国宝のレビュー・感想・評価
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美しき化け物
とにかく圧巻の一言。
一生をかけて、ありとあらゆるものを犠牲にして、
血を巡る愛憎も友情も、その何もかもを包み込んでひたすら舞台に打ち込み続ける。
手足がもげようとも、光を失っても、
身体のあらゆる自由を失っても、
役者としての更なる高みを探求する瞳の輝きは何よりも美しく、そして底のない闇のような不穏な異質さも合わせ持っておりこちらを覗き込む度に心底ゾッとした。
舞台上で見る華やかな役者としての顔。
しかし、その内側には、夥しい数の呪いが渦巻いており、役者自身も知らず知らずのうちにその一部に飲み込まれていく。
歴史という狂気に取り憑かれた化け物のようである。
その美しさと恐ろしさの相反する2面性に人は感化され、
おもわず目を奪われてしまうのかもしれない。
国宝が国宝たる所以、しかと脳裏に焼き付きました。
すんごいの観た。
歌舞伎役者としての所作表現、時代の緻密な再現性、観劇では決して追うことのできないカメラワークがもたらす臨場感と生っぽさ、ついスクリーンに引き込まれる画角。完成度は語ればキリがなく、かつその度合いはバカ高すぎる。それにより鑑賞者の世代を超える作品であることにも、いたく納得。むしろ残念だったところを上げることのほうが難しいぐらい。歌舞伎、吉沢亮や横浜流星といった記号はあれど、劇場を満席にするほどの作品であることは上映開始間も無くで理解できるし、上映時間さえもブッ飛ぶ。吉沢亮の凛、横浜流星の艶、鵺な田中泯の演技は必見。
観終わった後に過ったのは、なぜ松竹ではなかったのか。松竹が配給権を握っていれば、これほどまでの作品になっていたのだろうかと意地悪なことを想像してしまった。
圧倒的
平日昼間でも満員!
圧倒的な熱量と執念が結実
スタッフとキャストの熱き思いが結集して、その思いが聴衆に十二分に伝わってくる。
そんな瞬間を初めて経験した。なぜか涙がとまらなかった。
渾身の力をふりしぼって創ったという実感が、これほどまでに押し寄せてくる作品には早々出会えないだろう。
黒子を3年経験して原作を書き上げた吉田修一。『曽根崎心中』、『娘道成寺』の美の世界を如何なく表現しきった横浜流星、吉沢亮。世襲に呪縛された男と歌舞伎の名家に拾われた男の歪な友情。女形の人間国宝役を前衛ダンサーの感性で舞った田中泯。彼らがもたらしてくれたのは、執念以外のなにものでもない。
『曽根崎心中』は、中村勘九郎と市川右近の若手コンビが演じ、『娘道成寺』は、かっては坂東玉三郎、尾上菊五郎が演じたらしい。でも、そんなことはどうでもよい。全体の一部を切り取った芸であったとしても、瞬間の美しさは人の心を打つ。
歌舞伎を見たことがない僕らでも、そこに人間同士の葛藤や厳しい稽古を、はるかに超越した伝統芸の極地を感じる。「美しい」意外にあてはまる言葉が見つからない。演者と聴衆が一体化した瞬間。喝采は鳴りやむことはない。圧倒的な熱量にぐーのねもでない。日本アカデミー賞作品賞の最有力候補とみた。
映像美
テレビやスマホで観るのと映画館で観るのとでは、映像の印象が大きく変わる作品だと感じました。
今の時代、3時間の長編に集中するには、やはり映画館という特別な空間が必要です。そして、大きなスクリーンで観るために作られた映像は、やはりスクリーンで観るべきだと改めて思いました。(何を当たり前のことをと自分でも思います)
映画でしか観ていないため多くは語れませんが、それでも「3時間では足りない」と思うほどの密度でした。
歌舞伎の世界を映画という形で描く——それだけで、関心の薄い人にはややハードルが高いかもしれません。それでもこの作品には、中弛みすることなく観客を惹き込む力があります。
無情に過ぎる時間にどう向き合い動けるか。
人にどう思われ、何を言われて、そうしてどう生きるか。
強く生きる側に立つことの難しさ、それでもそう生きられるように日々を歩みたい。
そんなことを感じさせてくれる映画でした。
観る目がないのか、そこまでいいのか
大評判ということで出掛けた
3時間近い作品だが、確かにそう長くは感じないから、いい映画だったんだと思う
ストーリー的には、二人の男の友情とライバル、挫折と復活という、まぁ、よくあると言えばよくある内容
とはいえ、このよくある内容を破綻なくしっかり描いているので、これもまたいい映画だったとは言える
極道だったことが、ごく僅かしか影響してないとかは、若干違和感はあるが、役の性格形成に影響してるんだということなら、納得できないわけじゃない
何人かの女性たちの描き方が中途半端かなあ、あの女性は結局どうなったんだろうみたいな印象もあるが、敢えて言えばということかな
歌舞伎の世界でも、さすがにそんなことは起きないんじゃないかと思うが、絶対有り得ないとも言いにくい、起きないと思うが
