国宝のレビュー・感想・評価
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芸の悪魔と契約したものにだけ、芸の神様が見せる景色
歌舞伎という芸にかける喜久雄(吉沢亮)の情熱が凄まじい。
世襲という歌舞伎の世界で、血を渇望する喜久雄と、逆に血に縛られる俊介(横浜流星)の、どうしようもない宿敵であると同時にお互いにしかわからない芸の辛さや少年期から共に励んできたという友情が痛々しく、苦しい。
二人とも底辺まで落ちても、芸でしか生きて行けず、芸を極めることしか考えていない。
曽根崎心中で自分の身が危ないと分かりながらも、歌舞伎役者としても、これで終わることを知って演じ切る半也の壮絶な演技。
悪魔との契約通り、家族も恋人も全てを失っても、捨てた娘にさえ「お父ちゃんの舞台を見ているとお正月みたいな、何か良いことがありそうな気持ちになる。日本一の役者だ」と言わしめる半次郎の圧巻の鷺娘。吉沢亮が、終始恐ろしいほどに美しく、目線、手先、一挙手一投足が艶かしく、「国宝」としての貫禄と神がかった雰囲気を全身で発して踊る鷺娘に感動して泣いてしまった。
吉沢亮、横浜流星はもちろん、少年時代の喜久雄(黒川想矢)、万菊(田中泯)、竹野(三浦貴大)も、とても良かったです。
原作も是非読もうと思う。
きっと何かを成すためには、相応のものが対価として必要
前半は歌舞伎のシーンが少し怖く感じた。
歌舞伎をきちんと見たことのない私には、現実的ではない歌舞伎のビジュアルと、力強く綺麗な演技に畏怖の念を抱くような気持ちになった。
だが、見ていくうちに歌舞伎の魅力がなんとなく分かったような気がしてきて、とにかくその綺麗さに魅入ってしまっていた。
終始、何かを一生懸命に頑張れる人はすごいなと羨ましく思っていた。
だが、主人公には歌舞伎しかなくて必死にしがみつくしかなかったのだろう。
父が死に、歌舞伎の世界に入り厳しい稽古の日々の末に輝かしい景色を見たのも束の間、過去の傷痕で人生のどん底へ。しかしまた舞台に立つ機会がきて、だが今度は親友がいなくなり、国宝となった。
そんな主人公の激動の人生を見ていて、言葉にできない胸の苦しさでいっぱいで、ずっと涙が止まらなかった。
私にはまだ分からず、共感できなかったシーンもあって難しかった。
まだまだ人生の経験値が足りないのだろう。
もっといろんな経験を積んだら、分かる日が来るかもしれない。そのときにまたこの映画を見たい。
共鳴するのは難しかった
あまり喋らない同僚が熱烈にオススメしていたので観劇。
色々あってポップコーンを買いそびれてしまったのですが3時間比較的集中して観ていたので、その展開の怒涛さと作り手の熱意に、すごいな、と思いました。
◆
歌舞伎という超特殊な世界に縛られて生きる横浜流星に、「血が羨ましい」という主人公、なんでそんなこと思うのでしょうか。
歌舞伎が好きかなんて人それぞれなのに、生まれる前から歌舞伎役者になると決まっていて、自分の意思では逃れられない人生、なんと大変なことでしょうと私は思ってしまいます。
◆
他人を犠牲にしてまで、歌舞伎で日本一になりたい理由って何?
そこが自分には共感できませんでした。
黒川想矢時代の主人公は、満開の桜をの中を自電車で駆け抜ける時の気持ちのように、ただただ歌舞伎が好きで、心の底から歌舞伎を楽しんでいるように感じました。
好きなものをまっすぐと追い求める姿が眩しかったです。
吉沢亮時代になって、三浦貴大に「血で苦しむのはお前」と言われて、私がついていけないほど、激高している主人公は、その言葉が図星中の図星だったのでしょう。このあたりですでに、歌舞伎で一番になることに執着始めているように感じられました。
半二郎を襲名するとき、「芸術は剣や鉄砲より強くなれる」と先代に言われた主人公は、
かつてなくした父の仇を、自らの芸でとろうという思いが芽生えます
しかし、昔の傷跡によって世間からバッシングをくらい、役を降ろされた主人公は、
かつての地位に戻ることを焦り、無関係な他者を欺き、凌辱することになります。
人の心を失った主人公の目は怖すぎましたね。
もうここまでくると、歌舞伎が好きとかうまくなりたいとか夢中とかそんな綺麗な気持ちは
1mmもなくなってしまったように見えます。
青春時代のすべてを苦しい稽古に費やしてきた主人公にはしがみつくものがそれしかなかったのでしょう。
クライマックスのシーンで、舞台で、紙吹雪に包まれる主人公は、かつて父を亡くした雪の日の景色とそれを重ね合わせます。そして一言、「綺麗」と。
ここまでの人生で背負ってきた、殺された父親への想いが成仏されたのだと解釈できます。
少年時代に自転車から見た純粋な桜が散っていく景色にも受け取れます。
少女の純粋な愛も、また散っていきます。
◆
芸術作品をも見るということは、私にとって、自分と共鳴する部分を見つけ、
言葉に起こすことで、自分自身を掴みなおす作業なのだと思う。
今回、主人公と私は違いすぎて、共鳴できる部分が少なかった。
私は何年も毎日厳しい稽古をするなんて考えられない。
だらだらとしょうもないことをするのが好きで、飽きたらすぐ移り変わる。
いやなことからは極力逃げて、好きなことだけをしていたい。
父親は生まれたときからカタギで、殺されたこともない。
かといって家柄がいいとか、御曹司とか、伝統とか、そういうもの無縁。
背中は真っ白くまっさら。
暴力大反対、人が殴られているのを見るのも、映画で見るのも大嫌い。
例え人生で何か実現したいことがあっても、他者を不当に不必要に傷つけるならやりたくない。
他者を犠牲にしてまでやりたいことなんて、思いついたこともない。
