国宝のレビュー・感想・評価
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芸を極めた者だけが見る景色
吉沢亮と横浜流星の圧巻の演技だけでも観る価値あり。
歌舞伎役者を演じる二人だが、相当な稽古を積んだに
違いないレベルのパフォーマンスを発揮している。
その歌舞伎を実際に演じるシーンにもスポットがあたる
ため175分の長尺となったことがよくわかった。
歌舞伎役者の半生で、二人の栄枯盛衰が描かれているが、
あくまでも吉沢亮演じる喜久雄の視点である。
したがい、干されている期間の苦労が描かれているのは
喜久雄のみであるが、芸だけで生きる覚悟を感じる
大事なパートだと思った。
人間国宝になった喜久雄は自分の人生に満足だったのか、
それはラストシーンでの「きれいやなあ」のセリフに
全てが込められていると感じた。
きっと悔いはないのだろう。
吉沢・横浜以外の俳優も素晴らしいのだ。
渡辺謙の目、寺島しのぶの安心感ある盤石の演技、
田中泯は本当に人間国宝かと思ってしまうほどの緊張感
が迸る演技、そして森七菜の今までのイメージから脱却
するほど挑戦した演技に惜しみない拍手を贈りたい。
まさかの瀧内公美登場は素直にうれしかったし、
大事な役どころでビシッとキメていた。
長尺ながら終始緊張感があり、実に豊潤な作品で、
あっという間の175分。
とにかく吉沢亮と横浜流星の演技は刮目して
ご覧いただきたい。
※横浜流星は大河の主演をつとめつつ本作に取り組んだのか?もし、そうだとしたら凄まじい役者魂だ。
フツーのキレーな映画
全体に平坦で舞台シーンがキレーな映画という印象。以下ほぼ褒めていないのでこの映画をお好きな方は読まれない方がいいかも。
まず、映画の売りになっている歌舞伎の舞台シーン。メインキャラお二人が1年半かけて血の滲むような稽古をして挑んだとか。その努力を否定する訳ではないが、子どもの時から歌舞伎一筋で芸を磨く歌舞伎役者なる本業役者がいる以上、1年半で極められるものではないだろう。言葉がきつくなるかもしれないが所謂素人芸の域。譬えて言うなら部活の高校生が猛練習しました。その発表会するので見て下さいという感じ。猛練習した高校の吹奏楽部演奏は凄いし。それは否定しない。
だから若手の頃の舞台はそこまで気にならない。若い演技だから。しかし、中堅になった舞台シーンもさほど若手の頃と変わらない
レベルに見える。年月を経た深みはなくずっとメインキャラお二人が頑張って到達されたレベルの舞台。最後の鷺娘などはだからそれで国宝感はとても感じられない。申し訳ないが、それをプロの歌舞伎役者の舞台として見せられ感動せよと言われても鼻白む。演出で国宝感を出せたかもしれないが、ニュートラルな演出の色は変えられなかったのだろう。
ニュートラルな演出と言えば原作未読なので原作はもっと深いのかもしれないが、映画を見た限り、全てがあっさり通り過ぎ情念とか業は感じなかった。それをある程度は描こうとしていたようだが。
1つは女性達のメンタルがきれい過ぎる。義理の母や主人公の彼女達との関係は結構複雑なはずだが、義母は嫌味は言うがさほど意地悪な仕掛けもせず主人公の彼女達は立場を弁えている人ばかりで主人公を悩ませる事はほとんどない。それがメインの話ではないと言われればそうだが、主人公に都合が良過ぎる。
主人公と芸を競うという事で言えば師匠の実子が親友という関係で小さな争いがそこしか無く他の役者の妬みなどは全く無いので芸を極めることは壮絶とはいかずとても甘々な感じになっている。主人公の不遇時代も描かれてはいるが、女と間違われて暴力も振るわれているのに何故か危機感がさほどないあっさり演出。基本的にこのあっさり演出がさらりとした作品にしている気もする。
とは言ってもあまりドロドロになって歌舞伎の闇の世界を暴くような形になっては芸道の素晴らしさ凄さを描けないという思いかもしれないが。
それから試写会段階から絶賛コメが多過ぎて、この作品は褒めなくてはいけない圧を感じるのだが、本当に先入観無しにこの作品に感動した人が多いのか非常に気になる。個人的にとても期待していたし感動したかったから尚更。メインキャラ2人は今が旬の美形としても誉れ高く演技派で大河ドラマ主役経験者というこれ以上ない経歴の奇跡のような配役が作品の内容以上に人の感性に影響している気がする。
圧巻の舞台シーンに目が潤む! が、2~3の稚拙演出シーンが惜しい。 後半ネタバレ ★4.0
舞台で "役" を演じる。 只それだけのシーンでこれほどスクリーンに見入り、目が潤んだ事は初めてかも・・。
おそらく、吉沢亮は来年の「日本アカデミー主演男優賞」を獲るだろう。
とにかく、吉沢亮と横浜流星この二人の舞台演技はずば抜けていた!
本物の歌舞伎ファンでも "納得" 以上の物を感じたのではないかと思う。
演舞以上に、女形独特の発声も全く違和感なく、本物の歌舞伎役者かと感じるぐらいに洗練されていて、
監督の舞台の魅せ方も巧いと感じた。
その舞台に臨むまでの紆余曲折が物語りで描写されているのだから、いっそう感涙に繋がる。
この原作を書いたのは、実際に歌舞伎で「黒衣」をされていた方が書いたようで、
その独特の世界観や舞台裏なども詳細に描写されている。
渡辺謙も過去視聴した中で一番の演技をしていて、
序盤での謙さんの絶妙表情は特別な存在感を放っていた。
さらにビックリしたのは、女形の国宝重鎮(万菊)役。
「はぁい、よぉろぉしぃく・・」とそのハンナリとした台詞は、
この人だけ本物(歌舞伎役者)を使っているのか?と感じたくらいで、
それを 田中泯さん が演じていたと、視聴後チェックで知って尚驚くことに♪
物語の序盤は説明描写的で心が動かないが、1時間経過した位の「曽根崎心中」の舞台から、
心に訴えるシーンが続き圧巻に繋がる。
稽古シーンで、「そんなので、命を賭すか否かが伝わるか!」的な叱責に吉沢亮が女形台詞を言い直すのだが、
3度目には本当に魂が入ったように表現されていて、相当な修練の賜を感じた。
ただ鍛錬・洗練されている舞台描写とは全く逆の、安易で稚拙なシーンも2~3あり、特に序盤は長く感じた。
それはネタバレに記す事に。
まあとにかく舞台シーンは圧巻です。
上映舞台挨拶で監督・役者とも、「とにかく観て下さい」と語っていたのが頷けます。
超力作・必見♪
私が感じた甘い描写 ↓ ネタバレ
序盤の宴会襲撃シーンは稚拙過ぎて、あきれた。
あのシーンにそれほど予算を掛けれなかったのかもしれないが、
よそ者が殴り込んで来ているのに、その数分後でも親分が自席に座っているのはあり得ない。
周りの若衆が、より安全な奥部屋へ連れていって当然。
それが、いつの間にか親分一人になって、銃で撃ってくれと言わんばかりに日本刀を掲げるポーズで・・・。
この時点で、これが★4.4か?・・と落胆・・。
あのシーンにもっと本格的殺陣を取り入れていたら、さらに高評価に繋がったと視聴後は惜しく感じた。
さらに後半、喜久雄が落ちぶれて旅館のステージ後に観客との一悶着シーンも、
まるで過剰な映画演出を感じて違和感たっぷり。
この監督は、激しい動きシーンは自然に撮れないのかと勘ぐってしまう・・。
監督の過去作をチェックすると、「フラガール」のみ観ていた(私も高評価)が、
イーストウッドの名作「許されざる者」のリメイク版は平均★3.3とかなり低い。
やはりアクションは苦手なのかも♪
脚本的には、かなり慎重な性格を表している喜久雄が、他の女性との関係を持つ点の、心境変化の描写が簡素な事や、
2度の舞台上でのアクシデントも、また?と感じてしまった点も惜しい。
まあ、現代作品に「黒沢明作品」のような完璧を求めるのは私ぐらいと思うので、
★は私なりの高評価 4.0 に♪
奇々怪々な部分が多い映画でコンペティション部門に出品ならず
ネタばれ含むので、映画鑑賞が未だの方は絶対にお読みにならないように...