主演二人の俳優も熱演だが、なんと言っても、田中泯が凄い、おそらく歌右衛門がモデルになっているんだろうが、まさに歌右衛門がそこにいるという感覚
さて、この映画がなぜめっちゃ高く評価されているのか
先に述べた二人を含めて、歌舞伎の凄さを表現しているか、ということなんだろうか
もしも、そうなら、月に少なくとも2回、3回は歌舞伎を見物している私にとって、いささか今さらではあった
さらにいえば、歌舞伎はこんなもんじゃない、もっと凄いとも、思うが
歌舞伎をあまり観たことのない方にとって歌舞伎の凄さが少しでも伝わったのであればよかったなと思っている
その道で自分はどうあるのか。
主役のお二人がどれだけ稽古をしたのかと、感服でした。
けれどいちばん光を感じたのは、きくおの子役時代。とても際立って見えました。
ストーリーも素晴らしかったけど、ひとり残されたあと「全て無くしてもいいから日本一になる」までの道すじに、もう少しだけ時間を割いて欲しかった気持ちも。
芸と血筋。
彼らにしか見えないもののようで、たとえば社会における女性がそうであったり、未だ男性しかいない歌舞伎界であったり、政治や皇室であったり、案外身近にもあるもの。
何を選び、何は選べなくて、そこで自分は「どうあるか」。
何をどうやっても、その道に戻ってきてしまうような運命性の切なさと必然性。
生まれた環境を乗り越えて掴むものは、美しい。
「芸の花の色は清らかに白い。だが蕾は血がにじんだように赤く、その香りは汗の匂いがする」
…というのは、
昔見た花登筺ドラマ「細うで繁盛記」の冒頭ナレの「銭の花」を
「芸の花」に変えただけのものだけど、この映画を縮めて言えばそれ。
映画は、先に読み終わってた小説とはいい意味で「似て非なるもの」かなぁ。
なんというか、勝手な解釈ですけど、
主人公の喜久ちゃんは、
小説の方は「燃えたよ‥‥‥真っ白に‥‥‥」の矢吹丈で、
映画は「おわった‥‥‥なにもかも‥‥‥」の力石徹な感じかなぁ、
知らんけどw
「絶賛される映画の原作はそれ以上に面白い」自分の経験則に従い
映画より先に原作を手にしたけど、逆の方が良かったかも。
(当たり前だけど情報量が違う)
また、芸道の道を極める気高さと苦しさ。映画はそこに醜さをプラス。
周りの人たちとのかかわり方やプロフは小説の方が好きかな。
エンターテイメントとして楽しむだけなら充分だけど
最近評判の、映画『国宝』にちょっとがっかり。
演芸そのものがエンターテイメントだし、原作もあるのだから仕方がないけど、3時間にわたってここまでいろんなことを詰め込んだ、抒情詩的エンターテイメント映画にする必要があったのか?
これまで正面から捉えられることの少なかった『歌舞伎』をテーマとした映画を作るなら、映像的にもっと絢爛豪華に美しく表現することが出来たはずだし、二人のライバルの演技も、本当の歌舞伎ファンを唸らせるほどのものだったのかは、甚だ怪しい。原作を下敷にしたとしても、そう言う問題点をクリアした上での映画作りは絶対にできたはずだし、そもそもの、何を目指した映画なのかが実ははっきりしていない。
豪華絢爛な歌舞伎文化と、天才芸術家の人間性の衝突を描きたかったのかもしれないが、だとすれば映画として散漫で弱すぎる。
追記:歴史的に、「リアル」が尊ばれる文化は実は特殊で、多くの場合、美は「形式」の中に見出される。歌舞伎の「美」も形式美とは切り離せないはずで、そう言う意味でも、この映画の主人公たちの「リアル」は、実は矛盾に満ちていると言えるのかもしれない。本来の「歌舞伎」から遠く離れてしまった現代人の考えが正しいかどうかは全く分からないけどね
心に残ります。
賛否両論あると思うけど、今回はシナリオが巧み。
李相日監督作品は、なぜか相性が悪い。前作の「流浪の月」は気持ち悪かった。「フラガール」はなんで評価が高いか分からない。「悪人」もちょっと演出が上手すぎると思った(本質から外れて)。「許されざる者」は、娯楽作品としての面白さはあったが、流石に本家と比較して見劣りした。
今回は、とてもよく出来ている。素晴らしい。
細かい点で気になる部分はあるけど、多分、今まで見た李相日作品の中では一番よく出来ている。
今回は、シナリオが巧み。それに応えるように演出、役者が良かった。
長編小説を3時間弱に入れ込むには無理があったが、省略がとても映画的。
ドラマのように何話か分けてやるやり方もあるが、映画化にこだわるなら、今回の手法が最適解だったと思う。
で、それがとても上手くいった。まるで、映画としてのエッセンスを凝縮したような映画になった。それで省略した部分が最終的には、見る側に答えを委ねるような深みまで獲得している。
賛否両論あると思うが、今回のシナリオの作劇方法は、結果として何を見せたいかが明確になった。
(「オッペンハイマー」のように)
悪い意味ではないけど、チェン・カイコーの傑作「さらば、わが愛/覇王別姫」の影響を感じる。
(「国宝」も好きだし、「さらば、わが愛/覇王別姫」も好き。どちらも甲乙つけ難い傑作!)
