八犬伝のレビュー・感想・評価
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虚構が現実となった虚構
面白かったです。感動したというより、ロジカルな面白さというんでしょうか。素直な感想といえば単純に面白かったです。
現実を描くべきか空想を楽しむか。そんな派閥が小説なんかでもあったように記憶しているのですが、八犬伝といえば和製ファンタジーの大作、無論、非現実的な話で、劇中・葛飾北斎が仰るほどに、よくぞその頭で思いついた物だと言うほどのロマンあふれるストーリー。抜けば玉散る氷の刃、名刀・村雨に宝玉の戦士が集ってラスボス対決だなんて、持病の中二病がぶり返します。
この映画はその誕生秘話な訳ですが、その映像再現された劇中劇をかなり本気で作り込まれているのが素晴らしい。作者パートの現実と再現パートの虚構が、衣装やら立ち回りの違いで、ちゃんと区別がつきました。
劇中劇と言えば、あの怪談ミックス忠臣蔵の舞台裏での問答がキモだったんじゃないでしょうか。正直、この映画の本分をそこで理解したような気がします。八犬伝に比べて、忠臣蔵は現実のドラマ化な訳ですが、それもドラマのために手心を加えた虚構であるとも言える、などというロジカルな面白さに成る程と思った。
何が現実かと言えば、大事なのは悪態を付きながら稼ぎを要求しては炭を練り生活を支える作者・馬琴の妻、お百。生活を支える女房であるからこそ、これ以上無いほど現実に生きなければならない。非現実・虚構を追う夫に、息子の病気はお前のせいだと指を差す。なんか、身につまされる思いがします。その現実に生きる姿もまた、虚構との対比する重要なシーンだったのでしょうか。そして息子の嫁・お路さんもまた。
文字通り、絵空事のように宝玉の戦士が集いラスボスを倒して一件落着する虚構に比べ、苦しんで苦しみ抜いて藻掻くように夫の念願を果たそうとするお路さんの功績が素晴らしい。生活のために、子供の世話をして、竹林でタケノコを掘る、そんな日常の傍らで、字を書く暇も無く生きてきた彼女が漢字混じりの文章を口述筆記しようだなんて、私には自分から言い出すことも出来ない。この映画の話のフォーカスがそこに移るとは思ってもみなかった。でも、最後のテロップの通り、この奇跡は八犬伝を知る人にとって当然のエピソードだったのでしょうか。虚構とは違う、現実で何かを達成することの尊さを感じました。
このレビューのタイトルの「虚構が現実となった虚構」とは、ラストの八犬士に迎えられた作者・馬琴の昇天シーン。北斎に代わって訪れたお侍さんが仰られていた「虚構が現実となる」とはまさにこのことか。でも、このシーン、現実ではありえない虚構なんですよね。なんだか万華鏡のように虚構と現実がクルクルしてます。でも、ちょっとカーテンコールな感じもして良いエンディングだったと思います。カーテンコールのある映画が大好きです。
余談ですが「八犬伝」といえばやっぱり、薬師丸ひろ子さんの「里見八犬伝」ですよね。テーマソングを洋楽のロックを採用するとか、何て素晴らしいことか。あれは今でも聴けます。若き薬師丸さんの美しさ。そして、「里見版」の新兵衛訳、真田広之さんの若々しさ。真田さんと言えば、「里見版」侍に憧れる百姓から、「魔界転生」の若き忍者、「ラスト・サムライ」の侍頭等々、最新作は「将軍」様。ご立派になられたなぁって、ずいぶん余談がすぎました。失礼。やっぱり自分も虚構に生きてるなあ。さて、「里見版」も観てみよう。