奇々怪々と感じた部分は、歌舞伎役者でない役者が歌舞伎役者を苦労して演じてはみたもののやはり本物の歌舞伎役者の技量にはかなわない不自然さが目に付くとかそういう部分ではない。自分は歌舞伎や能はよく見に行くが、歌舞伎役者であろうとなかろうと、やはり美形が演じる女形のほうが圧倒的に美を感じるものなのだと、つくづく納得した。渡辺謙の毛ぶりはなかなかであったし、たとえ多くの不自然さが目立たないように撮影・編集されていてもそれは当然だろう。
原作を読んでいないので、原作にはきちんと描かれているのかもしれないが、
喜久雄とともに生きるために自らも背中に彫り物をしたほど喜久雄を愛した春江が、俊介のあとを追い、そのまま二人で姿を消してしまう春江の心情がきちんと観客に伝わるように描かれておらず、なぜ二人で消えた??? その???でしばらく頭がいっぱいになった。
あと、この映画を初日に観た理由は、自分が崇拝して止まない世界的ダンサー田中泯が出演しているからなのだが、その『鷺娘』の踊りに全く感動できなかった。玉三郎の『鷺娘』の足元にも及ばない。残念である。国宝を演じているわけだから、これではまずいだろうと思う。
あと、みすぼらしい狭い部屋で万菊が横たわり、喜久雄と再会するシーンで、「ここには美しいものがない。」と語り、美から解放されたという境地が、国宝であることからのストレス開放なのか、芸を極めたもののみが達することができる境地なのか、どちらなのか???理解できずにまた???であった。それに加えて、どうして歌舞伎の舞台に立てずにドサ回り中の喜久雄をその芸の上達も直接見ることなく万菊が「ようやく認める気になったのか」まったく理解できずに??だった。
それから、最後のシーンで喜久雄が国宝として観た景色がわけのわからない雪吹雪のような桜吹雪のようなものが散って、日本的美で誤魔化されてしまったような気分になって映画は気まずく終わった。
ここまで説明不可能な奇々怪々なシーンが次から次へとあると、
日本のメディアのプロパガンダにだまされてしまうことなく、
この作品がコンペティション部門で出品されなかった理由がはっきりする。
邦画の監督たちの映画の論理的思考や論理的構築の欠如があらわになった作品だと思う。
正直な感想です。ごめんね。
日本人が知ってる様で知らない“歌舞伎”の世界 役者の“華”は簡単には作り出せない
当代の“人気役者(大河主演)”の吉沢亮と横浜流星が、“舞台”で演ずる舞に“美しさ”を感じた。
勿論、日舞の手習をしていた訳では無いのでその良さ・真髄がわかっている訳では無いが、それでもその姿に美しさや優雅さを感じたのなら、それが正解だと思う。
「歌舞伎を観た事が無い」と言う観客が観て、面白い、素晴らしいと感じたとしたら、それはこの二人に役者としての“華”があるからだ。それは、歌舞伎の御曹司が生まれもってきた“血”とは一味違う“役者としての素質”かもしれない。
その道のプロフェッショナルを演じる事は容易では無い。
ドクターしかり料理人しかり、それが実在した人物なら尚更だ。
「ボヘミアンラプソディ」のフレディ・マーキュリー、音楽はクイーンの音楽に吹き替えられていたがラミ・マレックの演技も作品も素晴らしかったし、「天皇の料理番」を演じた佐藤健の包丁捌きは目を見張るものがあった。一流料理人からすればまだまだとしても、あの包丁捌きは木村拓哉演ずる「グランメゾン東京」のシェフより見応えあったと思う。
本作でも、上方歌舞伎の名門・丹波屋当主の花井半二郎役を演じた渡辺謙は「僕らごときに歌舞伎ができるわけがないですから真似事でしかありません」と謙虚に語っているが、渡辺謙も大河主役は勿論のこと、ハリウッド作品やミュージカルの主演も務めた、日本を代表する“役者”だ。
歌舞伎の看板役者となると、月に25日昼夜3〜4時間の公演に、稽古が5日、それが12ヶ月でざっくり見積もって360日“歌舞伎”を演じている。当然、そんじょそこらの役者が真似したとしても、早々にその立ち居振る舞いが板につく訳無い。
それでも、この作品には映画としての面白さがある。
もしこの二人が梨園の御曹司だったら?さぞ世の話題をさらったであろうし、そんな二人が映画の中で舞い踊る姿には正直魅了された。
歌舞伎の演技監修・出演もした中村鴈治郎曰く「賛否両論があるでしょう。でも、歌舞伎の記録映画ではなく、歌舞伎を題材にした人間ドラマですから。絶対に映画として成り立っていると思います」
正に本作の本質だ。
歌舞伎のご贔屓さんから見れば恐らく粗だらけ、それでも歌舞伎どころか舞台を観に行った事が無い多くの人に伝わるものはあると思う。
本作は“歌舞伎”の映画版では無い、そして歌舞伎の世界を知ってる様で知らない、“歌舞伎”を観たことが無いであろう多くの観客に伝わる何かがあれば、それが大正解な作品なのだと思う。
繰り返し言うが、吉沢亮と横浜流星の“演技”する舞は、物心着いた頃から身につけてきたものでは無いし、通し狂言「菅原伝授手習鑑」の全五段上演時間だけで約7時間半の演舞ができるはずも無い。映画で演ずる演目・舞は極々一部に過ぎない、それでもスクリーンに映し出されたその姿に、魅力や美しさを感じる事が出来ればこの作品を観る価値は大いにあると思う。
そして、恐らく今年上半期邦画作品を代表する一作として日本アカデミー賞の候補にも上がってくるだろう大作となっている。
ただ、この作品に少し違和感を感じた事も事実。
縁があって六代目 中村 歌右衛門さん、四代目 坂田 藤十郎さん、五代目 坂東玉三郎さんなどいわゆる“人間国宝”と呼ばれる重要無形文化財保持者の方とお会いしている、まだ幼い時や小中学生の頃父に連れられ楽屋にお招き頂いた。そんなご縁もあり結構な演目を観劇させて頂いた。当時は、正直あの独特な台詞回しが分からずだったが、「菅原伝授手習鑑」や「仮名手本忠臣蔵」、夏に開催される納涼物などは立ち回りや舞台転換も多く、子供ながらに面白いと思った。
時には、客席の盛り上がりにつられて「成駒屋!」なんて掛け声を掛けると、“威勢のいいガキンチョの掛け声に”大向うのご贔屓さんが「〇代目!」なんて絶妙な間合いの掛け声がかかり、子供なりに楽しんだものだ。
本作も、吉沢亮と横浜流星が舞台で演ずるシーンで、満場の拍手はあるのだが大向うの掛け声が無い(正確には無い訳では無いが、普段舞台で感ずるほどの絶妙な間合いでは無いので何か物足りない)。
原作者も監督もテキトーな“屋号”をあてがう事を良しとはせず(丹波屋だけ)あえてそうしたのかもしれないが、映画の中の客席にいる“観客”が“出演者”になってしまっていた。
映画やテレビと違い、舞台空間を作り上げるのは役者だけでは無い。観客と共に一期一会な時と場を作り上げるのが舞台だ。
映画としての面白さはあったが、その劇中劇として描かれた“舞台空間”が描ききれなかったのはやや残念かもしれない。
(余談だが、大道具さんの雪は鳥肌ものに素晴らしかった、多少VFXで調整したのかわからないけどラスト「曽根崎心中」の“舞台映像”を相当引き締めていたのは間違いない)
それともう一点、気になったのはやはり台詞回し。歌舞伎では顔や姿も大切だが、あの口跡はやはりそう簡単に演じる事は出来ない。
その違いは、是非本物の舞台で肌で感じるのが一番良いかと思う、機会があれば是非生の“舞台”に足を向ける事をおすすめしたい。
因みに、本作では歌舞伎界の「世襲」が話しの大きな筋となっている。
2025年八代目尾上菊五郎襲名、中村屋ファミリーのドキュメンタリーや市川團十郎親子の姿が茶の間に映し出されると、ついつい「梨園は世襲が当たり前」
と思ってしまう人は多いのだろう。受け継ぐ主体が血縁者というのが“世襲”と言えるのは言うまでも無いが、歌舞伎界に於いては「家芸」の継承が最も重要視され、決して実子・血縁だけに受け継がれてきた訳では無い。
十四代目守田勘弥は実子を遠ざけ玉三郎を養子にしたのは家芸を伝承する為の選択肢だったのかもしれない。
坂東玉三郎は人間国宝となっている。ではその他の家はどうだろうか。
十三代目 市川 團十郎 白猿の祖父は、七代目松本幸四郎の長男十一代目市川團十郎だが、七代目幸四郎は役者と無縁な伊勢の土建屋の三男から養子縁組され大名跡を継ぐ迄に襲う。亡くなった中村屋の十八代目中村勘三郎の祖父は中村歌六という、元来高名では無い役者であったが兄の初代中村吉右衛門の活躍などにより家格が上がった。江戸時代は養子縁組も頻繁、現代でも女形は日常生活も“女性”であった一面もあり実子をもつことも減じられたりもした。