自由で、くだらなくて、しょうもない人間。
それでいい、それがいい。
だから、いろんなものを背負ってしがみついて主人公と違いすぎて、共感ができなかった。
ただ別の人間がいる、ということを再確認した時間だった。
これに共感できる人はどんな人生を送ってきたのだろう。
シンプルに話を聞かせてもらいたい。
◆
おばあちゃん、でなくおじいちゃんの、
「この部屋には美しいものが何もない。それがいい」
というセリフは共感した。
雨の日でも、晴れの日にはない美しさがある。
雲に隠れた月も、いつも得るのだろうというワクワクをもたらしてくれる。
ボロボロによれたTシャツの方が寝心地がいい。
主人公は雨が許せなかったのだろう。
あるいは女でしかそれを紛らわす方法を知らなかった。
そして、誰かを犠牲にした。
◆
大人になったあやのが、「お正月が来たみたい」と父に言う。
お正月しか返ってこなかった(そしてついに帰ってこなくなったであろう)、父への皮肉にもとれる。
お正月に父に会える希望の時間は、成長するにつれて絶望へと変わっていった。
あやのは父を許したのか。
あやのの強さに心打たれた反面、
そんな簡単に、きれいごとで解釈してはいけないことだとも思う
◆
私は、暴力が嫌いだ。
少女が利用され乱暴されるシーンは同じ女性として心が痛くなるばかりだった。
他のシーンに共鳴できない分、そのシーンの辛さには悪い意味で強く共鳴してしまい、
後半数十分はあの子かわいそう、、、、というつらい気持ちにひたすら覆われながら映画を見ることとなった。
辛いシーンを見せたなら、その辛い気持ちをなくすくらい、爽快な逆転劇を見せてほしい
が、ただただ「どこ見てんのよ」と言って泣きながら去っただけだった。
ものすごく、嫌な気持ちになった。
◆
1回見ただけでは解釈しきれない部分も多かったと思うので、また見てみたいと思う。
ただ、例の乱暴シーンが胸糞だったので、多分もう見ないと思う。
こんな歌舞伎ならもっと観たい
約3時間の長尺だが中だるみ無し
とにかく舞台のシーンのカメラワークが凄い。
昨日から上映が始まったF1のオンボードカメラのような臨場感。映画だからこそ体感できる迫力。
これは鑑賞後に実際の歌舞伎を観に行きたくなるのは納得。
主演の二人の舞台上の演技がすごい。
曽根崎心中が2回出てくるがいずれも甲乙つけ難い熱演だった。
ただ老けや病気で死にかけてるはずのシーンになっても二人の溢れ出るパワーで全くそんな風に見えなかったところはご愛嬌だった。
舞台以外のシーンでは、本来役者のエゴで家族も顧みていない、というシーンがもっともっと積み重ねられた上での人間国宝→娘との再会となるはずが、美男美女揃いのためか基本皆んないい人過ぎて嫌らしさが感じられなく、結果終盤の話の流れやセリフが浮ついて感じられたのが残念だった。
まあ映画としては話の結末に違和感を感じるほどに舞台シーンに振り切った、話は原作を改めて読んで感じてくれ!ということなのかもしれない。
とても上質なエンターテイメント映画だった。
もっと悪魔に魂を売りつけてくれ
新聞連載で読んでたから粗筋は知ってたのでついていけたけど、ストーリーの要点→歌舞伎→要点→歌舞伎→要点→歌舞伎の繰り返しに終始してて、芸に対する執着の見せ方が少し足らなくないか、というのが全体的な感想です。
【良いところ】
·歌舞伎の場面はとっても美しかった。映像や主役の演技だけでなく、後見役の方々がカッコよかった。
·この長い物語を破綻させずに圧縮したという点については脚本の巧みさを感じました。ラスト前の綾乃のセリフは奥寺節が炸裂してました。
·役者さんがみんな達者です。役者の演技を観るために映画館に行く方は★5を付けるに違いない。
【う〜ん、なところ】
·顔のアップが多すぎて疲れた。そんなに顔で語らせたいか?
·彰子。森七菜の演技に不満はないがミスキャストだと思う。森七菜では喜久雄とお似合いの美男美女カップルになってしまい、周囲が「出世目当てでたらしこんだ」と疑う意味がわからない。親父似のブサい子で一途な頑張り屋さんを演じられる女優はいなかったのだろうか。
·喜久雄が仕込んだ「出世目当てのたらしこみ」の意図を廊下でニヤリとするワンカットだけで観客に分からせるのは無理がある。さらに言えばこのシーンだけでなく全体的に、芸のためなら悪魔に身を売る喜久雄の覚悟が伝わってこない。
·ミミズクの彫り物の想いや意味が途中から語られなくて残念。最初はすごく強調されてたのに。
·この尺では仕方ないのだろうけど、原作では重要な狂言回しになる徳ちゃんが最初だけしか出てこなくて物語の複雑な部分が省略されてしまい残念。
·舞台の本番中に倒れ過ぎじゃないだろうか。
·喜久雄が何歳なのか途中で分からなくなった。
·邦画ありがちだがエキストラの演技がクサ過ぎ。もっとがんばれ助監督。
·黒塗り高級車の屋根に降りかかる雪は、ゴミか灰にしか見えなかったがこれは雪なのだと自分に言い聞かせた。映画の雪は難しいね。舞台なら紙でいいのにね。
歌舞伎を舞台としたよく見るエンタメ
前評判通りの感想を持ちました。
俳優陣の演技は頑張っていましたが、ストーリーとしては深みがなくそれぞれの要素が記号的でした。
意外と観て損した感じはありません。
演技面では、吉沢さんも横浜さんも素晴らしく映画俳優としての凄みを感じました。ただ歌舞伎役者として今回のテーマに説得力を持たせるためには、それこそラストは玉三郎さんに演じていただくしかない訳で、そこまで映画に求めるのは酷です。これが伝統芸能をテーマとした作品の難しい所。タイガー&ドラゴンの西田敏行さんですら、プロの噺家の方からは賛否あったので、やはり芸事のプロを演じるのは並大抵ではありません。