感想
普段はサスペンスやアクション映画が好きで、歌舞伎なんて1ミリも知識がないけど吉沢亮と横浜流星が好きだから 程度の動機で観に行きました。結果大正解
間違いなく今年一番の大作(自分の中で)です。
才能 と 血筋をそれぞれ持つ2人の青年の苦労・葛藤、そして何者かになりたい名を残したいという渇望。3時間という映画で終始それがひしひしと伝わってきました。
演技シーンはとにかく美しく目を奪われる。
他の方も言われてますが「映画館で見るべき」作品だと強く感じました。
キングダム実写化の時より感じていたが吉沢亮さん本当に演技が上手いし、何より【魅せる】のが上手。
見終わって1週間経ちますがもう一回行っちゃおうかなと座席の空席情報なんかをチェックしちゃってます。
ただ、君の名は とかほかの作品もそうですが、「評価が高いからきっと最高の作品なんだ」と思い込んでしまうと、期待が高くなりすぎるので思ったほどの感動は得られないのかなと。
自分は、出演してる俳優が好きだし6ミタたまったから暇つぶしに観よう くらいのスタンスで観た結果大当たりしたので参考までにm(__)m
迷ってるならぜひ見てほしい一作ですね~
これは本当に凄い。日本映画史に残りますね
名作だけが持つ風格は十分過ぎるほど感じる でも全体的に建て付けが悪く寸詰まり感があるのが少し残念
二週間ほど前に出された梅雨入り宣言もどこへやら、この数日はお天気続きだったのですが、今朝は一雨来そうな雲行きでございました。そんななか、平日の正午少し前に開始、午後三時に終了という中途半端な時間帯にもかかわらず、『国宝』を観に集まった善男善女で劇場はざっと七分の入り、なかなかの盛況です。思えば、三週間ほど前、梅雨入りに先立って始まったこの興行は週を追うごとに好調さを増してまいりました。この『国宝』、この勢いですと今年を代表する一本になりそうでございます(以上、吉田修一が『国宝』で使った文体の文体模写でございます)。
ということで、観てきました『国宝』。任侠の家に生まれた 主人公の喜久雄(演: 吉沢亮)が歌舞伎の世界に入って女形として芸道に励み、ついには人間国宝になるまでの50年に渡る一代記です。中身はと言いますと、さすが評判に違わぬ出来栄え、歌舞伎に疎い私のような者でさえ、スクリーン上で展開される歌舞伎の演目「二人道成寺」や「曽根崎心中」等の様式美や歌舞伎役者でない者たちによる歌舞伎の熱演に酔いしれていったのでございます(なぜかまた国宝調)。まあでも鑑賞直後に思い出したのは数年前にヒットした『ボヘミアン•ラプソディ』でした。あの映画は最後のコンサート•シーンがすごくてそれがすべてを持っていってしまった感じで、ところでストーリーはどうだったと問われるとあまり憶えてませんと答えるしかありませんでした。この映画も少し似ているところがあって絢爛豪華な歌舞伎シーンに目を奪われていると、特に後半の駆け足で寸詰まりになっているあたりはスジを追うのに苦労しそうです。私は原作小説を読んでいましたので大丈夫だったのですが、逆に原作からの改変部分が気になってしまいました。
小説のほうでは「徳次」というキャラクターがいて、ほぼ全篇に渡って重要な役割を果たします。映画のほうではその徳次は冒頭の新年会のシーンで「関扉」を喜久雄といっしょに演じただけであっさりといなくなります。徳次は喜久雄より二つほど年上の 原爆症で親を亡くした孤児で喜久雄の父親に拾ってもらって立花組の部屋住みとなっていました。彼は喜久雄のことを「坊ちゃん」と呼び、喜久雄が義経だとしたら、武蔵坊弁慶みたいな存在で、喜久雄が歌舞伎役者として頭角を表してきたあとは喜久雄の回りの汚れ仕事を引き受けてゆきます。彼がいなくなったので、彼が喜久雄の娘の綾乃を救い出す場面も、「国性爺合戦」を元ネタにした「長江を白く染めてみせる」と言った彼の名文句も映画では出て来ず、非常に寂しい思いをしました。