市川團十郎名跡の異色は、死後襲名した十代市川團十郎。銀行員の家系から九代目市川團十郎の長女実子と恋愛結婚、29歳にして歌舞伎役者に転向した、大成はしなかったが市川團十郎不在の市川宗家にあってその代つなぎとして絶えていた歌舞伎十八番を次々に復活上演。意欲的な舞台活動と研究によって市川宗家の家格を守り抜いた。五代目菊五郎には中々子供が授からず、養子を取り後継者として「菊之助」の名を名乗らせていたが、妾との間に実子が産まれると不仲となり名を捨て上方芝居の世界に、実子が六代目菊五郎、その養子七代目尾上梅香(人間国宝)は本作でも出演した寺島しのぶ・八代目 尾上菊五郎の祖父(父七代目菊五郎も人間国宝)にして、赤坂の芸者の三男として産まれている。
歌舞伎の名跡は、あくまで実子だ養子だなどという名前ではなく「芸に譲る」というのが基本だが、そうだとしても物心着いた時から芸に触れるという事は大きい。そして、名跡は決して一子相伝的なものでは無い、名前は勿論、家族・兄弟・友人・お弟子は元より会社やなんと言っても観客によって一人前として育て上げられる。そして、まだ若いうちは演ずる事、芸事の精進にひたすら努めれば良いのかもしれないが、座頭となれば当然如何に興行するかが重要になる。
ふと思い出す。
四代目市川猿之助・・・。
正に天才役者だ、華もあれば演技も別格だった。
ただ、澤瀉屋は歌舞伎界でも少し特殊な存在、初代は9代目市川團十郎の弟子だったが破門になり、やがて許されて復帰。
2代目も、新劇に出たりしながら松竹に反旗を翻したこともある。
3代目は23歳で猿之助を襲名したが、直後に祖父(2代目)と父が亡くなったので、「劇界の孤児」となった。後ろ楯のなくなった3代目猿之助は、大幹部の誰かに頭を下げて一門に加えてもらうしかなかったが、それを断り、自分で独自の公演を始めた。スーパー歌舞伎など独特な世界を作り上げたが、歌舞伎界の異端児的扱い(悪く言えば色物扱い)。そして、四代目は弟・4代目段四郎の子、市川亀治郎。実子の香川照之が9代目市川中車を名乗った頃から歯車は狂い始めていたのかもしれない。
四代目猿之助襲名時亀次郎は「ずっと亀治郎でいたい」、「生涯一役者として生きたい」と言っていたと言う。役者として、「猿之助の芸」は継ぎたかったが「一門の長」になる気は本当は無かったのかもしれない。
それでもさまざまな事情で、「猿之助」になってしまった。
その後の顛末は、世の多くの人が知っているだろう。
名跡を継ぎ、座頭になるという事はただひたすら“芸事に打ち込む”事だけでは済まされない事だ。そこには芸の上に、一門を率いるリーダーたり得る素質も必要とされる。
「天才であること」と「組織のリーダーであること」はときに矛盾する。
その両立ができず、己の矛盾が臨界点に達したのかもしれない、猿之助さんのあまりにも衝撃的な事件を思い出すと、この作品の見え方も変わってくる。
そして、一人の“人間”としての「人間国宝(重要無形文化財保持者)」。
その名が如何に偉大なのか感じずにはいられない。
今まで取り上げられそうで無かった「日本人が知ってる様で知らない歌舞伎界」の人間模様。中々見応えある作品だが、3時間近い時間があっという間に過ぎた。
(ただし、最後に一言「100年に一本」や「国宝級」はさすがに言い過ぎかと思う)
その道と芸を極めた者を“国宝”と呼び、それを魅せてくれた映画を“至宝”と呼ぶ
李相日監督の作品は必ずその年のマイベストの一つになる。それくらい現在の日本映画界で絶対的信頼の名監督。
原作が吉田修一となれば尚更だ。
そんな二人の『悪人』『怒り』に続く3度目のコラボレーション。
なので映画化発表の時から超期待していたとは言え、その期待を越えてきた。
すでに見た方々がタイトルに絡めて絶賛しておられる通り。
まだ2025年上半期も終わってないが、今年一番は決まったかもしれない。
歌舞伎。
古くから伝わる日本の伝統芸能。
今尚多くのファンを魅力し、受け継がれ、その人気は国内のみならず海外にも。
多くの名門、人気役者。その芸と道を極めた者は“人間国宝”にもなる。
日本文化にとっては“至宝”の一つ。
しかし、なかなかに特殊な世界。敷居も高く、好きな人は好きだが、興味無い人は全くの無関心。
専門的な言葉や演目を始め、知らない事の方が多い。
自分もだが、歌舞伎を見た事がない人は伝統芸能でありながら日本国民の大半を占めるだろう。
そんな歌舞伎初めましての人でも見れ、引き込まれ魅了される作品になっているのが見事。
私の勝手なイメージ。歌舞伎は世襲制。歌舞伎の家に生まれた者が代々受け継ぐ。
勿論そうではない役者もいるだろう。本作は“異例”の世界から。
人気歌舞伎役者の半二郎はある宴の席に招かれる。
任侠の組長が主催の宴。その組長は歌舞伎好き。
宴の余興で、組長の息子が女形を演じる。
歌舞伎の世界の生まれでもないのに、組長の息子・喜久雄の美しさと才に半二郎は驚く。
その宴の席で、敵対組との抗争が。喜久雄は目の前で父を亡くし…。
仇討ちを決意するが失敗に終わり、行く当てもない天涯孤独の喜久雄を引き取ったのは、半二郎。
あの悲劇の一夜が新たな人生の始まり。かくして喜久雄は歌舞伎の世界へ…。
無論招かれざる存在。
半二郎の妻・幸子は“極道もん”とあからさまに邪険にする。
が、半二郎は喜久雄の才に確かなものを見ていた。
半二郎には息子・俊介がいた。いずれは跡取りとして次の三代目半二郎を襲名し、御家の名門・丹波屋や歌舞伎界を背負って立つ。
俊介も何処ぞの馬の骨か分からない奴を白い目で見る。
歌舞伎のプリンスと部屋子。天と地の全く違う立場ながら、半二郎は平等に厳しい稽古を付ける。
日々の厳しい稽古を共にし、いつしか二人に友情が育まれる。
稽古に、若者二人の友情と青春に。切磋琢磨。
やがて二人は才能を開花させ、若き女形コンビとして注目と人気の的に。
二人の歌舞伎役者人生を決定付ける初の大舞台。
これを見事成功させ、歌舞伎界のニュースターへ。
任侠の世界から歌舞伎の世界に鳴り物入りで入った喜久雄は見る。見た事ない景色を。
順風満帆だった。
ある時、半二郎が交通事故に遭い、舞台に立てなくる。しかも、大事な舞台の直前。
代役は…? 遂にこの時が来た。跡取りとして。
誰もがそう思っていた。
が…、半二郎が指名したのは、まさかの喜久雄だった。
思わぬ事に動揺する喜久雄。俊介も。
これをきっかけに、二人の運命と歌舞伎人生は大きく変動していく…。
吉沢亮と横浜流星。人気のWイケメン。それだけに留まらない。
演じた役が歌舞伎界を背負って立つのなら、二人はこれからの日本映画界を背負って立つ若手実力派。いや、若手と言うのも失礼なくらいの頼もしさ。
この二人の共演も見たかった理由の一つ。
にしても、同性から見てもお美しい二人。女形は大正解。
勿論ビジュアルだけじゃない。二人共、超売れっ子。過密スケジュールの中、一年半にも及ぶ歌舞伎の訓練。
たかだか一年半の訓練だけで舞台に立てるような世界ではない。人間国宝となった歌舞伎役者であっても修行に勤しむ。芸の道に終わりは無い。
本来歌舞伎役者でもない、訓練の期間も限られている。それでも歌舞伎役者になりきり、魅せた役者魂!
あの流し目一つ、表情一つ、振り一つ、発声や歌舞伎演技全てに、引き込まれる…。
プロから見れば至らぬ点多々かもしれないが、素人から見ればベタな言い方だが本場の歌舞伎役者にしか見えない。本当に役者の才や力量に驚かされる。
序盤の演目でさえ魅了されるが、共にさらに芸を身に付け、紆余曲折あって熟練。クライマックスで披露する演目は真に迫るほど圧巻…。
歌舞伎役者になりきっただけじゃなく、本来の役者としての複雑な内面演技も見て欲しい。
喜久雄と俊介。性格は真逆。
喜久雄は物静かで真面目。真摯に芸や修行に打ち込む。
一方の俊介はパーリーピーポーな性格。芸と修行の合間、遊び歩く。
私たちが抱く歌舞伎役者のイメージは喜久雄だが、ゴシップやスキャンダルを提供した人気歌舞伎役者もいたね。奥さんと出会って改心し、奥さんを亡くし、二児の父親として今は落ち着いたけど。
当初はそんな性格と印象だが、あの衝撃の代役を受けてから、二人の性格と印象も二転三転し、それを巧みに演じ切る。
尚、少年時代の二人を演じた『怪物』黒川想矢と『ぼくのお日さま』越山敬達の順調なキャリアも嬉しい。
世襲は当たり前。そんな中、赤の他人。
俊介のショックは計り知れない。突然家に上がり込んで、何もかも盗んでいって、泥棒と同じ。喜久雄の胸ぐらを掴んで、怒りをぶつける…フリをするが、内心は本心だろう。
喜久雄とて胸中は穏やかではない。寧ろ、俊介以上に動揺。何故、自分が…?