優れた「虚」は「実」を孕む
物語世界と馬琴の実人生が交互に描かれる、というざっくりした情報を聞いて、2時間半で詰め込みすぎでは?と期待値が少し下がっていたのだが、意外と楽しく観ることができた。山田風太郎の原作が俄然読みたくなった。
キャスティングのよさが光る。メインキャストの役所広司と内野聖陽はいわずもがなの存在感と説得力。時々挟まれる強烈な寺島しのぶ。
八犬伝パートはダイジェスト的な進行だが、キャラ立ちした八犬士たちのおかげで置いてきぼりになったり白けたりせずついていけた。
犬坂毛野を演じた板垣李光人は、登場の仕方が大河ドラマ「どうする家康」井伊直政の時とそっくりだったのだが、犬坂毛野は女装で育てられた女と見紛う美貌という設定らしいので、大河の演出が八犬伝犬坂にそっくりと言うべきだろう。
栗山千明の玉梓。黒クリ様やっぱり最高。ラスボスにふさわしい妖しい圧に満ちていた。
製作委員会方式ではなく、木下グループによるほぼ単独出資であることも、雑念のないキャスティングに一役買ったのかもしれない。
若干芝居がかった虚のパートだが、実際曽利監督は、実のパートとの違いを出すためあえて外連味のあるオーバーアクト気味な演技を俳優に求めたそうだ。
文字起こしされる前の馬琴の脳内世界と思って観ていると、その演出が意外と馴染んだ(ふらっとやってきた北斎に口頭で聞かせる構想という体で始まるので、まさに粗筋)。馬琴の半生を描く物語の中で「つくりごと」として出てくるのだから、これでよいという気がした。むしろ、ひとりだけ現代劇に近いリアクションをしていた河合優実が浮いて見えた(ファンの人すみません私も河合優実は好きです)。
正直「南総里見八犬伝」のストーリーをかなり漠然としか知らなかった私にとって、映画の中で同作の設定とあらすじを見せてくれたことは、馬琴のクリエイティビティの凄さを知る助けになった。そこが分からないと、馬琴の伝記を正しく理解できないだろう。
善なる一族への呪いを解くため、運命の絆と使命を持つ者たちが一人また一人と出会い、敵地に乗り込んでラスボスを倒す。そのあかつきに、彼らに使命を与えた姫君が現れる。これもう、ジャンプ連載作品でしょ。
今時の漫画なら、連載期間が28年にも及べば雑誌への掲載間隔もまばらになり、未完状態で事実上放置されたり作者が色々と描けない状態になる作品もままあるところ、馬琴は76歳になり視力を失ってもお路の助けを得て完成にこぎつけたのだからすごい。
書けなくなるのが駄目なのではなく、それだけ創作意欲を保ち続けられるのは稀有なことなのだと思う。
芝居小屋での鶴屋南北との対峙は、物語の見どころのひとつだ。薄暗い奈落で、馬琴は南北と、創作についての刃を交えるようなやりとりをする。舞台上から暗がりに逆さに頭を覗かせ、天井近くのスペースに貼り付いたまま会話する立川談春の姿と語り口が、絶妙に不気味で可笑しく、インパクトがある。
「東海道四谷怪談」と「仮名手本忠臣蔵」は、いわばシェアード・ユニバース歌舞伎だ。四谷怪談の登場人物は、忠臣蔵の登場人物の娘だったり孫だったりする。映画に出てきた中村座における初演では、この2作品を物語の時系列順に2日かけて上演した。
(このくだりで、中村獅童や尾上右近による歌舞伎、日本最古の芝居小屋である金丸座の様子が見られるのもいい)
この舞台を見た馬琴は、お岩の不幸話が忠義を果たす仇討ち物の合間に挟み込まれている様について「辻褄が合わない」と言う。馬琴は、正しいものは本来報われるべきと考える。一方、南北は四谷怪談を「実」だと言う。正義が報われる話など非現実的だと。