私はその目を持ち合わせていませんが、歌舞伎に詳しい方があの演技をどう評価されるのか。歌舞伎の世界はそれほど甘くはないと思いますが。
映画として観た際には、ストーリーの部分に物足りなさを感じました。主人公の生い立ちや、親友との軋轢、血筋か芸か、没落と復活など、様々な要素がありましたが、小説や漫画やアニメでよくある記号の繋ぎ合わせで、誰かに感情移入できるような深みも、予想を裏切られるような驚きもありませんでした。
原作は未読ですが、おそらく映画で観るより小説で連載を追いかけた方がより楽しめる作品に感じました。それだけの展開は用意されていて、だからこそ映画にするのが簡単ではない作品に思えました。
少し歌舞伎の世界が垣間見えて歌舞伎に興味を持つには良い作品に思えます。吉沢さん、横浜さんをはじめ、俳優陣の方々の演技も素晴らしく見応えがありました。歌舞伎エンタメとして観れば充分に楽しめる作品かと思います。
鋭い眼光が射る才能、しなやかに手招かれたただならぬ運命
血筋と実力が交差する世界で
魂を削り挑み続けること、
その孤高の陰で揺れ惑う思いの数々
舞台の真正面で眩い光を浴びた選ばれし者は、その時はじめてそこに映り込む心模様と変容を受け止めるのかも知れない
儚さや切なさを携えるからこそ美しい雪の舞の尊さのように脚光のなかで昇華される変遷
そこで去来する敬意と感謝が喜久雄の人としての心に湧きあがったのを目撃したとき、それまでの出来事が心を駆け巡る
なかでも喜久雄の迷いに多大なる影響与えることになった万菊との関係だ
それは感動と言う言葉では何か違う、もっと重苦しいもので掴み今もなお余韻をもたらす
俊介に稽古をつけるのをそっと見ていた喜久雄に気付きあえて放った言葉
質素な部屋の寝床に伏す消え入りそうな肉体を晒して伝えようとした姿
でもそれでいいの
それでもやるの
あの言葉に、孤独な道を生きる喜久雄の心情を察した万菊の人生の深さが重なる
そこには先をいく者の厳しさ、ありがたいほどの優しさがこもっているのだ
渡された扇子を受けて舞う喜久雄は悟り、それを感じ確かに継ながれゆく伝統を見届けようやくひとりの人間に戻らんとする万菊
安堵が包むその時、万菊の心の奥に煌びやかな緞帳が下ろされていったのだろう
二人だけに通ずるこの時間の貴重さ
これがなかったなら喜久雄は先の見えない暗闇に潰されていただろう
そして冒頭の長崎の夜の衝撃
そのシーンを除いては考えられない喜久雄の人生のそばで春江の愛情の在り方はとても印象的だった
芸に没頭し秀でた才能が認められていくほどに引き割かれてれていく無情
喜久雄の夢が素質の上に特異な生い立ちによって固く結ばれたものだと知り尽くす彼女ならではの思いの境地が、募る葛藤や孤独を徐々に慈しみにと変えていく
それが、喜久雄への愛を貫く唯一の術でもあったように思うのは喜久雄の舞台を観にきた俊介が、その輝きにいたたまれず席を離れていくのを追いかけるシーンだ
春江は、俊介の気持ちを和らげることがすなわち喜久雄の夢を守ることになる、今それができるのは自分しかないと本能で感じ動く
〝わかっとるよ〟
こらえてきた自分自身をもなだめながら心の奥からこぼれ落ちてきた言葉が繰り返される
あのとき姿をかえていく永く静かな愛をみた気がしたのだ
また、目を奪われるような美しいシーンが点在している今作において、青白い屋上でのいまにも散り果てそうな喜久雄の精神の危うさは怖いほどだった
そこに向き合う彰子の眼差しが悪魔に魂を売った男の限界を物語る
立場を捨てて喜久雄に尽くしてきた彼女が翻る時、そこにのこしたあの強さ、それこそ彼女にしかできない喜久雄への最後のメッセージだったのだろう
「国宝」その神がかった領域のすばらしさ、潜む苦しみの特殊さを、生きながらじりじりと焼かれるようみせた演者の皆さんの精神力、表現を最大限にいかす技術の力に脱帽しながら、やはりどんなときも深く爪痕をつけていくのは、ひとの思いの行き来がそこにみえるからなのだと改めて思った
芸能の世界に落ちる
良かった〜!!!とても没入して観ることができました。
歌舞伎に魅せられ一心不乱に突き進んでいった喜久雄が、転がり落ちていく場面は苦しくて仕方ありませんでした。
見向きもされない余興で踊った後に、観客に暴行を加えられた喜久雄が、酒を飲み屋上で朦朧と踊った時はそのまま飛び降りてしまうのではないかと思いました。というか、感情移入して飛び降りたくなりました。
何度も絶望を味わっても舞台に立ち続ける精神力がすごい。並大抵の人ならどこかで自死してしまうのでは?とさえ思います。
喜久雄が光の当たる場所に戻ってこれて良かったですが、結局は芸の力ではなくて権威のある人物の力で戻ってきたことにモヤモヤしました。
どれだけの芸や技量があっても、最終的に血筋や人脈があって初めて評価されるんかい。と…
喜久雄に力があったからこそ、万菊さんの目に留まったとも捉えられますが…。
俊介は最初から最後まで素直でまっすぐで、とてもいい奴でした。守ってくれる血筋があって、愛してくれる両親がいて、味方になってくれる妻がいて、、喜久雄とは正反対でしたね。
春江も半次郎も幸子もみんな俊介の味方で、喜久雄の周りには誰1人いませんでした。
傷ついて、挫折して、孤独になって、最後には歌舞伎だけが残っていたことが印象的でした。
役作りのために演者は歌舞伎を身につけたのでしょうか…。歌舞伎の世界はわからないので、凄いのかどうかも判断できませんが、舞台のシーンはすっかり見入ってしまいました。役者魂恐るべし
全体を通して、とてもとてもおもしろかったです。映画館で観てよかった!
