から、「魔界転生」の若き忍者、「ラスト・サムライ」の侍頭等々、最新作は「将軍」様。ご立派になられたなぁって、ずいぶん余談がすぎました。失礼。やっぱり自分も虚構に生きてるなあ。さて、「里見版」も観てみよう。
優れた「虚」は「実」を孕む
物語世界と馬琴の実人生が交互に描かれる、というざっくりした情報を聞いて、2時間半で詰め込みすぎでは?と期待値が少し下がっていたのだが、意外と楽しく観ることができた。山田風太郎の原作が俄然読みたくなった。
キャスティングのよさが光る。メインキャストの役所広司と内野聖陽はいわずもがなの存在感と説得力。時々挟まれる強烈な寺島しのぶ。
八犬伝パートはダイジェスト的な進行だが、キャラ立ちした八犬士たちのおかげで置いてきぼりになったり白けたりせずついていけた。
犬坂毛野を演じた板垣李光人は、登場の仕方が大河ドラマ「どうする家康」井伊直政の時とそっくりだったのだが、犬坂毛野は女装で育てられた女と見紛う美貌という設定らしいので、大河の演出が八犬伝犬坂にそっくりと言うべきだろう。
栗山千明の玉梓。黒クリ様やっぱり最高。ラスボスにふさわしい妖しい圧に満ちていた。
製作委員会方式ではなく、木下グループによるほぼ単独出資であることも、雑念のないキャスティングに一役買ったのかもしれない。
若干芝居がかった虚のパートだが、実際曽利監督は、実のパートとの違いを出すためあえて外連味のあるオーバーアクト気味な演技を俳優に求めたそうだ。
文字起こしされる前の馬琴の脳内世界と思って観ていると、その演出が意外と馴染んだ(ふらっとやってきた北斎に口頭で聞かせる構想という体で始まるので、まさに粗筋)。馬琴の半生を描く物語の中で「つくりごと」として出てくるのだから、これでよいという気がした。むしろ、ひとりだけ現代劇に近いリアクションをしていた河合優実が浮いて見えた(ファンの人すみません私も河合優実は好きです)。
正直「南総里見八犬伝」のストーリーをかなり漠然としか知らなかった私にとって、映画の中で同作の設定とあらすじを見せてくれたことは、馬琴のクリエイティビティの凄さを知る助けになった。そこが分からないと、馬琴の伝記を正しく理解できないだろう。
善なる一族への呪いを解くため、運命の絆と使命を持つ者たちが一人また一人と出会い、敵地に乗り込んでラスボスを倒す。そのあかつきに、彼らに使命を与えた姫君が現れる。これもう、ジャンプ連載作品でしょ。
今時の漫画なら、連載期間が28年にも及べば雑誌への掲載間隔もまばらになり、未完状態で事実上放置されたり作者が色々と描けない状態になる作品もままあるところ、馬琴は76歳になり視力を失ってもお路の助けを得て完成にこぎつけたのだからすごい。
書けなくなるのが駄目なのではなく、それだけ創作意欲を保ち続けられるのは稀有なことなのだと思う。
芝居小屋での鶴屋南北との対峙は、物語の見どころのひとつだ。薄暗い奈落で、馬琴は南北と、創作についての刃を交えるようなやりとりをする。舞台上から暗がりに逆さに頭を覗かせ、天井近くのスペースに貼り付いたまま会話する立川談春の姿と語り口が、絶妙に不気味で可笑しく、インパクトがある。
「東海道四谷怪談」と「仮名手本忠臣蔵」は、いわばシェアード・ユニバース歌舞伎だ。四谷怪談の登場人物は、忠臣蔵の登場人物の娘だったり孫だったりする。映画に出てきた中村座における初演では、この2作品を物語の時系列順に2日かけて上演した。
(このくだりで、中村獅童や尾上右近による歌舞伎、日本最古の芝居小屋である金丸座の様子が見られるのもいい)
この舞台を見た馬琴は、お岩の不幸話が忠義を果たす仇討ち物の合間に挟み込まれている様について「辻褄が合わない」と言う。馬琴は、正しいものは本来報われるべきと考える。一方、南北は四谷怪談を「実」だと言う。正義が報われる話など非現実的だと。
南北の意見に反発する馬琴だが、彼の舞台に惹きつけられたことも事実で、その後この時の会話が頭から離れなくなる。
創作物をただ享受する側から見れば、正しいものが報われる話も、報われない現実を描く話も両方あっていいと思うが、個々の創作者にはそれぞれ違う信念がある。そして、この信念があればこそ馬琴は、28年に渡り物語を紡ぎ続け、完成させることができたのだろう。