南北の意見に反発する馬琴だが、彼の舞台に惹きつけられたことも事実で、その後この時の会話が頭から離れなくなる。
創作物をただ享受する側から見れば、正しいものが報われる話も、報われない現実を描く話も両方あっていいと思うが、個々の創作者にはそれぞれ違う信念がある。そして、この信念があればこそ馬琴は、28年に渡り物語を紡ぎ続け、完成させることができたのだろう。
正しいと思うものを命尽きるまで貫けば、それが「実」になると華山は言った。息子の死や失明を乗り越えて彼が完成させた物語は、現在に至るまで時代を超えて人々の心を動かし続けている。インスピレーションを受けた後続の作品も数知れない。
その普遍性もまた「実」と呼んでいいのではないだろうか。
虚と実、CGとリアルの相乗効果が言い知れぬ深みをもたらす
曽利監督といえば、これまでCGをいかにストーリーと馴染ませるかに腐心してきた人だ。そのアプローチの果てに、登場人物が所狭しと駆け巡る”絢爛豪華なフィクション”と”今まさに物語が湧きいづるリアル”という本作の二重構造にたどり着いたことは感慨深い。冒頭のかなり駆け足な”虚”のあらすじ描写に、”実”のパートがある種の理由づけを与える趣向も面白い。また、虚と実はまるで呼応する振り子のようだ。勇士たちが不思議な玉を探し求める旅と同じく、馬琴もまた一つの輝ける物語を磨き続け、それは彼一人の孤独な旅かと思いきや、そこにはやはり仲間がいる。北斎や南北といった天才らが刺激し合うのはもちろんだが、病弱な息子、夫を罵ってばかりいる妻、そして息子の嫁、その全てが馬琴を支える掛け替えのない宇宙なのだろう。いつも以上に役所広司の素晴らしさに舌を巻いた。彼の存在感こそが虚と実、双方に魂を吹き込んでいることは間違いない。
虚と実が渦巻く歴史に引き込まれる眩暈にも似た感覚
今から2500年以上前の中国の思想家・孔子を始祖とする儒教が日本に伝来したのは5世紀頃。時を経て江戸時代後期の19世紀前半、滝沢馬琴は儒教における「八種の徳」に基づく勧善懲悪を主題に「南総里見八犬伝」を28年がかりで書き上げた。それから約1世紀半後の1982年、山田風太郎は小説「八犬傳」を連載開始。「南総里見八犬伝」の物語を再構成した“虚の世界”と、馬琴の創作過程や友人の絵師・葛飾北斎との交流を描く“実の世界”を並走させる内容だった。これを原作とし、VFXの使い手として知られる曽利文彦監督が脚本も自ら手がけて実写化したのが2024年公開作「八犬伝」だ。
悪事がまかり通る現実の世界で正義など絵空事だと斜に構える北斎(内野聖陽)に対し、だからこそ虚構の世界で勧善懲悪を説くのだと主張する馬琴(役所広司)の対話は、興味深い創作論であると同時に、人はいかに生きるべきかという哲学的な問いかけにもなっている。さらには、実世界を生きる人々の想像力と思考から創作物や思想・宗教が生まれ、そうした虚の世界が後世の人々の精神に影響を及ぼし新たな現実を形作るという、虚と実が互いに影響し合いながら歴史が発展していく、そんな創作と現実が織りなす歴史の大渦に巻き込まれるような眩暈(めまい)にも似た感覚を、本作の両パートを行き来しながら味わった。