歌舞伎の家に生まれた訳じゃない。任侠の家に生まれた。自分の中には任侠の血が流れている。
生まれは関係ない。才なのだ。
喜久雄はただただ、女形の才があった。それだけなのだ。
酷でもあるし、妥当でもある。しかし、そういう世界なのだ。
歌舞伎の世界だけじゃない。あらゆる各業界全て。才と実力が生きる。
半二郎の判断は間違っていなかった。さらに厳しい稽古を経て、喜久雄は大役を成功させる。
本番直前。手の震えが止まらない喜久雄。自身の生まれや弱音を吐く。
俊ちゃんの血が飲みたい。自分には歌舞伎の血が流れていないから。
勇気付けたのは俊介。芸があるやないか。
俊介に代わり、名実と共に半二郎の後継者となった喜久雄。
俊介は喜久雄の演技を見届け、歌舞伎の世界から去る。その傍らには、俊介に同情した喜久雄の恋人・春江が…。
喜久雄にさらに名誉。俊介が襲名する筈だった三代目半二郎の襲名。
半二郎は白虎を襲名するが、その身体は病魔に蝕まれていた。
それでももう一度舞台に立ちたい…。
が、口上の途中で吐血して倒れてしまう。
その時、半二郎が求めたのは…
俊坊…俊坊…
師から才を認められたのに、師が最期に求めたのは“血”だった…。
半二郎の死。悪い事は続く。
喜久雄にスキャンダル。任侠の生まれ。部屋子時代に出会った芸妓との間に隠し子。
名門丹波屋が傾き、喜久雄は端役しか与えられない。スポットライトを浴びた舞台から一転して、奈落の底へ…。
そんな時、思わぬ人物が帰って来る。
俊介。春江との間に一児を設け、どさ回りなど苦労を経験し、一回り人間的にも成長。
後ろ楯には、かつて喜久雄も俊介も圧倒された日本一の女形で人間国宝の万菊。
一方の喜久雄は大御所歌舞伎役者の娘・彰子と付き合っていたが、父親に取り入る為だった事が発覚し、さらに立場を悪くする。
喜久雄は丹波屋を去る。傍らには、父親から縁を切られ、騙されたと分かった上でもついていくしかない彰子が…。
かつての俊介と立場逆転となったが、これから行く道の険しさはまるで違う。
真面目そうに見えて、女癖の悪さ。本人の性分か、本来の血か…?
去る間際、俊介と相対する。あの時の俊介と同じく怒りをぶつける…フリをして、本当にお互いの感情が爆発。取っ組み合い、殴り合いに…。
一度去った血筋の者が戻り、才を認められた筈の血筋じゃない者が去る。
喜久雄は吐き捨てる。結局、血やないか。
その後の喜久雄の姿は見てられない。
落ちぶれ、荒み、どさ回り中チンピラに絡まれる。TVには再び歌舞伎界のスターとなった俊介の姿。
彰子との関係もぎくしゃく。
あるシーンの虚ろな目と表情は今の喜久雄を物語る。
自分に未熟な所はあった。
それでも血だけじゃない事を信じ、芸に打ち込んできた。
自分はここまでなのか…?
あの時の代償か…?
いつぞや神社にて手を合わせた。神様に願ったのではなく、悪魔と取引…。
悪魔が栄光を見せた後、地獄へ叩き落としたのか…?
が、芸の神様は見捨ててはいなかった。
万菊から声が掛かり、喜久雄は再び歌舞伎の世界へ…。
二人の若き天才歌舞伎役者の人生がドラマチックに展開。
難点もある。時代ものだから時々展開が早い。俊介も喜久雄も歌舞伎の世界に戻ってからあっという間。多少のベタな設定やご都合主義もある。そこら辺、800ページ以上に及ぶ大長編の原作小説には細かく書かれているのであろう。
本作に限った事じゃないが、原作小説の全てを映像化する事は到底無理。省略や纏め上げ、壮大な大河ドラマに仕上げた奧寺佐渡子の脚本も見事。
時に観客視線、時にクローズアップで役者の一挙一動を逃さない。フランスのカメラマン、ソファアン・エル・ファニによる映像美。
歌舞伎を完全再現した種田陽平による美術、衣装や化粧・床山も本格的。
言うまでもない李相日の名演出。
厳しい師/父親であり、初の大舞台に挑む二人に優しい言葉をかけ、自身も当代きっての歌舞伎役者として舞台に立つ事を望む。渡辺謙の存在感。
圧巻は万菊役の田中泯。出番は少ないが、前衛舞踏家としての本来の面が女形に活かされ、バケモン級の凄みと、狂気すら感じる演技と、完成された美しさと佇まい。
この万菊が人間国宝でありながら、晩年はボロアパートで孤独に病に伏せっている姿は衝撃でもあった。
歌舞伎は男の世界。なので、高畑充希、森七菜、見上愛、瀧内公美(ラスト近くのシーンは特筆)、寺島しのぶら実力派/注目株の女優陣が揃えられながら、脇に留まってしまっているのは致し方ないとは言え、残念。
が、皆が名アンサンブル。熱演。
映画だが、歌舞伎もたっぷり見せ、あたかも本場の歌舞伎を見ているような錯覚さえも。
全てが超一級。堂々たる3時間。
歌舞伎の世界に戻った喜久雄。
俊介との女形コンビの復活に、世間は沸く。
が、またしても…。
俊介が糖尿病となり、片足を切断。舞台に立つ事も後進に稽古を付ける事も出来なくなり、俊介の息子の稽古は喜久雄が付けていた。鳴り物入りで歌舞伎の世界に入った若者は指導する立場に。
舞台に立つ事を絶たれたかに思えた俊介だが、それでももう一度舞台に立つ事を望む。
二人で挑む『曽根崎心中』。歌舞伎の演目はほとんど知らないが、『曽根崎心中』はほんの少しだけ。劇中披露される演目がその時の心情とリンクしているのが巧み。
演技中、俊介は体力の限界で倒れる。喜久雄は聞く。やれるよな? 俊介は答える。当たり前や!
当初歌舞伎の世界を冷ややかに見ていたがいつしか魅了されていく興行主の二代目の台詞が見る者全てを代弁する。こうは生きられない…。
あなたにも、私にも、こんなにも打ち込めるものはあるか…?
文字通り、その道に生き、その道に死ぬ。
実の父を亡くしても、
血筋じゃなくても、
犠牲や傷を負わせた者が居ても、
悪魔に魂を売っても、
師を亡くしても、
どん底に落ちても、
ライバルであり親友を亡くしても。
天からの授かり物。この世界で生き続ける。
いや、自分で選んだ。もう一度見たかった。見た事ない景色を。
その生きざま。
芸。才。ただひたすらに一つのものに打ち込み、極め続け、頂きに達した存在を“国宝”と呼ぶ。
そしてそれを打ちひしがされるほど魅せてくれた映画の事を我々は“至宝”と呼ぶ。
いろいろな意味で力作
とにかく撮影が美しい。役者も子供時代役も含めて相当な訓練を積んだと思われる。歌舞伎界についてはゴシップレベルしか知識もなくその芸の凄さもわからないが、そうした素人にもスジをわからせられるだけの演出と演技だった。ストーリーも長尺だがダレることなく大河ドラマを堪能した。満足感。実際の歌舞伎界がどのようなものかはわからないが、関係者が多数協力していることから、大きく外れていることはないのだろう。森七菜も大人になったなあ。田中泯、顔が美しいのは役者にとってマイナスなんてセリフもあっなあ。
人間国宝も軽く見られたもんだ
歌舞伎は1か月に1回位は観ている。ファンには悪いがいくらエンタメとはいえ、これは書かねばならないと思った。原作を読んでいないので映画だけの感想。
冒頭に、半次郎が喜久雄の踊りを素晴らしいと誉めるのが物語の始まりだが、この踊りがちっとも良くない。声もひどい。喜久雄がもっと小さくて踊れてスゴイと見込むならまだ理解できるが、15歳でこの程度なら踊れる役者は大勢いる。その1番大切な部分がおざなりだから、シラけてしまった。
そしてスポ根場面。今より体罰も許された時代だから、そういう指導者もいたかもしれない。しかし、よく年配の役者さんが「稽古が厳しかった」というのは、こういう意味では無いと思う。そして事あるごとに御曹司は血が守っていると言うが、それこそ歩き始めた頃から稽古をする精進の賜物なのにその様な説明が無い。まるでDNAにアドバンテージがあるかのように誤解させる。
半次郎が事故に遭いその代役でチャンスを得るが、「曾根崎心中」で渡辺謙が「お初」を演じる筈だったという設定はかなり厳しい。渡辺謙はどう見ても立役。一体全体、どういう個性の役者に描きたかったか不明。
喜久雄は途中舞台を離れヤサグレても結局人間国宝になるのだが、これまた説得力が薄い。彼の努力は取り立てる程ではなく、お客様を大切にするシーンは皆無で、芸の為に生活を律して何かを我慢した訳でもない。努力したのは高校生の時と、不遇の時代に芸ではなく卑劣な方法で上に取り入ろうとした時、悲しみを芸の肥やしにしてあとは才能で国宝になりましたとさ。それは現在の多くの役者、何より人間国宝に対して随分と失礼じゃないだろうか。
吉沢亮と横浜流星の女形はとても綺麗で頑張ったとは思う。しかし歌舞伎を観慣れた者にとって舞台シーンは至極普通。初めて早替わりを観た人は感激したのかもしれないが全然珍しくない。それなのに道成寺や曾根崎心中のワンシーンを演じただけで、すごいでしょの押し売りされても、唯一無二の特別感は伝わらない。画面が綺麗というだけで、どうして「人間国宝」の舞踊として観ていなければいけないのだろうかと、その違和感で変な気持ちになった。これは国宝じゃ無い。偽物だ。
任侠出の俳優の出世物語なら、それに相応しいタイトルを付ければ良い。その方が腑に落ちたし、エンタメとしてずっと楽しめた。
どうしても「国宝」というタイトルを付けたいのなら、役者が日夜どんなに地味に努力しているのかを、もっと丁寧に描くべきだった。歌舞伎役者と他の役者と、何がどう違うのかという事にも、監督は全く興味が無かったようだ。国宝というタイトルには程遠い、随分と薄っぺらい内容。これ観て喜んでいる日本人は、富士山、芸者と言って喜んでいる外国人の感覚なのだろう。
