国宝のレビュー・感想・評価
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見応え充分な、映画館で観るべき映画。
凄いものを観た。出演者それぞれの存在感がすごい。吉沢亮と横浜流星はもちろん、渡辺謙もちろんだが、田中泯がすごかったなあ。
怪我をした半二郎が代役を息子の俊介ではなく、才能で喜久雄を選ぶのはすごい。そのことで俊介が家を飛び出し、喜久雄に後継ぎに決めての襲名披露での場面。印象深い場面だった。血を吐き倒れながら叫んだ名前は息子の名前。やはり父親なんだな。家を飛び出し8年。もう喜久雄に継がせるしか無い。才能もある。でも半弥がやはり気がかり。そんな半二郎を呆然と支える喜久雄の表情が、、、とても迫力のある場面だった。
俊介と春江が2人できえてからの8年。どんな風に過ごしたのか、そんな場面も観たかった。でも約3時間の長い映画、これ以上はねえ、いっそこんな大作、2本に分けてもう少し飛ばした所をやって欲しかった。
吉沢亮も横浜流星も、これまで闘う映画が多い気がするが、今作ではあんなにしっとりと色っぽく女形を演じて、どんだけ練習したんだ。ほんとに2人の根性はアッパレ。なんかこれで終わっちゃうのは勿体無いね。本当にすごい。もちろん吉沢亮が主演で満足だが、2人が逆のバージョンでも観て見たいわぁ。
歌舞伎は一度観に行ったことがあるが、機会があれば是非また観たいものだ。
必要なものは、血筋か、才能か
任侠の一門に生まれた喜久雄は15歳の時に抗争で父を亡くし、
天涯孤独となってしまう。
喜久雄の天性の才能を見抜いた上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎は
彼を引き取り、喜久雄は思いがけず歌舞伎の世界へ飛び込むことに。
喜久雄は半二郎の跡取り息子・俊介と兄弟のように育てられ、
親友として、ライバルとして互いに高めあい、芸に青春を捧げていく。
そんなある日、事故で入院した半二郎が自身の代役に俊介ではなく
喜久雄を指名したことから、2人の運命は大きく揺るがされる。
といったあらすじ。
正直、歌舞伎のうまい、へたはわからない私ですが、
血筋、世襲の世界ということぐらいは知っている。
冒頭は任侠もの?見るんじゃなかったか?と思ったけど、
喜久雄が半二郎に引き取られ、厳しいけいこをつけられ、
俊坊と切磋琢磨し、互いに成長していくところから、
ぐいぐい引き込まれていく。
吉沢亮さんが喜久雄、横浜流星さんが俊坊を演じた。
どちらも好きな俳優さんなので、出演映画はほとんど見ているのだが、
今回の映画も素晴らしかった。
お二人の女形の美しさ、歌舞伎を知らない私でも凄さに驚いた。
この二人の人生、芸に生き、芸から逃げ、芸に再び戻り、
と決して順風満帆とはいえない、むしろ波乱万丈の人生。
互いに足りないもの、それは血筋であり、才能であり。。。
そして最後、喜久雄は人間国宝にのぼりつめる。
3時間近くの壮大なストーリーであったが、あっという間であった。
心が揺さぶれる素晴らしい映画でした。
一つことに身を捧げるということ
東一郎と半弥、喜久雄と俊介。今だったらDVレベルのシゴキだが、本気で教え込もうとしたら、こうならざるを得ない面はあるのだろうな。言葉も柔らかく、小突くことも許されない中で、厳しい芸事の世界観をどう伝えていくのか、本当に今の世の中は難しいよな。
それより何より、吉沢亮と横浜流星、二人の芝居に釘付け。子役も良かったけれど、やはり東一郎と半弥、芸そのものと血筋と。この対立軸、振り子が左右に振れる中で、ドン底に叩き落とされ、泥水を啜り、一度は腐ってしまったとしても。それでも、這いつくばって前へ進み、もう一度立ち上がる。陽の光を浴びる。芸人の性、一つ事に心血を注ぐ、その有り様に心奪われた。神様、悪魔との取引、我々は差し出せるものを持っているのか。全て差し出して手に入れたいものが明確にあるだろうか。
曽根崎心中、半弥の手足、もう先がないことを察してから終幕まで、人間の儚さ、それ故の美しさ、搾り出し表現する力強さ。魂が震えて止まらない。
ラスト国宝となり挑む鷺娘。東一郎は何を思い舞ったのだろう。
そして劇場を出た今。観客たちは何を思い、それぞれの人生を舞うのだろうか。
凄いものを観たとは思うけど、面白いとか好きとは思えなかったのは、己...