大長編の伝奇活劇である「南総里見八犬伝」のパートを、本編149分のさらに半分程度に押し込めたので、当然ながら筋を大幅に端折っており、アクション場面やVFXスペクタクルの質・量ともに物足りなく感じるのも正直なところ。もっとチャンバラを見たい、お金をかけたスペクタクルを見たいという向きには、1983年公開作「里見八犬伝」がおすすめだ。角川春樹事務所の最盛期に製作され、潤沢な資金を後ろ盾に深作欣二監督がやりたい放題の娯楽大作で、真田広之、千葉真一、志穂美悦子といったジャパンアクションクラブ(JAC)の看板俳優や目黒祐樹らが大暴れするし、薬師丸ひろ子には珍しく濃密なラブシーンもあるわ、お金をかけまくった闇の軍団の本拠地セットでは生き血の風呂で夏木マリがヌードになるわで、笑っちゃうほどの見所満載ぶり。ただし同作では物語の発端である里見家の城主と娘の伏姫、忠犬の八房、斬首された玉梓などのくだりが絵巻物と台詞で説明されるのみなので、その辺を丁寧に実写で描いた今作の「八犬伝」とうまい具合に補完し合っている。その意味でも、この機会に2作を見比べてみてはいかがだろうか。
描かれる"虚と実"が観客の想像力を刺激する
江戸時代の人気作家、滝沢(曲亭)馬琴が構想する8人の剣士の物語『八犬伝』を、友人の絵師、葛飾北斎に語り聞かせている。映画は『八犬伝』の物語世界から始まり、すぐにそれが虚構だと分からせた上で、一転、資料が山積みになった人気作家の仕事部屋へと場面は転換。以降は、馬琴のもとを予告なしで度々訪れる北斎が、物語に刺激されて挿絵を描いていくという現実パーツと、『八犬伝』の虚構パーツとのカットバックで映画は進んでいく。誰もが知っている実在のアーティストをモデルにしているので、観客の頭の中も別次元の"虚と実"が入り乱れて楽しいと言ったらない。
物語の世界は若干仰々しい演出になっているが、一方で、馬琴と北斎それぞれの"虚と実"に対する考え方の違いが浮き彫りになっていくプロセスが示唆に富み、興味をそそる。馬琴役の役所広司はいつも通り入魂を感じさせる熱演だが、馬琴とは対照的に奔放な自由人として画面に現れては消えていく北斎役の内野聖陽が、今回は役所のパワーを逆手にとって生き生きとしている。
人気小説の裏にドラマあり。作家が作品に込めた思いと、江戸の町民文化の心意気を感じさせる1作だ。
ちょっと残念、
「実」パートと「虚」パートの出来映えに大きな落差がある。
「八犬伝」が観たかったのに馬琴の映画だった
「八犬伝」が観たかったのに馬琴の映画だった。それに尽きる。
馬琴が「忠臣蔵四谷怪談」を観劇して史実の美談にフィクションを混ぜた構成に憤慨するシーンがある。
真実を正しく描くことか、虚実をエンタメとして描くのか、そういった入れ子構造を二重写しに描きたかったのかな?と憶測。
八犬伝パートが盛り上がって、いいところで馬琴パートにスイッチしてしまうので毎回興醒め。
八犬士が揃ってからの大立ち回りも雑で萎えたが。
ラスボスもCGショボかったwww ロードオブザリング1作目の時代くらいのCG感覚。逆に懐かしかったかもw ラスボスの倒し方も雑。
馬琴の家族の描き方がひどすぎる。寺島さんのヒスババアっぷりはあれでよく本人が演じてくれたな。
テンポは悪くないのですが演出の拙さに失笑。
ポン・デ・リング
役所広司さんと内野聖陽さんの競演、横綱と次期横綱の大勝負みたいで面白かった
蔦屋重三郎の生涯を描くNHK大河ドラマ「べらぼう」がはじまって、北斎に歌麿、浮世絵や読本に注目が集まるのが今年2025年だと思いますが、2024年に公開された話題作で、『南総里見八犬伝』を執筆中の滝沢馬琴を役所広司さん、八犬伝の挿絵を頼まれて、馬琴の家に通う葛飾北斎に内野聖陽さん。映画の半分が馬琴の書斎で北斎と馬琴が語り合うシーンで、役所さんと内野さんの長台詞のお芝居が続く感じで、お二人とも入魂の演技で、お芝居というより、ほんとうに馬琴と北斎にしか見えません。
