八犬伝のレビュー・感想・評価
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虚構と実話パートのパワーバランスが悪すぎる
虚構パートとして『八犬伝』
実話パートして『滝沢馬琴の人生』
この虚構パートと実話パートを交互に行き来しながら、馬琴が人生をかけて虚構の話を書き続ける葛藤や信念を表してる構成は良い。
しかし、実話パートに役所広司と内野聖陽、磯村勇斗に寺島しのぶ、トドメに黒木華と演技派が固まりすぎてしまって、虚構パートとのパワーバランスが悪すぎる。おまけに虚構パートのVFXが弱すぎて…。
最近時代劇アクションを見る機会が多かったこともあって、こんなに退屈なアクションと興醒めするVFXに驚いてしまった。途中私は日曜朝の戦隊モノでも見ているんだろうか?という気持ちになってしまった。
八犬伝はあくまでもオマケ、こういうお話ですよーという紹介ぐらいの考えで見れば良いのかもしれないが、それにしては半分ぐらい時間を取られるからすごく中途半端。
滝沢馬琴と葛飾北斎のやりとりや、最後のお路とのやりとりなど、実話パートはそそられるシーンは多かっただけに勿体無い。
実話パートのみにしか評価をあげられない作品だった。
虚構が現実となった虚構
面白かったです。感動したというより、ロジカルな面白さというんでしょうか。素直な感想といえば単純に面白かったです。
現実を描くべきか空想を楽しむか。そんな派閥が小説なんかでもあったように記憶しているのですが、八犬伝といえば和製ファンタジーの大作、無論、非現実的な話で、劇中・葛飾北斎が仰るほどに、よくぞその頭で思いついた物だと言うほどのロマンあふれるストーリー。抜けば玉散る氷の刃、名刀・村雨に宝玉の戦士が集ってラスボス対決だなんて、持病の中二病がぶり返します。
この映画はその誕生秘話な訳ですが、その映像再現された劇中劇をかなり本気で作り込まれているのが素晴らしい。作者パートの現実と再現パートの虚構が、衣装やら立ち回りの違いで、ちゃんと区別がつきました。
劇中劇と言えば、あの怪談ミックス忠臣蔵の舞台裏での問答がキモだったんじゃないでしょうか。正直、この映画の本分をそこで理解したような気がします。八犬伝に比べて、忠臣蔵は現実のドラマ化な訳ですが、それもドラマのために手心を加えた虚構であるとも言える、などというロジカルな面白さに成る程と思った。
何が現実かと言えば、大事なのは悪態を付きながら稼ぎを要求しては炭を練り生活を支える作者・馬琴の妻、お百。生活を支える女房であるからこそ、これ以上無いほど現実に生きなければならない。非現実・虚構を追う夫に、息子の病気はお前のせいだと指を差す。なんか、身につまされる思いがします。その現実に生きる姿もまた、虚構との対比する重要なシーンだったのでしょうか。そして息子の嫁・お路さんもまた。
文字通り、絵空事のように宝玉の戦士が集いラスボスを倒して一件落着する虚構に比べ、苦しんで苦しみ抜いて藻掻くように夫の念願を果たそうとするお路さんの功績が素晴らしい。生活のために、子供の世話をして、竹林でタケノコを掘る、そんな日常の傍らで、字を書く暇も無く生きてきた彼女が漢字混じりの文章を口述筆記しようだなんて、私には自分から言い出すことも出来ない。この映画の話のフォーカスがそこに移るとは思ってもみなかった。でも、最後のテロップの通り、この奇跡は八犬伝を知る人にとって当然のエピソードだったのでしょうか。虚構とは違う、現実で何かを達成することの尊さを感じました。
このレビューのタイトルの「虚構が現実となった虚構」とは、ラストの八犬士に迎えられた作者・馬琴の昇天シーン。北斎に代わって訪れたお侍さんが仰られていた「虚構が現実となる」とはまさにこのことか。でも、このシーン、現実ではありえない虚構なんですよね。なんだか万華鏡のように虚構と現実がクルクルしてます。でも、ちょっとカーテンコールな感じもして良いエンディングだったと思います。カーテンコールのある映画が大好きです。