意外な「発見」があって驚き。
内容は前評判のごとく最高だった。近年見た映画の中では私としては最高傑作。
で、私が感じた意外な「発見」は次の通り。
田中泯さんが小野川万菊を演じているときの顔の表情、特に舞台化粧をした顔を見た時にぞっとした。悪い意味の「ぞっ」ではなく、六代目 中村 歌右衛門丈の姿がかぶって見えたこと。残念ながら六代目 中村 歌右衛門丈が健在の頃の私は小学生で、舞台を見たことがないが写真だけは数多く見ていた。また、私が幼い頃にいたご近所のお婆さんが六代目 中村 歌右衛門丈にそっくりだったので、そのお婆さんの姿もかぶって見えた。
もう一つの「発見」は横浜流星クンが演じた俊坊の舞台化粧をした顔。特に前半の藤娘や二人道成寺の時の顔。中村七之助丈の姿を彷彿とさせた。お二人とも花が高くて細面なので似て見えたのかも?
しかし、歌舞伎指導を受けたとはいえ、歌舞伎役者としての演技をよくもまあこれだけできたものだと感心した。
原作をかなり以前に読んでいたが、もう一度読んでみようと思う。
こんな役者さんがもっと増えてくれたら
長時間映画なのに疲れない
邦画ってのはイマイチお金を払って劇場に行く気にならんのですが国宝は予告から気になっていたので思わず劇場に行ってしまいました。
小さい劇場がパンパンの入り。こんなに映画館がパンパンで観たのは何時ぶりでしょうと期待も高まりました。
映像、音楽、役者全てに魅せられました。3時間なのに疲れないとはコレ不思議。
歌舞伎ってTVで特集してますねぇ〜へぇ〜世襲でしょう。大変だねぇ、産まれた時から将来決まってて。ぐらいの認知しかないので外からの人間がいかに歌舞伎で生きていくのが難しいかを見せられた気持ちです。「才能」ではなく「血」の重要性。
そのコネだと血だのに潰される才能が現代と噛み合わないなぁと少し不快さも感じるがコレが「世襲」なのでしょう。それで守られてきた「芸事」なのだろう。だから役と芸事が噛み合うまで時間がかかる。時間をかけて何度も何度も演じてやっと「〇〇の代表演目!」と言われる様になるんだね、と納得したり。
そんな中に「才能」が飛び込んできてしまったら…?