伝統とか世襲とか血とか死ぬほど嫌いでした
まず、役者の方々はどの方も素晴らしかった。
吉沢亮は栄光から転落まで、正に喜久雄になりきっていたし、歌舞伎のシーンは息をするのも忘れるくらい圧巻。渡辺謙、田中泯の安定感も流石だった。
特に喜久雄の少年時代を演じた黒川想矢が素晴らしかった。この映画の中で1番印象に残りきっとこれからも多くの作品に出演して成長していくであろうことが楽しみ。
なんですが…
二代目が死ぬところまでは食い入るように見ていたんだけれど、そこから先が失速感。何の前触れもなく何で吐血したの?彰子(森七菜)とどうにかなるのが唐突すぎない?人間国宝、なんで和室に寝転がされてるの?
そして全体的に色んな意味で湿り気がありすぎて、私には合わなかった。歌舞伎も最初は圧倒されたけど、演目も飽きるし歌舞伎のセリフも節回しが耳について気持ち悪かった。
映画館ではスッキリ爽快になりたいという自分の好みを再確認しました。なぜこんなにも評価が高いのでしょうか?
個人的に高畑充希と見上愛の演技は苦手。横浜流星もやはり顔がいいだけだった。
たしかにスゴイ
吉沢亮と横浜流星の演技は圧巻。
若干、歌舞伎シーンが長いのと、その割に主演2人以外との人間との関わり表現が薄く
主観では無い客観の人間性が分かりにくかった。
曾根崎心中の伏線回収?には
😢
歌舞伎の魅力
❶相性:上。
★歌舞伎の魅力
❷時代と舞台
1964年(東京オリンピックは10月開催)新年:長崎⇒1965年:大阪⇒1972年⇒1973年⇒1986年:大阪、京都⇒1989年⇒1995年⇒2014年:東京(喜久雄が人間国宝に選出)。
★私が社会人になったのが1964年。
❸主な登場人物
①立花喜久雄〔芸名:花井東一郎〕(✹吉沢亮、30歳)〔少年時代は黒川想矢、15歳〕:この世ならざる美しい顔を持つ。長崎の任侠の一門の生まれ。15歳の中学生の喜久雄は、父親が組長を務める立花組の正月の宴席の余興として歌舞伎を踊る。それが、客として訪れていた花井半二郎の目にとまる。その夜、突然始まった抗争によって父親が殺される。喜久雄は、背にタトゥーを入れ、仇討ちに挑むが失敗し、長崎を追われる。上方歌舞伎の名門の長で看板役者・花井半二郎は、喜久雄を引き取り、跡取り息子の俊介と共に歌舞伎役者としての修業を積ませる。喜久雄は、世襲の歌舞伎界の中で才能を武器に、稀代の女形として脚光を浴びていき、俊介を差し置いて三代目半次郎を襲名する。しかしその重責とプレッシャーにより、心のバランスを崩してスランプに陥るが、上方歌舞伎の当主・吾妻千五郎の娘・彰子の支えを得て復活する。そして、糖尿病のため両足を切断して義足となった俊介を励まし、一緒に舞台に立つ。最後は人間国宝にまで上り詰める。
②大垣俊介〔芸名:花井半也〕(✹横浜流星、28歳)〔少年時代は越山敬達、15歳〕:上方歌舞伎の名門の御曹司として生まれ、看板役者・花井半二郎を父に持つ。生まれながらに将来を約束され、歌舞伎役者になることが運命づけられてきた。喜久雄の親友・ライバルとして共に切磋琢磨していき、京都の歌舞伎座で共演するチャンスを掴み、喜久雄は花井東一郎、俊介は花井半弥として人気を博す。しかし、俊介には正当な後継者たる自負があり、喜久雄には才能だけでは越えられない血筋の壁があった。交通事故により大怪我を負った半二郎が、代役に選んだのは俊介ではなく喜久雄だったため、二人の仲に亀裂が入る。俊介は春江を連れて、歌舞伎の世界から姿を消し、旅芸人となり放浪するが、春江のサポートを得て立ち直り、舞台に復帰し、人気役者となる。しかし、糖尿病で両足を切断することになる。両足義足となった俊介は、喜久雄の励ましを得て、一緒に舞台に立ち、「日本芸術院賞」を受賞した後、帰らぬ人となる。
③花井半二郎(✹渡辺謙、65歳):上方歌舞伎の名門の当主で看板役者。逸早く喜久雄の女形としての才能を見出し、抗争で父親を亡くした喜久雄を引き取る。息子の俊介同様に歌舞伎役者として育てながら、自身も役者としての地位を確立することを志す。
④福田春江(✹高畑充希、33歳):喜久雄の幼馴染で一緒にタトゥーを入れる。喜久雄を追って上阪し、ミナミのスナックで働きながら喜久雄を支えるが、歌舞伎一筋の喜久雄の為を思い身を引く。後に俊介と結婚して子をもうけ、花井の家を支えていく。
⑤大垣幸子(✹寺島しのぶ、52歳):半二郎の後妻、俊介の実の母親で、上方歌舞伎の名門を支える女房。初めは喜久雄を引き取ることに反発するが、喜久雄の役者としての才能に気づいて育てていく。
⑥彰子(✹森七菜、23歳):歌舞伎役者・吾妻千五郎の娘。スランプとなった喜久雄のことを慕い、結婚し、復活させる。
⑦藤駒(見上愛、24歳):喜久雄が京都の花街で出会う芸妓。まだ無名の喜久雄の役者としての才能を予見する。喜久雄の子を出産する。
⑧竹野(✹三浦貴大、39歳):歌舞伎の興行を手掛ける三友の社員。世襲の歌舞伎に対して、冷ややかな態度をとる。温泉街で妖艶な芝居を見せる俊介と出会い、復帰のチャンスを与える。