映画が小説を上回ったと感じたのは、春江と万菊。
観ました、国宝。
上映前からのプロモーションや配役の投資額が並大抵ではなく、絶対に失敗は許されない映画という印象。
李監督はじめ、プロデューサーの方々は相当プレッシャーだったのでは。
まず、圧巻の一言。
何度も胸が締め付けられた。
吉沢亮と横浜流星が見事だったし、若き頃の俊ぼんと喜久雄ももっと長く観ていたかった。
175分と言えども小説の上下巻をそのまま映画にする事は不可能なのか、ストーリーはだいぶ端折られていた。
この物語はただ歌舞伎を魅せるだけでも、ライバルの友情を語るだけのものでもない。
映画だけでなく小説も読んでおくと、年月が動いた際の背景が見えてくる。
映画が小説を上回ったと感じたのは、春江と万菊。
高畑充希の声のトーンがとても良かった。あの声のおかげで、なぜ俊ぼんについて行ったのか、愛する喜久雄に応える事が出来なかったのか、読み取れた気がした。
万菊は、小説以上に万菊。
声の出し方、所作、目線。全てが不気味で妖艶。素であんな人がいたらゾッとしてしまう。
印象的なのは喜久雄が屋上で白粉を落とさずに狂ったように踊るシーン。主役の座から降ろされ、出演出来る舞台もなく、からっぽ。
そんな状態であっても、踊ってしまうんだな。芸に魂を売った人間は。何と非情な事だろう。
ぜひ、映画館で見て欲しい。
映像も音楽も素晴らしい。
特に映画館内で地面から鳴るような、重低音に注目して欲しい。あの音がさらに胸を締め付けてくる。
終始、胸を締め付けられていたのだが、最後のluminanceの歌詞に心が救われた。
喜久ちゃんは、人間国宝で良かったんやんな。
175分も長くはない
皆さん言われてるように、圧巻の一言。あの小説を約3時間に収めてるので、全てを入れ込めないのが残念なくらい、もっと観たかった。
主演の吉沢さん、助演の横浜さんは言わずもがなですが、他の俳優さんもそれぞれの役どころで作品を支えてくださってましたね。
まだ一度しか観てないので全てを語る事は出来ませんが、特にぐっと来た場面は喜久雄が半次郎の代役を務める舞台の、幕が開く前の楽屋のシーンです。予告でも少し流れてますが、自分には助けてくれる血(血筋)が無いと「俊ぼんの血を飲みたい…」と震えながら一筋の涙を流し、俊介に言うんですが、ほんとに切羽詰まった喜久雄の表情。そして予告の俊介の「芸があるやないか」のセリフと涙をぬぐってあげるシーン。胸が痛くなりました。
もう一つは、最後二人で踊った曽根崎心中。俊介演じるお初が軒下に隠れている喜久雄に心中する気があるのか?と暗に問うセリフがあり、お初の足を喉元に当てるというシーンです。実はこの前段階のところで、もう病気で左足を膝下から切断していて義足なんですが、もう片方も同じように壊死してしまえば両足とも切断だと言われてた。本番で喜久雄が掴んだ足は右足。すで壊死が始まってました…。必死にお初をやり遂げようとする鬼気迫る俊介と、その足を見て震えながら掴む喜久雄の心情を考えるともう涙が止まりませんでした。
これはほんの一部。何度か視点を変えて見てみると、もっと深く作品を知れるかもしれません。
当然、映画にする時点で全ては入れられないので仕方ありませんが、喜久雄と俊介に絞ったストーリーでよくぞここまで作り上げてくれたものだと思います。
「バケモン」映画生まれる
ネタバレ注意
先に言うが、今回のレビューは3000字を超え
言わば大学のレポートのような感想となっている
それと同時にネタバレを語ってしまっている為、
見た人とこの作品にとてつもない衝撃を受けた人に
ぜひ読んでほしい。
自分がこの作品を一言で表すなら「バケモン」である。
それ以外にこの作品への表現が見当たらない。
ここ数年映画の表現の偉大さに取り込まれ、
衝撃を受けた作品は何本もある。「ヤクザと家族」「ある男」「正欲」「ラストマイル」これらは個性・特性が
とてつもない力が込められており、どの作品も素晴らしくその中でも1番を決めることができない。
私にとってそんな影響を受けた作品はここ数年で何本も出てきた訳であるが
「国宝」という存在を目の前にした以上他のことが考えられなくなったり、映画が終わって明るくなって数分間座席から立てなくなる程の虚無感を与えられた。
この表現が正しいかどうかは自分でも決める事ができないがただ、そう表現するのが適切かもしれない。
そんな感情になる程国宝という作品は主人公「立花喜久雄」の人生をバケモンのように描いていると私は考える。
何故「バケモン」と表現しているのか
それは喜久雄と俊介が初めて人間国宝 小野川万菊による
演目「鷺娘」を見た時に放ったセリフに
「バケモンや」、「バケモンでも美しいバケモンや」という
言葉を2人から出たのである。
そうしたように人間国宝の影響から2人の人生はとてつもない壮絶な時を過ごすのであった。
だからこそ私はそのフレーズを当てはめてこの作品への感想と賞賛を語りたい。
そして血の繋がらない兄弟以上の関係となっていく
「喜久雄」と「俊介」
この2人の織りなす生涯は観客の多くを魅了していき、かくいう私自身はとてつもない衝撃を与えたのだと感じる。
その上で私は吉沢亮と横浜流星にとてつもない賞賛を送りたいと思う。冗談抜きで2人の俳優にとっての代表作だと確信を得ただろう。
吉沢亮と横浜流星
横浜流星は以前から「ヴィレッジ」、「正体」など
藤井道人監督作品にエースのように活躍していき、
私自身も彼が大好きになった。
だからこそ「国宝」のメインキャストに横浜流星の名が見えた瞬間「あっ、これは間違いない作品だな」とキャスティング発表から期待がとてつもなかった。
だからこそ楽しみでしかなかった作品でもあったが、彼の表現や存在感は前評判の想像を遥かに絶していたと今になって考える。
上方歌舞伎の名門の御曹司として生まれた俊介にとっては喜久雄との出会いが壮絶な人生への歯車になっていった。次第に兄弟のような関係性として互いに歳を歩んでいったが、喜久雄の「バケモン」のような表現によって人生が目紛しく変わっていっただろう。そうした中で横浜流星という俳優は穏やかでありつつも怒涛のような演技をしていき、これからも敬愛せざるを得なくなっただろう。
そして吉沢亮
私が思うには彼の代表作に間違いなく名を連ねると確信し、彼の役者人生に大きな影響を与えたのではないかと考える。
私にとって吉沢亮のイメージとしては
「キングダム」や「なつぞら」など良くも悪くも「イケメン俳優」のような軽い印象しか持っていなかった。カッコいいのは間違い無いが、これまで彼の演技に心を打たれたことはあまり無かった。そして昨今でいえば彼自身のトラブルによって俳優生活に大きく影響を与えてしまっただろう。この後公開される「ババンババンバンパイア」も事件の当初で延期になる程「何やってるんだよ」としか思えなかった。ただ穏便に終息していったことによってこの作品も何とか公開にありつけたが、
だからこそ「国宝」という作品は間違いなく彼の名声を取り戻すチャンスであり、それ以上に彼の役者人生に影響を及ぼす作品でもあるだろう。
私がそう思える以上に彼の演技ないし表現は
タイトルの「バケモン」に当てはまることができ、この作品の圧倒的さを決定付けるものだったと感じている。
15歳半ばで父親を抗争で亡くし、母親を原爆の後遺症で亡くすという青年期から壮絶さを物語っていた喜久雄という主人公は次第に上方歌舞伎の名門に引き取られ、歌舞伎の世界に徐々にのめりこんでいく。最初は歌舞伎の素晴らしさに影響を受けながら表現のスキルが上達すると共に、人間国宝小野川万菊の出会いを契機に歌舞伎役者ないし自分自身の人生が目紛しく発展していく。いつしか兄弟のように歩んできた俊介の人生を狂わせる程の「バケモン」となっていっただろう。そうして彼は歌舞伎役者の血がないことをもがき苦しみ、いつしか悪魔と契約するほどの絶望の時期を迎えることになっていった。
再三言ってしまうが吉沢亮ないし立花喜久雄という人間の人生は「バケモン」であり、見る者の多くに衝撃を与え、飲み込んでいく。
そんな彼の生涯を描いた「国宝」という作品は
他にも「バケモン」と表現できる点がいくつも
あるだろう。
歌舞伎
本作の舞台でもある「歌舞伎」そして
「100年に1本の壮大な芸道映画」というキャッチフレーズはこの作品を表現する唯一無二の言葉であるが、私自身は歌舞伎を生で見たことがなく、数々の歌舞伎役者の活躍があるなどそんな軽いイメージしかなかった。そんなイメージしかなかったからこそ歌舞伎の表現ないし歴史は何百年、何万もの人によって作られていき、私も今日はじめて歌舞伎の世界を目の当たりにする運びとなっただろう。
「藤娘」「二人道成寺」「曽根崎心中」「鷺娘」
これらの演目は喜久雄にとっても俊介にとっても生涯に避けることのできない影響を与えたものである。2人の人生を壊していき、繋いでいき、そして国宝へと導いていった演目であるのだと心から思う。同時に歌舞伎を知らないからこそ私と同じように初めて触れる多くの観客がこの作品を通じて「歌舞伎」の壮大さや素晴らしさに魅了されたのだと間違いなく言える。
劇音楽