彼の他にも、喜久雄の父親亡き後、長崎でその跡目を継ぐ「辻村の叔父貴」とか、大阪で知り合った友人でTVで冠番組を持つ売れっ子お笑い芸人の「弁天」とかが小説にいて映画にはいません。まあ尺の都合上、致し方のないことかもしれませんが、これらの人々がいないおかげで映画では後半部分の話の進め方に苦労しているフシが見受けられ、残念な説明ゼリフが多くなったと思います。ということで、もっと尺を長くして『国宝-青春篇-』と『国宝-花道篇-』の二部構成にして別々に公開したらどうだったろうか、という考えがちらりとよぎりましたが、言い出したらキリがないこと、ここは175分の一本にまとめた李相日監督の力量に敬意を表したいと思います(これ、実は李監督が意識していたであろう『さらば、わが愛 覇王別姫』とほぼ同じ長さなんですね)。
あと、原作では喜久雄も俊介(映画では横浜流星が演じている)もなんとなくカタギではない感があって、特に喜久雄のほうは芸のためなら何でもやってしまいそうな怖さがあったのですが(それこそ「悪魔と取引している」感あり)、映画では吉沢亮や横浜流星のパブリック•イメージに引っ張られて原作にあった毒気のようなものが少し弱まっている感じがします。これも映像化すれば必ず出て来る問題で、ここは吉沢亮、横浜流星を始めとする俳優陣それぞれの熱演に敬意を表したいと思います。
もうひとつ、この作品は半世紀に渡る 歌舞伎役者の一代記なのですが、時代背景の描き込みが少し弱いように感じました。半世紀のほぼ半分が昭和、残りが平成だったはずですが、登場人物やそれにまつわるエピソードに当時の世相との関連があまり見い出せませんし(喜久雄の実母が原爆症で亡くなっているあたりは出てきますが)、背景に時代を象徴する何かが出てくることも少なかったように思います。このあたりは1920年代から始まってほぼ半世紀を描いた『さらば、わが愛 覇王別姫』と大きく差がついたところだと思います(もっとも覇王別姫のほうの半世紀は、国民党の中華民国の時代から始まって日本軍の統治があったり、共産党政権の誕生があったり、文化大革命があったりの激動の時代だったので、時代を描くことが物語と不可分だったわけですが)。私は喜久雄、俊介の六つほど下の年齢で彼らの成長とともに昭和、平成の時代へのノスタルジアめいたものを映画内でも感じたかったのですが、歌舞伎の美しさを見せたい、主人公の生き様を感じてもらいたい、あたりを主眼においた李監督の演出意図に敬意を表して、この話はここで止めたいと思います。
今回、私は原作小説→映画の順だったのですが、原作小説が面白すぎました。小説の地の文が語り物のような調子で(私は講談や落語の地噺を想起しました)読み始めたときにはこりゃやり過ぎだろと思いましたが、だんだん慣れてきて語り物口調で叙事的に展開されるエピソードが面白くてページを繰る手が止まらなくなりました。本当かどうかわからないにしろ、村上春樹は自分の小説が外国語に翻訳されることを意識して小説を書いているという言説がありますが、同じレベルで吉田修一は自分の小説が映画化されること意識して小説を書いていると感じました。また、先ほど、小説のほうが毒気が強いようなことを書きましたが、小説には映画にない「救い」もあります。喜久雄の娘である綾乃に関しては小説では納得できる着地点が用意してありました。原作小説未読の方にはぜひ一読をお薦めします。
あ、ここは映画のレビューでしたね。映画『国宝』は2025年の日本映画を代表する一本になるのは間違いないところだと思います。でも映画としてはバランスが悪い感じもするし、何よりも『さらば、わが愛 覇王別姫』との差も感じましたので、李相日監督の次回作への期待も込めて星は厳しめにつけました。
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