正しいと思うものを命尽きるまで貫けば、それが「実」になると華山は言った。息子の死や失明を乗り越えて彼が完成させた物語は、現在に至るまで時代を超えて人々の心を動かし続けている。インスピレーションを受けた後続の作品も数知れない。
その普遍性もまた「実」と呼んでいいのではないだろうか。
虚と実、CGとリアルの相乗効果が言い知れぬ深みをもたらす
曽利監督といえば、これまでCGをいかにストーリーと馴染ませるかに腐心してきた人だ。そのアプローチの果てに、登場人物が所狭しと駆け巡る”絢爛豪華なフィクション”と”今まさに物語が湧きいづるリアル”という本作の二重構造にたどり着いたことは感慨深い。冒頭のかなり駆け足な”虚”のあらすじ描写に、”実”のパートがある種の理由づけを与える趣向も面白い。また、虚と実はまるで呼応する振り子のようだ。勇士たちが不思議な玉を探し求める旅と同じく、馬琴もまた一つの輝ける物語を磨き続け、それは彼一人の孤独な旅かと思いきや、そこにはやはり仲間がいる。北斎や南北といった天才らが刺激し合うのはもちろんだが、病弱な息子、夫を罵ってばかりいる妻、そして息子の嫁、その全てが馬琴を支える掛け替えのない宇宙なのだろう。いつも以上に役所広司の素晴らしさに舌を巻いた。彼の存在感こそが虚と実、双方に魂を吹き込んでいることは間違いない。
虚と実が渦巻く歴史に引き込まれる眩暈にも似た感覚
今から2500年以上前の中国の思想家・孔子を始祖とする儒教が日本に伝来したのは5世紀頃。時を経て江戸時代後期の19世紀前半、滝沢馬琴は儒教における「八種の徳」に基づく勧善懲悪を主題に「南総里見八犬伝」を28年がかりで書き上げた。それから約1世紀半後の1982年、山田風太郎は小説「八犬傳」を連載開始。「南総里見八犬伝」の物語を再構成した“虚の世界”と、馬琴の創作過程や友人の絵師・葛飾北斎との交流を描く“実の世界”を並走させる内容だった。これを原作とし、VFXの使い手として知られる曽利文彦監督が脚本も自ら手がけて実写化したのが2024年公開作「八犬伝」だ。
悪事がまかり通る現実の世界で正義など絵空事だと斜に構える北斎(内野聖陽)に対し、だからこそ虚構の世界で勧善懲悪を説くのだと主張する馬琴(役所広司)の対話は、興味深い創作論であると同時に、人はいかに生きるべきかという哲学的な問いかけにもなっている。さらには、実世界を生きる人々の想像力と思考から創作物や思想・宗教が生まれ、そうした虚の世界が後世の人々の精神に影響を及ぼし新たな現実を形作るという、虚と実が互いに影響し合いながら歴史が発展していく、そんな創作と現実が織りなす歴史の大渦に巻き込まれるような眩暈(めまい)にも似た感覚を、本作の両パートを行き来しながら味わった。
大長編の伝奇活劇である「南総里見八犬伝」のパートを、本編149分のさらに半分程度に押し込めたので、当然ながら筋を大幅に端折っており、アクション場面やVFXスペクタクルの質・量ともに物足りなく感じるのも正直なところ。もっとチャンバラを見たい、お金をかけたスペクタクルを見たいという向きには、1983年公開作「里見八犬伝」がおすすめだ。角川春樹事務所の最盛期に製作され、潤沢な資金を後ろ盾に深作欣二監督がやりたい放題の娯楽大作で、真田広之、千葉真一、志穂美悦子といったジャパンアクションクラブ(JAC)の看板俳優や目黒祐樹らが大暴れするし、薬師丸ひろ子には珍しく濃密なラブシーンもあるわ、お金をかけまくった闇の軍団の本拠地セットでは生き血の風呂で夏木マリがヌードになるわで、笑っちゃうほどの見所満載ぶり。ただし同作では物語の発端である里見家の城主と娘の伏姫、忠犬の八房、斬首された玉梓などのくだりが絵巻物と台詞で説明されるのみなので、その辺を丁寧に実写で描いた今作の「八犬伝」とうまい具合に補完し合っている。その意味でも、この機会に2作を見比べてみてはいかがだろうか。
描かれる"虚と実"が観客の想像力を刺激する