喜久雄という「才能」と俊介という「血」。それぞれの葛藤も苦しいんだけど最後に勝るのは「血」、
どんなに「才能」があってもコネと血。それがなければ生きていけない。キツイ世界で常人には無理。そんな世界に取り憑かれた喜久雄の足掻きと苦しみが大きくではない、静かに広がる水波紋のように心を揺さぶってくる。
映画館でこそ活かされるような音楽と演出は恐らくTVで放映しても迫力としてはイマイチでしょう。是非、劇場で観て欲しい。
劇中の時の流れと女心というのは早いものでついていくのも理解するのも難しいモノですが、畜生、春江嫌いだわぁと思うくらいです(笑)
喜久雄も俊介も人間としてクズはクズ。ただ芸事の面で彼等は誰よりも互いを理解し高め合い支え合うことの出来る唯一無二のパートナーだったでしょう。
そう、彼等は人間として生きるには向かないのです。役者ですからね、芸事で人に魅せるのです。恐らくリアルの歌舞伎だとあり得ないのかも知れない喜久雄の人生は私として良かったです。役者さん方の演技も凄い。久しぶりに邦画でパンフレット買いました。
喜久雄の娘の言葉が、親として認められなくとも仕事の面でリスペクトされたら下手すりゃ何より嬉しいかもしれないなぁと思ってしまいました。
俳優陣の頑張りに刺激を受ける
映画館で観るべき映画「国宝」
歌舞伎の新たな見方を教えられました
芸術作品
◇血に焼き付けられた「演技」
人間国宝は、日本の文化財保護法に基づいて重要無形文化財の保持者として認定された人物を指す通称です。芸能、工芸技術等の無形の「わざ」を体得している人。
日本文化における「わざ」は身体の中に刻み込まれている所作の上に成り立っているように感じます。それは長い年月の試行錯誤と切磋琢磨によって何重にも折り返され積み重ねられた身体のリズム。
身体のリズムを形作るのは血です。血の流れの中に、「わざ」の動きの一つ一つが書き込まれて記録され巧みに再現されるのです。
歌舞伎界を巡る二人の役者の人生の浮き沈みを人間喜劇さながらに描くこの作品。秀逸なのは、幼い頃からずっと芸を鍛錬してきた歌舞伎役者のごとく、しなやかに動く身体の美しさです。
身体に刻み込まれた歌舞伎の動きを役者として身体の血に染み込ませて演じているように感じました。もはや演じているというよりは演技そのものが憑依しているようでした。
身体の奥に感じる血のリズムが共鳴し始めるとき、感動の渦が深淵からじわりじわりと湧き上がってくるのを止められませんでした。
悪魔に魂売って奈落から這い上がり役者へと
吉沢、横浜両者の演技は秀逸。随分と練習したんだろうなと感じさせる名演技でした。
浮世絵ばりのカメラのアングルや大首のカットが良い。
ただ年月追いかけるので、尺長くちょっとだれる。
歌舞伎のどろどろとした内幕をもう少し掘り下げてほしかった。競い合う2人の挫折が同じなのには?
話題になってたので
【瀧内公美のまたファンになってしまった】
演目「曽根崎心中」は知ってた方が楽しめる
作り手たちの熱量に圧倒される作品
映像の美しさ、胸を打たれるストーリー、そして作り手たちの熱量に圧倒される作品。もし喜久雄が身近にいたら、彼に人生をめちゃくちゃにされる人は多いだろう。芸を突き詰めることが人生の第一優先事項で、人に対する情が薄いように見える。だから彼のそばにいることに疲れたり、諦めたりして、離れていく人(女性)は多いけれども、そのことに対しても喜久雄は激しい感情を表したりはしない。
でも、何も感じていないサイコパスのような人という印象は不思議とない。
それは彼の生い立ちや成長過程が丁寧に描かれ、様々な困難や理不尽に苦しんだり失望したりしながら「芸の他には何もいらない」と心に決めた姿、実父や師匠の生き様を目に焼きつけた姿を見ているから、喜久雄はそういう覚悟を持って生きている人なのだろう、と感じさせるのだと思う。
それでも身近な人にとっては、彼は紛れもなく身勝手であるはずだ。けれども、そうまでして彼が追い求めるものが「歌舞伎」の芸であることが、殊更私たち日本人にとっては、その重みを共通の理解としているからこそ、その身勝手さを受け入れてしまう。芸の肥やしなどという言葉が受け入れられない昨今であっても、この作品を見て喜久雄に悪感情を抱く人は少ないのではないだろうか。
ほとんど誰も、彼のようには生きられない。歌舞伎界の御曹司である俊介でさえも。だからこそ喜久雄は国宝になりえたのだ、ということが、説得力をもつ。