余談ですが「八犬伝」といえばやっぱり、薬師丸ひろ子さんの「里見八犬伝」ですよね。テーマソングを洋楽のロックを採用するとか、何て素晴らしいことか。あれは今でも聴けます。若き薬師丸さんの美しさ。そして、「里見版」の新兵衛訳、真田広之さんの若々しさ。真田さんと言えば、「里見版」侍に憧れる百姓から、「魔界転生」の若き忍者、「ラスト・サムライ」の侍頭等々、最新作は「将軍」様。ご立派になられたなぁって、ずいぶん余談がすぎました。失礼。やっぱり自分も虚構に生きてるなあ。さて、「里見版」も観てみよう。
優れた「虚」は「実」を孕む
物語世界と馬琴の実人生が交互に描かれる、というざっくりした情報を聞いて、2時間半で詰め込みすぎでは?と期待値が少し下がっていたのだが、意外と楽しく観ることができた。山田風太郎の原作が俄然読みたくなった。
キャスティングのよさが光る。メインキャストの役所広司と内野聖陽はいわずもがなの存在感と説得力。時々挟まれる強烈な寺島しのぶ。
八犬伝パートはダイジェスト的な進行だが、キャラ立ちした八犬士たちのおかげで置いてきぼりになったり白けたりせずついていけた。
犬坂毛野を演じた板垣李光人は、登場の仕方が大河ドラマ「どうする家康」井伊直政の時とそっくりだったのだが、犬坂毛野は女装で育てられた女と見紛う美貌という設定らしいので、大河の演出が八犬伝犬坂にそっくりと言うべきだろう。
栗山千明の玉梓。黒クリ様やっぱり最高。ラスボスにふさわしい妖しい圧に満ちていた。
製作委員会方式ではなく、木下グループによるほぼ単独出資であることも、雑念のないキャスティングに一役買ったのかもしれない。
若干芝居がかった虚のパートだが、実際曽利監督は、実のパートとの違いを出すためあえて外連味のあるオーバーアクト気味な演技を俳優に求めたそうだ。
文字起こしされる前の馬琴の脳内世界と思って観ていると、その演出が意外と馴染んだ(ふらっとやってきた北斎に口頭で聞かせる構想という体で始まるので、まさに粗筋)。馬琴の半生を描く物語の中で「つくりごと」として出てくるのだから、これでよいという気がした。むしろ、ひとりだけ現代劇に近いリアクションをしていた河合優実が浮いて見えた(ファンの人すみません私も河合優実は好きです)。
正直「南総里見八犬伝」のストーリーをかなり漠然としか知らなかった私にとって、映画の中で同作の設定とあらすじを見せてくれたことは、馬琴のクリエイティビティの凄さを知る助けになった。そこが分からないと、馬琴の伝記を正しく理解できないだろう。
善なる一族への呪いを解くため、運命の絆と使命を持つ者たちが一人また一人と出会い、敵地に乗り込んでラスボスを倒す。そのあかつきに、彼らに使命を与えた姫君が現れる。これもう、ジャンプ連載作品でしょ。
今時の漫画なら、連載期間が28年にも及べば雑誌への掲載間隔もまばらになり、未完状態で事実上放置されたり作者が色々と描けない状態になる作品もままあるところ、馬琴は76歳になり視力を失ってもお路の助けを得て完成にこぎつけたのだからすごい。
書けなくなるのが駄目なのではなく、それだけ創作意欲を保ち続けられるのは稀有なことなのだと思う。
芝居小屋での鶴屋南北との対峙は、物語の見どころのひとつだ。薄暗い奈落で、馬琴は南北と、創作についての刃を交えるようなやりとりをする。舞台上から暗がりに逆さに頭を覗かせ、天井近くのスペースに貼り付いたまま会話する立川談春の姿と語り口が、絶妙に不気味で可笑しく、インパクトがある。
「東海道四谷怪談」と「仮名手本忠臣蔵」は、いわばシェアード・ユニバース歌舞伎だ。四谷怪談の登場人物は、忠臣蔵の登場人物の娘だったり孫だったりする。映画に出てきた中村座における初演では、この2作品を物語の時系列順に2日かけて上演した。
(このくだりで、中村獅童や尾上右近による歌舞伎、日本最古の芝居小屋である金丸座の様子が見られるのもいい)
この舞台を見た馬琴は、お岩の不幸話が忠義を果たす仇討ち物の合間に挟み込まれている様について「辻褄が合わない」と言う。馬琴は、正しいものは本来報われるべきと考える。一方、南北は四谷怪談を「実」だと言う。正義が報われる話など非現実的だと。