馬琴の描く空想の世界の最大の理解者で、馬琴の脳の中にしか存在しない、見えない世界を可視化する天才北斎のやりとりを聞いていると、事実上の2人芝居なのに、ワクワクが止まらなくなります。馬琴が『南総里見八犬伝』を書き進めていくたびに、劇中で『南総里見八犬伝』の物語が別立てで進行していくので、八犬伝のストーリーも楽しめて、一度に二度おいしいお話でした。
ただ予算が足りなかったのか、南総里見八犬伝のストーリーはもっとSFXを駆使して、派手に大胆に作れるような気もしました。1本の映画で2つの話を同時進行ですすめているスタイルなので、南総里見八犬伝のストーリーはだいぶ端折られており、八犬伝のファンの人から「八犬伝はこんなもんじゃない。もっと!もっと!話が複雑で、面白いんだよ!」と熱弁されてしましました。なので、南総里見八犬伝は、この『八犬伝』続編として、改めて八犬伝を作ってもよかったんじゃないかなと思いました。
八犬伝の剣士を演じた役者さんとしては、渡邊圭祐さん(犬塚志乃)、板垣李光人さん(犬坂毛野)が光ってました。南総里見八犬伝を映画やドラマにするとき、八犬伝の八人の剣士は、その時代時代の若手スターを抜擢するんだと思いますが、令和の時代に選ばれし「8人」の剣士が暴れる姿を見てみたいです。この作品の劇中のストーリーだけだと、エキストラに毛が生えたくらいの活躍しかできなかったのは、もったいなかったかなと思いました。
題材の難しさに勝てなかったか
八犬伝のファンタジーパートと、作者の馬琴の現実パートが交互に展開する時代物。
映像美が良い作品で、ファンタジーパートでは、スケールの大きな背景CGも違和感がなく、ホラーやファンタジー表現にも拘りが感じられるのが良い所。現実パートの小物や家具、建物なんかもリアリティがあり、炭団を丸めるシーンは生活感があって良い。
展開の面白味としては、ファンタジーパートのアクション、大冒険が一翼で、現実パートで江戸後期の歴史上の著名人が次々に登場する歴史ファンウケ要素がもう一方を担っているか。
問題は、馬琴の「南総里見八犬伝」が陳腐化してしまっているところで、原作の意訳本を読んでもらえれば分かると思うが、現代人には昔ばなしの童話のように感じられてしまうのである。
その辺を映画としてどうクリアするのかな、という工夫が見たかったのだが、想像の域を出なかったのでこの点数とした。現実パートを交えることで鑑賞に堪えるものの、やはりイタさはごまかしきれなかった。
現実パートも不幸フラグが立ちまくりで、盛り下がっていく一方。見ているのが辛く、早く終わらないかな、、、と思ってしまった。
一応、目の見えなくなった馬琴を支えた義理の娘とのやり取りがハイライトなのだが、予告を見ただけで予想できていたので、想像を超える展開が何もなかったのが悲しい。壮絶な苦労があったんだろうけど、映画を締めくくるエピソードとしてはちょい弱めなんだよなあ。
ということで、難しい題材に挑戦して、なんとか凡作に踏みとどまった印象でした。
辻褄が合わない
マジ時間の無駄