⑨梅木(✹嶋田久作、69歳):歌舞伎の興行を手掛ける三友の社長。喜久雄と俊介を若い頃から見込んで、様々な大舞台を用意する。
⑩吾妻千五郎(✹中村鴈治郎、65歳):上方歌舞伎の当主。彰子の父。歌舞伎指導も担当。
⑪小野川万菊(✹田中泯、79歳):当代一の女形であり、人間国宝の歌舞伎役者。若い頃の喜久雄と俊介に出会い、2人の役者人生に大きく関わっていく。
⑫立花権五郎(✹永瀬正敏、58歳):喜久雄の父親で長崎・立花組組長。組同士の抗争によって命を落とす。
⑬立花マツ(宮澤エマ、36歳):長崎・立花組組長の権五郎の後妻。血は繋がらないが、喜久雄をヤクザの世界に巻き込まないように尽力する。
⑭徳次(下川恭平、20歳):立花組の住み込み舎弟。喜久雄とは兄弟のように育てられ、喜久雄が花井半二郎に引き取られた際にも同行して喜久雄をサポートする。
⑮女性カメラマン(✹瀧内公美、35歳):人間国宝に選ばれた喜久雄を取材する。最後に喜久雄と藤駒の娘であることが明かされる。
❹まとめ
①任侠の家に生まれながら、歌舞伎役者として芸の道に人生を捧げ、人間国宝に選ばれるまでになった男の激動の物語。
②歌舞伎の奥深さ、美しさを描く物語は1964年から始まり、70年代、80年代、90年代へと進むが、サクセスストーリーではなく、人物(主人公以外に関連する人物も含む)の努力、成功、歓喜、葛藤、苦悩、挫折、転落、復活、狂気、得るもの、失うもの等々、プラス面とマイナス面とをバランスよく描いている点に説得力がある。
③一番の驚きは、上方歌舞伎の名門の当主で看板役者の二代目半二郎(渡辺謙)が、ピンチヒッターとして、跡取り息子の俊介(横浜流星)ではなく、父がヤクザの喜久雄(吉沢亮)を選んだこと。血筋ではなく才能を選んだのだ。この時点では、三代目半次郎を継ぐのが喜久雄か俊介かはまだ未定であるが、喜久雄が一歩リードしたことは確かである。落胆して家を去る俊介の気持ちがよく分かるが、選ばれて張り切りと戸惑いの両方を持つ喜久雄の気持ちも分かる。そして、苦渋の決断をした半二郎の気持ちも分かる。上手い脚本である。
④本作には、幾つかの名作歌舞伎が登場する。それ等の内容を知っていれば、本作の理解と感動がより深まったのではないかと思われるが、残念ながら門外漢である。
⑤しかし、演じた吉沢亮と横浜流星の踊りには感動した。圧巻・絶品・見事である。大勢のキャラとエピソードが登場するので、中には共感出来ないこともあるが、この2人の熱演を観られただけで十分である。
⑥舞台の魅力も伝わった。
⑦歌舞伎のことは全くの素人である私だが、若干の接点はある。
ⓐ現役時代、銀座の歌舞伎座から徒歩5分の目的地に出張することが数十回あり、要件が早めに終了した時に観た公演が2回あった。
ⓑ名古屋の中日劇場でも歌舞伎公演があり、1回観ている。
★上記3つは30年以上前だが、今では内容は覚えていない。
ⓒ中日劇場では、ジャンルは異なるが、市川猿之助(三代目)の「スーパー歌舞伎」の全作を公演していて、その全部を観た。
★こちらの内容は今でも覚えている。
⑧本作を観て、「秀でた芸術を生み出すには、並外れた努力と、既存の概念に囚われない発想と、既存の価値観に挑戦する決断力等が必要なこと」がよく理解出来た。美しく感動的な芸術の裏には、芸術家の葛藤や、苦悩や、たゆまぬ探求心があるのだ。
★長嶋茂雄や大谷翔平等、超一流のスポーツマンも同様と思う。
⑨原作は上下2巻720ページの長編で、本作も175分の長編だが、近年流行りの前後編に分けて2本にするのではなく、1本にまとめた力量は見事である。
禍福は糾える縄のごとし乃至は人間万事塞翁が馬…か。
凄いものを見せられたナという気持ちはしています。
観賞以前からキャスティングが逆じゃないか、吉沢亮と横浜流星が逆の役をやった方がシックリとくるんじゃないのか、もっと良い作品になったんじゃないのかというのが有って、観賞中もますますその思いを強くしていたのだけれども、それでも途中から段々とそんな事どうでも良いヤと思う様になって来ました。
人生というのは生まれた時代や場所や境遇を背負って、死ぬ迄その役柄を演じ続ける事に他なりません。他人の人生を生きる事は出来ないし、他人の境遇を羨んでもその人間に成り変わる事は出来ないのです。
それは俳優の演技にしても全く同じ事が言えて、あの人の役の方が良かった、この人の役の方が良かったと言っても仕方が無くて、自分が与えられた役の中で懸命に生きる、与えられた役の中の人生を生き抜けるという使命を果たすという事に他なりません。
そういう意味では二人は間違いなく与えられた役柄の人生を生き抜いていたし、その人生を全うしたという事が出来るのでしょう。
禍福は糾える縄のごとし乃至は人間万事塞翁が馬…
父親の敵討ちを戒め、将来を誓う証に背中一面に彫り物を入れたハズの喜久雄と春江は、それでも遂に結ばれる事は無かったし、実子の俊介を差し置いて花井家の後継に指名されたハズの喜久雄の見た夢は、半二郎の本心を悟ると時を同じくして音を立てて崩れ落ちて行きます。