南北の意見に反発する馬琴だが、彼の舞台に惹きつけられたことも事実で、その後この時の会話が頭から離れなくなる。
創作物をただ享受する側から見れば、正しいものが報われる話も、報われない現実を描く話も両方あっていいと思うが、個々の創作者にはそれぞれ違う信念がある。そして、この信念があればこそ馬琴は、28年に渡り物語を紡ぎ続け、完成させることができたのだろう。
正しいと思うものを命尽きるまで貫けば、それが「実」になると華山は言った。息子の死や失明を乗り越えて彼が完成させた物語は、現在に至るまで時代を超えて人々の心を動かし続けている。インスピレーションを受けた後続の作品も数知れない。
その普遍性もまた「実」と呼んでいいのではないだろうか。
虚と実、CGとリアルの相乗効果が言い知れぬ深みをもたらす
曽利監督といえば、これまでCGをいかにストーリーと馴染ませるかに腐心してきた人だ。そのアプローチの果てに、登場人物が所狭しと駆け巡る”絢爛豪華なフィクション”と”今まさに物語が湧きいづるリアル”という本作の二重構造にたどり着いたことは感慨深い。冒頭のかなり駆け足な”虚”のあらすじ描写に、”実”のパートがある種の理由づけを与える趣向も面白い。また、虚と実はまるで呼応する振り子のようだ。勇士たちが不思議な玉を探し求める旅と同じく、馬琴もまた一つの輝ける物語を磨き続け、それは彼一人の孤独な旅かと思いきや、そこにはやはり仲間がいる。北斎や南北といった天才らが刺激し合うのはもちろんだが、病弱な息子、夫を罵ってばかりいる妻、そして息子の嫁、その全てが馬琴を支える掛け替えのない宇宙なのだろう。いつも以上に役所広司の素晴らしさに舌を巻いた。彼の存在感こそが虚と実、双方に魂を吹き込んでいることは間違いない。
虚と実が渦巻く歴史に引き込まれる眩暈にも似た感覚
今から2500年以上前の中国の思想家・孔子を始祖とする儒教が日本に伝来したのは5世紀頃。時を経て江戸時代後期の19世紀前半、滝沢馬琴は儒教における「八種の徳」に基づく勧善懲悪を主題に「南総里見八犬伝」を28年がかりで書き上げた。それから約1世紀半後の1982年、山田風太郎は小説「八犬傳」を連載開始。「南総里見八犬伝」の物語を再構成した“虚の世界”と、馬琴の創作過程や友人の絵師・葛飾北斎との交流を描く“実の世界”を並走させる内容だった。これを原作とし、VFXの使い手として知られる曽利文彦監督が脚本も自ら手がけて実写化したのが2024年公開作「八犬伝」だ。
悪事がまかり通る現実の世界で正義など絵空事だと斜に構える北斎(内野聖陽)に対し、だからこそ虚構の世界で勧善懲悪を説くのだと主張する馬琴(役所広司)の対話は、興味深い創作論であると同時に、人はいかに生きるべきかという哲学的な問いかけにもなっている。さらには、実世界を生きる人々の想像力と思考から創作物や思想・宗教が生まれ、そうした虚の世界が後世の人々の精神に影響を及ぼし新たな現実を形作るという、虚と実が互いに影響し合いながら歴史が発展していく、そんな創作と現実が織りなす歴史の大渦に巻き込まれるような眩暈(めまい)にも似た感覚を、本作の両パートを行き来しながら味わった。
大長編の伝奇活劇である「南総里見八犬伝」のパートを、本編149分のさらに半分程度に押し込めたので、当然ながら筋を大幅に端折っており、アクション場面やVFXスペクタクルの質・量ともに物足りなく感じるのも正直なところ。もっとチャンバラを見たい、お金をかけたスペクタクルを見たいという向きには、1983年公開作「里見八犬伝」がおすすめだ。角川春樹事務所の最盛期に製作され、潤沢な資金を後ろ盾に深作欣二監督がやりたい放題の娯楽大作で、真田広之、千葉真一、志穂美悦子といったジャパンアクションクラブ(JAC)の看板俳優や目黒祐樹らが大暴れするし、薬師丸ひろ子には珍しく濃密なラブシーンもあるわ、お金をかけまくった闇の軍団の本拠地セットでは生き血の風呂で夏木マリがヌードになるわで、笑っちゃうほどの見所満載ぶり。ただし同作では物語の発端である里見家の城主と娘の伏姫、忠犬の八房、斬首された玉梓などのくだりが絵巻物と台詞で説明されるのみなので、その辺を丁寧に実写で描いた今作の「八犬伝」とうまい具合に補完し合っている。その意味でも、この機会に2作を見比べてみてはいかがだろうか。