そこに真実味を与える脚本や美術なども素晴らしいのだけれど、やっぱり主演の吉沢亮、ライバル役であり盟友役である横浜流星をはじめ、役者陣が本当に素晴らしい。歌舞伎の稽古の中で「その役を生きていないから、そんな表現になるんだ」という趣旨の台詞が何度か出てくるのだけれども、まさにこの映画の俳優陣は、この役を生きたのだと思う。
伝統芸に挑む若手俳優の演技が国宝級
「悪人」「怒り」に続いて吉田修一の小説の映画化作品である。原作は未読であり、歌舞伎も見たことがない。17 世紀初頭に出雲阿国が始めた踊りが歌舞伎の発祥とされ、江戸時代に発展して隆盛を極めた。先日、出雲大社に参詣した際に、すぐ近くに出雲阿国の墓があったが、京都の大徳寺にもあるらしい。
初期の歌舞伎は、上演終了後に役者が客を相手に買春行為をしていたため、風紀の乱れを幕府に咎められて、女優は舞台に上がれなくなった。これによって、女形という日本独特の芸風が誕生し、演目も増えて歌舞伎の型といった文化が形成された。男の役者が買春行為を続けていたが、幕府はそれには文句を言わなかった。
歌舞伎役者は、当初河川敷に演劇小屋を張って興行していたせいで、「河原者」や「河原乞食」という蔑称で呼ばれて、カタギの人間との婚姻が極めて難しかったため、自分らの身内で結婚して子供を作るしかなく、これが世襲制の本来の理由である。現在では自分らの世界を「梨園」などと呼称して、むしろ一般人より優越な立場にあるかのように振舞っているが、そもそもは逆の立場だったのである。数は少ないものの、世襲でない役者もいて、片岡愛之助などはその一例である。
伝統的な型によってがんじがらめにされている現代の歌舞伎は、音楽で言えばクラシックのようなもので、同じ演目を何度も見て来ている客は目も耳も肥えてていて、少しでも役者が型からはみ出ると未熟者と蔑まれるらしい。歌舞伎界からは人間国宝が6人輩出しているが、あくまで芸に対する評価であって、役者本人の人間性は二の次のような印象を受ける。特に女性関係にだらしのない役者が散見されるが、よほどのスキャンダルを起こさない限り、年数が経てば人間国宝の声が掛かるらしい。
この映画は、歌舞伎の名優の子として生まれた者と、血縁はないものの、師匠に芸を見込まれた者の互いの葛藤を中心にした話が展開される。いずれも過去を引きずりながら生きていて、背負ったものの重さと質が大きく異なっているが、二人は基本的に仲良しである。それが成長と共に、互いの関係性も複雑化して行く。
全編約3時間を要する大作であるが、弛緩した部分はひとつもなく、見せ場が連続する。主役の二人を歌舞伎役者が演じたら面白くも何ともない作品になってしまっただろうが、吉沢亮と横浜流星という歌舞伎とは縁もゆかりもない二人が演じたことで、緊張感が半端ない作品に仕上がっている。大御所役の渡辺謙や田中泯も歌舞伎の演目を演じるシーンがあり、それが素人丸出しでは映画の出来を大きく損なってしまうに決まっている訳だが、見事に演じているように見えた。1年半ほどの稽古であそこまで見せるというのは物凄いことだと思った。
ロケ先も由緒正しいところばかりで、歌舞伎座は言うまでもなく、冒頭の長崎の宴会場は、坂本龍馬もよく訪れた「花月」のように見えた。シーンの背景の隅々まで、尋常でない注意が払われているように思えた。ただ、原作をかなり削ぎ落としているようで、もっと見せるべきシーンがあったはずだと思った。例えば、敵討ちに向かうシーンは、その後の展開が台詞のみで語られるだけであったが、あれは他の尺を削ってでも見せるべきだったと思う。
横浜流星は、昨年度のアカデミー主演男優賞を同じ監督の「悪人」で受賞しているが、今作の吉沢亮はそれを上回っているように思えた。吉沢の飲酒トラブルで公開が危ぶまれたが、無事に公開されたのは良かったと思う。これがお蔵入りになっていたら日本映画の大損失になるところだった。関係者も胸を撫で下ろしていることだろう。
音楽の原摩利彦は見かけない名前だったが、若手の作曲家で舞台音楽等も手掛けている人らしい。歌舞伎の音曲とオーバーラップしても音響を損なわない曲想を聴かせていて見事だった。映画館で見るべき映画である。
(映像5+脚本4+役者5+音楽5+演出5)×4= 96 点。
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