コレね、そもそもが題名間違ってるのよ。素直に、「滝沢馬琴物語」とか「馬琴の生涯」とかにすればそれなりに映画を鑑賞出来たのに、里見八犬伝とか前面に押し出すから批判されるんだよ。ホント深作監督と真田に謝って欲しい。リメイクに期待した自分が恥ずかしいわ。何か途中から全然違う話始まって頭が?になったが、まさか全編里見八犬伝物語と制作秘話を織り交ぜて最後まで行くとは思わなかった。マジ時間の無駄でした〜
里見八犬伝の方から評価すると、正直若手俳優さん達頑張ってんな、と思ったね。全然悪くないし、今後も期待出来る自然な演技でした。板垣君の女装観た時、確かに綺麗だなとか思ってしまった。新たな扉を開く寸前まで行きました笑
滝沢馬琴物語の方も、正直大変良かった。つーか、役所と内藤、寺島の3人で映画一本作れるわ。安定の演技で素晴らしかったね。しかし、この2本の物語を掛け合わせて纏めたもんだから、観てる方は落ち着かないよね普通さ。八犬伝でハラハラしてんのに、馬琴の方でほっこりするんじゃ、一本の映画としては最低評価になると思います。よくこんな脚本にしたな、という映画でした
奈落の問答
期待して大画面で(130インチスクリーンで1.5m離れて)視聴しました。まず、大画面で観るほどの映像ではありませんでした。
滝沢馬琴(役所広司)がいる世界が朝ドラみたいで、とても嘘くさいんです。そして物語の世界のほうも、端折ったファンタジーで説得力がありません。
中盤の「奈落の問答」のあたりは眠くなります。最も大事な場面だと思うのですが、わざと眠くなるような演出に工夫したのかもしれません。四谷怪談と忠臣蔵をミックスした話が今作の本質のように感じました。滝沢馬琴(役所広司)を悩ませるきっかけにもなった、「つじつま合わせ」についての説明がありました。そのシーンは、この作品自体のことを(呪術の世界が本当の歴史で、失明してまで28年かけて完成に至ったのは嘘です、と)言っているのでしょう。
どのキャラクターもイマイチ魅力が足りなくて残念でした。
栗山千明さんが大塚寧々さんと似ているという印象と、内野聖陽さんと役所広司さん、寺島しのぶさんの三人の28年という時間を感じさせる演技が、さすがだと思いました。
八犬伝の話は大好きです
私は「南総里見八犬伝」が大好きで、子供の頃はNHKの人形劇「新・八犬伝」にはまってました(笑)
辻村ジュサブローによって作られた「玉梓」の怨霊の人形が、不気味で怖くてゾクゾク感がたまらなかったのを覚えてます。
次々と伏姫の玉をもつ仲間が集まっていき、戦っていく様子は、RPGのようでもあり、ファンタジーでもあり楽しくてたまらなかったです。
その後も映画もみたり、違った解釈で書かれた小説も読んだりしてました。
なので、今回の映画も楽しみにしてたのですが、
お話の部分がしょぼくて、ちょっとガッカリしました。
映画館に行かなくて良かったです(笑)
八房のCGが残念だったのを皮切りに、仲間が簡単に見つかりすぎ(笑)
まぁー短い時間で表現できないのは、わかりますが、本当はもっともっと面白いお話なんです。
なぜその人物がその文字を書かれた玉を持ってるのか、文字の意味もちゃんとあるんです!
申し訳ないだけど、なんか学芸会を見てるようで💦
ただ犬坂毛野を演じた板垣李光人は、毛野にピッタリで女の子より女の子で可愛かったですね(笑)
それに比べて、滝沢馬琴と葛飾北斎の現実パートは、なかなか良かったです。
「虚」と「実」とを語り合うシーンや、馬琴が悩みながら、最後には盲目となりながらも、書き上げていく情熱は凄まじいものを感じました。
現実パートだけでも良かったのではないのだろうか?っとふと思ってしましました。
あっさりが最近のトレンドか?