描かれる"虚と実"が観客の想像力を刺激する
江戸時代の人気作家、滝沢(曲亭)馬琴が構想する8人の剣士の物語『八犬伝』を、友人の絵師、葛飾北斎に語り聞かせている。映画は『八犬伝』の物語世界から始まり、すぐにそれが虚構だと分からせた上で、一転、資料が山積みになった人気作家の仕事部屋へと場面は転換。以降は、馬琴のもとを予告なしで度々訪れる北斎が、物語に刺激されて挿絵を描いていくという現実パーツと、『八犬伝』の虚構パーツとのカットバックで映画は進んでいく。誰もが知っている実在のアーティストをモデルにしているので、観客の頭の中も別次元の"虚と実"が入り乱れて楽しいと言ったらない。
物語の世界は若干仰々しい演出になっているが、一方で、馬琴と北斎それぞれの"虚と実"に対する考え方の違いが浮き彫りになっていくプロセスが示唆に富み、興味をそそる。馬琴役の役所広司はいつも通り入魂を感じさせる熱演だが、馬琴とは対照的に奔放な自由人として画面に現れては消えていく北斎役の内野聖陽が、今回は役所のパワーを逆手にとって生き生きとしている。
人気小説の裏にドラマあり。作家が作品に込めた思いと、江戸の町民文化の心意気を感じさせる1作だ。
仁義礼智忠信孝悌♥️
『仁義礼智忠信孝悌』だけにして、カット長めの殺陣を中心に、階段落ちの様な仕掛けが欲しかった。
旧国営放送の大きな河ドラマの顔色見て、日本の浮世絵に忖度するのは、ちょっと欲張りで中途半端だね。
フナムシやタマズサはもっと怖く、醜くしてもらいたかった。
昔の旧国営放送の連続ドラマのタマズサは、トラウマになるほど怖かったですからね。
これでは、時代劇じゃなくて、やはり、浪花節なんだよね。ものすごく残念な作品。
「大菩薩峠」「真景累ヶ淵」と挑戦したが、『南総里見八犬伝』を含めて、完読には至っていない。
「大菩薩峠」は全巻持っていたが断捨離した。
「真景カサネガフチ」は落語で全巻聞く。でもね❤
ルネサンスに於けるマニエリズなんだよね。芸術だとは思うけどね。
「じんぎれいち、ちゅうしんこーてい」
坂本九さん「だったかなぁ」の歌を思い出す。
虚と実を上手く交錯させて描いた作品
映画館で鑑賞したかったが、忙しくて時間が取れずPrime Videoで鑑賞。
「八犬伝」は知っていて内容も気になっていたのだが、里見家の呪いを解くため運命に引き寄せられた8人の剣士たちの戦いを描いた虚構パートと、「八犬伝」の作者である滝沢馬琴と挿絵をお願いされた葛飾北斎がやりとりしながら、「八犬伝」の完成に向かう実話のパートを上手く交錯させて描いた作品。
虚構パートである、「八犬士」が呪い立ち向かうシーンをダイナミックに描いている反面、実話のパートでは作者の滝沢馬琴が葛飾北斎に読み聞かせ、物語を完成に導く執念を描くなど、虚と実を上手く構成した今迄にない構成で面白かった。
ただ贅沢を言うならば、八犬士が活躍する虚構のパートだけを見たかったという思いもあるけど、作者である滝沢馬琴が28年の歳月をかけて「八犬伝」を完成させた執念を、家族背景や友人である葛飾北斎とのやりとりを通して見せたかったのかなとも思ってしまった。
見応えある作品で、自分としては充分に楽しむことができた作品でした。
CGなどや撮影技術の映像のカタログのような映画
監督の曽利文彦は、映像センスのある映画のツボを知っている優れた職人監督だと思う。
「ピンポン」は傑作だし、「あしたのジョー」もよく出来ていた。
今回の映画も、とてもツボを心得ている画作りで楽しい。
ただ、話がうまく転がらない。面白くない。
滝沢馬琴と北斎の交流を縦軸に、創作している「八犬伝」の映像がところどころに挿入される。