それでも失ったハズの人生は、何処かで帳尻が合う様に出来ているのかも知れません。最後に悪魔との取り引きは果たされたのだという事を観客は知りますが、その喜久雄に笑顔は有りません。
「順風満帆な役者人生を歩んで来られて…」と事も無げに発するインタビュアーの問い掛けに、「皆様方の支えがあって此処までやってこられました…」と面白味の無い定型句を返答する喜久雄の人生の壮絶さを、けれども我々観客は知っています。
人は与えられた自分の人生を全うする事でしか、自分自身の役割を果たす事はきっと出来ないのだろうという事、そういう事をつくづくと考えさせて貰いました。
原作の吉田先生は、映画『楽園』の原作者でもあるとの話。
映画『楽園』も以前に観賞しましたが、奇をてらった感じが凄くして自分は駄目だったのを覚えています。こちらの作品は人の持つ業だとか宿命の様なもの迄をも深く感じて、とても強く心を揺さぶられました。
先生も…腕を上げましたネ…なんてww
評判どおり
見応えのある作品だった。物語は簡潔に言えば、芸に身を捧げた対照的な2人の歌舞伎役者の生き様を描いた内容。正直、既視感のある内容ではあるけど役者さん達の熱の入った演技に魅せられた気がします。
吉沢亮さん、横浜流星さんの掛け合うような演技合戦に釘付けになりました。
あと渡辺謙さんの圧倒的な存在感はさすが。途中退場になるけどその存在の余韻は最後まで残っていたし、意外なところで女形の田中泯さんの存在感が凄かった。
映画を見ながらふと昔の映画…五社英雄さん、宮尾登美子さんの作品性を感じてしまった。内容は全く異なるのに人間の持つ性(さが)、情念、執念みたいなものを。
歌舞伎のシーンも思いのほか多かった。最近、歌舞伎の舞台を見たばかりで比べてしまいました。本物の歌舞伎役者には敵わない気もしますが(当然と言えば当然ですが)、メインのお2人とも本家に見劣りしないぐらいの上手さでした。
驚いのは喜久雄の父役、永瀬正敏さん。極道の役もなかなかハマってました。
そして森菜々ちゃん…大人のラブシーンを演じてて驚きました。
歌舞伎役者の人生は命懸け…凄いものを魅せられた
私は歌舞伎ファンです。好きだったのは八十助(三津五郎)その前にときめいのは若くして亡くなられ辰之助さんでした。
その立場でこの作品を観るととても切ない作品でした。私自身は泣くことはありませんでしたが、グッときたのは2代目半次郎の死に際に息子の名を呼んだりしたところ、
そして曽根崎心中の横浜流星の死ぬ覚悟で演じたお初でした。そこは本当に万感こみ上げます。
吉沢亮の怪演が話題となっておりそれは認める所ですが、横浜流星吉沢亮のお初徳兵衛にはみんな持ってかれました。
歌舞伎指導の鴈治郎の凄さとそれを演じ切った2人を観るとポスター通り横浜流星と吉沢亮の二人の怪演無くして成り立たない作品です。
あまりに横浜流星のお初が佳いので、途中大向うの掛け声が無いのが誠に演出の最大のマイナスポイントに思いました。「あれ?」と何故大向うがないの…とこれが映画である事に引き戻された程です。前半の横浜流星の日常シーンにはあまり良い場面はないのですが、彼自身その浮かれた役が腑に落ちず違和感ある役だったそうなのでそこが原因かもです。現実の歌舞伎役者を思い浮かべて演じられればまた違っていたでしょう。
この作品は吉沢亮の演じる役者が16から70代に人間国宝となるまでの一生をわずか3時間に詰め込んだ作品で描ききらないことの方が多いのです。なので展開の描写について不足を思う皆さんの感想はもっともですが、仕方ありません。
また、私は若手が歌舞伎役者を演じるなんてなんぼのものよ、位の気持ちで観てました。
少年期はいや違うな、と思っていたら確かに上達してきているし、歌舞伎舞踊は全編舞うわけではないものの、大根役者とは思わせぬほどに、しっかり踊っているし、芝居も(声がいかほど劇場で本当に響いたかはわかりませんが)佳い声で歌舞伎らしい芝居、そして現代生活の中でも歌舞伎役者らしい芝居を魅せてくれて、正に怪演、凄いものを魅せてもらったと慄いています。
老齢の人間国宝である歌舞伎女形を演じた田中泯さんはとても歌右衛門さんに似ていらっしゃり、
存在感もある良い役者だとは思いしたが、舞台上の演じる歌舞伎には私は特には心動かされませんでした。恐らく彼の矜持を持つ舞踊と歌舞伎は本質に違いがあるのでしょう。しかし歌舞伎役者の重鎮として見事な存在感でした。
鴈治郎さんは最近拝見していなかったのですが、舞台を降りた現代の場面も良いのですが少しふくよかになられて、しっかりダイエットして長生きして欲しいとおもってしまいました。彼は原作者にも黒衣を渡し小説を作るのにも大きな役割を果たした方で上方歌舞伎を代表する役者の一人なので彼の導き指導のおかげで出来上がった作品です。
歌舞伎役者は良い役者が次々と病に倒れており、悲しみに暮れるばかりです。皆肉体と精神を削って、正に悪魔に操られるかのように芸の道に生きています。原作者もその様な想いと共に作品を作りその世界を多くの人々と共有したかったのでしょう。