観終わって「しーん」となった。
これ、馬琴の事が描きたかったのか、里見八犬伝を描きたかったのか、わからない。
この映画の意図が全くわからなかった。
映像美としては、八犬伝パートを楽しめたが、ちょいちょい馬琴パートで盛り上がりがぶつ切りにされ、盛り上がってきた心がいちいち沈静化され、さらには八犬伝のお話自体、わりと端折られてて、3分で読む八犬伝的なダイジェスト感がいなめず、
馬琴の人生の何を伝えたかったのかも、わからず。
両パートいずれも中途半端な描かれ方をしたため、
消化不良で終わった。。。
役所さんと内野さんの無駄遣い。
グラフィックは素晴らしい。そして俳優の力量で持って行ったシーンもいくつかあった。
が、全体的な構想が、いずれも薄っぺらくて萎えた。
アマプラで見たけど、映画館でみたら、怒ってたなぁ。
ま、最近の若い世代の映像の観る感覚に合わせたのであれば、随分と最近の人達は、そこそこのもので満足するつまんない人生なんだな。と思いました。
いや。まて。そんなこたーない作品だっていっぱいあるわい!
つまりは寄せすぎて失速。
ちょいちょい面白いシーンがあっただけに残念すぎる。
日本映画。限界か。
年齢層によって評価は分かれるかも
なんだかとても惜しい映画 マイナス×マイナス=プラスの方式。
な!なんと!奥さん!この話題作がもうアマプラで配信じゃないですか!
「嘘と実が交錯するエンターテイメント」が本作のキャッチコピーですよね。
まずその点からイチャモンつけたいの。いきなりステーキ。
そもそも映画こそ最も“虚”たるフィクションじゃないですか。ドキュメントフィルムじゃないんだから。
そこを“実”と言われてもなぁ…が観終えた時の正直な感想でした。
むしろ“虚”パートのお話の方こそ“実”に見えたんですね。“実”であってほしかったんですね。マイナス×マイナス=プラスみたいなメタ構造爆誕。
そして、結局がどっちつかずの凡作に終わった感じに思えたです。
いっそのこと“虚”パートの八犬伝のお話をメインに全振りしてくれた方が楽しめたかも。
実際“虚”パートの見せ場ってかなり面白かったです。
“実”パートは映画として観るなら、やや地味で退屈な印象を受けてしまいました。
この“虚”ד虚”のクロスオーバーの成功例で、私がまず思ったのは『大河への道』なんですね。
大河…は本当に楽しめましたし、感動すらしましたもん。
加えて直近では『はたらく細胞』これも本当に面白かったです。つい先日観たばかりなので、レビューはまだ書いておりませんが。是非とも触れておきたい作品だと思いました。
でも、偉大すぎる先駆者があって。そことの真っ向勝負を避けたのかな?
そう、当然往年の角川映画の『里見八犬伝』のこと。本作を語るにあたって比較してしまうのはどうしても避けられない映画だと思うです。
ぶっちゃけ里見…は薬師丸ひろ子人気に頼った、かなり大味なエンタメ作品ではあったものの、制作費は当時としては破格の10億円だったらしくて。(今日換算なら大雑把にシャアザク的な約3倍の30億円くらいらしいです)
対して興行収入倍の23億円ということです。今日換算ではシャ…だいたい3倍の70億円。
立派に成功作と言ってよいと思うの。
映画にそれだけ贅沢な予算をかけられるって、はっきりいってそれだけで勝ち組だと思うの。
翻って今日の映画ってまず予算に非常に大きな足かせがあると思うの。それ故に失敗は許されない事情が多分にあると思って。
本作の製作費は多分10億円くらいだと思うの。←なにこの決め打ちw
対しての興行収入は6億6千万円のデータがあって。10億円超えが業界内でのボーダーラインのようですね。
それで言うと本作は興行収入的にはそれほどでもなかったかも…?の微妙なラインみたい。
お金の話はもういいや。←なら語るなし!
期待作だっただけに、ちょっと残念な評価になったかな。
劇場で観ていたなら、パンフレットを買おうとは思わないくらいに。
カイジやアカギみたいな、ヒリヒリと焼けつくような大博打で“虚”パートを描ききってほしかったというのが正直で端的な感想でした。そここそ、今日の映像技術で観てみたかったです。
予算が悪いんやで…予算が…←まだ決め打ってるし…
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