この作品を語る上で外せないのが、劇音楽であるだろう。端的に言ってしまえばこの作品の魅力を何よりも表現したのが劇音楽であり、この作品の壮大さを表現したのも劇音楽であるだろう。これらは作品自体を唯一無二の存在に仕上げてゆき、一つの芸術として作りあげていったのだろう。立花喜久雄と大垣俊介という2人の人間の壮絶な人生を完璧に表現していき、見る者多くの感情を乗っ取ったかのような音楽でもあったと何度も考えてしまう。
そうして「国宝」という作品を語る上で外せない劇音楽はエンディングテーマとして原摩利彦・井口理による「Luminance」で締めくくる形となった。
私自身の話になるが昔からking gnuが大好きで何度もライブに行くほどのファンであるがこれまでking gnuないしMILLENNIUMPARADEがエンディングを務める作品が何本も世に放たれていった。
昨今でいえば名探偵コナンや呪術廻戦などアニメ映画のテーマを担ってきたが、私にとって最も影響を与えたのは「ヤクザと家族」のEDのFAMILIAだった。冒頭にも名を載せたこの作品は「山本賢治」というヤクザの壮絶な人生を描いた内容でもあり、儚いエンディングと共にこのFAMILIAが流れた瞬間、2度と感じる事のできない感情に襲われたのだった。
だからこそ今回「国宝」という作品のエンディングに井口理が参加することで期待が更に上がったと共にエンディングに入るまでの約3時間の衝撃、そして井口理の唯一無二の歌声で作品が締めくくられることとなった。
だからこそこの作品の劇音楽ないしエンディングテーマは他の作品と似たようで似つかない
「バケモン」とも表現できるのだろう。
改めて音楽を担当した原摩利彦そして井口理に賞賛を送りたい。
映像
ここまでとてつもない長文でこの作品を可能な限り語ってきたが、最後に語りたいのは
「映像」である。これこそがこの作品を「バケモン」と語る1番の由縁であり見る者の多くを飲み込み、私自身もとてつもない衝撃を与えた要因の大部分にこの「映像」が当たるだろう。
「国宝」が織りなす映像美はどの作品と比べても唯一無二の存在であり、一つの芸術作と表現するような完備な仕上がりとなっていたと感じる。
映像美こそ本作の素晴らしさないし恐ろしさでもあり、「歌舞伎」「舞台」「背景」などと簡単には説明できないほどの圧倒さを持っていたと思う。だからこそこればかりは上手く表現できない感想でありつつ、それと同時に私自身の衝撃は見た人によって捉え方や感じ方は大きく異なっていくが、間違いなく感動や衝撃をこの映像によってもたらされるのだと何度も考えてしまう。最後に監督を務めた李相日、撮影のソフィアン・エル・ファニ、美術の下山奈緒をはじめとした「国宝」を作り上げた全ての関係者にとてつもない賞賛を送りたい。
「国宝」という作品は間違いなくこの数年での衝撃や影響を与えた作品に名を連ね、毎年良く私は1年間で映画館で見た作品ランキングでは今年の一本となっていくだろう。
現に見終えた数分後に翌日分のチケットを買ってしまったもしかしたらここまで語ったように捉え方や感じ方は明日になれば大きく変わるかもしれないが、この作品を見終わった数分間席を立つことができず、虚無感を与えられ、そして何よりもこのくらいの文量になる程の影響や衝撃を間違いなく受けた。
だからこそこの作品を私は改めて
「バケモン」のような作品が生まれたと感じる
うつくしさよりも生々しさが印象的
原作未読、歌舞伎はハマるの怖くて敬遠、だけどべらぼうの横浜流星さんと、PICUの吉沢亮さんのとりあわせに惹かれて鑑賞しました。
公開後初の土曜日朝一の上映回で、150席のシアターがほぼ満席。老若男女、偏りなく来てはる感じでした。
・ほぼ3時間な上映時間はやはり長い…久々に映画で腰が痛くなりました。
それでも尺が足りない大河ドラマなので眠くはなりませんでしたが、原作を端折ってるんだろうなーって脚本の飛躍具合にはところどころ混乱しちゃいました。
・子役で演じる時代の描写が長くて意外に思いましたが、「怪物」が大好きなので、黒川くんの活躍には、おお…!と内心で拍手喝采でした。
・吉沢さんのお顔はひたすら整ってる感がつよいので、黒川くんが育って吉沢さん、ってのがあまりしっくり来てなかったのが、どさ回り時代の喜久雄が屋上で酒瓶呷って踊るあの場面で、急にすとんと腑におちました。幼いころの面影が…!って。
・一番印象的だったのは、紆余曲折を経てからの二人道成寺。
二人揃って一度どん底を味わってからの、蓮の花みたいに絢爛で華やかな舞台が眩しくて。なのに引き映像での美しさよりも、多用される役者のアップでお白粉や口紅の下のなまなましさの方が前面に出てくるところの業の深さというか。
・自身の嗜好的には、悪魔に魂を売って芸を極めていく喜久雄に、名跡も家族も何もかもを奪われていく感のある俊介の悲哀の方がぐっときてしまったのですが。
御曹司のぼんぼんで周囲には愛されていて、それでも本物の役者になりたいと足掻いてしまって、一つの境地に辿りついたかと思ったら舞台に立つための脚も命も奪われていくのほんと残酷で。
横浜さんがインタビューとかでお話になってる重心の高さ、ノーブルな人品のよさが出ていて改めていい役者さんだなあ、と思いましたのこと。
・役者さんでいうと三上愛さん演じる芸妓・藤駒のうつくしさと業がツボ。高畑充希さん演じる春江との関係が昨年の大河での定子と彰子の関係も彷彿とさせられてしまいました。
・総じて、役者のみなさんの演技や衣装やセット、画面のうつくしさや生々しさが興味深かったですが、主題というかストーリー展開には???が多かったので、原作読んでみようかな、と思いました。
うつくしい。
まず出てくる感想は、「傑作だ!」。
本作品、1960年代の長崎から始まり、大阪に舞台を移して2014年のラストまでの約50年間を描く大作。もちろん上映時間も175分と長い。
観る前は、その長さがちょっと不安だったのだが、まったく問題なし。
あっという間の3時間だった。
****
とにかく映像がきれい。特に歌舞伎の舞台を撮った場面は素晴らしい。
この美しい映像がこの作品の肝でしょうね。
そしてその美しい映像に映える吉沢亮のきれいな「顔」。
この作品、吉沢亮でなければ撮れなかっただろうな……
横浜流星も超絶イケメンだけれど、女形の姿では、吉沢亮の存在感が圧倒的。
登場人物のキャラ的には、配役が逆でもよかったのかもしれないが、女形の姿の美しさを見たら納得。素晴らしかった。
そもそも、この作品のテーマの一つは「美しさ」だと思う。
「美しさ」に魅了された人々が紡ぎだす狂おしいまでの物語。
吉沢亮演じる主人公、喜久雄は、実は劇中ほとんど感情の動きを見せない。
彼の感情が大きく動くのは、その尊厳が脅かされるときに示す激しい「怒り」と、「美しさ」に対する強い憧憬だけだ。
それ以外の感情はほとんど描かれない。
彼を突き動かしているのは、「美しさ」に対する強い衝動だけだ。
その衝動が、彼自身と彼に関わる人々の運命を翻弄してしまう。
****
物語の本筋は、吉沢亮と横浜流星が演じる2人の歌舞伎役者の人生をなぞるように進んでいく。
そこに横糸として織り込まれるのが、歌舞伎に関わる女性たちの物語だ。
寺島しのぶ演じる歌舞伎一家のおかみは、歌舞伎役者の妻であり母である立場で、運命の荒波に翻弄される。
この役も、寺島しのぶだからこそ、という快演だった。
おそらくは制作陣が歌舞伎一家の彼女を敢えてキャスティングしたのであろうが、見事に奏功していると思う。
妻であり母である彼女を襲う運命を見事に演じている。素晴らしい出来だ。
また、吉沢亮演じる喜久雄に関わる4人の女性たちも、歌舞伎役者である彼に関わったがゆえの運命の転変に翻弄されていく。
物語の終盤で、数十年ぶりに父である喜久雄に出会った娘のアヤノが口にした言葉がそれを象徴している。
「あなたはどれだけの人々の犠牲のうえに、今の地位に立っているのか」
しかしそれは、「美しさ」で人を魅了するためには避けられないことだった。
だからアヤノは言う。
「でも、歌舞伎役者花井半次郎(喜久雄)の演技を観ると、突き動かされるように全力で拍手を送ってしまう。……お父さん、本当に日本一の歌舞伎役者になったんやね」
****
吉沢亮と横浜流星の少年時代を演じた2人の役者にも触れないわけにはいかない。
黒川想矢と越山敬達だ。
黒川くんは、「怪物」で主人公を演じ、その後も映画やドラマの出演が続く注目俳優。
この映画でも素晴らしい演技を見せていた。
女形の美しさでいえば、吉沢亮に引けを取らない。
末恐ろしい才能だ。
越山くんは、『ぼくのおひさま』で主演を務めた、こちらも注目俳優のひとり。
正直、背が高くなって感じも変わっていたから、同じ人物と気づかず、映画が終わってから調べて初めて分かった。
でも、後から納得。あの瑞々しい演技は得難い才能だ。
ちなみに『ぼくのおひさま』は、昨年観た映画のなかで僕の一押しの映画だ。
****
間違いなく、今年の邦画の1,2を争う傑作だ。
映像美はもちろん、物語も秀逸。
一番のクライマックス、歌舞伎「曽根崎心中」のラストを描いた場面。
自然と涙がこぼれたし、劇中の歌舞伎の観客と一緒に、思わず拍手を送った。
映画を観ることの醍醐味を味わわせてくれる素晴らしい作品です。
至極の超最高傑作! これ以上の作品にはもう出逢えないかも知れない!