継ぐ名前があるかどうかも役者には大きい問題です。ご贔屓に喜ばれるのは役者の息子が見事に成長して役者になること。血筋が大事とは思っていないけれど現実にお子さんや兄弟の初舞台や共演は本当に楽しみなものです。
ただ、一方で本名や新しい名前で活躍する役者も当然いますが、引き立てる師匠たる名題役者がいてこそです。この作品では師匠を亡くしその跡継ぎたる若旦那も家出された部屋子は普通はほかの部屋子になるところなのではないでしょうが、大きな名前を継いで半次郎になったので家を離れる事はできなかったのでしょう。
寺島しのぶさん演じる2代目半次郎(渡辺謙)の妻が息子(横浜流星)が継ぐべき名を吉沢亮のきくちゃんに奪われるのは配役の妙があり過ぎます。(現実の歌舞伎界では甥が菊之助になりましたが、寺島しのぶももしも己が男に生まれていたならば息子に菊之助の名前を渡したかったでしょう。)
2代目半次郎(渡辺謙)も半弥(横浜流星)も糖尿病とは…です。2代目半次郎の最期は大量の吐血でしたが、原作未読ですが、肝硬変による食道静脈瘤破裂かもと医療に詳しい身内に言われました。生活の乱れがあったら肝臓も悪いかも、と。
令和ならば糖尿病から失明や脚が壊死する危険性も十分知られているでしょうに親子2代を襲った病魔は憎いものです。
女性との関係、親子関係等描ききっていませんがそこを描くと5時間は掛かるでしょう。ならばドラマにすれば、という問題ではなく3時間に凝縮したからこそ描いていない部分を想像する余白があります。
吉沢亮の半次郎の人力車でのお練りに「お父ちゃん」と駆け寄る娘になんと言うことができましょうか。嫡出の娘やご贔屓が駆け寄ってもあの様な素振りになるでしょうし、あれが娘にとっては悲しいかもしれませんが、仕事中の親を邪魔しており、内縁の妻の芸鼓のささやかな思惑まで想像します。愛人はこういうものとは思いませんが、あれは仕方ない場面だと思います。
鷺娘の映像演出は美しかったです。クライマックスシーンでしょう。でも、本当の日本の宝である玉三郎さんの鷺娘を知っていると、それに敵う人など居ないのです。
海老反りはやはり全然違ってました。斜めからの見返り美人の様な海老反りでした。なので音楽とカット割り等で美しく仕上げていました。
しかし心の目でここは玉様の鷺娘と変換して鑑賞しました。皆さんも心の目で見たでしょう?
吉沢亮が客席の景色を見て感嘆するのは、歌舞伎ファンにはわかります。
八十助(三津五郎)さんは「昔死ぬ前に『八十助のあの舞台を観れて良かった』と思う人が一人でも居てくれたら嬉しい」と話された事があるのですが、「死の間際に自分の人生や家族の事ではなく演劇について思いを馳せる人がいるものかしら?!」と、その発想に驚きましたが、次第にその言葉が理解できました。
歌舞伎役者はそう思う位、人生命懸けで舞台に立っています。
観客にも命懸けで鑑賞して欲しい位に。
そして一期一会の素晴らしい舞台に出会った時、観客の一人一人は感動に打ち震えます。舞台の感動が観客に伝わる様に観客の感情も舞台に届くはずです。それこそ役者冥利に尽きる瞬間でしょう。
それは玉三郎の鷺娘とそれを観れて感動する観客が居ればその風景が表現できたでしょう。
それを映画俳優や舞台ファンでないエキストラが再現する事は困難です。だから心の目でラストは観るのです。
歌舞伎への想いがあるとこの作品の見方感じ方は違うと思いますが、吉沢亮、横浜流星、そして周りの人々皆良く、間違いなく日本映画史に残すべき1作品だと思います。
マイナス0.5は歌舞伎役者以外が演じる限界分で、そこは皆さん心の目で補っていきましょう。
寺島しのぶがいい
新聞連載時に読んでいたけれど
いい感じに忘れ去っていて
あー、そういえば、そうだった、みたいな感じで
ストーリーを楽しめた
少年時代の2人がほほえましい
そしてそこからの紆余曲折をよくあそこまで、まとめ切ったよなぁ
寺島しのぶの
役どころが、歌舞伎の世界の理不尽を体現していた
田中泯怖いくらいオーラがあった
晩年のアパート暮らし、悲惨な末路かと思えば
「ここには綺麗なものが一つもないの」と言って
これまでの重圧から解放された自由さを語る(寝床で)
なんだか業が深い 歌舞伎の男は全員
そんなにまでしてやっているなら、観たいな、本物の歌舞伎
それぞれのお初
吉沢亮と横浜流星、その二人がそれぞれ演じる「曽根崎心中」のお初の演技にとにかく圧倒される。
吉沢亮は台詞回しと身体の使い方、熱量の落とし込み方がとにかく素晴らしく、横浜流星は身のこなしや表情に工夫が見られ、極限状況にある設定とも相まって切実さもひしひしと伝わってきて、どちらもとても魅力的なお初だった。
緊張状態が一瞬ほどける場面が時々あって、なんか泣きそうになった。
少年時代を演じる二人の瑞々しさも眩しかった。
評価が悩ましく難しい、面白い映画
この作品、評価が難しいです。
率直には面白く鑑賞できた出来作ですが、その「国宝」のテーマと、「国宝」の原作に合わせた映像化に、不満も感じてしまいました。
基本は、面白い。だが、推奨しがたい。……でもないような、そうであるような……難しい!