江戸時代の人気作家、滝沢(曲亭)馬琴が構想する8人の剣士の物語『八犬伝』を、友人の絵師、葛飾北斎に語り聞かせている。映画は『八犬伝』の物語世界から始まり、すぐにそれが虚構だと分からせた上で、一転、資料が山積みになった人気作家の仕事部屋へと場面は転換。以降は、馬琴のもとを予告なしで度々訪れる北斎が、物語に刺激されて挿絵を描いていくという現実パーツと、『八犬伝』の虚構パーツとのカットバックで映画は進んでいく。誰もが知っている実在のアーティストをモデルにしているので、観客の頭の中も別次元の"虚と実"が入り乱れて楽しいと言ったらない。
物語の世界は若干仰々しい演出になっているが、一方で、馬琴と北斎それぞれの"虚と実"に対する考え方の違いが浮き彫りになっていくプロセスが示唆に富み、興味をそそる。馬琴役の役所広司はいつも通り入魂を感じさせる熱演だが、馬琴とは対照的に奔放な自由人として画面に現れては消えていく北斎役の内野聖陽が、今回は役所のパワーを逆手にとって生き生きとしている。
人気小説の裏にドラマあり。作家が作品に込めた思いと、江戸の町民文化の心意気を感じさせる1作だ。
虚と実の世界、俳優が豪華【85点】
どっち付かず
八犬伝
ちきしょう…はどう言う意味だったのか?
曲亭馬琴が紡ぎ出す物語を聞かされて挿絵を書く葛飾北斎、その2人にジジイと悪態を突く馬琴の妻お百、生真面目に父の言う事を聞き従い続けた息子鎮五郎、息子の妻お路達のドラマを実とし、馬琴が語る八犬伝のシーンを虚として八犬伝の進行を語らせつつ、馬琴達の想いを見せる。
虚と実の捉え方、感じ方、思い方がそれぞれにあって、南北先生が現実の社会の見方だ…と思うが曲亭馬琴の正しいものが報われる在り方を説く意味も必要。本当に悪くズルいモノだけが勝利を得続けるとしたら、世界は修羅で溢れかえり、他人を出し抜こうとする者だけが残るはず。そんな世界には疲弊しか残らない。優しい事が報われる社会が良い。
ラストの出来の良い息子の妻お路を睨んで吐き捨てられた言葉がお百の馬琴への執着とお路への嫉妬、自身がお路の様に理解者になれなかった事への後悔を含めている寺島しのぶの名演に見入った。
戯作28年
滝沢馬琴は友人の葛飾北斎に、新作「八犬伝」の構想を語る。それぞれの珠に導かれた八人の剣士が、里見家の呪いと戦う壮大な物語だった。北斎は挿絵の下書きを描き、それにより馬琴は刺激を受け、人気作になっていく。馬琴の息子の病や自身の衰えを乗り越えて、物語完結の28年を描く。
八犬伝の虚の部分と、馬琴の実の部分が交錯する物語。以前「里見八犬伝」を鑑賞済みなので、実の部分に興味がありました。八犬伝を全く知らなくても、どちらの部分も楽しめると思います。創作に28年も費やされていたと知りませんでした。そして息子の死、自身の視力の低下、しかし嫁の協力の末に、完成された物語に感動できました。
短い棒にするには無理あり
人形劇「新八犬伝」を別にしたら、八犬伝の映像化最高傑作は常に、「まだ作られてない新作」という蜃気楼を追ってるようなものだな、と思います。
持って回った言い方になってしまいましたが、今作は、虚実どちらのパートもわるくはないけど、なんか色々勿体なくて、あらためて八犬伝映像化は難しいのだな、と思いました。
本当に八犬伝をガッツリ映像化するなら、何しろ原典が長ーーいので、連続ドラマシリーズのほうが向いてると、ずっと思っているのですが〜。
ゲーム・オブ・スローンズ並に時間と予算と手間暇かけたら、間違いなく世界に売り出せるコンテンツになるはずです。
巨匠萩尾望都先生が作劇術を語った言葉に、「長編は長い棒で、短編はその棒の切り口を見せるもの」というのがあるのですが、映画はなんだかんだ言って、棒よりも切り口を見せるものではないかと思うのです。いくら約めても、切り口がはっきりしないと「短い棒」になるだけではないかと。
今作は、切り口としたらもしかして、代筆者となったお路の視点から見た実の話が一番ドラマチックだったかもしれません。お路視点の話が観てみたいです。
付記
昭和のオタクが集まって人形劇や八犬伝の話題が出ると必ず、「新八犬伝のビデオ(録画)をちゃんと残さなかったNHKを、ワシは一生許さん」という話になります。5年に一度は必ず言ってる。これからも言い続けます。
馬琴と北斎のやり取りと里見八犬伝ができるまでのお話。映画の中に映画...