(Vol.2)
感じた事が全く書かれていないvol.1を上げて終わったままでスミマセン。
私、病?にて ちょっと横になる羽目に・・・でして。
体調がちょっと戻ったので 続きを。(誰も読んじゃイネェ~ ってか。(;^ω^))
(感じた事)
・圧倒的な歌舞伎の舞台美。緞帳を境に表と裏世界に魅了されます。
そして演目の限りなく華やかで美しい事。見事でたまりません。
・次に予告トレ-ラですね。 ”結局血やん・・・”、ビルの上で悩み踊る喜久雄の姿と、BGMの壮大さ。ここの5秒程みて コレだと思いましたわ。
タイトル ”国宝”って 肩透かしじゃ世間は決して許さない二文字。
非常に作りのセンスが絶妙で良く、掴みは絶大だったと思います。
・チラシは2カット持っており、吉沢さんのカットと、二人道成寺で横浜さんと吉沢さんが向き合ってるカットですね。こちらの向き合ってるカットがとってもイイですね。吉沢さんの右目に朱を入れてるのも 意味アリ気で興味そそります。
・そしてなんと言っても音入れが素晴らしい。
通常歌舞伎の囃子には 大鼓、小鼓、笛〈能管〉、太鼓 など和楽器が全て。その音だけにしてしまうと舞台上の演目は良いのですが、芸人役者の心理心情はこれでは兼ねられない。原摩利彦氏が生み出す音の全てが非常に画にマッチして心地よく観ている側に深く入ってきます。
トレ-ラ見た時に感じた心地よさが本編見てもシッカリとメインで入っており、この点が本作の持つ素晴らしい力点だと感じました。
・主題歌:「Luminance」が上手く心に浸透し エンディングの余韻を創っています。最後に舞台に舞うあの雪。あの景色を喜久雄と一緒に観て そして共に感じる心の流れが 観ている側とシンクロしたと思うのです。その長い長い駆けて来た半生の時間と、たとえ国宝となっても どうする事も出来ない自身から湧き出る淋しさが そこには有ったと感じます。
見事なエンディングを飾る 井口理さんの歌でした。
・喜久雄少年期の 黒川想矢さんですね。何処かで見かけたと?思ったら
映画”怪物”の湊くん。こんなに大きくなっちゃって。しかもイイ男。
彼は頬のホクロと上唇が少し上に反ってる感じが特徴。
確かに 若い時の役は難しかったと思うのですが それに動じる事無く見事に演じ切ってる所がす凄いです。今後の活躍に大いに期待です。
・俊介少年期の 越山敬達さん。彼は映画”夏目アラタの結婚”の刑務所の犯人と文通を遣ってた少年卓斗くんなのですね。
彼も俊介の大事な若い時代の役柄で、父の後を追いかけている姿を立派に演じていたと思いますね。
二人共女形を演技では無くて そのものを遣ってのけていたと思いました。
その意気込みがシッカリ観ている側を十分に魅了していたと思います。
二人共重要な部分だけに配役は良かったと感じます。
・横浜さん演じる息子の花井半弥。映画”正体”で最優秀主演を獲りましたが 私は本当の所あまり良くなかったと感じてました。周りが獲らせてあげたの声があってやっぱりそうなのかと。実は”流浪の月”の彼(中瀬亮役)が好きなんです。あれならあげられるかと。
今作、あの時と同じ監督:李相日さんとでタッグ。
この半弥の難しい心の流れを絶妙に醸し出していたと感じますね。
吉沢さん相手に殴り喧嘩とか。本気で殴ったら吉沢さん顔が吹っ飛んじゃう・・・だからそこはメッチャ手加減でしたね。
決して相手を憎まず裏切らない同志的存在。そして半二郎の息子として その価値観をしっかりと表現出来ていたと思います。
・見事な花井東一郎を演じきった 吉沢亮さんに心から拍手。
凄い凄い~、素晴らしいです。いや それ以上に歌舞伎と言う女形を真正面から激しくぶつかって行ったのが分かります。
今までの出られた作品でもそうでしたが、今作程、非常に魅了された役は無かったと思うのですよ。また一際美しい女形。たまらんですよ。
父を亡くした苦しい少年期から、弟子入りして、初舞台を演じ成功して。
そして運命の代役。三代目に成って行く姿と それらに期待する周囲と同時に囁かれる嫉妬。そして絶望と焦り。
なぜ自分が襲名してしまったのか。血とは何か。あれ程 欲しいと言ったのに。
それを物凄く心の底に感じ取って 激しく傷ついたと思うのですね。
お見事でした。彼に最優秀主演賞を上げたい思いです。
-------------------
(Vol.1)
こんな日が来るとは思わなかった思いです。
総てに於いて本当に素晴らしい~ の一言。
圧巻のアッと言う間の175分でした。凄すぎましたわ。
今日は期待の一作「国宝」の鑑賞です。
感動の波動域がかなり高くずっと続いており、観ているこっちもアドレナリンが出っぱなし。見終わった後も感動域が深すぎて元に戻ってこないです。
観た後に車の運転したんだが、こんな運転ヤバく成るの初めてかも。
映画鑑賞直後は お茶でもして心情が落ち着くまで待った方が良いですネ。
興奮冷めやらずです。
また映画の評価指標は★5までなのに ★6枠いる事態になって
本日以降、評価基準を変えないとイケない事態に突入ですね。
という事で、ハシゴでまだ観る予定作全部キャンセルして
レビュ-書いてます。 (こんなの初めて (。・ω・。) )
原作:吉田修一氏 「国宝」
監督:李相日氏
脚本:奥寺佐渡子氏
---------素晴らしい役者陣------------
・立花喜久雄/(花井東一郎)役:吉沢亮さん
・喜久雄(少年期)役:黒川想矢さん
・立花権五郎役(喜久雄の父、任侠組長で殺される):永瀬正敏さん
・立花マツ役(喜久雄の継母):宮澤エマさん
・彰子役(吾妻千五郎の娘、喜久雄の妻):森七菜さん
・吾妻千五郎役(彰子の父、大物上方歌舞伎役者):中村鴈治郎さん
・藤駒役(京都花街芸妓、喜久雄の愛人):見上愛さん
・綾乃(カメラマン、藤駒と喜久雄の娘)役:
・大垣俊介/(花井半弥)役:横浜流星さん
・俊介(少年期)役:越山敬達さん
・花井半二郎役(俊介の父):渡辺謙さん
・大垣幸子役(俊介の母):寺島しのぶさん
・福田春江役(喜久雄の幼馴染み、俊介の内縁の妻):高畑充希さん
・梅木役(歌舞伎の興行会社三友社長)嶋田久作さん
・竹野役(三友社員):三浦貴大さん
・小野川万菊役(人間国宝の歌舞伎役者):田中泯さん
主題歌:原摩利彦 feat. 井口理 「Luminance」
-------------------
(流れ展開) (注意)※ハッキリネタバレ書いてます
歌舞伎と言えば女形。
この女形を巡って行く 歌舞伎役者の舞台の表裏世界の話。
長崎の新年会の席で、立花喜久雄は出し物の女形を披露し 来ていた花井半二郎の目を惹いた。所がその席で任侠の父が抗争で目の前で殺される。復讐に行くが失敗する喜久雄。一年程は世間とご無沙汰だったが、父の死後行くところは無し。
世話役の人に連れられて来たのは大阪 歌舞伎役者・花井半次郎の家へ。
喜久雄が女形の才能を持っていた事が半次郎の記憶にあったからだった。
そこで半次郎の息子 俊介と共に必死に稽古に明け暮れて、やがて初舞台を踏む時が来る。人間国宝の小野川万菊にも出逢う事があり その事が後に彼を助ける事になるとは この時の喜久雄は思いもしない。
兄弟のように育つ二人だが、自分には俊介の様な名門歌舞伎役者としてのお家の血筋が無かった。この事がどんなに半次郎の亡き跡目を継ぎ三代目を世襲しようとも
周囲が許さなかった。そして週刊誌が彼の生い立ちを書き立てる。
歌舞伎役者として窮地に陥る彼は 役が欲しくて吾妻千五郎の娘に近づいて結婚するが激怒され梨園を去ってゆく羽目に。
二人は放浪しながら各地の宴会場で女形をして日銭を稼ぐ生活に。