まず、美しい映像美には感動しました。
そして、主演吉沢亮さん演じる喜久雄と、主演横浜流星さん演じる俊介の演技もとても魅力的で、映画に没頭することができました。
私は歌舞伎は知っている程度、原作も知りません。
今回鑑賞しようと思ったのは、前評判も良いし「国宝」というタイトルと世界観に、壮大な歴史的描写の物語を楽しめるかもと期待していました。
半面、歴史的描写の映画は大半、壮大で圧巻だがエンターテインメント性は抑え目なイメージがあり、しかも3時間弱の長編のため、どこかで必ず「ダレる」「眠くなる」瞬間があるかもなぁと、不安もありました。
導入、歌舞伎の舞台。
歌舞伎に見とれました。素晴らしい映像美を見せつけられ、スグに映画に入り込みました。
そこからよくある時系列の起点に移り、喜久雄の少年時代。
極道 任侠 暴力 紋々 抑え目だが性的描写 復讐。
国宝になりえるかもしれない人物の描写に、国宝は無理だろうという思いを感じながら極道映画をしばらく楽しみました。
本作がフィクション映画であることは鑑賞後知ったことなのですが、おそらく原作の世界観が壮大で「尺」が足りないせいなのか、妙な急展開や早送り、カットが目立つその後の映像に、無駄に考察する時間が必要な間があり少し戸惑いました。
①藤駒の、いきなり色になろうかな発言からの、特に大きな進展を描かないまま、いつの間にかの子供出現に脳内整理の時間が必要だった。
②少年喜久雄が1年で娑婆に出られたのは失敗した?未成年だから?からの、あー失敗だったのかな?で、相棒の少年はどうなった?敵はどうなった?と気になった。
③第一印象で、露骨に喜久雄を嫌っていた感じの俊介が、青年期にワープしたら普通の仲で、描写的にも深い不快感は表していなかったので仲たがいの構図はそんなに根深くない?等の考察が先走った。
④時代のワープが頻発だった。
……などなど。整理しきれない事情もあったのかなと思いつつ、ちょっと残念な「はしょり」具合が気になりました。
ですが、そんな感じでマイナス点を伝えてますが、上映中、まったく「ダレる」事無く、非常に楽しく鑑賞することができました。
冒頭申しましたように、映像美がとても素晴らしい!歌舞伎に興味がない人間でも感動を覚え、没頭させてもらえました。
さらに、出演者の演技力にも拍手を送りたい。
少年役の黒川さんと越山さんの演技も素晴らしく、メインキャストに移行する前も十分に物語を楽しませてくれました。
また他の共演者も非常に演技が完成されていて良かったです。
今の時代、大人の事情で演技未完成の方が主要場面に多く出演・発言されると、失礼ですが「ダレて」くるので。
そして、吉沢さんと横浜さん。
素晴らしい!大賛辞を伝えたい。
いい加減な様相、怒り、失望、悲しみ、自暴自棄、喜び、困惑。そして歌舞伎の舞踊。
その演技があったから、劇場で作品に没頭し、「ダレる」事無く、美しさも体感しながら鑑賞することができました。
素晴らしかった!
……の上で、やはり評価が難しいのは作品のテーマ。
以下、個人的な意見です。
①「国宝」には、絶対になり得ない人物像
類まれなる才覚があったとしても、由緒正しい家紋の長が果たして跡継ぎに、現実するだろうか。また、かりにしたとしても、周りの家紋長老格や分家などが、絶対認可しないはずでは。
素晴らしい役者として、何かしらの受賞や著名人としての地位が確立するのは全然良いのですが。
②「国宝」は国の宝
国の宝であり、日本国を象徴する無形文化の一つとして、天皇陛下からも認められ謁見を賜れる存在(国民栄誉受賞者なども謁見出来きますが)。
大目に見てやくざは父親で、断絶していたとしても、自意識のある年代に、自分の意志で紋々を背負い、早々に暴力と性欲を行使して法に触れていて、青年期から壮年期にかけても身勝手な理不尽を行使して、「悪魔と契約」したというほどの事を、まさに行ってきた人物が「国宝」となるのは、どうなのかなと。
③反日の評価が不安
一部の反日の思想家には、「国宝」のレベルが、日本はこんな人物に務まるのかとか、だから日本はダメなんだとか、歴史や民度に対する蔑視や吹聴が誇張されそうで怖いのです。
あくまでも、「フィクション」である事が大前提として、海外には発信を心がけ、外交上の深層心理に悪影響を与えないよう危機管理が必要な気がします。
鑑賞した一市民としても、予備知識が皆無に近いと、もしかしたらノンフィクションの可能性を考えてしまう鑑賞者も少なくはない気がするので、冒頭にフィクションアピールが必要な気がしてしまいました。
以上、非常に面白かったですが、原作や映像化に対する不足感や、国宝の品位に対する評価が気になってしまった作品のため、面白くて映像も演技も最高!ですが、星3.5です。
農民の話
丁稚奉公のように先祖代々続く農家で農業を学び育ち
皆と収穫を祝い、人生の不作や凶作に翻弄されていく
段々と醸成されていく畑から特異な味のものが出てくる
その農作物は宿命でその家族でも創る事は出来ない
人生に苦労と紆余曲折があり その肥料や堆肥が役や舞台に滲み出ていく
芸の肥やしが撒かれた土壌は違う
携わった仲間達と耕して過ごしてきた畑が在る
鍬を持つ姿を天から見てる
彼はその農家の次男坊
映画としての質は高いが、話自体はつまらない。
見る人がなにを求めて見るのかでこの作品の評価は大きく分かれると思う。
演技が凄い,映像が美しいなどを映画に求める人は確かに良いと思う。
しかし,「正体」などのように映画のストーリーの面白さ、ワクワク感を求める人には苦痛だと思う。
自分は後者なのでつまらなく感じてしまった。前者であればとても素晴らしい映画に感じると思う。
実際口コミや,評価を見ても褒められてるのは吉沢亮や、横浜流星の演技だったり、映像美、歌舞伎をここまで写したことの凄さが大半を占めているように感じる。
実際、映画館で働いてる者の体感として、映画を見終わって出てくるお客さんの話し声がちらほら聞こえる中で,話が面白かったと話しているより演技が凄かった、美しかったの声の方が圧倒的によく聞こえる。確かに演技、映像美などの作品の質はここ最近の中ではずば抜けて良いと思う。
せっかく3時間近くやるのだから歌舞伎のシーンをもっと減らして人物の心情だったり関係性を描くシーンを増やせば良かったと思う。
歌舞伎の演目で表現してるなどの声をちらほら見るが歌舞伎の演目については私はさっぱりわからないのでそこで表現されても全く伝わってこなかった。公式のインスタにあらすじが載ってるが、映画の前に予習したとて,3時間の映画の間中、覚えてるのは無理があると思う。
できる人は凄い。私には無理だった。
最後に1番好きなシーンは吉沢亮がボロボロの状態でマンションの上で夜の中1人踊っているシーンは凄すぎて鳥肌が立ちまくった。このシーンはやばい。
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