その八犬伝のCGがらみの映像が素晴らしい。だけど、話は表面的、平面的。八犬伝をよく知っていないと楽しめないかも。私は、昔のNHKの人形劇を見ていたので何となくわかったけど。ただ挿絵のように映像としては凄かったけど、感動や感情移入はしない。
本筋の馬琴と北斎の方をもっと緻密に話を作ったなら、それなりの感動はあったと思う。ただ、こちらもダイジェスト版的な作り。
役所広司や内野聖陽、寺島しのぶ、黒木華の名演が勿体無い。渡辺崋山役の大貫勇輔という役者の佇まいが良かった。この役者誰?と思い後で調べるほど。
唯一面白いシーンは、鶴屋南北と馬琴が戯作と「虚構の世界」と「実の世界」との解釈論をするところが面白い。鶴屋南北を立川談春が演じている。これが上手いし、このシーンの演出は見事だったと思う。
こんな感じで話が進むなら、傑作になり得たと思う。
でも結局、CGなどや撮影技術の映像のカタログのような映画になってしまった。
虚の「八犬伝」パートだけでも観たい
まぁ映画にするとこうなるよなぁ
なんとなく真田広之と薬師丸ひろ子の里見八犬伝のリメイクみたいに思ってみる人が多いのではと思うけど、この映画の主役は実は作者である曲亭馬琴。八犬士の活躍が見たい人にとっては実の世界のパートは退屈に思えるかもしれない。しかしこの映画でのハイライトは実の世界での奈落の鶴屋南北との対決のシーンなのですよ(すごい地味ですけどね)。大好きな忠臣蔵をコケにされて激昂する馬琴に対して、四谷怪談こそが実で忠臣蔵こそ虚の世界だとうそぶく南北がまるでメフィストフェレスのごとくで実にかっこいい。山田風太郎の原作の中でも大好きなシーンなのだけど、映画の中ではいまいちピンとこない感じで終わってしまって、ちょっと残念でした。
談春さん良かったですけどもっと妖怪じみた感じでも良かったかなと思いました。
原作は上下2巻にわたる長編なので、虚の世界と実の世界を行ったり来たりするなかで、うまくいかない実の世界の皮肉なおかしみみたいなのは、映画の中で表現し尽くすのは難しいのかなぁと感じました。
思いきって虚のパートは絵本風のアニメにして、実の世界をメインに描けばよりテーマがはっきりしたのではと感じました。
馬琴がただの頑固爺いになってしまった
八犬伝の物語パートと、馬琴と嫁の口述筆記の最終パートがあれば、それで充分に感激出来た感じでした。
◉掌中の珠
若者たちがエイヤっと掌を開いて珠を見せ合うシーンは、物語が昇華していく昂りを思い出させてくれた。やはり子供時代に出会った優れた物語から、身体に染み込んだRPGの遺伝子は強い。あの掌を開く一瞬の超ワクワク。
しかし馬琴が何故か、自己肯定感が低そうな只の老人。空想に身を委ねてしまえる戯作者になど全く見えなかった。役所広司さんがいつも感じさせてくれる、抱えた荷物の重さとか、それを表に見せない優しさとかが、この映画ではなかったように思えました。
◉空中の文字
空中に文字を書いた馬琴の指と、必死に見つめる嫁の瞳が綺麗でした。怒って立ち去ろうとする馬琴と、縋って教えを乞う路の姿が切なくて、私も身を捩ることになる。決して決して、黒木さんファンだからではなくて。物語に取り憑かれたように、それまで読み書き出来なかった女子が物語を綴っていく。月並みな感激ながら、これこそファンタジー。
しかし、馬琴の指の形がもの凄く綺麗でした。
ちょっと残念、
「実」パートと「虚」パートの出来映えに大きな落差がある。
「八犬伝」が観たかったのに馬琴の映画だった
「八犬伝」が観たかったのに馬琴の映画だった。それに尽きる。
馬琴が「忠臣蔵四谷怪談」を観劇して史実の美談にフィクションを混ぜた構成に憤慨するシーンがある。
真実を正しく描くことか、虚実をエンタメとして描くのか、そういった入れ子構造を二重写しに描きたかったのかな?と憶測。
八犬伝パートが盛り上がって、いいところで馬琴パートにスイッチしてしまうので毎回興醒め。
八犬士が揃ってからの大立ち回りも雑で萎えたが。