馬琴と北斎のやり取りと里見八犬伝ができるまでのお話。映画の中に映画(馬琴の頭の中の八犬伝)がある感じ。
里見八犬伝部分のCGがもう少し自然だとよかった。場面の繋がりもブツブツだった。八犬伝の登場人物の髪型がコスプレというか2次元舞台かというクオリティが気になった。
CGやビジュアルが少し残念だったが、江戸の平和な時代の馬琴と北斎(+馬琴の妻)のやり取りはすごく良かった。
全体的にストーリーはよくまとまっていたし、馬琴、北斎、里見八犬伝について知れたし、八犬伝の土屋太鳳が凄く良かったので見て損はなかった。
名優お二人もったいない
子供の頃本を読んでいたが、覚えていない。
終わり頃で犬🐶が出て来たような‥?
最初だったかな。
滝沢馬琴、葛飾北斎、渡辺崋山、
実際に親交があったからだろうか。
せっかくの名優お二人共演にしては、
二人の会話のやり取りが上手くない。
宗伯役に磯村勇斗さんを起用する必要があったのか⁉️
どこのやかましオバさんががなっているのかと?
寺島しのぶさんの喋り方も変。
28年もかかった作品だったのは超驚き‼️
魅力のない八犬士‼️
七変化みたいな水上恒司もいたけど。
戦って傷ついてから数珠にした八つの玉をぶつけるなら
最初から数珠玉をぶつけていれば良かったのに。
義母のお歯黒やら顔やら不気味〜。
どっちつかずの作品でした。
滝沢馬琴さんが視力を失いつつ息子嫁の助けで
完結に至ったという話。
信乃が足場にして蹴った時灯籠ぐらついていた。
えっ、そんな柔な?制作費倹約?
滝沢馬琴の「里見八犬伝」の映画化、ではなかった。
タイトルからいって、「里見八犬伝」の映画化かと思ってたら、
そうではなかった。「里見八犬伝」のストーリーを追うパートと、
それを創作する滝沢馬琴さんの姿を描く実話パートが交互に出てくる
という構成の作品。最初は、八犬伝のストーリーが実話パートへの
チェンジでぶつ切りにされるというのが気になって、
イライラしてたのですが、
そのうち気にならなくなりました。それは、実話に重きを置いた
作品だと気づいたからです。
そこからは、馬琴さんのセリフや北斎とのやりとりを楽しみながら
鑑賞しました。
しかし、ちょっと長いなあ。こういう構成だから
しょうがないんだろうけど。
八犬伝としてのストーリーを楽しみたいと思った人は
がっかりだったでしょうね。
実話パートのキャスティングはすごくいいのに、
八犬伝パートのキャスティングは、
まるで「戦隊モノ」。ちょっと残念ですね。
二兎を追うもの
どちらも薄々になってしまいましたね。里見八犬伝パートは薬師丸ひろ子バージョン見たほうがよっぽどいい。まあそこに勝とうとしてないとは思うけど、にしては馬琴パートもみるべきものがない。寺島しのぶ先生のみごとなコメディ演技は邪魔でしかないし、それを蛇蝎のごとく嫌う実の息子、もうちょっと根底に愛がある形で描けないものかね?そしてこの映画のハイライトクソ場面の鶴屋南北との口喧嘩?なのか?南北先生が一方的にまぁ口上をのべるのべる、これさ映画なんだよ、文字情報じゃなくうまい表現しなさいよ、ギリギリ考えたのが奈落から顔を出す鶴屋南北。これで面白いと、場面が締まるとでも思ったのかなー、あわれな人々だな。もうもにかく現代の日本映画はお金がもったいなすぎるから、新たに作らなくていいよ。
曲亭馬琴vs鶴屋南北
原作は山田風太郎の小説とのこと。長期にわたって里見八犬伝に取り組むうちに馬琴は目が見えなくなり、口述筆記で仕上げられたことは知っていたが、北斎との交友を含めて、馬琴が歩んだ人生と、どんな思いで馬琴が作品に向かっていたかが手に取るように描かれていて感動した。
八犬伝部分もよく分かるようにできていて面白かった。(今度、薬師丸ひろ子バージョンも観ようかなと思った。)
全415件中、1~20件目を表示