片や俊介は 自分の幼馴染の春江と一緒になり息子がいる。
8年の放浪から家に戻り周囲からも認められていく俊介。
一方 自分には花街芸妓との間に娘の隠し子。
妻との間に子は無し。
梨園から遠ざかってゆく彼であったが、彼を救う手が やがてやって来る。
それが 死にゆく前の万菊である。
彼の一言で、喜久雄は梨園に戻って来た。俊介との再会し、
もう一度 あの歌舞伎の輝かしい舞台(二人道成寺)を 二人で演じる。
世間が二人の復活を待ちわびた日でもあった。
しかし、やがて俊介は糖尿病悪化で足を切断しないといけない羽目に。
苦悩する二人。 しかしその運命から逃げる事無く二人は舞台(曽根崎心中)をやってのけます。そして俊介の死。
あれから16年。白髪になった彼。俊介の息子も歌舞伎界で立派になり。
喜久雄は若くにして ”人間国宝 歌舞伎役者” に成る。
記者会見の日、そっと近づく一人の女性のカメラマン。
彼女は喜久雄の隠された娘であった。しかし出逢って直ぐに名前を当てる彼。
父としては憎む相手ではあったが、舞台を観る彼女は歌舞伎役者として彼を認める存在でもあった。
”悪魔と取引したけど 立派な歌舞伎役者に成れた”
それは一言では言い表せられない程の 犠牲と、後悔との引き換えの道であったであろうと思う。そこに 一筋に役者として生きて来た証があった。
人間国宝としての彼の舞台 (鷺娘)が最後に上演される。
そこに舞う沢山の紙吹雪。その中に 彼が観たかった景色があった。
それは 父の最後を見た時の景色と重なる。
きっと家族への忘れられない深い想いが
そこに在ったのだと感じます。
只今、絶賛公開中!
これは映画館で観るのお薦め。
是非 今の内に
劇場でご鑑賞下さいませ!!
勿体ないと感じた。
注意点としては、結構ガッツリ目に濡れ場があるで家族や友人とは見ない方が良いと思います。個人としてはこの点がもっとも冷めました、歌舞伎には詳しくありません。だからこそ日本の文化を感じられると思って見たのですが、男女の関係を示すのに濡れ場で表現するのは勿体ないと感じました。歌舞伎のシーンや演者の葛藤シーンは本当に感動しましたが。登場人物の訳のわからない行動にも、は?とさせられて後半は感動も薄れてしまいました。まず、春江が急に喜久雄を裏切ったのか?俊介に惹かれていたとしてもクズ過ぎる。俊介も突然戻って来て「息子の為だ」仕方ないみたいな感じも癪に触るし、両足切っても同情出来なかった。春江が終始開き直ってる感じも胸くそ悪い。藤駒の娘も最後に父親と思った事はない、と言っていたのに喜久雄の芸に感動してお父さんって呼ぶシーンには?が止まらなかった。俊介が失踪した中、芸で支えていた喜久雄に対して幸子は泥棒呼ばわり。挙げ句の果てに喜久雄に役を演じさせない始末、情は無いんか?登場人物で良かったのは、竹野と彩子ぐらい。あとは、万菊の雰囲気で保てた情緒でした。人間性を生々しく表現したのは、良いと思いますが…年月も飛ぶしイマイチ最後は簡単に国宝になってて、ご都合主義が際立ってしまっていた気がします。吉沢亮や横浜流星の演技はとても素晴らしかったです。個人的な意見なので賛否両論あると思いますが、予告で期待値が上がり過ぎました。
血のつながり
濃い3時間
没入してしまって歌舞伎のシーンが終わると拍手しそうになってしまった。
実の子の方が可愛いに決まってる!
お互いに歌舞伎から逃げたけど、やはり芸しかないと言うこと。
若干人生を語るのには雑な部分はあったけど、
演技がカバーしていた。
吉沢亮が美しすぎました。
TCXで見れてよかったです。
美しいお姿のクリアファイルでもないのかなぁと探しましたが、売ってませんでした。
これは映画館で見るべき、家じゃ見れない。
ありがとう、国宝
「ガラス玉のような目」に映った喜久雄の孤高の姿
小説を読んだ後に映画を観ましたが、あの壮大な物語を3時間余りに凝縮し、物語の核を鮮やかにすくい取った脚本と演出に心を奪われました。
人間国宝として認定された後の場面は、原作にはない映画独自の演出でしたが、喜久雄の到達点をより鮮明に示しており、その孤高の姿が胸に迫りました。
「ガラス玉のような目」に映し出されたものは、もう戻ることのない何かを知ってしまった人間の哀しみと、それでもなお芸の道を究めようとする凄みだったように感じます。
田中泯さんが演じた役どころも圧巻で、その一挙手一投足に人生の重みを感じました。
小説で喜久雄の良き理解者として存在を放っていた徳次が描かれなかったのは少し残念でしたが、その分、喜久雄という芸の求道者に焦点が絞られ、孤高の光が一層際立っていたと思います。
映画としての結末も、小説とは異なる角度からの喜久雄の到達点を示していて、作品全体に深い余韻を残したと思います。
目が感情を表していました。
田中泯さんが吉沢亮さんを踊らせた時、それまで光っていなかった目が踊り出すと同時に光出す。
音がない場面でしたが、芸は武器よりも強いことを凄まじく表現していました。ところどころ様々な俳優さんの目が強調され、その場面が伝えたい物の説得力を増していました。歌舞伎の足の音、小道具の音、それを実感するために、映画館で見るべきだと思います。
壮絶な人生
予告編にあった、喜久雄のほうが跡を継ぐってところまでの話なのかなと思いきや、喜久雄も俊介もそれぞれ逃げる、追われる、ドサ回りで日々を凌ぐ、また歌舞伎界に返り咲く。。が代わる代わるやってきて、2人とも凄い人生だったんだな、と驚きました。
子どもの頃に稽古を付けてもらった場所で今度は喜久雄のほうが指導する側になるとか、
演技力を見せつけた曽根崎心中の女形を最初は喜久雄、2回目は俊介がまた代わる代わる務めるし。。そして主役の足を見せる演目だからここで俊介の足の壊死が舞台上で分かってしまうというこれまた凄い状況。。!
喜久雄が若い時に居た小さな娘は今頃どうしているんだろう?と思っていたら彼の晩年にカメラマンとして登場してくれて、気になってから良かったです。まぁ、娘としてはお披露目のパレードで沿道から声かけても子持ちとバレたくなくてイメージ重視の役者だからあそこで娘に敢えて反応しなかったこと、ずーっと直接的な面倒は見てくれなかったこと(生活費くらいは渡していたかもしれませんが一緒に暮らしてないし。。)しかも歌舞伎界の大御所の娘さんと駆け落ち的に一緒になってドサ回りしてるとか。。
いや最初の芸姑さん、そりゃ本人も「お嫁さんじゃなくていい、2号さん、3号さんでいいから」なんて言ってはいたけど。。娘的には「ずっと母さんも私もほっとくってどういうことよ!!」ってモヤモヤはする。
でも芸を継ぐ人としては「国宝」なのか。。とちょい複雑な気分。
主役2人は凄く演目を練習したんだなぁ、と思うと同時に、少年期役の2人も思ってた以上に出演時間長くて、結構演技もしていたし、主役4人とも大変な練習したんだな、と感嘆。
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吉沢亮さんは観るとどうしてもキングダムの中華統一と、東京リベンジャーズの世界を思い出してしまうんですが、今回の歌舞伎役者の演技によりこの先の作品の幅がまた広がるんだなぁ、としみじみ。
横浜流星さんはアキラとあきら、書道の人の役とか見てきましたが、彼もまた良い演技で良かったです!
田中泯さんは、葛飾北斎の時は北斎にしか見えなかったのに、安定の、圧巻の演技、眼福でございました。。!
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