ラスボスもCGショボかったwww ロードオブザリング1作目の時代くらいのCG感覚。逆に懐かしかったかもw ラスボスの倒し方も雑。
馬琴の家族の描き方がひどすぎる。寺島さんのヒスババアっぷりはあれでよく本人が演じてくれたな。
テンポは悪くないのですが演出の拙さに失笑。
ポン・デ・リング
役所広司さんと内野聖陽さんの競演、横綱と次期横綱の大勝負みたいで面白かった
蔦屋重三郎の生涯を描くNHK大河ドラマ「べらぼう」がはじまって、北斎に歌麿、浮世絵や読本に注目が集まるのが今年2025年だと思いますが、2024年に公開された話題作で、『南総里見八犬伝』を執筆中の滝沢馬琴を役所広司さん、八犬伝の挿絵を頼まれて、馬琴の家に通う葛飾北斎に内野聖陽さん。映画の半分が馬琴の書斎で北斎と馬琴が語り合うシーンで、役所さんと内野さんの長台詞のお芝居が続く感じで、お二人とも入魂の演技で、お芝居というより、ほんとうに馬琴と北斎にしか見えません。
馬琴の描く空想の世界の最大の理解者で、馬琴の脳の中にしか存在しない、見えない世界を可視化する天才北斎のやりとりを聞いていると、事実上の2人芝居なのに、ワクワクが止まらなくなります。馬琴が『南総里見八犬伝』を書き進めていくたびに、劇中で『南総里見八犬伝』の物語が別立てで進行していくので、八犬伝のストーリーも楽しめて、一度に二度おいしいお話でした。
ただ予算が足りなかったのか、南総里見八犬伝のストーリーはもっとSFXを駆使して、派手に大胆に作れるような気もしました。1本の映画で2つの話を同時進行ですすめているスタイルなので、南総里見八犬伝のストーリーはだいぶ端折られており、八犬伝のファンの人から「八犬伝はこんなもんじゃない。もっと!もっと!話が複雑で、面白いんだよ!」と熱弁されてしましました。なので、南総里見八犬伝は、この『八犬伝』続編として、改めて八犬伝を作ってもよかったんじゃないかなと思いました。
八犬伝の剣士を演じた役者さんとしては、渡邊圭祐さん(犬塚志乃)、板垣李光人さん(犬坂毛野)が光ってました。南総里見八犬伝を映画やドラマにするとき、八犬伝の八人の剣士は、その時代時代の若手スターを抜擢するんだと思いますが、令和の時代に選ばれし「8人」の剣士が暴れる姿を見てみたいです。この作品の劇中のストーリーだけだと、エキストラに毛が生えたくらいの活躍しかできなかったのは、もったいなかったかなと思いました。
題材の難しさに勝てなかったか
八犬伝のファンタジーパートと、作者の馬琴の現実パートが交互に展開する時代物。
映像美が良い作品で、ファンタジーパートでは、スケールの大きな背景CGも違和感がなく、ホラーやファンタジー表現にも拘りが感じられるのが良い所。現実パートの小物や家具、建物なんかもリアリティがあり、炭団を丸めるシーンは生活感があって良い。
展開の面白味としては、ファンタジーパートのアクション、大冒険が一翼で、現実パートで江戸後期の歴史上の著名人が次々に登場する歴史ファンウケ要素がもう一方を担っているか。
問題は、馬琴の「南総里見八犬伝」が陳腐化してしまっているところで、原作の意訳本を読んでもらえれば分かると思うが、現代人には昔ばなしの童話のように感じられてしまうのである。
その辺を映画としてどうクリアするのかな、という工夫が見たかったのだが、想像の域を出なかったのでこの点数とした。現実パートを交えることで鑑賞に堪えるものの、やはりイタさはごまかしきれなかった。
現実パートも不幸フラグが立ちまくりで、盛り下がっていく一方。見ているのが辛く、早く終わらないかな、、、と思ってしまった。
一応、目の見えなくなった馬琴を支えた義理の娘とのやり取りがハイライトなのだが、予告を見ただけで予想できていたので、想像を超える展開が何もなかったのが悲しい。壮絶な苦労があったんだろうけど、映画を締めくくるエピソードとしてはちょい弱めなんだよなあ。
ということで、難しい題材に挑戦して、なんとか凡作に踏みとどまった印象でした。
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